「そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記」ヨッヘン・ヘムレブほか

 探険史、登山史に最も長く残る謎、そして解けない謎と言われているのが、1924年6月6日にイギリスの伝説的な登山家ジョージ・マロリーが人類初のエヴェレスト初登頂を成し遂げたのかどうかということです。
 成功していたならば、1953年のエドモンド・ヒラリー卿の公式初登頂から一気に約30年も遡ることになります。
 謎の鍵を握るのは、山頂に向かってアタックしている姿を見られたのを最後に行方を絶ったマロリーと、バディのアンドルー・アーヴィンの遺体です。カメラを持っていましたから、ひょっとしたら登頂の証拠が残っているかもしれません。
 それはエヴェレスト頂上近くのどこかで、1924年からひっそりと眠っているはずでした。
 1975年の中国遠征隊のメンバーである王洪宝は、8100メートル付近で西洋人の遺体を発見しました。その遺体はアーヴィンではないかと言われましたが、王はその話を公にして間もなく雪崩で死にましたから、はっきりとした場所がわからなくなってしまいました。
 そして、1999年5月1日。ついに、ジョージ・マロリーの遺体が、75年ぶりに発見されたのです。
 遺体は高所の乾燥した気候のために、驚くほど自然な状態で残されていました。
 本書は1999年の遠征調査隊による遺体発見までの道筋が、1924年のマロリーとアーヴィンの登攀の経過と重なるようにして語られているばかりか、所持品や遺体の損傷の調査などから一番可能性が高いと思われる6月6日の事故の顛末も詳細に推理されています。

 本書の基点も、私がこの前読んだ「エヴェレスト初登頂の謎」トム・ホルツェルらしいですから、というのは山岳史家でマロリー遺体発見の第一の功労者である本書著者のひとりヨッヘン・ヘムレブも、それでマロリーの謎に興味を持ったらしいのです。本書を読む前に目を通しておく価値はあると思います。すると本書で端折られている部分が理解しやすくなります。イギリス登山隊の3度に渡る挑戦が詳細に記されていますからね。
 また、トム・ホルツェルが本を書いたのは遺体がまだ発見されておらず、彼自身も遺体発見の調査に失敗しているので、本書を読むことによってある程度謎が解かれるカタルシスが生まれることでしょう。

 結論から言えば、遺体が発見されてなお、マロリーが登頂に成功したかどうかは不明のままです。
 彼の遺体には、成功すれば山頂に残してくることになっていた妻の写真がありませんでした。
 このことは登頂したことを裏付けているのではないかと思われますが、一方で発見された酸素ボンベや登攀を目撃された時間から類推されるに登頂成功の可能性は低いともされています。
 私が一番感動したのは、今の山岳装備とはまったくレベルの違う粗末な衣服類を彼が身にまとっていたことです。
 信じられない薄着。我々が真冬に街を歩いているのよりもまだ防寒レベルが低いであろう衣服、そして鋲靴。
 昔の人は頑健だというけれど、これでよくもまあ、8千メートルを超えたものだと驚愕しました。
 やはり彼の名は伝説に相応しいですね。成功していようとしてなかろうと、マロリーは超人です。
 個人的には、成功していたのだろうと思いますけど。
 本書も若干、そっちよりに推測されていると思う。夢抜きでね。
 たとえ帰りが真っ暗になろうと、あそこまで行っていればチャレンジしたのではないですか。
 滑落した場所は、第6キャンプに帰る途中でした。夜中に落ちたのだったら登頂成功を暗示しているんじゃないですか。
 いずれにせよ、中国の王が仮に埋葬したとされるアーヴィンの遺体が見つかれば、かなりはっきりするはずです。
 なんで見つからないんですかね。
 本書の捜索隊も、当初はある程度場所が絞れるアーヴィンの遺体を発見するつもりでした。
 ところが、あろうことか捜索開始初日の、わずか数時間で、マロリーの遺体を発見してしまったのです。
 発見した隊員たちが遺体のネーム入りのシャツを調べて、「なんでアーヴィンがマロリーのシャツを着ているんだ?」と思ったほど、意外な発見でした。
 近い将来、マロリーの名誉のためにも、謎が解かれることを願ってやみません。


 
 
 
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「陰陽師」夢枕獏

 夏だし、何か長い伝奇系のシリーズを読もうと思いましてね。選んだのがこれ。
 映画にもなりましたし、陰陽師・安倍晴明という名前をメジャーにしたロングセラーです。
 現在もまだ進行形でしたっけ、、長いシリーズはハマれば楽しさ倍増ですからね。
 ひょっとしたら第一巻である本作だけは、昔に読んだかもしれませんけど。
 うっすら、記憶がだぶっているような箇所がありましたから。
 まあ、第一巻ということで、作者も手さぐり状態なのがわかりました、今読んでみれば。
 それほど面白いわけではありません。
 陰陽師の説明を兼ねて、連作の短編が6篇。
 文字数は極めて少ないです。サッと読める。反面、奥行きが浅い。
 会話も現代語だから読みやすいです。反面、1千年前の時代を感じる雰囲気が壊れています。
 伝奇小説の醍醐味である不可思議さ、怖さはどうでしょうか。
 前5篇はそうでもないと思いますけど、主人公の安倍晴明と対峙する物の怪の正体には意外なモノもありました。
 そして最終作の「白比丘尼」は、気色悪さにおいて申し分ない伝奇短編小説の傑作であると思います。
 また、伝奇系にありがちなトッピング「怪奇エロ」は、少なめながらも、爺さんの目の前で孫娘がカワウソの化け物と毎夜痴態を繰り広げるという強烈なのがトッピングされていました。

 では、登場人物の説明と各篇の簡単な概略。
 時は闇が闇として残っていた、平安時代。
 主人公・安倍晴明は、陰陽師です。陰陽師とは朝廷の役職であり、星の相を観、人の相を観、方位を観、占いもし、呪術によって人を呪い殺すこともでき、幻術を使ったりします。鬼や物の怪などのあやかしを支配する力を持っています。
 安倍晴明の師匠の賀茂忠行は、惜しげもなく己のすべての技を晴明に引き継ぎました。
 若いときから、晴明には陰陽師としての天賦の才能があり、数百年いや数千年にひとりの天才だったそうです。
 晴明の家屋敷は、内裏の中心にある紫禁殿から見て北東、すなわち鬼門に配されていました。
 安倍晴明は、目に見えないあやかしや怪異から都を護る、霊的な守護者だったのです。
 そしてもうひとり、重要なキャラクターが源博雅。
 彼は30歳代後半の武士で、晴明の友人です。ということは、晴明も同じくらいの年頃であると思われます。
 シャーロック・ホームズが晴明とするなら、博雅はワトソンくん。
 博雅が清明の屋敷を訪れて、最近の都で起こっている怪異譚を話すことから大体の物語は始まります。
 その前に、晴明の屋敷を訪れた博雅が、清明の使う式神(普通は目に見えない精霊)に驚いたり、身構えたりすることがお約束になっています。ネズミや猫が喋ったり。これは今度はどんな仕掛けがと、読んでいる方もなかなか楽しいものです。

「玄像といふ琵琶鬼のために盗らるること」
 醍醐天皇の秘蔵の舶来品である琵琶「玄像」が、盗まれた。以来、毎夜羅城門の上から、異国の旋律と思われる哀切極まりない調べが聴かれるようになった。その恐るべき正体とは・・・
「梔子の女」
 くちなし、と読みます。妙安寺に、毎夜あやかしの女が現れるという。その女には口がない。
 奇妙奇天烈な女の正体を清明が解明する。
「黒川主」
 鴨川の鵜匠の前に現れた、謎の黒狩衣の男。やがて彼は黒い尻尾を生やしたまま、鵜匠の屋敷に入り込んで孫娘を犯すようになり、孫娘は妊娠する。人の因果と獣の因果の間に生まれた子の行方は・・・
「蟇」
 ひき。ひきがえるのことです。応天門に、あやかしが出たという。それは100年前、いたずらで子供が蟇を殺めてしまったことに端を発していた。呪われた一家。悲劇の行方は・・・
「鬼のみちゆき」
 夜の都路で、牛がいないのに道を進む牛車が目撃された。中には鬼が乗っており、行く手を阻む者を食い殺すという。牛車はどうやら帝に用事があり、内裏を目指しているようだ。清明と博雅はこの怪異を食い止めようとするが・・・
「白比丘尼」
 珍しく、清明のほうから博雅に連絡があった。人を殺したことのある太刀を持って屋敷まで来てくれという。
 博雅は父が盗賊を退治したときの太刀をもって、清明の元へ急ぐ。
 そこでは、ひとりの見目麗しい比丘尼が庭に端座していた。これから、30年に一度の、禍蛇追いの法をやるという。
 比丘尼の体内から出てきたおぞましき異物の正体とは・・・


 
 


 
 
 

「海の見える理髪店」荻原浩

 第155回(2016年度上半期)直木賞受賞作です。
 とっても優しくて上品な短編の物語が、表題作ほか6篇。
 情感が深くてなおかつ映像が自然に浮かんでくる上質のヒューマンドラマですね。

 初めて読んだのですが、荻原浩ってオッサンだったんですね、「こう」と読ませて女の人かと思っていました。
 気づいたのは、読み終わって後付を見てから。
 文章がとても優しくて、とても男性とは思えませんでした。
 作品から受ける感じでは、オールドイングランドとかのストールをふわっと肩にかけていて、音を立てずに紅茶をすっと飲んでね、あれなんて言うのだったかな、イギリスにスカンクみたいな名前のお菓子があるでしょう、あれを忘れた頃にぼそっと口に入れてね、気品のある独身40歳代後半の女性、身長は165センチくらい、みたいな感じなんですよ。
 それがまあ、なんと画像を拝見いたしましたらね、焼酎かっ食らって腹出して寝そうなオッサンでしょ。驚きました。
 まあ、それは冗談としましても、ふつう、「あ、これは若作りして青春小説書いてるけど正体はオッサンだな」と読んでて臭ってくるものなんですよね、行間に加齢臭が。誰とは言いませんけど、白河三兎とか。
 それがまったく臭わない。これほどまでに男性が書いていることを感じさせない文章はないんじゃないかな。
 もはやプロという呼び方さえおこがましい、その存在自体が作家であると同時に作品と同化してしまっている気がしますね、溶けて。ほかの作品を必ず読んでみようと思いました。これもマンネリだけれども直木賞の効用であると思います。

「海の見える理髪店」
 ネットで少々評判になっているという海辺の小さな町にある理髪店に、グラフィックデザイナーをしている客が訪ねてくる。店主は白髪の目立つかなりの高齢だが背筋はしゃっきりとしている。客が理容椅子に座ると、前に大きな鏡があってそこに海がいっぱいに広がっている。店主は理髪しながら、客に自分のこれまでの人生を語りかける。
 本書に収められたすべての物語に云えることですが、ラストが秀逸。これ以上の終わり方はないという仕舞い方。
 短編になくてはならない切れ味のおかげで読後感がスッキリとしています。


「いつか来た道」
 16年ぶりに故郷の実家を訪れた杏子を待っていたのは、72歳になる母の「ああ、あなた。何しにきたの」という言葉だった。母は画家で、杏子も才能がないのに厳しすぎる英才教育を受けてきた。家を出たときには、二度とこの人には会わないと胸に誓っていたのであるが、しかし・・・
 私は猫が好きだからでしょうか、母親の描いていた絵の構図に、白い点でマユちゃんが出てきたときには、ちょっと泣きました。人の内見も外見もどちらも描写が素晴らしい。たとえば認知症の母親の挙動とその老いてしまった脳が一生懸命考えようとしている様子とか。

「遠くから来た手紙」
 残業続きの夫。頻繁に顔を出す義母。東京での結婚生活に嫌気が差して、幼い娘を連れて実家に帰ってきた祥子だが、梨農家をしている実家には、弟夫婦が同居しており、すでに祥子の居場所などない。祥子は6年前に亡くなった祖母の部屋に落ち着くが、そこで祖母が残した手紙を発見する。
 メールのやりとりで始まる冒頭が斬新。初めて読んだので、こういうファンタジックな展開は予想していませんでしたから、ちょっと驚きました。そうだよね、戦時中の引き離された夫婦の気持ちを思えば、生ぬるい夫婦喧嘩などしている場合ではないですね。残ってないかな? とこっそり机の中をあら探ししたくなる作品でした。

「空は今日もスカイ」
 両親が離婚し、叔父夫婦が跡を継いでいる田舎の母の実家にやってきた8歳の茜。最初は優しかった叔父夫婦だが、母の仕事が決まらずに居候生活が長くなると、とたんに愛想が悪くなった。英語を教えてくれていた従姉も、相手にしてくれなくなった。夏休み、茜は冒険という名のプチ家出を実行する。好きな海を見るために・・・
 ちょっと毛色の違う作品です。あくまでも子供視点というのが徹底されていて、ホームレスの男の描写など面白いですが、茜と森島陽太君の今後のことを思うと、この物語だけはハッピーエンドとはいえないね。中途半端だね。

「時のない時計」
 定年を3年後に控えながら、会社を退職してしまった主人公。失業中。2ヶ月前に亡くなった父親の形見分けで、壊れた古い時計をもらった。スイス製だ。修理してもらうために、商店街にある古い時計屋を訪れるのだが、年老いた職人肌の店主ひとりが切り盛りするその店内には、様々な時計がその“時”を止めていた。その理由とは・・・
 一番色々と考えられるのは、この作品でしょうか。店主の腹の中とか、なんで1万8千円もしたのか、とか。
 1万8千円は、修理代というより時計の値打ちそのものだったのではないですか。イコール見栄っ張りの父の真の姿。
 店主は時計に囲まれて暮らしながら、時そのものは止まっていた。しかし主人公は昔の父親の本当の姿を垣間見たことにより、先を進む、つまり時計の針を進めることができたということでしょう。


「成人式」
 15歳の一人娘が交通事故で亡くなったのは5年前。以来、49歳の父親と45歳の母親は、昔撮った娘のビデオを見返したり、娘が事故をした朝、どうして「学校に遅れるぞ、急げ」などと言ったのかと繰り返し後悔している毎日だ。心の痛みは時間が解決するというが、それは何年先のことだろう。永久に来ないかもしれない。ふたりは実年齢以上に老いてしまっていた。
 しかし、娘が死んだことなど知らぬ、名簿から自動的に送られる成人式用のレンタル衣装のカタログがポストに届いたことをきっかけに、ふたりは底なし沼からの起死回生の奇策を考えたのだった。
 この作品の情感は飛び抜けていると言っていいでしょう。娘を亡くした親の気持ちがここまで切実に語られている小説は読んだことがありません。涙なしでは読めないですね。笑いというのは、人生で一番必要かと思います。どうしようもない暗からの、ほんのちょっぴり光がさした瞬間を切り取った良作でしたね。

「夜の谷を行く」桐野夏生

 西田啓子、63歳。独身。寂れたアパートでひとり暮らし。
 平日昼間の格安フィットネスジムを利用し、週末は図書館で涼む。
 風呂上がりの発泡酒1本が何よりの楽しみ。
 年金と貯金の切り崩しで、ひっそりと静かに生きている。
 孤独な独居老人の彼女の過去。
 彼女は米軍基地にダイナマイトを仕掛けたこともある連合赤軍の女性兵士だった。


 連合赤軍事件という、一連の騒動が1970年代初めにありました。
 私は生まれておりません。
 でも、あさま山荘事件ですか、クレーンの鉄球で建物の壁をドーンっと破壊している映像を見たことがあります。
 他にもハイジャック事件ですとか、どれがどう繋がっているのかわかりませんが、なんせとんでもないことが色々起こって、ジャパニーズレッドアーミーの名は世界を震撼させたテロリストとして歴史に記憶されています。
 いずれ何か本を読んでみようと思いますが、要は左翼的な革命運動なのではないですか。
 学生運動とやらが盛んだったようにも聞きます。
 現代とは隔世の感がありますが、その理想や手段の是非はともかく、若い人たちが燃え上がる風潮みたいなものがあったんではないでしょうか。どうだろう、今で言う宗教ですね、たとえばオウム事件とは似ているようでまったく非なると私なんかは思うのですけども、ここらへんは勉強不足ですので、よくわかりません。
 しかし、反体制もまた体制のうちであって、共産主義者の独裁ほど恐ろしいものはないとは思いますけど。
 本作では、山の中で集団生活をしていた彼ら連合赤軍が、革命闘争の理想とは程遠い内ゲバの仲間殺しですね、総括対象として大量にリンチ殺人をしていた過去がテーマになっており、逮捕収監された彼ら生き残りが老人となった今にスポットを当てた社会小説若干ミステリー風の作品に仕上がっています。かつての活動家も寄る年波には勝てず・・・
 リアルタイムの方はもちろん、私のように連合赤軍を知らない人間でも、大変興味深く読める良作です。

 主人公は冒頭の通り、西田啓子63歳。京浜安保共闘。元連合赤軍の女性兵士。
 学生運動をしていた彼女は、私立小学校の教師を1年で退職し、赤軍派と革命左派の協同ベースに入りました。
 最高幹部だった永田洋子に気に入られ、米軍基地にダイナマイトを持って侵入したこともあります。
 しかし総括(リンチ)に嫌気が差して仲の良かった同志の君塚佐紀子と共に逃亡。
 下山後逮捕されて、5年余にわたる刑務所生活を送りました。
 この間、裕福だった彼女の家族はめちゃくちゃになりました。
 エリートサラリーマンだった父は退職を余儀なくされアル中になって早死、母も間もなく死に、妹の和子は離婚しました。その他仲の良かった親戚とはすべて義絶状態となっているのが、5年前に経営していた学習塾を閉めアパートでひとり静かに暮らしている2011年現在の啓子の状態です。そんな中、妹の和子とその娘佳絵だけが啓子の頼りとなっています。姪の佳絵は啓子の過去のことを知りません。佳絵は結婚を控えており、もしも先方に啓子の過去が明らかになれば破談になるかもしれぬと和子は気に病んでいます。和子にしては、孤独な姉を可哀想に思う一方、彼女は家族をめちゃくちゃにした極悪人であり、なぜ姉が女だてらに学生運動なんかに入れあげたのかまったく理解ができないのですね。そりゃそうだわ。
 誰にもこれ以上迷惑はかけられない。ひっそりと目立たず暮らすこと、そして死ぬこと。
 しかし、2011年2月、連合赤軍最高指導者だった永田洋子が獄中で死亡したことを発端に、数十年音沙汰のなかった昔の同志や、素性の知れないジャーナリストから連絡が寄せられるなど、啓子の周辺はにわかにきな臭くなってきます。
 そしてかつての恋人で左派活動家だった久間信郎がほぼホームレス状態で啓子の前に現れるに及び、啓子は己の封印してきた過去が得体の知れない流れによって蓋をこじ開けられるのを感じるのでした。さらに3月になって未曾有の東日本大震災が発生し、その流れは激しさを増して啓子の守ってきた平穏を打ち砕いてしまうのです。

 直接手を下していないかもしれないけど、過去にリンチ殺人に加担していた老人。
 やっぱ、普通には接することが難しいかもしれません。
 ちょっと怖いだろうなあ。殺し方がえげつないですから、戦争で人を殺したというのとはまったく違いますよねえ。
 そのベースというのですね、彼らのキャンプが、いかにも幼稚な閉鎖された社会であっただけに、なおさら気色悪い。
 そういう老人をいかにして描くかが、作者の腕の見せ所。
 普通の人間とまったく同じなんだけど、ちょっと激しやすいみたいな感じで収めていましたね。
そして最後まで見せなかった、啓子最大の秘密。
 最大のサプライズ。
 ヒントは、佳絵の赤ちゃんの写真を見たときにあったと思います。和子の夫に似ていると書かれていましたね。
 これは何かを暗示していたんじゃないですか。啓子は薄々感づいていたんじゃないでしょうか。
 古市はきっと、久間に似ていたのですよ。


 

 
 
 
 
 
 
 
 

「百年文庫 巡」ノヴァーリス/ベッケル/ゴーチエ

 ポプラ社百年文庫ナンバー54のテーマは、「巡」。
 3篇の物語に共通していることは、輪廻とでも云いますか、盛者必衰とでもいいますか、世の中の移り変わりですね。
 およそ地上の生命に永遠に不変のものなどありません。
 ましてや、その生命が作った社会などは簡単に崩壊してしまうものです。
 しかし、もしも何事も死滅するものではなく、すべては常に存在していると考えたらどうでしょうか。
 ひとたび存在したものを、無に帰することはできないとしたら?
 昨日の私は、今の私と同じように、時間と空間を超越した場所に、存在していると考えることはできませんか。
 そんな話がありました。3番目に。
 なんと1852年に発表された作品なんですね。日本では江戸時代ですよ。
 まったく哲学的なものの進歩のレベルが違うのですね。
 今回の百年文庫は、少々当たりでした。珍しいことです。

「アトランティス物語」ノヴァーリス(1772~1801)
 この話は表面上別に面白くもなんともありません。読み流しました。
 年老いた国王が治める、とても華やかで住民が幸せな国がありました。住民の心配事はただひとつ、王女の結婚だけ。王妃は早くに亡くなり、国王の親類は王女だけで、王女はとても慈しんで育てられましたが、大事にされすぎて、逆に結婚の相手が見つかりません。国王の老い先を考えると・・・ そんなとき、王女は偶然立ち寄った郊外の鄙びた家屋敷の青年と恋に落ち、1年間も行方不明になってしまいます。
 表面上はなんてことない童話。しかし、ラストでぼそっとアトランティス滅亡と淡々と書かれているところがブラック。

「枯葉」ベッケル(1836~1870)
 これは意味深。ほんとのところはどういうことなんだろね。
 一人の人物(?)が、ボーッとしているときに、飛んできた枯葉たちが喋っているのが聞こえるのです。
 その枯葉同士の会話の内容に、どうやら自殺したらしい少女の話が出るのですが、それが不気味。
 枯葉が喋るという擬人法はこの時代は珍しいのかどうかわかりませんが、他にも意味があるような気がする話です。
 この枯葉の話を聞いている人は亡くなった少女の恋人だったのかと考えましたが、どうも違う。
 だとすると、かの少女のように命を断つことを考えている自殺志願者だったのでしょうか?

「ポンペイ夜話」ゴーチエ(1811~1872)
 本書の見どころはこれでしょうね。色々と調べると似たような話もあるようですが、これが時代の古さからいってオリジナルじゃないでしょうか。1852年にこんなのが書けるなんて、いったいどういう文化してんですかね、フランスは。すごいよ。
 現代でも通用するファンタジーです。
 今からおよそ2千年前の紀元79年8月24日、ヴェスヴィオ山の噴火によって一瞬で死の都と化したポンペイ。
 ナポリ近郊にあったその街の遺構を見学に、3人のフランス人の学生が旅行にやってきました。
 3人のうちのひとりオクタヴィヤンは、博物館であるものに強く興味を引かれます。それは、溶岩に包まれることによって乳房の輪郭などが艶めかしく浮き出た女性の押し型でした。この女性はどんな人だったのだろうと想像すると胸が高鳴ったのです。その日の夜。突然不思議な感覚に襲われたオクタヴィヤンは、2千年前の壊滅する前のポンペイにタイムスリップします。
 そしてあの押し型の女性と出会うのです。彼女の名はアッリア・マルチェッラ。時の皇帝ティトゥス帝から解放された奴隷ディオメデスの娘でした。理解しようとせずにこの不思議に身を委ねる決心をしたオクタヴィヤンと彼女は、一夜をともにしようとするのですが・・・
 素晴らしい。時間と空間を超越したファンタジーの原典というだけでなく、存在の無と有に対する意識がすごい。
 同じ時代に日本の江戸時代の物書きが考えつくようなレベルではまったくありません。


「信仰は神をつくり、愛は女をつくり、誰からも愛されなくなったとき、はじめて人はほんとうに死ぬのです」


 
 
 
 
 
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