「遙かなる未踏峰」ジェフリー・アーチャー

 エヴェレストに消えた伝説の登山家ジョージ・マロリーの半生を追った青春冒険小説。
 著者は同じイギリス人“ジョンブル”ジェフリー・アーチャー。
 上下巻のボリュームがありながら、厚さをまったく感じさせないテンポのよい文章と展開はさすが。

 エドモンド・ヒラリー卿とシェルパのテムジンがエヴェレスト公式初登頂を成し遂げたのは1953年。
 それより約30年もさかのぼる1924年6月8日に、ジョージ・マロリーは人類として初めて最高峰の頂きに到達していたのか?現代の我々の街冬のファッションにも劣るような、ろくな防寒着もないままに?
 最近、この世界登山史上最大の謎が気になって仕方ありませんでした。
 それでこれまでに「エヴェレスト初登頂の謎」トム・ホルツェル著、「そして謎は残った」ヨッヘン・ヘムレブ著と、謎の真相に迫る本を読んできたわけですが、謎のロマンの大きさに比して、関連本の数があまりにも少ないのですよ。
 本作の冒頭にも出てきますが、1999年5月1日にエヴェレスト北東陵26760フィート(約8156メートル)で75年ぶりに行方不明になっていたマロリーの遺体がほぼミイラ状態で発見されました。所持品も検分されました。
 登頂に成功すればそこに置いてくるとされていた最愛の妻ルースの写真は、そこにありませんでした。
 しかし、彼がエヴェレスト初登頂に成功したのか失敗したのかわかりません。
 もっとも登攀のパートナーであったアンドルー“サンディ”アーヴィンの遺体が発見されれば何らかの進展はあるでしょうが・・・1975年に中国登山隊の一員がアーヴィンと思われる西洋人の遺体を27230フィートで発見しましたが、この中国人はまもなく雪崩に巻き込まれて死亡したために、はっきりとした場所はわからないままになってしまいました。
 アーヴィンはコダックのカメラを持っていただろうと推測されています。
 登頂に成功していたならば撮影しているでしょうし、厳寒で乾燥しているためにフィルムが保全されている可能性があります。
 しかし2017年現在、彼の遺体は発見されることもなく、エヴェレスト初登頂者が覆る気配は微塵もありません。
 確かに、生きて帰ってきてこそ登頂に成功したと云えるという意見もわかります。
 しかし、20世紀初頭の貧弱な装備でですよ、エヴェレスト登頂付近に届いているというだけで凄いことなのですが、確かに最愛の家族の元には帰ってきませんでしたけどもしもマロリーが人類で初めて地球の最高峰に到達していたのならば、彼を初登頂者として認めるべきだと思いますね。
 物理的に確度の高い証拠が見つかればね。教科書書き変えでいいよ。
 そうしなければ離れ離れになったままのマロリーとルースが報われないですよ。
 そういう思いがふつふつと沸き起こるのを止められないのが、本作「遙かなる未踏峰」でした。
 ドキュメンタリー二作を読んで、実話を土台にした小説である本作を読んだ順番は正しかったと思われます。
 ノスタルジー度がだいぶ増しますから。

 1892年の6歳の頃から、登山に天賦の才能を発揮した学生時代、そして最愛の妻であるルースとの出会いと結婚、第一次世界大戦への参戦と負傷、エヴェレスト委員会との確執、7人のシェルパを雪崩で失った1922年のエヴェレスト遠征の失敗、そして最後の挑戦となった38歳のエヴェレスト遠征までを、実話を核にした情感豊かな内容で仕上げています。まさにマロリーの人生そのもの。ひょっとしたら登山シーンよりも彼の生活のほうが青春小説として内容に味があったかもしれません。
 時間にルーズでおっちょこちょいであったのは、伏線になっていましたね。
 周辺の人物や遠征隊のメンバーも、実名のまま登場しています。
 王立地理学会の事務局長アーサー・ヒンクスも極めて保守的で堅物な地のままの性格で出ています。
 ただ地質学者で最期にマロリーとアーヴィンの姿を見た人物であるオデールや医師のソマーヴィルとケンブリッジのアルパインクラブで出会ったというのは、フィクションだと思います。
 実際にはマロリーは3回の遠征(1921,1922,1924)に参加していますが、本作では2回(22,24)になっていますし、シェルパのニーマという人物も私が読んだドキュメンタリーには出てきませんでした。
 しかし最後の挑戦となってしまった1924年の遠征に参加するかどうかの葛藤などは、家族との関係や経済状態においても真実に近いものであったと思いました。さすが同国人だけあって背景が上手に書けてるなあと。
 圧巻は映画のラストシーンのような、マロリーとアーヴィンの登頂後の帰路の場面。雪に落ちて笑うところ。
 専門の山岳用語などは使われていないのですが、逆に私のような素人には想像しやすく読みやすかったと思います。
 感動的だったね。
 もちろん本作はフィクションなんですが、やはりマロリーはてっぺんに登ったのだろうと確信しました。
 彼にとっては、生きて帰ったとしてもこれが最後の挑戦だったのです。
 彼ならば止まらなかったと思いますよ。


 
 

 
 
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「天国でまた会おう」ピエール・ルメートル

 「その女アレックス」で一世を風靡したルメートルの、フランス文学最高峰のゴンクール賞受賞作。
 ミステリーではありません。むしろ文学作品に近いと思いますが、臨場感あふれるスリルサスペンスをバックグラウンドとしており、読みにくい部分はなく(グロ以外)、いますぐハリウッド映画の原作になったとしても驚きません。
 フランスではルメートルの新たな挑戦と見られているそうですが、私はアレックスよりこっちのほうが好きですね。
 最後の最後まで何かどんでん返しがあるのだろうと思っていたので、そのぶん拍子抜けはしましたが、小説としては格調高く、ハナからミステリーを期待せず文学作品として臨んでいれば、さらに面白かったと思います。
 物語の舞台は第一次世界大戦前後のフランスですが、モデルとなる実話があったそうです。
 タイトルの「天国でまた会おう」は、モデルのひとつである〈ヴァングレの殉死者たち事件〉で、敵前逃亡の汚名を着せられて処刑されたフランス軍兵士が処刑前に妻に遺した言葉とのこと。
 さて、この物語では誰が誰に対して言ったと思われますか?

 あらすじ。
 第一次世界大戦におけるフランスとドイツの戦いも、終結が見えてきた1918年11月2日。
 4年続いた激戦がついに終わろうとしている気配は、士官はおろか兵隊の誰もが気づいていた。
 にもかかわらず、4年前に銀行の経理係から志願して歩兵になったアルベール・マイヤールの属する部隊は、ドイツ軍にいまだ占領されている百十三高地奪還のために、決死の突撃を敢行することになる。
 なぜなら、「もうドイツ野郎は撃ってこないだろう」と偵察に出したふたりの兵士がいとも簡単に射殺されたからだった。
 ふたりと長らくの戦友だった兵士たちは怒り狂い、復讐心に燃えた。「ドイツ野郎を皆殺しにしてやる」と。
 隊長であるドルネー・ブラデル中尉の指揮下、部隊は突撃した。
 そしてアルベールは見てしまうのである。ドイツ軍に射殺されたと思っていたふたりの死体が、背中側から撃たれていることを。
 その意味がわかって呆然としているアルベールは突然、何者かに砲弾でできた穴に叩き落とされてしまう。
 底に落ちてから見上げると、そこにはブラデル中尉のハンサムだが冷たい睨むような視線があった。
 ふたりが射殺されたとき、ブラデルはどこにいただろう?
 ブラデルは、戦争が終わってしまうまでになんとしても大尉になりたかった。
 没落貴族の出である彼は、戦争終結後の見の振り方も考慮し、もうひとつ大きな手柄を取りたかったがために、賭けに出たのだった。賭けは成功したかに見えた。唯一、真相を知ったアルベールは、穴から出られず生き埋めになったからである。
 ところが、このやり取りを見ていた兵士がひとりいた。足を撃ちぬかれて近くに潜んでいたエドゥアール・ペリクールである。
 しかし、彼は生き埋めになったアルベールを掘り起こし、土中から引きずりだした瞬間に砲弾の破片で下顎と喉を吹き飛ばされる重傷を負ってしまう。
 1年後。
 復員してから仕事が見つからず、婚約者には逃げられ、大通りのサンドイッチマンになったアルベールは、顔に大穴の開いたエドゥアールの介護をしながら、小汚いアパートメントにふたりで住んでいた。
 エドゥアールは、医師による修復手術も実家に帰ることも拒否し、戦死した他の兵士の身分を偽り、モルヒネ中毒になっていた。違法なモルヒネを調達するのはアルベールの役目である。生き埋めになった彼が今生きているのは、エドゥアールのおかげであるとはいえ、この重傷の戦友を抱えた先の見えない暮らしにアルベールは疲れ始めていた。
 そんなとき、エドゥアールがいつになく活き活きとして何かをデッサンし始めた。エドゥアールは元々、美術学校の学生だったのだ。エドゥアールの考えだした計画はこうだった。戦争が終わってフランス中の自治体が、戦死者の追悼者墓地を造成しようとしている。しかし戦争が終結して後フランスの財政は火の車で、なかなか予算が下りない。だからパリに住む学士院会員の身分を偽り、大幅に割り引いた値段で墓地の追悼記念碑を売りつけようというのである。エドゥアールのデッサンした記念碑のデザインをカタログにして全国の市町村に送りつけ、注文を得たら半額の予約金を取る。もちろん実物は送らない。ある程度の金が口座に貯まったら海外にトンヅラする。どうだ?
 当初は相手にしなかった小心者の善人であるアルベールだが、気になる女性が現れたことにより、今の窮乏生活を変えなければと思い始める・・・

 この小説の文学っぽくて素晴らしかったところ、それは“馬の首”です。
 生き埋めになったアルベールが、土の中で抱き合っていた、死馬の頭の仮面のことです。
 アルベールという人は、PTSDもあったのでしょうが、基本的に小心者であり、弱者です。
 育ちのいいエドゥアールのような、世間知らずの無鉄砲さはありません。
 そんな彼が苦しい境遇を生き抜いていく上での心の支えとなったのは、エドゥアールの作った馬の首でした。
 生き返ったことを思い出すのでしょうね、生を感じることができるためでしょう。
 この物語のさして重要とは思えない小ネタに、私はこの小説の奥深さと際立つ文学性を感じました。
 なるほど冒険小説と紹介されてもおかしくないですし、もっと面白おかしくあるいはブラデルの破滅のカタルシスを強調することもできたでしょう、しかし、ルメートルはそれを選ばなかった、他に伝えたいことがあったということでしょう。
 「天国でまた会おう」は、マルセルのエドゥアールに対する想いだと思います。一瞬しか会えなかったからね。


 
 
 
 
 
 

「悪徳の都」スティーヴン・ハンター

 シリーズ初弾「極大射程」から番外編ながら一番面白い「ダーティホワイトボーイズ」、「ブラックライト」「狩りのとき」と続いた、ベトナム戦争の英雄的スナイパー“ボブ・ザ・ネイラー”ことボブ・リー・スワガーを主人公とした一連のシリーズは、いったんそこで一休みとなり、新たにボブの父であるアール・スワガーを主人公としたシリーズが本作から始まります。
 本作は上下巻約900ページですが、ストーリーは単純明快であり、スラスラ読めるでしょう。

 1955年、顔見知りの悪童だったジミー・パイとバブ・パイと銃撃戦の末、射殺されたアール・スワガー。
 彼は、ガダルカナル上陸作戦から3年間太平洋戦争に参戦した歴戦の海兵隊先任曹長であり、幾多の死線を乗り越え、1945年2月22日の硫黄島の戦いでは、最高栄誉たる名誉勲章を受章した、アメリカの英雄でした。
 ちなみにこの小説では日本人を揶揄する“ジャップ”という言葉が何十回と出てくるので、それが嫌な方は読まれないほうがいいかもしれません。ギャングと比べて日本人兵士がいかに手強い存在だったかと比喩で使われています。
 で、戦後1年経った1946年、硫黄島の英雄はアル中になって自殺未遂を試みるようになっていました。
 妻のジュニィにとっても、かなりの謎を秘める男だったアール。彼は戦争や自分の過去について語るのは好まず、けれど、それらにひどく悩まされているようでした。いいひとで、正直な夫ですが、心の奥底に憂鬱な気分をためこんでいて、それを表に出そうとしません。負傷のために軍隊生活にピリオドを打ち、製材所で働いていましたが、復員兵村に住むアールとジュニィの生活は楽ではなく、ジュニィは見守ることしかできないまま、どんどんアールは何かを抱え込んだままダメになっていくようでした。

 しかし、アールに転機が訪れます。
 アーカンソー州ガーランド郡の検察官フレッド・ベッカーが、悪徳の都と呼ばれるホットスプリングス市の犯罪摘発に乗り出すため、特別部隊を編成、その部隊の“鬼軍曹役”としてアールをスカウトしたのです。
 ラスヴェガスがまだ存在していない時代、繁華街ホットスプリングスはアメリカ一の荒っぽい街でした。
 ギャングが経営するカジノ、娼館、スポーツブック(私設胴元)が軒を連ね、多数のギャンブラー、ガンマン、売春婦はもちろんのこと、グレムリー一家など海千山千の悪党がごろごろしていて、銃器を扱う人間もたくさんいました。
 悪徳の都を支配するのは、ニューヨークのギャングであるオウニー・マドックス。オウニーは、この街のあらゆる利権を我が物とし、警察などの司法機関や新聞などのマスメディアにまで影響力を持っていました。
 このために、政治的野心のある検察官ベッカーは、自分が直接指揮する精鋭部隊をもって、ホットスプリングスの腐敗を一掃し、ギャングのアジトを襲撃、影の権力者オウニーの失脚を画策したのです。
  12名の優秀な若者からなる摘発部隊の隊長は、30年代のギャングの首魁を何人も射殺した伝説的FBIエージェント、D・A・パーカー。そして部隊には、特別仕様のコルト・ガバメントをはじめ、トンプソン軽機関銃、超強力なブローニング・オートマチックライフル(BAR)という、一流の武器が与えられました。
 戦う場を与えられたことで、鬼軍曹アールは蘇ります。
 そして、子供を身ごもったジュニィの心配をよそに、危険な摘発の現場へと先頭を切って繰り出すのですが・・・

 まあ、まんまハリウッド映画でしたね。アクション、裏切り、逃亡そして逆転、愛・・・
 しかし、読んでいればわかるのですが、それだけではなく色々と謎があってそれが最後に集約していきます。
 なぜ、アールは行ったことないというホットスプリングスの街の地理に詳しいのか?
 1940年、ボーキサイト鉱山の従業員の給料を積んだ列車を襲って40万ドルを強奪したのは誰か?
 1942年に強盗に射殺されたというアールの父、チャールズの謎とは?
 1940年に首を吊って死んだアールの弟であるボブ・リーは、本当に自殺だったのか? など。
 それらの謎を追って読んでいくのも、この作家の作品の醍醐味ですね。
 なんせアールの父ということはボブの祖父である男まで出てきたのですから。
 巻末の解説で翻訳をされた公手成幸氏の言うとおり、これはもはやスワガー家の大河小説です。
 そういう意味では、これからに繋がると思われるフレンチー・ショートという油断も隙もない陰謀の天才が気になるところです。CIAのエージェントになるこの危険人物ですが、確か今までのボブのシリーズで少し名前が出てきたような気がするのですが・・・気のせいかなあ。


 
 
 
 

「狩りのとき」スティーヴン・ハンター

 世界最高峰、圧巻の冒険アクション小説『ボブ・リー・スワガーシリーズ』の第4作目。
 刊行順でいくと、次はボブの父であるアール・スワガーのシリーズが始まると思うので、これにて、とりあえず第1部は終わりということになるかと思います。でもまた、間隔を空けて始まるんですけどね。しばしのお別れ。
 作品の繋がりから言うと、本作はシリーズ初弾である「極大射程」とのリンクが濃厚です。
 前作の「ブラックライト」は第2作「ダーティホワイトボーイズ」と対になっていましたよね。
 つまり、1と4,2と3のペアということです。
 2と3の根幹のテーマは、アール・スワガーがジミー・パイに撃たれて殉職した事件でした。
 そして1と4(本作)のテーマは、ズバリ、ベトナム戦争。〈悪いとこだらけの地〉で起こったことです。
 別に気にする必要はないんですが、アール・スワガーの事件の期日が作品間でずれてしまったように、今回のボブとダニーがベトナムで狙撃された一件も、「極大射程」では1972年12月11日となっていますが、本作では1972年5月6日に訂正されています。どういうことなんでしょう?
 おそらく、4部作のプロットは当初まったく決められていなかったか、意図的に変更したのだと思われます。
 ま、「こまけえことはいいんだよ!」ということで(笑)
 断言できますが、本シリーズの抜群の面白さには、何ら影響することはありません。
 そして、改めて言いますが、日本の小説にはない戦闘アクション描写の素晴らしさといい、ラストで驚かされるミステリー的なプロットの緻密さといい、本作を含めたこの一連の作品群は世界的な冒険小説の金字塔であると思われます。

 少しあらすじ。
 1972年5月6日。大詰めを迎えたベトナム戦争最前線の、海兵隊前哨基地。
 偵察狙撃小隊“シエラ・ブラヴォー・フォー”の伝説的なスナイパー、ボブ・リー・スワガー軍曹とスポッター(監的手。スナイパーの補佐)のダニー・フェン兵長が、ソ連のスナイパーに狙撃された。
 ボブは腰を撃たれて重傷、ボブを助けようとしたダニーは胸部を撃たれて即死した。
 ボブとダニーのチームは、かつてふたりだけで北ヴェトナム軍の1個大隊3百人を邀撃し、孤立したグリーンベレーを救ったという海兵隊のヒーローであり、特にボブは1967年のカール・ヒッチコック軍曹の狙撃記録に迫るスコアを持つ、英雄的なスナイパーだったが、この悲劇がひときわ象徴的な理由は、祖国で新妻が待っているボブの相棒ダニー・フェンが、4年に及ぶ徴兵期間のDEROS(帰還予定日)を明日に控えて殉死したことだった。
 ふたりを狙撃したソ連のスナイパーは、T・ソララトフという60年代のオリンピックライフル伏射競技の金メダリストで、彼は一度は撃退されて死んだものと見なされながら、この機会を辛抱強く待ち、1400ヤードにもおよぶ長距離射撃を成功させたのであった。自分が戦闘能力を喪ったこと、ダニーを死なせてしまったことは、ボブにとって一生の不覚だった。
 それから25年。
 ボブはダニーの妻だったジュリィと結婚して家族になった。ふたりの子供ニッキは8歳になる。
 幸せかと思いきや、アリゾナからアイダホに移り住んだ3人はうまくいっていなかった。
 前作の出来事といい、ボブがいるところには必ず死人が出る、アメリカ一危険な男とメディアに騒がれたのである。
 ボブは52歳になっていた。金もない。酒こそやめているが、始終イライラしてジュリィやニッキ、馬に当たる。
 撃たれた尻は痛い。ベトナム帰還兵としての心的外傷後ストレス障害がぶり返す。
 結局、ボブにとっての戦争は終わっていなかったのだ。
 そして、また忌まわしい戦争がやって来た。ジュリィとニッキが乗馬中に狙撃されたのだ。
 一緒にいた隣の牧場主は即死し、機転を利かせてニッキを逃したジュリィも重傷を負った。
 ボブの脳裏に悪夢が甦る。狙撃者はおそらく・・・。25年の歳月をかけて、ボブは再び死神に捉えられたのだ。
 自分より抜け目なく、射撃がうまく、ガッツのある生まれながらのスナイパー。
 海兵隊式の射撃姿勢と違う独特のロシア式ライフル伏射姿勢。愛する家族を持ったボブと異なり、人間的な幸せを捨てたストイックな孤高の殺人マシーン。その男の名は、T・ソララトフ。世界最強のスナイパー。
 TIME TO HUNT. 狩りのとき。 最後の闘いが始まる。

 下巻100ページ強にも及ぶ雪山での死闘はじめ、相変わらず高レベルなアクションシーン描写はともかくとして、今作にはヒューマンドラマ的な出来事も多々織り込められていましたね。
 これまでは、どちらかというと元海兵隊員のソルジャーとして完璧に近く書かれてきたボブの男ぶりですが、ここにきて大きく揺らいでしまいます。15年ぶりに禁断の酒を飲んでしまいますし、妻のジュリィには愛想を尽かされそうになるのです。
 なんでも52歳になったボブは、長身で痩身、クリント・イーストウッドのような雰囲気らしいですが・・・
 家族の愛を取り戻すために、決死の闘いを挑む男。まさに最後に相応しい展開だったと思います。
 ダニーフェンが伍長から兵長に降格されたうえに、ベトナムに飛ばされることになった一連の理由を核とした完璧なプロットも忘れてはなりません。ベトナム戦争は、アメリカとソ連という冷戦期における二大大国の代理戦争でもあり、表面上のイデオロギーの対立と、その水面下で繰り広げられる魑魅魍魎のスパイ合戦が、ミステリー仕立てのストーリーに絶妙にマッチしていました。読みながら騙されていましたよね。読者も作中のキャラクターも、誰もが「2回ともボブが狙われたに違いない」と思い込んでいたわけですから。見事にやられましたよ。
 ラストのクレイモア、これもまたこれ以上ないスカッとした終わり方だったと思います。

 さて、以下は余談ですが、本作は悲惨極まりないベトナム戦争の無常さが多く語られます。
 これを受けて、アメリカが過去に参戦した戦争の意義が登場人物の会話という形を通して語られているのですが、そこには、対ドイツ戦はヒトラーにユダヤ人を皆殺しにさせないため、朝鮮戦争は朝鮮半島を中国に支配させないため、そして対日戦はトージョーにフィリピンの全女性を慰安婦にさせないため、と書かれていました。
 絶句! 日本人はこういう風に見られている場合もあるということです。
 今、あちこちでゴチャゴチャやってますよね。あれの背景にはこんな偏見もあるのかもしれません。



 
 

「ブラックライト」スティーヴン・ハンター

 ボブ・リー・スワガー。元海兵隊一等軍曹。
 凄腕の狙撃手であり、3度出征したベトナム戦争では公式狙撃スコア87(実数341)を誇る。
 彼の名は1992年の事件(シリーズ第1作「極大射程」)を境に、伝説的なまでに高まった。
 50歳を間近にした彼は現在、喧騒を避けてアリゾナ州に隠遁している。
 亡くなった戦友の妻だったジュリィと再婚し、ニッキという名の4歳になる娘にも恵まれた。
 伝説の男“ボブ・ザ・ネイラー”は伝説のままに、このままひっそりと暖かで幸せな暮らしが続くかと思われた。
 彼が訪ねてくるまでは。ボブの父のことを本に書きたいと言って、彼が訪ねてくるまでは。
 彼の名はラッセル(ラス)・ピューティ。1994年、オクラハマ州立重犯罪刑務所を脱獄したラマー・パイとオデール・パイの事件(シリーズ第2作「ダーティホワイトボーイズ」)で大活躍した、オクラハマ州警ハイウェイパトロール隊巡査部長バド・ピューティの長男である。作品の中、あのときの彼は秀才のハイスクール生で、名門プリンストン大学に合格したところだった。ところが、本作22歳になったラスはプリンストン大学を2年で退学し、根無し草なジャーナリストの卵になっている。そして、父であるバドを憎んでいるだ。
 なぜか? それは前作で同僚の妻と不倫をしていた父が、結局、家庭を捨てて不倫相手を選んで出て行ったのである。
 ピューティ家は滅茶苦茶になったのだ。
 ラスは、一家を壊した元凶となったのは他ならぬラマー・パイの存在であると考えた。
 そして彼はラマー・パイの事蹟を追ううちに、奇妙な符合に気付いたのだった。
 その符合とは、ラマーの父であるジミー・パイもまた凶悪な事件を起こして警官に射殺されていることだった。
 そう、1955年7月23日アーカンソー州ポーク郡ブルーアイ。当時21歳のジミー・パイは刑務所から出所したその日、いとこであるバブ・パイと共に食料品店を襲撃、警察官ひとりを含む4人を殺害した。
 ジミーとバブ・パイを射殺し、自らもまた凶弾に倒れたのが、他ならぬボブの父・州警巡査部長アールリー・スワガーだったのだ。アールは海兵隊で15年を過ごし、硫黄島の戦いで名誉勲章を授章した第2次世界大戦の英雄だった。
 実はジミーは、アールが戦友ラニー・パイが戦死した際、後見を頼まれていた彼の息子だった。
 しかしジミーは優れた容姿と抜群の運動神経、優秀な頭脳を持ちながら、どこまでもホワイトラッシュボーイ(白人のクズ少年)で、ちんけな犯罪を繰り返し、アールの手にも余っていたのである。
 ラマーの父であるジミーを射殺し、また自分も殉職した警官がボブの父であることを知ったラスは、執筆の協力を請うためにボブの元にやって来たのだ。興味を惹かれながらも当初は断ったボブだったが、父の死以来はじめてその事実に向き合うことを選ぶ。そして、1955年7月23日、アール・リー・スワガーにとって硫黄島以来最悪の日となった一日には、多くの謎が秘められていることを知るのである・・・
 コードネーム“ブラックライト(赤外線スコープ)”の幕が開く!!

 非常に面白い。シリーズを読んでおれば気づきますが、ただの勧善懲悪な冒険小説ではありません。
 アーカンソー州第2の都市フォートスミスの帝王、レッド・パーマがボブの殺害を企てても悪役とはかぎりません。
 深いね。ヒューマンドラマティック的ですね。
 ジミーの妻だったイーディ・ホワイトが流産したと書かれていたので、ラマーを妊娠したのはいつだったんだ? おかしいな、と首をかしげながら読んでいたのですが、まさかこういう驚天動地なオチが用意されているとは!!
 びっくりしましたぁ(^_^;)
 「極大射程」で活躍した、ボブの数少ない友人である老弁護士サム・ヴィンセントが86歳にして少し認知症が出ているのですが、その描き方も読んでいて切なくなるくらい、巧かったですねえ。
 さらに今作では、アメリカの近代的というか南部的というか、人種差別の問題についても勉強になりました。
 要するに、スティーヴン・ハンターという作家は非常に能力の高い、超一流のテラーなんですね。
 ところが、弘法も筆の誤りなのか、実はアールの死んだ日が前作では1955年の8月になっていました。
 あとがきで作者本人が間違ったことを白状しておられますが、こういうこともあるんだなあ。
 私は逆にほのぼのしたというか、今後が気楽になりましたね。
 まだまだこのシリーズの先は長いですが、少々辻褄やキャラクターを忘れても、楽しく読んでいこうと思います。


 
 
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