「カブールの園」宮内悠介

 この方の本はデビュー作の奇想SF「盤上の夜」以来。
 こういう方向に進んでいたのか。ふーむ。
 ずいぶんとあれだね、深い方向に行きましたな。
 本作には表題作含む中編2篇が収められていますが、ほぼ文芸作品といっても過言ではないですね。
 「文學界」に発表されたものですから、まあそうか。
 エンタメではありません。人種差別をテーマにした重苦しい物語です。
 それでも、この方ならではの独特の奇想を感じました、特にカップリングの「半地下」という作品は奇抜です。
 ちょっと度肝を抜かれました。
 思わず誘導されるように検索をしてしまったのは私だけなのでしょうか。
 いや待てよ、EWFなんてプロレス団体は聞いたことないなと疑いながらも。
 作者の経歴と重なっているので、まさか私小説なのかと思ってみたり、まあ、術中にハマりましたわ。
 ジャンキーみたいな顔してますしなあ、失礼だけれども。
 子供のときからニューヨークに12年間もいたそうですから、こういう発想ができたんでしょうね。
 人種差別、薬物経験などは、日本にずっと篭っていればなかなか体験できませんから。
 私なんてたまさかの旅だけでも、何度も人種差別されたことがあります。
 中国人に間違えられるしね。中国に入っても中国人に間違えられる(笑)。言葉が話せないのに。
 どこか田舎の少数民族だと思われて、ご飯を戴いたこともあります。恵んでくれたという感じでしょう。
 白人の国で中国人に間違えられるときは、「おまえチノか?」みたいなちょっと侮蔑的にこられることが多かったですが、日本人だと言うとそりゃすまんかったみたいな感じになります。考えてみればこれもおかしいんですけどね、向こうもこっちも。
 よく黄色人種の性格を表現するのに、「相手と目が合えば中国人は笑いかける、韓国人は睨みつける、日本人は目をそらす」という格言がありますが、的を得ていて、日本人は世界で稀有なくらいおとなしく、差別の泣き寝入りをする民族です。
 表にはあまり出てきませんが、日本人女性の性的被害もかなりの数が埋もれていると思う。
 最近では、クレヨンや色鉛筆から「肌色」というのが消えたというニュースを見ましたが、どれだけ差別に敏感になろうとも、人種差別というのはなくなりませんし、嫌いなものは嫌いなんです。それが世界の真実ではないでしょうか。
 色々と考えさせられる作品でした。
 特に「半地下」は読む価値が大いにあると思います。

「カブールの園」
 表題作のタイトルの意味は、子供時代に学校で豚と虐められた日系三世の主人公の思い出からのもの。
 彼女は日本語が喋れません。それでも両親も日系なので見た目は日本人そのものなんです。
 ITベンチャーのエンジニアとして活躍している38歳の今になっても、子供時代のイジメのトラウマから抜け出せず、治療を受けていました。治療の効果はおもわしくなく、会社から休暇をもらった彼女は、旅の成り行きで、マンザナー日系人収容所を訪れます。日系人収容所とは、日本の真珠湾攻撃をうけてアメリカ政府が日系人を砂漠のど真ん中に隔離した施設です。同じ枢軸国であるドイツ系やイタリア系は隔離されることなく、日系人だけが隔離されて凄惨な生活を強いられたのです。
 およそ40年後、レーガン大統領が日系人の隔離政策を「間違いだった」と表明するまで、みじめな過去を己の心の中に隠して多くの日系人は慎ましく暮らしてきました。彼らの声なき声を聞き、彼女は自分のルーツに正面から向き合う決心をします。
 日本語の喋れない日系人のアイディンティティとは何か?

「半地下」
 傑作。これを読めば、宮内悠介という作家にはこの人にしか書けない小説があるということがわかるはずです。
 日本で事業に失敗した父とともに、ニューヨークに逃げてきた姉と弟の物語。
 まもなく父親は失踪し、アップタウンのアパートに姉と弟だけが残されてしまいます。
 ここでこの物語の変わっているところなんですが、姉は生活のためにマジソンスクウェアガーデンのレスラーになるのです。姉は文字通り、体を張って、民族性を切り売りしてカネを稼いだのでした。
 その間、5歳だった弟は学校に通い、ドラッグや人種差別など様々な経験をします。
 このエピソードが生々しいというか、私が作者の私小説なのではないかと考えた所以なのですけどね。
 アメリカという国は基本的に多民族国家で非常に懐が深いと思う一方、ドラッグに蝕まれています。
 結局、リング上での怪我が元で姉は亡くなってしまい、弟は日本へ帰国することになります。
 作者はここで、さも真実の出来事であったかのように動画へのリンクなどを文章中に貼ってリアリティを醸し出させているのですが、この手法がありそうでなかったように思いました。EWFという単語を変えてみたりして私も検索してみましたが、もちろん、ありませんから。


 
 
 
 
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「騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編」村上春樹

 「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」の続編。
 結局、読んでしまったわけですよ、苦労して。
 あまり興味はなかったのですが、どうせ読むなら第1部を覚えているうちに、と思いまして。
 長いから大変ですよね。
 昔の村上春樹の作品なら、どれだけ長くても気にならないくらい楽しかったですけど、今はひたすら苦痛ですな。
 読んでるだけで1000キロカロリーくらい消費するんじゃないかな。脳が大変で。まあ、疲れました。
 
 あらすじとかいらんかな、意味ないし。
 答えのない小説ですからねえ。
 1部からの続きで簡単に言うと、主人公の肖像画家が、引っ越した小田原郊外の山頂の家の屋根裏で、前の住人だった著名な日本画家の絵画を発見するのです。この絵画のタイトルが「騎士団長殺し」といいます。
 ところが、この絵画を発見してから、主人公の周辺で奇妙なことが起こり始めます。
 まず、谷間を隔てた一軒家の住人である免色氏による接触。これがすべての始まりでした。
 いやすべての始まりは主人公の妻であるユズの浮気なのでしょうけどね。
 これがなければ、主人公はこの辺鄙な山頂のアトリエに住み始めることもなかったでしょうし。
 怪異をコントロールしていたのは免色(あるいは免色の中のもの)ではないかと疑っていますが、それはあくまでも主人公が広尾のマンションを抜け出て小田原にやってきてからだと思っていましたが、いまふと思い出すと、雨田政彦の仕事場の関係者がユズの浮気相手だったとすると、はたして、そこにまったく免色の影響力はなかったのでしょうかね。
 すべてのプログラマーが免色だったという可能性はアリかナシか?
 まあ、いいかそれは。
 主人公と免色が接触してまもなく、裏の雑木林の中にある3メートルの竪穴から、深夜に謎の鈴の音が鳴り始めます。
 私はひそかにこれを鳴らしていたのは(あくまでも最初の一回は)免色ではなかったかと思う。
 これによって、この謎の竪穴の存在が明らかにされ、掘り返すことにより地底の魔物が封印を解かれました。
 魔物という言い方はおかしいか。イデア。でもイデア(観念)は善でも悪でもあるわけでしょう。
 この実体のないモノたちは、騎士団長殺しという絵画を触媒として、形を具現化して顕れました。
 騎士団長殺しだけではありません、白いスバルフォレスターの男を介して不気味に現れようとしたモノもいます。
 第2部では、主人公が免色の依頼によって肖像画のモデルにしていた秋川まりえもまた、これら騎士団長殺しの絵画にまつわる怪異の中に取り込められようとしてしまいます、そしてそれを救出しようとする主人公は、自ら地下の世界へと冒険に乗り出すのです。

 結局、戦前にウィーンに絵画留学したときに事件に巻き込まれた雨田画伯の体験に踏み込んでいくことはありませんでした。つまり、騎士団長殺しという絵画が描かれた直接の背景に踏み込むことのないまま、物語は収束してしまいました。
 これがちょっと不満というか、なんやねんという感じ。
 物語のストーリー的には、まったく見せ場はなかったと思います。
 以前の村上春樹ならば、ストーリー意味をまったく感じられなくても、それこそイデアがあったように思う。
 こちらから面白いように考えるといいますか。
 しかし、本作は結局、「だからなんやねん」という首かしげ的な不満だけが残りました。
 昔のような不条理を前提にしながらでも一貫したなめらかさがない。ざらっとしている感じ、構成自体が。
 キャラクターも無理やりとってつけたみたいな。
 渡し場の顔なしとか。まるで違う人間が村上春樹の真似をして書いたかのような違和感が終始つきまといました。
 
 そんななか、さすがだなと思わせてくれたのは、「白いスバルフォレスターの男」と「顔なが」。
 この2体の圧倒的に不気味な存在感で、この物語はなんとか持ちこたえたと言っていいんじゃないですか。
 いずれも、村上春樹だからこそ具現化できた存在ではないでしょうかね。
 「白いスバルフォレスターの男」は、その時点で存在していませんね、主人公の中にあるモノじゃないですか。
 「顔なが」は雨田さんしかその正体はわからない。これこそ普遍的なイデアではないかとも思いますが。
 ちなみに、まりえがクローゼットに閉じ込められていたときに前にやってきたのは、免色の肖像画を乗っ取った地下のモノ(二重メタファー)であると思いますし、まりえの肖像画が完成していたならば別の何かがそれに取り憑いたかもしれないと思いました。
 まあ、適当に解釈すればいいよね。



 
 
 

 

「騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編」村上春樹

 えーと、どこから書いたもんですかねえ。
 ざっくり、あらすじから?
 それとも、すっぱり感想から?
 うーん(ー_ー;)
 まあ、下巻はまだ読んでいないわけだし(読まない可能性おおいにあり)、まずはあらすじですかねえ。

 読む前に多くの方が気になるのはおそらく、「騎士団長殺し」というタイトルでしょうね。
 これ、絵の題名ですわ。
 もっと詳しく言うと、モーツァルトのオペラの中にあるシーン「騎士団長殺し」からタイトルをとった絵画です。
 つまり、オペラのほうはノンフィクションで、絵画のほうはこの小説のフィクションということです。
 で、この「騎士団長殺し」という絵を見つけたのが、本作の主人公で語り手である36歳の画家。
 彼は、肖像画を専門に描いています。肖像画は権力者に需要がありますし、彼はその方面では有名でした。
 彼は、6年間結婚生活を送っていた妻と離婚することになりました。
 彼は広尾のマンションを出て、美大の同級生である友人から、小田原郊外の山の上の一軒家を借りることになります。
 この山の一軒家、友人の父親が住んでいた家で、その父親は著名な日本画家でした。
 主人公の画家は、この家の屋根裏から、「騎士団長殺し」というタイトルがついた絵を発見します。
 この絵は、人目のつかない場所に隠されていたのですね。
 さらに謎があります。書いたのは友人の父親である有名な日本画家で、絵に描かれているのは飛鳥時代頃の人間が人を殺している場面なのですが、「騎士団長殺し」というタイトルは日本画にふさわしくありません。騎士団長というのは、明らかに西洋の役職ですからね。
 主人公が調べてみると、くだんの日本画家は、若い頃は洋画家であり、1936年から39年にかけてウィーンに留学していたことが明らかになりました。ところが、帰国するなり、突然彼は洋画から日本画に宗旨変えをしていたのです。
 戦後日本画家として成功した彼は、この絵を描き、発表することなく、屋根裏に隠していたのです。なぜ?
 彼が留学していた時期は、ナチスドイツがオーストリアを併合した時期に重なっています。
 主人公は、おそらく留学していたときに体験した事件を、日本画にすることによって暗喩としたのではないかと推測します。
 この絵の謎は、第2部に引き継がれますが、さらに物語を彩る謎があります。
 この山の上の家の谷間を挟んだ向かい側に、瀟洒な大邸宅があるのですが、そこに住んでいる免色渉なる謎の富豪と、主人公は肖像画の製作以来を契機として、関係を持つようになります。
 免色なる紳士はあらゆる面が謎であり、彼の邸宅にあるとされる“開かずの間”や、実の娘ではないかとされる少女との関係なども、第2部へと誘う動機になるかと思います。

 あえて、石の塚の下の鈴には触れないでおこう(笑)
 イデアというのは・・・西洋哲学の言葉のようですが、なんだろう。共通意識みたいなものでしょうか。
 それこそ即身成仏になったカラカラの肉体から抜け出した魂のような、目に見えない意識みたいなものでしょうか。
 ちょっと難しいね。イデアは騎士団長の姿で顕れますが、あれは仮の姿ですから。
 結局、冒頭で出てきた顔のない人物、それこそアフターダークを思い出させるような、あの絡みは肖像画家である主人公が人間の内面を露わにして描き出すことと、内面がまったくない空っぽのイデアとの対比になっているのではないでしょうかね。
 内面が空っぽならば描くことができないという。イコール顔、外見は仮の姿ということでしょうか?
 地上と地下にも通じます。「騎士団長殺し」の左下の謎の人物は地下から地上を覗いているのでしょう。
 まあ、第2部を読んでいないのでなんとも言えない。偉そうなことは言えない。
 でも、ひとつだけ勝手に予測するならば、免色が見ようとしているのは秋川まりえではなく、叔母さんのほうではないですかね? 彼女は何かある気がする。それだとちょっと気色悪くて、興味ひかれるけど、どうだろう。
 読むかなあ、どうしよ。
 はっきり言って、「海辺のカフカ」や「ハードボイルドワンダーランド」からしたら落ちますわ。
 「1Q84」と同等くらい? 「色彩のない多崎(だっけ)」よりは面白いと思います。
 なんか、昔のこの方の作品は、それこそ未知でありながら上質の音楽のように滑らかで刺激的でしたけども、今は妙にノイズが多いように思いますわ。読んでいてちょっと引っかかる部分があると言いますか。滑らかではありません。
 テーマは変わっていないと思うんですけどね、一連の流れの中の文章と文章のパッキンおよび潤滑油みたいなものが、少しずつ不協和音していると思います。
 まあ、私なんかが偉そうなこと言えないんですが。
 偉そうなこと言ったんだから、次も読まなきゃダメかな。


 
 
 
 

「タダイマトビラ」村田沙耶香

 少し黒ずんだ、脂肪と筋肉で膨れた母のふくらはぎ。
 その先に、私が10年前にあけた肉のドアがある。
 この世には、狭い暗がりから世界に向けたドアが無数にあって、私はたまたま、母の足の間についているドアを開けただけだ。この世に出てくるために蹴破った、血と肉でできた扉。


 普通の母親としての感情が欠落した母。
 叱りもしない、誉めもしない。徹底した放任主義。
 子育ては仕事としか思っておらず、子供を虐待したい気持ちを抑えることに必死だったことも知った。
 家族の形が歪であることを幼い頃から感じていた恵奈は、ずっと家族欲に飢えていた。
 滅多に家に帰ってこない父、引きこもりの弟。彼らも含めて在原家のみんなは家族ではない、ルームメイトだ。
 早く大人になって、恋がしたい。結婚がしたい。この家を出て、自分の本当の家族を持ちたい。
 しかし、恋人さえ家族をつくるための部品とか思えぬ、彼女の信念の行き着いた先には・・・

 うーん、感想がわかれる小説ですねえ。
 こういうのあるんだよねえ、この作者。青春小説そのものでいくパターンと、文学性が混じって中間小説になるパターン。
 作者のインタビューを見ていると、書いた本人も思わぬ方向に行ってしまったそうですが、あまりにも急でしたなあ。
 正直言って、私は面白いとは思いません。
 家族というものを追求するテーマが深いですから考えさせられますし、「なるほど命は連鎖か」というような新しい感覚の発見もあるのですが、小説としては別に読みにくいし、楽しくはありません。
 私は「マウス」ですとか「しろいろの街の~」のほうが好きですわ。
 
 それでも、作者が何を追求しようとしていたのかはわかるような気がします。
 渚さんの飼っていた瓶の中のアリがヒントなのですが、結局、地球の歴史を見る限り我々は生命の連鎖の途上でしかないということが言いたかったのでしょうね。つまり、家族として血縁を持って生まれてきたとしても、それはこの世のシステム上のたまたまであって、大元はすべて生命はフラットであるということを提起したかったのだと思います。
 母の足の間から生まれてきた、だから家族になっている、でもそれはまやかしの世界なのかもしれない、と。
 この小説では、子供をまったく愛せない母親が出てくるのですが、彼女を精密に描くことによって、家族という形をボヤケさせることに成功しています、ノッケからね。
 で、このとき恵奈はまだ小4だから、次の章で中学生になって、この家族欲に飢えた子は、これからどうなるのだろうと思うわけですよ。十分、歪んでいる女の子ですからね。
 そしたら高校生になって、半同棲するような大学生の彼氏ができちゃった。
 彼女は、この彼氏と家族を築き上げていくことをうっとりと夢想するようになります。
 んで、おそらく恵奈がフラれる流れなんだろうなと思っていたのですが、なんと彼氏も恵奈という人間を愛しているわけではなく家族というシステムを作りたいと思っているだけだということに気づき、つまり恵奈と同じだったということですね、自分と同じカゾクヨナニーをしているのか自分を見たようで気持ち悪いとなって、ここからは物語がある意味昇華したままラストまで向かいます。
 ラストのあれはなんだということですが、そのままこの世に出る前、ホモ・サピエンスとして生を受ける前の世界ということではないでしょうか。母の「おかえり」はそのままの意味でしょう。タイトルはただいま扉なのですから。
 でも、SFだとは思いませんねえ。あれをSFといっては野暮でしょう。
 そういう終わり方をする物語だった、ということでそこに明確な答えは必要ないかと思います。創作落語みたいなものでね。
 まあ、こういうの読むと疲れる。


 
 
 

「赤へ」井上荒野

 第29回(2016年度)柴田錬三郎賞を受賞した短編集です。
 20~30ページほどの短編が十篇。
 私、はじめミステリー小説集かと思って読んでました。井上荒野なのに。
 あまりにも不穏な雰囲気があるのと、読後にザラッとした舌触りが残ったので。
 まあ、読み進めていけば少なくとも作者がミステリー小説を意図したわけではないことがわかるのですが。
 どうして不気味に感じたかというと、それぞれ掲載誌も書かれた年代も違うのに、十篇の物語には共通したテーマみたいなものがあって、そのテーマというのが『死』なんですね。
 それに気づいたとき、ああ、なるほどなあ、と。
 読む姿勢に一本筋が通ったというか、作品の捉え方が理解できました。
 ここに集められている小説たちの中心にあるのは“死”であり、それによって翻弄されたり影響されたりする残された人間の心の動き方を表現した物語なのです。
 相変わらず、運筆がすごいというか小説が巧い。
 プロの作家であることを認識させてくれる、数少ない方のうちのひとりです。
 何が巧いって、余白がいいわ、井上荒野は。
 すべて書いていくのではなくて、すぽんと説明すべきところを抜かしているのですが、その部分を読者は自分で埋めなければなりません。その作業が読み手にとっては醍醐味といいますかね、まあ、面白いわけでして。
 やはり、井上荒野は他とは違うと改めて思いましたねえ。
 実力者です。

「虫の息」
 市立体育館のプールにやってきた、ふたりの老婆。81歳と82歳、太った方はイクちゃんといい、痩せたほうは虫の息と呼ばれていた。若い頃、ふたりはサヨクケイの劇団員だったらしい。やがて騒動を引き起こす彼女たちを、受付でバイトしている大学生の女の子と、彼女に憧れてプール監視員をしている同じ大学の男子の視点から捉える。
「時計」
 19年間秘密にされてきた別荘の秘密。19年前に病気で死んだ双子の妹の死の真相。
 どこが怖いって、十数分間くるっていたという振り子時計の、十数分間のくるいにラストで気づいたのが凄いわ。
 管理していた鈴子はわざと放っていたのではなくて、あまりそこに行きたくなかったのではないですか?

「逃げる」
 赤坂のレストランでウェイターと客という関係で知り合った咲子と広一郎。それ以来2年間不倫関係を続けてきたが、一月前に通り魔事件があって、広一郎の妻が刺殺された。一ヶ月後、連絡をくれた広一郎は・・・
 不倫というのは不倫だから燃えるのです。不倫でなくなれば燃料はありません。しかもこのようなオチでは、ねえ。
「ドア」
 主人公はバーで働いている52歳のゲイ、香津実。元々はひとりで飲みにきていた者たちが、たまたま隣り合ったことで仲良くなってグループとして組成され、カウンターで和やかにやってるようなバー。あるとき、そのグループの一員だった45歳の税理士の音沙汰がふっと消えてしまった。香津実は偶然拾ったハガキを手がかりに、彼の行方を追うが・・・
 おそらく仕事には就いていなかったと思うんですね。
「ボトルシップ」
 小説家の植村さゆりは、いきなり薔薇の花束を持ってきた男性にひるむ。男は衣田といい、さゆりと知り合いだったHの遺言で花束を持ってきたという。さゆりは15年前に癌を克服した。入院していてHに知り合ったという衣田も癌手術を終えたばかりだった。2週間後、衣田はさゆりに再び会いに来る。
 Hからの電話、あれは衣田ですね。
「赤へ」
 42年間暮らした一軒家を売り払い、ミチは高齢者向け介護付きマンションへ引っ越すことになった。娘婿だった庸一郎に車で送ってもらう。娘の深雪が死んで1年。深雪は庸一郎と35歳で結婚し、ミチと同居3年目で自殺した。
 互いを疎ましく思いながらも、死の責を分かち合うふたりだったが・・・
 表題作の出来はすこぶるよし。味わい深い逸品です。
「どこかの庭で」
 引っ越してきたばかりの新築の一軒家には庭があり、織絵はガーデニングに精を出す。庭造りの教科書役は、素人の主婦がやっている庭ブログ。しかし、ブログ主は病に冒され、しだいに更新されなくなってゆく。
 どこかの庭でというタイトル、夫と知らない女性が独立起業しようとしている内容など、すべてが調和した秀逸な作品。
「十三人目の行方不明者」
 6年前に洪水で行方不明になったと思われていた勇介が突如、還ってきた。護は、勇介の妻だったあゆみとすでに付き合っていた。失踪して7年経てば離婚ができる。あと1年というところで・・・なぜ、あいつは還ってきたのか?
「母のこと」
 膵臓がんが見つかった83歳の母。死にたくなくてあらゆる手をつくして闘病した父とは違い、まるで死に寄り添うように、無抵抗で優しく死んでいった母への想い。
 これはこれまでの物語と種類がまったく違うといいますか、作者の随筆でしょうか。
「雨」
 志帆子の中学2年生になる娘の友達が死んだ。噂によれば、イジメを苦に飛び降り自殺したらしい。
 志帆子は偶然、娘のLINEの履歴を見てしまう。そこには、自殺した子を蔑み、けなす言葉が書き連ねられていた。
 ありがちな話をいかにもプロらしい手際でまとめたこの作品が一番好きかもしれません。
 

 
 
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