「氷平線」桜木紫乃

 直木賞作家・桜木紫乃のデビュー作品集。
 2002年のオール讀物新人賞受賞作「雪虫」を含む50ページ前後の作品が6篇。
 ジャンルは、そうですね、恋愛小説ほど爽やかではなく情痴小説ほどドロドロはしていない、ヒューマンドラマ。
 ラストの表題作「氷平線」はミステリーとしても、十分読めます。
 全作品に共通しているのは、舞台が北海道であること、しかも帯広より向こうの道東です。
 桜木紫乃という作家に対する私のイメージは、北海道の情景を基軸とした北海作家というべきものですが、札幌や函館が舞台の作品は読んだことありません。丸太一本通せば持ち運べるようなトタン屋根の漁師小屋の集落があるオホーツク海沿いや、十勝平野の牧場、開拓小屋を舞台とした作品がやはりこの作家らしい、と思います。
 『ラブレス』こそこの方の会心の代表作だと思いますが、あの貧しい北海道開拓民の辛苦に満ちた物語は、魂がふるえました。読み終えたときに涙が止まりませんでした。あれこそ本当の直木賞受賞作だったと思います。
 調べてみると、桜木さん、釧路出身だったのですね。だからこそ書ける世界なのかもしれません。

「雪虫」
 これがデビュー作です。ここから一冊の本を世に出すのに5年かかったそうです。
 札幌で自己破産した達郎は、十勝平野で和牛農家をしている実家に帰ります。高校のときから付き合って一緒に札幌に出た四季子は、別れたあと一足先に帰っており、すでに結婚していました。しかし、牛舎の二階でその関係は復活します。生きながら腐っていくような田舎の毎日で、同じような速度で発酵し腐って土になるはずだったふたり。
 達郎の父が世話をしたフィリピン人の少女マリーがやって来たことにより、時間の流れは少しずつ変わりだしますが・・・

「霧繭」
 人口20万人に満たない北海道の地方都市で針を持って20年、和裁師の島田真紀は、85歳になる師匠から代替わりを告げられます。引き継いだのは、やり手の女将が仕切る呉服屋「かのこ屋」の仕事一切と、やよいという何を考えているのかよくわからない若い弟子ひとり。実は真紀は、かのこ屋の顧客部長である山本と3回ほど逢瀬を重ねたことがありました。そしてその時まで、山本が、かのこ屋の女将であるひな子と以前に男女の仲であったことを知りませんでした。真紀はかのこ屋のトップ職人として、ひな子は街の職人を束ねるかのこ屋の女将として、山本は女将の片腕として、それぞれの思いだけではどうにもならない立場が3人を取り巻いていく・・・

「夏の稜線」
 久保京子は22歳で農業研修先の酪農家に嫁いで9年。真由という娘がひとり、男が生まれないことに口やかましい姑、時間が経つごとに牛のようになった夫とともに、学校の全校生徒は20人、隣町の大型スーパーまで50キロという牧場に住んでいます。
 牧場農家の口うるさい姑と、牛のように愚鈍で母親に従順な夫、そして窮屈な田舎の暮らし。まさに、桜木作品のひな形とでもいうべき物語ですね。実際はどうなんでしょう、十勝の酪農家のみなさんが北海道を代表する作家である桜木紫乃を読んでも、怒るだけなんじゃないかと思うんですが・・・

「海に帰る」
 これは面白い作品。昭和49年の釧路が舞台になっています。
 25歳の理容職人・寺町圭介は、親方から店を譲られて独立します。叩きこまれた技術は親方を超えていた圭介ですが、はたして店についていた客がそのまま離れないでいてくれるものか気が気でありません。
 そんな独立して間もない大雪の日、赤いロングコートの女が偶然店にやって来るのです。
 女は大雪で馴染みの店が閉まっており、圭介の店を見つけたのです。彼女は歓楽街でトップクラスのキャバレーに勤めている夜の女で、出勤前に毛剃を頼みにきたのでした。これが縁となって、絹子と名乗った女は真夜中に度々圭介のもとに訪れるようになるのですが・・・
 「人の気持なんて死んだって手に入るようなもんじゃない。欲しい男をいっとき手に入れて、それが悪いっていうならそれでも構わない。わたしを責める人は自分も同じことをしたい人たちよ」は名セリフでした。
 圭介の子でしょうね。

「水の棺」
 釧路の西出歯科クリニックで歯科医師として勤める関口良子は35歳。院長で15歳上の西出とは、ほぼ勤めだした5年前から男女の仲で、ふたりの関係は周囲の誰もが知っていました。
 派手にインプラントと審美、矯正治療を宣伝して万単位の治療費がかかるクリニックは、釧路の経済衰退とともに経営が苦しくなり、西出との関係の精算という意味もあって、良子は10年ものあいだ歯科医師不在で歯科医師を熱望していた、人口2千人のオホーツク海に面したあさひ町への赴任を決めました。
 いざ着任して施療を開始してみると、町に向かうまでの絶望感からは浮上するのですが・・・
 男と女は田舎にいったほうが負けますね。でも、結末はわかりません。

「氷平線」
 桜木名物、海に面したトタン屋根の掘っ立て小屋が舞台。
 オホーツク海を望む集落に10年ぶりに帰ってきた遠野誠一郎。彼は、貧しい漁師の家に生まれ、アル中の父親の目から逃れるように必死に勉強に励み、東大に合格しました。
 財務省の官僚になった彼は、若くして岩見沢税務署長に補され、故郷に錦を飾ります。
 両親には10年のあいだ会っていない誠一郎ですが、故郷の集落には忘れられない女性がいました。
 5歳上の友江という女性で、病気の祖父と二人でトタン小屋で暮らしていた彼女は、村人に体を売って生計を立てていました。誠一郎にとっては初めての女性でした。
 変わらぬ場所に変わらぬ姿で彼女が住んでいることを知った誠一郎は、友江を連れ出し、自分の宿舎で同棲をするのですが・・・息子が税務署長であることを利用した父が、脱税コンサルタントと偽って騒ぎを起こすのです。
 マイナス15度の氷平線の世界で勃発するミステリー。
 いかにも桜木紫乃らしい、救いのない作品。


 
 
スポンサーサイト

「暗闇に咲く」高橋慶

 この小説、どう説明すればいいのやら。
 最近、重たいのばっか読んでいるような感じで、ちょっと手軽い恋愛モノでもと思ってつまんでみたんですが・・・
 Amazonではこの本、モノクロームラブストーリーって紹介されていましたが、ちゃんと読んで書いてるんですかね?
 もちろん、モノクロームという意味はハッキリしませんでしたが、私としては、セピア調の物哀しい恋愛小説かと思っていました。確かに、恋愛の部分も多かったですが、この成り行きは見ようによってはゲテモノでしょうよ。
 それとも、ひょっとしたらメタファーなのでしょうか。最近、やたらと植物系とかいう形容詞が多いし。
 愛するものを失う喪失感と虚脱からの逃亡なのでしょうか。現実への虚無感なのでしょうか。
 いや違うなあ。書いたままですよ、これ(笑)
 こういう小説だとわかってて読めば面白かったかもしれませんがね。
 私は純粋に青春モノだと思い込んでいたので、その180度急転回したストーリーについていけませんでした。
 芙美の過去に何があったのか、小夏の秘められた想いはどこへいくのか、禁断とまではいきませんがいとこ同士のちょっとインモラルな関係はどう展開するのか、面白くなってきそうだっただけに、冬馬が現れだしてからの曲がりぐあいには、意表を突かれて振り落とされてしまいました。
 表紙のイラストだって、よく見りゃ浮いているんですよね。汚そうな彼氏の部屋に、女の子が丸まって寝てるんじゃないんですよ。それに気づいたのは、ようやく半分ほど読み終わってからでした。
 今度からは、この作家はこういうものだとわかってますから、もう騙されませんよ。

 あらすじ。少しだけ。
 さびれた商店街の端っこに、木造住宅兼店舗の美容室「アムール」はある。
 母が死んで1年。青山の美容院を辞めた雨森小夏(男)は、母が残したこの店で、ひとりで美容室をやりくりし、安穏として気怠い中、ひっそりと暮らしていた。刺激もないが、平和だった。
 とある夏の日に、さほど親しくはなかった従妹の花之枝芙美が転がり込んでくるまでは・・・
 前はきれいなOLさんという雰囲気だった芙美は、変わってしまっていた。
 ぼさぼさで真っ黒な頭に、暗い顔。普段着に近い服。彼女は別人のような姿になっていた。
 聞けば会社も辞め、実家にも帰らず、そのうちまたここを出てひとりで暮らすという。
 所在を聞きつけた叔父夫婦がやって来て、なだめすかしても芙美の頑なな様子は変わらなかった。
 ただ叔父が言うのには、芙美の目の奥に、奇妙な光が見えることがあるという。
 芙美に何が起こったのか? 原因がわからないまま、兄でもなければ保護者でもない、ましてやもちろん恋人でもない、いとこ同士の小夏と芙美の奇妙な共同生活が続き、芙美も生活のため近所のコンビニでバイトを始めた。
 しかし、ひとつ屋根の下、いとこと言えど、若い男と女である。
 ぼんやりとしていた小夏の気持ちは、芙美の元彼であろう男からの手紙が届いたことによって、輪郭を形作っていく・・・好きになりかけるとは、すでに好きと同じ意味なのだ。
 そして小夏は、胸の奥の花を咲かせることもできないまま、芙美は違うモノへと変容を始めていく――

 月下美人。直接目にしたことはありませんが、サボテン科の、夜にだけ咲く、白くて美しい花です。
 月下美人と聞いても私なんかは日本酒の銘柄かとつい思ってしまいますが、誰が名づけたのか知りませんが、妙に美しい名前ですなあ。英名は「A Queen of the Night」。夜の女王というそうです。どうして夜の女王が、月下美人になったのでしょうか。謎だなあ。でも花言葉が「はかない恋」だと知ればなるほど、月の下の美女のほうが似合うような気もします。よく考えれば全然違うんですがね。
 芙美は月下美人になり、小夏は枇杷の木になり、図書館の白石はドクダミになりました。
 ドクダミというのは、私の畑でもはびこっていますが、相当にしつこい奴です。抜いても抜いても駆逐できません。でも、さすがに白石もドクダミにされちゃあ可哀想でしょうよ。
 とここまで感想を書いてきて、急にこの話は全部メタファーだったのかも、と逆に思えてきました。
 芙美が滅多に咲かない月下美人になって実をつけたのは、冬馬のためか?小夏が枇杷の木になったのは、やはりマザコンだったのか?しつこい白石がドクダミになって、すると、秋房すみれは何になるのだろう。
 忘れな草だったりして・・・みたいなことを考えてみると、あんがい深い物語だったのかもしれません。
 法律では結婚できるそうですが、いとこ同士の悲恋を見せられるよりも、こういう話でよかったのかもね。
 
 遠い蝉の鳴き声が不意に消えてしまったような気がした、というフレーズはよかったです。
 夏の恋は実らないよ。


 
 

「エンジェルフライト」佐々涼子

 第10回(2012年)開高健ノンフィクション賞受賞作です。
 毎年この賞は期待を裏切りませんが、うーん、さすがの私も読みながら何箇所かほろっとしてしまいましたねえ。
 今回は、国際霊柩送還のお話。
 海外で亡くなった日本人の遺体や遺骨を日本に搬送したり、日本で亡くなった外国人の遺体や遺骨を祖国へ送り届けるお仕事の話です。まったく知らない世界です。アンダーグラウンドです。
 ちなみに、この国際霊柩送還という言葉は、2003年に日本で初めて設立されたエアハース・インターナショナルという、この方面の専門会社の登録商標です。それだけ、この会社がパイオニアだったということですね。
 著者は粘り強い交渉の末、偏屈の社長を口説き落として仕事の実態を取材し、これだけの素晴らしい本を世に出しました。快挙だと思いますよ。いい仕事しましたよ、この著者、美人だし。
 それにね、本書の本質に直結はしていないんですが、2011年3月11日の東日本大震災のわずか17日前に、ニュージーランドで地震が起きて、邦人28名含む185名の方々が亡くなっていたことを忘れていました。
 日本人が28人も亡くなった痛ましい天災なのに、その直後が大きすぎて記憶から消えていました。
 去年の8月、女性ジャーナリストの山本美香さんがシリア内紛に巻き込まれて狙撃されたことも。
 これだって、シリアの化学兵器がどうだと今言ってますが、山本さんが去年当のシリアで亡くなったということを、どれだけの方がはっきりと覚えているでしょうかね。イラクやアフガンと思ってませんでしたか?
 本書を読まなければ、私はひょっとしたら一生、これらのことを思い出さなかったかもしれません。
 日本人として恥ずかしいですね。
 それほど、自分の周りではない死は遠いことなんです。遺族の気持ちは遺族でなければわからない。
 ましてや国が違えば、宗教も文化も習俗も違うんですから、遺族に対する国際霊柩送還とは難しくて尊い仕事だと思います。そこから、生きている人間と亡くなった人間の永遠の別れの儀式には何が必要か、深く考えさせられる、そんな本です。

 1年間で、400人から600人の邦人の方々が海外で亡くなっているそうです。
 海外から搬送される遺体は、航空機内の気圧の影響で、90%以上が体液漏れを起こします。
 遺体は日本の国際空港内に停められた、エアハースの処置車内で必要な修復処置をされてから、日本の遺族のもとへ送り届けられます。
 エンバーミング(遺体防腐処理)には、国際的なライセンスがありません。遺体の処理技術を担保するものは何もないのが実情で、送られてくる国によっては、遺体がドライアイスだけで処理されていたり、ショッキングですが、遺体の一部が闇のビジネスによって取り去られていることもあるようです。腹部の臓器がまったくなかったりとかですね。
 また、海外での事件や事故に巻き込まれた遺体の場合、非常に損壊が著しい場合があります。
 その遺体を遺族がたった一度の「さよなら」を言うための機会を用意するために、生前の姿に限りなく近い状態に修復するのが、国際霊柩送還士の最も重要な仕事です。
 日本人なら遺体を丁寧に扱うことは当たり前と想像されますが、エアハースが創業するまでは、実は日本にだって日本でなくなった外国人を祖国に送還して遺族を憤慨させるような事態がありました。
 アメリカなどは度重なる戦争などでエンバーミングの技術が発達していましたが、日本は他国と陸続きの国境を持っていないために、国際霊柩送還の技術も産業もなかなか発達しなかったのです。
 アメリカはほぼ土葬という理由もあるでしょう。イスラム教徒も火葬はできません。また敬虔なユダヤ教徒だとエンバーミングさえ許可されません。一方で、海外から日本へは弁当箱のようなタッパーに遺骨が入って還ってくる場合もあります。遺灰伝統の国では、焼却炉の温度が高温のために、こちらから骨が残るように焼却炉の温度を指示しなければなりません。タッパーに骨が入って還ってくれば、それをこちらで骨壷に移し換えるのです。
 このように、遺体に対する考え方は、死生観ともども、国や民族によって、さらには日本国内でも遺族によっては受け取り方が違うものなのです。

 私も独特の無宗教死生観を持っていますから、読み始めた当初は?と思うこともありました。
 このエアハースの人たちは、遺体を動かすときに声をかけたり、棺を床に置いたりしないとか、なぜ生きている人と同じようにここまで丁寧に遺体に接するのかと、ね。
 でも読み終えた今はわかります、この人たちは物言わぬ遺体を相手にしているからこそ、手が抜けないんです。クレームのこないところに一度手を抜けば、永久に手を抜かざるをえないのが人間です。
 それが、遠いところから還ってきた遺体に、たった一度の「さよなら」を遺族が伝える一瞬の尊い儀式に繋がるのです。生前と近い姿の遺体にさよならを言ってこそ、本当の意味でのお別れができるのです。
 遺体がない、灰にだけになっている、顔がバラバラになっている、それで遺族の心の区切りがつくでしょうか?
 考えてもみなかったことですが、葬儀とは残された遺族が生きていくための心の区切りの儀式だったのですね。

 葬儀業界はいまや1兆7千億円という巨大産業であり、2011年には126万人であった死者が、2040年には166万人にまで膨れ上がることが予想されています。ですから、一流企業も新規参入し、葬儀費用は合理化低予算化されて昔ながらの不明朗なぼったくり会計はなくなりつつありますが、本来の意味の“弔い屋”という、遺族に寄り添った葬儀の姿もまた消え去りつつあります。
 これはこれでまた、問題なのかもしれません。
 というようなことを酒を飲みながら考えている私も、遅かれ早かれ、この世から退場するのですが・・・
 外国からの遺体搬送費用は、莫大なお金がかかります。
 残した人たちにスッキリと弔ってもらうためには、海外傷害保険は絶対に入っておくべきでしょうね。


 
 
 
 

「離れ折紙」黒川博行

 タイトルも美しいですが、なんといっても舞妓さんが描かれているカバーイラストには魅入ってしまいます。
 ガラス工芸、日本刀、浮世絵などの美術品を題材とした美術ミステリー集。
 いずれも「オール讀物」に2011年から2012年までに掲載された、全6篇。
 それぞれの話自体に繋がりはありませんが、京都にあるという架空の洛鷹美術館の学芸員である澤井、館長で澤井と同じマンションに住んでいる河嶋などの人物は、重なって登場する場合があります。
 澤井は美術取引で小金を儲けようとしていつもドジを踏むキャラ。欲が出たらあきまへんなあ、人間は。
 作中にも書かれていますが、骨董コレクターなどという人種は病膏肓だそうですよ。
 同感ですね。美術品の真贋なんて、プロの一流の目利きでもコロッと騙されるんですから。
 ましてや古美術なんて、妖怪の巣食う世界でしょ。動くお金も桁が違います。
 私も京都や奈良にはしょっちゅう出入りしてましたが、あれも相当に壁の厚い世界でしてね。
 まだ比較的易しいのが仏教美術でしょうか。仏像とかね。日本刀はけっこう勉強しても皆目わかりません。
 中国とか朝鮮陶磁もましかなあ、実際に使用されていたものが多いから。日本の書画は魔窟そのものです。
 あと数千年も経てば、世界を席巻している日本のアニメも、立派な古美術として惑星間取引がされているかもしれませんね。そしたらこのルフィの描き方のここがおかしいから贋作である、なんてなったりして。
 作者の黒川博行は、意外ですが芸大卒業、高校の元美術教師という異色の経歴を持っています。驚きました。

「唐獅子の硝子」
 京都嵐山の洛鷹美術館のフリーの学芸員であり、美大で非常勤講師もしている澤井は43歳。専門は、陶磁器や木工などの工芸品全般。同じマンションに美術館館長河嶋と同棲している。ちなみに、澤井も河嶋も男性。
 ある日、資産家の遺品整理で鑑定を頼まれた澤井は、3つに割れたガラスのレリーフを発見する。アールヌーヴォー(19世紀末から20世紀にかけての西欧美術開花)時代のパート・ド・ヴェール(ガラスのやきもの)で、絵柄には狩野永徳の唐獅子図がモチーフとして使われていた。
 礼金とは別にその割れたレリーフをもらった澤井は、それが幻の工芸家アンリ・ベルナール作だったことを知っていた。アンリ・ベルナールは、いったいどこで永徳の唐獅子図を目にしたのだろうか? それともこれは贋物か?
 澤井は、この3つに割れたレリーフを修復し、美術商に高値で売りつけようと画策するのだが・・・

「離れ折紙」
 タイトルでもある「離れ折紙」とは、折紙、つまり刀剣鑑定の家系である本阿弥家が極めをした鑑定書が、本来セットになっているべき刀剣と離れてしまったことを言います。持ち主が死んで遺族が折紙のことなど知らずに刀だけ売ってしまったとか。この離れ折紙だけでも売買されるケースもあるそうです。としたら? 本阿弥家の本物の折紙に、本物そっくりの偽刀をセットにして売ればどうでしょうか。欲にくらんだコレクターなら、折紙もあることだしコロッとやられるかもしれませんね。この物語も、骨董仲間が美術商にこしらえた借金を肩代わりするかわりに、1千万を超える値打ちの日本刀を手に入れた日本刀コレクターの医師の悲哀?の物語。

「雨後の筍」
 またまた澤井が登場。今度は浮世絵の版木を知り合いの美術商から紹介されました。
 版木の作者は、写楽とも並び称される江戸中期の著名浮世絵師・桃燕堂如斎。わずか4年しか製作期間がなかったこの絵師の作品は13図の役者大首絵しか残っていません。しかも、その版木に彫られていた役者の作品は、現存していないものでした。本邦初の発見です。大学や美術館に売ることで2割のマージン料がもらえることになっていた澤井は、もっと儲けることをひそかに企み、知人の版画家を使って実際に如斎の浮世絵を再現しようとするのですが・・・雨後の筍、とは時流に乗った人気絵師のあとに同じ作風の追随者がたくさん現れた、ということ。

「不二万丈」
 画商歴30年の矢口は、鑑定シールを偽造して売った贋作の後始末を取らされ、なんとしても400万円の金策が必要な事態に追い込まれます。洋画も日本画も真贋鑑定は非常に難しいものです。構図や筆遣いなど一見して贋作と判るものもあれば、絵具からキャンバスの素材まで調べ、それでも判定できずに絵具の化学分析をし、レントゲンを撮ってようやく贋作と判るものもあるそうです。物故作家にはたいてい所定鑑定人がいますが、その鑑定人すら騙される巧妙な贋作も存在します。
 矢口は失敗を挽回するため、公設美術館に高額な日本画の三連作を納入するため奔走します。
 そしてその過程で、三連作には昭和36年の天災で所在不明となったもう一作が存在していたことを知り、精巧な贋作作りを仕組むのですが、上には上がいて・・・

「老松ぼっくり」
 各地の寺や旧家を回って仏具や民具を買い、市場に流して利益を得る美術商売人をハタ師という。いっぽう、店を持ち客を相手に商売する古美術商を店師という。立石は、大阪西天満の老松町骨董通りで長く店を構える店師である。言い値で払い、値切ることをしない彼のもとには、ふっかけもしない質のいい古美術売人が多く集まる。
 13年前から年に1,2回東京から出てくる蒲池という老人は、身許こそ明らかにしないが、物故した大物政治家の秘書だったらしく、質の極めて高い骨董品を大量に持ちこんだ。特に今回は特別で、全52品総額5千万円。
 しかし、その品の3分の1が売れたところで、神奈川県警捜査二課の刑事が立石のもとまでやって来た。
 蒲池が持ち込んだ総額5千万の骨董品はすべて贓品(盗品)だと言うのである。

「紫金末」
 紫金末とは、朱を火で炙った古代朱という岩絵具に、金粉を混ぜたものらしいです。絵具職人によって色が異なるらしいのです。結論からいうと、紫金末を固定の職人からしか買わなかった画家の作品を、その絵具職人が観て、「これはニセモノだ、俺の作った紫金末じゃない」と言って一件落着(しない)なんですが、なるほど、そういう真贋の極めもあるなあ、と。ここでも澤井が登場。澤井の京都芸術大工芸デザイン科の同級生である古賀という美大の准教授から、洛鷹美術館に知り合いの画廊から絵を買ってみないか、と持ちかけられるのです。
 その画廊は40手前の美人女性がひとりで経営していました。
 当の絵は、2,3年前に亡くなった芸術院会員で文化功労者に選ばれた日本画家のもの。
 澤井と書画専門の学芸員である新城の仲介の末、河嶋の鶴の一声もあり、10号の連作8点を1200万円で洛鷹美術館で購入したのですが、展示会のあと、「あの絵はニセモノです」という手紙が届くのです。

 美術を扱ったミステリーという面白さの他にも、京都古美術界という、一般人にはあまり関係のないカビ臭い世界の雰囲気を珍しく、興味深く読める一冊だったと思います。こういう腹芸の世界には関西弁はよく似合いますね(笑)
 業界用語も新鮮でした。たとえば、目利き=古美術に造詣が深い、は当たり前ですが、
 時代をつける=昔のものらしく見せる、とか、今出来=現代の作品、八分もの=かなりよくできたニセモノ、
 ふろしき画商=画廊を持たずにふろしき一枚で商売しているブローカー、など面白いですね。
 他にも、さすが元美術教師というべき、製作方法など美術の知識が豊富に作中に使われていました。
 ただ、すべて確認していませんが、物語のネタとなる作品の製作者は架空の人物です。
 これは当たり前なのかな。本当を使えば、物語を創作するのがとてつもなく面倒になるのかもしれないですね。


 
 
 
 
 
 

「ダブル・ファンタジー」村山由佳

 もう今さら感が強いんですけどね、改めて読んでみて「やっぱすげえな」と心底思いました。
 ちなみに第22回柴田錬三郎賞の受賞作でもありますが、こんなことを言ってはなんですが、なんだか柴田錬三郎の名前のほうが霞むよね。なんだか、賞のタイトルのほうがこの小説よりちっちゃいって思ってしまう。
 性愛小説であるようで違うんだよなあ。猥褻さを微塵も感じさせない。エッチじゃない。
 それにこういうの書くと、本当に語彙力というか作家の力量が誤魔かせませんね。そのままの力が出ます。
 本作で主人公の奈津が性交渉をもった相手は、・・・6人。
 当然、性行為やその前後の場面が全編を通して多く占められているのに、すべての場面が新鮮です。
 そのたびに、作者が新しい価値観や言葉、単語、雰囲気をセッティングしているからです。
 さらに、性に貪欲で貞操観念が薄い奈津に対して、読み手がネガティブな印象を持ちにくいというのも、作者の力量じゃないでしょうか。読者が奈津に共感してしまうんですよ。一歩引いて見てみればこの女性、とんでもないキャラクターでしょう? こんなのと付き合ったりしたら男、大変ですよ。仕事と性行為しかしてないじゃん(笑)
 それでも、いつのまにか奈津に共感してしまって、入れ替わり立ち替わり現れる男を品定めしようとしてしまいます。
 彼女にとっていい出会いであるようにと願ってしまうんですね。
 不思議だなあ。情痴小説なのに、嫌悪感もわかないし、それほど興奮もしない。
 ある女性の生き方についての真面目な文学を読んだ、みたいな読後感があるというのがね、この物語の凄いところじゃないでしょうか。これ以上のものは村山さん、もう書けないかもね。
 
 じゃあちょっとあらすじ。
 高遠奈津は、「高遠ナツメ」という名前で活躍する、売れっ子の脚本家である。
 35歳の彼女は、3歳上の夫・省吾と埼玉県の郊外に住んでいる。子供はいない。
 省吾は、勤めていたドラマ制作会社を辞め、主夫として奈津のサポートに徹していた。
 そして結婚から十年余、夫婦間に問題が起きつつあった。
 奈津の仕事に対する省吾の干渉が、束縛が、奈津にとって耐えられぬほど鬱陶しくなってきたのだ。
 以前から憧れていた偏屈の天才演出家・志澤一狼太とメールでやりとりするようになり、省吾よりよほど強かった奈津の性欲も爆発してしまう。彼女は、志澤に抱かれ、すべてを捨てて性愛に没頭し、これまで築いてきたものを破壊し尽くすような激しい性愛の極みを知る。そして、夫のもとを離れ、ひとり東京に住むことを決意する。
 奈津のタガははずれ、彼女はまるで生まれ変わったかのように、自由な生活のなかで変貌を遂げた。
 脚の奥、おなかの奥の奥、自分でも手の届かない最奥で、結び目がひとつ、またひとつと、とめどなくほどけていく。火がついたが最後、鎮めることができない、性の発作が彼女を襲う。
 しかし、4回ほど逢瀬を重ねただけで、志澤はあっけなく奈津を捨てた。
 癒やされることのない傷心を抱えたまま仕事で行った香港で、偶然、奈津は大学時代の演劇サークルの先輩である岩井良介に出会う。
 夫の支配から逃れて家を飛び出し、けれど志澤との間は思うようにいかず、以来ずっと姿のない何ものかに対して身構え続けていた奈津は、明るい岩井の性格に癒されるばかりか、思いもよらぬ性の快感にも充たされることになるのだが・・・

 これは小説ですが、人間の性欲というのは難しい個性ですねえ。
 女性と男性では異なった世界でありながら、価値観を同床しなければなりません。
 うまくいくことのほうが奇跡でしょう。どちらかにストレスがたまって当たり前です。
 しかしながら、性欲というのは薄いほうが楽に生きれるのではないか、と私なんかは思います。
 この物語の奈津なんかは、性欲が強すぎるために心が軀に引きずられるという、いったん性欲に火がつくと禁断症状のように止まらない、そりゃその一瞬は天国に行けるのですが、やはり生きにくいと見えますね。
 少なくとも、うらやましいとは思えません。ある意味、サイコでしょ。
 なんでもほどほどがいいんですよ、やっぱり。
 いくらでも深く考えることができるテーマですけどね。この小説はその土台になりえます。
 奈津はきっと大林とは別れるでしょう、あんがい早くに。でも岩井とは戻らないだろうね、きっと。


 
 
 
 
 
 
 
NEXT≫
カレンダー
08 | 2013/09 | 10
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (91)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (17)
ファンタジックミステリー (21)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (20)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (12)
時代人情小説・ミステリー (17)
時代冒険小説・ミステリー (18)
社会小説・ミステリー (14)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (27)
海外冒険小説・スリラー (16)
SF・FT・ホラー (24)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (28)
中間小説 (21)
青春・恋愛小説 (30)
家族小説・ヒューマンドラマ (30)
背徳小説・情痴文学 (13)
戦記小説・戦争文学 (17)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (21)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (17)
文学文芸・私小説 (23)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (52)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (143)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (44)
事件・事故 (35)
世界情勢・国際関係 (23)
スポーツ・武術 (22)
探検・旅行記 (19)
随筆・エッセイ (28)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示