「龍馬史」磯田道史

 歴史探訪などの新聞連載やテレビの歴史番組でお馴染みの磯田道史(いそだみちふみ)の本。
 渡辺真理の出てる、あれなんだっけ、歴史ヒストリアだったかな、BSの。あれの印象が最近は強いです。
 単行本として書いたものを読むのは初めてでしたが、本書は前からけっこう気になってました。
 日本の歴史の中でも最大級のミステリーである坂本龍馬の暗殺の謎を解いた、つうんですから。
 もっとも、著者曰く「最初から謎なんてなかった」ということらしいですが・・・
 最新の発見史料をふまえ、坂本龍馬の生涯をたどりながら、複雑な幕末史をわかりやすく解説し、ところどころでは押しの強い「磯田史観」をどーんと構えておられます。ちょっと微妙に説得力に欠けるところもありますが、なにより内容が新しく、今までに聞いたこともない事象が書かれており、幕末史解説が易しいこともあって、なかなか読んで楽しい本だったと思います。龍馬暗殺の真相は・・・本書の通り、こんなところだと私も思いますねえ。

 天保6年(1836)に生まれた龍馬の家は、高知城下でも有数の富商である才谷家から分家した郷士の家柄でした。昔からの郷士(上士の下の下級武士)ではありません、郷士の株を買ったのですね、金持ちだから。
 実家が商売人筋であったことが、後の武士には見られない柔軟な金銭感覚を龍馬が持っていた由縁であると著者は書いています。
 坂本龍馬の事績というと、薩長同盟の仲立ちと大政奉還の献策の2つが挙がりますが、それは必ずしも独創ではなく、むしろ龍馬の真価は「坂本海軍」の実現にあると著者は強く述べています。文久2年(1862)3月、脱藩して勝海舟に弟子入りし海軍を学んだ龍馬は、巨額の費用のかかる軍艦を手配し、日本最初の商社といわれる亀山社中を組織、イギリスの思惑通りに自由に武器や商品を輸送し、商行為を行いました。当時のイギリスは「政権デザイン能力」を持っていたといいます。このへんが磯田史観で読んでいて面白いところです。
 なぜ龍馬が海軍にこだわっていたか?次男坊で家督を継ぐ権利がなかった彼は、名を上げるため江戸に剣術修行に出ますが、そこで黒船来航と遭遇、海岸の警備に駆り出されたのです。それが契機となって、龍馬は日本という国を見つめる視線を獲得しました。海軍がなければ国は滅ぶと。そして龍馬には物事を自ら果敢に実行する強力な実践力があり、性格や思想の柔軟性がありました。河田小龍(ジョン万次郎の聞き書きをした)によって世界を知り、勝海舟によって海軍を知り、横井小楠によって将軍なき政治形態を知る。まさに、風雲急を告げる幕末にピッタリの男だったのです。

 慶応3年(1867)11月15日夜、龍馬は僚友の中岡慎太郎とともに、京都の近江屋で殺害されました。
 その直後から現在に至るまで、犯人探しや黒幕探しが行われてきました。
 「龍馬に真っ先に斬り付け殺害したのは誰か」「殺害者たちに命令した黒幕は誰か」ということですね。
 著者はここで重大な提言を2つ披露します。まず、龍馬が平和的工作をもって幕府の骨抜きを図りながら、一方で武力倒幕を画策していたというのです。龍馬は単純な和平論者ではなく、自身や将軍の死をも覚悟した和戦両様の考えを持っていたのです。しかし戦争になると、強化を推し進めていた幕府海軍と己の海援隊の衝突は避けられない。これがイヤだったのですね。海援隊の船を蝦夷地に回向して戦闘を回避させることも考えていたようです。龍馬はリアリストでした。戦争になるのは仕方ないが、自分が損をするのは避けたい、と。
 これが真実だとすると、なんとしても武力倒幕したかった薩摩藩が穏便政権交代派の龍馬暗殺の黒幕であるとする有名な説は根本から揺るがざるをえません。
 著者のもう一つの提言は、2009年12月に発見された寺田屋事件の事後報告書です。これによると、伏見奉行所は龍馬が逃げた部屋から龍馬や薩長同盟に関する有力な資料を入手し、はっきりと坂本龍馬が何者であるかを認識しました。
 薩長同盟の仲介をし、さらに土佐も政変に巻き込もうとする龍馬の行動力は、大政奉還されると困る京都守護職の会津藩と京都所司代の桑名藩にとって差し迫る危険でした。
 従来は、龍馬という人間の危険性を幕府は認識していなかったという説が当たり前でしたが、会津藩の優れた情報収集力は坂本龍馬という人間をキャッチしました。そして寺田屋事件の翌年11月に龍馬は暗殺されるのです。

 暗殺当日、龍馬が風邪を引いていたというのは違うようです。そして、中岡としていた談合の中味は、天下の大計ではなく土佐出身の浪士、宮川助五郎の釈放に関してのことでした。
 この日、釈放を談じるため、3キロ離れた幕府の重鎮永井玄蕃のもとに龍馬は2回も会いに行った形跡があります。
 すぐ隣は見廻組の組頭である佐々木只三郎の宿舎でした。
 永井玄蕃と親しくなったことで、龍馬に油断があったのは間違いないでしょう。
 キーパーソンは、佐々木只三郎の兄で会津藩の公用人であった手代木勝任(てしろぎかつとう)。
 著者は、会津藩が見廻組に命じて行った政治的暗殺であった、と断じています。
 実際に手を下した、龍馬の脳天を割ったのは、小太刀を使う桂隼之助、今井信郎、渡辺篤のいずれか。
 ただ、剣の達人はいくら天井が低くても上段から頭を割れます。天井が低いから小太刀を使うというのは、武術を知らない素人考えです。
 でも、事件の大筋はこんなとこで間違いないのではないでしょうか。
 著者も書いていますが、謎のないところに謎を呼び込んだ可能性が高いです。それほど幕末の英雄である坂本龍馬の死を彩ることに、後世の歴史家が夢を重ねたということなんでしょう。
 歴史が現実であるのはその一瞬だけです。そしてその一瞬の真実は二度と取り戻せない夢なのです。

スポンサーサイト

「落英」黒川博行

 物語の舞台の中心は、日本で一番ガラが悪いという大阪府警です。
 といえば、黒川博行なら『悪果』『繚乱』(カテゴリー悪漢・犯罪サスペンス参照)を思い出しますなあ。
 堀内と伊達の悪徳刑事コンビの活躍は大変面白かったです。
 本作も、コンビの刑事が主人公ですが、堀内と伊達と違って(彼らは暴対)、薬対(薬物対策課)です。
 それに所轄ではなく、コンビの所属は大阪府警察本部です。
 ひとりは桐尾武司、34歳、4年前に離婚。以前に覚せい剤で検挙した高級ヘルス嬢と付き合っています。
 もうひとりは、上坂勤、同じく34歳。というか桐尾と上坂は警察学校の同期です。上坂のキャラクターは非常に面白い。この物語が「悪果」や「繚乱」の雰囲気を匂わせながらも、堀内や伊達と比べて格段に真面目な薬対のコンビの活躍を楽しく読めるのは、ひとえに上坂勤のキャラクターのおかげです。
 上坂は、小太りで背が低く、髪が薄くてレンズの厚い眼鏡をかけています。どっから見ても刑事に見えません。
 京都の芸術工科大の映像学科を出た変わり種で、警察学校はやっとこさ卒業しました。母一人子一人。
 モテません。森の中で見張っている時、虫がいっせいに鳴き出したのですが、桐尾が「虫が鳴くのはメスを呼んでるんや」と言うと、上坂が「わしも鳴こうかのう」とボソッと言ったのには笑いました。
 お笑いキャラですが、それでも、落ちこぼれデカではないのですよ。桐尾と上坂のコンビは優秀です。
 優秀じゃなきゃ本部勤めにはならないでしょう。近畿の警察は、二強三弱一虚弱と囃されているそうです。二強は犬猿の仲と噂される大阪府警と兵庫県警。三弱は京都、滋賀、奈良。最弱は検挙率の低い和歌山。
 その最弱地帯へひょんなことから桐尾と上坂は向かうことになるのですが・・・
 それが彼らの運命を左右することになるのです。

 「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」
 前歯はボロボロで茶色に変色し、CTを撮れば脳に隙間ができているというシャブ中は、禁断症状が出ると毛虫やネズミが身体中にまとわりついているのが見えるそうです。
 いま、日本国内のシャブの末端価格はグラム7万円だといわれています。
 中朝国境などのブローカーと現地でやり取りする元締め兼卸元の買値がグラム2千7百円、それを売人に1万円で売り、売人はそれを小売人に3万円で売ります。小売人(コシャ)はシャブを小分けして0.1から0.3グラムのパケにし、グラムあたり7万円程度の値で客に売るのです。小売人は配下に運び屋をもっており、数千円の駄賃で運び屋は小売人に指図された現場で客と取引します。末端中の末端である運び屋には、ヤク中の元ヤクザもいます。ヤク中になり些細なことで絶縁、破門され、組を放り出されたヤクザにとってシャブの運び屋はこれ以上堕ちるところのない最後の生業です。
 薬物捜査の根幹は内偵です。ガサが入ったとき、勝負は終わっています。下拵えをし、煮炊きをし、料理を作り終えて皿に盛り付けるのがガサならば、捜査一課や三課のように、まず犯行がありその犯人を追って動き出す捜査とは流れが逆と言えます。
 8月4日から25日までクソ暑い中、内偵を続けた大阪府警本部刑事課薬物対策課の桐尾と上坂。
 この案件は桐尾の情報が元となっており、元締めから末端の運び屋までシャブの流れを一網打尽にする大がかりな事件でした。桐尾と上坂の班長である永浜は、薬対課長にふたりの府警本部賞賞を申請します。ところが・・・
 100キロを超す覚せい剤とともに、見つかったオマケのチャカ一丁(拳銃は刑事にとって金星ですが)が、事態を波乱に導くのです。シャブの売人のヤサから見つかったその黒光りするトカレフM54は、鑑識で調べた結果、16年前和歌山で起きて迷宮入りとなった南紀銀行副頭取射殺事件に使用された拳銃とわかったのです。
 桐尾と上坂は、一転、特命による専従捜査チームとして和歌山に派遣されます。和歌山県警と連携して、トカレフの出自を洗うのです。和歌山でトリオを組む相手となったのは、射殺事件発生当時、帳場にいた満井雅博という来年で定年の刑事でした。パナマ帽をかぶり昭和レトロな格好をした満井は、和歌山県警のはぐれ者であり、利権に手を染めた汚れた刑事だったのです。
 しだいに、頭も切れてカネも切れる満井のやり方に影響されていく桐尾と上坂。
 マリコン(マリン・コンストラクター。海洋土木全般を請け負うゼネコン)の談合屋の大物や、殺人を請け負う武闘派の暴力団を相手に、決死の囮捜査を敢行するのですが・・・

 面白いです。期待した通りの出来ですね。
 ただ、何度も言うようですが堀内と伊達の物語の二番煎じのような感じがなくもありません。
 病院にいけないケガを扱う医者の存在とか・・・
 ラストなんて「悪果」そのものでしたし・・・ということは、続編があるのかな!?
 私的には上坂のキャラが気に入ったので、こちらのほうが好きですね。堀内や伊達よりこっちが真面目だし。
 また、この作家の楽しさは大阪弁を駆使した会話にあると思うのですが、それも本作が優れていたと思います。
 続編を期待しましょう。


 
 
 
 

「百年文庫 鍵」H・G・ウェルズ/シュニッツラー/ホーフマンスタール

 百年文庫の23作目のテーマは、ズバリ「鍵」。
 ま、意味深ですわな。色々なメタファーが考えられます。
 純粋に扉を開ける(閉める)ものとして、キーポイントという謎を解く手がかりとして、平井堅の歌では肉体的結合の意味みたく使用されたようですし、カギを握る、という言葉もよく使われますね。
 このように、思いつくだけでもどんどん出てくるのですが、ここに収められた3篇の「鍵」は少しわかりにくいです。
 また作品の選択を失敗したようですね、どうやら。
 もちろん、初っ端のウェルズのは面白かったですし、真っ白な長い塀の緑色のドアを開けるとそこは・・・という「鍵」を簡単に連想させてくれる作品でしたが、2作目、3作目とだんだん意味がわからなくなってきます。
 まだ2作目は、不倫ですが恋愛モノでしたし、わからないでもなかったんですが、3作目はとても難解でした。
 さっきまで風呂の中で唸りながら「どこがカギなんだろう?」と考えていましたが、やっと自分なりに答えが出ました。
 もう少し、作品の選抜は単純で良かったんじゃないでしょうか。
 凝る必要はありませんよ。そんなのは編集者の自己満足でしかありません。

「塀についたドア」H・G・ウェルズ(1866~1946)
 死ぬほんの1ヶ月前に友人が話してくれた「塀についたドア」。それは実在の塀を通じて不滅の実存へ導いてくれるドアでした。こう書くと難しいですが、薄汚れた見すぼらしい店が並ぶ通りに長ーい白い塀があって、そこに緑色のドアがついているのです。それは探そうとしても見つかりません。人生の節々で友人はその白い塀と緑色のドアを数回目にするのですが、開けて入ったのは少年の頃の一度しかありません。そこは魔法の国でした。綺麗で広大な庭園、美しく優しい女性たち、二匹の大きなヒョウ、一緒にゲームをしてくれる遊び友達・・・もう一度あの世界に入りたい。
 高名な政治家だった友人は、工事現場の深い穴に落ちて死にました。白い塀と緑色のドアと間違えたのです。一種の幻覚と不注意によるワナでした。
 ラストの「だが、彼はそのように考えただろうか」という一文が効いています。
 友人にとって、美しい魔法の国とは「死の世界」だったんじゃないでしょうか。彼はこの世に倦んでいたのです。

「わかれ」シュニッツラー(1862~1931)
 
だれひとり知らないふたりの関係。男と女は不倫をしていました。女には亭主がいたのです。
 彼らは逢う時は男の家で待ち合わせをしていました。しかし、その日、男が待てど暮らせど女はやって来ません。
 今みたいに携帯電話があるわけじゃありませんから。いや、携帯があっても連絡はムリだったかもしれません、なぜなら、女は脳チフスで重態だったのですから。男は、女の家までやって来ますが、もちろん中に入るわけにはいきませんのでカネで使者を雇い、こっそり女の容態を探るのでした。そしていよいよ命の危険が迫っているというとき、意を決して自ら女の家に足を運ぶのですが・・・残念ながら30分前に女は亡くなっていました。
 1896年に発表された作品ですが、なかなか恋愛心理というか巧く書けているなあと思いました。
 昔は連絡手段がありませんし、移動も難しいですから、不倫は大変だっただろうと思います。
 この小説のミソは、男が女に心底惚れていたというところにあります。だからバカバカしく思わないで読むことができるのです。不倫相手が亡くなって旦那が泣いているその枕元には立てないよ、ふつう。人倫にもとる。

「第六七二夜の物語」ホーフマンスタール(1874~1929)
 遺産がたんまりとあって、美男子で、召使が4人いる商人の息子の非常に観念的な精神の冒険。
 ボケーッと読んでたら何が書いてあるのかわかりません。文学的で、角度によればとても美しい風景になります。
 召使は、老婆と元はペルシャ大使に雇われていた下男と15歳の娘とそれより数歳年上の娘の4人がいます。
 商人の息子は何をしているわけでもない、バカではないのですが、金持ちらしくぼんやり暮らしています。
 というか、今で言う「ニート」なんですよね。ラストで彼は馬に蹴られて死んでしまうのですが、そこに至るまでの経緯は、まさしく商人の息子が心の「カギ」を開けて外に飛び出した冒険だったと思うのです。
 いや「ニート」という言い方はおかしいかな、社交界のパーティみたいなとこには出てますから、「世間知らず」と言ったほうがいいかもしれません。設定の場所は、おそらく作者の国であるオーストリア帝国でしょうね。
 温室に閉じ込められてからのダンジョンを巡る彼の冒険は面白かったし、観念的なものが映像として脳裏に浮かび上がりました、彼を温室に閉じ込めた少女の顔とか。こういう小説は理解はしにくいし、読むのが大変なんだけど、レベルが高いと思います。なんだかはっきりしないんだけど、場面々々が映像として頭に残るんですよ。


 
 

「大山倍達正伝」小島一志・塚本佳子

 「私の武勇談は数知れずありますが、みんな真実なんてことはないんです。ひとつの話が大きくなり、メダカがいつの間にかクジラになってしまう。いつしか話が誇張されてしまうんです。『空手バカ一代』はその最たるもので、実際の私はあんなにカッコいい人間じゃないよ。なのにみんなが寄ってたかって私をスーパーマンにしてしまうんだ。だから、戦後初の全日本空手選手権優勝というのは間違いなんです。あれは梶原一騎の作り話です」
 「(屠殺場で)牛を繋いでおいて、思いきり殴ったんです。ところが、死なない(笑)。あれは普通、眉間をハンマーで殴るんです。それを私は手刀でやるわけです。ところが牛は横に倒れない。物凄く暴れるんです。二回目はもう殴れないです。以来、牛を倒すのは諦めてしまった。だから、私が牛を殺すというのはウソですよ」


 別にウソでいいじゃないですか。
 世界140カ国に公認支部道場を有し、累計1200万人(公称)を超える会員数を誇った世界最大の空手流派極真会館を創ったのは大山倍達であり、彼以外には成し得なかった偉業であることだけは事実なのですから。
 かつて大山倍達は、「嘘を百回繰り返せば伝説になる。千回繰り返せば真実になるんだよ、きみー」「伝説とはいかに大きな嘘をついたかに価値がある」と言ったそうですが、カリスマ的なスーパースターとは、本人が望む望まないに関係なく、尾ひれはひれに彩られ、黙っていても口さがない外野にああだこうだと野次られるものです。
 大山倍達の場合は、すでに有名な真実ですが、韓国に生まれたことを隠蔽していました。
 彼の本名は崔永宜(チェヨンイ)といい、1921年6月4日に日本統治下の韓国全羅北道で生まれました。
 韓国人としての出自を隠蔽した大山は、自分の人生に幾重もの虚飾の衣を重ねました。空手家としての英雄像に重みを与える「武勇伝」、武道家としての系譜に真実味をもたせる「体験談」などその言行とエピソードは矛盾に満ちあふれています。己のアイデンティティたる出生を偽ったのですから、その後の経歴を詐称することなどわけもないでしょう。でもね、じゃあ日本人が中国拳法の先生になってもしも中国で道場開いたとしたら、日本語の名前を使って人が集まるでしょうかね。大山倍達の場合は、日本統治下の朝鮮半島から日本にやってきました。密入国ですけど。戦後、日本には200万人を超える朝鮮人がおり、140万人は帰国しましたが、60万人は残りました。大山が日本名を名乗ったのは、日本の武道である空手によって身を立てる上での利便性ももちろんですが、朝鮮人を差別する日本人社会の存在があったことも無視出来ませんね。だからいたずらに大山が悪いというのはフェアじゃない。
 しかし、ちょっと複雑なのですが、この人は二重国籍でした。戦後のどさくさのとき、日本で朝鮮戸籍を詐称して取得したのです。わざわざ韓国に帰って戸籍を取ってくる面倒はかけられないので、終戦時は言いなりに朝鮮戸籍を与えていたのです。1968年に大山が日本に帰化した際、この偽りの朝鮮戸籍が使われました。だから、日本に密入国した大山倍達の元の韓国の戸籍はまっさらで実家に残っていたのです。崔永宜のね。あろうことか、大山倍達はこの戸籍を使って、日本にいる妻と娘たちとは別に、韓国でも妻と子供を入籍していました。
 重婚ですから、犯罪というよりも人倫にもとる行為ですよ。アラブの一夫多妻制じゃないんですから。
 だから、韓国の家族は大山の死に目に会えませんでした。日本の家族は彼が死ぬまで韓国に家族がいることなど知りませんでしたからね・・・

 意外ですが、大山の原点となる格闘技はボクシングであったようです。並行してウェイトトレーニングの研究も熱心に行なっていました。日本に来てからはまず京都で剛柔流、東京で松濤館流の空手を学びました。
 戦時中、特攻帰りというのはウソで本当は「徴用工」で道路を作ったりトンネルを掘ったりしていました。
 戦後、建青(在日朝鮮建国推進青年同盟)の武闘派幹部として、朝連(在日朝鮮人連盟)との血で血を洗う抗争に参加。しかし大山は民族思想というよりも空手の腕が奮えることに意義を見出していたようです。
 徐々に民族運動から距離を置いた大山は、1952年から半年間アメリカ遠征に出発。主にプロレスの前座を務めていたようです。帰国してからはメディア戦略を取り始めます。英語での初めての空手書を出版したのは大山です。
 1964年に国際空手道連盟極真会館を発足。1971年に週刊少年マガジン誌上で連載が開始された「空手バカ一代」が一世を風靡し、極真と大山の名は飛躍的に高まりました。
 柔道も講道館三段で、合気道は塩田剛三に学んでいます。この他、日本拳法の森良之祐や中国拳法の澤井健一とも交流があり、武道格闘技全般に造詣が深かったのは、武道に対する研究熱心な性格だけでなく意外にも大山が大の読書家であったことに関係があると思います。15歳のときからパスカルを読んでいたようです。
 根が活字中毒にできてる私は、本が好きな人間には親しみを覚えます。大山の悪口を言う人間が多いようですが、愛嬌があるいいおっさんだと思いますがねー。活字で見てるぶんには(笑)
 一番面白いのは、少林寺拳法の宗道臣に「牛の角は折るものではなく、瓦も屋根をふくものであって空手の技で割るものではない(笑)」と本に書かれ、「つべこべ言う前にヤギの角でも折ってから言え(笑)」と言ったのは面白いエピソードです。このあと極真会館と少林寺拳法は抗争一歩前の状態になったそうです。
 少林寺のほうも経歴は怪しい武道でしょう。宗道臣の名前だって武道家風にしているだけで本名ではありませんね(本名は確か中野。日本人である)。私は宗道臣が崇山少林寺の拳法を学んだというのは、大山倍達の経歴詐称以上に怪しいと思います。
 ですが、実は宗道臣は大山が得意にしていたビール瓶の首を手刀で飛ばす演武が出来たかもしれないといえば、大山驚いたでしょうね。じっさい似たようなことを酒の席で宗道臣はしていたようです。ネタ元は書けません。本書には大山批判で有名な大道塾の東孝が「骨を折って突起でも作らなきゃムリ」と言っていますが、日中戦争のときに支那の奥深くで破壊活動をしていたバリバリの潜入工作員であった宗道臣は自分の骨を加工していたのかもしれません。少林寺には「秘針」といって服の中に針を仕込むという、ブラックエンジェルズの雪藤かおまえは、とツッコミたくなる技もあったようです。
 大山倍達、宗道臣、いずれにしても古きよき武道の一番いい時代は過ぎてしまったようです。
 私は男同士でくっついて抱き合って寝転がって汗がつくような、今風の総合格闘技が大嫌いです。何が楽しくて臭い息がかかるような距離でむさ苦しい男とくっつかなあかんのでしょう。
 一撃、というのはくっつかれる前に倒す!という意味だと思いますよ。その点は極真、さすがですね。


 
 

「奇蹟の雷撃隊」森拾三

 「馬車屋への誘い」と題された撃墜王・坂井三郎の序文が非常に泣かせます。
 本書の著者である森拾三と坂井三郎は、霞ヶ浦で切磋琢磨したわずか25名しかいない第38期海軍操縦練習生教程の同期なのです。かたや世界に冠たる零戦の撃墜王であり、森拾三は高度5メートル、目標まで150~200メートルに接近しての魚雷発射訓練を繰り返した間違いなく当時世界最強無比の日本海軍空母雷撃隊の一員であり、主力である第2航空戦隊空母「蒼龍」所属であったということは日本海軍の至宝みたいなものです。
 そしてガダルカナルの激闘で、坂井は右目を失い、森拾三は右手を失って戦闘の第一線から去りました。
 森拾三は、日華事変の初陣以来、太平洋戦争は初日の真珠湾攻撃に第一弾をはなってより、雷撃に爆撃にと百数十回の出撃を重ねてついに生き抜き、戦後はすこし暗くした照明の船室作りのスタンドバーの奥で、軍歌のテープを低音で流しながら白手袋の義手を添えてシェーカーを振り続けていました。
 その西萩窪の酒場の名前は「馬車屋」といいました。戦闘機と艦上攻撃機のパイロットが酒なぞ飲んで喧嘩すると、お互いを「このサーカス野郎が(笑)」「馬車屋ふぜいが(笑)」と、けなしたらしいのですが(坂井三郎談)、森拾三は、その雷撃機に対する蔑称をそのまま自分の酒場の看板にしたのでした。
 なぜ馬車屋なのかというと、艦攻が魚雷や爆弾などをせっせと運んでいるのを馬に例えたのですね。
 練習生時代に、専攻機種を決める際、大方の者が航空隊の花形である戦闘機を選ぶ中、森拾三は一貫して雷撃機を志望したそうです。雷撃機を操縦するために生まれた男だと坂井三郎は言っています。
 「敵艦のどてっ腹に魚雷を叩きこむ」、死ぬまで己が雷撃機の操縦員として戦ったことを誇りに思っていた、それが森拾三の人生でした。

 森拾三は、大正6年、埼玉県の貧しい農家の三男坊として生まれました。
 昭和10年6月1日横須賀海兵団入団。11月霞ヶ浦航空隊に当初は整備兵として配属されたようですが、昭和11年6月に第38期操縦練習生を受験し狭き門を合格。翌12年11月に卒業し、艦攻操縦員として4ヶ月館山空で特別訓練を受けた後、昭和13年4月当時南京にあった第12航空隊(当時艦戦18,艦攻18機)に転勤、日華事変の第一線へ。分隊長は村田重治大尉でした。9月にはそれまでの九六式艦攻から最新鋭の九七式艦攻に機種変更が行われ、巡航速力が80ノットから130ノットに大幅アップしました。
 中国戦線で爆撃行96回、総飛行時間762時間の経験を積んで、昭和14年1月内地の霞ヶ浦空に着任、5月には三空曹を任官し教員配置につきました。このとき神雷部隊で有名な野中五郎大尉が分隊長でした。野中大尉は非常に好人物で、下士官という立場で階級が上になる練習生を教育しなければならない森らのことを慮ってくれたようです。森はここで2年10ヶ月勤務し、第7期海軍予備学生と第50期操縦練習生を教育しました。
 昭和16年9月かねてより希望であった空母に乗り組みます。それは第2航空戦隊航空母艦「蒼龍」でした。
 単冠湾で決められた真珠湾攻撃の編成で蒼龍艦攻隊は、艦攻18機中雷撃8,水平爆撃10に決まりました。森は雷撃班です。このあと四斗樽を開けた無礼講の飲み会が行われ、搭乗員たちは柳本柳作艦長や山口多聞司令官を胴上げしたそうです。まるでスポーツチームのようなノリだなと思いながら読みました。
 真珠湾攻撃では、従っていた指揮官機が誤って戦艦ではなく巡洋艦を攻撃したことを見抜き、単機で攻撃をやり直して見事戦艦カリフォルニアのどてっ腹に雷撃を成功させました。軍人は上官に絶対服従ですが、戦場での独断専行は飛行軍規にも許されているそうですね。脚故障で海上に不時着しますが、どちらもお咎めはありませんでした。
 ポートダーウィン空襲後、ミンダナオのダバオ基地でかつての上司である野中五郎大尉、同期生である坂井三郎一空曹に再会したとの記述あり。短い時間であったようです。
 昭和17年6月5日、運命のミッドウェーでは、陸用爆弾を抱えてミッドウェー基地を攻撃、帰投後、おむすびを食べていたとき(このへんは大多和達也の「予科練一代」(カテゴリー海軍戦史・戦記参照)と同じ)、蒼龍が被弾、大多和は爆風で吹っ飛ばされましたが、森は艦長の総員退去の命で自ら海に飛び込み駆逐艦「巻雲」に救助されました。
 鹿屋空で軟禁された後、「蒼龍」艦攻隊は1コ分隊9機に縮小されたうえ商船改造の航空母艦「隼鷹」(2万4千トン 艦戦18艦爆18艦攻9)に配属されました。ミッドウェーの前にやってきた分隊長伊藤忠男大尉は技倆が下手で、ハワイ以来の古強者が揃う隼鷹艦攻隊はずいぶん苦労したようですが、人格者である伊藤大尉は、皆より腕が劣っていることを承知した上で勉強会などを熱心に開いたそうです。
 しかし・・・。昭和17年10月3日、出撃した隼鷹は一路、激戦地ガダルカナルへ向かいます。
 そして10月17日、午前4時15分(おそらく日本時間)ガダルカナル島まで200マイルも位置から、800キロ陸用爆弾を装備した隼鷹艦攻隊は飛び立ちました。飛行時間は予定で1時間30分。
 途中で1小隊2番機が引き返します。これが大多和機ですね。大多和さんの名前は出てこず、同期で偵察員の向畑一飛曹の名前が書かれています。大多和さんの本には森拾三のことは書かれているんですがねー。
 嚮導機がいなくなった艦攻隊は、目標上空でなんと伊藤大尉が爆撃をやり直してしまうのです。森はやばいと思ったそうです。爆撃せずに通過して左旋回したことにより掩護の零戦隊は、艦攻隊が爆撃を終了したと早とちりし、離れてしまいました。そのとき、グラマンが上空から襲いかかってきたのです。
 気づけば、周りには1機もおらず、コックピットの計器は血だらけになっていたそうです。
 操縦ができないと不思議に思って手を見ると、右手首がグラマンの機銃にやられてちぎれていました。
 瞬時に自爆しようとしますが、後席の八代飛曹長に思い止められ、左手一本でガダルカナル島近くに不時着水しました。片手で不時着するんですよ、どんだけ凄いのかと思いました。
 ガダルカナルの野戦病院で緊急手術し、11月6日駆逐艦「白雪」で島を後にします。ガ島は飢えていたそうです。また、2小隊1番機の操縦員であった佐藤寿雄一飛曹も助かりましたが、残りの艦攻隊は全滅しました。
 昭和18年6月18日、8ヶ月に及ぶ療養のすえ横須賀海軍病院を退院しました。
 昭和19年に応召されますが、それまで海軍を除隊して郷里に帰っていたようです。
 入院中、同じように脚を失くして療養していた空母飛龍の雷撃隊分隊士だった角野博治大尉から「たとえ身体は不具になっても、精神的不具者にはなるな」と諭され、不屈の闘志に励まされました。
 あとがきには、航空機のパイロットになり、右手を失ったことは少しも後悔していない、雷撃機の操縦員だったことは幸福だったと結ばれています。


 
 
 
 
NEXT≫
カレンダー
05 | 2013/06 | 07
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (91)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (21)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (12)
時代人情小説・ミステリー (17)
時代冒険小説・ミステリー (18)
社会小説・ミステリー (14)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (27)
海外冒険小説・スリラー (16)
SF・FT・ホラー (24)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (29)
中間小説 (22)
青春・恋愛小説 (31)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (13)
戦記小説・戦争文学 (18)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (21)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (17)
文学文芸・私小説 (23)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (53)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (145)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (44)
事件・事故 (35)
世界情勢・国際関係 (24)
スポーツ・武術 (23)
探検・旅行記 (20)
随筆・エッセイ (28)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示