「回想 海防艦第二〇五号」江口晋

「今日やっつけるか明日やられるか、長くても1ヶ月は浮いていないだろう。半年浮いていれば珍しい。一年浮いていれば奇跡だ」と海防艦乗組員にはこのようなジンクスがあった。
 長くても1ヶ月は浮いていないだろう、と思われるほど消耗の激しい艦であった。
 そして、海防艦の大半は就航半年以内に次々消え去り、船団護衛の任についた海防艦はほとんど全滅したと言っても過言ではなく、実に百有余隻が喪失または損傷し、1万余名が艦と運命をともにした。


 予想をはるかに上回る敵潜水艦による被害により、海外から資源を運んでそれを加工して前線に送らなければ戦争が遂行できないどころか、国民生活も成り立たない日本は窮地にたち、艦隊や船団も護衛艦の不足を訴え、昭和18年も末になってようやく事の重大さに気づいた戦争指導層は、対策として海防艦の急造を計画、全国の造船所をあげて、排水量1000トンにも満たないながら、重厚な対潜装備をもち、航続距離の長い護衛専門の小艦“海防艦”を大量に建造しました。もちろん、遅きに失したのですがね。

 著者の江口晋(えぐちしん)は、新潟県出身。昭和19年2月に舞鶴海兵団に入団した彼は、対潜学校(旧機雷学校)で機雷術(機雷、爆雷、掃海、防潜網)水測術(水中聴音器、水中探信儀)の速成教育を受け、爆雷員として第205号海防艦に乗り組みました。
「人一倍のはにかみ屋で、引っ込み思案の性格は日常の作業でいつも後れをとり、船酔いではまったく戦意喪失におちいり、敵潜に遭遇すれば死を覚悟して入団したはずなのにその雷撃におののく小心、臆病な弱兵であった」と著者は自分のことを評していますが、本書を読めば、彼が雪積もる新潟の故郷に無事還ってくるまでどれだけの死地をくぐり抜けてきたか身にしみてわかると思います。本当に凄い。
 昭和20年の敵制空海権下の外洋で、毎日死の断崖に立たされ、命が削られていく決死の航海。駆逐艦の半分にも満たない、大洋の木の葉である海防艦の死闘を一水兵が綴った、奇跡の戦記です。

 第205号海防艦がどうして沈まなかったのか、戦後防衛庁で話題になったこともあるらしいですが、ひとりの戦死者もださなかった、というのは運だけではなく、名艦長佐竹正男少佐の卓見と、乗組員の決死の奮戦があったこそです。この艦は内地沿岸で遊んでいたわけではありません、むしろこれだけの小艦でありながら南はサイゴンから北は千島列島の北端である占守島まで、およそ総航行距離は1万浬にのぼるまで縦横無尽に活躍しました。
 さらに戦後は、引揚船としてフィリピンへ2度往復し、現地邦人や捕虜を輸送しました。
 乗員二百余名、著者も乗り組み、昭和19年12月23日に台湾の高雄を目指して初出撃した205号は、まさに猫の首に鈴をつけにいくネズミのような決死行でした。レイテ沖海戦で連合艦隊はほぼ壊滅し、日本の制海権はなくなりつつありました。案の定、高雄係留中にハルゼー麾下の第3艦隊艦載機による猛爆撃を受けます。205号が護衛するはずの輸送船やタンカーは港に停泊したままほぼ壊滅しました。
 香港に逃れますが、ここでも敵機による攻撃を受け、必死に奮戦、僚艦が傷つく中、一隻だけ無傷に近い状態で助かります。そして絶望的になった南方航路の油を、特攻精神で強行輸送する「南号作戦」にせりや丸の護衛として参加するため、一路サイゴンまで南下するのです。
 せりや丸(浦部毅船長)は、一万トンクラスのタンカーで、航空燃料を満載(1万7千キロリットル)し、シンガポールから内地へ向かいました。輸送船が壊滅的にやられる中での決死の航海です。
 205号と41号の2隻の海防艦が護衛につきましたが、205号は途中で機関故障により上海へ向かいました。昭和20年2月7日、せりや丸は門司港に無事、到着するのですが、船長の腕もさることながら奇跡的な快挙であったと思います。
 205号は上海から内地へ帰還中、僚艦の9号海防艦がすぐとなりで敵潜の雷撃を受け轟沈。必死の爆雷戦を展開するも仇討ちならず、昭和20年2月15日、門司港に帰り着きました。地獄の南洋でした。
 3月に再び台湾へ出撃し、砂糖を満載した輸送船の内地への航行を護衛した後、朝鮮半島の哨戒活動を経て、北方作戦のために千島列島へ。占守島の陸軍兵の撤収の護衛を務めました。
 このとき室蘭で、敵機による凄まじい爆撃と艦砲射撃を浴びました。航空機による攻撃で、横に係留していた海防艦2隻は奮戦するも沈没。最後に残った205号を標的に敵機は襲い掛かりましたが、勝負強いこの艦は耐え抜きました。
 著者も繰り返し書いていますが、205号の全滅的な死地は3度ありました。高雄、香港、室蘭です。
 死を恐れ、生への欲求に煩悶としながら、人前では弱音を見せまいと強がりの言動で通し、国のために死ぬのだと強く心に言い聞かせ、その大義にすがって無我夢中で、死地をくぐり抜けた205号と200余名の乗員、そして著者。
 戦後の引揚げ業務に携わったため、著者の召集解除は昭和20年12月20日でした。
 そして、この戦記の素晴らしいところは、最後です。
 途中の汽車で引き下げ品を盗まれた著者は、やっとの思いで故郷に帰り着きます。
 厚い布団にもぐりこみ、まったく揺れることのない畳床。
 機関の音もしないあまりにも静寂な大きな部屋。
 休みのなかった輸送船団の護衛艦乗組員の、1年11ヶ月ぶりの休息でした。

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「百年文庫 掟」戸川幸夫/ジャック・ロンドン/バルザック

 ようやく、百年文庫の20作目「掟」にたどりつきました。
 だいたい1ヶ月に1冊のペースで読んでいるので、どこかで死なないかぎり後7年くらいで完遂いたします。
 これを読んでいると、「ああ、知らなかったけど、こんないい作家がいたのか」と読みたい本リストが増える増える・・・
 けれども、速読でないかぎり、本って一年で読める数はほんとわずかですし、一生で通算しても微々たるものです。
 百年文庫は一冊に三人の作家の構成ですから、百冊で三百人ですね。三百人の作家の本を二冊読むとすれば、六百冊、これは私の年間読書ペースに換算すれば三年分です。まあ、とても無理ですね。でも百年文庫だけの、一期一会ではもったいないという、作家がたくさん現れるんですよねえ。本作に収められている戸川幸夫なんてまさにその中のひとりですよ。

「爪王」戸川幸夫(1912~2004)
 面白い。戸川幸夫は、「高安犬物語」で直木賞を受賞(昭和29年度下半期)、1965年には沖縄の西表島でイリオモテヤマネコを発見するという、まさに日本動物小説史上を永遠に代表する作家です。
 本作「爪王」は、終戦後の山形県、真室川に沿った山岳地帯を舞台にした、老いた鷹匠と一羽の俊鷹の物語。
 天狗森の崖の中腹で、牡30歳牝20歳の十数年も営巣を続けるクマタカの夫婦から生まれた、一羽の牝。
 親譲りの鋭い鈎爪をもった彼女は、親元を離れて2年後、誇りある老いた鷹匠に捕まり、「吹雪」と名付けられます。老いた鷹匠の願望は、最後の鷹匠として残り少ない歳月を打ち込んで名鷹を作り出すことでした。吹雪は、鷹匠が六十余年の飼鷹生活の掉尾のものとするには、まさにうってつけの俊鷹でした。
 人間が作り出した文明というものの中で鷹の野生が如何に破壊させずに融和させていくか、鷹匠は吹雪の教育に心血を注ぎます。鷹匠は吹雪を愛し、やがて吹雪も老人を信頼出来る主人として、命令に従うようになるのです。
 吹雪が一人前になった冬、彼女は四百羽の越後兎と百羽を越す雉、山鳥、四頭の狸、それに貂や鼬やむささびを獲りました。そして噂になった鷹匠と吹雪は、狐によって集落が荒らされているという村長の依頼を受け、凶暴で老獪な赤狐と死闘を繰り広げるのですが……

「焚火」ジャック・ロンドン(1876~1916)
 零下50度以下では、クロンダイク地方をひとりで旅してはならぬ、というのが老人の忠告でした。
 クロンダイク地方とは、ユーコン川のほとり、カナダとアラスカの間の山岳地帯です。そこは、真冬ともなれば太陽が地平線の上にわずかに顔をのぞかせるだけの世界でした。
 仲間たちに合流するためキャンプを目指し、一頭のエスキモー犬を従え先を急いでいる男。
 ツバは地面に着く前に空中で凍ります。おそらく零下70度を超えるという、極限の先の世界でした。
 順調に進んでいるかにみえた男の旅ですが、湧き水の氷を踏み破り、足を濡らしてしまうのです。零下70度では、凍ってしまうと走っても血液の循環は戻ってきません。急いで火を焚いて、濡れた部分を暖めて乾かすしかないのです。しかし、極限の状態になってしまっている男には作業がうまくいかないのです。自分の手がどこにあるのかを見つけ出すために眼を使わなければならないというほど、手足が麻痺してしまっているのですから・・・

「海辺の悲劇」バルザック(1799~1850)
 高名なバルザックですが、冒頭は何を書いているのかまったく理解できませんでした。
 ブルターニュ州のル・クロワジックという海辺の街に観光にきている若い男女が、37歳で父を介護していて町の外には数えるほどしか出たことがなく粗末なものばかり食べている貧しい漁師に出会い、その漁師を案内人として道をいく途中で、「誓いを立てた男」という花崗岩の上に座ったさらに悲劇のエピソードの持ち主を見て、楽しかった旅行が興冷めしてしまうという、いったい何がいいたいのか最後までよくわからない物語。
 おそらくここでの「掟」とは人生という険しき道の歩み方には鋼のルールが存在するのだ、ということだと思うんですがね。現代に直接通ずる警告を発しながら、これが1835年の作品だというのには本当にびっくりするだけなんですが、どれだけ高尚でも面白くなくちゃお話になりません、それが小説の『掟』ですよ。


 
 

「クリーピー」前川裕

 法政大学国際文化学部教授である前川裕(まえかわゆたか)の作家デビュー作であり、第15回日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作です。
 タイトルの『クリーピー(CREEPY)』とは、1969年にアメリカで起こった殺人集団による無差別殺人事件(チャールズ・マンソン事件)において、マンソンの信奉者たちが夜な夜な歩き回ってターゲットを物色していた行動を「気味の悪い徘徊(CREEPY CRAWL)」と言いますが、ここから取られたものらしいですね。気味の悪い、ぞっとする、という意味です。
 確かに途中までの展開は、ぞっとしました。とても新人作家の作品とは思えずに没頭して読んでいました。そこまでは確実にCREEPYでMYSTERIOUSでしたが、中盤以降は違った方向に行きましたね。ラストなんて仄かな爽快感すら漂っていたように思われます。これでもよかったんですが、なにか釈然としないものも残るなあ。
 
 では簡単にあらすじ。といっても複雑です。
 主人公の私=高倉は、東洛大学文学部教授で専門は犯罪心理学、テレビ出演なんかもしたりします。油の乗った46歳。妻は40歳で子供はいません。大学の教授なので朝も遅く、ゼミの女子学生なんかと卒論指導にことよせてメシしたりと、ほんといい商売だと自認しています。
 幸福な生活に変化が起きたのは、高校の同級生で警視庁捜査一課の刑事である野上誠次からの連絡でした。彼は8年前に日野市の住宅街で起きた一家三人の行方不明事件の捜査を専任担当していたのですが、犯罪心理学者である高倉の意見を参考にしたいというのです。高校時代はそれほど親しくもなかった野上が急になぜと思いつつ、高倉が当たり障りのない意見を述べるうちに、野上は杉並の住宅街にある高倉の自宅にまで訪れるのです。そして隣である西野家や向かいの高齢者介護世帯である田中家など近所のことを気にしたふりをし、なんと彼は現役警視庁刑事でありながらそのまま行方不明になってしまうのです。
 次に彼が発見されたのは、なんと田中家の火事になった現場でした。そこには野上の拳銃で頭を撃たれた田中母娘と、同じように頭を撃たれた野上の遺体が残されていたのです。いったい、これはどういうこと??
 まさか、刑事である野上が高倉の近所の家に押し入って強盗を働いたあと住人を殺して自殺したとでもいうのでしょうか。ありえません。高倉は、野上の怪死の原因は8年前の日野市の事件にあるとにらむのです。
 そして野上の後輩刑事である谷本に捜査協力しているうちに、野上が高倉家を訪れた理由は、隣の西野家にあるのではないかという結論に至ります。西野家は、まっとうな勤め人とは思えない主人と、姿を見せない妻と息子、何かに怯えたように通学している娘で構成されていました。
 ついにある日、高倉の妻が、西野家の娘である西野澪から「あの人はお父さんじゃない」という驚愕の言葉を聞くのですが……この風変わりな隣人の正体は何者なのか!?野上の怪死は、はたしてこの一家に関係があるのでしょうか。繰り返される凶行と悲劇。そしてどんでん返し。最後の最後まで気が抜けないミステリーでした。

 「なりすまし殺人」ねえ。これはともかく、マインドコントロールのほうは角田美代子の恐ろしい監禁事件があったばかりですし、北九州の消された一家もありましたし、「そんなことありえねえよ、逃げれるだろ!」と思われる方もおられるでしょうが、そう簡単に洗脳は解けるものではありません。西野澪が逃げれなかったこと、本当の父ではなく矢島喜雄であるということが他人に言えなかったこと、これらは本当に起こりえる話なのです。
 むしろ、この複雑な物語の齟齬を指摘するなら、野上の人格が、高倉が想像していたような高潔な人柄ではなかったことでしょうか。障害者であった河合園子を助け、警察官でもあった彼が本来は半身悪党であったというのは、読者としてなにかこう納得できない感じがします。そして8年前の日野の事件で本多京子がなぜ矢島と関係を結んだのか、わからないままでしたね。さらに、矢島の顔があやふやでよく特徴がわからない、というのはそれはそれで当初は恐ろしかったですが、いま考えてみるとなんだかおかしい気がします。ボーイッシュな少女趣味があった矢島が、次から次に熟女ともいえる人妻を落としていったことも矛盾していませんかね。
 まあでも、文句ばっかいっても仕方ない。面白かったのは間違いないんですから。
 自身はアメリカ文学が専門である作者。サン・フランシスコという書き方にこだわりがありましたね。
 次も期待です。

「盤上の夜」宮内悠介

 ありそうでなかった奇想ですね。新しい世界が開けますよ。
 囲碁、麻雀、チェッカー、チャトランガ、将棋。この中で私が知っているのは、麻雀はかなり高度なレベルで理解できるのと、将棋はやれば弱いですがたまにタイトル戦の棋譜など見る時があります。表題作に関係し、本連作集の根幹をなすネタである囲碁、それにチェッカー、チャトランガは古代インド将棋だそうですが、もちろん知りません。
 しかし、囲碁を知らないからといって、本作の面白みが欠けるかと言われれば、けっしてそんなことはありませんよ。
 碁盤という将棋盤よりはるか大きい盤上で黒と白の石を打ち合う、これだけ知っていれば十分かと思います。
 肝心なのは、囲碁は10の360乗の局面があるのだということ。ほぼ無限の世界をもつわけです。ちなみにチェスは10の120乗だそうです。
 盤上という一見2次元の世界が、天空、時空にまで拡がっていく様を感じとることができるかどうか。
 そこが、この無限で有限であり、抽象であり具象である何かが根底で繋がっている作品集を読み解けるかどうかではないでしょうか。ただ、全6作品のうちはじめの3つは抜群に面白かったですが、書き下ろし作含むうしろの3作品は、それほど面白いとは思いませんでした。こじつけみたいなとこもありましたしね。でも麻雀の話は最高だったなあ。

「盤上の夜」
 表題作はこの連作作品集をリードします。語り手のジャーナリストは、4作目以外登場し、同一人物かと思われます。
 15歳のとき、中国を旅行中にさらわれ、ダルマ(四肢切断)にされた灰原由宇は、自分の買い手が賭碁師であったことから囲碁を覚え、元棋聖であった相田淳一と知り合って地獄の境遇から脱出します。彼女は、日本でプロの棋士となり、非常に短い活躍期間のあいだに、初の女性本因坊となるのですが、囲碁の盤面を触覚として感知して戦っていた彼女の脳は限界に近づいていました。四肢がありませんから代わりに石を打っていたのは相田です。由宇と相田には性関係以上の深い繋がりがありました。しかし、囲碁の世界からも相田の前からも忽然と姿を消した由宇は、いったいどこにいるのでしょうか。彼女は再び天空の世界を望むことができるのでしょうか。
「人間の王」
 この作品も私は好きです。チェッカーというゲームで実際にあった歴史を物語にしています。
 チェスの局面は10の120乗ですが、チェッカーは10の30乗しかありません。マリオン・ティンズリーという世界チャンピオンが42年もの長きにわたって君臨していたのですが、1992年、コンピュータに敗れるのです。しかし、実は決着はついてないままにティンズリーが病死しただけで、彼(人間の側の王)は、「自分という存在のプログラマは神なのだから負けるわけがない」の名セリフを残しています。
 その後、チェッカーは2007年に完全解が発表され、両者が最善手を打ち合えば必ず引き分けになることが実証されました。すべてが解かれたら、ゲームは終わるのです。
「清められた卓」
 これ面白かったぁ。ぞくぞくしながら読みました。ネタバレして「な~んだ」と拍子抜けしましたが。
 新日本プロ麻雀連盟の歴史から抹消された第9回白凰位戦。牌譜さえ処分されたこの戦いでいったい何が起きたのか?決勝に残ったのは、なんとプロひとりにアマチュア3名。真田優澄は27,8歳の宗教法人代表、シャーマン。9歳の天才少年、当山牧。優澄を追う精神科医の赤田大介。そしてただひとりのプロ、新沢駆。
 優澄の謎めいた打ち筋は、ほんとうに魔術を使っているのでしょうか。牌が透けてみえるのでしょうか。そうだとすれば、あとの3人はどのように戦えばいいのか。私も考えてみましたが、たとえ超能力者が透視術を駆使して戦っても麻雀は絶対に勝つとは限りません。そしてこの作品で私が感心した記述は、「麻雀による運やツキという偏りのほとんどは人の選択が生んだ偏りである」というところです。確かに、そうなんですよ。
「象を飛ばした王子」
 チャトランガというのは、古代インド将棋というやつで、チェスや日本将棋の起源といわれるものだそうです。
 なんでもチャトランガの駒の「象」が、中国では「虎」になり、日本では「銀将」になったのだとか。
 物語の舞台は古代インド、シャカ族の国、カピラバストゥ。王子だったブッダ(釈尊)が出家し、この小国は大国に挟まれ、滅亡の危機にありました。ブッダの実子でありシャカ族最後の王子であるゴータマ・ラーフラは現実の戦況で悩むうちに、生まれも貴賎もなくただ知力のみが支配する世界、盤上でする架空の戦争を思いつくのです。それは斜めに2マス進む“象が空を飛ぶ世界”であり、理解者がなかなか現れなかったのですが……
「千年の虚空」
 北海道の孤児院で育った葦原一郎と、恭二の兄弟は、養ってくれた実業家の一人娘である織部綾との3人で性的に倒錯した青春時代を送りました。やがて一郎は政治家に、恭二は棋士となり、奔放な激情家だった綾はいつしか妖艶な悪女に変貌し、兄弟の運命を手中で操るようになるのです。恭二は薬物中毒から生じた統合失調症により、突然変異的に棋力が強まります。逆に政治を追われた一郎は、量子歴史学という新しい学問分野を開拓し、千年の歴史がある将棋の、その千年を科学することにより将棋の完全解を発見しようとするのです。
 作者の頭のなかでも完全にまとまっていないというか、考えていることはわかるような気がするんですが、伝え方が難しいのかもしれませんね。たしかにゲームは歴史そのものかもしれません。相手の駒を手駒にできる日本の将棋に完全解はないでしょうけど。
「原爆の局」
 昭和20年の8月6日、囲碁のタイトル本因坊位戦が広島で行われていました。全然知りませんでしたし、この本読まなきゃ知らないまま死んでいたことでしょう。第一局は広島中心部で打たれましたが、8月6日の第二局は郊外で行われたらしいのです。ですから、本因坊の橋本宇太郎も挑戦者の岩本薫も助かりました。しかし、原爆の爆風はものすごく、窓ガラスは粉々に、障子や襖は倒れ、碁石も吹き飛び、関係者全員が気絶に近い状態に陥ったらしいですが、驚くのは正気になりしだいすぐさま囲碁を再開したらしい、ということです。
 このときの棋譜は、戦後海外への囲碁普及に尽力した岩本薫が、最後に設立したシアトルの海外センターの正門にタイル張りされているらしいです。冒頭の表題作で登場した由宇と相田は、この棋譜を照合してのち海外へ飛んだようです。語り手のジャーナリストと、現本因坊の井上隆太は彼女らのあとを追って日本から飛び立つのですが……
 囲碁とは9割が運、1割が技術という考えもあり、由宇は9割の意志と1割の天命という。
 はたまた相田は5割の抽象と5割の具象なんて、いいますし。難しいですね。

 私の印象に深く残るのは、やはり麻雀を扱った「清められた卓」でしょうか。
 ツキってのは、やはりツキと呼ばれるものを呼び込む打ち方をしている、ということなんでしょう。
 ツイてないと思う時は、配牌もツモもめちゃくちゃなんですがね。あれも、どこかにきっと原因があるのですよ。だとすれば、人生も同じではないでしょうか。運のある方は、そう思われるような生き方をしているからこそ、なのだと思います。あきらめちゃだめです。


 

「一刀流夢想剣 斬」月村了衛

 その技、まさに入神の域。一刀即万刀、万刀即一刀、一に始まり一に帰す

 文禄2年(1593)、下野国で謀反が起きた。
 重臣龍田織部介が、君主であった藤篠家を一夜のうちに討ったのである。
 藤篠の一族は悉く斬首された。ただひとり17歳の澪姫を残して。
 追手がかけられ、追い詰められた子鹿のごとく山中を逃げ惑う澪姫と12歳の側小姓・小弥太。
 ふたりがついに捕らえられようとした時、ひとりの牢人が現れる。
 歳の頃は三十前後、長身にして痩躯、肩には黒い長羽織を引っ掛けたこの男こそ――無法に泣く民あらば無敵の剣で悪を懲らす。たとえ相手が何者であろうとも、ただひとりにて立ち向かう。そして名乗ることなく立ち去る。
 男の剣は、敵の攻撃に応じて己が踏み込み、相手の太刀を死に太刀として一拍子で斬る。それは即ち一刀流極意「切落」。剣名高き伊藤一刀斎を始祖とする一刀流。一刀斎に二人の門弟があることは広く知られている。小野善鬼と神子上典膳(みこがみてんぜん)である。両者ともに精妙の域に達した当代一流の使い手であったが、典膳の高潔に対して、善鬼はその性横暴にして獰悪、師の一刀斎は悪行止まざる善鬼を自ら成敗し、一刀流の印可を典膳に授けたという。
 ということは、黒い長羽織の男こそ世評に高い、かの神子上典膳に違いない。
 彼は澪姫と小弥太の逃亡を助け、織部介の配下の名にし負う剣客である外他流の白木蔵人、黒蓑流の右門と左京次の兄弟による追撃を間一髪でかわし続ける。そして、彼らを助ける山渡衆の頭目である鳶造や細工師加平。
 さらに典膳を召抱えんとする徳川家康の意向を受け、争いに巻き込まれていく小幡勘兵衛。
 典膳の悲願とはいったい何か、そして彼のもつ罪深い業……
 己を空とし、想を無とし、生の実を以て死の虚を打つ『夢想剣』の奥義とは!?
 急転する展開、あっと驚く真相、斬新なストーリーで息もつかせぬ時代冒険ミステリー。

 あとにいくほど盛り上がってきます(・∀・)
 途中までは、ありがちな時代劇を観ているかのような普通で陳腐な物語に辟易としかけましたが、さすが機龍警察で絶賛売り出し中の月村了衛、ちゃんと最後は魅せてくれましたね。
 典膳が鳶造を避けていた理由であるとか、剣客と対峙したときにつぶやく意味とか、正義の味方であるには何かおかしい彼の雰囲気、すべては伏線だったのです。
 そして、アクションだけではありません、剣術に対して真面目な小説だったと思います。
 「夢想剣」だって語呂だけ聞くと伝奇っぽいですが、想いなく、意識なくして敵を打つというのは、真の極意ですよ。理屈はしっかり通っています。そこまでに物語も無理なく積み上げられていきますしね、ああ夢想剣、わかるよと読んだ方のたいていは感じるんじゃないですかね。
 あとは続編があるかどうか、でしょう。
 澪姫と小弥太が彼の後を追ったこと、白木蔵人が生き残って徳川についたのは続編の伏線かもしれません。機龍だってシリーズですし、本作が作者にとってもうひとつの名声を呼ぶシリーズになるといいのですが。
 どうかな、五分五分?

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