「平蔵の首」逢坂剛

 火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)、略して「火盗改」の長谷川平蔵の活躍を描いた連作小説集。
 6篇の物語は小粒ながらも隠し味でピリリとミステリー風味も効いており、時代冒険ミステリーと云えると思います。

 長谷川平蔵は、天明7年、老中松平越中守(定信)の登用により、火盗改を務めることになりました。
 火盗改とは、江戸時代の重罪である火付け、盗賊、賭博を取り締まる役職です。奉行所とは組織が違います。
 今でいうと何ですかね。奉行所を警視庁捜査一課とすると、火盗改は読んでいるとどこか公安のような雰囲気もありますし、まあ、Gメンみたいな感じ? どうかなあ。組織内部のことはあまり詳しく説明された箇所がないんですよね。
 平蔵の部下には、召捕り廻り方とか内詰め与力とかの職分があるようですが、イマイチよくわかりません。
 そして、実は読んだ後まで知らなかったんですが、実在の人物なんですよね。
 「鬼平犯科帳」というドラマや小説の存在は知っていますが、観たことも読んだこともありません。
 池波正太郎は、剣客商売だけはほぼ完読してるんですが、鬼平や藤枝梅安はまったく手を付けていません。
 だから、他の媒体や読み物に出てくる平蔵と、本作との比較が出来ないのが残念でしたね。
 本作の冒頭では、江戸の盗賊を一掃したという良い評判の一方で、無理な金策をしているという悪い評判もあり、なかなかつかみどころがない人物のように描かれていました。つかみどころがないといえば、本作の6篇を通じて共通しているのは、平蔵には顔がないということです。平蔵はその任務柄、見回りに出るときも深編笠をかぶったままで、人目があるかぎり笠を取りません。捕物に出るときも、目だけ出た革頭巾をつけっぱなしで顔を見せません。
 捕えた盗賊の詮議は素顔をさらして自ら行う場合もありますが、平蔵の顔を見て生き残った盗人はいません。すべて死罪に値する罪人だからです。生きて娑婆にもどる見込みのある者には、平蔵が顔を晒して詮議はしません。
 ただ、例外がありましてね。これも本作の6篇通してのことなんですが、平蔵がこれと見込んだ盗人は、火盗改の手先、つまりスパイですな、押し込み強盗をするような盗賊の一味に潜入したり、様々なその筋の情報を集めてくるのですが、彼ら彼女らは平蔵の顔を見ながら罪一等を減じられ、娑婆に復帰した数少ない例外です。
 6篇通して、彼ら“手先”の活躍と顔のない平蔵のトリックで占められていますから、そういう意味では、この小説は時代諜報ミステリーとでも云ったほうがいいかもしれませんね。ちょっと独特だと思います。

「平蔵の顔」
 盗人稼業から足を洗い、一流の料理屋「清澄楼」で働いている美於は、かつての自分の親分だった黒蝦蟇の麓蔵から頼み事をされる。平蔵の屋敷に出入りしている美於に、誰も知るものがない平蔵の顔を見分けてくれというのだ。麓蔵の弟は荒くたい盗賊で、平蔵に斬り殺された。麓蔵は敵わぬまでもせめて一太刀、弟の仇討ちをしたいという。

「平蔵の首」
 これまで一度も押し込みにあったことがないと豪語する江戸でも十指にはいる薬種問屋・美原屋宗八に、大銅鑼の十九八(とくはち)一味が押し入った。半年前から引き込み(強盗当日に手引する)の友次郎を手代として潜入させ、腕の立つ浪人も連れており抜かりはない、はずであったが・・・先頭を切って押し入った歌吉は様子がおかしいと感じる。

「お役者菊松」
 牢抜けした(ということになった)歌吉は、思わぬところで「兄貴」と声をかけられ飛び上がるほど驚いた。声の主は、大銅鑼の一味で弟分だった伊佐三だった。遠島になったはずの伊佐三がどうしてここにいるのか? 聞けば伊佐三は、牢屋の近所で火事が発生したために移動する途中、あまりの混乱ぶりに神田川に落ちてしまい、捕縛が解けたのだが、馬鹿正直に逃げずに帰ったところ、罪一等を減じられたという。伊佐三は、鉄床の鉄五郎という売り出し中の盗人の仲間になっており、歌吉にも一緒に仕事をしないかと誘う。平蔵の顔を知っている伊佐三。そして面変わりの名人である菊松。思った以上に悪知恵の働く鉄五郎。珍しく平蔵に危機が迫る。

「繭玉おりん」
 油問屋に押し入った親方が無体で火を付けようとしたのを阻止して寝返り、火盗改の手先となって3年になる小平次。今では平蔵の供をして外回りをするほど信頼されている。ある日、小僧と姉貴分の二人組に、平蔵がスリにあった。一部始終を小平次は見ていた。手練のスリである。小平次はその女を知っていた。それは彼が油問屋に押し入ったときに、引き込み役をしていた十郎兵衛の一味、“繭玉おりん”と呼ばれる美形の女賊だった。その事件でおりんはただ一人逃げのびていた。彼女は何を企んでいるのか。

「風雷小僧」
 本所の呉服問屋・江馬屋伝右衛門の店に強盗が入り、現金四百両と上装の反物が盗まれたうえ、小女がひとり顔を膾にされて惨殺された。床の間の掛け軸に裏には〈風雷小僧見参〉と書かれた紙が残されていた。風雷小僧とは、最近江戸を賑わしている盗賊一味で、必ず床の間に推参の紙を貼り残す習性があった。しかし今まで風雷小僧は流血と無縁であった。それがどうして今回は人を殺めたのか? 火盗改の捜査により、殺された小女おせいは身許を偽って働いていたことが明らかになった。さらに、手先の友次郎が、この女の顔を見たことがあるという。おせいは、実は八下がりのおりくという名うての引き込み役だったというのだ。そして米問屋に押し入った如夜叉の鬼五郎という荒くたい盗人が何者かに殺されるにあたり、それぞれの事件の関連から、過去の忌まわしい出来事が姿を現して・・・

「野火止」
 前話の続き。この2篇を通したものが一番おもしろいです。
 押し込み強盗に惨殺された浜松屋おつたの許嫁で、彼女の仇をとるため、盗賊に身をやつし、仇3人のうち2人まで復讐を果たした六三郎。平蔵の策略により彼は捕縛されましたが、なんと平蔵が目論んだ通りのことを、最後の1人である野火止矢左衛門も企んでいたのです。つまり、殺される前にこっちから網を張っておびき寄せるという。そして4年前に上方に飛んでいた矢左衛門は、六三郎を仕留めるために江戸に舞い戻ってくるのです。無論、六三郎が実はもう捕まっているなんて知りません。矢左衛門を捕らえるために、平蔵は風雷小僧捕縛の件を公表していませんでした。矢左衛門は副頭目格で情婦でもある丑松に申し付け、つなぎ屋(盗賊間の連絡係。人集めなど)を通してできるだけ六三郎の人体に似た盗人を集めます。
 矢左衛門の動きを注視し、裏をかいて、先手を送り込もうとする平蔵ら火盗改。
 そして集まった4人の六三郎。彼らは何者か・・・
 ちょっとわかりにくいですが、弁之助がそうです。





 
 
 
 
 
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「南十字星の下をゆく」高田正夫

 毎日手にするニュースを見ていると、敵艦撃沈や敵機撃墜など、大々的に戦勝を報じている。
 ところがいくら目を皿にして探してみても輸送船のことは一字一句も出ていない。
 たまたま出ていたかと思うとなんたることか!
 「・・・地において輸送船爆撃さる。ただし幸いと部隊上陸後の空船であった」
 幸いと空船であった、とは何事であろう。
 輸送船や船員は爆撃されても部隊さえ乗っていなかったら幸いであるのか。
 いくら輸送船は沈み、船員は戦死しても部隊に被害がなかったら支障ないというのか。
 幸いと空船であった、この一語こそ明らかに船員を軍馬や軍用鳩以下に見ている現れであり、縁の下の力持ち的役割に甘んじて敢闘している船員を無視し、侮辱している言葉である。
 この一語こそ船員たちをして不愉快のどん底に陥れた文句であった。

 鉄砲の弾を撃つことだけが戦いではない。それを撃つまでの道程も一連の戦いである。

 著者の高田正夫さんは東京高等商船学校卒業後、日本郵船に入社、世界の海を駆け巡ったベテラン船長。
 本書には詳しく触れられてはいませんが、長良丸の船長だった昭和15年には、地中海で誤爆され、帰りにコロンボで英官憲によって抑留された経験も持っています。
 本書では、陸軍徴用船安洋丸の船長としてフィリピンやインドネシア進攻に参加した太平洋戦争緒戦の記録が、輸送船船長の目線から非常に詳しく記されています。戦時のメモでしょうが手書きの地図が多く載せられ、興味深いです。
 確かに派手な戦闘場面は一切なく、昭和16年12月から昭和17年5月というわずか6ヶ月の記録ですが、それだけに内容はすこぶる濃い。開戦前に軍が輸送船に下した様々な注意事項や、緒戦の相次ぐ戦勝ニュースに輸送船隊といえど天を衝くほどの士気に燃えたこと、散発的ながらも勇敢に襲いかかってくる敵航空機や不気味な敵潜水艦、操船抜群ながらも集団航行の経験がないため苦労した商船船長たち、乗船部隊が上陸する時渡す弁当が南洋の時間経過とともに「すぐに腐らないか」と夜寝れずに悩み続ける司厨員の思いなど、あまり他書では見られない体験談があります。
 また、安洋丸が敵前上陸したスマトラ沖のバンカ島には、日本軍がシンガポールを攻略したために多くの欧米商船が逃げてきたのですが、なかには沈没したのか全裸で漂流して泳ぎ着く大勢の婦人たちがおり、彼女たちに日本軍の兵隊は慌てて商店に走り、アッパッパのような地元服を買い込んで与えたそうです。戦後、野蛮極まりないと云われた日本軍兵隊ですが、非常に紳士的であり、怪我の手当も含めて西洋の婦人たちは感激していたと著者は書き残しています。
 もちろんいいことばかりではありません。
 輸送船の行き先をいとも簡単に変更して、いたずらに危険海域を無駄に航行させたり、乗組員に余計な疲労を与えた軍の命令。これは船の運航に何の知識もない軍人が、自動車でも配車するような気持ちで配船していたからであって、結果、輸送力を減らすことになりました。また、軍の命令は何時何分と言明されていますが、河口などは潮汐によって海面水位が変わり、擱座する危険性もあるのに、そんなことはまったく考慮されていませんでした。バカですよね、大本営は。
 
 簡単に著者が船長だった太平洋戦争緒戦時の安洋丸の軌跡を。
 安洋丸は、戦前、印度など南洋航路に就いていた船齢30年の1万トン級貨客船です。
 昭和16年10月14日に陸軍に徴用され、「九七四丸」に改名されます。
 九七四・・・「苦無し」とも読めれば「急な死」とも読める。乗組員を鼓舞するにあたり船長は悩んだそうです。
 宇品港で高射砲6門及び高射砲大隊102名を搭載した安洋丸は、11月13日出動命令を受け、台湾へ。
 軍馬、軍需品、自動車、舟艇、そして台湾歩兵第一連隊や山砲連隊、工兵隊など千名以上の将兵を乗せて、比島攻略最初の作戦である「ア号作戦」のリンガエン湾上陸第2輸送船隊(28隻・各隊計72隻)に参加。12月18日馬公出撃。
 乗組員の士気は天を衝き、皇軍の安全輸送をその双肩に担った各船の船長は、船橋に立ち続けたそうです。
 12月22日午前6時過ぎリンガエン湾上陸成功。7時敵機2機。第3輸送船隊最後尾の巴洋丸敵潜の雷撃で撃沈。
 24日陸地から砲撃受ける。28日夕方すべての揚陸完了。31日出港、フィリピンで餅つき。
 この後、スマトラ作戦に参加。図体が大きく高射砲を積んでいる安洋丸は、パレンバン製油所攻略とバンカ島ムントク飛行場制圧を目指す輸送船19隻の船団の基準船になりました。千余名の将兵を乗せて昭和17年1月20日台湾、2月10日仏印カムラン湾出撃。途中、赤道を超えて台湾から2千海里の航程をパレンバンを目指す日本の小型発動機船の大群とすれ違いました。引率する汽船がいたそうですが、よくぞまあ、ボートみたいな小舟で・・・
 吃水が深い安洋丸は、河を遡江するパレンバン隊には加わらず、ムントク制圧に参加、2月15日突入。
 突入時、敵機に爆撃されそうになりますが、突如現れた海軍の水上機(市川平八郎一曹操縦)に救われました。
 2月26日ムントクを出港するまで、12日の碇泊で14回に及ぶ敵機来襲がありました。
 この後、シンガポールに向かい、北部スマトラ作戦一次、二次輸送に参加(3月8日、22日)。あっさり? 成功。
 開戦時から搭乗していた海軍監督官の福沢老大佐が退船。福沢大佐は兵役を退いて故郷の信州松本で余生を過ごしていたところ、開戦で呼び戻されたそうです。安洋丸を下りた後、ガダルカナルで戦死したといいます。
 4月13日のU作戦第3次ラングーン輸送(34隻)をもって開戦より働き続けた安洋丸は内地帰還決定。4月30日シンガポール出港、潜水艦や雷跡にそっくりなイルカの行動にビクつきながら、単独航行でサイゴン経由内地へ。5月26日、7ヶ月ぶりに陸軍輸送船団の母港である宇品港着。本書の記録はここで終わります。

 一番印象に残ったのは、弁当が腐らないか気になって眠れない司厨員の話。
 洋上での生活を共にし、決戦の舞台へと上陸をしていく乗船部隊への、せめてものはなむけが心尽くしの弁当です。
 しかし、場所は赤道直下だけに、腐りやすい。戦闘が一段落し、さてと箸をつけたときに腐っていたら、兵隊はどれだけ悲しいことだろう。司厨員は眠れずに悶々としながら、腐らない弁当の工夫をするのです。
 そして成功します。非常に日本人らしい話でした。

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「春の庭」柴崎友香

 第151回(2014年度上半期)芥川賞受賞作です。
 柴崎友香(しばさきともか)さん。
 小学校の先生みたいな柔らかい雰囲気の方ですね。
 先日、思いがけないところと言ってもテレビなんですが、見かけました。
 BSプレミアムで、ハゲのおっさんが「とうちゃこ!」と叫びながら自転車で日本全国を走り回る番組があるんですが、それの総集編というか前夜祭に、出てらっしゃいました。火野正平というか番組のファンみたいですね。
 この物語も季節の花々がたくさん登場しますが、火野正平も見かけによらず草花に精通しています。
 白木蓮とか海棠(かいどう)とか、わかるんですよ、あのハゲのオッサン。
 さすが作家、けっこう面白い着眼点からのお話だったように思いましたよ。
 ぜひ、これをネタにまた新しい小説を書いてもらいたいですね。

 さて、肝心の本編。
 最近の芥川賞受賞作の本にしては珍しく、カップリングはありません。1本の作品のみです。
 つまり、ふつうの受賞作より長い(中編)ということだと思うんですが、長さをまったく感じさせない仕上がりです。
 全体的に淡白というか、あっさりしています。内容も、極々軽いので非常に読みやすいです。
 引っかかるところがありません。
 最後、一瞬だけドキッとさせられる作者のイタズラみたいな場面がありますが、押しなべて平坦です。
 ある意味、非常に安心して読める作品だと思います。
 でもまあ、それなりに作者の工夫というか、読み手によって捉え方が異なるかもしれませんが、テーマがあります。
 ネコアシ、トックリバチの徳利、父の散骨、不発弾、やって来ては去っていく人々・・・
 これらは何を意味しているのでしょうか、おそらく、「形は常に変わる」「世の中は常に動いている」「残されたものには何かが抜けている」「動と静は対比ではなく3次元+時間でリンクしている」的なことなんでしょうね。181ページで突然語り手が変わったのも、「変わらないものはない」というテーマの一環でしょうね。小説の視点でさえ永久不変のものではない。ま、これが世の習いということです。当たり前のことです。だからこんなに読んでいて心地が良かったのかもしれません。
 他にも、西がアパートを引っ越して出て行ったとき、そこはかとない淋しさといいますか、喪失感を覚えました。
 あれは作者の腕なのか偶然なのか、“祭りのあと”のような寂寥感を小説のなかで感じることができる、これは素晴らしい作品であることの証左なのではないでしょうか。
 ちなみに私の頭のなかは、なぜか西がイメージ的に津村記久子になっていました。どうしてでしょうか。

 では、少しあらすじ。
 世田谷区にある築31年の木造アパート「ビューパレス サエキⅢ」は、2階建て8部屋。
 ある日、1階の端の部屋に住んでいる太郎がふと空を見上げて見つけたもの、それは2階の対角線上の部屋のベランダから身を乗り出して、アパートの向こうにある水色の邸宅を熱心に見ているオンナの姿だった。
 黒縁眼鏡のオカッパ頭でお洒落っ気はなく、おそらく30歳過ぎで太郎の少し上くらい。
 オンナは、やおらスケッチブックを取り出して何やら描き始めたが、太郎がこちらを見ていることに気づいて、スッと見えなくなった。彼女は2月に引っ越してきたことは知っているが、話をしたことはなかった。
 物語はここからはじまる。
 ベランダから水色の家を覗いてスケッチしていた2階の部屋の女性は、西という。
 西がどうして水色の家にこだわっているかというと、彼女が大事に持っている「春の庭」という写真集は、水色の家で撮られたものだからだ。「春の庭」は20年前のもので、水色の家に住んでいた夫婦の日常生活やこの家の庭に咲く花々が撮影されたものだった。当時、夫は35歳のCMディレクター、妻は27歳で小劇団の女優だった。
 もちろん、撮影当時の夫婦は、もうこの家にいない。
 それどころか、離婚したという話もある。
 西は、イラストや漫画を描いて仕事にしていた。子供のときから大規模団地のような画一的な住居にばかり住んでいた彼女は、写真集に載っていた水色の家に憧れていたのだ。そして引っ越す時にネットで偶然その家の画像を見つけて、この家の近くのアパートを見つけて住み着いたのである。家ストーカーみたい?である。
 しかし、西がアパートに越してきたときには、空き家だった水色の家は、いつのまにか「森尾」という表札がかかっていた。人が住めば、家はガラッと変わる。森尾家は、4人家族で雰囲気のいい家庭のようである。
 家の中や庭が見たいがために、偶然を利用してするするっと森尾家の奥さんと仲良くなった西。しかし、風呂場だけは覗く理由がなかった。写真集では、壁も床も、黄緑から緑色のモザイクタイルがグラデーションになった風呂場はまるで森みたいで、西の一番気になる場所だった。
 西がなんとか風呂場を覗けるように、太郎は協力することになるのだが・・・


 
 
 
 
 
 
 
 

「フラニーとズーイ」J.D.サリンジャー

 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(カテゴリー海外小説・文学参照)に続く、サリンジャーの村上春樹訳。
 台湾の大学に専門研究センターが出来たという村上センセの訳によってどう変わったのか、読んだことがあるどころか私はこの本の存在さえ知らなかったので、わかりません。でも所々に村上春樹らしさというものは感じられたと思います。特にズーイというキャラクターのセリフの言い回しとかは、らしかったですね。
 まあしかし、難しい小説でしたなあ。
 いったい、どういうことだったんでしょうか。

 「フラニー」と「ズーイ」という2つの章に分かれているのですが、これは時系列で繋がっています。
 フラニーはグラス家7人兄弟姉妹の末っ子で20歳の大学生。一点の曇りもなく見事な外見をもった女性。
 ズーイは下から2番目の25歳の青年。こちらも完全な美形で、売れっ子のテレビ俳優。
 舞台はアメリカ。場所ははっきりしません(おそらく東海岸)が、時は1955年11月。
 まず、「フラニー」ではフラニーが週末にボーイフレンドのレーン・クーテルと会うところから始まります。
 レーンはおそらくアイビー・リーグの学生。自己中でスカした感じの、まあ、友人が少なそうなタイプ。およそフラニーが好きになるような値打ちはないと思いますが、現実の世界でもたまにこういうイレギュラーは見かけますよね。
 どうしてこんないいオンナに、こんなクズの男がくっついているのかという。
 で、最初のうちは、いかにもキャバクラで熱を上げた客の男と軽く受け流すキャバ嬢みたいな展開だったのですが、とにかくフラニーの様子がおかしいのですよ。情緒不安定というか、レーンのことが嫌いになったわけではなくて、彼女はどこか精神的に病んでいるようなのですね。レストランでサンドウィッチを注文したものの一口も食べずに、結局、舞い倒れてしまいます。週末のデートでフットボールの試合やカクテルパーティ、その後のことで期待と欲望を膨らませていたレーンの計画は水の泡、肩すかしを食らわされ、その日の夜のうちにフラニーは実家に帰ってしまうのです。
 いったい、フラニーに何が起こったのか?
 それが次章「ズーイ」で明らかにされるのです。いや、明らかにされようとする、という表現が合ってるでしょうね。
 2つの章の時間差は中1日。グラス家で下から2番目の、フラニーのすぐ上の兄ズーイが、風呂で手紙を読んでいる場面から始まります。フラニーは母親のベッシーが作ったチキンスープを食べようともせず、居間のカウチで寝ています。
 帰ってきてからのフラニーは、わけのわからない文句をもごもご口ずさみ、わっと泣き出したりしていました。
 とてつもなく心配したベッシーは、風呂まで乗り込んでズーイに何とかしてくれと頼むのですが・・・
 実は、フラニーは、けっこうヘビーな宗教関係の書物を読んでいたのです。
 グラス家には7人の子供がいましたが、7年前に自殺した一番上のシーモアとズーイでは13歳、一番下のフラニーでは18歳も年が離れていました。このシーモアと2番めの兄で作家をしているバディーは、ズーイとフラニーが物心がついたときから、宗教哲学をふたりに詰め込んだのです。そこにどういう意味があったのかわかりません。遊び半分であったのか、幼い子どもが長じた兄たちに自ら影響を受けたのか、それはわかりません。しかし、ズーイとフラニーは、善悪はともかくとして精神的に風変わりに育ちました。今、こうしてフラニーが神経衰弱になっているのも、小さなときに聖書に愛想をつかしてブッダに直行したりした、彼女の内なる宗教哲学が影響しているのです。
 これがわかっているのは、シーモアが死んでバディーがいない今ズーイただ一人であり、彼はなんとかフラニーを縛り付けている得体の知れない束縛から彼女自身を解放しようとします。
 これが、この小説の大まかなストーリーとなります。
 ただ、先ほど“明らかにされようとする”と書いたように、この小説は難解であり、私のなかでズーイとフラニーの内なるものが明らかになったのかどうか、それはわかりません。

 その上で少し独断的な解説。
 ポイントは、やはりフラニーが読んでいた巡礼の本でしょう。19世紀のロシアの農民が、休むことなく絶えず神に祈るにはどうしたらいいかを探求するために行った巡礼の旅。農民は悟りを得るのですが、フラニーが口でもごもごしていたのは、何かこれに類した祈りの言葉であっただろうと思われます。この農民が悟ったという休むことなく絶えず神に祈り続けること、これは唱えているうちに祈りが口や唇、頭から離れ、心臓の中心へと移動し、心臓の鼓動と同じように祈りが自律的な身体機能になってしまうという恐るべきものです。
 ズーイはそれは危険だと言いました。人間の人生はそのような狂信的なものではないと。
 彼はフラニーを楽にさせるために、病んで演劇をやめてしまった彼女に、神の俳優になれと言いました。
 そしてイエス・キリストを観客の太ったおばさんに喩えました。
 これは、この世は神様の紙芝居である、何も大したものではないということの表現だと思います。
 結局、自分をなくしているようで逆に自我が増大しすぎたというのがフラニーの症状だったと私は思います。
 だから、ズーイはフラニーの肥大した自我という風船に針をプスッと突き刺して中の空気をシューッと抜いたんです。
 これで、どうでしょうか。


 
 
 
 
 
 
 

「海賊とよばれた男」百田尚樹

 ついに読みました。
 石油業界伝説の巨星、出光興産創業者・出光佐三をモデルにした伝記的経済ロマンの大作です。
 上下巻のボリュームを感じさせない読みやすさと、手に汗握る七転八倒起死回生のストーリー。
 ですが、私が一番印象に残ったのは、国岡商店が創業50周年を迎えたときに、国岡鐵造の言った「死ななければこの苦労から逃れることができないのではないかと思われるほどの苦労の50年であった」というセリフです。
 ずっと読んできて下巻の終わりの方でこの言葉に出会って、この話というか彼の人生が腑に落ちました。
 これに尽きるんじゃないでしょうかね、この壮大な物語は。
 四面楚歌といいますか、出る杭は打たれるといいますか、これほど経済的に戦った人はいないんじゃないでしょうか。
 石油、資源というのは国策であり、非常に国際的でもあり、一筋縄ではいかない魑魅魍魎の世界です。
戦前から連綿と続いていた軍の統制、GHQの統制、外貨の割り当て制限、生産調整、そしてセブン・シスターズと恐れられた、ロイヤル・ダッチ・シェルやアングロ・イラニアンなどの欧米の国際石油カルテルと、それに飲み込まれた日本の石油元売り資本。これらはすべて国岡商店こと出光興産の敵であり障害でした。
 何度も逃げ出しそうになって、潰されそうになって、紙一重のところで九死に一生を得ることの連続でした。
 優秀な社員はたくさんいましたが、結局、国岡鐵造こと出光佐三は人生をひとりで戦い抜いたんじゃないですかね。
 しかも子供の頃からの弱視というハンディを背負いながらの熾烈な資源経済戦争に、けっして負けませんでした。
 苦しかったでしょうね。この人じゃなければ、耐えることのできない人生だったと思います。
 明治生まれの気骨なんて言葉さえ、この方の人生の前では可憐に聞こえます。

 国岡鐵造は、明治18年生まれ。福岡県の宗像出身です。生まれた当初は裕福だったそうですが、やがて実家は没落します。鐵造が石油に出会ったのは、明治40年、神戸高商(現神戸大学)3年生の夏休み、東北に旅行したときに偶然、発見されたばかりの秋田の油田を見学したときでした。これが鐵造と石油の運命的な出会いとなりますが、当時の燃料は、薪や石炭が主力で、石油が将来的に有効活用される日が来るとしても何十年も先だと見通されていました。
 なんか、今のメタンハイドレードみたいな感じでしょうか。当時は車なんてろくに走ってませんしねえ。
 しかし鐵造は、この石油というもので商売をしてみたいと思ったそうです。
 端折りますね。本当は、このへんからこの人の人生は苦労の連続になるのですが、要約してみればずっと上手くいってるように見えてしまいます。しかし、これは違います、端折っているからです。
 明治44年、25歳のときに鐵造は、人生の大恩人である日田重太郎(鐵造が神戸高商時代に世話になった資産家)に6千円(当時の大卒初任給20円)を貰い、故郷に近い九州の門司で石油製品を扱う「国岡商店」を立ち上げ独立しました。
 当初はまったくダメだった国岡商店の経営は、当時の小型漁船の燃料が灯油だったところを無税の軽油に変更を促したのが当たり、軌道に乗りました。このとき、石油会社の特約店という縄張りの制約があったために、国岡商店は伝馬船に軽油を積んで海上で、関門海峡の漁船に軽油を売りました。これをして鐵造を“海賊”と呼ばしめたのです。
 そして国岡商店が一気に伸びたのが、満鉄との取引。欧米製の車軸油を使っていた満鉄に、鐵造は満州に何度も赴いて、彼の地の過酷な気候に耐えうる不凍油を開発、納入することに成功したのです。時代も後押ししました。大正7年欧州戦争終結後、世界に動力革命が起こり、艦船の重油をはじめとして石油が新たな動力エネルギーとして台頭してきたのです。
 しかし日本は太平洋戦争に突入し、石油は軍部が流通と販売を統制しました。石油配給統制会社(石統)は、戦後も鐵造と派手にやりあうこととなります。石油のような非常に重要な資源は、どうしても国が統制しがるのです。ある意味、鐵造の人生は、これら国の規制と石油を巡る大規模資本との戦いにつきると言っても過言ではありません。
 国岡商店は、初めての社用タンカー日章丸(1世)や上海の石油タンクを軍部に供出しながら、日本は戦争に負けました。そしてこの終戦の年、鐵造は還暦を迎えていました。しかし日本という国が大難に陥ったこのとき、60歳にして自分の新しい人生に邁進していくのです。国内6店舗、海外62店舗、従業員1千名を数えた国岡商店は、敗戦によって石油を手に入れるルートを断たれ、まさしく開店休業状態。しかし、鐵造は従業員ひとりの馘首も許さず、国岡商店の座右の銘である「人間尊重」「家族主義」のもと、農業や漁業、ラジオの修理にまで手を出してこの苦難を堪えるのです。趣味であった書画骨董のコレクションも売り払いました。敗戦で資産を失い、国岡商店には莫大な借金だけが残っていました。
 結果的にこの危機を救ったのは鐵造の不動の魂だけでなく、海軍の廃タンクの底まで浚った武知や東雲などのがむしゃらで優秀な部下とですが、それは彼らを見出して鍛えた鐵造の人間的魅力が所以です。
 確かに国岡商店には敵がたくさんいましたが、要所要所で強力な味方も現れた、これも運だけではありません。
 そんな鐵造の人間的真骨頂がもっとも発揮されたのが、戦後会社の一大事蹟となった「日章丸事件」です。
 イギリスの石油メジャーに囲われて搾取されていたイランの石油を、イラン人が自らの手で取り戻したとき、イギリスは世界中に向かって「イランの石油を買ってはならない」と強硬に発信しました。イランの石油はイギリスの権益だというのです。そこへ、国岡商店は殴りこみをかけたのです。昭和28年のことです。戦時中も輸送船に乗っていたサムライ船長の新田辰男率いる国岡商店の二代目日章丸(約1万8千トン)は、3月23日に目的地をサウジアラビアと偽って密かに神戸を出港、正午問題(正午に日本の船は目的地を海運局に知らせる風習)はじめ無線を封鎖、イギリス海軍に拿捕される危険を冒してイランのアマダン港に到着、あらゆる苦難を乗り越え、ガソリン1万8469キロリットル、軽油3325キロリットルを満載し、5月9日川崎に帰港しました。イラン政府はこの男気に対して、国岡商店に卸す石油は半年間国債価格の半額とするをもって応えました。世界各国が大英帝国の威光を恐れて近づけなかったイランの石油に、日本の一石油業者の手が届いた瞬間でした。
 イギリスのアングロ・イラニアンは日本の裁判所に訴えましたが、国岡商店の勝訴となりました。
 ついに、半世紀以上にわたって世界を征服してきた国際石油カルテルの一角に風穴を開けたのです。
 終戦後たった8年で、敗戦国が大英帝国を敵にまわしてのこの快挙に、日本中は沸き立ったそうです。
 この後も、国岡商店はソ連の石油を買ったりとかしています。
 これも会社が儲けるというよりも、石油メジャーとの戦いのなかでの流れ、といった感が強いですね。
 読んでいる間、何度もネットで検索をかけました。日本の戦後史で重要な出来事が多かったので。
 石油のために戦争を始めて、石油のために戦争に破れ、今度は石油によって支配された戦後の日本。
 ひょっとしたら、国岡商店(出光興産)は、資源のない日本という国が、資源がないからこそ生み出した正義だったのかもしれません。


 
 
 
 
 
 
 
 
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