「空母『蒼龍』とともに」池田清夫

 中型空母「蒼龍」のベテラン飛行機整備兵による戦記。
 著者の池田清夫さんは、大正5年宮城県南郷村出身。終戦時海軍整備兵曹長。海軍生活11年3ヶ月。

 母艦の整備兵による戦記は非常に珍しいかと思います。
 著者が海兵団を出たのが昭和9年ですが、勤務先の海軍通信学校で分隊士から「これからは航空の時代だ。大砲の時代ではない」と諭され、砲術学校への進学を諦めて霞ヶ浦空の普通科整備術練習生になったそうです。
 支那事変で初めて空母「蒼龍」に配属されてから、一度陸上勤務を挟んで再び真珠湾攻撃の前に「蒼龍」に呼び戻され、それからミッドウェーで沈むまで「蒼龍」と共にあったあったわけですから、大げさでなく本のタイトル通りの海軍生活でした。
 一度目の「蒼龍」勤務では、安慶基地で横山保大尉や羽切松雄兵曹のいた戦闘機隊の飛行機員を担当、2回目では江草少佐率いる艦爆隊を担当しました。飛行機員というのは、同じ整備員でも分解組み立て等の大整備と違って、毎日の飛行作業前後の点検整備等を行い、搭乗員が支障なく飛行できるように作業をこなすのを任務としています。
 昭和13年11月に念願の下士官(三整曹)となり、昭和15年5月には24歳で二整曹に昇格していますが、陸上勤務していた霞ヶ浦空や土浦空では、母艦乗組経験があるということで一目も二目も置かれていたそうです。
 そらそうだわな。曲者ぞろいの艦隊戦闘機隊を担当してたんだから、怖いものないよねえ。
 本書の特徴としては、あまり自分の経験した戦闘を資料を調べて肉付けしておらず、あくまでも自分の記憶に素直に書かれているということが挙げられると思います。自分史の一面もあり、海軍を志願するまでや逆に戦争が終わってからの生活についても多くのページが割かれているのは珍しいですね。

 整備兵らしい興味深いエピソードもありました。
 真珠湾攻撃に向かう前、飛行機のエンジンを温める特大の白金懐炉が60機分積載されたそうです。
 このことから北方攻撃に向かうものと著者ら飛行機整備兵は思い込んだそうですが、敵を欺くにはまず味方からということでしょうか。その頃は海軍も兜の緒が締まっていたのですね。
 逆にミッドウェーでは緩みきっていました。慢心です。
 「蒼龍」が致命傷となる爆撃を受けた時、著者は飛行甲板サイドの待機所にいました。
 格納庫にいたら確実に死んでいたそうです。航空機の爆弾や魚雷に誘爆しましたからね。
 海に放り出された著者はサメのいる海で6時間漂流することになります。
 ちょうど昼飯前に攻撃されたので、空腹と疲労と寒さで、救助艇が「いまいくぞ頑張れ」ときたときには自力で船に上がる力は残っていなかったそうです。このときの模様は詳述され、海で漂流していたときに、駆逐艦に向かって泳いでいったやつはみな死んだと書かれています。体力を温存して最小限の力で水に浮いていることだけをしたやつは助かったと。

 ミッドウェー海戦後、幸運にも著者が艦隊に戻ることはありませんでした。
 艦隊に戻らされた「蒼龍」の整備兵たちは、ほぼ生きて帰ってくることはありませんでしたから。
 おそらく、運だけではないと思います。
 長年海軍のメシを食ってきた実力も多大に関与したのではないでしょうか。人柄といいますか。
 整備だけではなく、海兵団で教員にもなっていますからね。
 郡山航空隊分隊士で終戦。



 
 
 
スポンサーサイト

「飛龍天に在り 航空母艦『飛龍』の生涯」碇義朗

 日本海軍を代表する中型航空母艦「飛龍」。
 昭和14年7月5日に竣工してより、支那事変、ハワイ奇襲、南方作戦、インド洋作戦に参加、そして運命のミッドウェー海戦において日本主力の三空母が沈む中、孤軍奮闘して敵「ヨークタウン」と刺し違える形で昭和17年6月6日に沈没するまでを、飛龍乗組員の豊富な証言を元に克明に追った戦記です。

 碇義朗さんの本は他にも読みましたが、これが一番引き込まれたかも。
 ミッドウェー海戦の模様を読むのは、あまりにも情けないのと腹が立つので嫌いだったのですが、初めてじっくりと読むことができました。「赤城」「加賀」「蒼龍」が沈んだ後に、まるで凪というか台風の目のように飛龍が個艦で奮闘していた時間が長かったことに驚きました。12時間くらいあったんですね。私は2,3時間くらいの差で飛龍もやられたのかと思っていました。
 南雲や源田実などエルランゴップ級の知力2程度の愚将のせいで、絶対勝てる戦を負けたのだと思いこんでいましたが、彼らも一生懸命やって不運が重なりすぎて負けたのだとわかりました。まあ、それでもバカには間違いないけど。
 飛龍の艦長である加来止男大佐(第4期航空術学生)も、二航戦司令官の山口多聞少将(海兵40)も、南雲司令部が兵装選択でバタバタしているのを横目で見て「せっかく陸用爆弾を付けたのだからこのまま行ってはどうか」と具申したのは有名な話ですからねえ。でも著者は、仮にその通り行ってても目標を見つけられなかっただろうと書いていましたね。
 索敵が甘すぎたのです。激甘。根本的に舐めすぎていたのだと思います。
 しかしまあ、アメリカが勝てたのはものすごい偶然の重なり具合といいますか・・・
 未来から過去を変えるために操作されたのではないかと思えるくらい、おかしな戦闘です。
 戦争は錯誤(エラー)の連続であると言われますが、これはおかしいでしょ。
 まったく当たらなかったアメリカの航空機の攻撃が急に当たりだしたのはなぜでしょうねえ。
 珊瑚海海戦のときに日本の艦爆隊が間違って敵空母に着艦しそうになったのを教訓として、ミッドウェー作戦を前に日本の空母の甲板には大きな日の丸が描かれるようになって、それがアメリカの艦爆隊の爆撃照準になってしまったそうですが、それだけで技量の未熟なアメリカの急降下爆撃があれだけバシバシ命中するものなんでしょうか。

 たった1隻残り、果敢に第一次、第二次攻撃隊を送り出して米空母「ヨークタウン」を航行不能に追いやった飛龍。
 日本側の空母の中では乗組員のチームワークが抜群で、ダントツに飛行機収容時間が短く、それが戦闘能力の高さに繋がっていたといいます。
 猛将山口多聞司令官を筆頭に、仲間を沈められて憤怒に燃えていたことでしょう。
 それが名指揮官の判断を誤らせたとは思いませんが、結局、第三次攻撃隊の出発を薄暮に遅らせたことで、先に波状攻撃を受けることになってしまいました。この時点で逃げるという選択肢もあったと私は思う。
 攻撃を遅らせるのならば逃げればよかった。どうせ寄せ集めの機体しかないのですから。
 結局、今度は逆にヨークタウンの仇を討たれることになってしまいました。
 飛龍だけを狙ったあれだけの攻撃は避けることはできないでしょう。
 4発の1000ポンド(450キログラム)爆弾が命中したことが、飛龍の命取りになってしまいました。
 日本の空母は、アメリカのように防御飛行甲板ではありません。
 長期戦に備え、米俵をあちこちに積んでいたこともアダになりました。米俵に火がつくとくすぶって消えないのです。
 しかし、本書を読んで一番驚いたのは、上と中はめちゃくちゃにされましたが、実はそれでも底にあった飛龍の8缶あるボイラーのうち5缶は生きていて、28ノットで航行することが可能であり、帰るつもりで機関員も頑張っていたのです。
 それが艦橋と機関室の連絡が遮断されてしまい、機関室の声が届かなかったために、機関室は全滅したもはや飛龍もこれまでと幹部が早合点してしまったというのですね。
 飛龍は内地に帰還できた可能性が高いです。返す返すも無念だねえ。
 今更飛龍が残っていたとしても、いずれやられてはいるでしょうが・・・司令官も艦長も死なずにすんだわけですから。
 死んだと思われて捨てられた機関員は、総員退去後も機関長相宗邦造中佐以下百人近くいたそうです。
 沈没寸前、彼らは脱出しましたが、生き残ってカッターで漂流できたのは39人。
 この後のことは本書に一番登場して証言し、著者が本書を書くきっかけにもなった機関長付の萬代久男少尉さんが丸の別冊に書いているそうですが、彼らには15日間漂流し、3年半の捕虜生活を送るという過酷な運命が待っていたのです。
 決死の出撃をさせた航空隊の後を追うつもりだったのでしょうが、加来さんも多聞さんもちょっと死に急ぎ過ぎましたね。


 
 

 
 
 

「彗星特攻隊」増戸興助

 艦上爆撃機彗星による特攻隊に配属されながら、奇跡的に生き残った操縦員の手記。
 丁寧で非常に読みやすく、事故の責任を逃れるため上司に虚偽の報告をしたことなど(戦後バレてていたことを知る!)が正直に書かれていて好感が持てました。
 また、本書で初めて目にした貴重なエピソードもありました。
 ちょっと驚くようなことも書かれていましたね。
 歴戦のエースパイロットでもなく、私たちと同じような“凡人”の目線で戦っていたことが印象に残りました。
 凄い人だけが死線をくぐり抜けて生き残ったわけではないのです。

 著者の増戸興助さんは福島県出身、第17期海軍乙種飛行予科練習生(1209名、昭和19年2月卒業)。
 台中航空隊で初等飛行訓練を受け、実用機教程は台南空、艦上爆撃機操縦員専修。
 このときの台南空での分隊長が、神風特攻の先駆けとなった敷島隊で有名な関行男大尉でした。
 「ほんとかよ」と思うような珍しい関行男大尉のエピソードがありましたが、後ほど。
 実施部隊は、帝都防衛を任務とする厚木空彗星夜間戦闘機隊に配属されました。
 斜銃で有名な小園安名司令のもと、彗星の後席の後部に20ミリ斜銃を取り付けたのが彗星夜間戦闘機です。
 戦闘機でさえまともに撃ち合っても勝てないB29などの大型爆撃機の腹の下に潜り込んで、急所を突くわけです。
 厚木空にはもちろん月光などの夜間専門戦闘機もありましたが、著者によると偵察機彩雲に斜銃を搭載した改良タイプもあったそうで、実際に著者がテスト飛行したそうです。
 初めて聞いた、彩雲の夜間戦闘機型。なんか強そう。
 昭和19年12月、131空指揮下にある攻撃第3飛行隊急降下爆撃隊に異動、香取基地。
 3月に入り、通常の訓練体制を解かれ、特別攻撃隊として鹿児島の国分基地に移動、菊水作戦に備えました。
 特攻隊としての初出撃は昭和20年4月3日。このときは誘導機でもある1番機(大塚一俊中尉)がエンジン不良による失速で自爆し、帰投。4月6日の2回目に出撃時はグラマンに襲われ、喜界島に不時着陸しました。
 K3(攻撃第3飛行隊)での命令は「敵空母に対しては体当たり攻撃を敢行、その他の艦艇に対しては必中爆撃を主とす」という灰色のものだったそうです。
 3機編成で、1番機は彗星33型に操縦員と偵察員が同乗し、500キロ爆弾を積んで誘導機を務めました。
 編隊を組む2番機と3番機は彗星43型で、爆装は800キロ爆弾、操縦員のみで無線や機銃の装備はありませんでした。
 1番機を誘導機とすれば列機には偵察員は要らないという判断だったことになります。
 そのぶん、もし1番機が落ちれば列機は航法ができませんね。
 どうなんだろう、これはK3に限ったことであったのか、隊幹部の特攻に対する方針は書かれていません。
 「よそは全機とも操縦員と偵察員のコンビで特攻だが、うちはそんな無駄死にはさせん」みたいなことがあったのか不明です。
 いずれにせよ、著者が生き残ったのはK3の方針によるところが大きいのではないでしょうか。
 しかしそれでも、数名いた著者の乙17期の同期生は特攻戦死していますが・・・

 なかなか興味深い話があった本書ですが、一番驚いたのは著者が実用機教程で台南空にいたころの関行男大尉のエピソードでしょうか。なぜか艦爆操縦員である関大尉が零戦の操縦を練習しだした8月のことでした。
 著者の分隊長であった彼は、体育館に約300名の航空隊全搭乗員を集合させ、航空機による艦艇への体当たり攻撃という特攻戦法の必要性を解き、自分の意見に賛同するものは志願書を出せ、と演説したそうです。
 著者ら分隊員は悩み、班長である乙11期の先輩に相談したところ、「お前たちはまだ半人前の練習生だから、志願書提出に及ぶまい」と回答をもらい、結局、志願書を提出しませんでした。
 ところが、これが関大尉の逆鱗に触れたらしいのです。
 分隊の上司である関分隊長の提案に、分隊から賛成者がいなかったことが原因でした。
 関大尉は、分隊の扉を開けるや「いくらお前たちが練習生であっても、軍人としての誇りや意地がないないのか、大馬鹿者」と怒鳴りました。あわてて著者は分隊員と相談して15名の志願書をまとめて関大尉のもとまで持っていったらしいですが・・・
 初めて聞く話で、実際に著者が体験したことなので間違いはないと思われますが、なかば神格化された関行男大尉の人間らしい? 珍しいエピソードでした。



 
 

「海に消えた56人 海軍特攻隊徳島白菊隊」島原落穂

 すべての漢字にルビがふられていて読みにくく、著者は思想がありそうなうえに戦記には素人だと思われたので、これは最後まで読めるだろうかと危ぶみながらページをめくっていましたが、なにより懸命な取材活動と誠実な文章にいつしか引き込まれ、独特な観点と今まで私が読んだ戦記との思わぬリンクの発見もあって、非常にいいものを読んだと今では思っています。
 1990年の刊行ですから、まだ特攻に出られた方々の遺族が健在であり、絞り出された生の声が特に印象に残りました。

 海軍航空隊である徳島航空隊は、現在の徳島空港辺(終戦時には市場町に移動)にあった練習航空隊です。
 操縦員ではなく、後席で航法をする偵察員を教育するところで、「白菊」という偵察員専用の教習機を使っていました。
 いよいよ戦争がだめになって軍が特攻をするようになると、徳島空はこの「白菊」での特攻を命じられます。
 これが「白菊特攻隊」と名付けられた所以です。
 白菊特攻隊は菊水7号作戦から投入され、昭和20年5月から6月にかけて満月前後の明るい夜に、前進基地である串良から5次にわたって沖縄へ出撃し、56名が特攻戦死しました。
 第14期海軍予備学生、13期甲飛予科練などの操縦若葉マークのひよっこ飛行兵が大部分を占めました。
 本職である海軍兵学校出の士官はひとりも死んでいません。
 他にも私はこの本を読んで初めて知りましたが、予備練という、逓信省航空機乗員養成所の出身者が2人亡くなっています。
 いずれにせよ、未熟な操縦者ばかりであり、しかも白菊は時速160~170キロという零戦に比べて3分の1程度の鈍足で、これに改造を施して250キロ爆弾を2本も吊って特攻させたのは無謀というか、愚挙ですね。
 しかも、沖縄まで海面スレスレを5時間も飛ばなければならず、白菊は練習機であるため燃料は片道分さえギリギリでした。
 これを考えて発令した人間を戦後殺さなかったことが誠に悔やまれる。
 改造する前は、爆弾を翼下に吊らずに操縦席の後ろに括り付けていたというのだから、恐れ入る。
 無線さえ少数機にしか積まれていなかったので、白菊の戦果は不明などころか、56人がどう亡くなったのかさえまったくわからないのです。夜間なので編隊が組めず1機1機の単独行でしたから、決死とはいえあまりにも寂しい最期だと思います。
 著者は陸軍の特攻隊のことを本に書いた経験があり、それを読んだ友人から白菊特攻隊の存在を聞き、練習機などを出撃させても沖縄までとうていたどり着けないと知りながら、それでも出撃させたことや、死んだ搭乗員のほとんどが予備学生や予科練で、海軍兵学校出身者はほとんど行っていないことを疑問に思い、徳島空の元飛行隊長や生存者、特攻戦死者の遺族の方々の元を精力的にたずねて証言を集め、この闇に埋もれた特攻隊を明るみにしたのです。
 いい仕事だったと思います。
 飛行隊長が「今度はわしも行く。8月16日に出撃する」といって終戦前に帰ってきたことを、終戦することを知ったうえで部下をたくさん死なせた手前そう言って格好をつけたのではないかという、実名の本人を本書に登場させたうえでの、著者の思い切った推測には感心しました。よく書いた。私もおそらくそうだったろうと思います。

 予備練のことは驚きでしたが、この本にはまだ発見がありました。
 私が読んだ「青春天山雷撃隊」と、「黒潮の夏 最後の震洋特攻」との思わぬリンクです。
 「青春天山雷撃隊」の著者である肥田真幸氏は、徳島空飛行隊長だった田中一郎氏と海兵67期の同期だったために、紹介されて著者は会いにいっています。九州の自宅に泊まり、一緒に白菊特攻隊が出撃した串良の見学に赴いています。
 そして一番私が驚いたのは、白菊特攻隊が松茂基地を爆撃されたために移っていた市場の桑畑に隠された飛行場で、8月16日夜の土佐湾における震洋事件ですね、「黒潮の夏 最後の震洋特攻」で起こった爆発現象を、ほぼリアルタイムで知っていたということです。といっても、それが震洋の事故だとは知るはずがありません。
 実は高知空にも白菊特攻隊があり、彼らが土佐湾を北上してきた敵艦隊に特攻をかけたと思い込んだらしいです。ですから徳島も彼らに続くというとこで、搭乗員は待機していたそうです。
 徳島から火柱が見えたそう。
 これを読んだ時、背筋がブルっとしました。

  体当たりさぞ痛かろうと友は征き
 夕食は貴様にやると友は征き
 犬に芸教えおおせて友は征き
 慌て者小便したいままで征き
 損ばかりさせた悪友今ぞ征く
 あの野郎、行きやがったと眼に涙
 万歳がこの世の声の出しおさめ
 乗ってから別れの酒の酔いがでる

 



 
 

「ひよっこ特攻」永沢道雄

 「お前たちはことし中に総員戦死するのであるから、本日ただいまからそのように承知してもらいたい。この中には自分だけは生き残れると思っている者がいるかもしれないが、それはとんでもない間違いである。お前たちに死んでもらわんともうどうにもならない土壇場に日本はきている。総員戦死。いいな、わかったな」

 ひよっこ特攻。
 乗る飛行機も事欠き、燃料も底をついた太平洋戦争末期の日本海軍航空隊。
 技量が未熟でも仕方ない、ただ敵の上空にたどり着いて体当たりできればいい、と送り出された特攻隊員。
 乗る飛行機は零戦どころか、艦爆や艦攻でさえなく、赤とんぼと呼ばれる複葉布張りの練習機まで駆り出された。
 偵察員用の練習機「白菊」に250キロ爆弾を2個もくくりつけて体当たりといっても、敵にとってはヨチヨチ歩きのアヒルを撃つよりやさしい相手である。
 本書は、これら特攻隊の隊長となった第14期飛行科予備学生の証言や手記を中心とし、戦争末期の断末魔に喘ぐ狂った日本海軍の実像を浮き彫りにする、知られざる海軍特攻戦史。

 絶対的な数こそ違いますが、昔の学生も今の学生も、そう変わったところはありません。
 酒を飲んではしゃぎ、女にうつつを抜かし、ときたま勉強をする。
 ただ、数十年の違いで、片方は特攻で強制的に死ぬことになりました。
 好きな人もいたことでしょう、童貞のまま死んだ予備学生も多かったでしょう。
 自分ならばどうしただろう、と身につまされながら読みました。
 いやどうしただろうじゃないな、どう折り合いをつけただろうか、だね。死ぬことはなかば決められてるのですから。

 白黒の古い映像。神宮競技場での学徒出陣壮行式を目にした方は多いと思います。
 本書の主人公たちこそ、あのとき行進していた学生たちです。
 昭和18年10月。それまで兵役を免除されていた文系学生が、いっせいに徴兵されました。その数約10万人。
 うち陸軍に8万余。海軍には1万7千人入隊し、そのうちの3300人超が飛行科に配属されました。
 この3300人を、第14期海軍飛行科予備学生といいます。
 元々海軍は、高等商船学校を出た船乗りしか予備士官として採用していませんでしたが、戦争が進むにつれて本職である海軍兵学校出の士官だけでは間に合わず、特に航空隊士官の損耗が激しく、急遽、第14期とその前の第13期予備学生採用(予備生徒含む)において約1万人もの飛行科士官を登用したのです。
 ほんと見通しが甘いというか、海軍はバカだったと思う。戦争を舐めてたね。
 開戦時、日本海軍航空隊は6300人の搭乗員を擁して戦争に突入し、昭和19年2月までの2年3ヶ月で、なんと約7千人もの搭乗員を喪失しました。補充すればすぐ戦死、というような感じです。当然、下士官兵を引率する士官が常時不足するようになったのです。指揮官先頭が伝統ですからね。
 はじめから准士官待遇だった13期予備学生と違って14期の若鷲は、二等水兵からのスタートで海兵団に放り込まれました。ここから練習教程、実用機教程とすさまじいばかりの体罰で娑婆っ気を抜かれることになります。
 もちろん、練習機の数も燃料も足りませんから、正規の教育過程を4割削減されました。
 そして海軍に入って1年4ヶ月、どやされながらなんとかやってきて少尉になり、昭和20年4月沖縄作戦でさあ特攻ですよ。
 はじめからその気で士官登用されたと言われても、仕方ないと思う。
 死ぬために、特攻隊の隊長となるためだけに、徴兵されたとしか思えない。
 本書では正規の教育を受けて実戦を積んだ本当のパイロットと比較するために、空母翔鶴のエースだった小町定を紹介していますが、第14期予備学生のなんと「ひよっこ」たることか、もちろん空戦だって経験したことないんですから。
 彼らは普通の大学の学生です。軍隊の幹部を養成するのは陸軍士官学校であり、海軍兵学校です。
 第14期も13期の予備学生も、戦争が終わって、平和な世の中で日本経済の復興の基幹を担うべき人材だったでしょう。
 それが逆に、兵学校出の士官を差し置いて、使い捨てで特攻に使われたふしがあります。
 昭和19年10月28日に関大尉の敷島隊が特攻第一号になったと軍部は華々しく発表しましたが、実は初の特攻は予備学生だった久納中尉だったんですね。でも海軍は兵学校出の士官である関大尉を一号にしたかったために差し替えたのですよ。
 なんたることか。
 源田実のようにミッドウェーでボロ負けしたときの航空参謀でありながら、恥ずかしげもなく戦後国会議員になったのもいる。
 腹切って死んどけ能無し。


 
 
 
 
 
NEXT≫
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (91)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (17)
ファンタジックミステリー (21)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (20)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (12)
時代人情小説・ミステリー (17)
時代冒険小説・ミステリー (18)
社会小説・ミステリー (14)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (27)
海外冒険小説・スリラー (16)
SF・FT・ホラー (24)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (28)
中間小説 (21)
青春・恋愛小説 (30)
家族小説・ヒューマンドラマ (30)
背徳小説・情痴文学 (13)
戦記小説・戦争文学 (17)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (21)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (17)
文学文芸・私小説 (23)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (52)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (143)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (44)
事件・事故 (35)
世界情勢・国際関係 (23)
スポーツ・武術 (22)
探検・旅行記 (19)
随筆・エッセイ (28)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示