「応仁の乱」呉座勇一

 日本史上屈指の大乱ながら、高い知名度とは対照的に実態が知られていない「応仁の乱」を深く掘り下げた歴史解説書。
 1467(一死むなしい)とおぼえました、私は。
 あくまでも、日本史の年代暗記タグとしか、知識はありません。
 ああ、京都で起こったことも知ってた。
 それくらい。まったく興味がわいたこともありませんでね。
 これは私だけではないようで、知らなかったのですが、実は応仁の乱を題材にしたNHKの大河ドラマがあって、1994年に放映された「花の乱」というんですが、それまでの歴代最低視聴率を記録したそうです。
 戦国時代が開くきっかけとなった日本史の大事件であるにもかかわらず、なにゆえそれほど注目度が低いのでしょうか。
 それはきっと、わかりにくいからなんだと思います。
 いや、知らず知らずそう思い込んでいるといいますか。
 登場人物なんて、けっこう個性的なキャラが揃っています。
 いかにも悪役の似合う山名宗全とか、ドラマ通り優柔不断な足利将軍とか、奈良の寺の悪徳生臭坊主とか。
 赤沢宗益なんて、乱の後に出てくる人物なんですが、比叡山延暦寺を焼き討ちにしているのですよ。
 私、信長だけかと思っていました。ひょっとしたら、信長が真似をした可能性もあるということですよね。
 しかし、それも本書を読んだからこそわかったことでありまして、なぜか応仁の乱を解説した本書が売れているというニュースを聞かなければ、けっして、応仁の乱には近づくことはなかったと思うんです。

 室町時代末期の1467年から1477年まで、11年間も続いた応仁の乱。
 京都を舞台に、諸守護大名が東西に分かれて戦いました。
 東軍は幕府重鎮の細川勝元(摂津・丹波・讃岐・土佐守護)を首領に、細川成之(阿波・三河)、畠山政長(河内・紀伊・越中)、京極持清(北近江・飛騨・出雲・隠岐)など。
 西軍は新興勢力である山名宗全(但馬・播磨・安芸守護)、畠山義就(山城)、土岐成頼(美濃)、六角行高(近江)などを主力に、後から西国の実力者・大内政弘(周防・長門・豊前・筑前)が加わりました。
 「応仁記」では、両軍の兵力は東軍16万騎、西軍11万騎とも言われています。
 これだけの大戦となると、短期決戦で終わりそうなのですが、参加者の意に反して終わりませんでした。
 市街戦ですが、防御施設が進化して城塞化し、戦線が膠着したためです。うかつに攻め込めないのです。
 となるとゲリラ戦です。この頃から足軽という具足をつけない悪党のようなのが暴れまわり、絵巻物にはゴキブリみたい描かれていますが、こいつらは放火や略奪などをするので、京都の市井は荒廃しました。
 結局、東軍が西軍の補給路を塞いだことが致命的となって、西軍のほうが降伏という形になったのですが、この戦、両軍の首脳が隠居しても終わらず、病気で死んでも(1473年、山名宗全70歳、細川勝元44歳)終わらず、もちろん将軍の和議仲介など屁の河童で、参加した守護大名の意地で続いていたのです。
 この乱の後、京都に住んでいた守護大名たちは、領地のある地方に帰ることになりました。
 幕府の権威は地に落ち、もはや京都にいる値打ちはなく、地元の立て直しが必要となったからです。
 これが、結果的に戦国大名が頻出して天下を争うことになった戦国時代を生むことになるのです。

 元は山名宗全も細川勝元も敵同士ではありませんでした。
 畠山家の内紛に首を突っ込んで、お互いが引くに引けなくなったのです。
 将軍家の跡継ぎの問題も絡んでいます。
 足利義政は子がなかったので、弟の義視に継がせようとしていましたが、そのときになって義尚が生まれてしまったのです。よくある揉め事ですな。豊臣秀吉にも似たようなのがありました。
 結局、義尚が跡継ぎとなったのですが、義視は応仁の乱では西軍に担がれることになります。
 著者は応仁の乱が長引いた原因を畠山政長打倒を目指す畠山義就が、瀬戸内海を挟んで細川と対峙していた大内政弘を巻き込んで徹底抗戦したからだと書いていますが、このあたりの事情は大内はともかく、畠山は複雑です。
 何がこの時代が面倒くさいって、小さな戦乱が起こり過ぎなんですよ。
 だからこんがらがりますし、名前が似たようなのがたくさんいて、名字が同じでも敵味方ですから、ややこしいのです。
 はっきり言って、本書を読んだからといって、応仁の乱のことが半分理解できたとも思えません。
 でも、本書が参考にしている「経覚私要鈔」と「大乗院寺社雑時記」、ふたつとも興福寺の別当が応仁の乱の頃につけていた日記なんですが、これは面白かったです。当時の俗物たる僧侶が、何を考えて何を企んでいたのかよくわかります。奈良は寺社の力が強すぎるので、守護がいませんでした。強いて言えば興福寺が守護みたいなもんでした。武力もありましたし。
 この流れが戦国時代まで続くんだなあと思ったり、そういや筒井順慶の筒井氏はこんなとこから出てきたのかとか、作者も最後にちょっと匂わせてましたが、松永久秀が奈良に入ったのは半ば妖怪化した寺社の連中にとって衝撃だったと思いますね。
 ぜひとも、大河で松永久秀をやってもらいたいもんです。


 
 
 
 
 
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「遺跡でたどる邪馬台国論争」中村俊介

 横書きだから、すごい読みにくい。
 教科書読んでるような感じ。
 注釈も多いし、「本書は邪馬台国がどこかを追求したものではない」と初っ端に言っている通り一貫して逃げ腰で、ひとつの遺跡や異物の考え方に主張が異なる様々な研究者の意見を連ねているため、何がなんだかわかりません。
 せめて、「私はこう考えるけれども」みたいな感じで、別に無責任でいいのでね、主張が欲しかったなあ。あるはずだから。
 近畿論者にも九州論者にもおもねった無理がたたり、バランスがガタガタになっているような気がします。
 著者は熊本出身、朝日新聞の西部本社(福岡)の方なので、「邪馬台国は九州に間違いない。近畿? アホは寝て言え」でいいじゃないですか、売れるような本でもないんだし。
 そりゃ著者の言うこともわかりますよ、邪馬台国がどこにあるかで行き過ぎたナショナリズムのような郷土愛が伸長するようなことがあってはならない、という意味はね。
 それはもう、でもちょっと大げさだと思いますわ。
 なぜなら、邪馬台国がどこにあったかという論争は、近畿にあったでほぼ90%終結していると思いますのでね。
 やまたいこく=やまとこく、ですよ。
 箸墓古墳は陵墓参考地なので発掘が不可能ですが、今後は、どうなるかわかりません。
 邪馬台国が近畿以外にあったという可能性が再び浮上するのは、箸墓古墳に何もなかったときでしょうね。
 「親魏倭王」の金印があるとはさすがに思いませんが、被葬者には卑弥呼に繋がる何かが見つかるはずだと期待します。
 確信はありません、期待だけ(笑)
 でもね、偉そうなだけで能無しの考古学者が偏屈なこと言ってるのと、素人の期待はそう変わりませんから。
 むしろ、埋蔵文化財行政に関しては、素人の期待のほうが貢献は大なんじゃないですかね。

 著者がことわりを入れているように、邪馬台国九州説を強く主張している内容はありませんが、ほぼ遺跡などのリポートは九州産のものが扱われています。
 確かに大陸に近い北部九州が弥生時代における先進地帯であったことは間違いない事実ですが、だからといって、伊都国や奴国といった北部九州の有力国を統率する立場にあった卑弥呼率いる邪馬台国まで九州にあった必要はありません。
 2世紀末に起こった「倭国乱」の結果、共立されたのが卑弥呼であるとされているのです。
 ただ、わずか2千字程度、原稿用紙にしたら5枚の「魏志倭人伝」に、この国の成り立ちの根幹をこれだけ委ねてしまってもいいものなのでしょうかね。
 だいたい、「倭人」という言われ方も、「卑弥呼」「邪馬台国」などの見下したような漢字の当てようもまったく気に食わない。
 卑弥呼は日御子でしょう。天照皇大神でしょう。
 邪馬台国と対立していたという所在不明の狗奴国なんて、著者は「狗」は「犬」だからとクソ真面目に地名の由来まで検討していますが、蛮族だと見下しているから「狗」という字を当てたのでしょう、きまってるじゃないですか。
 邪馬台国論争は江戸時代から続いているそうですが、ハナから東方の島国と馬鹿にしている中華思想の支那人の作った雑文に、なんでこれほどああだこうだと論議しなければならないのか。
 日本という国は、文書が残されていないために国家の成り立ちがはっきりしないという、世界でも稀有な国であるわけですが、だからといって、ひとつの雑文に振り回されていいわけではないでしょう、危険ですよ。
 だいいち、邪馬台国の位置が適当なこと書いているだけでさあ、そのとおりに陸行水行すれば太平洋なんでしょ?
 その時点で、真偽を疑うべきなんじゃないですか。

 ただ、まあ、倭人伝を離れたところでは、けっこう収穫がありました。
 東遷説なんて知りませんでしたから。
 擁立された卑弥呼が九州か吉備から大和に移住したというのは、面白い。
 九州の道具類が纏向遺跡からあまり見つかっていないというのは、いくらでも説明がつくと思う。
 違う土地に染まろうという意味でね。嫁が嫁ぐからといって実家のものをたくさん持っていかないでしょう。
 人間は九州で、場所を近畿にすることで勢力のバランスをとったのかもしれません。
 おそらく、想像している以上に、その頃の交通網というか、交流は発達していたと思います。
 ちんけな船で大陸まで渡るんだから、日本国内なんて目じゃありませんよ。
 とすると、「水行10日陸行1月」というのは、シャーマンたる卑弥呼が一番大切な神殿の場所を決定するのに国内を探査して費やした日数なのかもしれません。


 
 
 
 
 

「江戸時代の通訳官」片桐一男

 江戸時代、西洋で唯一幕府との交易を許されていたオランダ。
 そのオランダ商人でさえ、貿易港は長崎に限られ、外出さえままならぬほど、きっちりと管理されていました。
 幕府は、オランダ商人が日本語を覚えることを認めませんでした。
 その昔、日本語を器用に操るポルトガルの宣教師が、瞬く間にキリスト教を布教したことに恐れをなしていたのです。
 そのため、国内においてオランダ語を聞いて話し、読んで書くことのできる日本人を確保しなければなりませんでした。
 これが「阿蘭陀通詞」という職業の始まりです。
 彼らは、長崎奉行とオランダ商館の間に立って外交、貿易交渉の事務を弁ずる通訳官兼貿易官という役目にとどまらず、オランダのカピタン(商館長)の江戸参府に際しては長距離の往復行を随行監督し、また、外国船を長崎沖で識別、貿易船の入港を許して異国船を拒絶するなど、江戸幕府の命運を握る鎖国政策の水際作戦の先頭に立っていました。
 実に、二百数十年にわたって、外交の要として活躍したのです。
 本書は、そんな知られざる実力者であった阿蘭陀通詞たちの、組織と業務、江戸参府の模様、オランダ語習得の方法などを、豊富な発見資料から解説した、一般人に対する「阿蘭陀通詞」解説書です。

 それでも難しいというか、読みにくい。
 なんで最初にクソややこしい資料を織り交ぜてのオランダ語習得をもってきたんだろ。
 最初は、2章にあった阿蘭陀通詞の組織と業務解説でよかったんではないですか。
 英語ならまだしも、似て非なるオランダ語の単語をとつとつと列挙されても、読む気になりませんわ。
 まあ、確かに植物や織物の種類など、こんな細かい単語帳がいるんかい、とびっくりしましたが。
 考えてみれば医学のためとか、江戸の方の奥方向きの御用とか、日常会話ではない専門的な単語が絶対に必要なわけですね。ちなみに本書には、8代吉宗公がペルシャ馬を注文したことが記されています。
 阿蘭陀通詞はこの命令書をオランダ語に書き直し、オランダ商人に注文するのです。
 あと、彼らの活躍ぶりを示すには、ロシアの使節が開国を迫ってきたときに応接した阿蘭陀通詞たちの対応など、イレギュラーな面も紹介してしかるべきだったのではないですか。本筋からずれるので割愛する、とは本末転倒じゃないですかね。
 実際、阿蘭陀通詞たちの中には、英語を習得したものも多くいて、江戸時代も後期になって様々な国から日本に押し寄せてきたろくでもない連中の初動接触を任されていたわけですからね。
 そんな活躍を一番読みたいのですよ、こっちは。
 日本人はオランダ語しか知らぬと英語で内緒話をしていた内容が筒抜けだった、とかね。
 オランダ語文法を体系的にまとめた画期的な通詞・馬場佐十郎の著した「西文規範」が、オランダの原書であるパーム本とどこが異なっているのか見てみよう、なんていらないんですよ。
 研究書ではなく、あくまでも一般人を対象に阿蘭陀通詞を紹介する本なわけですから、面白みがなくては値打ちがありません。あまりにも概論的な構成に終始していることが残念です。

 それでも、勉強にはなりました。
 以前にオランダカピタンの江戸参府旅行の本を読んだことがあって、確かケンペルだったかな医者の、オランダ人視点で書かれていたものですが、散布に随行している大通詞に対する嫌悪感みたいなものがありました。偉そうでしたし。
 ですから、通詞というのは官僚的なものなんだろうと思っていたのですが、残されている資料からすると、どうも違うような感じですね。もっと、オランダのカピタンと阿蘭陀通詞たちの距離は近かったようです。
 何事にも例外があることは言うまでもないことですが。
 意外ですが、阿蘭陀通詞は長崎の町人格でした。長崎奉行が任命権者で、口稽古、稽古通詞、小通詞末席、小通詞並、小通詞助役、そして正規のメンバーである各4名の小通詞・大通詞と細かく職階が分かれています。
 大通詞で5人扶持銀11貫、小通詞で3人扶持銀5貫という給料が高いのか安いのかわかりません。
 世襲で職に就く場合が多かったようですが、その後の出世は、オランダ語の実務能力はもとより、外国人を相手にするという機転力や判断力など、その人物の実力が正当に評価される、この時代では珍しい職種であったかもしれませんね。
 ちなみに、オランダ商館長へ遊女をお世話することも通詞の仕事のうちです。
 中には、1ヶ月中27日間も遊女を上げていたカピタンもいました。
 請求書が残っているので、間違いありません。
 色仕掛けで懐柔し、世界を股にかけるオランダ商人を骨抜きにすることが、実は通詞の一番大切な仕事だったりして・・・


 
 
 
 
 

「忍者の歴史」山田雄司

 ニンジャはスシと並んで外国人が最も日本をイメージする単語ではないでしょうかね。
 MLBや欧州リーグで日本人選手が活躍すると、「あいつはニンジャだ」とか言われている記事を見かけます。
 華やかな武士の影に隠れた裏方の存在であった“ニンジャ”は、いまやクール・ジャパンの代表格なのです。
 なんたる、歴史のいたずら。
 しかし、外国人はともかく、我々日本人が、忍者のことをどれだけ知っているでしょうか。
 言うまでもなく、黒装束に身を包み手裏剣を打つという忍者のイメージは、虚像です。
 映画でよく見かける女忍者のくノ一も、戦後女性の社会進出に伴って生まれたフィクションです。
 だいいち、“忍者”という言葉自体が、昭和30年代になって定着したものだというのですね。
 本書は、忍者研究の第一人者である著者が、豊富な資料を通じて忍術の歴史をひも解き、忍者の真の姿を明らかにしたものです。はたして忍者とはいったい何者だったのでしょうか・・・

 忍者という名詞がなかったのならば、なんて言われていたというと、「忍び」。他にも、奪口、透破、乱波、風間、草、かまり、軒猿、やまくぐりなど、地方によって呼び方は違っていたようです。
 忍び(以下忍者)の存在が史料上確認ができるのは、南北朝時代(1336~1392)以後で、その起源は13世紀後半に荘園制支配に抵抗した悪党(中世に既存支配体系へ対抗した者・階層)にあると考えられています。
 戦国時代という時代背景は、常に国内外の動向に注意し情報を得なければ生き残れないため、忍者の需要が生まれたのです。歴史上有名な忍者使いとして、伊勢義盛、楠木正成父子、織田信長、毛利元就、武田信玄、上杉謙信などが知られています。
 忍者の最も重要な職務は、城の構造であるとか兵糧の数といった敵方の情報を伝えることです。
 戦う前に敵の戦力を知ることは、誰にとっても当たり前です。
 ですから、争いがあるところには、忍者の存在が不可欠なわけです。
 このことはスパイが暗躍する現代でも変わりませんし、また場所を選びません。
 すなわち、私が本書を読んだ結論として思ったのは、忍者とは工作員に他ならないということです。
 同時に浮かんだ疑問は、戦いのあるところ歴史上世界各地に工作員は存在したはずなのに、なぜ日本の忍者だけが有名であるのか、ということでした。
 これに対する答えは本書にはありませんので想像するしかないのですが、もちろん、ニンジャは虚像です。しかし、たとえ虚像でも忍者は実在したわけですから、その元となった忍者という独特な工作員を生み出す背景が、日本の風土にあったということは間違いありません。
 では本来ならば影の存在であるのに、なぜ派手に見えるのか。
 本書で詳しく紹介されている延宝4年(1676)に伊賀郷士の子孫である藤林保武によって編纂された忍術書の決定版「万川集海」によれば、潜入術、火術や狼煙などの情報伝達方法、非常食から呪術に至るまで忍術とは非常に複雑です。
 家に忍びこむ時に犬の嗅覚は一番邪魔だから、汗の臭いを消すために脇を小便で洗えとまで書いてあります。
 水蜘蛛は使えないことで有名ですが、本書によると、本当の使い方は足に履くのではなく浮き輪らしいですね。
 それならば納得。十分、使用できるはずです。よくあれを足に履いて水面を走らされていますが、あれは嘘です。
 また、火術はとても詳述されているようです。日本の家は木でできていますから、忍者は破壊活動の一環として火付けを行います。同じように根来衆のように鉄砲を得意とする忍者の系統も存在していました。
 これらのことも、武士の先頭に立って工作活動を展開した日本の忍者が多芸で派手に見える原因ではないですかね。
 「忍」という漢字、刃の下に心、つまり何事にも動じない心の持ち方が必要とされた日本的精神も、人気の一端でしょう。

 「万川集海」の他にも「正忍伝」や「忍秘伝」など江戸時代初期に書かれた忍術奥義書が本書の根拠となっていますが、意外にも武術関係の記述はほとんどありません。
 手裏剣というものを本当に使っていたのかさえ、なんだか怪しく思われます。
 忍者に必要なのは、肉体的強靭さよりも才覚であるそうです。
 他国人とコミュニケーションがとれる潜入対応力、とっさの危機管理判断力、情報をインプットする記憶力などですね。
 死が美しいとさえ言われる武士道とは、忍者はまったく反対なのです。
 情報を伝えるというその役目を果たすためには、相手と戦うなどもってのほかで、絶対に命を落としてはならず生き抜いて貴重な情報を味方に教えなくてはならないからです。
 中世にここまで高めることのできた、忍術という高度な実戦の情報戦能力を伝統として持ちながら、日本は愚かにも近代になって糞の役にも立たない武士道という感傷的怠惰によって、戦争に負け、国が滅亡の淵に立たされました。
 どこでどう、間違ったのでしょうね。


 
 
 
 
 
 
 
 
 

「継体天皇と朝鮮半島の謎」水谷千秋

 前著「謎の大王 継体天皇」から約10年、新たな研究成果を踏まえて日本古代史の謎に迫ります。
 “開かずの扉”は開きますかどうか・・・

 6世紀初頭、子供のなかった武烈天皇の後継として即位したのが、継体天皇(男大迹王)です。
 この方、父も祖父も曽祖父も天皇ではありません。
 わずかに血筋は応神天皇の5世孫という、はるかに薄い傍系の血筋でした。
 しかも、大和政権の首府たる奈良盆地にはいませんでした。今の滋賀県の出身です。
 このことから、継体天皇は天皇の血筋には関係のない、地方豪族が政権を簒奪したのではないかとも言われています。
 歴史の辻褄を合わせるために後世の日本書紀や古事記が仕方なく「応神天皇五世孫」という肩書を与えたのだと。
 大王に相応しい家柄ではなく、普通のおっさんではなかったのかと。
 そうだとすれば、神武以来万世一系という日本の天皇家が世界に誇る血筋はここで途絶えていることになります。
 しかし著者は、血筋は薄いとはいえ、王族に間違いはないと前著で論証しました。
 でも論証と書けば格好いいですが、しょせんあやふやな古代の事象ですからねえ。
 そこで今回は、継体天皇の真墓で間違いないという高槻市の今城塚古墳の考古学的発掘資料も踏まえ、当時の日本と朝鮮半島の関係を紐解きながら、地方出身者たる継体天皇が大和政権の大王に即位したその背景に迫り、どのようなプロセスでもって継体天皇が即位できたのか、大胆な推測をまじえながら解説しています。

 まあ、なあ。
 タイトルに「謎」と付ければいいというもんではないと思いますけど。
 二匹目のどじょうはいたのでしょうか。あまり今回は、要点がまとまってなかったように思いますねえ。
 最後の、継体天皇は渡海経験(朝鮮半島)があった! は面白かったけど。
 確かにないとはいえない。
 韓国でその当時日本から渡った豪族の首長たちの前方後円墳が多数見つかってるのは事実です。
 朝鮮半島の南の国家である百済や伽那では政権に参画し、高句麗や新羅との戦に援軍していたのです。
 むしろ、彼のバックグラウンドに秦氏やら河内馬飼首やら有力渡来人がいたのは、彼と大陸に強烈なコネがあった所以のせいかもわかりません。日本と仲の良かった百済の武寧王とは個人的な親密関係もあったようですし。
 当時に、日本国内にこれほど渡来人が多かったとか思いませんでしたけど。
 確かに、高知の戦国大名である長宗我部氏は祖先を渡来の秦氏であると公に名乗っていたくらいですからね。
 でも五世紀にして、日本の政局を揺るがすくらいの勢力を渡来人が持っていたんだねえ。
 正直、これほど地方含め日本国内と朝鮮半島に交流があったとは思いませんでした。
 言葉とか、船とか、どうなっていたのかなあ。
 おそらく即位するまでの継体天皇は、近江か母の実家がある越前で半島との交易で力を蓄え、さらに地の利を生かして尾張や美濃にも影響力を持ち、さらには考古学的発見によると彼の墓には阿蘇の石が使われていますから、九州の有力豪族とも関係があったのでしょう、たとえはごく悪いかもしれませんが、田中角栄みたいな人だったんじゃないですか。
 即位21年目に起こった、中央と九州の一大戦争である筑紫君磐井の乱の背景はよくわからないけど。

 57歳で天皇になってるんですよね。
 ですから、それまでに十分、地方で実力を蓄え、大和政権内でも有名人であったはずです。
 三顧の礼ではないですが、後継ぎのない武烈天皇が亡くなり、大伴氏や物部氏ら政権の有力者が、政権をまとめるために、血筋は薄いにしても一応王族である継体天皇に白羽の矢を立てたのではないですか。
 今でも、選挙で有名人を立てるのと一緒ですよ。
 それでも彼は、即位してから20年間、大和盆地に入れませんでした。
 対抗する勢力がいたからです。
 おそらく、本書で書かれている以上に、当時の日本は揉めていたんだと思うんですよ。
 だからこそ、本来なら五世孫など問題にならないくらい、血筋的には正当な天皇候補がいたはずなのに、本当の力がある政経の実力者が選ばれたということでしょうね。
 五経博士(儒学の古典を教授する学者)を百済から戦闘の援軍や朝鮮半島の領地の代わりに貰い受けたのは、腕力一辺倒ではなく、日本に足りないのは教養ではないかと見抜く先見の明があったということです。
 海外の土地を踏んだからこそ、カルチャーショックで日本に必要なものがわかっていた?
 著者のいう継体天皇海外体験説も、あながち空想ではないということです。



 
 
 
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