「護衛船団戦史」高橋辰雄

 あの戦争は兵士が弱かったから敗れたのではない。
 訓練が足りなかったから敗れたのでもない。
 輸送戦というまことに平明な事実をおろそかに考えていた戦争指導者の責任が大きい。


 四方を海に囲まれた上に、日本は今も昔も自給自足の国ではありません。
 アメリカは基本的に自給自足の国です。
 日本という国が戦争するためには、外地から資源を輸入して、外地に兵隊を送らなければなりません。
 たとえばパレンバンから航空燃料をタンカーで運び、ニューギニアに陸戦隊を輸送船で送ったりします。
 つまり最低でも2回ほど本国を介して輸送しなければ戦争は続行できません。
 この日本という国の致命的な弱点を、なんとアメリカは最初は気づいてなかったようです。
 しかし、やがて気づきました。そして潜水艦や航空機を使って日本の生命線である補給戦を叩きだしたのです。
 日本に資源を運ぶタンカーや兵員を南方に輸送する輸送船を、徹底的に攻撃しました。
 これは次第にボディブローのように効き、終戦間際には交通破壊戦によって日本は窒息していました。
 本土上陸しなくとも、原爆を落とさなくても、輸送船を沈めるだけで日本を敗戦に追いやることが可能でした。
 一方の日本軍は、輸送に頼らなければならない国土の致命的欠陥に気づいて船団護衛用の海防艦を急造しだしたときにはすでに遅く、開戦当初から通商破壊戦を甚だしく軽視していました。
 艦隊決戦こそ急務ということで、軍艦や航空機にばかり金をかけていたのです。
 これが「補給戦こそ戦争の本質」というアメリカの戦略的見地と、「局面の艦隊決戦の勝利」というバカ日本大本営の戦術的見地の違いであり、視野の広さにおいて上層部のレベルの違いは歴然でした。

 著者は元海軍経理学校卒の海軍主計少尉にして、戦後は東大卒業の劇作家という異色の経歴の持ち主。
 それだけに、対象が地味な戦記ですが、どこか垢抜けていて戦史物にありがちな泥臭さがありません。
 護衛船団や輸送作戦にスポットを当てながら、太平洋戦争そのものの本質に迫る好著です。
 読み終えたときには「いくらゼロ戦がいたって、こりゃ負けて当たり前だよ」と多くの方が納得するはずです。
 また輸送作戦は、陸海軍の軍人、艦艇、船員、民間人など異なる立場の人間が多く関わっています。
 本書は取材対象も豊富であり、様々な視点から“日本的補給戦の大失敗”が検討されているのも興味深いです。
 もちろん、徹底的な日本のミスばかりあげつらうのではありません。胸のすくような快談もあります。
 たとえば、昭和20年3月17日、輸送船5隻を護衛して台湾から沖縄に向かっていた海防艦「崎戸」が敵潜を見事に巻いたり、昭和20年夏、シンガポールを基地とする南西方面艦隊にただ1隻存在した駆逐艦「神風」(春日均艦長)は、仏印へのタンカー護衛に八面六臂の活躍を見せ、敵である米潜の艦長たちをして「神風の操艦技術は最高に素晴らしい」と称賛せしめる存在でした。
 そして奇跡のタンカー「せりあ丸」。若干32歳のサムライ船長浦部毅率いる三菱海運のせりあ丸は、昭和20年2月7日、シンガポールから航空ガソリン1万7千キロリットルを満載して門司に帰ってきました。
 船長である浦部は、出発前には船団の指揮権や航路決定権を巡って軍部と激しくやり合い、徹底した沿岸航法を取り、片時も艦橋を離れず、あるときは敵潜の魚雷を回避し、敵航空機の爆撃を逃れ、奇跡と呼ばれた快挙を成し遂げたのでした。

 著者は“日本輸送船団壊滅史”には4つのピークがあると書いています。
1・昭和17年7月からのガダルカナル島攻防戦を巡るソロモン海域での日本輸送船の消耗から、ニューギニア輸送作戦(輸送船団が全滅したダンピールの悲劇など)。他にあたかもネズミがエサをくわえて運ぶ様に似ている駆逐艦によるネズミ輸送や潜水艦のモグラ輸送、小型の陸軍舟艇による島伝いのアリ輸送なども記述あり。
2・昭和19年2月17~18日のトラック大空襲。日本連合艦隊の根拠地がこの空襲で壊滅した。9隻の艦艇、270機の航空機が撃破され34隻の輸送船が沈没した。航空隊員は飲み屋で遊んでいたので迎撃に間に合わなかったという。
3・昭和19年10月、米軍のレイテ上陸に対する9次にわたるレイテ島輸送作戦「多号作戦」の絶望的な損耗。
 その中でも護衛の駆逐艦「竹」や実績抜群で武功旗を授けられた輸送船「空知丸」の奮闘は光る。
4・米軍による内地封鎖作戦。昭和20年春から夏にかけての戦時輸送は、まさに末期的様相を呈していた。
 油輸送特攻「南号作戦」は3月16日に中止され、南方からの石油輸送は完全に途絶えてしまう。
 わずかに日本海航路において満州や朝鮮から穀物、塩などを輸入するのみとなっていたが、昭和20年6月10日、ついに対馬海峡機雷原を突破して日本海に米潜が侵入。27隻の艦船約5万4千トンが撃沈された。
 さらに、太平洋と瀬戸内海をB-29から落される機雷によって封鎖された。

 すめらぎの 勅かしこみ闘魂の 身は黒潮に 征きてかえらじ  藤倉五十次

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「天才たちの値段」門井慶喜

 美というのは快い目の錯覚である、か。
 なるほどそうかもしれませんね。美の価値の高低(たかひく)は、あくまでも鑑賞者に委ねられます。
 鑑賞者の目を騙したものが美の創造者ならば、創造者とは一概に正直者とは言えないのでしょうね。
 初めて読みました門井慶喜(かどいよしのぶ)の、美術品を題材にしたアーティスティックミステリー。
 世界的に有名なイタリアの画家ボッティチェッリと思われる作品の真贋を究める表題作「天才たちの値段」ほか4篇。
 共通しているのは、語り手でもある女子短大の美術講師・佐々木昭友と、神の名に相応しい鑑定力を持つ美術コンサルタント・神永美有の存在。この2人がいなけりゃ、物語は進みません。
 そして、どの作品も最後にどんでん返しがあることが特徴です。
 もちろん殺人ミステリではありませんから、要は、神永美有が美術探偵みたいな存在なんですよね。
 様々な美術工芸品の真贋や製作者を巡る謎を解いていきながら、最後の最後であっと驚く真相を導き出すのが神永の役目です。
 まあ、正直言いましてねえ、プロット自体はそれほど引き込まれるものではありませんわ。
 3番目の仏涅槃図(お釈迦様の臨終図)をひっくり返したら隠れキリシタンの・・・はなかなか良かったですけど。
 美術用語というか、そういった専門知識も解説はしてくれていますが、難解ですしねえ。
 小説という文章形態で、美術品を形容するのは非常に難しいと改めて思いました。
 普通の方なら殺人現場の死体の模様はなんとなく想像がついても、イタリア・ルネサンスの画法がどうだとか、正倉院宝物のガラス細工の雰囲気だとか、頭のなかでイメージしにくいんじゃないでしょうか。
 まあこれは作家が悪いのではなくて、純粋に作品の謎を解く美術ミステリーというジャンルの難しさでしょうがね。
 
「天才たちの値段」
 一枚の絵が本物か偽物か、見た瞬間、味覚で(甘く感じたら本物、苦く感じたら偽物)鑑定するという天才・神永美有。
 彼は某国立美術館の特別展で、展示品を本物の複製であることを見破り、学芸員をクビに追い込んだこともある。
 そしてある洋館の地下室、うさんくさい画商に伴われて観た一枚の絵を前に彼は「これは本物です」と言い切った。
 絵はイタリア・ルネサンスの一級画家ボッティチェッリ作で、最高傑作「春」と対をなすと思われる『秋』。
 収穫を終えたぶどう畑で狂宴を織りなす古代ギリシャの神々が描かれていた。
 神永はさらにこの絵を、亡き父が遺した遺産のほとんどを費やして8500万で買い取ってしまうのだが・・・
 その裏でほくそ笑む画商。そして神永は作品を精密に理論づけて誰かを説得するべく、アカデミックな研究者である佐々木昭友に話を持っていく。思わぬどんでん返しが待ち受ける、美術探偵・神永美有のデビュー作。

「紙の上の島」
 女子短大の美術講師である佐々木昭友には、イヴォンヌと自らを呼ぶ風変わりな教え子がいる。
 イヴォンヌの本名は高野さくら。そして今回のお題は、さくらと一卵性双生児で姉の高野かえでが故郷の徳島から持ってきた古地図。羊皮紙に描かれた正体不明の地図には、1590年に作成されたものであること、作図者はヨハネス・Wなる者であることが記されていた。かえでによると、曽祖父がかのモラエスから譲り受けたものだという。
 ヴェンセスラウ・デ・モラエス。元ポルトガル軍人にしてポルトガル在神戸領事、亡くなった妻よねの故郷である徳島に移り住み、母国の政変もあって不遇のまま亡くなった。
 前作から2ヶ月後、ようやく念願の美術コンサルタントとして事務所を開いた神永美有が古地図の謎を解き明かす。

「早朝ねはん」
 着想というか、これが一番面白いと思いました。
 真言宗の名刹から大改修の際に漏れ出た、仏涅槃図。仏涅槃図とは、釈迦の死を描いた絵のこと。死因はキノコか豚肉の食中毒と言われてる。宝生台(ベッド)に横たわる釈迦の周りで弟子や動物が嘆き悲しむ様子が描かれてることが多いが、この絵は周りにバラバラの七福神が描かれていた。
 自衛隊上がりの風変わりな画商の勧めもあって、この涅槃図を14万円で買おうとした佐々木だったが、その倍近くの値段でこれを買いたいという、ある女性が現れる。さらに絵が漏れ出た当の真言宗の名刹からも、この絵を是非にも買い戻したいという申し出があり・・・。
 事務所を開いて1ヶ月、初めて依頼人がきた美術コンサルタント・神永美有による、圧巻! 絵の謎解き。

「論点はフェルメール」
 フェルメールは名前や作品こそ有名だが、どこで誰に絵を学んだのか、絵だけで暮らしが成り立ったのか、そんな基本的なことさえわからない謎多き画家だという。
 佐々木に突然届いた手紙。送り主は、衆議院議員・長原耕三郎の息子で、当家所属の絵画に関して相談があるという。
 出向いた佐々木が目にしたのは、フェルメールの代表作「天秤を持つ女」の稚拙な複写と思われる絵だった。
 そして佐々木が彼に頼まれたのは、「この絵がフェルメールより上であることを証明する」ことだった!
 同じように、神永は父である衆議院議員・耕三郎から「この絵がフェルメールより下であることを証明する」ことを頼まれていたのである。政治とは弁が立たなければ話にならない。父と息子が一枚の絵を挟んで繰り広げる白熱したディベート。真実より肝心なのは真実への道筋である。

「遺言の色」
 京都市内の大学の造形学科助教授になることが決まった佐々木。後2ヶ月で都内の女子短大を去ることになる。
 しかしそれを待たずに、京都まで赴く用事ができた。しかも神永を伴って。
 1ヶ月前、長岡京に住む母方の祖母が亡くなった。祖母は39点に及ぶ貴著なガラス工芸品を遺していた。
 そして祖母の遺産を分配するにあたって、彼女は“試験問題”を弁護士に託していたのである。
 病に伏せる母に代わって参上した佐々木と、助っ人の神永。対するは、遺産を独り占めしようと企む母の姉と、かつて神永がきっかけとなって某国立美術館を追い出された元学芸員の清水純太郎。
 古今東西の美術工芸学識を総動員した、異例の学術勝負の幕が開く!


 

 
 
 

 
 

「雷跡!!右30度」宇野公一

 “すっぽり頭から毛布をかぶせた美恵子の遺体を母がしっかりと胸に抱きしめ、傘もささずに病院の玄関から雪の中へと歩いて行った”
 生後1ヶ月の愛児を失ったその夜、10日の生命も保障されていない重態の妻と、半身不随の父とを残して、著者は能登丸二等運転士(航海士)として再び海へ出て行く。
 3ヶ月前に乗船中の吾妻丸が敵潜の魚雷により撃沈され、火と油の中を泳いだ、あの戦いの海へ――


 太平洋戦争中、陸海軍軍人の死亡率を2倍も上回った、丸腰の武器なき戦士・商船隊員。
 開戦前、大艦巨砲か航空機優先かを喧々諤々論議した海軍首脳の頭の中には、商船護衛に関する対策も関心もほとんどありませんでした。戦争の趨勢が決してからようやく急造された護衛艦艇も、すでにレーダーなどの最新兵器を装備した連合軍の前では、輸送船団の乗組員にとって、沈没後の救助艦艇としか受け取られなかったといいます。
 一方、補給戦を軽視した日本軍首脳と違って、アメリカは日本近海を含む太平洋全域に潜水艦を配置して通商破壊戦を展開、兵員の損傷と共に、日本の戦争資源を枯渇させる上で見事な戦果をおさめ続けたのです。
 本書は、苦渋と慟哭に満ち溢れた日本商船隊員の決死の苦闘が余すところなく綴られた、ベストともいえる商船隊員の戦記で、戦争に関心のない方が読まれても興味深く目を通すことができると思われます。

 著者の宇野公一は、昭和17年5月東京高等商船学校航海科を卒業、日本郵船に入社。海軍予備少尉。
 南洋航路の老朽客船「近江丸」を初めとして、新鋭客船「サイパン丸」に乗組みますが、この方が生き残った所以は、運命のからくりといいますか、転船して去ったあとの船がことごとく沈没してしまったことに代表されると思います。
 初めて敵潜の雷跡を見たのは、昭和18年4月サイパンー横浜航路。腰が抜ける前に、瞬間、不思議にも雷跡を「美しい」と思ったそうです。このときの魚雷は船体に当たりましたが、不発でした。
 昭和18年6月21日、辞令によってラバウルとボルネオ間で艦隊の燃料輸送を任務としている海軍特設油送船「吾妻丸」(6600トン・16ノット)の三等運転士となり、最前線のラバウルへ。
 吾妻丸の森川信義船長は、敵潜に対する独自の工夫をしていました。まず時間差爆雷攻撃。船尾に搭載されている爆雷に様々な穴の空いたドラム缶をぶら下げ、投射してから浸水爆発するまでの時間を調節していたのでした。
 追尾している敵潜は、あらぬところで爆雷の爆発を受け、慌てることになります。
 そして、海軍の正式な之字運動を無視した森川式之字運動。之字運動(ジグザグ航法)は敵潜に船の進路を計算されて雷撃されることを回避する航法でしたが、実は海軍の之字運動のパターンはアメリカによって解読されていました。
 森川信義船長は、ジグザグ航行のパターンを無秩序に変更し、敵潜に船の進路を読ませませんでした。その効果は絶大で、最前線の危険海域を吾妻丸は独航している間、一度も魚雷攻撃を受けなかったのです。
 しかし、昭和18年12月3日。船団を組まされて正式な之字運動を余儀なくされたために、パレンバンからトラック島への燃料輸送中に被雷撃。ガソリンのドラム缶に誘爆し、浮上した敵潜と砲撃を交えるなど最後まで奮戦しましたが、2度目の雷撃を受け、撃沈。船長以下乗組員64名中50名が死亡、著者も油と火の海の中、死に瀕しますが内地の妻が懐妊したことを知ったばかりだったため「俺は父親になるんだ!」という強い意志で生き抜くことができました。
 万死に一生を拾った著者は12月27日、内地に帰還しますが、待っていたのはこの記事冒頭の事態でした・・・
 しかし、絶望を抱えたまま著者が神戸で乗り組んだ「能登丸」(8000トン・16ノット)は、優秀船でした。
 大連からの関東軍輸送(松輸送)、パラオへの輸送(東松五号船団)では4本の魚雷に挟撃されながらこれを回避。
 昭和19年5月には誉兵団をサイパンに急送。絶対国防圏死守への花形兵団輸送に活躍、成功します。
 能登丸は軍隊輸送に抜群の偉功を立てて、軍部から絶大な信頼を寄せられるようになります。
 護衛空母「大鷹」を擁するフィリピンへの大船団「ヒ七一船団」に属した時には、船の墓場・バシー海峡で「大鷹」が、そして次々と輸送船が沈められ大船団壊滅に至りながらも、能登丸は遭難船の位置から敵潜に対する行動を決定、不規則にのたうちながらの接岸航法という決死的操船で昭和19年8月19日、無事リンガエン湾に辿り着いたうちの1隻となりました。
 しかしさしもの能登丸も、昭和19年10月31日第2次多号作戦特攻船団としてマニラ湾を出撃、オルモック湾に無事到着後揚陸中、B-24大編隊の空襲を受け、最期を迎えました。乗組員95名中死亡3名。
 帰るべき船を失い、指揮系統から外れたままレイテ島に取り残されそうになった能登丸乗組員は、輸送船に頼みこんで危うく死地を脱します。そしてマニラへ帰り着いた著者らは、船を失って帰国を待つ遭難船員の収容所へと送られ、罪人以下の扱いを受けるのです。
 無事内地帰還は、昭和20年1月8日。以後、終戦まで著者は幸運にも航海任務に就くことはありませんでした。

 気になった内容の一口メモ。
・魚雷の速力が秒速25メートルの場合、千メートルを40秒で走る。船の正横千メートルの距離で発見した場合、雷跡の進路にほぼ平行となるまで船を回頭させるのに40秒では間に合わない。したがって雷跡の発見は少なくとも千五百メートル以遠の所でなければ、まず回避は困難である。
・船員心得。航海中の入浴は危険。上服と靴以外は脱がないで寝る。ウンコをしているときはズボンを最小限に下げ、扉の取手を握り、細目に開けて押さえながら用を足す。雷撃の衝撃によってトイレの中に閉じこまれるおそれがあるため。
・遭難に備えた著者7つ道具。呼子笛、長さ20メートルの麻縄、折りたたみ式ジャックナイフ、日本手ぬぐい、水中でズボンの足首を縛って保温するための輪ゴム、若干紙幣、鉛筆で書いた日記手帳。
・輸送船積付けの例。まず一番丈夫な箱である弾薬を底から積み上げ、次に米俵を一面に敷き詰めて平坦な床面を作る。その上に戦車を降ろし自力で奥へ奥へ動かして位置を決めた。戦車がおさまったあと、弾薬、食糧等で戦車をすっぽり埋めて、また新しい平面を作る。その上に、トラックを降ろす。トラックがおわったあと、小型の貨物で車の下から荷台の上までまったく隙間なく押し込み、1トンの空箱も残さず満載した。
・大陸から南方への兵団輸送中、船内の熱気と船体動揺にために軍馬がバタバタと死んだ。この中に連隊長のお馬様もおり、他の馬と一緒に水葬にしたところ、後日一等航海士は憲兵に散々な取り調べを受けたという。
 軍人の次に位する軍馬を、馬より下の軍属(商船隊員)が無造作に処理したことが気に食わなかったようだ。


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「武器なき海」海上の友編集部編

 われわれ船員はいやだと思っても出かけなければならなかった。
 へたに乗船をことわったりすると、すぐ乗船忌避で“強制徴用”だとおどかされた。
 行く先もいえず、家族に見送ってもらえず、泣く泣く気のすすまぬ航海に出ていっては“轟沈”“全滅”のうき目にあった。 だれも死んだ、かれも死んだ。
 この船員の苦労は戦争中はもちろん、戦後も一般国民になんら認識されることなしに葬りさられてしまった。
 犠牲は家庭にまでおよんだ。軍人の留守家族と船員の留守家族とのとりあつかいには、雲泥の差があった。
 敵前上陸大成功! 華々しい軍艦マーチのなかに、人々は援護射撃をする海軍や、戦車の砲口を揃えて突進する陸軍の姿は思い浮かべる。しかし、炎熱の船底に呻吟しながら缶の火を焚き、まっくら闇の灯火管制下に黙々と重器材の揚陸に専念する船員の姿を思ってくれた人は、家族以外にどれだけあったろうか?


 初航海で恐怖の海に出て行った十代の見習い船員から一船の責任を負わされた船長まで、太平洋戦争において海上輸送任務に携わった、生き残り商戦乗組員の凄惨な体験記録。戦後まだ十数年の1959~1961年に公募編纂されたもの。陸海軍人の死亡率約20%に比べ、船員の死亡率はその2倍の40%強にのぼりました。
 平和な海で活躍するはずだった、彼ら武器を持たない船員の慟哭は、日本という国が永続する限りけっして消えることはありません。

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「ある夫と妻の記録」北島浅次郎(陸軍徴用船東城丸一等機関士)
 1万トン、13ノットの戦標タンカー東城丸。ファスト・エンジニア(一等機関士)である著者は、ドラム缶を型どった特攻輸送船のマークを胸に縫い付け、油輸送特攻船任務に就く。対空機銃などの配置につく軍の警戒隊と喧嘩しながら、昭和20年1月26日門司出港。船団は早くも黄海で敵潜に雷撃さる。欠陥だらけの東城丸を必死に修復しながら2月8日シンガポール着。航空燃料1万6千キロリットルを積み込み、2月18日出港。途中、日本から護衛してくれた海防艦「昭南」雷撃により轟沈。東城丸は3月10日奇跡的に下津港に無事帰着、油輸送特攻任務を果たした。
 船員の留守家族を出征軍人の家族と同一に見ようとしない世間の冷たさを嘆いた、妻の日記も併録。
「たたかい」市村愛三(海軍徴用船みりい丸一等航海士)
 1万トンタンカーで、16ノットの快速を誇る優秀船みりい丸。ヒ12船団としてフィリピンに旭兵団を輸送する陸軍貨物船や海軍タンカーと列を組んで昭和19年11月13日門司出港。15日早くも1隻沈没。著者曰く「いつでも死んでやる」という開き直り意外に事態は好転する気配なし。21日、本船団の命と頼む護衛空母「神鷹」撃沈。
 船団は高雄で解散し、みりい丸はシンガポールへ。敵潜への爆雷攻撃や被雷船の曳航など活躍する。著者曰く「生命の尊厳などどこにもない。死生一如、色即是空」内地への帰路、昭和20年1月15日台湾左営港外空襲により撃破さる。
「メナドに果てる」奈良栄一(陸軍徴用船亜丁丸甲板員)
 5860トンの貨物船亜丁丸は、関東軍3千名を輸送中、昭和19年5月6日メナド沖で雷撃撃沈。
 命中から沈没までわずか50秒の、一大修羅場だった。救助されたとき力尽きて縄梯子の最後の一段が登れない著者の感想が秀逸。
「南海支隊」山下恒七(陸軍徴用船一等機関士)
 開戦前に松江丸で南方輸送に従事、昭和19年には貨物船代用タンカー愛宕丸で空襲撃沈され、日邦丸乗組時には雷撃で撃沈されたベテランエンジニアの貴重な記録。軍は兵隊を上陸させた後の輸送船は、野菜の空き箱か醤油の空樽くらいに考えていたという。こんな考えで輸送船を使っているから、だんだん船も船員も無くなって、広い戦域へ食糧も弾丸も送れなくなり、百万の将兵が南方の山野で餓死する結果を招いたのである。
「ぶらじる丸の最後」菊地次男(海軍徴用船ぶらじる丸二等機関士)
 ぶらじる丸は、元豪華客船で1万3千トン、21ノットの高速船。昭和17年7月、ソロモン方面へ基地建設用資材と徴用軍夫4千名を輸送中、内地で特設空母への改装が決まり、急遽トラック島へ揚陸。内地への帰路8月5日、雷撃された。トラック島からの便乗者もろとも漂流。著者らボートの52人は水食糧乏しいなか、アホウドリのさしみや一匹のカワハギで食いつなぐ。漂流20日目、奇跡的に救助されたが3名が衰弱して死亡した。
「砕氷船は進む」小田芳太(陸軍徴用船高島丸機関員)
 5600トン、1メートルの砕氷能力があり、世界屈指の砕氷船だった高島丸の使命は、北方作戦の最前線基地小樽から北千島への軍用物資の輸送だった。昭和19年6月13日、幌筵島から最後の引揚者を小樽へ輸送中、雷撃。
 護衛として珍しく駆逐艦初春が付いていたために著者は油断して風呂に入っている途中だった。
「知られざる防空戦」下郷久次(陸軍徴用船靖川丸一等航海士)
 元英国船の靖川丸は6700トン、13ノットながら船腹は非常に大きく、清水3千トンを積載できた。
 高射砲と高射機銃を搭載し、陸軍自慢の防空船となった靖川丸は、海に浮かぶ倉庫としてニューギニア方面で重宝され活躍したが、昭和17年11月2日、ブナ沖で空襲され勇戦、2時間おきの3撃目までは避けたが、4撃目で機関室がやられた。水雷艇「鵯」によって砲撃処分された。
「パーシバルとともに」瀬野喜四郎(陸軍徴用船一等航海士)
 シンガポールで山下将軍に降伏した英軍総司令官パーシバルを、捕虜として台湾まで護送した珍しい体験記。
 著者は英語ができたために、船員室で世話をして共同生活をするうちに、お互いが敵対関係にあることも将軍が捕虜の身であることも忘れたという。戦後、再会している。
「恐怖航路」曾根忠克(飯野海運機関員)
 飯野海運所属の油送船永昭丸(2800トン)は昭和19年11月、特攻船団として門司出港。
 これが著者の初航海だった。パレンバンからの帰り、台湾海峡で雷撃さる。退船前に飯炊釜のフタを拾った著者は、たったひとりで大洋を漂流し、奇跡的に救助された。
「日昌丸を守る」吉田啓象(陸軍徴用船日昌丸船長)
 戦前、日本ジャワ間の貨客船だった日昌丸は、6500トン、14ノット。
 昭和17年3月、大連へ向かう途中、まさかの朝鮮半島南西岸で敵潜に雷撃され、大破。巨文島の砂浜に擱坐した。船底にタタミ百畳ぶんの大穴が空いていたが、現地で修理し、戦線に復帰した。日昌丸は戦争の最後まで輸送船としての任務を果たし、戦後は再びインドネシア航路に就航するという、珍しい経歴を持つ船だった。
「キスカに沈む」野田輝治(陸軍徴用船ボルネオ丸一等航海士)
 船齢30年の老朽船ボルネオ丸は5860トン、乗組員60名。
 海戦劈頭はセブ攻略作戦に参加。のちアリューシャンの最前線キスカ島に単独で兵員、武器弾薬食糧などを輸送する任務についた。前船5隻は不成功のまま消息を絶っている。10月5日に小樽を出港し、10月14日にキスカ島到着見事任務を果たしたが、入渠中に空襲で大破、船体が真っ二つに。乗組員はツンドラ地帯で暗い生活を余儀なくされる。
 船長らとともに最後まで島に残った著者は、2月26日特巡浅香丸で内地に帰ることができた。
「ああ機帆船団」今野治郎市(陸軍徴用船広田丸船長)
 著者は広田丸(490トン)の船長として、機帆船34隻を南方に誘導するため昭和17年12月門司出港。
 勝手な行動をとりがちな癖の強い機帆船を苦労しながらマニラ、シンガポールまで誘導したものの、任務は終わらず、南方を使い回された。昭和19年11月14日セレベス島沖で撃沈。著者は重傷を負うが、搬送されていく先々で以前に便乗させた兵隊に行き会い便宜を図られる。ようやく内地の土を踏めたのは、昭和21年7月9日。空襲で家は焼失していた。
「誰がために」浜出重人(陸軍徴用船甲板員)
 昭和18年10月に海員養成所を出た19歳の著者は、華洋丸(4700トン)に乗り組み、ニューギニア方面にダイハツ(舟艇)などの物質を輸送中、雷撃により撃沈。69名の乗組員は27名に減ったが、駆潜艇に救助される。昭和19年4月8日、パラオから高雄までの航海で再び雷撃、沈没。昭和20年1月10日には、仏印沖で空襲に遭い、撃沈、九死に一生を得た。3度の死地を辛くも生き延びた著者による迫真の記録。
 いったい、だれのための戦争をしているのか、そしてだれのために多くの犠牲をだしているのか、それを疑う余地もなく、反省もない。そして戦争が続いている。
 “誰がために”私はひとりで考えていた。私たちは戦争があるためにかり出されて参加し、かきまわされているにすぎない。勝つか負けるか、もはやそれはどうでもよかった。弾の飛ばない平穏な航海がしたかった。
 だが戦争はつづいている。


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「世界をひとりで歩いてみた」眞鍋かをり

 人生をリセットしようとした29歳のとき、彼女は自由に飢えていた。
 「パリに行くぞ!」 決めたのは出発の1週間前。
 そして2010年1月1日、すべての仕事を放擲して憧れのパリへ!
 都内での電車の乗り方もろくに知らなかったという芸能人・眞鍋かをりの冒険が始まる。
 Twitterのフォロワー数60万を誇り、ブログの女王と呼ばれながらも、根本は愛媛の田舎出身の素朴なひとりの女性による、貧乏旅行でもなく贅沢なセレブ旅行でもない、等身大の女ひとり旅。
 
 なかなか楽しい内容ですよ。
 旅行好きの方も、眞鍋かをりファンの方も、どっちも楽しめると思います。
 私は両方。なんだっけ、ニキビのCMのときはヘビーローテーションだったので少し鼻につきましたが、テレビ大阪で「たかじんNOマネー」という番組があって、それのMCしているのを観ていっぺんに好きになりました。
 この方が一番輝いているのは、あの番組だと思います。
 嫌味じゃない程度に頭がいいですし、ベチャッとした、独特の顔をしていて可愛らしいですよね。
 なんでも大学の進学のために上京したすぐ、ひとりで行った吉野家を出たときにスカウトされて、右も左もわからないまま18歳で芸能界に飛び込んで10年。色々報道されていましたが、事務所と揉めたんでしたよね。
 そのときだと思いますよ、パリに行ったのは。2010年元旦だから・・・そのへんでしょ。
 結局リセットしたんですね。「たかじんNOマネー」も、「事務所なくなってもそんなん関係あれへんから」って、今は亡きたかじんが誘ってくれた仕事みたいですし。一時は大変だったんでしょうね。
 でもまあ、そのお陰でこの人は旅に目覚めることができました。
 厳密に云えばパリに行ったのは、仲良しの「お姉さん」がいたので“半ひとり旅”ですが、その後数か国は正真正銘のひとり旅を重ねていらっしゃいます。本書に掲載されているのは、パリ、ベトナム、ギリシャ、トルコ、そしてロス。
 芸能人は休みが不規則ですから、思い立った時のひとり旅じゃなきゃ無理でしょうね。
 それにこの方、上京してすぐひとりで吉野家に行ったように(当時の愛媛の西条に吉野家はなかったと思います)、好奇心が旺盛。本書を読んで私が感心したのは、女性旅にとって最重要課題である安全と冒険心のバランスが取れていること。ひとり旅は自己責任ですが石橋を叩いてばかりでも面白くありません。また友達とする旅行は楽しいですが、ただ楽しいだけですから、眞鍋かをりのような能力のある女性は息抜きも兼ねたひとり旅が向いているのでしょう。

 もちろん、危ない目にも遭っているようですがね。
 ホーチミンのぼったくりタクシーとか、トルコの裸のおっさんとか、5分に1回ナンパされたりとか。
 タクシーが一番危ないんだよ、眞鍋さん・・・と諭したいくらいに読んでて怖かったね。
 でも女のひとり旅はサバンナに放り出された仔鹿と同じで、自分は運がよかったということがわかってらっしゃる。
 ホントかなとも思いましたが、安全のために夜はウロウロしないのがマイルールだとか。酒飲みなのにね。
 危険レーダーというか、芸能人というのもあるだろうし、敏感なところがあります。これは旅人の才能。
 宿泊するホテルも、貧乏でもなければ贅沢でもない2万円以下くらいのところを自分で予約しています。
 必需品だと書かれていたiPhone。私のような古い旅人は、スマホ片手に旅しておもろいかと思いがちですが、その日のレートで計算できる為替アプリや、グーグルマップ、会話帳アプリなどは、非常に便利だろうし旅の荷物を減らせるし時間の節約にもなりますよね。なるほどと思いました。ちゃんと旅のプロになっていらっしゃるようです。
 そして本書でこの方さすがだと思ったのは、旅をすることによって色々な人間の価値観の多様性がわかったと。だから彼女は人を嫌いになることがなくなったというのです。人によって色々だということを旅で学んだんですね。
 これなんて眞鍋かをりがいかに優秀かということであって、私なんて何回旅をしてもこういうことは一切わかりませんでしたよ。

 そんな私も旅ネタをひとつ。今、日本人ダイバーが遭難して騒ぎになってるバリ島の海は私も危険な目にあったことがあるのですが、それはまあ今は大変だし後日に置いて、私が海外で会った最も印象に残った日本人女性のこと。
 場所は、カトマンズのジョッチェンという、当時は世界中のカス人間が集合するような所でしてね。
 私はある安宿で沈没していまして、同じ階の連中が使う共同シャワー室で毎朝クソをするヤク中のオランダ人がいて、私はお金がまったくなかったので、連中から小銭を集めて毎日ウンコを掃除していました。そんな場所に、ひとりの日本の女の子がやってきたのですが、これがまた全体が黄土色になっているというか、髪なんて天然アッシュになっていて、ゴーレムみたいになっているんですよ。土でできた人間みたいな。で、臭いがね、彼女の顔は忘れましたがいまだに忘れられないのは、体中から動物の死骸のような滅多に嗅げない腐臭が沸き立ってました。
 当時は中国人や韓国人の旅行者は少なかったので、私を日本人だと見て彼女は話しかけてきました。
 その話によると、どうやら1ヶ月半くらいシャワーを浴びていないというのです。
 バングラデシュからインドを通ってネパール!までやってきたというのですが、ゲストハウスのシャワー室で襲われそうになって逃げてから風呂に入るのやめたみたいなこと言ってましたが、どこまで本当だったのでしょう。
 少なくともバングラデシュからインドに通れたっけ? と私は訝しんだので、その話を覚えているんです。
 結局、同じ安宿に2日くらい泊まって、彼女は挨拶もなくそのままいなくなりました。
 どこに行ったんだろう、何者だったんだろう、そして泥と垢を落とした素顔は可愛かったのか?という謎のいくつかを残したまま・・・


 
 
 
 
 
 
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