「永遠の1/2」佐藤正午

  「月の満ち欠け」で平成29年度上半期の直木賞を受賞した佐藤正午のデビュー作。
 第7回すばる文学賞受賞作です。
 「月の満ち欠け」が一風変わっていたので、他のも読んでみる気になってのですが、ちょっと遡りすぎました。
 1984年に刊行された作品で、物語の時代設定も1980年頃(昭和55年)なのですが、ちょっとその雰囲気についていけませんでした。なんかこう、カッコつけてるといいますか、酒の飲み方とか女性への接し方にまったく共感ができなかった。
 ジェネレーションギャップと言っていいかも。
 そういや、バブル期前の高度成長期だったか。
 ハードボイルドなんて言葉もあったなあ。もう、今の小説だと部屋でウイスキー飲む男なんてあまり見かけないからね。
 確か直木賞の選評で北方謙三が作者と同じ年のデビューであると言っていましたが、「友よ静かに眠れ」も今読めばこんな感じのとんちんかんなんでしょうか。
 これ真面目に書いてるんだよね、笑わそうとしてるんじゃないよねとか真剣に思ったりしてね。
 正直、読み進めるのが苦痛でしたね。
 何が起きるんだろうとドキドキしていたのは中盤までで、結局何も起きないのかよと諦めてからは、酒の肴にもなりませんでした。やたら文字が詰まっていて長ったらしいしよお、つまらねえくせに。
 もっとも、ブレイザーは岡田にどこを守らせるのかとか、長嶋は原を待っているとか、主人公はプロ野球が好きなのでこれら巨人軍前監督原辰徳がまだ入団前という、これほど隔世の感が味わえる小説も少ないかもしれません。その意味では読む価値もあるかもしれない。主人公は競輪狂でもあって、まだ中野浩一が走ってるしね。
 時代背景だけではなく、青春小説の範疇にはいるであろうこの物語の展開にも、いい意味で世代差を痛感します。
 気になる女性に連絡するのに、家に電話をかけて家族を通さなければならないというもどかしさ。
 これは小説的には携帯電話などよりよほどいいのですね、雰囲気的にも、展開に含みを持たす意味でも。
 すぐに連絡を取れないということは、今ならば事故や関係断裂を疑いますが、この頃ならば何かしらの偶然の可能性も濃厚に漂いますから、「連絡がつかない」これだけでひとつのプロットになりますから。
 そういう意味では、本作を読むことによって違う価値観の発見があったかもしません。
 
 あらすじ。
 主人公は田村宏、27歳。高校を卒業して市役所に3年間勤めた後、仕事を転々としています。
 昭和54年の年末、またしても彼は仕事を辞め、結婚を考えていた彼女にフラれました。
 しかしこの瞬間から、彼はツキ始めていたのです。
 年が変わって、趣味を通り超えて習慣である競輪で爆勝。
 おまけに競輪場の売店にヘルプでバイトにきていた足の長い美人とのデートに成功。
 彼女、小島良子は田村の2つ上で29歳、3ヶ月前に離婚し、祖母とふたりで暮らしていました。
 当初、彼女が最近まで人妻であったことすら知らなかった田村ですが、ふたりはアパートで逢瀬を重ねるようになります。
 競輪のほうも相変わらず調子がよく、新しく仕事を探す必要が感じられませんでした。
 すべて順調。ツキは続いている。はずでしたが・・・
 自分にそっくりな人間が、この街いる。
 競輪場で何度も人間違いをされることに、その頻度が尋常ではないことに、田村は気づきました。
 そしてその“そっくりさん”と間違われて暴力をふるわれたことをきっかけとして、彼は自分と瓜二つの人間のことを調べ始めるのです。その結果、そのそっくりさんは野口修治というのが本名で、博多に妻と子供をおいて蒸発、この街にやってきてバーに勤めましたが、店の売上を持ち逃げしたあげくホステスと一緒に雲隠れしていることが明らかになったのです。
 野口修治は、とんでもない女たらしの、破天荒きわまる男でした。
 そして野口の起こすトラブルによって、外見がそっくりである田村もまた巻き込まれていくのですが・・・

 主人公に共感できたことは、一年の締めくくりにその年書いた日記を読み返すこと。
 これだけ。もちろん、私は日記なんて書いたことないけけどね、おもしろそうと思ったから。
 結局、この小説は何だったのかというところを考えているのですが、その時の時代性が色濃く反映された青春小説という表面上の顔の下には実はそれほど深みといいますか裏の顔はないと思います。先に「月の満ち欠け」を読んでいましたから色々期待しすぎただけであって、このときは作者も若者ですからね、30年後と比べちゃ酷でしたわ。
 今気づいたのですが、月とツキは掛かっていたなと思いましたね、偶然ですけど。面白い。

 
 
 
 
 
 
 
 
スポンサーサイト

「中攻 その技術発達と壮烈な戦歴」巖谷二三男

 海軍航空の柱石・中攻隊の栄光と衰退

 img001_convert_20170916151508.jpg

 昭和31年に発刊された原書の再販版(昭和51年)。
 噂にたがわぬ“名著”であり、中攻隊の詳しい戦歴はもとより、海軍航空ひいては太平洋戦争における海軍の隆盛衰退に至るまでの系譜がこれほどずっしりと詰め込まれた本はありません。
 付録として九六式陸攻、一式陸攻の設計に携わった本庄季郎技師(戦後三菱重工技術部次長)の思い出回顧録や、三菱重工業製作飛行機歴史録もついており、11式大型練習機(一式陸攻の初期生産タイプ。編隊で一番被害が出やすい端の小隊の専用機=翼端援護機として重武装が施されたが使い物にならず、生産30機はすべて練習機に回された)などの興味深いデータも載せられています。編隊の端っこはカモ番機といってよく狙われたから、こんな発想をしたんだね。知りませんでした。
 知らなかったことといえば、山本五十六の肝いりで昭和11年3月に九六式陸攻が制式採用されて、昭和12年8月14日に世界史に類のない東シナ海を超えて往復2千キロにおよぶ遠距離渡洋爆撃をが挙行されたわけですが、それからわずか1か月で使用40機の30パーセントにあたる12機を喪失していたという事実も初めて聞きました。惨憺たる被害ですね。にもかかわらず世界の戦争方式を変えた快挙ということで、マスコミが騒ぎ立て、渡洋爆撃に参加した搭乗員はヒーロー扱いされたのでした。
 まあ、このときの世界初の長距離爆撃が、ゆくゆくはB29などの戦略爆撃の走りとなったわけですが・・・
 また昭和12年10月、横須賀航空廠で渡洋爆撃経験者を呼んで開かれた研究会では、はっきりと中攻が被弾すれば燃えやすいことが意見として述べられ、至急に防弾対策を施すべき提言がなされているのです。
 にもかかわらず、できなかったのかしなかったのか、結局終戦に至るまでこの問題は完全に解決しませんでした。
 本書を読んでいれば、なぜ日本が負けたかということがわかります。
 工業力の差、量の差ですね。それを中攻の戦譜がよく顕していると思いました。

 日本海軍の中攻が世界の先駆となったこと、それは遠距離渡洋爆撃と、もうひとつはマレー沖海戦での航空隊だけによる戦艦を含む艦隊の撃滅です。これを忘れちゃいけない。
 昭和12年8月から始まった中攻隊によるシナ事変への出撃、各地への爆撃は昭和16年9月をもって正味中止(この間搭乗員70組喪失)され、それからは次々と開隊された中攻隊はすべて太平洋戦争に注力していくことになりました。
 そして開戦劈頭、仏印サイゴン基地を拠点とする72機の陸攻隊が、イギリスの誇る戦艦プリンスオブウェールズ、高速戦艦レパルスを雷爆撃によって撃沈したのです。英艦隊は戦艦2隻海軍中将以下800名の人員を失い、我が方は陸攻3機搭乗員20名を失っただけという完勝でした。
 これは真珠湾以上に世界に衝撃を与え、海戦方式に一大革命をもたらした快挙となったのです。
 しかし、中攻の栄光はここまで。
 もっとも限られた局面ではその後も中攻隊の活躍は続きましたが、戦線がソロモンに移ってからは激しい消耗戦が繰り広げられ、結局は量の不足、搭乗員技量の低下、防弾装置の欠落、そして忘れてはならないのがアメリカ艦船の対空兵器能力の飛躍的な向上によって、中攻の活躍する場面はなくなっていきました。昼間雷撃などとてもできなくなりました。消耗が戦果を上回ったのです。にもかかわらず司令部は中攻を酷使しましたね。その原因は戦果の見誤りなどの過大報告もあったのでしょうが、その時点の選択として使える兵器が中攻しかなかったのではないかと思います。もっと銀河などの高速爆撃機の開発採用を早める努力をするべきでしたね。緒戦の戦果で中攻の戦力は過大評価され、さらにアメリカ軍のそれに対する適応の早さが司令部の念頭にはなかったのでしょう。
 昭和19年2月、751空がテニアンに撤退するまでの2年1カ月、中攻9航空隊のほとんど全力が入れ替わり立ち替わりラバウル、カビエン、ブカ等を基地として死力を尽くして戦いつつ、力尽きていったのでした。

 中攻隊の創生から終焉まで語りつくされている本書ですが、まさに著者の巖谷二三男氏は最後まで中攻隊と共にあった人でした。略歴を見ていて意外だったのは、神戸高等商船学校の出身だったんですね。兵学校ではありません。昭和9年に予備士官から海軍現役に編入し、昭和10年に第27期飛行学生。おそらく偵察員配置だろうと思います。
 その後、中攻の聖地とでもいうべき木更津空や美幌空、鹿屋空、701空、706空などの幹部を歴任。
 ほぼ戦争の最前線で中攻の活躍を見続けてきた方です。終戦間際には中攻隊最後の作戦となるはずだったサイパンのB29を焼き払う剣作戦の計画実行責任者にもなっています。
 当然、交友を結んだ人物も多く、本書には得猪治郎、三原元一、檜貝譲治などの他書ではあまり見かけない中攻隊の重鎮というべき幹部の業績や言動、そして行く末が語られている点でも本書は貴重でしょう。

 だいぶ前から持っていたのですが、分厚い(500ページ超二段組)のでなかなかその気になりませんでした。
 もっと早く読んでおけばよかったです。


 
 
 

「健太さんは、なぜ死んだか」斎藤貴男

 2007年9月、佐賀市で、中度の知的障害のある安永健太さん(25歳)が仕事から自転車で帰宅途中、不審者と間違われて警官たち(最終的には15名)に取り押さえられ、路上で命を落とした。
 警察はあくまでも「保護」であり過誤はなかったと主張、遺族は「逮捕」だったとして損害賠償請求と特別公務員暴行凌虐罪を問う刑事・民事の両方の裁判で争った。
 最高裁は2016年7月1日、福岡高裁判決を不服とした遺族の上告を棄却し、警察側の勝訴が確定した。


 健太さんはわずか10分間で命を失っています。
 何が起こったのかというと、パトカーの追尾と警察官らによる取り押さえでパニックに陥った健太さんが、急激な心拍動の異常や過呼吸状態、血圧の急変から急性の血液循環不全(心臓発作)を起こして急死したものと考えられています。
 健太さんは、対人コミュニケーションに難を持つとされる自閉症スペクトラムという発達障害でした。
 テーマパークとして開園した知的障害者授産施設で真面目に働き、野球が大好きで社会人のチームにも入っていました。父親はPL学園野球部のテストも受けたことがあるほどの元野球少年で、健太さんにもその血が反映されていたらしく、障害がなければプロも夢ではなかったのではないかと言われるほどの才能があったそうです。また、養護学校3年生だった1999年の夏にはアメリカ・ノースカロライナで開かれた第10回スペシャルオリンピクスの陸上競技に参加しています。
 こういう言い方は語弊があるでしょうが、どうしても健常者は障害者を「とろい」と見てしまいがちです。
 しかし健太さんの場合、健常者以上の運動能力があったと見るべきでしょう。

 だから彼の身体能力の高さが、不審者と誤解した警察による「保護」を著しく困難なものとし、十重二重に囲んでの過剰な拘束あるいは暴力によって、あまりにも異常な状態に追いやられた健太さんの心臓がパニックを起こして突然死したという推測はある程度事実なのだと思います。
 いくら力が強くてもひとりの男性にプロである警察官がよってたかってと思われますが、私も実は武道格闘技の黒帯を2本持っているのですが、パニックを起こして火事場の馬鹿力をだした青年男性の取り押さえに四苦八苦してとてもひとりではどうにも出来なかった経験があります。殴り倒すのではなく取り押さえるとなると力に力を持って対処しなくてなならないので、非常に困難を伴うのです。いっそ頭を蹴り倒してやろうかと思ったくらいです。
 けっして警察は彼を死なそうと思っていたわけではありません。
 しかし、警察による重大な過失と考えるべきは、健太さんが知的障害者であり、警察官が彼を障害者であるとその時点で認識していれば、その対応はまったく間違ったものになったかもしれないということです。
 養護学校時代の健太さんの指導要録には、<性格的な影響から、理解できないものに遭遇した場合、走って逃げ、それを追いかければさらに走って逃げる性格である。不測の事態に遭遇した際はパニック状態になり、それを収めるには放置しかない>と書かれていたそうですが、これは多くの知的障害者の方にも当てはまることではないでしょうか。
 この時点で2004年に警察庁から全国の警察署に配布されていた知的障害者に対する対応のマニュアルには、ゆっくり穏やかに話しかけて近くで見守るように書かれています。
 ところが、この佐賀県の警察官(部署は書かれていない)は、そんなものは読んでいなかったか無視した、あるいは健太さんのことを知的障害者と認識していなかったということになります。実際に裁判ではそのことが争点となったわけです。
 不確かですが、当時付近では覚せい剤の関係者が逃亡したという情報もありました。
 警察官が「ゼロロク(薬物中毒者?精神錯乱者?)が暴れている」と無線連絡したという情報もあります。
 もちろん警察側は、健太さんを知的障害者と認識しておらず、結果的に死に至らしめることになったのは不可抗力であった、強引な拘束はやむを得なかった、殴ってはいないと主張したわけですね。本当のところはわかりませんが・・・
 私が思うのは、別に相手が知的障害者ではなくてもこういうことは起こりうるだろうかということです。

 謝れば責任を認めたことになるので、謝れないのでしょうね。ほとんどの警察官が真面目に仕事をしています。そのときに私が警察官だったとしても同じようなことになったかもしれません。死なそうと思ったわけではないのですから。無理に職務質問をしたわけではない。ただし、やりすぎた可能性はある。謝れないのだけれども謝れば、遺族の気持ちはずっと楽になったはずです。それができないのは制度の問題なのかどうか。他にも警察関係では怪しげな事例が全国でたくさんありますがね・・・
 人間ならば誰でも失敗はするものです。医者だって警察だって失敗する。
 問題は失敗してしまった後の対応なんですよね。
 日本という国はセクショナルインタレスト(組織的利益)が大きすぎると思うのは、国民性でしょうか。
 失敗しても謝ればいくらでもやり直せるんだよ、という文化を根付かせねば、この国はいつまでたっても「ごまかし天国」でしょうねえ。



 

「同期」今野敏

 刑事vs公安・組対(っ ` -´ c)

 もはや警察小説のトップランナーと云えるのではないかと思う今野敏の人気シリーズ(全三作)の第一弾。
 私は「隠蔽捜査」シリーズは熱心に読んでいますが、それ以外は数冊しか読んだことがありませんでした。
 単発よりもシリーズ物が多い方なので、一度ハマるとずっと面白いですから、この「同期シリーズ」が最近完結したと聞いたので、ちょうどいいと思ってチャレンジしてみることにしました。
 結果、正解ヾ(⌒▽⌒)ゞ
 期待をはるかに上回る面白さでした。ほとんど一気読みですね。
 若干気になる点(蘇我の意図がわかりにくい)もありましたが、警察小説伝統の刑事対公安という構図に外れはありません。
 そして今回は、新たに組織犯罪対策部(組対)が構図に仲間入り。
 かつては刑事部で捜査課と融通の効いた組対(マル暴)ですが、独立した今はむしろ「対組織」という点で公安に近い性質を持っているそうです。
 事件の実像、真犯人を追う刑事と、事件事案よりも組織の把握、壊滅を担う公安と組対。
 しかも、周知されている通り日本一の捜査能力を誇るのが警視庁捜査一課ですが、日本の諜報機関のなかで最も実績と行動力のあるのも実は警視庁公安部なのです。警察庁の警備局などは情報を集約しているに過ぎません。東京都の警視庁公安部こそ戦前の特別高等警察の流れを汲む日本のCIAなのです。
 この両者が同じ特捜本部に入った日には、同床異夢も仕方ありませんわ。

 簡単にあらすじ。
 主人公は宇田川亮太・32歳の巡査部長。念願だった警視庁刑事部捜査一課に配属されて1年。
 新入りなので「ボン」と呼ばれ、教育係である51歳の警部補・植松義彦に怒鳴られたり雑用をさせられたり目の回る忙しさの中、宇田川の属する5係(名波孝三警部=班長)は、指定暴力団同士の抗争と思われる事件を端緒とした組事務所へのウチコミ(家宅捜索)の助っ人に召集されました、当然ながら主導するのは組対課です。
 このウチコミの途中、突然事務所から逃げ出した組員を追いかけた宇田川は、あろうことか白昼に銃撃されてしまいます。
 この危機を身をていして救ってくれたのが、偶然通りかかったという同期の公安警察官・蘇我和彦でした。
 蘇我が体当たりしてくれたおかげで、発砲者は逃走しましたが、宇田川は間一髪助かったのでした。
 お互いに所轄時代、宇田川は蘇我とたまに飲みに行く仲でしたが、万事にやる気の無かった蘇我がなぜか本庁の公安部に引っ張られて以来、宇田川が本庁勤務になっても滅多に会う機会はなかったのです。
 それがこの奇跡。しかし刑事は偶然という言葉を嫌います。なぜ蘇我はあの場面にいたのか?
 さらにこの事件の3日後、突然蘇我は懲戒免職になり、まったく行方知れずになってしまいました。
 そして捜査の合間を縫って蘇我の行方を追っていた宇田川に、なぜか公安の横槍が入ったのです。
 ひょっとしたら、異例のことではあるが蘇我は潜入捜査をしているのではないか?
 しかも籍を警察から抜いてまで・・・重大で危険な国家の安泰に関わる公安事案。
 真偽を確かめるすべも無いまま、宇田川に発砲した組員が殺害されたことにより特別捜査本部が立ち上がり、5係も招集されることになりました。そしてそこは、公安出身の組対課長が牛耳る、刑事はただの小間使いにされる帳場でした。あくまでも事件を暴力団同士の抗争事件の範疇におさめようとする組対。抗争はともかく殺人の真犯人は組員とは限らないという立場で一から捜査したい刑事。相容れぬまま両者が火花を散らす中、なぜかこの事件の中心に蘇我和彦が重要参考人として浮かび上がったのです・・・

 続編が楽しみ。
 すでに全三作でシリーズは完結しているのですが、もったいない、もっと長くて良かった。
 安保マフィアなんて初めて聞く言葉だったし、蘇我の潜入事案などちょっとややこしいところはあったのですが、水戸黄門的なわかりやすさと、若い刑事の分を超えた活躍のカタルシスは気持ちよかったです。
 この作者の格好をつけないところもいい。けっしてハードボイルドではありませんからね。
 等身大の青年が失敗しながら活躍するというのが、いいんだよ。
 宇田川を囲む面々も渋い。植松の同期で下谷署のベテラン部長刑事土岐達朗がいい味だしてた。
 警視庁のお偉方もだいぶ顔出したし、次はどんな展開が待っているのか、まったく新しい事案が始まるのか、今から読むことが待ち遠しい思いです。


 
 
 
 

 
 


「陰陽師 付喪神ノ巻」夢枕獏

 ご存知人気伝奇小説のシリーズ第三巻。
 漫画も映画も有名。私は今更ながらに読んでる。
 正直、第一巻を読んだときは失望しましたが、ここにきて形も整い俄然面白くなってきました。
 連作の短編なんですけどね、ストーリー以外の情趣の描き方もあんがい気に入っています。
 晴明が式神に使いそうな草花もさることながら、今とは全く違う1千年以上前の平安時代の風俗を偲べば楽しいです。
 考えてみればハッと気付く、ということが多くて。
 もちろんなんですけど、娯楽の形が全然アナログなんですよね。
 晴明のパートナーである博雅も管弦の名手ですが、音楽を楽しむのもすべて生演奏なんですよ。
 これすごいことですよね、おそらく当時の人びとは今の我々よりも耳が音に敏感だったはずです。
 ですから、名手の手による笛だとか琴の音を聴けば、さぞかし幸せな気分になれたのではないでしょうか。
 これはある意味、うらやましいなあと思う。
 文明が遅れているほうが幸せな部分もあるということです。芸術なんて特にそうかもしれない。
 堀川の橋にあたりで博雅が夜中に笛を吹いて歩けば、やんごとなき姫君が牛車に乗って建物の陰に控えながら聞き惚れているかもしれない。今と違って真っ暗だから音がなければ見つからない。
 光が少ないということは、闇に対して人が敏感であるということです。
 だから本作が参考にしているような、闇の世界と人の世界が共存している今昔物語みたいなのが創造されたのかもしれませんねえ。見えないからこそ、見てしまうんだろうねえ、心で。
 そういえば、本作ではあらためて「呪(しゅ)」がこれでもかと説明されていました。
 呪とは、それに相対するものの心によって作られる縛りのことだと私は理解しています。たとえば自分が好きな女性を友達に知られたとするとそれだけである程度縛られています。また、言葉はそれ自体が呪になるのではなくて呪を盛るための器だとも書かれています。やはり呪とは心の世界なのです。そして、現(うつつ)の物事が現代より極めて少なかった当時にこそ、恋愛はもちろん社会における呪(しゅ)の占める幅が大きかったのではないかと思うのですね。
 もっとも、私だってまだまだ博雅が「わからん」と言っているのと同じようなレベルなのですが。
 これから巻次が進むにしたがって、理解も進んでいくことを愉しみにしています。「呪」こそこの小説の核だと思うのでね。

「瓜仙人」
 天皇の用事で長谷寺に赴いた帰り、源博雅は奇妙な翁に出会った。翁は自らを堀川の爺と名乗り、奈良から京へ瓜を運んでいた人足から瓜の種だけもらい、博雅から水だけもらって、瞬く間に熟した瓜の実へと育てる妖かしを披露してみせた。実はこの爺、晴明の師であった賀茂忠行の友人で方士の丹蟲先生という。晴明と丹蟲は、何やら妖物が出るという噂の五条堀川の旧三善清行邸で邂逅する。
「鉄輪」
 京の北、貴船神社に毎夜丑の刻参りをしている女がいた。宮の者が迷惑がって「そなたの願いが聞き入れられた」と嘘を言うと、頭に鉄輪(かなわ。鍋の土台)を逆さにして蝋を立てた気味の悪い女は喜んで帰っていった。女の呪っていた男は藤原為良といい、女は為良に捨てられたのだ。請われて騒動解決に出張った晴明と博雅の前に、生成(女が鬼になったものを般若というが、生成はその前の段階で鬼でもなく人でもないもの)になった女が現れる。
「這う鬼」
 神無月の頃。四条堀川のさる屋敷に貴子という女主人が住んでいた。この屋敷の長宿直をしている遠助という男が出張の帰り、鴨川の橋のたもとで見知らぬ女から包まれた文箱のようなものを渡された。この箱を貴子に届けてほしいという。そのまま自宅に帰った遠助だが、浮気を疑った妻女がその箱を開けてしまう。すると驚いたことに中にはくりぬかれた目玉と陰茎、そして何やら動くものが飛び出してきて・・・
「迷神」
 清明のライバルともいえる播磨の陰陽師・蘆屋道満がシリーズ初登場。昔から播磨は陰陽師や方士を産出する国であった。亡き夫にひと目逢いたい女に施した反魂の術を巡って、清明と技くらべをする。
「ものや思ふと・・・」
 宮廷人たちが左右に分かれて用意してきた和歌の優劣を競う歌合(うたあわせ)。300年の歴史で500回催されたという歌合だが、天徳4年(960)3月30日に村上天皇が催した内裏歌合がもっとも規模、品格とも抜きん出ていたという。当時の平安京を代表する貴族、教養人、芸術家が一堂に会したのである。この歌合ではふたつの事件が起こった。歌を吟じる講師だった源博雅が詠む歌を間違えたこと、もうひとつは惜しくも勝負に敗れた壬生忠見がそれを気に病んで亡くなったことである。忠見はそのまま鬼になって和歌を吟じながら京の街をさまよい、内裏にまで出没するようになった。そう、この話はシリーズ第一巻巻頭の話の続編ともいえる作品で、事件の裏側が明らかにされる。我らが博雅の失態の謎も・・・
「打臥の巫女」
 藤原道長の父である藤原兼家は異例の出世街道を爆進中で、ついには兄の兼通の官位を抜いてしまった。その裏には、ある女予言師の宣託があり、夜な夜な兼家はその女の元へ通っているという。ある日、女の口から「今日買った瓜に気をつけよ」と言葉が出、「私には手に負えぬから安倍晴明に相談せい」と兼家は言われた。清明が兼家の買った瓜を割ると、中から真っ黒な蛇が這い出てきた。何者かが兼家を妬んで呪いをかけたのである。これも久しぶりに八百比丘尼が再登場。
「血吸い女房」
 中納言藤原師尹から相談があるといって呼び出しを受けた清明。いつものように。博雅と酒を飲んでから「ゆくか」「うむ」「ゆこう」「ゆこう」と、ふたりで怪事件解決に赴く。師尹の屋敷では、寝ているうちに住み込みの女房たちが何者かに首から血を吸われるという気味の悪い事件が起きていた。武士が寝ずの番をしても効果がないのだという。


 
NEXT≫
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリ
ミステリー (92)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (15)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (15)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (18)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (30)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (33)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (23)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (20)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (13)
文学アンソロジー (54)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (153)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (38)
アンダーグラウンド (47)
事件・事故 (40)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (23)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示