「拉致と決断」蓮池薫

拉致被害者である蓮池薫さんが2002年10月15日に帰国してはや10年。
子どもたちが北朝鮮から日本に来て再び家族が揃って8年半。
蓮池薫の決断とは、10年前「一時帰国」したときに子どもたちを残した北朝鮮に帰らない、と決めたことでした。
当時学生寮にいた子どもたちを北朝鮮に残すこと、2週間か10日後には再び北朝鮮に戻ることが帰国の前提だったのです。
あの当時、私が覚えているシーンに彼らが帰国して拉致被害者家族と20数年ぶりに対面し、翌日ホテルで拉致被害者家族会が会見を行ったと思うのですが、薫氏の兄である透さんがいかにも疲労困憊というか激しい二日酔いみたいな雰囲気でセーターを肩に引っ掛け質問に応じていた場面がありました。本書を読んでわかったのですが、あの透さんの疲れようは、北に残された子どもたちの安否を憂慮して計画通りに北朝鮮に戻るという薫氏夫婦と日本の家族の間で激しいやり取りがあったためらしいです。必ずしも奇跡の再会を喜び合って美酒に酔いしれたわけではないのです。そりゃ子供を北に残したままいくら故郷である日本に帰っても手放しで喜べないでしょう。
結論は、透さんら日本の家族の強い慰留と東京を離れ故郷柏崎に帰ったことで、薫氏は日本に留まって北朝鮮から子どもたちが日本に来るのを待つことを決断したのです。
子供たちが来日するのに1年7ヶ月もかかりました。本当に辛くて長い期間だったと思います。
しかし薫氏の決断は正解だったのです。あれからようやく薫氏は、拉致されてから北朝鮮で暮らした24年間と真正面から向き合えるようになりました。それはかかるべくしてかかった時間でした。
もちろん本書にも微秒な部分はできるだけ触れない配慮が見られますが、やっと語り出した薫氏の24年間の謎に満ちた北朝鮮生活は大変に興味深いものでした。

身動きもできない監禁状態は拉致当初だけでしたが、北朝鮮にいたほぼすべての期間、行きたいところにには行けず、連絡したい人とも連絡できない、いわば軟禁生活を強いられ続けていたといいます。
拉致されて1年9ヶ月後の1980年5月に結婚し、家族の身分は「帰国した在日朝鮮人」と偽装しました。
子供が生まれたことにより、日本に帰るという叶わない熱望を封じ込め、北朝鮮で暮らしていく決意を固めます。
招待所暮らし(管理員、指導員などがいる)でしたが、食料状態は北朝鮮の一般的なものよりだいぶ恵まれていたようです。コメをはじめ、野菜、魚、肉、果物、調味料、お菓子、酒類にいたるまですべてを配給されていて、時期によって供給されなくなったものもありましたが、24年間、大きな変動はありませんでした。「国民みんながあなたたちくらい食べられたら共産主義社会は実現したといえるだろう」と言われたこともありました。
しかし90年代中盤以降の「苦難の行軍」時代は子供の食料の蓄えのこともあって夫婦は招待所の近くに畑を持ちます。薫氏は日本に帰国した後も、外に出るとつい耕作可能な土地はないか物色する癖が直らないそうです。
仕事は日本語教育や翻訳を任されていました。触れられていませんが、日本語教育というと外交官や工作員相手ということになるのでしょうか。外国の配信の翻訳では、拉致事件のものもありました。拉致被害者本人が、拉致事件はなかったという記事を見るとき、なんともいえない複雑な心境だったそうです。また、日本の記事で拉致被害者家族会の結成時の写真を見たときは、そこに20年ぶりの両親の姿を発見し息がつまったとも書かれています。
本書で特に興味深いのは、彼ら拉致被害者の実在の公表にいたる過程を考えてみるときでしょう。
2000年の夏に部署の幹部が薫氏のところに来て「自分の存在を世界に向かって公表できるか?」と聞いてきたそうです。このことは、日本と北朝鮮の外交筋が小泉訪朝のかなり以前から水面下で交渉していたかもしれないということです。実際にはその話はそこで止み、2002年6月から日本からの家族を迎えるために(当初は北朝鮮で面会の予定だった)招待所から離れ平壌のアパートに移ることで急激に帰国への道は開いていきました。

女性のズボン着用は禁止、スカートの丈の長さも決まっているような統制管理社会から24年ぶりに帰国すると、「浦島太郎」状態でした。どこに行っても何を食っても勝手である自由というものを持て余した、といいます。
確かに私たち生まれながらの日本人は「自由」が息をするように当たり前なので、逆に自由を感じられません。
薫氏曰く、24年ぶりの日本は「自分らしく生きよう」「個性的に生きよう」という傾向や志向が強くなっていると感じたそうです。突然日本から断ち切られ情報が統制された中から突然戻ってくることができた彼らのような存在は他にいません。だから彼らの言うことは我々にとって非常に特別なのです。
拉致されて1年で覚えたという韓国語という武器を生かして外国語教師と翻訳家の仕事を始めた蓮池薫。
自由は人生の目的を達成するのに必要な条件なのであって、自由自体が人生の目的にはなり得ないという一文を彼が書くとそれは非常に重く、私たちに問いかけてくる気がするのです。
おまえらは一生懸命生きているのか、と。





スポンサーサイト

「東京プリズン」赤坂真理

今年一番読みにくかった本でした。こいでもこいでも進みません。難解でした。
しかし、風呂で、トイレで、あるいはジョギングしながら、知らぬ間に考えていたのはこの本のことでした。
マリ・アカサカという作者と同じ名前の主人公は、彼女自身なのでしょうか。
作者自身が実体験した事柄にフィクションの肉付けをしているのだと思いますが、マリがアメリカでハンティングしたヘラジカがヘヴィローテーションのように何度も何度も出てくる様子や、ベトナムの結合双生児がふとした拍子に目の前に現れたりする幻視幻聴は、いかにも思春期の統合失調症そのものじゃないかと思いました。もちろん違うんでしょうけどね、読みながら変な感じがずっとしてましたよ。それで意味がわからなくなって挫折する人がたくさんいると思います。
それがどうやって“天皇の戦争責任”の話に結びついていくのか、ラストまで頑張って読むと報われるんですけどね。
少なくともラストのディベートで天皇の戦争責任と日本の国の真実の歴史について、マリが、いやマリを通訳として語られたことは私としては納得できるものでした。少し突っ込みたいところはありますけど、これ以上のものは読んだことがありませんし、聞いたこともありません。

2010年、45歳になった主人公(マリ・アカサカ)は下手な小説を書いて生きている。
彼女の実家の家業は、バブル前駆期からはじまった円高で息の根を止められ、バブルのピークに長年住んだ家を抵当で失った。今、80歳の母が住んでいる家は東京の最果てで電車とバスを使って2時間かかる。
夢の中で、マリはかつての懐かしい高円寺の旧宅におり、鳴っている電話をとった。相手は15歳の自分だった。
1980年10月10日、15歳のマリはアメリカ東部最北端のメイン州の片田舎にいた。中学を出てブラブラしていた彼女は、結婚前にアメリカ大使館に勤めていた母によって国外に出されたのだ。何かのために。
1学年上の高校生が当たり前に車を運転し、しかも銃を撃ってハンティングするという、日本とはまったく異質の文化を体験していた。ハロウィンを過ぎ11月に16歳になった彼女は、教師からある提案を受ける。それは、単位取得の代わりに、来年の4月、日本について全校生徒の前で発表するというものだった。
進級か、計2学年遅れとなる留年かを決定するそのディベートの議題は「日本の天皇には第二次世界大戦の戦争責任がある」。これを突かれると思考停止してしまう日本人のツボ。学校の社会の時間は、卑弥呼からはじまって日本の近現代史になると時間切れになるようなカリキュラムに出来ている。第二次世界大戦の後始末としての東京裁判(極東国際軍事裁判)、天皇の戦争責任は、ずっと日本人が目を逸らして向き合ってこなかった事柄なのだ。
マリは思う。日本人は漂白の民ではないだろうか。故郷と自分の心身を切り離した民なのではないだろうか。日本人はなぜ昨日まで敵であったアメリカをこんなにもころっと愛することができたのか。アメリカという異文化の中でアメリカのやり方を貫くホストファミリーのもと、いささか居心地の悪い暮らしをしていると尚更そう思った。
私の国には秘密がある。私の国では大人たちは何かを隠して生きている。
そしてマリの家にも隠されたものがあった。語ろうとしないが、母は東京裁判で通訳をしていたのだ。
16歳のマリが臨んだ東京裁判。そこで彼女の語る“天皇”“日本”“戦争”“宇宙”は日本人の心を震わせる。

確かに、社会の時間では時間切れだったような気がしますわ。教えようがないですよね。
自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ日本の負けだったと。
日本は戦争に負けたが、勝ったアメリカも酷いことをずいぶんしたのだ、ということを作者は云っています。
過ちとは天皇の戦争責任ではありません。この作品のすごいところは、天皇という日本の象徴の描き方です。
私は人ではない、私は鏡である。なんて、なるほどと思いましたし、素粒子まで動員してましたね。
本作はあらゆるところに戦争を忘れたふりをして現実逃避している日本人へのメタファーが現れます。
森の大君は天皇ではありません、万物の摂理というか宇宙ですね。神は宇宙を創造したのではない、神が自分を表現したのが宇宙であるという一節は迫力がありました。マリが母にアメリカにやられた理由は、真実を見つめさせるには外に出すしかない、外でこそ日本と世界の本来の姿がわかるのだ、ということだったんじゃないでしょうか。
日本では、つねに何かが隠されていますから。
私は、昭和20年を境に天と地が逆転した日本人がそれから生きていく上において何かに目を瞑ったのは仕方ないことだと思いますよ。勝った方は価値観を押し付けるのは当たり前です。それまでの日本の価値観は破壊されました。そのことについて深く突き詰めるのは酷でしょう。もう済んでしまったことですしね。済んだことは仕方ないんですよ。だけど、ラストで作者が書いたことは間違いじゃないです。だから、それを知りながら生きていくことが大事なんだと思います。後の日本人に伝える物語、それは知っていなきゃ繋げていくことができません。




「147ヘルツの警鐘」川瀬七緒

昨年度の江戸川乱歩賞作家の受賞後第一作です。
ちなみに受賞作は「よろずのことに気をつけよ」(カテゴリー民俗ホラー・ミステリー参照)。
民俗、呪術的なミステリーでしたが、本作ではガラリと雰囲気を変えてきましたね。
結論から云って、期待以上の作品でした。楽しみながら読ますという観点から本作は素人の作品ではありません、歴としたプロ作家の書いたエンターテインメントです。
そう、極度の“虫嫌い”の方以外は、謎を意識しながら面白く読み進むことができると思います。

半年前から月1のペースでボヤを含めた火災が発生していた板橋地区。
それが先週から今週にかけて4日連続の放火という急激な展開となり、ついに火災による被害者が出た。
被害者は乙部みちる32歳、心療内科のカウンセラーをしていた。
そして、すべての謎は彼女の司法解剖から始まった。表面は黒焦げで熱のため体が縮かんだ彼女の体を切開してみると、なんと胃と食道がきれいになくなっていたのである。甲状腺から下、胸郭上口の消化器官が消失していたのだ。驚く解剖医はさらに不可解なものを見つける。それは、熱のために爆ぜた腹部からのぞく腸の下にあった。
直径10センチの球体状のそれは、ウジ虫の塊だった。無数のウジの塊は、表面は焼け焦げていたが、内部には生きた個体が見つかった。胃と腸を食ったのは、こいつらだろうか?とすると、被害者は火災の前に死んでおり腐敗が進行していたことになる。微かに残った甲状軟骨の歪みは、絞殺の可能性を暗示していた。
捜査本部は、警察組織として全国初の試みとなる法医昆虫学者の捜査参加を決めた。
赤堀涼子、36歳。大学の法医昆虫学教室准教授。
法医昆虫学とは、遺体に湧くウジの成長を見て死後経過時間を割り出したり、現場で発見されたシラミやダニからヒトの遺伝子を抽出しようとするDNA鑑定の研究などをしており、欧米では確立されているというが、当然のことながら捜査の現場では反発を招く。警視庁捜査一課の主任刑事、岩楯祐也警部補も当初はそのひとりだった。
しかし、学者は机の上だけで物事を解決しようとするという偏見は、涼子の旺盛なフィールドワークと確かな分析力によって破られる。実は法医昆虫学は、法医解剖学や科学捜査に匹敵するほど緻密な分野なのである。
地球には95万種の昆虫がおり、ヒトを含めた全動物の90%以上が虫なのだ。遺体を故意に移動すれば、その場の生態系は壊れそれは虫の生相に現れる。自然界のサイクルで物質循環の主役は昆虫であり、食物連鎖の形跡は証拠として残される。そして虫には特有の性質があり、たとえばオビキンバエは死臭を感知して10分以内に飛んでくる。法医昆虫学は、従前とは違う切り口で犯罪捜査に画期的な改革をもたらす可能性を秘めているのである。
被害者の乙部みちるは東京に来る前、埼玉の病院でカウンセラーをしていたが、かなり強引な施療をしていたことが明らかになった。彼女は職務と信念に燃えたカウンセラーだったが、言っていることは正論なのにうまく立ちまわる能力に著しく欠けていた。そして、彼女がカウンセリングをしていた中学校の卒業生は5人も行方不明になっていた。
彼らはどこに向かったのだろう?心証(みちる)を岩楯が追い、物証(虫)を涼子が追う。両者が重なるとき、事件の全貌は明らかとなる。はたして真犯人の行方は、涼子の危険な冒険の末路は……

ハエの羽音は147ヘルツで、これはハチの150ヘルツの羽音を真似しているのだそうです。
(笑)。ハエとしては自分が危険なハチであると思わせたい一心なのでしょうが、どれだけハエが頑張っても3ヘルツの違いは大きいですね、一耳瞭然です。きっとこれからはハエの羽音が間抜けに聞こえることでしょう。
その他にも本作では昆虫関係で知らないことがたくさん出てきました。ちょっとびっくりしました、あまりにも作者が研究しており造詣が深そうでしたから。本当に前作とはまったく雰囲気の違う作品でしたね。
少しだけ難を云えば、もうちょっと捜査本部と赤堀涼子の関係描写が深いほうが良かったかなと。
当初は認められていない法医昆虫学者が活躍によって偏見を覆していく、つまり小説によく見られる否定から肯定へのマジックは読書の醍醐味ですから、そこらへんをもう少し書き込んでくれたらなお楽しめました。
本作の続編も読んでみたいと思いますし、さらに違った川瀬七緒の世界を読んでみたいとも思います。
確実なことは、私はこの作家の次の作品も読む、ということです。そしてきっと楽しむでしょう。





「真紅の呪縛」トム・ホランド

ロンドン、聖ジュード礼拝堂。教会でありながら、二百年もの間この礼拝堂に入る権利を有するのは、ルースヴェン家の者だけである。つまりそれは初代ルースヴェン卿とその直系の子孫に限られてきた。
レベッカ・カーヴィルは、礼拝堂の納骨堂に隠されているとされる大詩人バイロンの回想録を探し出すために、この禁断の建物に潜入する。そして20年前にレベッカの母であるミス・ルースヴェンもまた礼拝堂に侵入したあと消息を絶っているという事実を知る。
キリスト教会の中に何故か建つイスラム教徒の墓。礼拝堂の地下に眠る謎の生物に襲われたレベッカ。
そして、誘われるように訪ねた“フェアファックスストリート13番地”の屋敷で待ち受けていたルースヴェン卿の正体とは、死んでもう2百年近くになるバイロン卿そのひとだった!

初めて読みました、吸血鬼の物語です。ただのホラーではありません。ヴァンパイア、フランス語でヴァンピール、しかしこの物語ではギリシャ語の『ヴァルドゥラカ』という呼び方が一番似合います。なぜならケンブリッジ大でバイロンの研究者であった著者が、大詩人バイロンの足跡をなぞりながら吸血鬼フィクションに仕立てあげたこの物語は、彼が身を焦がす恋に落ち、人外の呪われた存在に変身させられたアルバニア・ギリシャの地が最も印象に残る場所だからです。1800年代初頭のギリシャはオスマントルコの支配下にありました。そしてバイロンは現実にギリシャ独立戦争に身を投じて熱病で亡くなっているのです。

レベッカに対して、バイロンは滔々と語り出す。自分が吸血鬼になった訳を。
1809年、21歳のときバイロンは親友のホブハウスとヨーロッパ大陸の旅に出た。
最東でコンスタンティノープル(イスタンブール)にまで達した2年にわたる旅行だった。
途中のギリシャでバイロンはギリシャ人の奴隷少女ヘイデとの恋に落ちる。彼女は、アルバニアの死の川アクロンの渓谷にそびえる城の主ヴァルケ・パシャの囚われの身だった。
バイロンとヘイデは駆け落ち同然に城から逃げ出すが、殺したはずのヴァルケ・パシャは蘇り、それもそのはず彼は1200年生きた吸血鬼だった!、ヘイデは再び捕まり、バイロンはヴァルケ・パシャによって呪われた吸血鬼にされてしまう。吸血鬼、それは若さと老い、人間性と神性を同時に持ち、生を超え死を超える。
ヴァルケ・パシャの心臓を剣で貫きヘイデの仇を討ったバイロンは、旅の途中でラヴレイスという150年生きたイギリス人の同族(吸血鬼)と出会い、獲物の夢の中に入り込む法、自分の夢を制御する法、催眠術をかけて幻想と欲望を生み出す法など吸血術ともいうべき技を教わる。しかし、ラヴレイスはバイロンが親しい人々すべてに同じ災いをもたらすという吸血鬼の呪われた秘密を明かすことはなかった。
バイロンがその秘密にようやく気付いたのは、2年の旅を終えてイギリスに帰ってきてからである。
吸血鬼は死なない。しかし、永遠の若さを保つためには、自分の血縁者の血を貪らなければならなかったのだ。
吸血鬼にとって血の味は極楽の味だったが、永遠の若さを得られる血縁者の血は近づくだけで悩殺されるような黄金の香りがした。しかし、ヒトを血の入った袋としか見ていない吸血鬼にも人間性が残っているのである。自分の家族や子供が食えるだろうか。バイロンは、イギリスに帰ってきてから同じ種族であるレイディ・メルバン子爵夫人の息子の妻キャロライン・ラムと交際したり、異母姉であるオーガスタと寝たり、メルバンの姪のアナベラとは結婚し子供ももうけたが、ついぞ血縁者には手を出さなかった。
そして再びバイロンは大陸に旅立つのだ。医師ジョン・ポリドリを共にし、吸血鬼が血によって生き延びる必要をなくす生命原理の探求、不死性の科学的解明を目指して。生の謎、死の謎を可能なかぎり追う決意だった。
しかし、再びのギリシャで吸血鬼バイロンを待っていた運命は想像を遥かに超えるものだったのである。

ラストはものすごく切ないです。ポリドリの登場するプロローグも再び読み返せば普通はニヤリとできるシーンなんですが、リアルタイムのバイロンとヘイダのラストが切なすぎて笑えないですね。「もうレベッカ食われちゃいなよ」と思ってしまいました。ヘイダが二百年耐えているとするとお母さんはバイロンにやられたんでしょうか。というかバイロンとヘイダの直系であるルースヴェン一族はどうなったのでしょうね。ポリドリに連れてこられるたびに殺されていたのだったら、どうしてレベッカは逃げられたんでしょうか。ヘイダに似すぎていたから?それともこれからポリドリに食われるのか?
ラストのヘイダに尽きますが、ただのホラーではありませんでしたね。
血が唯一の快楽となってしまう、他の楽しみは口に入れても灰のように味気ない――という吸血鬼の呪われた運命は、血縁者の血を飲まなければ永遠の命を得られないという恐るべき重荷をも背負っていました。
死ねない、ということは生きることの何万倍も辛いことだと思います。その永遠の生命を持たされた者の苦しさが、本当によく表現されていたと思いますし、恐ろしさというよりも耽美や放蕩もほどよくミックスされた文学作品としても読むことができました。



「ノエル」道尾秀介

3篇のチェーンストーリーが織りなす少しファンタジックな物語。
最初の「光の箱」が2008年に創られ、次の「暗がりの子供」が2011年、最後の「物語の夕暮れ」が2012年の作品であることから、当初は具体的な連作性はなかったのではないでしょうか。
少なくとも「光の箱」は独立性を持った物語であり、貧乏な子供が不遇の青春時代を送りながら理解者である女性と知り合うという道尾秀介の得意パターンの短編版みたいな感じでした。だから長編でないだけに少し出来が悪いかな、という感じがあって。私はこの貧乏青春パターンが好きですからキタ(゚∀゚)コレと思いながら読んでたんですが、どうもキレが悪い。
で、冒頭に「ストーリーズ」という卯月圭介の童話をくっつけまして、次編の「暗がりの子供」と「物語の夕暮れ」に連作性を与えたチェーンストーリーに組み替えたんだと思います。
物語のなかに童話というもうひとつの恣意的なストーリーが組み込まれているために、少しややこしいところもありますが、もちろんいいところもいっぱいあります。たとえば「物語の夕暮れ」で主人公が水滴(しずく)の中に過去の故郷の情景を見るシーンがありましたが、あれなんてこの作家には珍しくロマンティックにできてました。

「光の箱」
母子家庭のため生活が大変で、それを級友にからかわれ、家に帰っても母親は夜遅くまで仕事に出ていたのでいつも寂しく、それに圧されるように学校のノートを後ろから使って物語を綴りはじめた卯月圭介の少年時代。
中学生になり、いじめられる圭介を心配してくれる少女と出会います、彼女の名は葉山弥生。弥生はいじめられる圭介の目に自分と同じ何かを見つけていたのです。ふたりはいつか圭介が童話作家になって物語を書き、弥生が画家になって挿絵を描くという夢を語り合うまでになりました。しかし、高校生になった二人をある事件が引き裂いてしまうのです。それは高校2年の冬、圭介に好意を寄せていた守谷夏美の身に降りかかった不幸な出来事でした。
十数年後、同窓会のために故郷を訪れた圭介は、ホテルでノエルを聴きながらあのときには思いもしなかった事件の真相に気付くのです。「I Saw Mommy Kissing Santa Claus」のオチは『サンタはパパ』。

「暗がりの子供」
小学3年生の莉子。生まれつき左足が曲がりにくく運動が出来ない彼女は体型も太っていて、学校ではみんなに笑われたり馬鹿にされたりしていました。そして家でお母さんといると、そんな自分がすごく悪いことのように思えてくるのです。母のお腹には妹がいて、もうすぐ生まれてくる赤ちゃんに莉子は嫉妬していました。仲のよかった祖母は病院に入院してしまっていません。莉子は独りぼっちでした。そしてその感情が好きだった絵本「空飛ぶ宝物」(文・卯月圭介/絵・正木弥生)の登場人物である真子に傾斜してしまったのです。絵本の中の真子は莉子と同じような境遇の寂しい女の子でした。莉子は自分の心のなかで架空の真子と会話を続けるようになります。
少しわかりにくい物語です。普通に読むと祖母は2回死んでしまう。
158ページの「それから4日後の……」の部分は莉子が中学生なっている「リアルタイム」です。真子も架空の真子なら会話は太字でしたが、現実の真子なので会話文が太字になっていません。「空飛ぶ宝物」の中の片羽の王女を救う鏡の意味ですが、要は「心の持ち方の問題」を莉子の体験も踏まえてテーマとしているんだと思われます。

「物語の夕暮れ」
ラストはともかくとして、3篇の中ではこれが一番の出来であり、とても雰囲気のあるいい物語でした。
教師を定年になって10年、3ヶ月前に同い年の妻を亡くした与沢さん。子供のなかった二人は児童館で読み聞かせのボランティアをしていました。しかし、最愛の妻だった時子を失った今、与沢さんは自分は人生において何も残せなかった、何も出来なかった、何十年も生きてきた意味がはたしてどこにあるのかわからなくなってしまいました。あるとき、ベランダで与沢さんは奇妙な水滴を見つけます。そのしずくをルーペで覗くとなんとそこには何十年も前に離れた海辺の故郷の景色が広がっていたのです。雑誌で故郷のかつての自分の家にある童話作家の夫婦が住んでいることを知った与沢さんは、彼らに無理な頼みをします。祭り囃子を聞かせて欲しい、祭り囃子が響いている間、電話の受話器を窓辺に置いてほしい、というものでした。そして、耳から祭り囃子を聴きながら、ベランダのしずくを覗いてみると……

確かにホタルの飛び方は重い箱を抱えているようにヨタヨタしています。私は毎夏腐るほど見ているのでわかりますが、作者はよく知っていましたね。
与沢さんのベランダの水滴は、童話の中のヤモリを救った水滴に繋がり、さらには「光の箱」の圭介の登場シーンにも関係があるように思います。とすると、圭介=ヤモリ=「家守(与沢さんの実家)」!?ということで合ってる(笑)
カブトムシの光の箱は、トナカイのアカハナに繋がっています。
繋がれているのは希望ですね。そう、それは明日への光なのです。


NEXT≫
カレンダー
11 | 2012/12 | 01
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (92)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (15)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (15)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (18)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (30)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (33)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (23)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (20)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (13)
文学アンソロジー (54)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (153)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (38)
アンダーグラウンド (47)
事件・事故 (40)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (23)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示