「ジグβは神ですか」森博嗣

読みました、ついに。

まず読み始めるまで意識していなかったのですが、本作はGシリーズの続きです(カテゴリーミステリー参照)。
具体的には8作目になりますが、前作の時から約3年ほど経っているようです。
Gシリーズの主なキャラクターはC大(工学部だったかな?)の学生でしたが、もちろんすでに卒業しています。
加部谷恵美は、那古野のとなり三重県の県庁所在地で働く公務員に。
その友達で名古屋弁丸出しの雨宮純は、地元テレビ局でレポーターみたいなことをしています。
先輩だった山吹早月は、恵美と同じ三重で、国立M大学の助教になりました。
そして恵美が好意を寄せていた海月及介は、W大に編入学し、ふたりは2年ほど会っていません。

物語は彼らの再会から始まります。もっとも海月は遅れてくるわけですが。
恵美と雨宮、山吹の3人は、2泊3日の予定で三重県にある美之里という、コテージやキャンプ場がある自然公園施設を訪れるのです。
この美之里、実は宗教団体でして、βを名乗る教祖がいるという噂もありました。
公園内の手前半分は一般に開放されており、奥半分は芸術村という20人の芸術家の活動拠点になっています。
3人はここで思わぬ人物と遭遇します。その名は探偵・赤柳初郎、もっとも3年前まではその名でしたが……
今は水野涼子という女性になっています。後述しますが、どうやら彼は女性だったのですね。
前作までに襲撃されてノートパソコンを奪われたでしょう、だから身の危険を感じてキャラを変えたのです。
しかしやっていることは同じようなもので、美之里に来た理由は、ある経済界の大物から、団体に入信している娘を連れ戻してほしいという依頼を受けたためでした。
その娘の名は、隅吉真佐美21歳。美大を中退して美之里の芸術村で画家として活動していました。
ところが、元C大の3人がコテージで赤柳もとい水野涼子と再会してまもなく事件が発生するのです。
発見したのは水野涼子でした。依頼の対象である隅吉真佐美がなんと全裸でラッピングされ、ドラキュラを思わせる棺の中で死んでいたのです。
しかも事件は思わぬ方向へと導かれます。
真佐美の死体が収まっていた棺、それは芸術村の人形作家であるジェーン島本の住居にあるものと同じでしたが、なんとその棺からは、あの真賀田四季とそっくりな人形が現れたのです。
東京の公安からは沓掛の任を受けた松沼という刑事もやって来ます。
さらに行方不明のジェーン島本を捜索するうち、驚くべき事実が!人形はジェーン島本本人がモデルらしいのです。人形が真賀田四季に似ててジェーン島本が人形のモデルということは……ジェーン島本は真賀田四季(=_=;)?
真賀田四季は日本警察に指名手配されながら、一部マニアの間では神のごとき存在であり、世界が注目し、世界が追っている天才です。森博嗣のS&M、V、Gなどの各シリーズは、つまるところ四季こそ主人公といっても過言ではありません。
ジェーン島本が自宅の棺で寝ているところを発見した警察は、彼女が真賀田四季本人であるか似ているだけの偽者なのかを判別するため、真賀田四季と面識のある人物を呼び寄せるのです。
そう、それはお待たせしましたVシリーズのマッド・サイエンティスト、瀬在丸紅子(^_-)-☆
紅子は四季を見破ることができるのか、そして、隅谷真佐美殺害の謎を水野涼子、海月ら元C大の4人は解くことが出来るのでしょうか、ファン待望のシリーズ再開は、懐かしのキャストそろい踏みです!乞うご期待

本作の筋はともかく、これまでのシリーズのアンダーグラウンドで流れている一貫した謎、真賀田四季に関するものですが、また一歩近づいた気がしましたね。
瀬在丸紅子と萌絵の叔母である佐々木睦子の対談も面白かったですが、そこで紅子は、四季の狙いとしておよそ80年先の人間社会の上に形成されるネットワークの構築ではないかと語っていました。情報革命みたいなものでしょうか。いや、もっと包括的な革新かもしれません。やはり百年シリーズに繋がりそうな気もしますね。
そして、Gシリーズ最大の謎といえば、赤柳初郎は誰であるか?ということでしょう。
水野涼子になっていましたね。前から正体を見破っていた佐々木睦子が云うのならば間違いなく“女性が本当の姿”なのでしょう。としたら、いったい誰なんでしょう(笑)私は森川素直だと思っていましたが、ハズレましたかね。
Vシリーズに登場した人物であるのは間違いないでしょう。わかっていることは、おそらく女性で、50代であること、昔から探偵か警察のような仕事をしていたこと(探偵業30年)、瀬在丸紅子と面識があり(25年ぶりに再会)、紅子のことを「紅子さん」ではなく「瀬在丸さん」と呼んだこと(深い付き合いはなかった、知り合い程度?)、外見が昔と大きく変わってしまったこと、などでしょうか。他にも、椙田(保呂草)が「昔は積極的な性格ではなかった」と言っているのを過去作で目にしました。
祖父江か???女刑事いましたよね。いや、違うわなあ。
わかりませんねえ。
W大准教授に昇格した萌絵と犀川創平も結婚したと思うんですけどなにか違うような気もするし、これもまだはっきりしません。
早いとこ、次作が出てくれるとうれしいですね。予定ではシリーズ第9弾は今年の秋頃になるようです。








スポンサーサイト

「秘境ブータン」中尾佐助

遺伝育種学専攻の植物学者であり探険家でもあった中尾佐助が、昭和33年(1958)に敢行した約5ヶ月、総行程1600キロに及ぶブータン国内の探険・紀行記です。
今でもそうですが、当時のブータンは詳しいことは何一つ外界に知られていない世界最後の秘境でした。
ブータンはヒマラヤ山脈の中腹、南のインドとの境の照葉樹林の大密林、北はチベットとの境の氷河のヒマラヤ山脈に囲まれた人を容易に近づけぬ場所にあります。
当時、ほぼ鎖国状態のブータンは、インドの避暑地カリンポンに唯一の在外公館を持っているのみでした。
しかし、驚くべきことになんと昭和30年前後に、ブータンの王族が日本の京都を訪れていたのです。
それは、レベルの高い仏教用の仏具が即座に買えるのは当時の世界で京都だけであり、他にもブータンの王族は京都西陣の着物地を当時のお金で数百万円分も買ったそうです。
日本の仏具や西陣織がそのまま受け入れられる余地が残されたブータンという世界は何だろうか。
ますます興味を惹かれた中尾は、このときにつてを作り、なんとか国王の招待を受けて、単身でいまだかつて唯一人の植物学者も踏み込んだことのないブータン・ヒマラヤの高山帯を目指すのです。
南のインドには鉄道も自動車もあるのに、ブータンは馬の背のみでした。
昭和33年6月30日に入国した中尾は、すぐさま山ヒルの襲撃に遭い下痢とも戦いながら、幻の“青いケシ”(ケシ科でメコノプシスという属)を求めて、あるときはブータン・ヒマラヤの最高峰クーラ・カンリ(7569M)を偵察し、あるときは当時騒がれていた雪男の情報を集め、まるで日本版インディ・ジョーンズのような探険を繰り広げるのでした。

非常に面白い探険記でした。
写真も非常に美しく、5ヶ月1600キロの行程のほとんどを共にしたブータン首相の家来であるブリジャモンと、コック兼用の王妃の家来であるチミーの写真もあり、その珍道中がしのばれるばかりか、日本の江戸時代を思わせるようなブータンの風俗がたっぷり載っています。
なおこのときの写真は大阪府立大学図書館中尾佐助データベースでより詳しくカラーでご覧になれます。

謎の国ブータンが当時インド占領を施策としていたイギリスに認知されたのは1772年のことだったそうです。
その後ブータン戦争などを経て、現王室の祖となる統一王国が誕生したのは1907年です。
地理的な要因が大きいのでしょうが、世界で一番時間が進むのが遅かった国ではないでしょうか。
いや、時間が止まっていたとも云えるでしょう。
中尾が旅した1600キロのうち、“車”を見たのは王宮の庭の芝生の上で皇太子が乗ったおもちゃの自動車のみでした。あとはすべて貿易も移動も馬か牛(ヤク含む)の背ですよ。
もちろん今は飛行機も飛んでいるのですけど、もうだいぶ前になりますが、あのへん(ヒマラヤ)で会った方が「バンコクからブータン行った飛行機はパイロットが有視界飛行をしていた」って言ってました。
ブータンが宇宙ロケットを飛ばすのはいつのことになるのでしょうか。

その他、面白い記事がもろもろ。
特に私的に「えっ」と思ったのは、中尾が旅した当時(昭和33年)にネパールとブータンの間にシッキム王国という国があったということ。これは、私、知りませんでした。
なんでも1970年代にインドに併合されちゃったそうなんですが、インドとあまり仲のよろしくない中国がシッキム王国の消滅を認めた(インドの主権を認めた)のは、今世紀に入ってから、つまり最近のことらしいです。
驚きますよね。
本作を読めば他にも、中尾が旅したフンザやカラコルムなどの小王国のことも少し書いてあります。
世界地図もほんの数十年でかなり変わるのです。そんな中でいまや世界一幸せな国と云われ独立を守るブータン。
ラジオを持っていった中尾は、ブータンの山中で西欧のニュースを聴いていましたが、中東などの政変に時代柄、世界戦争の危機を感じたこともあったそうです。
そのときブータンの官僚に云われたことは、水爆を使った世界戦争が起こるなら、日本に帰るよりもブータンが安全、ということでした。
さもありなん。

「あゝ青春零戦隊」小高登貫

私はいままで、私たちがやってきた戦闘について、ほとんど誰にも話さずにいた。
それは、戦争に負けたわれわれが、いまさら自慢話をするように受け取られるのも、いやだったからである。
けれども、だんだんと月日のたつにしたがって、私たちが祖国のために、命をかけて戦った激しい戦争も、いつしか、人々の胸から忘れ去られてゆくのではないか。
そんなことを考えたとき、私は生き残ったものの義務として、“われらかく戦えり”と後世に報告しておかねばならない、と考えるようになった。
私の家から南にひらけた空を眺めるとき、私はいつもそこに、散っていった多くの敵味方の空の戦士たちの姿を見る思いがしてならない。
私はこの一書を大空に散った若き仲間たちに献ずる。きみらの栄光は永遠にほろびない。


僚機との共同撃墜百五機、潜水艦二隻撃沈のスコアを誇る、日本海軍の天才戦闘機搭乗員が沈黙を破り語った硝煙の中を駆け抜けた青春と、世界の大空に散った数多の仲間たちへの鎮魂歌。

小高登貫(こたかのりつら)は、大正12年長野県松本市生まれ。
第10期普通科海軍操縦練習生、のちに第25期高等科海軍操縦練習生。練習生時代、射撃成績一番。
まず読みながら気付いたのは、「ああ、このひとは天才だ」ということです。
初撃墜は昭和18年2月セレベス島の南端マカッサルでB-24リベレーターという大物爆撃機を屠ったのですが、時期としてはもう日本が劣勢になっているときですから、デビューは遅いのです。
それが終戦間際に本土防空のエース部隊として設立された松山343紫電改戦闘機隊に、当時教員をしていた谷田部空から名指しの指名で転勤したというのですから、タダモノではありません。
それも分隊士である本田稔の2番機です。このあたりは「本田稔空戦記」(カテゴリー海軍戦史・戦記参照)を読めばさらに面白いかもしれません。あとがきによれば、本田稔とは戦後会っていないけど会いたいと書かれています。ちなみに、本田稔は大変厳しい人間(文中にはやかまし型と書かれている((笑))ですが、著者は戦争中、部下を殴ったのは一度きりという心優しきエースパイロットでした。
実施部隊として配属されたのは202空で、当初はセレベス島やティモール、バリ島などの小規模基地でドサ回りをしていた著者が、204空に転属し、搭乗員の墓場と云われたラバウルへ移ったのは昭和18年8月です。
ここで初めて編隊空戦をやり、百機を超える敵を見ました。一見、カモになりそうな経歴ですが、著者は空母に乗り込むための定着訓練を受けており、夜間戦闘もお手の物で、どうも若い割には一目置かれていたようです。
ここで同日に3機の敵機を撃墜、司令官賞を受けた様子が「日本ニュース」というニュース映画になって、内地の映画館で上映されました。そのために、少し有名になっていたようです。343に引き抜かれた原因はこれかもしれません。ラバウルで5ヶ月半戦闘に明け暮れ、昭和19年2月のラバウル撤退とともに、トラック島に転進し、ここで敵機動部隊のトラック大空襲に遭うのですが、なんと著者はこの時いち早く上空に飛び上がった零戦の一機でした。
内地帰還し、木更津201空に配属され、中島飛行機製作所で受領零戦のテストパイロットを務めた後、昭和19年5月にフィリピン・セブ島へ。腕を買われて階級が下なのに小隊長を勤めます。
古賀峯一連合艦隊司令長官の飛行機事故のときには、セブの山中のゲリラに「我が軍の大事な人物を君たちは捕まえているはずである。その人物を早く戻せ」というビラを撒かされています。長官はすでに墜落死していますがね。
他に興味深い事柄として、関大尉の敷島隊に先立つこと4日、日本ではじめての神風特別攻撃隊である久納中尉率いる特攻隊が、10月21日出撃したのを見送ったと書かれていることです。ちゃんと戦果確認機も付いており、久納中尉、国原少尉以下下士官兵が出撃し、駆逐艦などに6機全機が命中した、と帰ってきた戦果確認機の鈴木上飛曹に聞いたそうです。
そして、ラバウルでもともに戦った空戦の神様、西沢広義のよもやの死。
実は著者自身も特攻に志願しており、マニラのニコルスフィールド基地から敵空母を奇襲したり特攻機直掩を務め、フィリピンを後にして内地に還ってきたときには、すでに戦死者となっていて軍籍がなかったそうです。
昭和20年2月、茨城の谷田部空で教員をしているときに、すでに書いたように松山343空(剣部隊)に指名で引きぬかれました。“天誅組”本田稔飛曹長の2番機として紫電改を駆り、活躍しました。
文中に、終戦間際に戦死したエースパイロットの菅原少尉にシーマの高級時計をもらった、と書かれていますが、これはきっと菅野直大尉のことでしょうね。やはり格別にパイロットとしての才能があったのでしょう。
ざっとまとめましたが、この他にも他の戦記には見られない興味深い事実がたくさん書かれています。
著者の云った通り、経験は後世に伝えねばなりません。
そして私たちは、本書のような本当に貴重な記録に出会えたことに感謝しなければならないと思っています。

img002_convert_20130126090418.jpg

「幽談」京極夏彦

ちょっとキレがないというか、あんまり面白い本ではありませんね。
やはり怖い話にはオチがないとだめだなあ。
30ページ強の話が8篇ほど入っていますが、そのすべてにオチが見受けられません。
これはどうしてなんでしょう?
尻切れトンボというか、最後をあやふやにして、読み手を放ったらかしにしたまま終わってしまう、これが高尚な物語ならいざしらず、たかが作家の脳内自己満足怪談ごときで、詩的なその手法を使用する術があったのでしょうか。
なぜならこの話、結論はどうなのか言ってみろと作者に問うたところで答えはありませんよ、きっと。
だから面白くないんですね。結論があるのに結論を隠されているから物語は面白いんでしょう、はじめから結論を用意しておらず単純な話をわざわざ複雑にしといて読者を煙に巻いて怖がらせる、その性根たるや最低ですね。
もっとも、筆力は卓越しており、最後の話なんて作者の深遠な創造力を垣間見せただけに、それぞれの話は面白くなくとも、ページをめくるリズムはそれほど遅れず、それだけに惜しい、という気もしました。
あるいは私が合わなかっただけかな。

「手首を拾う」
7年前、妻と訪れた侘しい岬にある一軒宿。その宿から帰って3年後に私は家を出て、更にその1年後、正式に妻と離婚した。きっかけは耿耿(こうこう)と照らす月下の庭、枯山水の石積の下にあった。汽船に乗って再びその宿にただひとり訪れた私は、同じ部屋に泊まり、誘われるように月光が満ちた庭に降りた。
「ともだち」
小学校の頃、つまり30年以上前に住んでいた街。色が抜け、時間が止まってしまった街。自分が自分でいるためには、同じ時間に同じ場所に行って同じ時間に同じ場所に戻らなくちゃならないらしい。20年近く時間と場所に縛られている主人公は、かつてともだちと遊んでいたこの街で異世界に踏み込む。
「下の人」
ベッドの下から聞こえる音。ベッドの下に何かいる。それは人だった。ベッドと床のわずか十数センチの隙間に、歪んで大きくてやわらかな人の顔があった。都市伝説ベッドの下の殺人鬼のアレンジ。
「成人」
成れねえ、ってのは何でしょう?「奇妙な箱」の作者がA君宅で見た缶の中身は、死産の跡でしょうか。
とすると、A君は本来なら双子だった?雛祭りは元々、呪術的な意味合いの風習であったと聞いています。
「逃げよう」
変なものに追いかけられて逃げた。校門の横の泥溝から湧いた、翠色でわりと大きくて以外に速い、がむがむがむと意味の解らない言葉で啼く、とても厭なもの。追い掛けっれたまま、おばあちゃんの家という異世界へ。
「十万年」
十万年に一回起きる自然現象は観測できない。一方で、時間の流れとは主観的なものであり、僕の一秒と他人の一秒は違う。美紗が見た空を泳ぐ魚とは何か?十万年に一回見えるものは、人によって違うかもしれない。
「知らないこと」
隣家の50前の親爺が、門柱の上に気をつけしてずっと立っていたり、庭で脱糞したりしている。その親爺を半年間観察し続けている兄の話を聴きながら、大学のレポートを仕上げていた私の記憶は突如暗転する。
この話は本作を如実に表しています。ただややこしくして読者を煙に巻いてるだけ。答えはありません。
「こわいもの」
作者の概念が非常に面白く感じられる一品。壁は概念として面である。壁と床は交差することで線を作る。線とは、面と面とが接することで生まれる概念に過ぎないのだから、実際には存在しない。その線と線とが交わって作る点にも、質量はない、という話から、彼岸と此岸は共存しているというところに飛躍していくのが面白い。完全な闇の世界よりも完全な光の世界が余程おそろしいというのもその通りかも。幽霊に恐怖を感じるのは何故か、人間は何に恐怖を感じるのか、という作者の黙考の結果も共感できます。
ただ、ラストだけが残念。箱の中身は何かわからないのは納得できるし、そこに“答え”はありえないという話なのですが、だったらそういう話にはじめからするなよ書くなよ、と云いたいですね。
わからないから怖い、けど開けてしまったのなら怖くない。なら、ラストは開けるべきではなかった、ということになりませんか。だって本作のテーマは幽談というタイトルが真実なら“怖い話”に間違いないんですから。


「冷血」高村薫

合田雄一郎シリーズということなんですが、私、前作の「太陽を曳く馬」というのはまったく知りませんし、「レディ・ジョーカー」は確かに読みましたが、はるか昔のことなのでほぼ記憶にありませんでした。
ま、なんとかなるだろうと読み出して、はたしてなんとかなったのですが、やはり細かいところで前作から繋がっている部分があったように思います。たとえば捜査一課強行犯8係の土井が合田に渡したSDカードはどうなんです?
そういった前作から続くヒューマンドラマみたいなのがあったのなら、残念ながら私にはわかりませんでした。
ただ、地裁判事の元義兄というのはうっすら覚えがあります。
元妻が同時多発テロでニューヨークで亡くなったことは知りませんでしたが、この法曹界の義兄は「レディ・ジョーカー」に出てきたように思います。しかも少し同性愛的な関係じゃありませんでしたか?
確かそうだったように記憶していますが、違うのなら私はいったいどの小説と勘違いしているのか、それならそれで気になります。ま、シリーズを知らなくても読めますが、知ってるならそっちのほうが楽しめる、ということで。

簡単にあらすじ。
2002年12月。携帯の求人サイトに「スタッフ募集。一気に稼げます。素人歓迎」と書き込んだパチスロ店員、井上克美(31)と、それを見てやってきた新聞販売員、戸田吉生(34)。
何かガス抜きがしたい彼らふたりは、町田と相模原をうろうろしながら、ユンボでATMを襲ったり、コンビニ強盗したりしたあげく、西が丘の歯科医一家に押し入り、都立病院口腔外科医高梨享(47)妻で開業歯科医の優子(47)、長女で国立付属中学校1年歩(13),長男で同小学校1年渉(6)の一家4人を根切りという鉄棒で殴打惨殺し、金品2千万円相当を奪って逃走した。
赤羽署に立った捜査本部には、警視庁捜査一課強行犯8係を柱に、同じく捜査一課で合田雄一郎属する特4(第二特殊犯捜査4係=未解決事件の掘り起こしや医療過失事案担当)を含め、総勢57名が配置された。
いかにして見ず知らずの人間同士が会って4日後に一家4人惨殺という暴挙が成しえたのか。
躁状態で脳みそが飛び跳ねているような男と、悪化の一途の歯痛でボルタレンのことしか考えられない男が、深い考えもなくほとんど思いつきで一軒の家を選び出し、あろうことか12月20日から一家が旅行に出ると勝手に勘違いしたあげくに引き起こした事件だということになると、動機はどうなる?犯意はどうなる?
金に困っていたわけではない強盗。逮捕されたふたりの事情聴取を重ねるうち、捜査本部は、常識の範囲の人間による常識を超えた一家4人殺しであると腑に落ちぬまま理解せざるをえなくなる。
物語は平成19年10月26日、自ら控訴を取り下げた井上克美の死刑執行まで続く。

ストーリーにミステリーを感じる部分はありません。
それがあるとするなら、井上と戸田がどうして事件を起こしたのか、そして逮捕されて供述するうちに彼らふたりの人間性が露わになっていく過程でしょうね。
もっとも、ミステリーなんてなくても本作は十分に読み応えがあり、非常に重いです。
上巻ではかなりのページを割いて被害者一家の日常風景が描かれています。これは珍しいでしょうね。
少し感情移入しかけたところで、凶行が起きる。そして以降、死体、被害者としてしか扱われません。
本作のいいたいところはここなんでしょうねえ、きっと。
人が死ぬ、生きるの差なんてほんの少しのところなんですよ。
この恵まれた一家に彼らが押し入ったのは、家が留守だと思われていたからですが、ベンツが車検に出ていたという不幸な偶然が重なっていました。そして最大の問題である実行犯のふたりには明確な殺意がなかった。
運命の生贄みたいなものです。99.999%明日も生きるはずだった命が、なくなってしまう。
このテーマは、合田雄一郎が医療過失事件を扱っているのも関係していますね。
私の記憶が確かならば「冷血」という単語が現れたのは、戸田が逮捕後に敗血症で入院し、ICUで担当の医師が殺人犯を前に偏見を晒したとき一回だけです。税金で殺人犯の治療をするのか、と言ったんでしたね。
そして、医師の見落としは日常の一部に過ぎませんが、患者には医者に預けた命への決定的な打撃になります。
人が死ぬということは、本当にあっけなく起こってしまうことなのです。少しの偶然で、わずかのさじ加減で。
だからこそ、合田雄一郎が起訴までこじつけた脳性麻痺の女児、筋肉という筋肉を引き攣らせ、よだれを垂らし、唸り声を発して、生きる彼女。彼女が“生きよ生きよ”と周りに教えているというのは、生きるということは死ぬことの何倍も大変だということなのです。
最後になりましたが、装丁が非常に美しかったということも印象に残りました。



NEXT≫
カレンダー
12 | 2013/01 | 02
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (92)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (15)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (15)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (18)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (30)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (33)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (23)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (20)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (13)
文学アンソロジー (54)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (153)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (38)
アンダーグラウンド (47)
事件・事故 (40)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (23)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示