「下山事件 暗殺者たちの夏」柴田哲孝

 昭和24年(1949)7月6日未明。
 足立区五反野の国鉄常磐線の下り線路上で、人間のものと思われる肉塊が散乱しているのが発見された。
 後にこれが、前日の午前中から行方不明になっていた下山定則初代国鉄総裁の轢死体であることが判明。
 いわゆる、昭和史最大の謎といわれる“下山事件”である。
 事件が起きた時、国鉄は運輸省から独立し、日本国有鉄道公社として生まれ変わったばかりだった。
 無理に担がれる形で運輸省事務次官から初代国鉄総裁に就任してわずか1ヶ月の下山は、9万5千人規模の大リストラの渦中にあり、過激な左派労組との交渉の矢面に立っていた。
 こうした世相の中での下山総裁の衝撃的な死は、事件当初から様々な憶測を呼んだ。
 人員整理を苦にした自殺だったのか、もしくは何者かによる他殺だったのか――
 戦後復興期の日本の闇に巣くう魑魅魍魎の暗躍を真実に基いて炙りだした迫真の昭和ミステリー。
 戦前は世界を震撼させたゾルゲ事件を暴き、戦後は検事総長としてロッキード事件を指揮した日本検察史上最強の検察官・布施健でさえ、「他殺に間違いなし」と確信していながら、一敗地に塗れた謎の事件の真相とは!?

 作者の柴田哲孝さんは、10年前に「下山事件 最後の証言」というノンフィクションを著しています。
 私、これを忘れてたんだなあ。
 本作を読み始めて、そういえばテレビで観た覚えがあって、調べてみると同じ作者だったという。
 作者の祖父の23回忌に、祖父の妹である大叔母が突然、「下山事件をやったのは、もしかしたら兄さんかもしれない」と言い出したのです。それがきっかけで、作者は下山事件という迷宮に迷い込むことになりました。
 そして、事件から約60年経って、謎の真相に限りなく迫ることができたのですね。
 本作は、事実以外描けないノンフィクション本を土台に、その間隙を想像で肉付けした、フィクションです。
 ですが、作者自身も言っているように、極めて真実に近いフィクションになっています。
 下山事件に深く関わったかもしれない作者の祖父は、本作で柴田豊というキャラクターで登場し、昭和史の深い闇に眠った真実を掘り起こすきっかけとなった大叔母は、柴田未子という名で登場しています。
 「下山事件 最後の証言」を読んでいない私は、どこがどうフィクションなのか細かいところがわからず、読む順番を間違えたかなとも思いましたが、読み終えた今は、これからフィクションのほうをを読んでみるのもまた面白いかなと感じています。

 まあしかし、怖いね。怖い。
 陰謀は怖い。
 最強の検察官布施健と解剖の権威である東大の古畑種基博士が「死後轢断で他殺」と断言しているにもかかわらず、警察捜査に強力な圧力がかかって、事件が有耶無耶になってしまうのですから。
 列車に轢かれた下山総裁の遺体には、血がほとんど残っていませんでした。
 彼は自殺と見せかけるために線路に置かれただけで、そのときには脇の下から血を抜く拷問によってすでに死んでいたのです。満州式の拷問。殺ったのは大陸系の殺し屋です。
 しかしその背後には、満州の特務機関を母体とする謎の商社とそれと結託するGHQ内部の謀略部門がありました。
 鉄道と電力の復興をめぐる利権に食い込んでいた彼らは、国鉄内汚職を暴き、大リストラをしながら膨大な予算を必要とする電化に乗り気でない“真人間”の下山総裁に業を煮やしていたのです。
 時勢柄、大リストラで敵対する非合法活動も辞さない共産党系の労組に疑いがかかることも考慮にいれ、なおかつ自殺にみせかける用意周到な計画でもって、目の上のたんこぶを亡きものにしたのです。

 結局、あの戦争だって私たちはその責任の所在を軍部に向けがちですが、こうした軍属の軍需産業ですか、日米を問わず戦争で金儲けしていた連中ですね、そうした連中の利権のせいでもあったのではないですか。満鉄しかり。
 右翼、左翼、元中野学校出身の特務機関員、GHQ、大陸浪人、在日朝鮮人。
 様々な思惑が入り乱れているようで、結局はカネでしょ。
 しかしまあ、事件に関わった朝鮮人の李中換を取り調べた文書が紛失し、事件から30年後の1979年になぜか米国立公文書館で出てきたというのが、この事件の本当の黒幕が誰かということを一番暗示している出来事ではないかと思いますが、どうでしょうか。戦争をやるなら絶対に負けちゃだめだと改めて思いました。やりたい放題やられて、哀れです。


 
 
 
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「ナニカアル」桐野夏生

 戦前戦後と文壇の第一線で活躍した人気女流作家・林芙美子の生涯をモデルとした評伝小説。
 戦時中の情報統制を描いた後半からの不気味な流れは一級の戦争文学でもありますし、夫ある身でありながら愛人と南方で逢瀬を重ねる姿は情痴文学とも云えるでしょう、しかし私はあえてこの小説を昭和ミステリーと分類したいと思います。
 なるほど、斎藤謙太郎はスパイではないでしょう。
 しかし、元床屋という野口が不気味すぎるのと、昭和17年10月から昭和18年5月にかけての、陸軍報道部の嘱託を受けての南方視察が謙太郎を釣りだすためのエサだったとすれば、これほど背筋がぞっとする物語も滅多にないと思います。
 林芙美子といえば、「放浪記」が爆発的に売れたものの、文壇からは母と行商をしながら放浪した生い立ちをルンペン作家と揶揄され、支那事変での南京女流作家一番乗り(昭和12年)や漢口従軍一番乗り(昭和15年)で一躍男性作家の顔を潰した女傑としてその野心や強すぎる好奇心は「自分が目立つためならなんでもする女」を陰口を叩かれた女流大衆作家です。
 今なら芸能人でも似たようなのがたくさんいますが、時代が時代ですからね。
 この物語でも、男性からの上から目線を常に意識する反骨精神や蓮っ葉な態度など、謙太郎という7歳年下の恋人との愛を底流としながらも、林芙美子という時代を先駆けしすぎた女傑の一代記かと思いきや、一転、芙美子がしおらしく気の毒に見えるほどのどんでん返しといいますか、ミステリーが用意されておりました。
 つまり表向きの芙美子の男勝り的な南方従軍記が作品の主なテーマではなく、戦争という背景下にある国家の前ではどれほど個人が強烈な個性を持っていても潰れてしまうという不気味な教訓が秘められているのですね。
 さらには、夫の手塚緑敏に隠れて子供を産んだというオチもあります。
 これらから総合的に、この作品は桐野夏生が林芙美子の人生を土台にミステリーを編みこんだと私は判断しました。
 筆力は唸るほど豊かで、往年の文豪(井伏鱒二や佐多稲子ら)との芙美子の会合も楽しく、これほど読みやすくて一冊に様々な要素がつめ込まれた小説も珍しいと思います。

 導入。
 平成3年。昭和26年に作家・林芙美子が急逝してから40年。
 芙美子の資料や遺品を管理する姪の林房江は、芙美子の夫だった画家・手塚緑敏の遺した絵から隠された資料を発見する。それは、昭和17年10月から昭和18年5月まで、陸軍報道部の嘱託としてジャワ、スラバヤ、バリ、バンジェルマシンなど日本軍占領下の蘭印を視察中、芙美子に何があったのかを記録した手記だった。
 軍が主導する戦意高揚のための宣伝工作であるが、芙美子には行ったことのない土地をこの目で見てみたいという放浪癖にも通じる欲望があった。
 しかし、他の女流作家たちと共に宇品港から偽装病院船でシンガポールを経て蘭印に入ってみると、芙美子にだけは従兵がつき、数年来不倫関係を続けている恋人の毎日新聞記者・斎藤謙太郎が社用を利用して逢いに来てくれても、何者かに見張られているような不気味な感じがつきまとう・・・
 その理由の真相とは!?
 そこには恐るべき軍部の陰謀と、死後40年にして暴かれた秘密が芙美子の手で包み隠さず語られていたのである。

 改めて振り返ると、こんなの書いてよかったの桐野さん、と思いましたけど。
 林芙美子の葬儀では、葬儀委員長を務めた川端康成の奇妙な謝辞が思い起こされますが、この方の本当のところは誰にもわかりません。確かに目立つ存在であり、成り上がりの身であったので、辛辣なやっかみがひどかったのは事実ですが、かといって根も葉もない噂を流す輩というのは、どこにでもいることですし。
 ただ、同じ死ぬならこういう、死後数十年経っても謎含みの小説の題材となれる人間はある意味うらやましいと思います。

 花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき


 
 
 
 

「羆嵐」吉村昭

 大正4年に発生した日本獣害史上最大の惨劇を元に書かれた事件小説。
 「慟哭の谷 史上最悪のヒグマ襲撃事件」木村盛武の、小説版。
 作者の吉村昭が、北海道で長年林務官を務め熊害に詳しい木村盛武氏に取材したことは、どちらの本にも書かれています。
 事件の背景や時系列などだいたいのところは事実通りなのですが、一部登場人物に脚色があるようです。
 また、木村盛武さんの本は昭和39年に初版が刊行されていますが、本作は昭和52年であり、当然ながら事件のあった大正4年から約60年ほど経過しています。ですので、語られるところの羆との戦いに臨む開拓民の心の機微などは、もちろん真実に近い想像であることは言わずもがなでしょう。
 もっとも、木村盛武さんの本にすべての事件経過や生存者たちの証言が網羅されているわけではありませんから、元本に載っていないからといって、フィクションであるとは一概に言い切れないですがね。
 確実に脚色されているのは、事件の真犯人である羆を仕留めた老マタギです。本作では山岡銀四郎という人間的にちょっとどうかと思う酒乱の羆撃ち名人の老人(といっても50歳過ぎ)になっていますが、事実は山本平吉という日露戦争に出征していたことがある老雄です。まあ、写真は載っていましたが、山本さんの生活までは木村さんも書いていなかったのでわかりませんけども、これは吉村昭が物語を面白くするために導入した脚色であると思います。
 つまり、山岡銀四郎の大元のモデルが山本平吉という人物なのですね。
 あとひとつ、それは事件の起こった六線沢の部落を救援した隣接する三毛別部落の区長の存在。
 この登場人物は苗字さえ書かれていませんが、うまくいかない警察主導の熊狩りに危惧し、いち早く熊撃ち名人である山岡銀四郎の招致を独断で決め、銀四郎が熊を仕留めた場所に案内した人物です。物語のキーマンになった人ですね。
 しかしこれほどの重要人物が、木村さんの本では出てきません。
 これもおそらく、物語のなかで官主導の組織的な熊狩りがうまくいかなかったことを際立たせるため用意された人物ではなかろうかと思われます。数百人の救援隊で討ち取れなかった熊が、老マタギひとりによる“個対個”で決着したというカタルシスですね。
 まあ、似たような立場の人はいたでしょうけどね。自腹で五十円(今の50万円くらいか?)出す人はさすがにいないでしょ。
 このへんが小説らしいところ。しかし吉村昭の腕は抜群であると思います。
 迫力というか、姿が見えない羆の不気味さがよくあらわされているなあ、と。
 ドラマ「北の国から」で有名な倉本聰は、富良野の原生林のなかで読んだばかりだったこの本を思い出して一晩中眠れなかったそうですから。気持ちはわかります。
 あと木村さんのノンフィクションと違うところは、臨月の女性が喰われたときに、掻き出された胎児も喰われたことになっていた点。木村さんのには、外に出されていたものの胎児は数時間生きていたと書かれていたと思います。
 この事件、死者と重傷者の数が場合によって異なることが多いのですが、それは生まれる前だった胎児と、熊の傷が元で数年後に亡くなった重傷者を数えるかどうかであり、本作では2日で6人死亡3人重傷となっています。
 
 逆に木村本になくて、本作で初めて知ったこともありました。
 被害を受けた六線沢の開拓村(15戸)ですが、事件の4年前(明治44年)の入植であったこと。
 彼らの出身は東北であり、羆のような凶暴な種類の熊には慣れておらず、舐めていたこと。
 事件後、被害者の家族はすぐに部落を離れ、あとの開拓民も新たな熊が出るたびに悲惨な過去を思い出すのか土地を見限って出て行ったそうで、一時は六線沢には誰もいなくなったそうです。
 その後、太平洋戦争の後に、事件を知らない満州からの帰国者が六家族ほど入植しましたが、やはり大部分は出て行ってしまい、吉村昭のこの小説の時点では一家族のみが農業に従事していたそうです。

 いずれにしても、羆の恐怖を一般の我々に伝えることはすごく難しいことです。
 人間の到底抗し得ぬ強大な力に満ちた野生動物であるということが、なかなか認識されません。
 この六線沢の羆は体重三百貫(330キロ)、2.7メートルで頭が非常に大きいという化け物みたいな奴ですが、ピンときません。
 ツキノワグマやくまモンなど本州にいる熊とは、また違う生物なのですが、それがやっとジワジワ理解できるのは、本作も半分を超えたあたりでしょう。
 結局、未開の山林に開拓民が入ることは自然秩序の中への強引な乱入であり、羆にしてみれば攻撃対象なんですね。
 それがさらに“穴持たず”という冬ごもりの穴が見つからなかった、世を拗ねた巨大熊にしてみれば、とことんやってやろうという感じになるんでしょうね。
 それにしても焚き火が逆効果になるかもしれないというのは、もしも北海道の山中で野宿でもしたときに、どうすればいいのでしょうか。真っ暗でも臭いでやってくるだろうからヤバイと思うけどねえ。LEDとか花火はどうなんだろう。
 私も豹がいるようなアジアのジャングルでごぞごぞしていた時はあるのですが、羆はちょっと対処できそうにないなあ。


 
 
 

「生存者の沈黙」有馬頼義

 悲劇の緑十字船阿波丸撃沈の謎。
 空襲の跡も生々しく、いまだ復興の糸口さえ見えない東京。
 アメリカ兵がタバコを2,3本投げると人たちはバッタのように飛びついて奪い合い、日本人が闇米を背負ってくると、同じ日本人がからだを売ったり着物を売ったりして、それを買っていく。
 一ヶ月分の配給米をおかゆにすると、3食分しかない。
 戦後間もなくの被占領下、敗戦の傷跡が癒えない日本を舞台にした、昭和ミステリー小説。

 阿波丸(1万1千数トン)は、日本占領下にあった連合国捕虜及び抑留者に対し米国から送付した救援物資を南方諸地域に輸送する任務を帯びた船で、安導券(航行の安全を保障された)を持った船でした。
 あの戦争の中で、阿波丸ほど安全な場所はなかったとまで云われた船です。
 舷側には大きく緑十字を塗装して夜間は照明でそれを照らし、連合軍側にもその予定航路と時間を通知していました。
 しかし、昭和20年4月1日、台湾海峡で米潜水艦に撃沈されてしまったのです。
 阿波丸には、ほとんどが非戦闘員である2004名(小説ママ)の日本人が乗っており、助かったのはわずか1名でした。
 激怒した日本は敵国であるアメリカに抗議し賠償を請求しました。
 アメリカは非を認め、阿波丸を撃沈した潜水艦艦長を軍事裁判にかけましたが、賠償については答えを引き伸ばしました。
 なぜなら、日本の敗戦が迫っていたからです。
 アメリカの目論見通り、戦後占領下にある日本政府は、当時のお金で2億円と見積もられた阿波丸賠償の請求を棄却しました。アメリカからの戦後復興の援助と相殺されたのです。勝者の無理は通りますが、敗者の道理は通りません。
 結局、本来ならアメリカが支払うべき阿波丸遺族への賠償は日本政府が肩代わりし、その額はわずか7万円(約40万円?)という雀の涙程度のお金が遺族に支払われたのでした。

 物語では、阿波丸の到着を待つ門司港で出会った、新聞記者の高須昌宏と夫を外交官に持つ守屋敦子のふたりが、謎のまま放置された阿波丸撃沈の謎に迫っていくという構成になっていますが、あとがきによれば、これはほぼ著者の実際の行動をなぞるものであったようです。
 著者もまた従兄の外交官を阿波丸事件で亡くした遺族であったのですね。
 著者がこの小説を書こうと思い立ったのは昭和20年4月のことらしいですから、当時から阿波丸事件のことを知る立場に著者はいたということです。本作の刊行は昭和41年。実に構想から20年という長い月日が経っています。
 それもそのはず、戦後しばらく阿波丸に関係する資料はでてきませんでしたから。
 誰が乗っていたのかさえ正確なところはわからなかったのです。
 唯一の生存者であるコックの下川勘次(下田勘太郎)は、昭和21年2月に帰国しましたが、会見では事件の詳細について「何も知らない、忘れた、憶えていない」と沈黙を貫きました。
 帰国したばかりの下川がマッカーサーに会ったのは、事実ですがこれもまた謎です。
 小説ではやっと下川が口を開いたのは帰国してから5年後の昭和27年くらいとなっています。
 そこで下川が語ったことが、結局、著者の行き着いた結論だったのでしょう。
 吉田茂に面会を求めてまで事件の真相を追求した著者ですが、肝心の阿波丸を撃沈した潜水艦長ラフリン中佐の裁判記録などは当時ではわからないままでした。
 ですから、この結論には現時点で阿波丸関係二作「阿波丸はなぜ沈んだか」松井覺進「阿波丸撃沈」ロジャー・ディングマンを読んでいる私にとってはいささか物足りませんが、それは当然であり仕方のないことです。
 むしろあの当時に阿波丸に目をつけた先見の明は、貴重だったと思われます。
 残念なのは、著者が亡くなったのは中国が阿波丸をサルベージしてから間もなくであり、その概要を知ることができなかったと思われることです。
 元気であれば、有馬頼義は何を思ったでしょうか。

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「一九五二年日航機『撃墜』事件」松本清張

 昭和27年4月9日午前8時頃、羽田発大阪経由福岡行きの日本航空マーチン202型双発「もく星」号が、伊豆大島の三原山噴火口近くに墜落しました。乗員乗客37名全員が死亡。
 この事故は、戦後に発足した民間航空機の最初の墜落事故です。
 アメリカの占領政策によって日本の航空活動はずっと禁止されていましたが、米ソ対立の激化、中国共産党の全中国制圧の情勢を反映して占領政策が変化し、朝鮮戦争の経験が“基地(不沈空母)”としての日本の重要性を教え、アメリカは日本に対して緩和政策に急転回したのです。
 連合軍総司令部(GHQ)は、日本政府(吉田内閣)に対し、航空機の保有と運航を除く切符販売等の活動に限って、1社のみに日本側の営業権を認めることを許可したのです。つまり平たく言えば、外国の航空会社から飛行機とパイロットを賃借りして、商売だけをやるということなのですが、これが“鶴丸”日本航空株式会社のスタートとなりました。
 ノースウエスト社と運航委託契約した日本航空の初フライトは、昭和26年10月25日(羽田)のことです。
 所長以下13人の東京支所職員の仮事務所は、わずか7坪ほどの掘っ立て小屋でした。
 そして、このときからわずか半年で、凄惨な墜落事故が発生したのです。

 本作は、これより20年前(昭和49年)に刊行された小説の改作で、昭和ミステリーの巨匠・松本清張が亡くなられる直前に上梓されたものです。
 前半はノンフィクション風に実際の墜落事故の具体的傍証を列挙し、後半は架空のジャーナリストが古書店で発見した資料をきっかけに、疑惑の墜落事件の謎に迫るという内容の小説となっています。
 あくまでも“小説”ですが、松本清張本人がどこまで真相に迫るつもりだったのか、それはわからないとしても、この事故というか事件のことを一番よく調査したのは、他ならぬ作者本人ではないでしょうか。
 松本清張といえば推理作家としての顔の他にも、昭和の陰謀史観研究家としての顔もまた有名です。
 私の個人的感想としては、本作のオチは到底考えられないと思うのですが、それは現代人としての感覚で考えるからそうなるのであって、この昭和27年という、日本がまだ占領下にある時代は何があっても不思議ではない時代です。
 そして事故は、サンフランシスコ講和条約が発効する直前のタイミングで起こっているのですね。

 この墜落事故の一番の謎は、機長がとった飛行機の高度にあります。
 運航はノースウエストが担当しているので、機長も副操縦士もアメリカ人です。
 G・スチュワード機長は飛行時間8千時間のベテランで、羽田発大阪経由福岡線の経験もありました。
 途中には、伊豆大島の三原山(高度2千4百フィート)がありますが、日航機は高度2千フィートで飛行しており、山にぶち当たったのです。このときは悪天候で、計器飛行をしていましたが、乗客はシートベルトを装着していなかったことから、機長は運航に不安な点はない、と判断していたことになります。
 なぜ、山があるとわかっていながら機長は2千フィートで飛んでいたのか?
 この事故が陰謀史観化される最大の原因のひとつは、このときの機長と管制を担当していた埼玉県入間のジョンストン基地(当時の日本の航空管制はすべて米軍が担当)の交信記録を、事故調査委員会が再三要望したにもかかわらず、米軍が提出を拒否したからです。また、本書に当時の新聞の一面が載っていますが、墜落当初、米軍は嘘の墜落地点(浜名湖西南16キロの海上)の情報を、当時の国警、日航本社に流していました。これは何故でしょう?
 だいたい、アメリカ側は日本の空をすべて管轄していながら、事故調査委員会のメンバーになることを拒みました。
 このため、航空庁(当時は存在した)長官や、大学の教授、運輸省の官僚などから組織された事故調査委員会の出した結論は、「何らかの間接原因にもとづくパイロットの錯誤」という歯切れの悪いものになっています。
 来日したノースウエストの副社長は、同じアメリカ人だけにどこまで真相を知っていたのか、「何もかもパイロットのせいにされてはたまらない。2人のパイロットにそろって判断を誤らせたものは何だったか」という意味深な言葉を残しています。

 米軍が故意に嘘の墜落地点情報を流したのなら、本当の墜落場所である大島で何かすることがあったということです。
 当時は、本州と大島では電話にしても何時間も連絡が取れなかったそうですから、唯一機動力のある米軍のやりたい放題となります。墜落した散乱機体の証拠の隠滅とかも、やろうと思えばできたでしょう。
 まあ、本作の後半部分は唯一の女性乗客で謎のキャラクターであった、烏丸小路万里子の追跡に多くのページを割かれているわけですが、万一、当時同じ空域を飛んでいたとされる朝鮮戦争帰りの米軍機10機と、「もく星」号の間に、何らかのトラブルがあったとしたならば、どうして乗客にシートベルトを付けさせず巡航速度のまま三原山に当たったのか、不思議だと思うんですね。撃たれたならば、不時着しようとしませんか。いくら米軍が現場を偽装しようと、同じ日の朝には日本の新聞記者も現場に入っているわけです。このとき、こっそり撮られた写真は現存しておりネットでも見られますが、乗客の死体は吹っ飛んでおり、確かにシートベルトをしていなかったように見受けられます。
 撃たれて落ちたというのは、少なくとも私には、いくら小説でも本書の説明では納得いきません。
 でもその一方で、米軍側は交信記録を頑として公表しませんでした。
 何を隠そうとしたのでしょうか、事故から60年超えていますが、未だに謎のままです。


 
 

 
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