「落日の残像 最後の母艦航空隊」野村泰治

 著者の野村泰治氏は元NHKの著名なアナウンサーで、フリーになってからも帯番組の司会をしていたそうです。
 残念ながら2002年に亡くなっており、世代の異なる私も彼の番組を観たことはありません。
 大正11年生まれの彼は、昭和18年12月中央大学法学部在学中、学徒出陣で海軍に入隊しました。
 第14期海軍予備学生です。
 母艦航空隊であった653空に配属され、海軍随一の武勲艦である正規空母「瑞鶴」に乗り組んで捷一号作戦に参加しました。昭和19年10月25日午後2時14分に「瑞鶴」はアメリカ艦載機の猛攻を受けて、ルソン島エンガノ岬沖に沈没。
 著者は、3時間半漂流の末、救助されました。
 本書は、著者の壮絶な体験を元にした、かぎりなく事実に近いフィクションの読み物です。
 いつか自分の体験を書きたいと思っていた著者は、当初、資料を集めて生存者にインタビューし、ノンフィクションスタイルの戦記にするつもりだったそうですが、いざ書くとなると、どうしても時空の壁の厚さを感じて書くことができなかったそうです。
 記憶の前後がまったく欠落している、とあとがきには書かれています。
 それほどまでに、戦前の学徒出陣で参加した戦争と、戦後のアナウンサー生活では差があったということでしょう。
 仕方なく、著者は海軍報道班員中塚信夫など架空の人物を物語風にして登場されることにしたのです。
 しかし、それでも随所に著者の記憶に残っていた真実としか思えないようなことがたくさん書かれています。
 そりゃそうですよ、あの「瑞鶴」が沈むまで乗っていたんだから。
 真珠湾攻撃に参加した最後の正規空母「瑞鶴」が沈んだ時に乗っていた方の戦記を読んだことがありません。
 そういう意味では、フィクションが混じえられているといえど、本書はとても貴重なのです。

 読んでいる限り、著者はパイロットではなかったように思います。要務士だったのかもしれません。
 登場する中で似てそうなのは、台湾沖航空戦の前に653空に配属されましたが、訓練不足のために実戦には参加できなかったふたりの予備学生出身の少尉でしょうか。
 物語は海軍報道班員である中塚信夫が653空に従軍し、航空隊幹部や搭乗員と仲良くなり、台湾沖航空戦を経て、海軍機動部隊最後の決戦となった捷一号作戦に参加、空母「瑞鶴」に配乗しその最期を見届けるというものです。
 おそらく、著者自身の行程そのままだと思われます。
 海軍工廠の徴用女子工員との儚い恋や、航空隊員と潜水艦乗員の喧嘩、空母への着艦事故など本当のことだろうと思われるエピソードはたくさんありました。
 ある海軍参謀が「阿呆作戦(あ号作戦)の次は消耗作戦(捷号作戦)か」と言ったというのも、聞いたことないしうま過ぎますから、戦時中実際に聞いたフレーズだったかもしれません。
 「瑞鶴」の最期に関しては、一番詳しいのは乗っていた著者自身です。
 それだけに、多くのページが割かれ、迫力と臨場感がありました。
 機銃陣地にいた元銀行支店長の老兵から手紙を預かったというエピソードはどうかわかりませんが、貝塚艦長が総員退艦を命じたときに、「バカ野郎」とひとりの兵隊が立ちはだかったという話は、実際にいた人間でなければ書くことのできない生々しいエピソードだったように思います。
 また、これまで3回も乗艦が撃沈されたという特務士官の「退艦心得」も実話でしょう。
 抜粋して載せておきます。
 1.退艦命令の前に食物をとっておくこと。空腹では長時間泳げない。
 2.動きやすい程度に衣服を着込むこと。南の海でもすぐに身体の芯まで冷え込んでしまう。
 3.海に入ったら角材などに掴まり、無闇に身体を動かさず、なるべく大勢と一緒にいること。
 4.救助の艦が接近してきたとき、艦が完全に停止する前に垂らされたロープを握ってはいけない。弾みで握った腕が根元からちぎれることがある。
 5・海へ入る場合、艦が左舷に傾いたら、反対側の右舷から入るのが正しい。傾いた方からが入りやすいが、転覆のときに巻き込まれるおそれがある。海へ入ったら、すぐに艦から離れること。艦の沈没の渦に巻き込まれるから。
 6・正式な退艦命令が下る前に海へ入ると、敵前逃亡になる。

 実際には、著者は瑞鶴の傾いた方の舷側から海に入りました。瑞鶴は大きくて反対側だと海が見えなかったからです。
 艦と運命を共にした貝塚艦長の冥福を祈りながら、漂流し、幸運にも駆逐艦に救助されました。


 
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「帰郷」浅田次郎

 久しぶりに面白かったと思います。
 浅田次郎の、戦記小説といいますか、戦争にまつわるヒューマンドラマ6篇。すべて「小説すばる」にて掲載されたもの。
 なんか最近は自己満足で終わってるような話ばかり書いていましたからもう呆けてきたかと思ってましたが、今回のはしっかり面白い読み物になっていたと断言できます。
 ただし、2002年の作品もあるのですがね。私が一番だと思った「不寝番」は、今年の作品です。
 それにどちらかというと心象風景に偏りがちであった作風ですが、今回のはいつもと違って細かいと思いました。
 88式7センチ野戦高射砲とかですね。もちろん、そんなのが本当にあったのかどうか私は知りませんが(笑)
 あったのでしょう。
 特に気に入ったのは、ジャケット。
 「帰郷」というタイトルに相応しい、魂ひとつで無残な敗戦のなかを帰ってきた歴戦の日本男子が偲ばれるのです。

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「歸鄕」
 旧文字のタイトルが渋い。終戦から3ヶ月、新宿の闇市で春をひさいでいた綾子は、今しがた復員したばかりと見える兵隊に、「話だけ聞いてきてくれ」と言われ戸惑います。「誰かに吐き出さなきゃ胸が腐る」と。男の名は古越庄一。二等兵。信州松本の大庄屋の跡取り息子で、テニアンで玉砕した松本連隊の生き残りでした。
 死んだ兵隊が不運だったのか。生き残った兵隊が幸運だったのか。
 おそらく、こういったゴタゴタは終戦直後、実際に日本中であったことなのではないでしょうか。

「鉄の沈黙」
 赤紙一枚で召集されて1年。工廠の技師だった27歳の清田吾市一等兵は、サイコロの目次第の駒のように動かされて、ラバウルから悪魔のダンピール海峡を超え、大発艇でニューギニアまで88式高射砲の修理にやってきた。
 そこには、部隊の転進から取り残され、米軍の猛攻のなか恬淡と死に向き合う分隊員が6名いた。
 彼らと、清田技師の運命や、如何に。

「夜の遊園地」
 昭和30年代前半。球場併設の遊園地でアルバイトをしている苦学生の武田勝男。彼は父の顔を知らない。3歳のとき出征した父は昭和20年1月に比島レイテ島で戦死し、写真は空襲でみんな焼けた。母は再婚し、勝男は郷里の叔父に育てられた。
 ナイターがひけた後の夜の遊園地で、子供の手を引きながらも、ジェットコースターやお化け屋敷で記憶の蓋が外れてしまう特攻や玉砕の島の生き残りの父親を見ていると、顔も知らない父のことが我がことのように偲ばれてくる・・・

「不寝番」
 これが一番。浅田次郎らしい、硬派なメンヘル。
 陸上自衛隊連隊の優秀な射撃手が選抜された、富士演習場での射撃大会。
 大会の前日、片山賢三陸士長は、旧陸軍内務班の兵舎がそのまま使われている演習場の廠舎で、深夜の不寝番に立つ。
 第三直(深夜0時~1時)の彼の勤務が終わり、次直の第四直(1時~2時)の当番を起こしにいった彼が出会った人物とは・・・
 軍隊に「異常あり」という言葉はあってはなりません。だから、こんなことがあっても異常ナシ、なのである。
 個人的にツボは、赤い箱にドイツ製の爆弾かなにかが詰まっているという自動販売機で、そういや昔は浅田次郎も笑えるような話を書いていたなと、久しぶりに思い出しましたね。
 いい作品でした。心象が再現されるならば、世にも奇妙な物語にでも映像として観てみたいです。
 仙波さん、たぶん満州で死んだね。

「金鵄のもとに」
 復員して2ヶ月。昭和19年3月のブーゲンビル島タロキナ決戦を生き抜いた、姫路歩兵連隊唯一の生き残りである染井健次は、東京の街路にうずくまる白衣の傷痍軍人が、米兵の情けを受けているのを見て憤る。しかも、片足のないその傷痍軍人は、あろうことかいるはずのない染井の部隊の履歴を語っていたのである・・・
 「あなたの腹におさめて、私を国に連れ帰ってください・・・」
 地獄のブーゲンビル島の真実とは!?
 金鵄勲章。金鵄とは、神武天皇東征のとき、金色の鵄(とび)が天皇の弓の先にとまって、敵方の軍卒たちの目を眩ませたという故事からきており、皇軍というのは、その金色の鵄の下に集う兵隊たちのことです。

「無言歌」
 予備学生である香田正也中尉と沢渡恭一郎中尉は、夢を見た。温泉につかり、ビールを飲んで、両親や恋人に会う楽しい夢・・・夢から覚めた現実とは、太平洋のどまん中、深度100メートルの海底。
 戦記を知ったものが必ず思う、潜水艦や特殊潜航艇、不発回天の最期。
 我らが浅田次郎が、そのむなしすぎる最期を書いてくれました。

 英霊よ、波立たぬ海で、静かに眠れ。


 

「野火」大岡昇平

 敗戦間近のフィリピンの山中で一等兵が体験した幻想と真実を描いた、戦争文学の金字塔。
 初めて読みましたが、まさかこんな文学的だとは思いませんでした。
 それもそのはず、大岡昇平は戦前文学者だったんですねえ。
 まさか応召はないだろうと思っていた32歳で、なんとインテリは戦場へ。
 場所は本作の舞台であるレイテ島の隣のミンドロ島。階級は本作の主人公と同じ一等兵でした。
 ミンドロ島はレイテ島よりはマシだったはずですが、それでも多くの戦友が死んでいます。
 本作でひときわ身にしみたフレーズは、「戦争を知らない人間は、半分子供である」というところ。
 ならばほとんどの日本人は、人間として“子供”ということになってしまいますが、これはほんとその通りかと思います。
 人を殺すために戦い、逆に殺されようとされた経験を持つ人間と持たない人間では、大きく異なって当たり前ではないでしょうか。
 もちろん、だから戦争を経験した“大人”が偉いというのではありません。
 人間の人生での経験上、普通の人間には付加されない部分が付加されるという意味です。
 そしてこれは、たとえば銃を撃つのがうまいとか人殺しの技術を言っているのではありません。
 銃を撃つのがうまい、爆弾から逃げるのがうまいにかかわらず、敵兵を殺し戦友が死ぬという死地を経験した人間は、そんなことは夢にも見ずに笑って暮らせる腹いっぱいの人間とは違うという意味ですね。
 ということは、本作とかが分類されるであろう戦争文学というジャンルにおいても、もはや日本人に作者はいないということです。
 戦争という究極の殺し合いを経験した小説家がいないんだからね。
 戦記小説は別ですよ、エンタメ性のある戦記小説ならば、いくらでも想像して書けるでしょう。
 しかし、戦争というものを奥深く凝視した文学性の高い作品は、経験者でなければ書けるものではありません。
 本作を読むことによって、それをいたく感じました。
 この小説は、想像では絶対に書けません。
 フィリピンのジャングルで、死にかけたからこそ書けるのです。
 本作は、もはやいなくなりつつある“大人の日本人”が、われわれ“子供の日本人”に残した伝説なのです。

 あらすじ。
 昭和19年11月下旬レイテ島に上陸した田村一等兵は、喀血した。
 上陸時水際での空襲と度重なる敗戦で実質一個小隊となった中隊は、オルモック湾南方40キロの地点で敗残兵同様となって山間の部落に隠れていた。もはや戦闘よりも食糧収集が仕事であった。
 田村は、結核で弱っているために、荷が担げず食糧の収集ができなかった。
 しかし飯は食う。こうなると、部隊にとってはただの邪魔者である。
 分隊長は、田村に野戦病院への入院を命じる。しかし、苦労して数キロ離れた病院に行っても収容はしてくれなかった。
 なぜなら病院は食糧も持たない患者を入れてくれない。食糧は不足し軍医と衛生兵は患者のために受領した糧秣で食いつないでいたのだ。病院の周りには、受け入れてくれずに弾創やマラリア、熱帯潰瘍で苦しんでいる兵隊がたくさんいた。
 彼らは、敗北した軍隊から弾き出された不要物であった。
 「肺病くらいで来るな」と病院から追い払われた田村は、仕方なく中隊へ帰るが、分隊長は激怒して「病院へ行け」という。
 両者から放られた田村は、もはや「ひとりで死ね」と言われたに等しく、遅かれ早かれ死ぬだろうが、ここに、死ぬまでの時間を思うままに過ごすことができるという、無意味な自由を所有するに至る。
 そして、アメリカ軍の砲撃を機に、田村は中隊から離れてレイテ島の山間を、ひとり彷徨する。
 
 猿の正体。
 猿の正体は、田村も予期していましたし、読者も予期していたことでしょうが、予期しながら読んでも不気味でした。
 (´-﹏-`;)
 このへんが、作者の巧さでしょうねえ。すごいところだねえ。
 野火の観念というかメタファーにいたっては、高尚すぎて私にはわかりません。
 なんだったんでしょうか。実際は敵であった比島人、あるいは人間の存在、無と有を分けるもの、色々考えられますが、結局は燃え尽きようとしていた田村自身の魂だったのかもしれないですね。
 大変な小説でした。


 
 
 
 

「戦艦大和転針ス」大野芳

 昭和44年10月17日、敵の上陸部隊はフィリピンの中央部東端レイテ湾口に浮かぶスルアン島に上陸を果たし、これを足がかりにレイテ島を狙っているのが明白となった。
 それに連動して日本側は、陸海軍の合同会議で決定した「捷一号作戦」を発令する。
 世界に冠たる巨大戦艦「大和」「武蔵」を擁した栗田健男中将率いる主力海上部隊栗田艦隊と、戦艦「山城」を主力とした西村祥治中将の西村艦隊は、シンガポール南百海里にあるリンガ泊地から上陸した敵部隊を殲滅するべく出撃した。
 これに呼応して志摩清英中将の志摩艦隊は台湾方面に進出し、馬公で給油しながら出撃を待つ。
 敵の注目を北に引き寄せて栗田艦隊のレイテ湾突入を成功させるための囮部隊である小沢治三郎中将の率いる機動部隊は、将旗を「瑞鶴」に掲げ、豊後水道を出て南太平洋へと進撃した。
 帝国海軍の最後の総力をあげた乾坤一擲の「レイテ作戦」が始まったのである。


 このとき、栗田艦隊を空から援護するべき在フィリピン第一航空艦隊麾下の戦闘機部隊はすでに消耗しきっていました。
 航空機の援護無しでの艦隊殴りこみなど、緒戦はともかくこの時期では自殺行為です。
 司令長官大西瀧治郎中将が苦肉の策として実施したのが、神風特別攻撃隊です。
 250キロ爆弾を積んだ零戦が敵の空母に体当たりし、艦隊に殺到する敵航空機の発艦を妨害することが目的でした。
 一機一艦を屠る特攻はある程度の戦果をあげましたが、それでも主力である栗田艦隊は敵潜水艦、敵航空機の執拗な攻撃を受け、一隻また一隻と欠けていき、ついに不沈戦艦「武蔵」も轟沈し、生き残った艦も息も絶え絶えで進撃しました。
 しかしレイテ湾を目前とした地点で、敵機動部隊(実は護衛空母群)を捕捉し、生き返ったようにこれに猛攻を加え、撃退します。ここで奇跡が起きるのです。目標としたレイテ湾が、台風の目のようにポッカリ口を開けたのですね。
 囮となった小沢機動部隊は、真珠湾以来の武勲艦である空母「瑞鶴」を沈められながら、敵機動部隊の北への釣りだしに成功、急所であるレイテ湾の防備に穴が空いたのです。
 戦艦「大和」の46センチ砲が火を吹き、敵上陸部隊や停泊艦船をなぎ倒す絶好の好機が到来したのです。
 栗田艦隊の起死回生の殴りこみ作戦は成功したかに見えました。
 ところが・・・
 旗艦である戦艦「大和」以下栗田艦隊は、レイテ湾に突入することなく、北に転針しました。
 逃げたのです。
 「我囮作戦に成功せり」という小沢機動部隊の電文と、「天佑を信じ全軍突撃せよ」の連合艦隊司令部の命令を無視して・・・
 戦艦「大和」の謎の転針。
 司令官である栗田健男は戦後も沈黙を守り、その理由は長く秘密のヴェールに覆われています。

 本作は、栗田艦隊謎の転針の原因を、謎の工作員が立案した偽の電文作戦によるとした小説です。
 こう聞けばいかにも興味をそそられそうですが、アクションあふれる戦記小説でもなく、スパイの暗躍する冒険小説でもありません。ひたすら、重苦しい小説です。
 構成は、現在(おそらく1990年くらい)と、過去(レイテ作戦前後)の両面で展開していきます。
 二人の初老の元零戦特攻隊員がかつての戦場であったフィリピンの慰霊と戦跡巡りをかねて、幼なじみの日系二世の家を訪ねるのですが、そこで思いがけない事件に遭遇してしまうのです。
 その幼なじみとは、明治に入植したミンダナオ島ダバオ在留邦人の子孫であり、フィリピン人である母を日本人の養女として戸籍を解決して海軍兵学校に入学(陸軍士官学校は多国籍だったが海兵は日本人オンリーだった)したものの、病気になって退学、太平洋戦争中はダバオで陸軍の軍属をしていました。
 レイテ作戦の前の10月12日に、軍属である藤堂なる謎の人物の来訪を受け、日本の将来を救うためと説き伏せられ、秘密作戦に従事することになります。それはミンダナオ島北端のスリガオから7人の友人と共に漁師を装ってバンカ(舟)に乗組み、船底に取り付けられた無線機で定められた電文を発信するというものでした。
 言わずもがな、これがレイテ作戦の戦局を転換するものになろうとは、思いもせぬことでした。
 彼らはその後、セブ島に漂着し、ゲリラに捕らえられ、仲間の半分が処刑されてしまいます。

 展開が不思議な本。妙にリアルで怖い。
 なぜに重苦しいかというと、ダバオの在留邦人が悲惨すぎます。
 巻末の参考文献からすると、本当にいたんだよね。
 開戦でフィリピンの敵になって、日本軍がやってきたらこき使われて、アメリカが捲土重来したらまた逃げるみたいな。
 こんな悲惨な状況を、どれだけの日本人が知っているのでしょうか。
 私はまったく知りませんでした、考えてもみませんでした。
 スパイとしては、英語も日本語もわかるので、双方の無線が聞けるのは確かですけどねえ。
 あくまでも大和の謎の転針がテーマですが、本筋はダバオ在留邦人の生涯を描く小説だったと思います。


 


 
 
 
 
 

「君死に給ふことなかれ」古川薫

 昭和19年10月、日立飛行機羽田工場の整備科員だった著者が召集のためにを会社を去る前日のこと。
 著者は、修理を手がけた最後の九三式中間練習機に、ひそかに計画していた“イタズラ”を施した。
 「栄光ノ赤トンボニ祝福ヲ。武運長久ヲ祈リツツ本機ヲ誠心整備ス。日立航空機羽田工場技手補・深田隆平」
 とのメッセージをコックピットの計器盤の九三式航空羅針儀の下に、ディバイダーの針を使い刻んだのだ。
 思いついて刻んだひとことに、コダマが返ってきたのは、終戦直前の昭和20年8月上旬だった。

 「取り急ぎ一筆します。自分は今、台湾のある基地におります。間もなく九三中練で特攻出撃します。羅針儀下の貴方の一文を発見し、最後のお別れを告げたくなりました。深田さんが誠心整備してくれた栄光の赤トンボを操縦して行きます。
 かなわぬまでもやれるだけのことはやってまいります。これは町の人にたのんで投函してもらった違法の手紙なので匿名にします。読後、焼き捨てて下さい。自分も消えます。貴方の未来に祝福を。その未来のなかに俺の時間の少しばかり入れてください。」
 昭和二十年七月二十三日 深田隆平様 M・K

 という手紙が、日立航空機羽田工場のそばに住んでいた隆平の恋人から、丹波篠山の航空通信連隊にいる隆平に転送されてきたのだった。まさか、自分の整備した九三式中間練習機通称“赤トンボ”が特攻に使われることになろうとは・・・
 赤トンボとは、翼と胴体をオレンジ色に塗ったのでそう呼ばれている複葉練習機である。
 木枠に布張り、プロペラも木製であり、エンジンだけが金属だ。100馬力程度の初歩練習機から1000馬力を超える零戦などの実用機の操縦に移る前に練習する中間練習機で、340馬力で時速210キロの速度しか出ない。
 零戦は543キロの速度を誇った。それでも爆装しても標準なら60キロ爆弾しか積めない。
 追い詰められた大本営は血迷って、この赤ちゃんのような機体に250キロ爆弾を抱えさせて、沖縄に停泊する敵艦隊に体当たりさせようとしたのだ。よたよたと必死に飛ぶ赤トンボの姿が、隆平の脳裏に浮かんだ・・・
 匿名のM・Kは誰だったのか。そして、彼はどうなったのだろう。
 戦後思わぬ形でM・Kの正体を知った著者は、奇しき繋がりの糸を追い、彼が参加した神風特攻隊第三次龍虎隊の戦跡を追うために、宮古島に向かう。

 神風特別攻撃隊第三次龍虎隊は、太平洋戦争における最後の特別攻撃隊であり、彼らが撃沈した駆逐艦キャラハンはアメリカが太平洋戦争で失った最後の軍艦です。
 驚くべきことに、この複葉練習機からなる8機(1機未突入)の特攻隊は、沖縄に遊弋する敵駆逐艦1隻を撃沈し、2隻に損害を与えて約二百名の死傷者を出さしめました。第一次、第二次の同じ赤トンボ特攻隊が全16機引き返していただけに、信じられない結果でした。敵艦からの対空射撃が布張りのためにバスバスと貫通して行き足が止まらなかったのですね。
 とはいえ、20歳の隊長である三村弘上飛曹以下18歳くらいの飛行時間300時間に満たない若鷲たちの最後はものすごく切ないです。最後が九三中練というのが少し情けない、という三村隊長の悔恨もよくわかります。
 同時に、精鋭機である爆撃機を60機も隠し持っていたくせに不要になった赤トンボで口減らしのように特攻させた台湾の司令官が本当に腹が立つ。てめえが先にとっとと死ね。
 終戦間際に受け取った手紙の差出人であるM・Kの正体が、第三次龍虎隊の先鋒としておそらく駆逐艦キャラハンに致命傷を与えたと思われる川平誠一飛曹だとわかったことが、著者が龍虎隊を調査したきかっけであり、義務でしょうが、様々な資料をですね、当時の参謀の手記とか三村隊長の同期のパイロットとか、まじえながら著者自身の見解も踏まえたのがよかったと思います。
 巻末には小説として読めと書いてありましたが、ほとんど実話でしょうね。宮古島のタクシー以外は。
 これを書かずに死ねなかったというのはよくわかりますし、書いてくれて本当によかったと思いました。
 戦後70年というのが遠いのか近いのか、戦争を知らない私ら世代にとってはそれらが幻のような感覚ではありますけども、日本人としてけっして忘れてはならないことですし、後世に伝えていかなくてはなりません。事実なのですから。
 彼らの失った青春を、そして命を、無駄にしないために。永遠に。

 背を丸め深く倒せし操縦桿
 千万無量の思い今絶つ 神風特別攻撃隊第三次龍虎隊




 
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