「クラウドガール」金原ひとみ

 知らなかったんですが、去年、朝日新聞で金原ひとみと綿矢りさが小説を同時連載していたそうです。
 2004年にふたりが芥川賞をW受賞してから、はや13年。
 二度と交わることはなかろうと思っていたふたりの天才女流作家の点と線が、再び相まみえることになりました。
 これについては、朝日新聞GJというほかない。後はまったく駄目だけど。
 私も、芥川賞を受賞した数多の小説家のなかで、このふたりは飛び抜けて特別だと思っています。
 きっと同時連載を企画した方は、同じような想いを持っていたんだと思いました。
 で、私がそのことを知ったのは、ネットのニュースでふたりの対談の記事を見たから。
 作品のネタバレがありそうな内容だったので、表面だけなぞりましたが、デビュー時からふたりの作品を数多く読んできた私には、感無量でした。このふたりがほのぼの語り合うなんてねえ。写真もあったし。金原ひとみは相変わらず正体不明の美しさがありましたし、不世出の美少女作家綿矢りさはおばちゃんになってましたが、相変わらず透明感があって可愛い。
 金原ひとみには9歳と5歳の子供さんがいて、綿矢りさもまた子育て中だそうです。
 綿矢さんはともかく、金原ひとみがお母さんをするとはとても信じられません。
 いや、それどころかこの人が小説を書いているという自体がもう信じられない。
 女流小説家って、どっちかといればダボッとしたファッションでぼさっとした雰囲気でまったりお茶してそうなんですが、金原ひとみはまったく違う。クロームハーツとか着そう。クロームハーツの革ジャン着てバーボンとかラッパ飲みしそう。そんでわけもわからず腹立って小説書いてたノパソとか殴ってぶっ壊しそう。
 だって「蛇にピアス」を書く人だからね。何でもありですよもう。
 というわけで、先に金原ひとみの作品「クラウドガール」を読んでみることにしました。
 もちろん、後日、綿矢さんのも読んでみます。

 簡単に構成。
 6年前に両親が離婚し、2年前には作家だった母親が急死して、姉妹ふたりで暮らしている、姉で20歳の大学生・中城理有と、妹で16歳の高校生・中城杏の物語。
 性格がまったく違う、姉と妹。
 モデルのような派手な外見の杏は、自分勝手でわがままで何もかも姉頼み、学校もろくに行かず不毛な恋愛ばかりしている。対して姉の理有は一見地味、精神を半ば病んでいた母にかわって長らく家事一切を取り仕切っており、実務的で合理性重視なリアリスト。恋愛に対しては臆病。
 このふたりの日常、というか、マレーシアに半年留学していた理有が日本に還ってきてから、杏の彼氏の晴臣や理有が新しく知り合ったカフェのバリスタをしている光也、表参道の美容室の店長の広岡らを交えながら、刻々と変化していく杏と理有の姉妹の関係性を問うヒューマンドラマ。

 変わった人間だった中城エリカという母親の死を通しての、サイコサスペンスとしても読める。
 基本的には、新聞連載ということもあってか、金原ひとみにしては抑え気味。アブノーマル感なし。
 この小説に何か物足りなさを覚えた方は、たぶん、いつものこの作家の過激さがなかったせいでしょう。
 逆にはじめてこの人の小説を読んだ方には、じゅうぶん刺激的だったかもしれませんね。
 おそらくいつもの金原ひとみであったならば、理有は広岡に犯されていただろうと思います。
 新宿で焼き鳥食っただけで終わるわけねえじゃん、金原ひとみの小説が。
 まあそれはおいといて、新聞連載で抑えられたせいかどうかわかりませんが、もうひとつテーマといいますか結局何を書きたかったのがボヤケてしまった、真相がどうだったのかわからなくなったという点も浮き彫りとなりました。
 いつもならば、そんなことを過激さで吹き飛ばせるのですが、そうもいきません。
 まあ、これは仕方ないかな。
 で、母親であるユリカの死の真相なんですが、195ページでしたか、ドキッとしましたねえ、ミステリアスで。
 私も読後にもう一度、関連した箇所をパラパラ読み返してみたのですが、理有が言っていることが正しいと思います。
 もっとも、作者曰く正解はないらしいですけども、「クラウドガール」というタイトルは、突然雲のようなものに覆われてパニック障害を引き起こす杏のことにほかなりません。ということは、杏は雲の中から妄想を引き出した、という見解でいいのではないでしょうか。理有の父とのスカイプはクラウドではありません。わかりながらやっていたことです。


 
 
 
 
 
スポンサーサイト

「三の隣は五号室」長嶋有

 芥川賞作家・長嶋有の第52回(2016年度)谷崎潤一郎賞受賞作。
 私、この方の本を初めて読みました。
 なるほど、こんなに淡々と日常を切り取りながらも、奥深いものを書くのかと感心した次第です。
 1966年から2016年まで、ボロアパートの一室に暮らした歴代の住人が織りなすヒューマンドラマです。
 ひとつなんとも謎が解きにくいミステリーがありましたが、それの推測は後ほど。

 場所は横浜。
 古い木造モルタル2階建ての第一藤岡荘。
 1階は2室。2階は3室。2階も真ん中が、物語の舞台となる五号室です。
 6畳と4畳半の和室、台所と風呂、トイレがありますが、真ん中にある4畳半が奥の6畳、隣の台所、そして玄関と三方障子で囲まれているという、変な間取り。6畳と台所も障子で繋がっています。台所からドアで玄関にも出られます。
 1966年、建てられたばっかりのこの藤岡荘五号室には、大家の息子である藤岡一平が住んでいました。
 大学を卒業した彼が部屋を出ると、次に五号室唯一の出産をした二瓶敏雄・文子の若夫婦(70~82)、謎の住人・三輪密人(82~83)、単身赴任で猫好きの四元志郎(83~84)、無線オタクの五十嵐五郎(84~85)、都内のクリーニング屋を畳んだ老夫婦の六原睦郎・豊子夫妻(85~88)、失恋した七瀬奈々(88~91)、大学生の八屋リエ(91~95)、同じく大学生の九重久美子、五号室リフォーム後初めての住人である十畑保(99~03)、不思議な縁で奇妙な同居生活を送った霜月未苗と桃子(04~08)、イラン人のアリー・ダヴァーズダ(09~12)、そして最後の住人となった諸木十三(12~16)まで、歴代13世帯の物語。
 ボロ屋根に響く雨の音であるとか、水道の蛇口、ガスホース、障子の穴など、五号室を通じてまるで大河小説のように、縁もゆかりもない人たちが時を越えてつながっていく、そんな小説です。
 まったくそこはかとない話ながら、その時代時代の風俗ですね、テレビや流行については驚くほど精緻。
 作者は1972年生まれということで、まあ、一通りわかるにしても、キムタクのドラマまでネタにできるとは・・・
 人は変わるのですが、部屋は変わらない。まったく異なるドラマでありながら舞台は同じ。
 まさしく人生ではなく“部屋生”の物語とでもいうべき、心がストンと落ち着くような小説でした。
 現実の社会でも繰り返されていることですから、ある意味登場人物は私でもありななたでもあるのです。

 でもこの小説で一番気になるのは、前述したミステリーのこと。
 すなわち、最後の住人である諸木十三に届いたビデオテープと添え書き、そして一枚の写真です。
 何の目的で誰が送ったのか、写真の人物は誰か、というのが謎なのですね。
 これね・・・
 しばらく真剣に考えてみたんですけど、はっきりとはわからないですねー。
 とりあえず、送り主は30年前に諸木のタクシーに乗った黒眼鏡の男、そして三輪密人の二通りが浮かびましたが・・・
 つまり、「あのとき盛り上がった映画を送ります、どうぞお元気で」というメモの意味は、おまえのことは忘れてないぞ、5号室に入居したことも知っているという、あの時の黒眼鏡の男による“脅し”口封じですね、そういう可能性もあるかと。
 もうひとつは、三輪密人自身が送ったという説。彼は射殺されたと書かれていますが、いつ殺されたかまでは書かれていません。ひょっとしたら5号室の夢を見た翌日、誰がいるかもわからないかつての住処にそれを送り、その後射殺されたのかもしれません。5号室に初めてビデオデッキを持ち込んだのは三輪です。さらにその“ブツ”は小さいことが黒眼鏡と部下の会話で諸木は確認しています。三輪は、ブツをビデオテープに仕込んで殺される前に郵送した可能性もあるのではないかと・・・さも友人のようなメモを添えて、ね。こっちのほうが黒眼鏡説よりは確率が高いんじゃないかなあ。
 でも、ひとつ解せないというか、こじつけでも説明がつかないのは、古い写真の件です。
 あれは誰なんだろう。三輪本人は被写体となるようなことをする人間ではないですし。
 かといって、5号室で誰かが写真を撮ったという記述は本文の中にはなかったと思うんですよね。
 謎です。
 誰かアイディアのある方、コメントしていただけたら嬉しいです。


 
 

「淵に立つ」深田晃司

 家族3人は幸せだった。
 ある年の夏の終わり、あの男が街に帰ってくるまでは・・・


 これもかあ、最近、映画監督の初小説というのが多い気がしませんか。
 もちろん、映画前提の小説ですね。
 明らかに、小説家の書いた小説とは、雰囲気がまったく違います。
 同じ文章のようで、同じ構成に見えるのに、どうしてこれだけ作品を読んで受ける感じが違うでしょうか。
 私は、小説家の小説に慣れているので、どこか違和感を感じます。
 逆に、あまり小説を読まない方ならば、本作の方がすっと頭に入ってくるかもしれないなあ。
 もっとも私が感じた違和感の正体はおそらく、不条理すぎる展開かもしれませんが・・・
 黒澤明監督が「映画監督になるなら小説が書けないと」と言ってたそうですが、創作方法が異なるかもしれないですねえ、映画監督ならば映像の文字化という基本姿勢は避けられないのではないですかね。
 一方、たまに小説家の言っているのを聞くと、文章を書きながら映像は頭に浮かばないという方もいらっしゃいます。
 文字を練るというか、活字の連なりが固まってひとつの作品になるという感じでしょうか。
 小説を書く時に、映画化を考えていることもあまりないでしょうしね。
 映画化という前提がありきの映画監督による小説との違いは、あってしかるべきでしょう。
 映画と小説のニコイチセットという楽しみ方もあるわけですし。
 本作の場合、私はトレーラーを観ただけですが、本に忠実なような気がしました。
 映像化にあたって原作から大幅に変更され、ブーブー言っている小説家の話もよく聞きますが、当然ながら映画監督が小説を書いて映画にするんですからそういう齟齬もおきません。
 自家生産なわけですよ。

 簡単にあらすじ。
 夫婦で金属加工業の町工場を営んでいる利雄と章江。生活はつましい。
 利雄は食事と寝る時以外は大半を工場で過ごし、夫婦の会話は大半が事務連絡である。
 一人娘の蛍は9歳。
 章江と蛍はプロテスタントの信仰を持ち、蛍はオルガンを習っていた。
 おおむね幸せで、波風立たぬ平穏な生活。
 しかし、ある年の夏の終わり、利雄の昔なじみの男が帰ってきてから彼ら一家は大きく破綻する。
 その男、八坂章太郎。映画では浅野忠信が配役、ベストキャスト。
 八坂は、人を殺して11年間刑務所にいた。
 1ヶ月後に山形の農園で仕事を始めるまで、利雄の工場で住み込みで雇ってくれという。
 章江は反対したが、利雄はすんなり受け入れた。それにはわけがあったのだが・・・
 当初、八坂の過去を知らなかったとはいえ、見知らぬ居候の闖入を快く思っていなかった章江だが、蛍にオルガンを教えたり、毎日の行動を見るにつれ、心を開いていく。
 しかし、刑務所という閉鎖社会を出てシャバの雰囲気に慣れてきたころ、八坂は隠して持っていた牙をしだいに見せ始める。

 まったくどんな話か知らずに読んだので、展開の急にびっくりしました。
 どっちかというと、前科者の更生をテーマにしたヒューマンドラマかと思っていたのでね。
 本当に、驚きました。
 まあ、そこまでは眠気も覚めて良かったのですが、いかんせん、犯罪サスペンスとしては雰囲気がゆるい。
 ヒューマンドラマにしては、ことが乱暴すぎる。
 小説という作品としては、どっちつかずだと思いました。
 妙に文学的なところもありますし、まったく描くべきところを描いていないような気もします。
 利雄と八坂の関係については、もっと文章が必要だったと思いますね。
 そして、展開が不条理であるのはいいのですが、ちょっと不条理すぎないでしょうか。
 山上貴史がまったく事件を知らなかったというのは、どうなんだろう。
 小説家ならば貴史が父の犯行を知った上で潜入したという、さらに気色の悪い怖気を振るう構成もあり得たかもしれません。
 まったく知らずに息子がやってきて、すぐに9年間不明だった父の所在が見つかるというのはねえ。
 映画ならば長くて2時間ですから、それだけ展開を早くしなけりゃならないのか。
 ひょっとしたら私が感じた齟齬は、それが正体だったのかもしれません。
 メトロノーム、の問題ですかね。


 
 
 
 

「猿の見る夢」桐野夏生

 家も家族もあるからこそ男はひとりになりたいのだ。

 なるほど、そんなもんだろうね。
 仮に、それらすべてのしがらみがなくなってしまうと、寂しくてひとりではいられないでしょうね。
 そう思う人は、ですよ。
 本作の主人公である薄井正明(59歳・大手ファストファッションチェーン財務担当取締役)の場合は・・・
 ちょっと調子が良すぎるように思います。
 60歳を目前にして、愛人のことをよくも「みゆたん」とメールで呼べますね。一喜一憂する様は少年のよう。
 確かに、男は何歳になっても中味は変わりませんが、これはあんまりだろう。
 それとも、私も60歳になってみたら、その心境がわかるのだろうか。
 まあ、妻や愛人がいるからこそ、会長秘書の朝川のようなふと目についた美人に惹かれてしまう余裕があるのというのは、わかりますが(笑) 気持ちに余裕があるほど、ノリが軽くなるからね。
 妻帯者や彼女持ちがモテるというのも、この理由からです。
 けれども、それを巧くやりおおせるのは、本当に難しい。
 まず体力、金力がなければ続かないわなあ。知力ももちろん。私なんて到底ムリだわ。
 大体において、破綻するでしょう。
 その点、薄井は間抜けに見えて、さすが銀行出向の役員だけのことはありましたね。
 1週間に2回も性交をしなくてはならない、みゆたんとの仲はなんと10年も持った。
 こんなバカはミスキャストじゃないのか、と思われるかもしれませんが、この男はなかなかやりますよ。
 せこい人間ですが、あんまり厭味ったらしく感じられないのはこの作家ならではの筆力だろうねえ。
 こいつは破滅するだろうなあと思いながらも、ちょっと同情してしまうような。
 他、史代や志摩子ら家族、織場や朝川ら会社の人間についても、キャラクターが目の前に存在しているかのような、自然観がありました。相変わらず人間の書き方が巧いと思う。人間の“こすさ(ずるさ)”の表現が秀逸。
 物語のキーとなる、長峰栄子ですが、これについては、モデルがいるのではないでしょうか。
 なんとなく不思議なお話でもありましたね。

 あらすじ。
 売上2千億円の大手ファストファッションチェーン「OLIVE」。
 薄井正明は、13年前に創業者会長の引きで銀行から出向してきた財務担当役員である。59歳。
 家庭は、妻・史代との間に一流企業に勤める既婚の長男30歳と、引きこもりニートの次男。
 家庭外に、元の銀行の同僚で、10年来の腐れ縁である愛人の田村美優樹46歳。
 会社の他の役員は上場前からの叩き上げばかりで、薄井自身筋の違う彼らの中で居心地の悪い思いをしてきた。
 思わぬ会社の急成長と会長の庇護あればこそだが、会長の織場ももう80歳を迎え、薄井としては定年の伸びる常務取締役をどのように射止めるかという立ち位置である。
 そんなとき、会長の義理の息子で社長の福原に、突然のセクハラ騒動が巻き起こった。
 じわじわと、ネットで騒がれだしているらしい。
 事態の沈静化を任された薄井は、この事件の黒幕に、常に楚々としている会長秘書の朝川真奈の存在を知る。
 社長のセクハラをネットにリークしたのは、朝川だった。
 薄井は、実は朝川のことを前から気にしていた。思わぬ成り行きから、朝川と近づくことになってしまった薄井は、「この女はヤバイ」と思いながらも、膨らむ妄想を抑えることができない。
 一方、放ったらかしの家庭では、この頃、妻の史代が長峰栄子という怪しげな初老の女性を招き入れていた。
 長峰は、夢見で相談人の悩みを解決するという、占い師らしい。
 史代の悩みの解決に来たにもかかわらず、長峰は薄井の夢を見て、彼に警告するのだが・・・

 ラストは不条理でした。タイトル通りなのかな。メタファーかな。
 その不条理、長峰が実は魑魅魍魎であったと飲み込んで、あえて道をつけるならば、長峰が薄井に惚れたのでしょうね。
 薄井が長峰と出会ったその夜に見た夢、あれは長峰がわざと見せたのではないでしょうか。
 であるならば、その後何かつけて、長峰が薄井にまとわりついた理由もわかろうというものです。
 まあ、無理やりだけどね。ラストは飲み込んでも、あえて真面目に筋道をつけるようなことは野暮かもしれませんねえ。
 この話のもうひとつ面白いところは、薄井の身になって自分ならばどうするかということを考えながら読むことでしょうか。
 特に、うどん屋に高橋に会いにいったときがあったでしょう、あれなんて、自分ならばどう言うだろうとずっと考えました。
 で、結局、自分も薄井とどっこいどっこいの保身で、根が純情ながら助平にできてるということに気づくという(笑)


 
 
 

「永い言い訳」西川美和

 「悪いけど」
 「何」
 「後片付けは、お願いね」
 「そのつもりだよ」
 扉は閉まり、夏子の足音は遠ざかり、玄関を出て行く音がした。
 それが、幸夫と夏子の、別れの挨拶となった。


 突然のバス事故で妻を失った男のその後を描く、ヒューマンドラマ。
 彼が、他の誰のためでもなく、梅根からでもなく、ただ妻を思って泣くまでの、半年間の“永い言い訳”。

 直木賞の候補にもなりました。
 作者は映画監督の西川美和。映画化されて今年の秋には公開される予定です。
 どの俳優ならばこの主人公が似合うかと思いながら読んでいましたが、主演は本木雅弘だそう。
 なるほど。
 文壇のジョニー・デップは、モックンか。
 この小説が読み手にとって面白いかどうかは、主人公の幸夫にどこまで感情移入できるかどうかにかかっていますねえ。彼は大学の同級生だった夏子と偶然再会して入れあげて結婚したわけですが、出版社の仕事を辞めて昔からの夢だった作家を志し、10年近く売れなかったあいだ、美容師だった夏子に養ってもらっていました。
 しかし幸夫の小説がついにブレイクし、テレビのバラエティに出るような人気者になってから、ふたりの関係は次第に冷えていき、ついには修復不能なところにまできていたのですね。いや、もうお互いにいまさらどうこうしようという気持ちにはなりませんでした。子供もいないし、中年だし。
 20年近く切れ目なく暮らしてきたふたりの別離は突然やってきます。
 高校の同級生と旅行に出かけた夏子が、ツアーバスの転落事故で亡くなったのです。
 幸夫は、その知らせを、別の女性との情交直後に知らされました。
 彼は、妻が亡くなったとき、浮気をしていたということですね。
 ここで、読んでいて私はムカつきました。幸夫にはなんらシンパシーを感じず嫌な野郎だなと思っていました。
 実際、幸夫は泣きもせず、現地で妻を荼毘に付し、冷静で沈着に諸々の手続きやら整理を流れるままに行いました。
 周囲はそれもショックのせいだろうと考えていましたが、どうだかわかりません。
 夏子との結婚生活が現実味がなくなっていったのと同じように、妻の死にも現実感がなかったのだと思います。
 しかしこの後、幸夫は夏子と一緒に死んだ同級生の家族である大宮一家と、不思議な交流を持つようになります。
 そして、そのことが、幸夫を変えていくことになります。いや本来の人間に戻してくれることになると言うべきかな。
 大宮家は、妻に先立たれ、長距離トラックドライバーの夫の元に、小学校五年生の息子、まだ幼い娘が残され、途方に暮れていました。誰かが幼い娘の面倒を見てくれなければ一家が回らないのです。そこに、小説家という自由業で時間の融通が利く幸夫が、事の成り行きから入り込むこととなり、家族とのつましい交流を通じて、嫌いだと思い込んでいた子供に対しても愛情が芽生え、自分がひとりで生きているのではない、他者とともにあるのだということを理解していくのです。
 それまで自分勝手に気のままに生きてきた彼ですが、他人を想う、ということを知るのですね。
 そんな馬鹿ないまさらと思う方もいるでしょうが、あんがい、現実の社会においてもこのことがわかっていない人はたくさんいると思います。私もそうかもしれない。
 そして、妻の死から半年経って、彼はわかったのです。
 幸夫は、そして初めて、他の誰のためでもなく、また梅根からでもなく、ただ妻を思い、泣いた。

 梅根からではなくというのは、「あのときもっと優しくしていたら」とかね、でもそれは結局、自分の思いじゃないかということですね。そうじゃなくて、ただ純粋に死んだ妻のことだけを思って、泣いた。そこに重大な意味があります。
 それこそ、本当の涙なのです。他人を偲んでということなのです。
 途中、色々腹も立った作品でしたが、ラストのこの一文で、ストンとすべてが収まったような気がしました。

 当たり前ですが、死んだら二度と逢えません。
 親の死ならば兄妹がいれば分かち合えるでしょうが、配偶者の死を他に分かち合える人間はいません。
 元々は夫婦というのは他人なんです。
 そりゃ、結婚生活も長くなれば全力解放の屁を放ったり、鼻を熱心にほじるのを見てしまうこともあるかもしれない。
 付き合った当初よりも、気持ちは変化していって当たり前ですね。
 でも、夫婦という関係は当たり前なんかではないのです。君がいて僕がいて当たり前ではない。
 でもそれは、孤独になってはじめてわかるものなんですね、きっと。
 そして泣くならば、「もっと優しくしていたら」とか「こうしていたら」とか思うべきではありません。
 二度と逢えないその面影だけを偲んで、「今までありがとう」と感謝して泣くべきだと思います。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
NEXT≫
カレンダー
02 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (91)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (17)
ファンタジックミステリー (21)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (20)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (12)
時代人情小説・ミステリー (16)
時代冒険小説・ミステリー (18)
社会小説・ミステリー (13)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (27)
海外冒険小説・スリラー (16)
SF・FT・ホラー (24)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (28)
中間小説 (20)
青春・恋愛小説 (28)
家族小説・ヒューマンドラマ (29)
背徳小説・情痴文学 (13)
戦記小説・戦争文学 (17)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (20)
芥川賞受賞作 (18)
直木賞受賞作 (17)
文学文芸・私小説 (23)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (52)
歴史・伝記 (29)
戦史・戦記 (30)
海軍戦史・戦記 (143)
物理・宇宙 (25)
生命・生物 (36)
アンダーグラウンド (44)
事件・事故 (35)
世界情勢・国際関係 (23)
スポーツ・武術 (22)
探検・旅行記 (19)
随筆・エッセイ (27)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示