「中攻 その技術発達と壮烈な戦歴」巖谷二三男

 海軍航空の柱石・中攻隊の栄光と衰退

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 昭和31年に発刊された原書の再販版(昭和51年)。
 噂にたがわぬ“名著”であり、中攻隊の詳しい戦歴はもとより、海軍航空ひいては太平洋戦争における海軍の隆盛衰退に至るまでの系譜がこれほどずっしりと詰め込まれた本はありません。
 付録として九六式陸攻、一式陸攻の設計に携わった本庄季郎技師(戦後三菱重工技術部次長)の思い出回顧録や、三菱重工業製作飛行機歴史録もついており、11式大型練習機(一式陸攻の初期生産タイプ。編隊で一番被害が出やすい端の小隊の専用機=翼端援護機として重武装が施されたが使い物にならず、生産30機はすべて練習機に回された)などの興味深いデータも載せられています。編隊の端っこはカモ番機といってよく狙われたから、こんな発想をしたんだね。知りませんでした。
 知らなかったことといえば、山本五十六の肝いりで昭和11年3月に九六式陸攻が制式採用されて、昭和12年8月14日に世界史に類のない東シナ海を超えて往復2千キロにおよぶ遠距離渡洋爆撃をが挙行されたわけですが、それからわずか1か月で使用40機の30パーセントにあたる12機を喪失していたという事実も初めて聞きました。惨憺たる被害ですね。にもかかわらず世界の戦争方式を変えた快挙ということで、マスコミが騒ぎ立て、渡洋爆撃に参加した搭乗員はヒーロー扱いされたのでした。
 まあ、このときの世界初の長距離爆撃が、ゆくゆくはB29などの戦略爆撃の走りとなったわけですが・・・
 また昭和12年10月、横須賀航空廠で渡洋爆撃経験者を呼んで開かれた研究会では、はっきりと中攻が被弾すれば燃えやすいことが意見として述べられ、至急に防弾対策を施すべき提言がなされているのです。
 にもかかわらず、できなかったのかしなかったのか、結局終戦に至るまでこの問題は完全に解決しませんでした。
 本書を読んでいれば、なぜ日本が負けたかということがわかります。
 工業力の差、量の差ですね。それを中攻の戦譜がよく顕していると思いました。

 日本海軍の中攻が世界の先駆となったこと、それは遠距離渡洋爆撃と、もうひとつはマレー沖海戦での航空隊だけによる戦艦を含む艦隊の撃滅です。これを忘れちゃいけない。
 昭和12年8月から始まった中攻隊によるシナ事変への出撃、各地への爆撃は昭和16年9月をもって正味中止(この間搭乗員70組喪失)され、それからは次々と開隊された中攻隊はすべて太平洋戦争に注力していくことになりました。
 そして開戦劈頭、仏印サイゴン基地を拠点とする72機の陸攻隊が、イギリスの誇る戦艦プリンスオブウェールズ、高速戦艦レパルスを雷爆撃によって撃沈したのです。英艦隊は戦艦2隻海軍中将以下800名の人員を失い、我が方は陸攻3機搭乗員20名を失っただけという完勝でした。
 これは真珠湾以上に世界に衝撃を与え、海戦方式に一大革命をもたらした快挙となったのです。
 しかし、中攻の栄光はここまで。
 もっとも限られた局面ではその後も中攻隊の活躍は続きましたが、戦線がソロモンに移ってからは激しい消耗戦が繰り広げられ、結局は量の不足、搭乗員技量の低下、防弾装置の欠落、そして忘れてはならないのがアメリカ艦船の対空兵器能力の飛躍的な向上によって、中攻の活躍する場面はなくなっていきました。昼間雷撃などとてもできなくなりました。消耗が戦果を上回ったのです。にもかかわらず司令部は中攻を酷使しましたね。その原因は戦果の見誤りなどの過大報告もあったのでしょうが、その時点の選択として使える兵器が中攻しかなかったのではないかと思います。もっと銀河などの高速爆撃機の開発採用を早める努力をするべきでしたね。緒戦の戦果で中攻の戦力は過大評価され、さらにアメリカ軍のそれに対する適応の早さが司令部の念頭にはなかったのでしょう。
 昭和19年2月、751空がテニアンに撤退するまでの2年1カ月、中攻9航空隊のほとんど全力が入れ替わり立ち替わりラバウル、カビエン、ブカ等を基地として死力を尽くして戦いつつ、力尽きていったのでした。

 中攻隊の創生から終焉まで語りつくされている本書ですが、まさに著者の巖谷二三男氏は最後まで中攻隊と共にあった人でした。略歴を見ていて意外だったのは、神戸高等商船学校の出身だったんですね。兵学校ではありません。昭和9年に予備士官から海軍現役に編入し、昭和10年に第27期飛行学生。おそらく偵察員配置だろうと思います。
 その後、中攻の聖地とでもいうべき木更津空や美幌空、鹿屋空、701空、706空などの幹部を歴任。
 ほぼ戦争の最前線で中攻の活躍を見続けてきた方です。終戦間際には中攻隊最後の作戦となるはずだったサイパンのB29を焼き払う剣作戦の計画実行責任者にもなっています。
 当然、交友を結んだ人物も多く、本書には得猪治郎、三原元一、檜貝譲治などの他書ではあまり見かけない中攻隊の重鎮というべき幹部の業績や言動、そして行く末が語られている点でも本書は貴重でしょう。

 だいぶ前から持っていたのですが、分厚い(500ページ超二段組)のでなかなかその気になりませんでした。
 もっと早く読んでおけばよかったです。


 
 
 
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「海軍陸上攻撃機隊」高橋勝作・中村友男・足立次郎ほか

 中攻隊には戦闘機隊でよくいわれる「エース」は存在しない。編隊の団結力で戦うからである。
 一式ライターといわれるほど防御の貧弱な、機銃の装備もB17などに比較すると完全な時代遅れのわが陸攻が、高角砲の斉射を受け、グラマンの反撃にみるみる被弾、自爆機の出るなかで、指揮機を中心にずらりと、ほとんど横一直線に並んだ一糸乱れぬ中攻特有の編隊、右を眺め左を眺めても、キラリキラリと輝くプロペラ、翼、心をこめて整備してくれた発動機、機体機銃の銃身の先端にいたるまで、闘魂と生気がみなぎっており、指揮官の心臓から高鳴る血潮が編隊の最翼端までほとばしっている。これが中攻隊編隊のこころであり、ここまで日頃の訓練を通じて結集したものが搭乗員といわず、隊員すべての心であった。(705空飛行隊長・中村友男)


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 海軍中攻隊搭乗員による戦記集。
 全6名による6篇。中攻のオーソリティと言われた古参幹部から5千時間を超える搭乗時間を誇る歴戦の電信員までいずれもレベル高し。一式ライターと不名誉なあだ名を賜った一式陸攻を本当に燃えやすいか横空で実験したところたちまち機銃掃射で燃え上がり三菱の技術者が泣いてしまった話など初めて聞く話や、神雷部隊飛行長だった足立次郎少佐の回顧録もありなかなか興味深い一冊に仕上がっていると思います。

「大陸長駆横断戦」高橋勝作(13空・少佐)
 支那事変初期空戦の衝陽空戦(昭和13年8月)、重慶爆撃(昭和14年5月)の回顧録。
 援護戦闘機なしの丸裸で出撃した96式陸攻隊の活躍をしのぶ。
「翼と南十字星」大沢武(美幌空・中尉)
 著者は飛行3千時間を超す歴戦の中攻偵察員。
 開戦準備のため鹿屋から台中に移動したとき隊幹部が乗った1番機が行方不明になったエピソードを皮切りに、シンガポール爆撃行、コタバル基地で敵の残した「風と共に去りぬ」の原書を見つけた話、陸海軍協同でのカルカッタ爆撃など。注目は、昭和18年4月18日の山本五十六長官機撃墜事件で、このときのパイロット小谷立飛曹長は、著者と同じ在ラバウル705空の小隊長であり、索敵当直の順番がひとつ違えば隣の小隊長であった著者搭乗の一式陸攻が長官機に抜擢されたはずであった。宇垣纏参謀の乗った2番機搭乗員の生存者の話を著者は聴取しており、撃墜時の様子がうかがえる。
 著者は昭和19年6月24日、玉砕寸前のグァム島から伊41潜水艦で脱出した。
「一式陸攻漂流記」大野新一郎(元山空・上飛曹)
 著者は電信員。レパルスに至近弾。在ラバウルで珊瑚海海戦。昭和19年3月、762空708攻撃隊に配属され、台湾沖航空戦に出撃。敵艦を雷撃後、乗機は海上に不時着。1週間漂流後、アメリカの駆逐艦に救助されて捕虜となった。
 敵艦隊の通信参謀はとても日本語が流暢で、762空が鹿屋を基地としていることも知っていたという。
「中攻隊のサムライたち」小西良吉(千歳空・少尉)
 著者は電信員兼射手。飛行時間5800時間。小西がいなければ小隊の電信射撃がガタガタになると請われてなかなか偵察員配置になれなかった逸話を持つ歴戦の中攻搭乗員。ラバウルでは酒豪のため麻酔なしで盲腸を手術されたがガダルカナル攻撃は16回を数え、珊瑚海海戦では敵の先行支援艦隊を昼間雷撃した。
 注目は真珠湾攻撃に連動した開戦時のウェーキ島爆撃。マーシャル郡島ルオット基地から出撃、著者の機は超低空の300メートルから250キロ爆弾を落とし、自身の爆弾の破片で操縦索を切ってしまった。
「私の戦場回想」中村友男(705空飛行隊長・中佐)
 商船学校出身の異色の中攻隊古参幹部。指揮官先頭の見本のような人物で、自身もパイロットのために指揮官として搭乗したときは副操縦士の席に座った。支那戦線で戦績を重ねたが、太平洋戦争ではミッドウェーの敗戦処理から現場に配属。以後、ラバウルの最前線でソロモン海戦、レンネル島沖海戦など中攻隊死闘の先頭に立った。
 非常に読み応えのある臨場感あふれる戦記であるとともに、戦後民間会社の労務課で骨を折った人柄あふれる偉ぶらない文章は、読み物としても第一級のものであると思われる。
「わが陸攻隊戦記」足立次郎(751空飛行隊長・少佐)
 96式陸攻の登場期から操縦していた経験を持つ陸攻のオーソリティ。横空実験部にも在籍しており、中攻のメカニズムや戦術を知り抜いている。横空で一式陸攻に燃料を満載し機銃掃射して耐久性テストしたときはたちまち燃え上がり。その一式ライターのあだ名に恥じない姿に三菱の技術者は目に涙をためていたという。
 戦争末期には人間爆弾・桜花で悪名高い神雷部隊で、海兵同期の野口五郎少佐と同じく飛行隊長として配属された。
 著者はこれしかもう戦うすべはないと思っていたという。著者の隊は出撃することなく空襲で全滅したが、基地が違った野口少佐の隊は桜花を抱えて出撃、空戦で全滅した。おそらく老練な野口少佐が操縦していたと思われる一式陸攻が長時間海面を這って最後の瞬間まで敵機の銃撃をかわし続けていたという話を著者は聞いている。




「飛鳳 海軍中攻隊奮戦記」福田清治

 元中攻パイロットの著者が、経営する出版社で自前で刊行した非売品の戦記。1973年発行。
 巻頭の序文はあの淵田美津雄ですよ。海兵52期、真珠湾攻撃の現地指揮官ですね。
 戦後はアメリカやヨーロッパでキリスト教の伝道師をしていたという伝説の飛行隊長です。
 敗戦への転機となったミッドウェーのときは虫垂炎のために、現場指揮官ができませんでした。もしも淵田美津雄がミッドウェー島攻撃の指揮官だったならば、あんな惨敗はしていないと思いますね。
 敵機動部隊を発見することを考えて「島に二次攻撃の必要アリと認む」なんて司令部に打電していないでしょうから。
 そんな大人物に著者がなぜ序文を頼めたかというと、著者が大阪水交会の会員で淵田美津雄が会長であったためです。
 ざっくばらんながら格調高く深い漢文への教養を感じさせる序文でした。
 淵田美津雄が序文を寄せた本を他に私は知りません。

 で、本書の内容なのですが、ちょっとわかりにくいところがあるというか、古書ならではの雑な部分があります。
 まず、著者である福田清治さんの海軍時代の階級や出自がはっきりしていないこと。
 読む限りでは、第1航空隊(752空)の中攻操縦員で小隊長ということしかわかりません。
 写真を見る限りでは下士官ではないかと思うのですが、支那事変での爆撃の経験もあるようで古参だと思われるし、終戦間際のところで予備士官が敬語で喋っているので、飛曹長以上の特務士官の可能性もあります。予科練の何期出身とかいつどこの生まれであるとも書いていませんのでね。ちょっと不思議ですよね。
 それに、どうやら福田さんではないと思われる方の体験談も混じっているようです。
 途中で昭和19年2月17日のトラック大空襲で迎撃に上がった零式観測機の記事がありました。
 中攻のパイロットがまさか零観に乗るはずはないと思うのでね。
 この零観は結局撃墜されるのですが操縦員は生き残ったようで、大変貴重な記事だと思うのですが、誰が書いたのかわからないのは本当に残念だと思います。大阪水交会の誰かでしょうか。
 書いた方の名前が入っている記事も寄稿みたいな感じで少しありましたが、こちらも甲種予科練1期生(野口克己さん)であったり、4回も墜落した経験のある艦爆のパイロット(大西貞明さん)であったり、生半可ではありません。
 願わくば、非売品なので仕方ないのかもしれませんが、将来読まれるということにもっと考えを向けて、編集、構成をしっかりしてほしかったと思います。
 ただ写真類は不鮮明でありながらも、今まで見たこと無いのがありました。敵空母直上で撃墜される銀河などですね。

 結局、著者の実体験が書かれているのは、海戦劈頭のシンガポール爆撃、レパルス雷撃、マーシャル群島タロア基地での経験、そして戦争末期の台湾での体験かと思われます。
 中攻での雷撃は、いつ読んでもすさまじいですね。
 高角砲、機関砲の弾幕の真只中を、針路を変えることなく直進しなければならない雷撃のおきて。
 いかに操縦が上手でも弾はよけてくれません。被弾しないのが不思議なくらいだそうです。
 一式ライターと呼ばれるくらい脆弱な機体。著者ははっきりと欠陥機であったと書いています。
 昭和20年6月に台湾の新竹飛行場にいた著者は、螺旋爆弾による爆撃で多くの部下や同僚を失いました。
 螺旋爆弾とは、周囲に切型の入った小指関節程の鉄片が螺旋状に巻いている触発式の爆弾で、人馬殺傷弾と言われる新型爆弾でした。触発式なので下には入らないため土が一尺盛った防空壕であれば絶対大丈夫ですが、1キロの軽量で大量にばらまかれ、不発弾がなかったそうです。

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「防空駆逐艦『秋月』爆沈す 海軍予備士官の太平洋戦争」山本平弥

 日の丸の旗の下では死ねるが、軍艦旗の下では死にたくない。
 “船のプロ”商船学校出身士官の太平洋戦争


 明治17年、日本政府はイギリスを真似て海軍予備員制度を作りました。
 これは高等商船学校(現在の商船大学)の卒業者を、戦争時に海軍士官として徴用するという制度です。
 艦船を動かすには高度の航海術や機関術が必要ですが、そのための士官を平時に大量に抱えておくことは、予算的に無理です。ですから平時にはプロの軍人でまかない、いざ戦争になると商船のプロを予備士官として補充するという考えでした。
 日本は四方を海に囲まれた国であり、航空路が未熟な時代にあって、海路は国家の命綱でした。
 必然、日本は当時世界第三位の海運国であり、海運に従事する海員の質は非常に高いものだったのです。
 しかし、彼らは平和の海で活躍すべき職種です。
 心ならずも、強制的に殺人兵器である軍艦に応召される葛藤はいかばかりであったでしょうか。
 太平洋戦争では東京、神戸の両高等商船学校卒業者の約2700名が海軍に応召され、900名を超える方が亡くなりました。著者の卒業した東京高等商船学校機関科第111期生は、なんと31名中18名が戦死されています。
 応召中に、海軍予備士官からプロの軍人である海軍士官に転属できる制度もありましたが、それを利用したのはわずか20数名であったようです。ほとんどの商船学校出身の予備士官たちは“商船乗り”の誇りを矜持したまま、戦争を闘ったのです。
 日の丸の旗の下では死ねるが、軍艦旗の下では死にたくない。これが船のプロとして誇り高き彼らの偽らざる心境だったのではないでしょうか。

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 秋月型防空駆逐艦「秋月」
 昭和17年6月竣工
 公試排水量 3470トン
 34ノット
 10センチ高角砲 最大仰角90度
 1門当たり発射速度毎分19発
 最大射高1万4千7百メートル
 

 商船学校を卒業して少尉候補生になった著者は、昭和18年9月に応召され、重巡「足柄」に配属されました。
 足柄では、機関科の分隊士や工作科の分隊士を務め、昭和18年11月から10ヶ月半を足柄で過ごします。
 ガンルームでは、アブラ海に伊58潜から回天特攻して大戦果を上げた石川誠三少尉がいました。
 このときのエピソードとして初めて聞く話だったのは、マリアナ沖海戦の敗戦を受けて、軍令部ではサイパン島に戦艦「山城」、重巡「那智」「足柄」で水上特攻を仕掛ける案があったらしく(イ号作戦)、出撃寸前で中止になったらしいのです。
 行ったら絶対に助からないだろうと足柄の艦内では話されていたらしいですが、この案を企画したのは無謀で有名な神重徳大佐であり、これが後の大和水上特攻の母案となったのではないかというのですね。
 神重徳は「山城でサイパンの砂浜に乗り上げて撃ちまくる」と言っていたらしいですが、理系の著者に言わせると、砂浜に乗り上げた時点で軍艦の主砲は動かなくなるものであって、これくらいの道理がわからない人間が海軍の上層部にいたのは呆れるとのことでした。神さんは栗田さんの代わりにレイテ行けばよかったんじゃね? 阿呆だよね相変わらず。何人の尊い命を犬死させたのだろう。戦後すぐに死んでよかったわ。
 昭和19年9月、著者は志願して危険な駆逐艦乗りになります。駆逐艦「秋月」の缶指揮官(機関科分隊士)です。
 そして運命のレイテ決戦に小沢機動部隊の空母護衛艦として出撃するのです。
 「秋月」が爆沈したのは、昭和19年10月25日の午前8時頃でした。
 缶室が吹き飛び、高熱蒸気が充満するなか、著者は顔も手足も肺も焼ける重傷で命からがら甲板に上がるのですが、その模様は冒頭に書かれている通り、凄惨の一言に尽きると同時に、これほどまで生死の現場を迫真に満ちた描き方をしている戦記は今までに読んだことがありませんでした。機関は艦底ですから、艦が撃沈されると助かる可能性が低いわけで、著者のように奇跡的に生き残った方の記録が少ないのかもしれませんけど、すごかったように思う。
 著者は駆逐艦「槇」に救助されましたが、槇の石塚栄艦長は司令部の命令でなく独断で秋月の救難に向かったのだそうです。その後、中城湾に逃げ延びるまで槇は敵機の直撃弾を3発食らうのですが、機関が心配で重傷なのにアドレナリンによる興奮で艦橋に這い上がった著者を石塚艦長は「負傷者は下がれ!」と一喝、艦橋で仁王立ちになって踏ん張ったそうで、このときの体験談も鬼気迫るものでした。
 海軍病院に入院した著者は以後第一線を離れ、練習艦「八雲」や砲術学校の教員配置を務め、終戦となりました。
 戦後も海一筋で、海上保安学校の校長を奉職されています。
 
 戦後数十年、秋月はなぜ突然爆沈したのか、ミステリーとされていました。
 敵潜水艦による雷撃、味方母艦に向かう魚雷に体当たりした、味方による誤射などの説もあり、公刊戦史にもはっきりとした沈没原因は記されていなかったようです。
 しかし、本書で著者は理系の才能と爆発時の自身の体験、秋月生存者の証言などから、ほぼ沈没原因を特定しています。それは、秋月の激しい対空射撃の間隙を突いて後方から侵入した敵爆撃機による直撃弾が、魚雷発射菅のあたりに炸裂して魚雷が誘爆したものということでした。
 米軍も恐れる高性能の防空艦だった秋月爆沈のミステリー解明、そして海軍予備士官としての艦船従軍経験、貴重な機関室士官の体験談など、何より筆力があって読みやすいですし、本書は戦記として読む価値の非常に高い一冊に仕上がっています。


 
 

 
 

「駆逐艦『不知火』の軌跡」福田靖

 真珠湾攻撃に出撃以来約3年間にわたって海上戦闘に出撃し、レイテ沖海戦で日本海軍最後の沈没艦となった陽炎型駆逐艦「不知火」の戦記。
 著者は毎日新聞の元幹部で、大正9年生まれの長兄が不知火の機関兵だったことが本書を編纂するきっかけとなりました。お兄さんは不知火で戦死されましたが、終戦1年後に戦死公報が届き、お父さんが受け取った木箱の中には、兄の氏名と海軍の等級を記した紙片が一枚入っていただけで、お父さんは一言「犬死じゃったのう」と言ったそうです。
 著者が、沈没時の様子が定かではなく生存者もいないとされる不知火の戦記を著した背景には、兄の死を犬死にはしない不戦への強い想いがあったのではないでしょうか。

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 陽炎型駆逐艦「不知火」
 昭和14年12月20日就役
 基準排水量 2033トン
 35・5ノット
 第18駆逐隊司令艦
 

 内容は、太平洋戦争の流れを大きな背景として不知火の航跡をそれに混じえる形で綴られています。
 バランス的には、やや太平洋戦争概論にウェートが置かれすぎており、不知火へのスポットが少なすぎるように思いますが、本書の海軍太平洋戦争概論はなかなか読み応えがあったように思うので、戦記へのとっかかりを探しておられる方にはちょうどいいでしょうし、不知火は歴戦の割には残っている記録が少ない艦でもあります。
 というのも、真珠湾攻撃からインド洋作戦、ミッドウェー作戦と機動部隊の護衛警戒艦として行動を共にしながら、キスカ島作戦で昭和17年7月5日に米潜水艦グロウラーの雷撃を受け、艦首が遮断される大被害を受けて1年2ヶ月もの間、舞鶴工廠で修理されていた期間があったからです。このときは、同じ第18駆逐隊の「霰」が轟沈、「霞」も船体が両断される被害を受けました。一隻の潜水艦に3隻の駆逐艦が一瞬でやられたのです。第18駆逐隊の司令は自決を図ろうとしました。
 結局、これが元で第18駆逐隊は解体され、右舷第1缶室に直撃を受けて艦橋から前を失った不知火は、125メートルあった船体が75メートルになった変わり果てた姿で後進のまま曳航され内地に帰還しました。
 修復工事を終えて不知火が再び戦線に復帰したのは、昭和18年11月です。
 艦長は赤沢次寿雄中佐から荒悌三郎少佐へと交代し、昭和19年3月には第18駆逐隊(霞、薄雲)が再編成されました。
 そして運命のレイテ決戦では、志摩艦隊の一艦として出撃し、10月27日避退先のコロン湾から軽巡鬼怒の救難に向かったまま、行方不明になりました。生存者はいません。目撃者(海上を漂流していた軽巡鬼怒航海長・飯村忠彦氏)の伝えるところでは、不知火は鬼怒の沈没地点に到着したところで、敵艦爆機編隊の攻撃を受けて撃沈されたそうです。
 海軍の太平洋戦争概論の中身が濃いと書きましたが、私がそう書いた理由のひとつに志摩艦隊の行動が詳細に書かれている点があります。レイテ決戦に参加した日本の艦隊にはそれぞれ栗田艦隊、小沢艦隊、西村艦隊、志摩艦隊と名付けられていますが、志摩艦隊については直接戦闘に参加しておらずその動きを知らないままでした。遮二無二にスリガオ海峡を突撃して全滅した西村艦隊のすぐ後方を全速力で志摩艦隊は追っていたのですね。西村艦隊の悲壮極まる最期を受けて、志摩艦隊は退却を決断しました。動艦隊(うごかんたい)と揶揄された志摩艦隊ですが、この退却は仕方なかったのではないでしょうか。むしろ、中央が志摩艦隊の扱い方に迷いがあり、適宜で判断して使用しようとする遊軍的な立場に追いやられていたことが気の毒であったようにも思います。乾坤一擲の勝負というのならば始めから栗田艦隊か西村艦隊に合流させていればよかったではないですか。栗田艦隊の謎の反転に目がいってしまうレイテ沖海戦ですが、結局のところ軍令部の無策がそのまま露わになったような気がします。


 
 
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