「励み場」青山文平

 上り調子の時代小説作家・青山文平の新作です。書き下ろし。
 なんとも艶のある出だしは、それもそのはず、今までになかったように思われる女性視点の書き出しです。
 いい意味で青臭かったデビュー時とは、趣が違ってきたようにも思います。
 人気作家の雰囲気が出てきましたね。
 今が一番乗っているかもしれない。増長はご免ですが、辛気くさいのもジリ貧だからねえ。
 プロットのひねりは毎度のことですが、今回のはね、格別だわ、読み始めと読後でまったく印象の変わる小説です。
 これが、この作家の特徴でもある。そろそろ見切るべし。
 導入ではどうみても江戸時代のつましい夫婦の人情小説かと思いきや、後半から不気味な冒険調のミステリーに変貌します。たぶん、この人はミステリー風味をどの作品にも織り交ぜたいのだと思いますねえ。サービス精神旺盛なんですよ。
 そして、この方のもうひとつの特徴である、物語の深み、ね。
 妙なことを深く追求したりする。本作でもそう。
 たとえば、本作だと「八代吉宗公の時代では、日本全国の石高が180万うんぬん・・・」とか、江戸時代の農政が詳しく引用されているわけですが、これを飾りとおもって、読み飛ばしてうっちゃってると、本作の真相は永遠にわかりません。
 我慢して、江戸時代の農政に対する説明を追うことですね。
 宝暦8年にして、農本主義(米で年貢を収める)は限界にきてたんだなあ、とか思いながらね、真面目に読むこと。
 そうすれば、ラストで作者が言いたかったことが何であるのか、わかるのではないでしょうか。
 まあ、私も偉そうなこと云えるほどではないのですが、この物語の本質は農政ミステリーと言っても過言ではないと思いますよ。

 じゃあ、簡単にあらすじ。
 宝暦8年。笹森信郎が、妻の智恵を連れて江戸に出てきてから、はや3年が経った。
 いまだに二十俵二人扶持の、勘定所普請役である。正規の幕臣ではない、臨時の雇いだ。
 故郷で幕府御領地の手代元締めを務めていた切れ者の信郎が、なぜ妻以外のすべてを投げ打って江戸に出てきたか?
 智恵は豪農の娘であり、彼女の親族は大反対したにもかかわらず・・・
 それは信郎の出自にあった。かれは「名子(なご)」であった。
 名子とは、およそ150年前、江戸幕府が開かれた頃、武将という身分を捨てた領主の家臣のことである。
 領主が百姓になったのだから、その家臣である名子もまた、帰農した。
 長い時の間に、すっかり土が身に馴染んだとはいえ、先祖は武士である矜持は、子孫の血統に生きている。
 名子は名主という村長に雇われているのではない、あくまでも主家に仕えているのである。
 そのプライドのために、元々の百姓とは様々な軋轢を生み、農地を手放した者も多かった。
 信郎は、武士になりたかった。いや、ならなければならないと思っていた。
 ゆえに、先代の代官の伝で、江戸で臨時とはいえ、役目を得たのだ。
 勘定所は、信郎にとって“励み場”である。
 つまり、励めば報われる数少ない幕府の役所である。生まれついた家がすべてという幕府の職制のなかで、力さえあれば上が開けているのが勘定所であった。支配勘定という正規の幕臣になるのも夢ではない。実際、御目見以下の御家人が、以上の旗本に身上がる目があるのは勘定所をおいてない。しかも、信郎の普請役のように、武家以外の身分が、武家となる階段も用意されていた。つまり、百姓・町人が旗本になる道が開けているのである。
 励まいでか。しかし、当初の目論見では2年で支配勘定になれる算段であったのに、3年経った今も普請役に信郎は甘んじていた。智恵とふたり、下谷稲荷裏の御家人の敷地の家作で、慎ましく生活していた。
 仕事はできて当たり前。点数を稼がなければならない。一刻も早く、上のお役目に駆け上がるために・・・
 そんな折、上司のそのまた上司である勘定から呼び出しがあった。
 幕府御領地である上本条村への出張である。上本条村は、養蚕や綿花など他に産業を興さずに米作、畑作の農業だけで成り立っている「耕作専一」でありながら、3年前の宝暦の飢饉からいち早く立ち直った。
 名主の久松加平が緊急で沼の干拓事業を行い、身銭を切って日雇い賃を払って、村全体が生き延びたのだという。
 稀有な例である。今回の出張は加平を幕府が顕彰するための調べであった。
 折も折、幕府の内証は火の車のために経費は削減され、わずかの出張期間であったが、信郎は上本条村がなぜ飢饉を生き延びたのか、その真実を探り、これからの農政のために、ひいては己の出世のため、献策のタネを見つけようとする。

 こう書けば、信郎がちょっと出世にかられた、こまっしゃくれた男と見えるかもしれませんが、実際はそうではありません。誰にでも公平な、いい男です。
 そして、智恵も含めた自分の本来の生き方を見つけることで、エンドになります。
 どういうことかというと、名子という職分の生き方を己のアイデンティティとしながらも、崩れ去る農本主義にあっての生き方、米ではなく金を生む生き方という、新しい道の発見でしょうな。
 過去に囚われては江戸で武家になるしかないが、今は江戸の武家自体が過去の因習そのものになっているということです。
 じゃあ、どうするか。智恵と故郷に帰って、新しい生き方をしようじゃないかということですね。
 それにしても中世と近代の間の江戸年間ですが、よくもまあ、保ったと思う、何百年も。
 このような期間がありながら、現在の日本という形が成立しているものです。
 とはいいながら、名子というわけじゃないですが、武士が農家になった名残は、今、私が暮らしている地方には公務員や銀行員、商店主が休日には畑を耕しているという形で色濃く残っているのですね。恐るべし、江戸農本主義。


 
 
 
 
 
 
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「かけおちる」青山文平

 御改革真っ只中の寛政2年(1790)。
 幕府言うに及ばず、日の本の各藩の台所は火の車である。
 もはや米には頼れない。新しい産業が早急に成り立たなければ、藩が潰れてしまう。
 柳沢藩4万石も、ご多分に漏れない。
 しかし、北国のこの小藩に、光明が訪れた。
 叩き上げの地方巧者(農政実務に強い)である執政・阿部重秀が、頭の固い家老の反対を押し切り、3年越しで、大量の鮭が遡上する河川を人工的に作り上げたのだ。販路が開ければ、柳沢藩きっての名物となり、財政の扶けとなることは必定だった。
 鮭で盛り上がった川の流れを見ながら、重秀には、この成功を真っ先に伝えたい男がいた。義理の息子、長英である。
 長英は、重秀の一人娘である理津の入婿だった。
 棚沢藩名うての剣士であり、奥山念流を修めた長英は長らく番方(武官)であったが、3年前より、役方(文官)である江戸藩邸の興産係になった。この度の鮭の成功は、元はと言えば、江戸の長英が発案して国元に送ったアイディアであったのだ。
 祝着である。家老からも褒められ、重秀には、暗に長英を国元に還して用人に取り立てるお墨付きも出た。
 しかし、成り行きとは裏腹に、重秀の心は晴れない。
 重秀は叩き上げの藩士である。親子ともどもが重臣に取り立てられれば、名門門閥の家老たちが黙ってはいないだろう。
 仮に、長英が国元に出世して戻ってくるようであれば、重秀は自分が致仕することも考えていた・・・
 その頃、江戸の長英。念願の鮭の成功の通知は、いまだ江戸には届かない。
 まだ3年目とはいえ、はや3年目、藩の浮沈を担う興産掛として何の役にも立たずに、イタズラに経費を浪費していることを情けなく感じ、鬱屈していた。ついに、あれほど嫌っていた竹刀を使用する、御公儀御留流である小野派一刀流に重なる中西一刀流の中西道場に入門、興産を忘れて剣術に逃げた。しかし、わずか7ヶ月で取立免状を授与されるという、江戸市井の伝説になるような結果が伴い、その祝宴でまた藩に金の負担を強いることになる・・・

 実は、上に書いた雑多な私のあらすじとは、ベクトルが異常にずれた物語が展開されることになります。
 青山文平の、デビュー二作目になります本作。
 経済にも剣戟にも通じながら、男女の人情も篤い傑作の時代小説。
 「かけおちる」。本文では、駆け落ちるではなく、欠け落ちると表記されています。
 当初は思いも及びませんでしたが、「かけおちる」が作品の根底を流れるテーマとなっています。
 さらに、それをもっと突き詰めれば、サムライの生と死に突き当たりますね。
 それが、本作がエンタメ系でありながら、深さ、つまり哲学的文学性を併せ持っている所以かと思います。
 なんか深いよねこの小説、という感想の正体は、そこにあるのではないかと。
 もちろん、江戸期の養蚕とか興味深いし、長英と瀬島の立ち回りですね、特に「突きの起こりがわからない」とか最高。これは、空手やボクシングなどもそうですが、攻撃する刹那の挙動がないのですね。ですから受ける側は後の先、先の先が取れない、という経済や剣戟も読み応えバッチリなのですがね。
 サムライの生と死。それは、江戸時代も後期になって、今更刀槍でもないだろ金を儲けてこいという、武士の本来の姿が失われている時代に、武士という人種がどう生きるべきかを問うものです。いや、間違いかな、どう死ぬかを問うものです。
 実際に、江戸時代の記録などを読むと、実に驚くべき頻度で、武士は切腹していることがわかります。
 結局、長英が達観したように、武士というのは、死に親しんで構えながら生きていく人種なのでしょう。
 いつ死んでもいいやという覚悟ができている。死ぬことによって生き様が救われる。
 それをなんとかして生かそう、としたのが、本作で「かけおちた」女たち。
 そこに生と死の、一瞬の光芒がありました。肝はそれかな、と思います。

 さて、この物語はどう続いていったのでしょうか。
 重秀と民江は出奔した後なのでしょうが、長英の死は、まだ国元に伝わっていないように思います。
 私は、ひょっとしたら江戸留守居役の茂原市兵衛が、内々に始末した可能性もあると思う。
 気がかりは、あの時逃げた侍がひとりいた、ということですが、瀬島のやっていたことを知っていて相伴に預かろうとしたくらいですから、名乗り出るとは思えません。
 もちろん噂は飛ぶでしょう、しかしこういうのは、建前の問題ですからね。なかった、ということにはできるはずです。
 取立披露の祝宴の出費がなくなるのだから、30両の損くらいはなかったこと同然です。
 茂原はそれくらいの腹のある男でしょうね。
 ちなみに、彼の過去のエピソードは、著者の直木賞受賞作「つまをめとらば」に収録されている「ひと夏」の原型となっています。同じ柳原藩で幕府の領地の中にある飛び地という設定も、直心影流の遣い手との一騎打ちという設定も同じですが、キャラクターだけが違っています。
 問題は、重秀が長英の死を知ったときにどう出るかでしょうね。
 藤兵衛に文を出さなければ、ずっと知らない可能性もあるし、彼の齢を考えると、もう柳沢のことは捨てて長崎で最期の一花を咲かせてもいいかもしれません。民江がいるからね。帰れば、十左衛門がいるから。
 一番知らぬが仏なのは、理津。彼女は長英を生かすために逃げ回り、その結果、彼の死を知らないままです。
 機転の効く啓吾は何かのツテで知るかもしれませんが、彼は彼女には告げないのではないかと思います。


 
 
 
 
 
 
 
 

「半席」青山文平

 直木賞受賞後第一作になるのかな? ミステリー仕立て時代小説連作集。
 全6篇。後にいくほど面白いです。
 読みはじめは「これはちょっと」と思ったんですが、なかなか。さすが直木賞作家。
 江戸市井の雰囲気も身近に感じられますし、御公儀の仕組みも「こんなのあったの! へえー」ってビックリさせられるし、やたら詳しいし。人情を背景にしながらも、後のほうの話は展開自体に迫力があって、思わず唸らされました。
 事件の真犯人を探すのではなく、どうしてそのような事件が起こったのかを解くというスタイルです。
 良かったと思います。

 文化年間の江戸(19世紀初頭)。
 主人公の片岡直人は20代半ば、すべての御用を監察する目付の耳目となって働く、徒目付(かちめつけ)。
 彼の家は“半席”です。
 半席とは、一代御目見のことで、子孫まで幕臣としての身分が保証される旗本ではなく、自分一代だけが召し出された御家人です。彼の父は旗本でしたが、一度きりの御目見で無役に還りました。当人のみならず子も旗本と認められる永々御目見以上の家になるためには、ふたつの御役目に就かなくてはなりません。ただし、これは父子二代で達成しても可です。
 ですから、直人は15歳のときから「逢対」という未明のうちから数ある権家の屋敷に日参し、顔を覚えてもらい召し出されるのを待つという苦労を重ねてきました。厳しいのですね、江戸の官制は。
 そして22歳のとき、奇跡的に小普請世話役に召し出され、徒目付に移って2年。
 ただし、直人にとって徒目付の役目はあくまでも腰掛けであり、次に目指す勘定所の勘定になったとき初めて、片岡の家は半席を脱し、れっきとした永々御目見となって、直人の子は生まれついての旗本となるのです。
 そのためには、ここで安穏としてはおられないのですが、直人より一回り年上で徒目付組頭の役に7年も付いている内藤雅之が、職分上色々な裏事情を知り得る徒目付を頼っての「頼まれ御用」、まあ言うなら警察官が探偵のバイトをするような感じですね、その裏仕事を気さくな感じで直人に振ってくるのです。徒目付のなかには出世を捨てこれを生きがいにしているものも多く、その実入りは代々で築いた生禄を上回ると言われています。
 しかしここで回り道はできない直人は上司の悪魔の?誘いを「半席、半席」と心の声で振り払いつつ、頑なに拒んでいたのですが、ついに成り行きから引き受けるようになってしまったのです。ところがやったら、あんがい人間臭くてこれが面白く、生来の機転から真相を暴くのを得意とする性分もあって、のめり込んでいくのです・・・

「半席」
 旗本に定年はありません。89歳になる表台所頭が、寒タナゴ釣りの途中、イカダから落ちて水死した事件。
 すでに72歳になりながら義父が隠居しないために、この歳でいまだ部屋住みであった後継ぎに疑いがかかりますが・・・

「真桑瓜」
 前章から半年。定年のない旗本には、80歳以上で公儀の役目に就いている者がふた月に一度寄り合う白傘会という会合がありました。その寄り合いで突然仲の良い87歳同士が刃傷沙汰を起こした事件の、真相を暴きます。

「六代目中村庄蔵」
 一季奉公といって、年数を区切って百姓を下士に取り立てる制度がありました。代々家に仕える忠義心篤い奉公人が、なにゆえ主人を殺してしまったのか? 最後になって、このタイトルの意味がわかります。

「蓼を喰う」
 これが一番面白いかも。永々御目見以上の69歳の御賄頭が、辻番所組合(江戸には近所の武家屋敷で防犯を助け合う組織があった。だから同心の数が少なくても治安が保たれた)の仲間内を手にかけた。その意外な真相とは!?

「見抜く者」
 徒目付は襲撃されやすいと言う。旗本の出世がかかる折に、その人物調査を請け負っているので、恨みを買いやすいのです。7年前には組頭の内藤も襲われたことがあり、「直人もそろそろ気をつけよ」と言われていたそんなとき、徒目付たちが通う剣術道場の師範役で同じ徒目付加番が74歳の老剣士に襲撃されました。その理由は?

「役替え」
 6年前、念願かなって直人が普請方世話役に召し出されたとき、同じ町内からも普請方同心に召し出された友人がいました。その友人の父は剣術の先生で、少年時代の直人も通っていたのです。ところが、浅草の場末を検分で見廻り中、その友人の父があろうことか中間の格好で殴る蹴るの暴行を受けているのを発見してしまいます。
 あれから、彼らに何が起こったのか!?


 
 

「阿蘭陀西鶴」朝井まかて

 元禄江戸のベストセラー作家井原西鶴と盲目の娘おあいの物語。
 事実を下敷きに自然にフィクションを織り混ぜた、ほんのり涙する時代人情小説に仕上がっています。
 ラストは抑え気味ながらも切なくて、やりきれない余韻が残ると思います。

 私、井原西鶴という人物は、教科書通り一遍の知識しかありませんでした。
 有名なのは「好色一代男」ですね。浮世草子という、今でいうエンタメ小説ですか。
 大坂や京の町を舞台に、町人の小倅が放蕩の限りを尽くすという、破廉恥な作品です。
 あと日本初の経済小説?かというような「日本永代蔵」や、世の中の底で生きる貧乏人の身過ぎ世過ぎが描かれた「世間胸算用」なんかも有名ですよね。読んだことはなくとも、聞いたことのあるタイトルだと思います。
 他にも「好色一代女」ですとか、「本朝二十不孝」など、西鶴はたくさんの作品を量産しています。
 ですが、延宝9年(1681)に40歳を目前にして「好色一代男」を書き始めるまで、この方が俳諧師だったとは知りませんでした。
 いや、「俳諧師だった」ではなく、元から俳諧師で最後まで俳諧師だったのかもしれません。
 教科書のせいではじめから小説家だったのかと思っていました。
 井原西鶴は、同時期の俳聖である松尾芭蕉と喧々諤々やり合うような、俳人だったのです。

 西鶴は早くに両親を亡くし、刀剣商をしていた曽祖父に育てられました。
 幼いころから読み書きも口も達者でしたが、かなり甘やかされたようで放蕩者に育ち、他人に頭を下げるのもソロバンも苦手だったため、店は手代に譲り、自身は当時隆盛の兆しをみせていた俳句の世界にのめり込んだのです。
 しかし属した談林派では際物(きわもの)として権威からは相手にされず、矢数俳諧という、徹夜で即興の2万句を読み上げるような、一発屋芸能人のような真似をしていました。
 自他ともに称した阿蘭陀西鶴の阿蘭陀(おらんだ)とは、異端、新風という意味があったようです。
 市井では有名な文化人でしたが、性格に癖があり、己の宣伝が過ぎる嫌いもありました。
 俳諧の点者の稼ぎと、手代に譲った店の名跡代が収入源で、暮らし向きは悪く、万懸帳埒明けず屋(よろずかけちょうらちあけずや)と呼ばれ、借金まみれでした。
 こんな鳴かず飛ばずの俳諧師だった西鶴が、教科書に載るまでになるのは、延宝5年(1675)に25歳で愛妻が亡くなり、盲目の娘を男手一つで育てなくてはならなくなってからです。
 娘の名前はおあい、9歳。
 盲目とはいえ、おあいは幼いころより母に鍛えられ、料理は魚も難なく捌く腕前で針裁縫も何の不自由もありませんでした。
 西鶴は、この可哀想な娘が大人になるまで死ぬわけにはいかんと、酒を断ちました。
 この小説では、父に心を開けなかったおあいが、父からいかに愛されていたかを知り、次第に父娘の情が広がっていく様を小説家井原西鶴の成功と共に、情感豊かに描き切っています。
 まあ、本が売れに売れても、貧乏なままだったんですけどね。
 当時は、印税というものがなく、版元から稿料を最初にもらうだけだったそうです。
 それでもつつがなく、面白おかしく生きていく、そんな上方の明るい市井に救われる思いがしました。
 考えてみれば、関ヶ原の大戦から70~80年経った頃ですし、現代も太平洋戦争からそれくらい、なんか時代の雰囲気が似てるんですよね。もちろん、綱吉の世ですから「生類憐れみの令」ですとか「鶴字鶴紋法度(綱吉の娘つると同じ名前を付けていはいけない)」とか、公儀のやりようはとち狂ってますけども。
 西鶴も鶴の字を変えなくてはならなかったそうですし。
 近松門左衛門はともかく、松尾芭蕉との確執も本当のことらしいですね。
 近松、西鶴、芭蕉、この3人が同じ時代に生きていたことさえ知りませんでしたから、勉強になりましたわ。
 
 たったひとりの愛娘おあいが亡くなったのは、元禄5年(1692)です。享年26歳。
 その翌年、後を追うように西鶴も亡くなりました。
 最後、しんみりしてしまったのですが、振り返ってみれば、盲目のおあいがひとり残されたよりはよかったのかもしれません。
 可哀想と思ってはいけないでしょう。
 天下の井原西鶴と共に生き、最後は寄り添えたのですから。
 彼女の法名は、光含心照信女。なんとなく、西鶴自らが付けたような気がします。


 

 
 
 
 
 
 

 

「櫛挽道守」木内昇

 2014年度第27回柴田錬三郎賞受賞作です。
 江戸末期、木曽路の宿場町で代々続く、名産品である櫛(くし)職人の家に生まれた娘・登瀬の物語。
 けっして派手ではありません。地味ですが、さすが木内昇、いつものことながら、質が高いです。
 エンタメじゃないのに、これだけ面白いんですからね。
 物語の時間経過はペリーが来航してから幕末までですから、時代的には日本が一番バタバタしているときにもかかわらず、木曽路の山の中が舞台とはいえ、別にたいした事件が起こるわけじゃなく、時間がたうたうと流れるに任せるような小説です。
 まあ、櫛挽職人というのは、題材的に特殊ではありますけどね。
 主人公の登瀬は、職人の家に生まれてしまった、いやそれだけではなく父が神業を持つ名工であったために、当時の女としての生きる道がいささかそれてしまっただけで、別に美人ではなかろうし男勝りでもなく、いたって普通の人間です。
 ジャンル的には、いちおう時代ヒューマンドラマとでも云うべきなのでしょうが、いろんなジャンルが複合しているから、これだけ面白く仕上がっているのでしょう。
 たとえば櫛が職人技で美しく調えられていく様は芸術小説といえるでしょうし、その流通の仕様を見れば経済小説とも読めますし、登瀬の青春を見れば恋愛小説と言える部分もあります。木曽のいろんな風習や風俗、何よりその一貫した方言に着目すれば社会小説といえないこともありません。
 そして、そうした幅の広い物語の顔を活かしているのが、やはりこの作者の卓越した筆力です。
 この方がデビュー当時に書いていた新選組の小説は、私的にはおそらくその筋ではナンバーワン。
 あれほど油小路の血闘が美しく描かれた新選組小説はありませんでした。
 本作は時代小説という、特定の資料を下敷きにした閉鎖的空間内の物語でありながら歴史小説よりは自由が許されるジャンルですけども、この分野では他の追随を許さない本邦一の書き手であると思います。

 少しあらすじ。
 物語のスタートは嘉永2年(1849年)。主人公の登瀬は16歳。
 舞台は江戸と京を結ぶ中山道のほぼ真ん中、木曽路の宿場町である薮原宿。
 この高地の町の名産品は櫛(くし)です。
 お六櫛という、飾り櫛とも解かし櫛とも違う、髪や地肌の汚れを梳(くしけず)るために使われる実用的な櫛です。
 目の細かさが他の櫛とは異なり、歯と歯の間には髪が2,3本しか通らないように出来ています。
 ゆえに、それをミネバリという櫛の原料となる木から削りだしていく作業は、生半可な腕では及ばず、手作業の限界を超えた精密さが要求されるのです。櫛を作ることを、櫛を挽くといいます。
 登瀬の家は、代々お六櫛を挽いて活計を支えてきた櫛挽職人の家筋です。
 父の吾助は6歳のときから1日も欠かさず板場の同じ場所に座って櫛を挽いてきました。
 あてがい(歯の間隔を揃える)を使わないその腕は村で抜きん出ており、神業とも呼ばれ、時として尾張藩御用達の品として納められるほどの名工です。
 しかし、他の家のように田畑をしないだけマシですが、決まった庄屋に櫛を納めて代わりに一日一升の米をもらう暮らしは貧しいものでした。
 そして、吾助の後を継ぐはずだった長男で登瀬の三歳下の弟である直助が12歳で急死してしまったのです。
 以来、寡黙な吾助はともかく、母の松根や登瀬の一つ下の妹喜和を含む家族の関係は少しずつおかしくなっていきます。
 その中、登瀬は父の後を継ぐ櫛挽き職人になることを、密かに胸に誓います。
 櫛挽きにおける、おなごの仕事は裏方の飯炊きと櫛磨き、歯挽きや櫛木削りの仕事は男の領分で、その線引は村の掟とも云うべき確固たるものでした。
 しかし、登瀬は庄屋の持ってきた縁談の話を寸前で吾助が断ったのを機に、代々の家業を継ぐべく、おなごの道を捨てて櫛挽きの道を邁進するのでした。
 しかし、良縁を断ってまで男の仕事である櫛挽きの道を選んだ登瀬と家族には、村からの冷たい仕打ちが待っていたのです・・・

 木曽弁というのかな、登場人物のほとんどが喋る言葉のなかで、ひとり関西弁を喋って異彩を放つ実幸が良かった。
 もう少し先まで読みたかったと思います。
 続きがあればな、と思いますね。本当に、実幸が外国に櫛を輸出したりして。楽しい。
 お六櫛、私は手にしたことはありませんが、amazonでも売っているようですね、本当に歯と歯の隙間が細かい、向こうが見えないくらいの間隔なんですね。手挽きとあるから、いまだにあてがいもなく手で削っている職人さんがいるのかな?
 だとすると、この小説はあんがいその辺から生まれてきたのかもしれないですね。


 
 
 
 
 
 
 
 
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