「狗賓童子の島」飯嶋和一

 第19回(2015年度)司馬遼太郎賞受賞作です。
 飯星和一は、作品数こそ少ないですが、「出せば傑作」という、知る人ぞ知る有名作家。
 私は恥ずかしながら、知りませんでした。本作が初めてです。
 普段は気にしないamazonのレビューが異様に高く、逆に心配になりましたが、読んでみれば納得。
 ハードカバー550ページに文字がみっちり。大河小説とでもいうべき、濃密な物語でしたね。
 読み終えて、充実感がハンパないです。
 一片の手抜きもなく、渾身で書き上げられた、結晶のような完成品でした。

 舞台は、江戸幕末、隠岐の島。
 隠岐の島は、神々の住むという出雲から北東へ海上二十里も離れた島々で、大小180余からなる島の総称である。
 人の住む島は4つで、西ノ島・中ノ島・知夫里の三島周辺を「島前」、最も大きく、人々が多く住む島は「島後」と言われている。我々が普通に呼ぶところの“隠岐の島”は、島後のことである。
 古来より、後鳥羽上皇や後醍醐天皇が配流されたことをはじめ、罪人の流刑島として知られてきた。
 弘化3年陰暦5月の終わり、島後最大の港である西郷港に、数え15歳の小柄な少年が流人として送られてくる。
 少年の名は、西村常太郎。河内の出身。
 彼は、9年前の大塩平八郎の乱で蜂起した大塩四高弟のひとりである、河内の豪農・西村履三郎の息子だった。
 生きて再挙兵を図っているという父・西村履三郎の行方はしれないが、河内随一の豪農庄屋だった一家は離散のうえ家屋敷から田畑、財産のすべてが没収された。心労から祖母が死に、父の逃亡を助けた伯母夫婦までが牢死した。
 父の罪に連座し、常太郎は隠岐島後に、弟の謙三郎は数え15になるのを待って五島列島に流された。
 しかし、流人として上陸した常太郎は、島民による予想外の暖かいもてなしを受けて驚く。
 悪政を続ける幕府役人とそれに取り入って巨利を貪る奸商を断罪すべく、島原の乱以来200年ぶりに幕府に対して公然と反旗を翻した大塩平八郎とその高弟徒党の乱は、大坂市中の5分の1を焼失するという甚大な被害を招きながらも、全国津々浦々の幕府の苛政に苦しむ貧民百姓たちに多大な勇気を与え、畏敬の念をもって見られていたのだ。
 もとより、大塩平八郎は大阪奉行所の役人であり、大庄屋である西村履三郎も為政者側の人間だった。
 黙って暮らしていれば何不自由ない立場の彼らが、民百姓の苦しみを捨て置けず、なにもかもうっちゃって蜂起した。
 その遺産は、9年経ってなお、絶海の孤島である隠岐四郡にまで浸透していた。
 常太郎が島民から暖かく迎えられたのは、それが理由だった。
 やがて彼は医学を志し、隠岐にも波及した幕末の動乱を島民と共に迎え、苦難を乗り越えていく。

 知らなかったわ、大塩平八郎の乱がこれほどの義挙だったとは。
 どちらかというと、ネガティブな印象を持っていました。肖像画もすっとぼけた顔だし。
 こんなに、凄いことだったとはねえ。
 まあ、反権力の背景を強く感じる小説なので、作者の意図もある程度は踏まえているかもしれませんが、それにしても、もう一度大塩平八郎の乱を見返してみなくちゃなりません。

 作者のインタビュー記事をどこかで見かけましたが、天保13年(1842)に野洲川流域で発生した江州湖辺大一揆の百姓総代である杉本惣太郎を常太郎に影響を与える隠岐流人として登場させたのはある程度ファンタジーですが、後はほぼ史実なんでしょうね。
 幕末の隠岐の島に、これほどのドラマがあったとはなあ。
 出雲松江藩はほんと悪党のカスだね。あれ、殺人じゃん。
 書き忘れるところでしたが、タイトルにある狗賓童子とは、隠岐の島の御山に住むと言われる妖精のようなものです。もうひとつの意味として島の自警団の若い衆を指す言葉でもありました。流人が悪さをすれば自らで処罰する影の組織があったのです。
 この島の、クズ役人ばかりの松江藩からなんとか自治を取り戻そうとする強硬な姿勢には、そんな島の文化的背景もあったのでしょう。
 幕末の農民史としても、興味深い本だったと思います。

 「刻下の急務は、数万の農民を塗炭の苦から救うという、ただこの一事にかかっている。このためには、重罪に問われ、世間の嘲笑を浴びることもいとわない。後世において、この是非曲直は明らかにされる。庄屋たるものの職分は、百姓衆を護ることにある。身を挺して、百姓衆の難に赴くのは、この職分に忠実なるゆえんである。
 自分は独り、義に斃れることを栄誉と信じ、誓って奸吏を退ける」



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「かたづの!」中島京子

 第28回(2015年度)柴田錬三郎賞受賞作です。
 東北の戦国大名・南部氏の女城主「八戸祢々(ねね)」の波乱万丈の生涯をファンタジックに描いた歴史小説。
 語り手は、なぜか一本角の羚羊(カモシカ)。
 作者の工夫というか、非現実的な物が語るという、この形でなきゃ書けなかったんだと思います。
 元々が歴史物を専門に書く小説家ではありませんからね。
 祢々の最期の領地が、柳田国男で有名な遠野だったということもあるでしょう。
 私はもちろんこの「祢々」という江戸時代最後の女城主の存在を知りませんでしたけど、どうやって作者が小説の題材として「祢々」を見つけたのだろうと考えたときに、ひょっとしたら遠野に関して調べていたときに偶然発見したのではないかと思ったりします。
 南部領の遠野は妖怪の住む土地です。
 一本角のカモシカがしゃべるだけではありません。河童も出るし、大蛇も出ます。しゃべります。
 ですから、歴史小説としてはまあ、風変わりなんですが、これがまたあんがい不思議にしっくりくる。
 一本角カモシカの真っ白な妻が三陸大津波(1611)に流されたときは悲しいですし、河童が祢々に嫁に来てくれないかと会いに来たときはほんのり面白い。十和田湖の主である大蛇の正体がわかったときは非常に不気味で恐ろしいですし。
 そんなこと、本職の歴史小説家では書けないどころか、思いもつかないかもね。
 このへんが歴史小説の独創的な新しい形として評価されたのかもしれません。
 一方で、本格的な歴史物を好まれる方にとっては、ゆるすぎるというデメリットもあると思われます。
 私はまあ、半々かな。読み物として面白かったですが、正直、もう少し深く真面目にこの「祢々」という女傑の生涯を追ってほしかったという思いは残ります。
 せめて「黒字花卉群羚羊模様絞繍小袖」が、実在の品であったならばドラマティックだったんですがねえ。

 簡単に祢々様の事績を。
 私は以前に、九戸政実の本を読んだことがあり、「信長の野望」というゲームのファンでもあったため、東北の雄である戦国大名南部氏については若干の知識がありました。
 南部氏の領地の拠点は今でいう岩手県あたりです。
 南部晴政という強い武将が有名です。祢々は、三戸を拠点とする南部宗家の人間ではなく、分家というのかな、海沿いの八戸を拠点とする八戸南部氏の人間でした。八戸政栄が有名ですね。祢々にとって政栄は祖父に当たります。
 政栄が隠居して跡を取った第19代当主直栄が病死し、子供は祢々しかいなかったため、大慌てで分家筋から養子を迎えることとなり、祢々と婚儀を交わして20代当主を立てました。このとき祢々は10歳、なんと夫君は9歳でした。
 長じてこの夫君は八戸直政といい、祢々との間に南部一の美女と謳われた福と愛の姉妹、世継ぎの嫡男久松をもうけました。
 しかし、直政は28歳のとき、徳川家(このとき将軍秀忠・家康は大隠居)に命じられた越後高田城築城の途中で急死してしまいます。そして、続けてまだ幼い世継ぎの久松君まで八戸で急死してしまうのです。
 八戸南部家は大慌てどころの騒ぎではありません。
 家が潰れてしまいかねないのです。
 祢々は最愛の夫と愛息を立て続けに失うという悲劇に嘆き悲しんでいる暇もないまま、娘が殿御を迎える準備の整うまで、自分が女亭主として八戸南部家2万石を差配していくことを決意します。このとき祢々29歳。
 そのためには、本家頭領であり、祢々の叔父にあたる27代南部宗家当主・南部利直の許可を受けなくてはなりません。
 ところが、権謀家である利直は、鉄の産地でもあり魅力ある八戸を、ともすれば併呑しようと目論んでいたのです。
 それどころか、利直こそ直政を毒殺したのではないかという濃厚な疑いまでありました。
 八戸南部氏の存続をかけて、決死の思いで三戸に乗り込んだ祢々に、ついに利直は折れて祢々の当主就任を認めますが、それで丸く収まったわけではありません。
 以後、利直の家臣を婿として押し付けられそうになっために剃髪して尼になったり、やっと娘に殿御を迎えて自分が女城主の立場から降りたと思えば八戸から内陸の荒れ地である遠野に転封させられたり、山賊が横行するなど無法地帯であった遠野を立て直しかけたと思えば金山の採掘をめぐって隣の伊達家と揉めたり、祢々の気の休まるときはなかなか訪れないのでした・・・

 女城主といえば井伊直虎が有名ですし、立花宗茂の妻女(名前忘れた笑)も女傑でしたが、戦国期から江戸初期にかけて祢々が最後の女城主となりました。時代がまだ安定していなかったからこそ、ですね。
 徳川幕府が盤石になると、女城主など許されるわけがありませんから。
 八戸から遠野に転封されましたが、これも幕府が安定したならば勝手に宗家がやれるわけありません。
 祢々は三戸の南部宗家から必死に八戸氏を守ったのですね。それに人生をかけました。そしてかろうじて成功したのです。
 ただ、実際の南部利直という人物像はともかく、読み物として、祢々と利直との確執がいまいちわかりづらかったと思います。
 直政を誰が殺したのか結局わからないまま(おそらく本当に病死では)ですし、利直をもっとはっきりと悪者に仕立てあげたほうが面白かったと思いますけどねえ。
 なんか煮詰まらないイメージのまま。蛇だったくせにねえ。



 
 
 
 
 
 
 
 

「死んでたまるか」伊東潤

 「たまるか、たまるか! 負けてたまるか、死んでたまるか!!」
 鳥羽伏見の戦い(慶応4年1月6日)で旧幕府軍が敗れて以来、世論は一変し、草木がなびくように薩長を中心とする新政府軍に平身低頭し始める中、幕府軍最強と云われた仏式陸軍の歩兵隊伝習隊を率い、北関東から東北、果ては遥かに夢見た北の大地・五稜郭にまで転戦した幕府歩兵奉行・大鳥圭介の苦闘を描く歴史伝記小説。
 
 負け続きの大鳥圭介の転戦記が面白いかどうかはともかくとして、「負けてたまるか!」の精神は読む価値があります。
 新政府軍に恭順の意を示す幕府を見限って、己が鍛え上げた伝習隊を率いて出陣するのですが、五稜郭で降伏して戊辰戦争が終結するまで、この方、最初の頃の北関東の小戦と蝦夷での掃討戦に勝っただけで、ほとんどの戦いに負けています。
 すごい負けっぷり(笑)
 仮にも小説の主人公がこれほどまでに負けていく姿を初めて読みました。
 最後に潔く死んだわけでもありませんしね。
 新政府軍の黒田清隆がかつて塾の弟子であったらこそ、この方の命は助かったのです。
 負け続け、多くの部下や新選組副長・土方歳三ら多くの仲間が死んだにもかかわらず、助かった命。
 見ようによっては情けないかもしれません。しかし、そこにこの物語の価値があったのだなあ、と今は思うわけです。
 もちろん、幕府陸軍最高の頭脳と云われた大鳥圭介の指揮がそれほど悪かったわけでもありません。
 兵力、財力、装備に劣り、義憤にかられて東北(奥羽越列藩同盟)まで来たものの、何のことはない、敗軍ともなれば邪魔者扱い。あまりにも無策な、同盟軍のとばっちりを受けた部分も大きいです、運もなかった。
 しかし、口癖である「たまるか、たまるか、負けてたまるか!」と吠えつつ、圧倒的劣勢の中をけっして諦めることなく、最後まで戦い続けた、いや負け続けたその姿は、非常に共感できるものがありました。
 それが蝦夷まで大鳥に付き添ったフランス軍士官のブリュネの言った、「行けるとこまで行き、しかるべき場所で死ね」というフランスの格言とシンクロしまして、滅びの美学ではないですけども、男というのは最後まで頑張るものでそれでだめなら死ねばいいという、ある意味至極正論な哲学を久しぶりに見たような気がしました。
 清々しかったですね。
 
 大鳥圭介は、天保4年(1833)に播州赤穂の僻村に生まれました。家業は代々の医者です。
 これ意外だったなあ。江戸の人間じゃなかったんだと。
 まあ、それほどまでに私はこの方のことを知らなかったわけですけども。
 医者になるべく、藩境を超えて人材を教育していた当時の開明的な岡山藩の塾に学んだ後、嘉永5年(1852)大坂に出て有名な緒方洪庵の適塾に入学します。当時のライバルは福沢諭吉だったそうです。
 ここで、大鳥の旺盛な知識欲が炸裂し、塾に収蔵されていた本を片っぱしから読みあさっただけでなく、筆耕と翻訳も手がけ、いきおい医学書だけでなく兵法書にまで手を出したのです。これが兵学者、大鳥圭介のスタートでした。
 医者、適塾、兵法というと、長州の大村益次郎を思い出しますね。
 そういえば、大鳥圭介は4尺9寸(149センチ)の短軀に、童顔の大きな頭が乗っていたそうですが、大村益次郎も頭でっかちで有名な人でした。まあ、軍略は圧倒的に大村益次郎が上なんですけどね。
 実家の父を騙して資金を用立て、大鳥が江戸に出たのは嘉永7年、22歳のときでした。
 幕府公設塾の教授になり、兵法の専門家として名を挙げた大鳥は、27歳のとき徳島藩からスカウトされるまでになります。
 そして慶応2年(1866)ついに34歳で幕臣に取り立てられ、フランス式兵法を修めて異例の出世を遂げたのです。
 フランス軍事顧問団は、江戸幕府の武士を使い物にならないと言い、農民は従順だが弱いと言っていました。
 だから大鳥が集めたのは、性根の座っている無頼の徒(馬丁、博徒、雲助、火消)などの体格のいいものたちです。
 彼らが、大鳥と五稜郭まで共にした幕府最強の歩兵集団である伝習隊(兵力3千)になったのでした。
 根が医者である大鳥は、部下の兵隊と一緒になって土埃にまみれた猛訓練をしたそうです。

 余談ですが、土方歳三はやっぱ凄いと思いましたね、これ読んで。
 赤穂の村から出て幕府の歩兵奉行になった大鳥も桁違いに凄いですが、大鳥の場合は外国語を修めたことと、幕末の時流に乗った運もありました。頭のいい勉強のできる人間ですからね。
 大鳥と土方は北関東転戦より仲間となり、土方は本作でもよく登場する副主人公です。
 ちょっと性格的につっけんどんに書きすぎているきらいもありますが、新選組の副長とはいえ田舎の道場の剣豪だった人間が、大鳥や榎本武揚と同格に話し合えるというのは、やっぱ凄いと思います。
 改めて新選組にというキャラクターの奥の深さを知ったような気がしました。


 

「影踏み鬼」葉室麟

 篠原泰之進が主人公とは渋すぎますよね(^^ゞ
 しかも葉室麟はこれまでどちらかというと、九州の架空の藩を舞台にした時代小説が多かったじゃないですか。
 なんでいきなり新撰組、それもマイナーな篠原泰之進なんだ? と読む前から不思議でした。
 理由は読み始めてすぐわかりましたけどね。
 これは私も驚いたんですが、実は篠原泰之進は九州久留米の出身だったんです。
 だから、葉室麟が題材に選んだわけです。
 まあ、驚いたもなにも、私が篠原泰之進について知っていることは、新撰組の柔術師範だったこと、そして伊東甲子太郎率いる新撰組別派・高台寺党の一員だったということくらいですが。
 彼が維新を生き抜いて、明治44年まで生存していたということもまったく知りませんでしたし。
 だからある意味、いいものを読ませてもらったと思っていますよ。
 篠原は回顧録も残しており、著者も参考にしているでしょうからね。
 実際、この小説には新撰組に対する新しい見方もありましたから、勉強になりました。
 司馬遼太郎の創作であるところの沖田総司美男説ですが、ここでは「目と目が離れたヒラメ顔」になってましたし。
 近藤勇と土方歳三が大坂の富商に借銀したのは会津藩に10万両を融通するためとは、さすがに私も瞠目しましたね。
 坂本龍馬が殺された3日後に、坂本と面会していた伊東甲子太郎が殺されたのも偶然にしてはおかしい。
 ラストは無論、篠原と坂本龍馬の絡みですとか、篠原の新撰組入隊が伊東甲子太郎のそれより半年遅れた理由を勤王派の夫を殺された未亡人との出会いに求めるあたりは創作なのでしょうが、フィクションとノンフィクションの関係というかバランスがうまくいっていたように思います。
 楽しんで読めましたね。

 篠原泰之進は、久留米の石工の息子として生まれました。
 明治44年(1911)に84歳で亡くなっているということは、文政10年(1827年)ころの生まれになります。
 久留米城下で剣術や槍術を学び、良移心当流柔術を修行しました。
 そう、篠原泰之進といえば新撰組の柔術師範です。
 実は私は「影踏み鬼」というタイトルに、なにか体技的な臭いを感じて読んだとこもあったのですが、これは少し考え過ぎであったようです。でも剣術や銃器の横行するこの時代に柔術とはミステリアスで興味を惹かれます。
 彼のやっていた柔術がどのようなものであったのか今となってはよくわかりませんが、柔道と逆技などの関節技、当て身を駆使した実戦的なものであったと思います。時代が時代ですからね。乱捕りが自由乱捕りでしょうし。
 伊東甲子太郎が殺害された後の油小路の決闘の描写で、篠原が永倉新八に逃げる振りから体当たりを食らわせ、反射神経の逆用で放り投げる場面がありましたが、著者もかなり研究して書いていると思いました。
 篠原は久留米で武術を修め、藩家老有馬右近の中間となり、安政5年(1858)右近が江戸詰になったことに伴い、江戸に出ました。これが彼の運命を決めました。これがなければ、この小説もありません。
 ペリーが来航してから5年。江戸で尊皇攘夷論に影響を受けた篠原は、2年後の万延元年久留米藩を脱藩します。
 そして、この後の尊王派としての活動が、伊東甲子太郎との関係を生みました。篠原は伊東甲子太郎が深川で開いていた北辰一刀流の門人になるのです。
 新撰組が江戸で伊東甲子太郎をスカウトしたのに伴い、彼も京都に付いていくことになります。
 そして物語が生まれるわけです。

 この小説の面白いところは、慶応3年3月に新撰組本体から分離した伊東派(御陵衛士・高台寺党)からの視点をもっともとして書かれていることです。
 これまでの多くの新撰組小説は、どちらかというと、伊東甲子太郎をどこかこまっしゃくれた、権謀術数の男として描いていたように思います。しかし、ここでは草莽の大義に表されるように、帝の前では武士も百姓も町人もなく、志を持つ者こそが帝に仕える身だという維新回天の正論を吐いた人物と描かれ、対して近藤勇と土方歳三を、国事を尽くすために京に上がりながら最初の志を失い、幕臣として出世する道を選び、新撰組を私兵化した逆賊と描いています。
 これにリードされて、新撰組の小説として私は初めて近藤勇・土方歳三憎しの思いで読みました。
 でも改めて考えると、これが本筋だったような気もします。

 尊敬する伊東甲子太郎が殺され、裏切り者の近藤と土方を討つことに執念を燃やした篠原泰之進。
 近藤勇への狙撃は失敗しますが、結果的にこれが近藤のサムライとしての魂を奪うことになります。
 相手の影を追いかける影踏み鬼は、いつしか踏むべき影を見失い、老いて人生を振り返って自ら問うのです。
 いったい何が正しかったのか、を。

 しかしまあ、浅田次郎の小説以来、どこでも斎藤一は活躍するようになりましたなあ。
 これだけは変わりません(笑)


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「武田家滅亡」伊東潤

 天正3年(1575)、長篠の戦いで完膚なきまでに叩きのめされた武田家の滅亡までを描く、歴史小説巨編。
 時系列では、勝頼が信玄の後を継いで長篠の戦いに至るまでを扱った「天地雷動」の続きとなるわけですが、刊行順は逆なんですね。本作のほうがだいぶ先に出ています。しかし、伊那の地侍である宮下帯刀など登場人物は重なっているので、「天地雷動」と「武田家滅亡」でセットと考えていいかと思います。こちらのほうがだいぶ分厚いですけどね。
 私は歴史はそれほど深く知らないので、長篠の戦いのあと武田家が滅亡するまでの7年間、これほどのドラマがあったとは知りませんでした。長篠で惨敗してすぐ滅亡したくらいに考えていたのですが、まったく違ったんですな。
 ひょっとしたら、どうにかなったんじゃないかとも思えてしまいます。
 勝頼は信玄に比べるとあれですが、優秀な武将です。むしろ信玄よりも人間らしい。だから負けたとも云えますけど。
 ここで言われている勝頼の弱さというものは、人の良さ、優しさ、賢明さということであると思います。
 だから、信玄や信長のような“狂い”がなかったのですね。敵を蹂躙する狂的な怖さがなかった。創造性も。
 大名になるには人間が甘かった、ということです。おそらく一武将として仕えていれば名将になったんじゃないですか。
 それでも、甲州征伐のとき織田信長の勢力圏が約400万石、武田が120万石、北条が280万石と云われていますが、守るだけならやりようによっては何とかなったんじゃないかと思ってしまいます。
 この後、すぐに本能寺の変で信長が倒れているだけに、ね。ま、仕方ないそれも歴史か。
 どんどん味方が離れていく最期の勝頼主従に表されているように、絶望的に尻すぼみになる本作ですが、思わず涙を誘うラストといい、人間的なドラマとしても非常に優秀です。
 ボリューム的にも質的にも、またヒューマンドラマとしてもレベルの高い歴史小説です。

 じゃあちょっと内容の説明。
 武田家の滅亡を様々なラインからアプローチする本作。その中でも、メインはやはり桂姫。
 冒頭、天正5年(1577)亡き北条氏康の末娘である桂姫が、武田勝頼に輿入れする場面から始まります。
 桂姫は関八州並ぶものなき美貌の持ち主と謳われ、このとき14歳。勝頼は32歳。
 彼女の存在は甲相一和、すなわち武田家と北条家の紐帯そのものでした。
 まあ、このへんの今川やら武田、上杉、北条の関係はひっついたり別れたり、色々と複雑なんです。
 それでも、このときの甲相同盟がうまく保たれていれば、勝頼と桂の運命は違ったものになっていたでしょう。
 長篠以後、頼みの金鉱脈が枯渇してジリ貧の武田家は、謙信亡き後の越後の家督争いに介入するのです。
 私が思うに、これがすべてを狂わせたんじゃないでしょうか。
 謙信亡き後の越後家督争いは、上杉景勝と北条家から謙信の養子に出た北条三郎こと上杉景虎の争いです。
 景虎、すなわち北条三郎は桂姫の兄です。
 甲相一和でいけば、武田家は景虎の味方をすべきでした。
 ところが、金に目が眩んだ武田家は、景勝側の差し出した巨額の金に転んでしまうのです。
 結局、これが功を奏して上杉景勝が跡目争いに勝ちましたが、北条家には遺恨が残りました。
 このとき、武田家と北条家が一致団結して景虎を支援していれば、甲相越の巨大な三国同盟が相成って、織田信長といえど迂闊に手を出せない存在になったことは明らかではないでしょうか。
 ターニングポイントはここでした。
 この後、武田家と北条家の仲は悪化。北条家は織田徳川軍と同盟し、信長と家康の甲州征伐時には武田家の領地に攻め込んでいます。一方、頼みにした上杉景勝は申し訳程度にしか兵を送ってきませんでした。
 信玄が10年かけて統一した信濃国をたった1ヶ月で失い、相次ぐ味方の離反によって、勝頼主従はわずか数十人になって最期を迎えます。このときも、戦上手の真田昌幸の治める上州に逃げ込んでいればまだチャンスはあったかもしれません。小田原の実家に落ちても不思議ではないのに、あれほど冷遇された過去がありながら最後まで勝頼に付き従った桂姫。そのラストは涙なしには読めませんでした。

 主なラインはもう2つ。
 最下層の御印判衆で伊那の地侍であり、歴戦の足軽である宮下帯刀と四郎左の父子の戦場物語、そして勝頼に讒言したことが原因で追放された小宮山内膳と辻弥兵衛の武士(もののふ)物語。
 これも泣けました。「天地雷動」の記憶が残っていたので宮下帯刀の岩天神城から高遠城という最前線の急場での活躍は胸が踊りましたし、やはり最後の四郎左のシーンはこれで良かったという思いとやりきれなさが残りました。
 宮下帯刀は実在した人物のようです。おそらく著者を伊那谷に案内したという宮下玄覇氏は子孫じゃないでしょうか。
 もうひとつ、追放されながら武田家の忠臣であり続けた小宮山内膳の「これで、こころおきなく死ねる」のセリフのところもグッときました。当たり前ですが、想い人とは手さえ握ったことないのですよ。それでも、現世のど汚い世界に生きている私でもこの気持はわかりましたわ。勝頼の執政として権勢を振るいながら武田家を恨み続けた佞臣・長坂光堅じゃないですが、人間は体じゃなくて心の持ちようがすべてなのですね。
 死に時というのはあります。そして忠臣と逆臣は紙一重なんです。
 しかしまあ、猪の旗印でしたっけ、高天神城で奮戦した岡部元信はほんとカッコ良かった。


 
 
 
 
 
 
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