「日本古代史を科学する」中田力

 著者は脳神経外科医で複雑系脳科学の世界的権威(自称)。
 自然科学者の視点から、非論理的な結論が長年定説とされてきた日本の歴史に考察を加え、邪馬台国はどこにあったのかという日本史最大のミステリーから、記紀(古事記と日本書紀)に記載された神話の謎解きまで、独自の日本創生の見解を示したのが本書です。

 これが新書ですからねえ、うーん。自費出版みたいな内容だけど。
 でも8刷だってよ、めっちゃ売れてる(初版2012年)。
 私的には邪馬台国よりも、本書が8刷売れているほうがよほどミステリーですわ。
 まあ、私もそのうちのひとりか(笑)
 騙されたなあ。こんな読みにくい本はありませんわ。
 ただただ、読みにくくて理解がしにくい。納得がいきにくい。
 結論からいうと、邪馬台国は日向灘に面した宮崎県にあったということ、中国の上海らへんにあった周王朝の末裔が縄文人を駆逐して大和朝廷を建国したことなどが書かれています。
 これだけだと別にいいんですけどね。
 著者は魏志倭人伝に記されている国と国との距離「里」を、現在の中国で適用されている1里=500メートルではなく、1里=60メートルで計算し、グーグルアースを駆使して中国の官吏が通った道を模索しました。
 その結果、伊都国、奴国、不弥国が佐賀平野にあったことを推定し、不弥国から水行20日の投馬国を熊本、投馬国から水行10日陸行1月で行ける邪馬台国を、宮崎平野にあったと断定しています。
 いいんじゃない。本当に宮崎かもしれないし。吉野ヶ里遺跡は佐賀だしね。
 卑弥呼の墓が前方後円墳であると決めつけた日本考古学の論理はおかしい、九州に墓がないからといって邪馬台国が九州にないとは言い切れないという著者の意見もまたその通りですよ。
 まあ、私は畿内に違いないと今でも思っていますけどね。ヤマタイ=ヤマトいう名前だけでもう決まりきまたいな。
 言うだけは自由。邪馬台国は宮崎かもしれないし徳島かもしれないし、岩手かもしれません。
 ただね。著者が説明することころの、水行の1日が3キロメートルくらいしか進まないのはおかしいと思います。
 いくら倭舟がボロでも、1日かかって3キロしか進まないってどんな舟なのよ。
 それだったら、面倒くさくても歩いていきませんか? 佐賀から熊本までなんですから。
 それはおかしいよ。はじめから宮崎あたりを落とし所として想定していたとしか思えませんね。
 日本の考古学が、非科学的でバカばかりというのは当たっていると思いますけども。

 あと日本民族のルーツといいますか、解釈ね。
 著者いわくY染色体ハプロタイプ解析によると、日本人はモンゴル人や中国人にはまったく見られないチベット系と似たDNAを持っているそうです。これは、上海あたりで隆盛し紀元前473年に滅亡した姫姓の呉という国(周王朝の末裔)が難を逃れて日本にやってきて、それが弥生時代の幕開けとなったと著者は説明しています。
 まあ、何かはきただろうね。それが弥生時代の幕開けがどうかは知りませんが、縄文人と弥生人は顔が違います。
 私なんかは、もろのっぺりとした弥生顔なので先祖は大陸かもしれない。まあ、いいですよ。朝鮮も支那も嫌いだけど。
 ただね、邪馬台国の起源は迫害を逃れた徐福の渡来であるという説は、いささか冒険にすぎるのではないかと思います。
 出雲は姫姓の呉の次に滅亡した越という国の難民が建てたみたいなことも書いてたな。
 そんなに王朝が滅亡するたびに日本にやってきませんよ、海だってあるんだから。
 だいたい彼らが国を作ったならば、文書を残しているはずだと思います。
 それに、邪馬台国を構成した人物がヒミコとかイトとかみたいな名前にはなっていませんよ。
 蛮族と差別されて卑しい漢字(奴国、卑弥呼など)を使われたら、プライドが許さないと思いますし。
 もちろん、かなりの数が渡来してきているのは間違いないですがね。
 大陸と縁を切って日本人に成り切っても、なんの文書も残していないのというのはやはりおかしい。
 政権の中枢には縄文人かどうかはともかくとして、純粋な日本人がいたのだと思います。

 つまるところ、あとがきで書いてらっしゃる「意味のない権威主義から解放された正しい歴史感」という意味がまったくわからない私にとって、本書は次元が違っていたのかもしれませんねえ。もろ権威臭を感じさせる本でした。


 
 
 
 
 
 
スポンサーサイト

「応仁の乱」呉座勇一

 日本史上屈指の大乱ながら、高い知名度とは対照的に実態が知られていない「応仁の乱」を深く掘り下げた歴史解説書。
 1467(一死むなしい)とおぼえました、私は。
 あくまでも、日本史の年代暗記タグとしか、知識はありません。
 ああ、京都で起こったことも知ってた。
 それくらい。まったく興味がわいたこともありませんでね。
 これは私だけではないようで、知らなかったのですが、実は応仁の乱を題材にしたNHKの大河ドラマがあって、1994年に放映された「花の乱」というんですが、それまでの歴代最低視聴率を記録したそうです。
 戦国時代が開くきっかけとなった日本史の大事件であるにもかかわらず、なにゆえそれほど注目度が低いのでしょうか。
 それはきっと、わかりにくいからなんだと思います。
 いや、知らず知らずそう思い込んでいるといいますか。
 登場人物なんて、けっこう個性的なキャラが揃っています。
 いかにも悪役の似合う山名宗全とか、ドラマ通り優柔不断な足利将軍とか、奈良の寺の悪徳生臭坊主とか。
 赤沢宗益なんて、乱の後に出てくる人物なんですが、比叡山延暦寺を焼き討ちにしているのですよ。
 私、信長だけかと思っていました。ひょっとしたら、信長が真似をした可能性もあるということですよね。
 しかし、それも本書を読んだからこそわかったことでありまして、なぜか応仁の乱を解説した本書が売れているというニュースを聞かなければ、けっして、応仁の乱には近づくことはなかったと思うんです。

 室町時代末期の1467年から1477年まで、11年間も続いた応仁の乱。
 京都を舞台に、諸守護大名が東西に分かれて戦いました。
 東軍は幕府重鎮の細川勝元(摂津・丹波・讃岐・土佐守護)を首領に、細川成之(阿波・三河)、畠山政長(河内・紀伊・越中)、京極持清(北近江・飛騨・出雲・隠岐)など。
 西軍は新興勢力である山名宗全(但馬・播磨・安芸守護)、畠山義就(山城)、土岐成頼(美濃)、六角行高(近江)などを主力に、後から西国の実力者・大内政弘(周防・長門・豊前・筑前)が加わりました。
 「応仁記」では、両軍の兵力は東軍16万騎、西軍11万騎とも言われています。
 これだけの大戦となると、短期決戦で終わりそうなのですが、参加者の意に反して終わりませんでした。
 市街戦ですが、防御施設が進化して城塞化し、戦線が膠着したためです。うかつに攻め込めないのです。
 となるとゲリラ戦です。この頃から足軽という具足をつけない悪党のようなのが暴れまわり、絵巻物にはゴキブリみたい描かれていますが、こいつらは放火や略奪などをするので、京都の市井は荒廃しました。
 結局、東軍が西軍の補給路を塞いだことが致命的となって、西軍のほうが降伏という形になったのですが、この戦、両軍の首脳が隠居しても終わらず、病気で死んでも(1473年、山名宗全70歳、細川勝元44歳)終わらず、もちろん将軍の和議仲介など屁の河童で、参加した守護大名の意地で続いていたのです。
 この乱の後、京都に住んでいた守護大名たちは、領地のある地方に帰ることになりました。
 幕府の権威は地に落ち、もはや京都にいる値打ちはなく、地元の立て直しが必要となったからです。
 これが、結果的に戦国大名が頻出して天下を争うことになった戦国時代を生むことになるのです。

 元は山名宗全も細川勝元も敵同士ではありませんでした。
 畠山家の内紛に首を突っ込んで、お互いが引くに引けなくなったのです。
 将軍家の跡継ぎの問題も絡んでいます。
 足利義政は子がなかったので、弟の義視に継がせようとしていましたが、そのときになって義尚が生まれてしまったのです。よくある揉め事ですな。豊臣秀吉にも似たようなのがありました。
 結局、義尚が跡継ぎとなったのですが、義視は応仁の乱では西軍に担がれることになります。
 著者は応仁の乱が長引いた原因を畠山政長打倒を目指す畠山義就が、瀬戸内海を挟んで細川と対峙していた大内政弘を巻き込んで徹底抗戦したからだと書いていますが、このあたりの事情は大内はともかく、畠山は複雑です。
 何がこの時代が面倒くさいって、小さな戦乱が起こり過ぎなんですよ。
 だからこんがらがりますし、名前が似たようなのがたくさんいて、名字が同じでも敵味方ですから、ややこしいのです。
 はっきり言って、本書を読んだからといって、応仁の乱のことが半分理解できたとも思えません。
 でも、本書が参考にしている「経覚私要鈔」と「大乗院寺社雑時記」、ふたつとも興福寺の別当が応仁の乱の頃につけていた日記なんですが、これは面白かったです。当時の俗物たる僧侶が、何を考えて何を企んでいたのかよくわかります。奈良は寺社の力が強すぎるので、守護がいませんでした。強いて言えば興福寺が守護みたいなもんでした。武力もありましたし。
 この流れが戦国時代まで続くんだなあと思ったり、そういや筒井順慶の筒井氏はこんなとこから出てきたのかとか、作者も最後にちょっと匂わせてましたが、松永久秀が奈良に入ったのは半ば妖怪化した寺社の連中にとって衝撃だったと思いますね。
 ぜひとも、大河で松永久秀をやってもらいたいもんです。


 
 
 
 
 

「遺跡でたどる邪馬台国論争」中村俊介

 横書きだから、すごい読みにくい。
 教科書読んでるような感じ。
 注釈も多いし、「本書は邪馬台国がどこかを追求したものではない」と初っ端に言っている通り一貫して逃げ腰で、ひとつの遺跡や異物の考え方に主張が異なる様々な研究者の意見を連ねているため、何がなんだかわかりません。
 せめて、「私はこう考えるけれども」みたいな感じで、別に無責任でいいのでね、主張が欲しかったなあ。あるはずだから。
 近畿論者にも九州論者にもおもねった無理がたたり、バランスがガタガタになっているような気がします。
 著者は熊本出身、朝日新聞の西部本社(福岡)の方なので、「邪馬台国は九州に間違いない。近畿? アホは寝て言え」でいいじゃないですか、売れるような本でもないんだし。
 そりゃ著者の言うこともわかりますよ、邪馬台国がどこにあるかで行き過ぎたナショナリズムのような郷土愛が伸長するようなことがあってはならない、という意味はね。
 それはもう、でもちょっと大げさだと思いますわ。
 なぜなら、邪馬台国がどこにあったかという論争は、近畿にあったでほぼ90%終結していると思いますのでね。
 やまたいこく=やまとこく、ですよ。
 箸墓古墳は陵墓参考地なので発掘が不可能ですが、今後は、どうなるかわかりません。
 邪馬台国が近畿以外にあったという可能性が再び浮上するのは、箸墓古墳に何もなかったときでしょうね。
 「親魏倭王」の金印があるとはさすがに思いませんが、被葬者には卑弥呼に繋がる何かが見つかるはずだと期待します。
 確信はありません、期待だけ(笑)
 でもね、偉そうなだけで能無しの考古学者が偏屈なこと言ってるのと、素人の期待はそう変わりませんから。
 むしろ、埋蔵文化財行政に関しては、素人の期待のほうが貢献は大なんじゃないですかね。

 著者がことわりを入れているように、邪馬台国九州説を強く主張している内容はありませんが、ほぼ遺跡などのリポートは九州産のものが扱われています。
 確かに大陸に近い北部九州が弥生時代における先進地帯であったことは間違いない事実ですが、だからといって、伊都国や奴国といった北部九州の有力国を統率する立場にあった卑弥呼率いる邪馬台国まで九州にあった必要はありません。
 2世紀末に起こった「倭国乱」の結果、共立されたのが卑弥呼であるとされているのです。
 ただ、わずか2千字程度、原稿用紙にしたら5枚の「魏志倭人伝」に、この国の成り立ちの根幹をこれだけ委ねてしまってもいいものなのでしょうかね。
 だいたい、「倭人」という言われ方も、「卑弥呼」「邪馬台国」などの見下したような漢字の当てようもまったく気に食わない。
 卑弥呼は日御子でしょう。天照皇大神でしょう。
 邪馬台国と対立していたという所在不明の狗奴国なんて、著者は「狗」は「犬」だからとクソ真面目に地名の由来まで検討していますが、蛮族だと見下しているから「狗」という字を当てたのでしょう、きまってるじゃないですか。
 邪馬台国論争は江戸時代から続いているそうですが、ハナから東方の島国と馬鹿にしている中華思想の支那人の作った雑文に、なんでこれほどああだこうだと論議しなければならないのか。
 日本という国は、文書が残されていないために国家の成り立ちがはっきりしないという、世界でも稀有な国であるわけですが、だからといって、ひとつの雑文に振り回されていいわけではないでしょう、危険ですよ。
 だいいち、邪馬台国の位置が適当なこと書いているだけでさあ、そのとおりに陸行水行すれば太平洋なんでしょ?
 その時点で、真偽を疑うべきなんじゃないですか。

 ただ、まあ、倭人伝を離れたところでは、けっこう収穫がありました。
 東遷説なんて知りませんでしたから。
 擁立された卑弥呼が九州か吉備から大和に移住したというのは、面白い。
 九州の道具類が纏向遺跡からあまり見つかっていないというのは、いくらでも説明がつくと思う。
 違う土地に染まろうという意味でね。嫁が嫁ぐからといって実家のものをたくさん持っていかないでしょう。
 人間は九州で、場所を近畿にすることで勢力のバランスをとったのかもしれません。
 おそらく、想像している以上に、その頃の交通網というか、交流は発達していたと思います。
 ちんけな船で大陸まで渡るんだから、日本国内なんて目じゃありませんよ。
 とすると、「水行10日陸行1月」というのは、シャーマンたる卑弥呼が一番大切な神殿の場所を決定するのに国内を探査して費やした日数なのかもしれません。


 
 
 
 
 

「江戸時代の通訳官」片桐一男

 江戸時代、西洋で唯一幕府との交易を許されていたオランダ。
 そのオランダ商人でさえ、貿易港は長崎に限られ、外出さえままならぬほど、きっちりと管理されていました。
 幕府は、オランダ商人が日本語を覚えることを認めませんでした。
 その昔、日本語を器用に操るポルトガルの宣教師が、瞬く間にキリスト教を布教したことに恐れをなしていたのです。
 そのため、国内においてオランダ語を聞いて話し、読んで書くことのできる日本人を確保しなければなりませんでした。
 これが「阿蘭陀通詞」という職業の始まりです。
 彼らは、長崎奉行とオランダ商館の間に立って外交、貿易交渉の事務を弁ずる通訳官兼貿易官という役目にとどまらず、オランダのカピタン(商館長)の江戸参府に際しては長距離の往復行を随行監督し、また、外国船を長崎沖で識別、貿易船の入港を許して異国船を拒絶するなど、江戸幕府の命運を握る鎖国政策の水際作戦の先頭に立っていました。
 実に、二百数十年にわたって、外交の要として活躍したのです。
 本書は、そんな知られざる実力者であった阿蘭陀通詞たちの、組織と業務、江戸参府の模様、オランダ語習得の方法などを、豊富な発見資料から解説した、一般人に対する「阿蘭陀通詞」解説書です。

 それでも難しいというか、読みにくい。
 なんで最初にクソややこしい資料を織り交ぜてのオランダ語習得をもってきたんだろ。
 最初は、2章にあった阿蘭陀通詞の組織と業務解説でよかったんではないですか。
 英語ならまだしも、似て非なるオランダ語の単語をとつとつと列挙されても、読む気になりませんわ。
 まあ、確かに植物や織物の種類など、こんな細かい単語帳がいるんかい、とびっくりしましたが。
 考えてみれば医学のためとか、江戸の方の奥方向きの御用とか、日常会話ではない専門的な単語が絶対に必要なわけですね。ちなみに本書には、8代吉宗公がペルシャ馬を注文したことが記されています。
 阿蘭陀通詞はこの命令書をオランダ語に書き直し、オランダ商人に注文するのです。
 あと、彼らの活躍ぶりを示すには、ロシアの使節が開国を迫ってきたときに応接した阿蘭陀通詞たちの対応など、イレギュラーな面も紹介してしかるべきだったのではないですか。本筋からずれるので割愛する、とは本末転倒じゃないですかね。
 実際、阿蘭陀通詞たちの中には、英語を習得したものも多くいて、江戸時代も後期になって様々な国から日本に押し寄せてきたろくでもない連中の初動接触を任されていたわけですからね。
 そんな活躍を一番読みたいのですよ、こっちは。
 日本人はオランダ語しか知らぬと英語で内緒話をしていた内容が筒抜けだった、とかね。
 オランダ語文法を体系的にまとめた画期的な通詞・馬場佐十郎の著した「西文規範」が、オランダの原書であるパーム本とどこが異なっているのか見てみよう、なんていらないんですよ。
 研究書ではなく、あくまでも一般人を対象に阿蘭陀通詞を紹介する本なわけですから、面白みがなくては値打ちがありません。あまりにも概論的な構成に終始していることが残念です。

 それでも、勉強にはなりました。
 以前にオランダカピタンの江戸参府旅行の本を読んだことがあって、確かケンペルだったかな医者の、オランダ人視点で書かれていたものですが、散布に随行している大通詞に対する嫌悪感みたいなものがありました。偉そうでしたし。
 ですから、通詞というのは官僚的なものなんだろうと思っていたのですが、残されている資料からすると、どうも違うような感じですね。もっと、オランダのカピタンと阿蘭陀通詞たちの距離は近かったようです。
 何事にも例外があることは言うまでもないことですが。
 意外ですが、阿蘭陀通詞は長崎の町人格でした。長崎奉行が任命権者で、口稽古、稽古通詞、小通詞末席、小通詞並、小通詞助役、そして正規のメンバーである各4名の小通詞・大通詞と細かく職階が分かれています。
 大通詞で5人扶持銀11貫、小通詞で3人扶持銀5貫という給料が高いのか安いのかわかりません。
 世襲で職に就く場合が多かったようですが、その後の出世は、オランダ語の実務能力はもとより、外国人を相手にするという機転力や判断力など、その人物の実力が正当に評価される、この時代では珍しい職種であったかもしれませんね。
 ちなみに、オランダ商館長へ遊女をお世話することも通詞の仕事のうちです。
 中には、1ヶ月中27日間も遊女を上げていたカピタンもいました。
 請求書が残っているので、間違いありません。
 色仕掛けで懐柔し、世界を股にかけるオランダ商人を骨抜きにすることが、実は通詞の一番大切な仕事だったりして・・・


 
 
 
 
 

「忍者の歴史」山田雄司

 ニンジャはスシと並んで外国人が最も日本をイメージする単語ではないでしょうかね。
 MLBや欧州リーグで日本人選手が活躍すると、「あいつはニンジャだ」とか言われている記事を見かけます。
 華やかな武士の影に隠れた裏方の存在であった“ニンジャ”は、いまやクール・ジャパンの代表格なのです。
 なんたる、歴史のいたずら。
 しかし、外国人はともかく、我々日本人が、忍者のことをどれだけ知っているでしょうか。
 言うまでもなく、黒装束に身を包み手裏剣を打つという忍者のイメージは、虚像です。
 映画でよく見かける女忍者のくノ一も、戦後女性の社会進出に伴って生まれたフィクションです。
 だいいち、“忍者”という言葉自体が、昭和30年代になって定着したものだというのですね。
 本書は、忍者研究の第一人者である著者が、豊富な資料を通じて忍術の歴史をひも解き、忍者の真の姿を明らかにしたものです。はたして忍者とはいったい何者だったのでしょうか・・・

 忍者という名詞がなかったのならば、なんて言われていたというと、「忍び」。他にも、奪口、透破、乱波、風間、草、かまり、軒猿、やまくぐりなど、地方によって呼び方は違っていたようです。
 忍び(以下忍者)の存在が史料上確認ができるのは、南北朝時代(1336~1392)以後で、その起源は13世紀後半に荘園制支配に抵抗した悪党(中世に既存支配体系へ対抗した者・階層)にあると考えられています。
 戦国時代という時代背景は、常に国内外の動向に注意し情報を得なければ生き残れないため、忍者の需要が生まれたのです。歴史上有名な忍者使いとして、伊勢義盛、楠木正成父子、織田信長、毛利元就、武田信玄、上杉謙信などが知られています。
 忍者の最も重要な職務は、城の構造であるとか兵糧の数といった敵方の情報を伝えることです。
 戦う前に敵の戦力を知ることは、誰にとっても当たり前です。
 ですから、争いがあるところには、忍者の存在が不可欠なわけです。
 このことはスパイが暗躍する現代でも変わりませんし、また場所を選びません。
 すなわち、私が本書を読んだ結論として思ったのは、忍者とは工作員に他ならないということです。
 同時に浮かんだ疑問は、戦いのあるところ歴史上世界各地に工作員は存在したはずなのに、なぜ日本の忍者だけが有名であるのか、ということでした。
 これに対する答えは本書にはありませんので想像するしかないのですが、もちろん、ニンジャは虚像です。しかし、たとえ虚像でも忍者は実在したわけですから、その元となった忍者という独特な工作員を生み出す背景が、日本の風土にあったということは間違いありません。
 では本来ならば影の存在であるのに、なぜ派手に見えるのか。
 本書で詳しく紹介されている延宝4年(1676)に伊賀郷士の子孫である藤林保武によって編纂された忍術書の決定版「万川集海」によれば、潜入術、火術や狼煙などの情報伝達方法、非常食から呪術に至るまで忍術とは非常に複雑です。
 家に忍びこむ時に犬の嗅覚は一番邪魔だから、汗の臭いを消すために脇を小便で洗えとまで書いてあります。
 水蜘蛛は使えないことで有名ですが、本書によると、本当の使い方は足に履くのではなく浮き輪らしいですね。
 それならば納得。十分、使用できるはずです。よくあれを足に履いて水面を走らされていますが、あれは嘘です。
 また、火術はとても詳述されているようです。日本の家は木でできていますから、忍者は破壊活動の一環として火付けを行います。同じように根来衆のように鉄砲を得意とする忍者の系統も存在していました。
 これらのことも、武士の先頭に立って工作活動を展開した日本の忍者が多芸で派手に見える原因ではないですかね。
 「忍」という漢字、刃の下に心、つまり何事にも動じない心の持ち方が必要とされた日本的精神も、人気の一端でしょう。

 「万川集海」の他にも「正忍伝」や「忍秘伝」など江戸時代初期に書かれた忍術奥義書が本書の根拠となっていますが、意外にも武術関係の記述はほとんどありません。
 手裏剣というものを本当に使っていたのかさえ、なんだか怪しく思われます。
 忍者に必要なのは、肉体的強靭さよりも才覚であるそうです。
 他国人とコミュニケーションがとれる潜入対応力、とっさの危機管理判断力、情報をインプットする記憶力などですね。
 死が美しいとさえ言われる武士道とは、忍者はまったく反対なのです。
 情報を伝えるというその役目を果たすためには、相手と戦うなどもってのほかで、絶対に命を落としてはならず生き抜いて貴重な情報を味方に教えなくてはならないからです。
 中世にここまで高めることのできた、忍術という高度な実戦の情報戦能力を伝統として持ちながら、日本は愚かにも近代になって糞の役にも立たない武士道という感傷的怠惰によって、戦争に負け、国が滅亡の淵に立たされました。
 どこでどう、間違ったのでしょうね。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
NEXT≫
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (91)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (17)
ファンタジックミステリー (21)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (20)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (12)
時代人情小説・ミステリー (17)
時代冒険小説・ミステリー (18)
社会小説・ミステリー (14)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (27)
海外冒険小説・スリラー (16)
SF・FT・ホラー (24)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (28)
中間小説 (21)
青春・恋愛小説 (30)
家族小説・ヒューマンドラマ (30)
背徳小説・情痴文学 (13)
戦記小説・戦争文学 (17)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (21)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (17)
文学文芸・私小説 (23)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (52)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (143)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (44)
事件・事故 (35)
世界情勢・国際関係 (23)
スポーツ・武術 (22)
探検・旅行記 (19)
随筆・エッセイ (28)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示