「百年文庫 日」尾崎一雄・高見順・ラム

 ドローンが飛ぼうがアップルウォッチが出ようが、たとえ時代は大きく変わっても地球にとっての「日」は変わりません。それは、地球上のどの時系列であろうと生きている人間にとって平等に刻まれていくものであるはずです。
 1日24時間は同じですから光速に関係なく、物理的に相対的なものではないはずですね。
 しかし、その「日」は過ごしている人間の主観によって、人間の総人口ほどの感じ方の違いがあるのです。
 あなたにとっては最悪の一日でも、彼にとっては人生最高の一日だったかもしれません。
 「日」はそれを過ごしている人間にとって、それぞれに違うものなのです。
 こんなこと、本書を読むまでは考えてもみませんでした。当たり前過ぎてわかりません。
 わたしたちにとって平等なはずの「日」とは、いったい我々の何なのでしょうね。
 真っ白なキャンバスですか、あるいはベルトコンベアみたいに我々を運んでいるだけのものでしょうか。
 時間じゃありません、「日」ですからね。時間は割り切れませんが、「日」は割りきれて1年経つと歳をひとつ重ねます。
 百年文庫No.38のテーマは『日』。
 当たり前過ぎて考えもしなかったことを、振り返ることができる一冊に仕上がっています。
 
「華燭の日」尾崎一雄(1899~1983)
 娘の結婚式が近づくにつれ、妙にせかせかし出した緒方。32歳のときに生まれた初枝は23歳になった。
 床を並べて眠るのも今夜限りだ。“さようなら”の1日が始まる。
「痩せた雄鶏」
 全くの病人であり、4年間も寝たきりの小説書き・緒方昌吉。31才の時に再婚した今の妻とも16,7年暮らして、妻は36歳になった。次女の貞子が8つ、長女の初枝は17歳だ。天然ボケ(原文は天然記念物的面白み)だった妻は生活の現実味が増したが、いまだ緒方が効いているラジオのクラシックを突然止めたりと、その心を何が刺激しているのか理解不明な面もある。しかし、家族だけが変わっているのではない。他ならぬ緒方こそ痩せた雄鶏ではないが、夫として父として日々成長しているのである。
 ふたつとも私小説ですね。前者は人生のターニングポイントとしての「日」、後者はもっと穏やかな流れでの変化を綴った「日々」というところだと思います。

「草のいのちを」高見順(1907~1965)
 戦後まもなく。上海で知り合った内瀬が帰ってきたと聞き、家を訪問する倉橋。
 肝心の内瀬本人は外出していなかったが、世話になった奥さんの進めるがまま、大勢でごちそうをいただく。
 上海では新聞社に勤めていた内瀬だが、いま奥さんは進駐軍相手の土産物屋をしている。
 奥さんの妹は舞台女優を目指しており、相談にのってやってくれという。
 結局その日は会えなかったが、貴重品のブランデーを片手に再び訪れると、はたして内瀬は熱を出して寝ていた。
 彼の弟もいた。弟は特攻隊崩れでいまだ精神が混乱しており、暴力をふるうという。
 ここでの「日」は、日本の戦争が終ったという一大転換点としての「日」でしょうね。
 女優を目指す女性の登場はまさに平和を実感する出来事でしょう。そして感動的な草の詩は、生きてさえいれば誰にでも平等に「日」は訪れるということ、つまり「日」こそ命そのものであるというメタファーだと思われます。


「年金生活者」ラム(1775~1834)
 商売には不向きの私。計算違いとか、帳簿への誤記とか、その類のありもせぬ恐怖のために昼間の勤めのほかに、一晩夢の中でまた勤めを繰り返した。私は、わたし自身が事務机となり、机が私の魂の中に食い込んでいたのであった。
 そんな不毛のサラリーマン生活が30数年続いた50歳の私に、思わぬ素晴らしい恩典が与えられた!
 重役たちが、従前のサラリーの3分の2の終身年金を保証してくれて、私は退職したのである。
 永遠に家に帰った私は、最初こそ長年監獄に囚われていた囚人は釈放されたかのように、ぼんやりと気抜けした幸福なのか幸福でないのかわからない日々を送っていた。そして歩き回った。自由を謳歌し、隠士然とした穏やかな瞑想生活の境地に入れたのである。私は50年生きていたが、自分のためにではなく他人のために生きた時間を差し引くとまだまだ若僧である。人間は働いている間は、自分の本質から離れているのだ。
「古陶器」
 白い下地に青い絵具で模様を描いている中国のツボがあるでしょう? それをイメージすればいいかと思います。
 ツボの説明をする相手はなぜか従妹ですが、この従妹がいきなり「昔はよかった。ほどほどに貧乏だった昔は、金持ちになってなんでも買える今よりどれだけ楽しかったことか」と振り返ります。
 ラムはイギリスの随筆家です。
 前作の年金の話もそうですが、ここでの「日」は昔と今の生活の転換という意味かと思われます。
 余談ですが、ほどほどに貧乏なのが一番生活に張りがあって楽しいというのは同感ですなあ。
 値打ちというんですかね、インフレでもデフレでもなくて自分の中のお金の価値観は持っているお金の量によって変化するのでしょうが、買い物が一番楽しいのは貧乏でもなく金持ちでもないほどほどの懐具合のときだと思います。
 なんか森博嗣のエッセイを思い出したね。
 人間は働いている間は、自分の本質から離れているというのは確実だと思いますよ。どれだけ仕事が楽しくともねえ。



 
 
 
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「闇のファイル」吉田一彦

 面白かったですが、別に“闇”ではありませんね。
 主に、第2次世界大戦で起こった出来事の裏側(真相)を紹介、あるいは探るような内容です。
 俗に言う陰謀論の本ではありません。
 むしろ、根も葉もないウワサ話を否定している面が多かったかと思います。
 緑十字船阿波丸は実は金銀財宝を積んでいたとかアメリカがわざと撃沈したとか、そんなこたあないですよと。
 たった1隻のアメリカの潜水艦の連絡不備(艦長と通信長)が原因だったんです、と本書では説明されていました。
 しいて言えば、ドイツの仮装巡洋艦からパネー号誤爆事件まで全部で15章あるんですが、もう少し減らして1つずつのボリュームを増やしたほうがよかったかもしれませんね。
 たとえば私の場合、レイテ沖海戦の本はたくさん読んでいるので、ここの話は今更感が強く物足りなく思いました。
 もう栗田のゴップ級無能ハゲ茶瓶の話は聞き飽きましたのでね。
 その一方、阿波丸の事件やヨーロッパ戦線についてあまり知らないので、もう少し読みたいと思いました。
 一番興味を惹かれたのは風船爆弾についての話ですが、それはまあ置いておくとして、本書に通底しているのは、戦いに負けた日本とドイツは情報戦でアメリカとイギリスに完敗していたということですね。
 そして、それでもドイツは日本よりはるかに戦争が強かったということです。
 これ読んで、いかに日本が戦争に向いていないかということがよくわかりました。人がよすぎるんですよ。
 中国なんて「日本がひどいことをしている!」と世界に向けて宣伝戦を仕掛けてこれが成功し、挑発に乗った日本はどんどん泥沼に引きずり込まれ、しまいには全世界を相手に戦争するはめになってしまいました。
 ルーズベルトは中国に権益があったため、かなりの中国びいきでした。
 あのときのアメリカ大統領がルーズベルトでさえなかったら、おそらく日本は戦争をしていないでしょう。
 この本を読んでそう思いました。悔しくてなりません。

「独の仮装巡洋艦アトランティス」
 約8000トンの貨物船を改造して、外からは商船にしか見えないドイツ仮装巡洋艦アトランティス。隠れて水上偵察機や魚雷発射管まで積んでいました。時と場合によって、日本船やソ連船、オランダ船に化けるのです。アトランティスは大西洋からインド洋、太平洋にかけて約2年間の“海賊”活動を行い、商船オートメドンからイギリス軍の極秘文書を押収したのをはじめ、22隻14万5698トンの船を沈め、あるいは拿捕しました。

「マレー沖海戦の真相」
 日本の軍事的能力について甚だしい過小評価をしていた西欧諸国。イギリスのチャーチルもまた日本を舐めていました。戦艦2隻で事足りると考えたチャーチルは、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをシンガポールに派遣しますが、到着から間もなく2隻とも日本海軍航空隊に撃沈されました。ニュースは世界中を駆け巡り、イギリスの威信は地に堕ちました。戦争の全期間を通じてこれほど体が震えたことはなかった、と後にチャーチルは告白したそうです。

「原爆輸送艦インディアナポリスの最期」
 1945年7月16日。奇しくも同じ日に一方はサンフランシスコを、一方は呉を出港したアメリカの巡洋艦インディアナポリスと日本の潜水艦伊58。インディアナポリスはマックベイ艦長でさえ内容を知らない極秘物質を、B-29の基地であるテニアンまで運びました。その直後、7月30日未明、インディアナポリスは伊58から3発の魚雷を喰らい轟沈。日本海軍が第二次大戦で撃沈した最期の大型艦でした。漂流した乗組員はサメに襲われ、助かった生存者をモデルに「ジョーズ」の映画が創られたそうです。

「緑十字船阿波丸の悲劇」
 アメリカ海軍史上最悪の誤りと言われるこの事件。阿波丸は、日本に囚われている1万5千人のアメリカ人と15万人のイギリス人とオランダ人に連合国から援助された食糧を運搬する船だったのです。もちろんアメリカは、阿波丸に対して攻撃しない、臨検しない、干渉しないと約束していました。自国の捕虜の生命がかかっているのですから当然です。
 それが・・・昭和20年4月1日台湾海峡でアメリカ潜水艦クイーンフィッシュによって撃沈されてしまったのです。
 阿波丸にはシンガポールで積んだ生ゴムや錫などの軍需物質を積んでいましたが、これしきのことはアメリカも黙認していました。当時の戦況では日本に安全に帰れる最後の手段でしたから、2千人を超える乗船者がいましたが、生存者はたった1人です。余談として、阿波丸に財宝が積まれていたという与太話を信じた中国政府は、1970年代に付近の航行を禁止して沈没した阿波丸をサルベージしましたが、まったくのスカでした。

「風船爆弾の威力」
 本当にアメリカが震え上がったのは、この風船爆弾です。10メートルの風船の下に搭載した焼夷弾と爆弾を高度1万メートルのジェット気流に乗せてアメリカ本土に降らせる兵器です。昭和19年11月から9300個飛ばされました。
 効果がなさそう、という理由から中止されましたが、それはアメリカがビビって報道管制をしていたからです。
 実は風船爆弾を世界で最初に考えたのはイギリスで、ドイツに降らせるつもりが国内の農場が火事になり開発を中止しました。

「アメリカの情報機関OSSの秘密工作」
 1942年に設立されたCIAの前身であるOSS(戦略事務局)こそ、情報帝国アメリカの基礎を作りました。
 ドイツ軍捕虜を使った反ナチス宣伝ビラ作戦や、秘密兵器? ネコ爆弾コウモリ爆弾etc・・・

「知られざる暗号解読作戦」
 1921年ワシントン軍縮会議は、日本の通信が完璧にアメリカに解読されていた。

「ドイツがソ連に侵攻した日」
 ドイツが電撃的にソ連領内に侵攻したバルバロッサ作戦。この進撃が成功してスターリンが鬱になった理由は、実はスターリンもドイツに侵攻しようとした矢先だったというのです。思わぬカウンターパンチになったのですね。
 しかしドイツは129年前のナポレオンと同じ運命をたどりますが・・・

「アイゼンハワー暗殺計画」
 1944年ヒトラー最後の大博打バルジ作戦(アルデンヌの森)で、ドイツ軍は最後の底力を見せました。
 そしてヨーロッパで最も危険な男と呼ばれたオットー・スコルツェニー親衛隊中佐は、連合軍最高司令官アイゼンハワー将軍の暗殺を計画します。

「レイテ沖海戦の真実」
 日本にとって最後の希望であった作戦は、あわやという場面を作り出しますが、アフォの栗田健男はやはり逃げた。

「ソロモン沖から生還したケネディ」
 アメリカ第35代大統領のケネディは、魚雷艇PTボートの艇長をしており、1943年8月1日コロバンガラ島沖で日本の駆逐艦天霧と正面衝突しました。過失です。平和な今だったら、事件になって軍隊をクビになっていたことでしょう。
 そうなっていたならば、とても大統領になんて・・・

「ドイツ軍ロケット兵器の恐怖」
 大陸間弾道弾の先駆けとなったドイツ軍のV1とV2。ドイツはミサイル技術はありましたが原爆を作る技術はなく、アメリカは原爆を作る技術はありましたがミサイルを作れませんでした。戦後ドイツの技術者はアメリカとソ連に引きぬかれ、宇宙開発の礎となりました。

「パネー号事件の真相」
 南京陥落の前日、昭和12年12月12日、揚子江を哨戒していたアメリカの砲艦パネー号と中国軍の基地に燃料を輸送していたアメリカのタンカー3隻を、日本海軍の航空隊が誤爆撃沈しました。これが有名なパネー号事件です。
 攻撃隊には「ラバウル航空隊」を書いた奥宮正武さんもいたんですね・・・知りませんでした。
 日本側は一斉に謝罪し、駐米大使はラジオ放送枠を勝手に買い取って米国民に遺憾を表明し、多額の賠償金を速攻で支払ったこの事件。親中国のルーズベルトはこれを反日工作に利用しようとします。


 
 

「ラバウル空戦記」第204海軍航空隊編

 太平洋戦争の最激戦地帯ソロモンの最前線で死力を尽くし戦った、誇り高き海軍戦闘機隊204空の戦記。
 生き残った204空隊員の回想や遺稿を、ライターが時系列に沿ってまとめています。
 スター的な戦闘機搭乗員の証言だけではなく、部隊の縁の下の力持ちである整備員や主計科員の話も多く掲載されており、「これは初めて読んだわ」的な逸話があって、興味深く読むことができました。
 なかでも(私が忘れているだけなのかもしれませんが)注目は、山本五十六連合艦隊司令長官が撃墜された事件の詳報が載っていましたね。このとき長官機を護衛していたのは、204空の6機の零戦ですが、戦後生き残ったのは右手首から先を切断して大空の一線から退いた柳谷謙治飛長だけです。その柳谷飛長の話が多く引用されていました。
 柳谷飛長の零戦が、煙を吐く長官機に寄り添うと、副操縦席に鎮座している長官が見えたそうです。
 当初は長官は墜落しそうになっている一式陸攻の中で瞑目していると思ったそうですが、後から考えるとあれはそのとき既に死んでいたんじゃないかということでした。
 当然、護衛機の搭乗員は上層部から箝口令を言い渡されたのですが、そのときの様子も詳しく書かれていました。
 後日、これほど見事に長官機がヒットされたのは暗号が解読されているに違いないと考えたラバウルの司令部は、草下任一中将をオトリにした偽の作戦電報を発信し、ムンダ上空で罠を張ったそうですが、これも私は知らなかったですねえ。
 あと、そもそもラバウルに行くことを山本五十六司令長官が嫌がっていた、というのもはじめて読みました。

 204空の前身は第6航空隊です。
 6空は、昭和17年4月1日に木更津基地で開隊されました。開戦から零戦による快進撃を続けていた台南空と3空からの転勤搭乗員を基幹に、経験の浅い若年搭乗員で編成され、なんと初代飛行隊長は新郷英樹大尉だったようです。
 ざっくり言えばA級とC級パイロットの混成部隊だった6空ですが、ドゥーリットル空襲など風雲急を告げる戦況は堅実な錬成を許さず、ミッドウェー島の攻略の暁にはその基地航空隊として配置されるはずだった予定も狂い、昭和17年8月にはいきなりソロモンの激戦区に飛ばされることになりました。
 さらに10月13日には、ラバウルの最重要前進基地であるブーゲンビル島南端のブインに進出しました。
 ジャングルの一部を切り開いた天幕に粗末なベッドおいただけの宿舎、狭い滑走路、繰り返される空襲、熱帯病の恐怖など、ブイン基地の模様が詳しく載せられています。
 11月1日に、隊の名称が変更されて「204空」になりました。
 204空といえば、やはり零戦隊名指揮官として名高い宮野善治郎大尉が有名ですね。
 艦爆隊の護衛戦法や零戦の4機編隊戦法など、殺伐としがちな隊内コミュニケーションの融和だけでなく、空戦の研究にも余念がなかった宮野大尉。彼の最期は昭和18年6月16日のルンガ沖上空の戦闘ですが、ここでは彼の最期を見た可能性のある杉田庄一から聞いた話として、その模様が書き残されていました。
 改めて彼の突然の死が惜しまれた次第です。
 あとは末期に配属されてきた海軍古参の羽切松雄の話、最後の司令となった柴田武雄中佐のトラック大空襲時の奮闘も迫力がありました。

 さて、小高登貴や大原亮治といった有名どころの歴戦搭乗員の証言だけではなく、基地地上員の話も含めて204航空隊戦史としている本書ですが、その貴重な回想をされている基地地上員の方として、
 木川脩兵曹(見張り員)、相川正夫兵曹(車庫員)、小谷野伊助兵曹(車庫員)、河原田幸一兵曹(主計科)、
 相良孔兵曹(整備員)などが挙げられます。
 私が非常に気になったのは、小谷野さんのブイン撤退時の話です。
 昭和18年10月8日、204空はブインからラバウルに移動(転進)するのですが、もちろん搭乗員などが先で残された地上員はその約一ヶ月後の11月2日、「駆潜艇30号」に乗ってブインを出港しました。
 しかし、この船がアメリカの航空機に撃沈されて、204空の隊員も大勢亡くなるのです。
 生き残った小谷野さんたちは、ブーゲンビル島の島伝いを決死の逃避行の末助かってラバウルの本隊に合流できたのですが・・・
 この「駆潜艇30号」というのはおそらく間違いで、長さ30メートルの木造船だったそうですからちょっと調べてみたのですが、該当する掃海艇も駆潜特務艇もないのですね。機関砲5門ということは哨戒特務艇だったのかなあ。

 昭和19年1月3日、唯一6空以来の隊員だった中村佳雄一飛曹が内地に帰還しました。
 1月26日、主隊は錬成のためにトラック島に移り、ラバウルから204空の名前が消えました。
 2月17日のトラック島大空襲で補充される予定だった零戦52型が壊滅しました。
 そして、3月4日、誇り高き海軍戦闘機隊204空は解隊しました。

 椰子の葉しげる飛行場
 今日も戦いの夜はふけて
 帰らぬ戦友(とも)を偲ぶとき
 仰ぐは南十字星



 
 
 
 

「小さな異邦人」連城三紀彦

 今はなき巨匠・連城三紀彦のミステリー短編集。
 母ひとり子供8人の貧乏大家族に謎の誘拐事件が勃発する表題作「小さな異邦人」ほか全8篇。
 本当に作風の幅広さを感じる短編集でしたね。
 死んだから褒めるわけではなく、というか偉そうなことを云えるほどこの方の作品は読んでいないのですが、これだけの作品群が生きている間に単行本としてまとめられていなかったことに驚きます。
 普通なら、短編集としてベスト作品集の水準だと言っても過言ではありません。
 作品の幅の広さを乱暴に例えるならば、ロックを歌っても演歌を唄ってもうまいものはうまいということなのだと思われますが、たとえばここの「指飾り」と「冬薔薇」、そして「小さな異邦人」の三作を比べてみた場合、同じ作家が書いてるとは思えないような気がするくらいです。作者が違うと言われても気づかないでしょうね。
 そういったオールマイティーな幅の広さに加え、物語の雰囲気作りのうまさにも驚かされます。
 ミステリー小説は、読者をあっと言わせる仕掛けとオチだけが醍醐味ではありません。
 まずミステリーが最大限に活かされるような、地の雰囲気作り、バックグラウンドの風景が大事なのです。
 特に冒頭の「指飾り」なんて、未練なく別れたはずの妻の後ろ姿を、ふとした拍子に都会の雑踏で追いかけているような主人公の男の心持ちが物語の背景になっているのですが、それをあからさまに文章にしていないのがニクイのです。そういった雰囲気といいますか“ニオイ”があらぬ方向へと進む物語の展開を影で支えているのですね。
 これは私好みの作品でした。後を引くような余韻が残ると酒がうまいです。
 読む人選ばず「オッ」と思わせるのは「小さな異邦人」や「蘭が枯れるまで」でしょうが、私的にはこの「指飾り」「さい涯てまで」が好きな部類ですかねえ。ちょっと切ない、「ちょいセツ」がいいんですよ。

 まあ、少しだけ各作品の紹介を短く。

「指飾り」
 42歳、バツイチの平凡なサラリーマン相川は、会社の近くの20年間入ったこともない喫茶店の前で、人混みの中に3年前に離婚した妻の後ろ姿を見たような気がした。ただし、その後ろ姿は派手な水商売風で、一緒に暮らした7年間地味な印象しかなかった妻とはかけ離れたものだった。あれは妻なのか別人なのか。翌日、その女を同じ場所で待ってみるが・・・

「無人駅」
 新潟県六日町駅のホームの端のベンチにいた旅行者風の40半ばの女。彼女はまず駅員の目につき、タクシー運転手と少なからず会話をし、メシを食うためにスナックに寄り、雑貨屋に出向き、居酒屋で酒を飲んだ。彼女がこの町で残した痕跡は、公訴時効を間もなく迎える東京の池袋で15年前に起きたスナックオーナー夫妻殺傷事件に繋がっていくのだが・・・
 今はなき公訴時効というテーマを、斬新かつ意外なアイディアで展開した昭和チックなミステリー。

「蘭が枯れるまで」
 1年前の誕生日、ふとした拍子に出会った女性から夫の交換殺人を持ちかけられた乾有希子の事件。
 結局、どういうことでしょうか。気づかないうちに戸籍上の妻は既に有希子ではなく、つまり重婚状態だったのでしょうが、問題は夫の孝雄がいったいどのように関与していたかということです。私の独断的推測では、木村多江(藤野秀子)と孝雄が共謀して有希子殺害を練っていたのが大本ではないかと思います。それが狂ってこういう結果になってしまったか、あるいは土壇場で木村多江が孝雄を裏切ったというのが真相ではないでしょうかね。後者かなあ。

「冬薔薇」
 東京のはずれ、自らの人生と同じような平凡な2LDKの団地に住んでいる主婦の悠子は、20数年ぶりに再会した高校の同級生と不倫に堕ちた。1年後、事件は起きる。その日、4時40分に目が覚めた悠子は、ファミレスで不倫相手に会い、ナイフで刺し殺されるまでの悪夢を繰り返し見ることになる。これは悪夢か現実か、それとも・・・

「風の誤算」
 新宿に巨大な本社ビルを構える大手電機メーカーの企画部第二課。影では吹き溜まりと呼ばれている。
 12年前に異動してきた水島課長は、かつて会社を背負って立つとまで言われたエリートだったが転落してここにいる。
 彼は“ウワサ”のデパートだ。今日も誰かに根も葉もない陰口を叩かれている。セクハラ、不倫、借金・・・
 しかし水島課長本人は、そんなウワサをまったく相手にせず涼しい顔をしている。
 課長と10年来、企画部二課で仕事をしている沢野響子は、そんな水島を不思議に思っているが・・・
 ちょっと怖いですね。確か沢野は32歳だから殺されたかもね。

「白雨」
 乃里子は高校入学以来1ヶ月友人ができない。そのうち、嫌がらせが始まった。医者の娘である大田夏美をリーダーとするグループがイジメを主導しているが、なんとクラス担任の三井先生までグルである。
 母の千津はそんな娘の状態を心配するが、乃里子へのイジメの手法が、32年前に千津の両親が起こした無理心中事件を暗示していることに気づき、愕然とする。32年前、日本画家の父と母、そして父の親友だった笹野という男の間に何があったのか。

「さい涯てまで」
 JRのみどりの窓口で働く須崎は、同じ職場の同僚である石塚康子と、思いがけず帰宅途中のパチンコ屋で出会った。それ以来親密に会話するようになったふたりは、泊まりがけの不倫旅行をするまでに交際は発展した。
 白馬、磐梯山、仙台、花巻・・・一番北までいったら別れようと康子は言う。
 ところがある日から、窓口の須崎のところに見知らぬ女性がきて、ふたりが不倫旅行した場所の切符をわざとらしく指定するようになる。女性はふたりが泊まった旅館やホテルのパンフレットをいつもこれみよがしに持っている。
 妻に勘付かれた様子はまったくない。この女はいったい何者か?

「小さな異邦人」
 貧乏大家族としてテレビの特番にもでた柳沢家。昼はスーパーで働き、夜は池袋のクラブに勤める母が、高2から小2まで8人の子供の家計を支えている。貧乏だが明るい家庭。しかしエアコンさえない。こんな柳沢家に、誘拐犯を名乗る男から脅迫電話がかかってくるのだ。「子供は預かった。身代金3千万円を用意しろ・・・」
 3千万などという金はどこにもない。それどころか、子供は8人いまも揃っており、誰も誘拐などされていない。
 これは間違い電話か? しかし犯人は、一家がテレビにでたことを知っているようだった。
 これはいったいどういうことなのか・・・・?
 小さな異邦人。それはいったい誰でしょう? まだ名も無き方のようです。私は途中でお母さんのほうにだと思っていましたが、まさかそっちとは・・・作者の腕とセンスを感じる名作でしたね。


 
 
 
 
 
 
 

「5人のジュンコ」真梨幸子

 人に弱みを見せたくない、という心理は言うまでもなくコンプレックスの裏返しです。
 張子の虎ですよ。みんながあなたの弱みにはとっくに気がついてますから、どうか心配しないでください。
 ね、そこの貴女。
 自分を優位に立たせるために、ウソをつくことに躊躇のない貴女。
 なんにでも首を突っ込んで、自分の思い通りに仕切らなければ気が済まない貴女。
 ちょっとした噂にありとあらゆる尾鰭をつけて、まるで凶悪犯のように言いふらす貴女。
 自分のことは自慢ばかり。夫がようやく課長になったのよ、息子が絵画コンクールで特賞をもらったのよ、あと4年で貯金が2千万円になるのよ、そしたら港区にマンションを買う予定なのよ・・・
 いつか歯車が狂ったとき、貴女は人を殺すかもしれませんね。自分のプライドだけのために。
 あるいは殺されるでしょう。誰かのプライドのために。

 気色の悪い女性を書かせれば、この方が一番、真梨幸子。
 今回は・・・巻末の参考文献によると、2009年に発覚した首都圏連続不審死事件がモデルになっているようです。
 書かれていることをそのまま書けば、チビでブスでデブで性格の悪い女性が、男たちを手玉に取り、何千万円と貢がせ、そして殺していく稀代の毒婦だった、と。
 実際の事件で逮捕されたのは、木嶋佳苗。
 本作でいえば、表向きは、静岡県熱海市を中心に起きた伊豆連続不審死事件の容疑者・佐竹純子です。
 確かに、彼女たちは人間として変わっているかもしれません。
 しかし、この5人のジュンコを連ねた不審な物語で、作者が延々と繰り返していることは、連続殺人はともかく、誰でもこのような惨劇の主人公になる要素を持っている、ということではないですかね。
 人間誰しも苦手だったり、嫌いな相手がいると思います。
 めったに会わないならともかく、立場上、密接に付き合わざるをえない場合があります。
 いつなんどき、当たり所が悪かったり最悪のタイミングだったりかして、相手に逆上する可能性もあります。
 本作でいえば、田辺絢子もそうだし、久保田芽依や恵原聡美がそうですね。
 逆上される側というのもあります。福留順子や守川美香。あるいはヤスカワ。
 しかしそれは結果論であって、ウザいと思われる人間とウザいと思う人間は実は表裏一体なんです。
 「あいつ、なんだかウザい」と思うということは、自分も誰かにそう思われている可能性が高いということです。
 人は自分を映す鏡であると云われますね。
 だから、自分はまともなちゃんとした人間という主観は、客観の前には脆くも崩れるのです。
 この小説で作者が意図したことは、それでしょうね。
 あいつはウザい、いやおまえのほうがウザいんだよ、と。
 
 もちろん、佐竹純子と、ややネタバレになりますが、篠田淳子の2人は別格のモンスターです。
 このふたりが鏡であったことはラストでようやくわかります。
 ちょっとこの小説はややこしいのですが、出会い系サイトで榛名諄とか高千穂くららと名乗り、あるときは田辺絢子の夫であるドンファンこと雅也を騙し、守川美香の兄である守川正志を殺害したのは、佐竹純子のほうではなくて篠田淳子です。
 そして実在した毒婦、木嶋佳苗を模した佐竹純子の犯した事件は、実のところ出てきません。
 不思議ですが、結果的にそうなっています。
 そしてラストで獄中の佐竹純子は、久保田芽依の犯罪の真相を言い当てるとともに、中学校の同級生である篠田淳子に大きな影響を受けたことを告白しています。前後の感じからして、この部分は真実なのでしょう。
 つまり、冒頭の章である篠田淳子の回想とインタビューは、あくまでも淳子の一方的な主観であるかウソであると思われます。
 おそらく、篠田淳子のほうが一枚上だったのではないでしょうか。次元が違うといいますか。
 熱海で彼女の家庭が崩壊したという理由、篠田淳子は佐竹純子のせいにしていますが、篠田淳子の母親が、連続不審死事件が報道されるまで佐竹純子のことを信じていたと書かれていることから(家庭が崩壊までされているのに、信じているという事実はおかしい)、実は家庭内暴力をしていた篠田淳子こそが家庭を崩壊させたのではないですかね。
 惨劇ながらもわかりやすそうな佐竹純子の犯行と比べ、篠田淳子の犯したことは異質な闇のなせる業です。
 怖いですね。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
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