「火星に住むつもりかい?」伊坂幸太郎

 君がどう考えようと、それだけ不満があろうと、今のこの社会を生きていくしかないよね。
 ルールを守って、正しく、気に入らないなら、国を出ればいい。
 ただ、どの国もこの社会の延長線上にある。日本より医療が発達していない国もある。
 薬もなければ、エアコンもない。マラリアに怯えてばかりの国だってある。
 この国より幸せだと言えるのかな。それとも、いっそのこと火星にでも住むつもり?


 久しぶりの伊坂幸太郎。
 私が一番嫌いな作家です。一行読めば虫酸が走るほどです。
 本は好きなものだけを読んでいればいいのではありません。
 年に一冊は自分の嫌いなものを、隅から隅まで熱心に読んで鳥肌を立ててこそ、勉強になるのです。
 自分の感性に変化がないか、わかるのです。
 言いながら、去年は読んでないかな。だめじゃん(・∀・)
 もう、この方の何が嫌いっていっても、どこなのかわからないくらい、虫が好かない。
 猫が嫌い、犬が嫌いというのに似ているかもしれません。
 好きな人にとっては、どこがどう嫌いなのか理解できないでしょう。
 私はフワフワにゃんこ好きにできてるので、猫が嫌いという人のアンテナがいまいちわかりません。
 同じように、伊坂幸太郎というと、日本を代表する人気作家といっても過言ではありませんから、嫌いな人よりも、好きな方のほうが断然多いはずです。
 しかし、私は好かない。仕方がありません。
 本作を読んでも、「ああ、まぎれもない伊坂幸太郎だ。イヤだ」と改めて思いました。
 そして安心するのです。やっぱり嫌いだな、と。嫌いなものは嫌いだったと、心が落ち着くのを感じるんですね。
 嫌いなものが好きになってたらドキッとしますから。恋じゃあるまいし。
 まあ、こんなこと言いながら、何が気に食わないか、ある程度はわかっているのですけどね。
 本作もそうなんですが、テーマはともかくとして、シリアスさがないのですよ。
 これだって平和警察とかね、戦時中の特高警察みたいで、非常に気色悪いというか問題的なテーマでしょ。
 だから書く人によっては、ストーリーから目が離せないシリアスでサスペンスフルな物語になるはずなんです。
 ところが、この方が書いたら、間が抜けてるというか、どことなくコミカルになってしまうんです。
 といっても、笑わせようとかそういうのではありません。
 強いて言うなら、オシャレかな。そう、オシャレにしてしまう。もう、虫唾が走るよね、私的に。
 道尾秀介は、あの方も最近は面白いのを書いていませんが、暗い暗いほうに持っていきますよね。
 だけど、まだ私的には道尾秀介が好きだな。伊坂は大嫌い。
 これはもう、個人的な価値観、いや趣味の問題かなあ。

 もう、あらすじなんてどうでもいいんですけどね。
 舞台は、仮想的日本。あるいは近未来でもいいかな。
 安全地区という制度があって、防犯的な平和警察という組織が持ち回りで各自治体に置かれるんですね。
 この平和警察というのが、ミソでして、あたかも戦前の特高警察のような恐怖組織なのです。
 市民から密告を受け、容疑者を連れ去り、拷問に近い尋問をして、公開処刑してしまう。
 社会の治安を守る、平和を守る、はあくまでも名目に過ぎす、国民の不平不満に対する生贄の魔女を見つけ出せればそれでよかったのですが、なんとそれだけにとどまらずサディスティックな警察官の娯楽になってしまいました。
 テロ組織と繋がりがあるような危険な人物が危険人物となって平和警察に連れ去られるのではなく、危険人物だと指差された人間が危険人物となって、サドの警官に拷問され、嘘の自白をして処刑されてしまう社会。
 もう、無茶苦茶ですわ。
 と、そこに異様なヒーローが現れるのです。
 安全地区制度の順番が回ってきた仙台で、平和警察の公務を妨害する謎の男。
 上下ひとつなぎの黒いライダースーツ、黒の帽子、大きなゴーグル、そして怪しげな武器。
 彼は、平和警察によって勾留され拷問を受けていた良識派の市民たちを、署内に突入して救出しました。
 たったひとりで。この男は何者か?
 事態を重く見た警察庁は、警察官絡みの事案を担当する特別捜査官の真壁鴻一郎を仙台に派遣するのですが・・・

 はい。
 要は、平和警察の生みの親でトップの薬師寺警視長を更迭すること。平和警察自体の解体ではありません。
 何事も、トップの人間の人格で組織は変わります。
 平和警察みたいな諜報機関は、世界各国に実在しています。いや、日本の警察だって、ここまではいきませんが、権力的にけっこうなものですよ。正義とは、見方によりますからね。
 火星に住めるわけありませんから、その社会で生きていくしかないとすると、ほどほどの適応とほどほどの努力が必要です。
 最低限、恐怖社会と共存し、最大限の努力で社会の仕組みを変えていく冒険が必要ということですね。
 本来なら面白いテーマなのですが、何事もオシャレにしたい作者が台無しにしてしまった、惜しい小説でした。


 
 
 
 
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「櫛挽道守」木内昇

 2014年度第27回柴田錬三郎賞受賞作です。
 江戸末期、木曽路の宿場町で代々続く、名産品である櫛(くし)職人の家に生まれた娘・登瀬の物語。
 けっして派手ではありません。地味ですが、さすが木内昇、いつものことながら、質が高いです。
 エンタメじゃないのに、これだけ面白いんですからね。
 物語の時間経過はペリーが来航してから幕末までですから、時代的には日本が一番バタバタしているときにもかかわらず、木曽路の山の中が舞台とはいえ、別にたいした事件が起こるわけじゃなく、時間がたうたうと流れるに任せるような小説です。
 まあ、櫛挽職人というのは、題材的に特殊ではありますけどね。
 主人公の登瀬は、職人の家に生まれてしまった、いやそれだけではなく父が神業を持つ名工であったために、当時の女としての生きる道がいささかそれてしまっただけで、別に美人ではなかろうし男勝りでもなく、いたって普通の人間です。
 ジャンル的には、いちおう時代ヒューマンドラマとでも云うべきなのでしょうが、いろんなジャンルが複合しているから、これだけ面白く仕上がっているのでしょう。
 たとえば櫛が職人技で美しく調えられていく様は芸術小説といえるでしょうし、その流通の仕様を見れば経済小説とも読めますし、登瀬の青春を見れば恋愛小説と言える部分もあります。木曽のいろんな風習や風俗、何よりその一貫した方言に着目すれば社会小説といえないこともありません。
 そして、そうした幅の広い物語の顔を活かしているのが、やはりこの作者の卓越した筆力です。
 この方がデビュー当時に書いていた新選組の小説は、私的にはおそらくその筋ではナンバーワン。
 あれほど油小路の血闘が美しく描かれた新選組小説はありませんでした。
 本作は時代小説という、特定の資料を下敷きにした閉鎖的空間内の物語でありながら歴史小説よりは自由が許されるジャンルですけども、この分野では他の追随を許さない本邦一の書き手であると思います。

 少しあらすじ。
 物語のスタートは嘉永2年(1849年)。主人公の登瀬は16歳。
 舞台は江戸と京を結ぶ中山道のほぼ真ん中、木曽路の宿場町である薮原宿。
 この高地の町の名産品は櫛(くし)です。
 お六櫛という、飾り櫛とも解かし櫛とも違う、髪や地肌の汚れを梳(くしけず)るために使われる実用的な櫛です。
 目の細かさが他の櫛とは異なり、歯と歯の間には髪が2,3本しか通らないように出来ています。
 ゆえに、それをミネバリという櫛の原料となる木から削りだしていく作業は、生半可な腕では及ばず、手作業の限界を超えた精密さが要求されるのです。櫛を作ることを、櫛を挽くといいます。
 登瀬の家は、代々お六櫛を挽いて活計を支えてきた櫛挽職人の家筋です。
 父の吾助は6歳のときから1日も欠かさず板場の同じ場所に座って櫛を挽いてきました。
 あてがい(歯の間隔を揃える)を使わないその腕は村で抜きん出ており、神業とも呼ばれ、時として尾張藩御用達の品として納められるほどの名工です。
 しかし、他の家のように田畑をしないだけマシですが、決まった庄屋に櫛を納めて代わりに一日一升の米をもらう暮らしは貧しいものでした。
 そして、吾助の後を継ぐはずだった長男で登瀬の三歳下の弟である直助が12歳で急死してしまったのです。
 以来、寡黙な吾助はともかく、母の松根や登瀬の一つ下の妹喜和を含む家族の関係は少しずつおかしくなっていきます。
 その中、登瀬は父の後を継ぐ櫛挽き職人になることを、密かに胸に誓います。
 櫛挽きにおける、おなごの仕事は裏方の飯炊きと櫛磨き、歯挽きや櫛木削りの仕事は男の領分で、その線引は村の掟とも云うべき確固たるものでした。
 しかし、登瀬は庄屋の持ってきた縁談の話を寸前で吾助が断ったのを機に、代々の家業を継ぐべく、おなごの道を捨てて櫛挽きの道を邁進するのでした。
 しかし、良縁を断ってまで男の仕事である櫛挽きの道を選んだ登瀬と家族には、村からの冷たい仕打ちが待っていたのです・・・

 木曽弁というのかな、登場人物のほとんどが喋る言葉のなかで、ひとり関西弁を喋って異彩を放つ実幸が良かった。
 もう少し先まで読みたかったと思います。
 続きがあればな、と思いますね。本当に、実幸が外国に櫛を輸出したりして。楽しい。
 お六櫛、私は手にしたことはありませんが、amazonでも売っているようですね、本当に歯と歯の隙間が細かい、向こうが見えないくらいの間隔なんですね。手挽きとあるから、いまだにあてがいもなく手で削っている職人さんがいるのかな?
 だとすると、この小説はあんがいその辺から生まれてきたのかもしれないですね。


 
 
 
 
 
 
 
 

「ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。」辻村深月

 山梨県甲州市。
 今年4月、自宅で農家の主婦(望月千草)が脇腹を刺されて死んでいるのを、自治会の旅行帰りの夫が発見した。
 娘の望月チエミ(30)は事件直後に失踪し、銀行のATMで現金を引き出している姿が防犯カメラに残されている。
 事件の犯人がチエミであることは疑いようのない事実として報道され、警察は彼女を重要参考人として指名手配中である。
 しかし、彼女の行方は杳としてしれない。

 チエミの父が自宅で妻の遺体を発見した4月29日から約半年。
 チエミの近所の幼なじみで、中学校まで一緒だったフリーライターの神宮寺みずほは、山梨に帰郷し事件の謎を追う。
 チエミと高校まで一緒で部活仲間だった古橋由起子。
 地元の遊び仲間だった北原果歩や、よく合コン幹事をしていた飯島政美。
 チエミの小学校の恩師であり、事件直後の朝に訪問を受けていた添田紀美子。
 チエミと繋がりのあった人間に話を聞いても、どうして仲の良かった母親をチエミが殺したのかわからない。
 実は、みずほは事件の前にチエミから意味深なメールを受け取っていた。
 事件の一ヶ月前、みずほの結婚式で会ったのがチエミの姿を見た最後になってしまったが、新婦のみずほは慌ただしくてろくに話も出来なかった。
 チエミは、みずほに何を伝えたかったのか?
 一説には、チエミが向かったのは富士の樹海で、彼女はもう生きていないだろうと云う。
 チエミはどこに行ったのか? そして生きているならばどこで息を潜めているのだろうか。
 すれ違ったままになってしまった故郷の親友との、切ない追憶の影を追うミステリー。

 ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナってのは最後のほうに意味がわかるのですが、タイトルにするまでのことだったんですかね。
 なんかこう、不幸な事件が起きてしまったチエミの家のちぐはぐさが目立つなあ。
 ミステリーとしては中途半端だし、小説として面白いとは言えないかと思います。
 山梨県というのがミソでして(甲州市という自治体が実在するとは知りませんでしたが)、この作品が書かれた頃は作者はまだ山梨在住だったと思いますが、都会的なものに憧れる田舎の鬱屈とか、だるさ加減が経験者として明確に表現されていますね。
 まあ、いつものことだけどね。
 東京の大学に行った人間と、田舎に残った人間は、ヘタしたら友人として二度と交錯しないまま人生終わります。
 これは仕方がないことでもあるんです。
 この物語ではそれを、田舎の契約社員であり女性としても地味なチエミと、彼女の幼なじみで実家も裕福で美人で仕事も独立しているみずほを対極のキャラとして配置し、みずほが望まぬ帰郷をしたために本来なら二度と交錯しなかっただろうふたりの人生が交わり、それを因果として思わぬ悲劇が起こるという筋立てにしています。
 結局、作者の言いたかったことは、チエミはチエミのままで良かったんだよ、ということでしょうね。
 田舎は田舎のままで、都会と比べてどうたらいう問題じゃないし、ましてや成功した友人と比べることもない、と。
 それがゼロ、ハチ、ゼロ、ナナだったんじゃないかなあ。この世でたったひとりの、母親の愛ということでしょ。
 暗証番号に娘の誕生日を使っているということは、娘が生まれてから作った口座でしょうから、そのお金は娘のために貯めていたものだと思います。
 まあ、救われない結末になってしまったわけですけども。
 私が云うのもなんですが、もう少しうまく書いてくださればと思いました。
 みずほの方の問題、母親との確執や流産はわけがわからないままでしたし。
 しかしまあ、辻村深月はどういう想いで、こうした山梨物や残酷な青春物を書いているでしょうかね。
 別に周囲にどう思われようと山梨だろうと女一人でも生きていけるんですよ。心配ありません。


 
 

「ナイルパーチの女子会」柚木麻子

 2015年の第28回山本周五郎賞受賞作です。直木賞の候補にもなりましたね。
 作者は柚木麻子(ゆずきあさこ)さん。
 私は、これが直木賞をとるのではないかと思っていました。読むまでは。
 読んだらびっくりしましたね、タイトルから受けるイメージと全然違うあまりのヘビーさにタジタジです。
 ものすごく精神的に、いや人間的に複雑な小説です。
 ほんと、女性に生まれなくてよかったと思いましたよ。
 なんでこんな、ややこしいの?
 この物語にはふたりの女性の主人公がいます。共に30歳の、栄利子と翔子です。
 少なくとも、栄利子には共感できません。
 栄利子のことを理解できないということが、普通じゃないでしょうか。
 彼女を理解できるという人はちょっと信じられない。実際、いるでしょうけどね、栄利子みたいなの。
 なら作者はどうなのかというと、私は作者も芯まで理解できていないと思います。
 それが、ちぐはぐさを書きたかったのに、ちぐはぐさがイマイチ伝えきれなかった理由じゃないですかね。
 逆に、翔子のほうは普通に共感できそうなのに、なぜ友達がいないのか、わからない。
 おそらく、彼女は上京して8年になりますが、東京という土地に馴染めないから友達ができないというのを作者は意図したのでしょうが、これもうまく読み手に伝わらなかったように思いますねえ。
 普通に、性格も良さそうだし魅力的な女性に思えます、翔子さん。
 
 さて、内容とまったくイメージが違うタイトルの意味は何でしょうか。
 ナイルパーチというと、私は勘違いして正月番組の芸能人格付けチェックで、いつも伊東四朗が鯛と間違っているやつだと思ってたんですが、あれはティラピアでした。
 日本の魚介の消費量は年間約652万トンですが、うち4割は輸入に頼っており、その中には代用魚や偽装魚が存在します。
 ナイルパーチは、スズキまたは白スズキの代用魚で、“白身魚のフライ”とは間違いなくこいつです。
 原産はアフリカで、最大では2メートル200キログラムにもなる、大型の淡水魚です。
 味は淡白ですが、性格は凶暴な肉食魚であり、これを放流したビクトリア湖では、短期間で湖の在来種二百種を食い荒らしてしまいました。そのため、タンザニアではヨーロッパや日本に輸出されるナイルパーチは庶民の口に入らないのに、庶民が食べる湖の淡水魚がいなくなってしまうという問題が起きています。
 生態系が壊れてしまったのですね、ナイルパーチを放流したために。
 こういうことから、この小説のタイトルとは、生態系=人間関係とすると正しいと思われます。
 ナイルパーチみたいな人間が、周囲の人間関係を壊していくという感じでしょうか。
 
 ナイルパーチとは、そのまま志村栄利子のことでしょうか。
 親子二代で国内最大手の商社に勤め、実家は世田谷。年収1千万超、この世の中で一番価値があるのは時間と言い切り、自分の人生にずっと真剣に向かい合ってきたエリートの女性総合職。
 しかし彼女は、誰とも心が通い合いません。女友達がいないのです。昔も今も。
 友達がいる自分、というものが栄利子の求めてやまない自分なのです。
 そんな彼女がハマったのが「おひょうのダメ奥さん日記」というブログでした。
 栄利子と同じ30歳の主婦が運営する、ネコのように気ままに自然体で読者を安心させる人気ブログです。
 実は、このブログの作者である丸尾翔子と栄利子は近所に住んでいるのです。
 ブログの記事から翔子の生活圏を知った栄利子は、偶然を装って、翔子に会ってしまいます。
 翔子は、自分のブログのファンであるという栄利子のことを最初こそ微笑ましく思い接していましたが、だんだんとストーカー的になってくる栄利子の行動と言動に恐ろしくなってきます。
 翔子が求めていたのは、東京に慣れ親しんだ、自分とは違う価値観を持つ女性との、気の張らない穏やかな交流でした。
 栄利子が求めていたのは、自分が憧れているブロガーと濃い人間関係になりたいという縋る思いです。
 ちぐはぐなのですね。

 はたして栄利子がナイルパーチだったのでしょうか。確かに、翔子にとってはそうだったでしょう。
 私は、あんがい高杉真織は普遍的なナイルパーチじゃないかと思いますし、翔子の父親だってその気味があります。さらに杉下が言ったように、文化やバックグラウンドのせいで関係が噛み合わず壊れてしまうのならば、人間誰もがナイルパーチになってしまう可能性を秘めていると思います。
 作者はおそらくそういうことが言いたかったのだと思いますが、ふう、難しい小説でしたね。肩こる。


 
 
 
 
 
 
 
 

「考古学崩壊」竹岡俊樹

 石器を見るということは、べつに科学うんぬんじゃなくて、いかに目を訓練するか、それだけにかかっていると思います。
 縄文の土器と前期旧石器とが見ただけでわからないのなら、それはまさに八百屋さんがマツタケとシイタケを区別できずに売っているようなものですよね。それじゃあ、八百屋さん、商売成り立ちません。
 なのに、なぜ考古学者は商売が成り立つのか。
 それはマツタケとシイタケを間違って売っても一般の人々がわからないからです。
 卑俗な言葉で言ってみれば詐欺みたいなものです。


 2000年11月、全国に衝撃を与えた遺跡捏造事件の、総まとめとでも云うべき良本。
 著者はフランスで石器分析を学んだ日本考古学界の一匹狼・竹岡俊樹博士。明治大出身。
 クセのある人間かもしれませんが、一本筋の通った、ちゃんとした学者です。
 レベルやトランジットを振った時間よりも酒を飲んだ時間のほうが長いというそのへんの考古学者とは違います。
 私はこれまで、上原善広の「石の虚塔」で15年前のこの事件に着目し、角張淳一の「旧石器捏造事件の研究」でその根の深さに思い知らされ、岡村道雄の「旧石器遺跡捏造事件」で事件の黒幕とおぼしき人物の釈明を読みました。
 そして、本書を読み終えたところで今、一応の完結を見たと思っています。
 つまり、この事件の真相と深層ですね。内側、外側すべてです。
 本書のサブタイトルは、前期旧石器捏造事件の深層、です。真相ではありません。
 もちろん著者の推察するところの、驚愕すべき事件の真相(ちょっと怖い。不気味)も載っているのですよ。
 しかし、この事件の深層は、遺跡を捏造したという犯人の行為にあるのではなく、日本考古学の成り立ち及び現状のあまりにも学術として未熟な本質にあったというのが、著者の見立てです。
 そして著者はこの本を書くことを決心するまでに13年かかったそうですが、それは捏造事件によって考古学の信用が地に落ちてすら大胆な改革を実行し得なかったそのアカディミズムに対する失望ゆえだろうと思います。
 
 ヨーロッパや中近東の旧石器に造詣が深い著者が、神の手こと捏造犯・門馬新一(旧姓・藤村新一)の石器を初めて見たのが、1997年2月でした。それら上高森遺跡から出土した石器は、著者の目から見てオーパーツだったそうです。
 捏造を見て取った著者は、1998年に批判の論文を展開するも無視されます。角張淳一にはインターネットのHPに記事を書かせました。そしてその3ヶ月半後、毎日新聞が自ら石器を発掘現場に埋めている藤村新一の写真をスクープしたのです。
 著者の云うことを信用して動いたのは、考古学者ではなくジャーナリストでした。
 そして恐るべきことに、こうした形で明るみに出なければ、すなわち毎日新聞の隠し撮りが失敗するとか、東北旧石器文化研究所内で先に捏造に気づいてしまった場合、この事件は永久に闇に隠された疑いがあります。
 つまり、教科書に嘘の事実が載せられたままになるどころか、日本列島の歴史が曲げられたまま後世に伝えられたということです。これはとてつもない、重大な事案ですよ。
 なのに、主に捏造の舞台となった宮城県では、自治体の職員も発掘を共にしていたという理由から、大切な税金が捏造遺跡の発掘に使われているにもかかわらず、告訴しませんでした。
 大変な間違いだと私は思います。
 この事件の真相を警察権力で捜査して、いったん旧石器考古学を解体することが必要だったのではないですか。
 事件後、日本考古学協会は検証委員会を設置し、藤村新一は退会処分の後「精神疾患」によって姿を消し、検証委員会初代委員長の戸沢充則の弟子でもあった鎌田俊昭や東方福祉大の梶原洋ら第一次関係者は説明責任を果たしたとして免責になり、捏造石器をホンモノとして支持していた研究者たちは騙された被害者として検証委員会に入ることによって立場を180度変え、結局、文化庁主任文化財調査官の岡村道雄がスケープゴードになりました。
 角張淳一の本では岡村道雄犯人説が説かれていますが、本書では明大の戸沢充則と角張の師である小林達雄の“東北大の岡村憎し”の感情がそうさせた、と書かれており、岡村道雄はあくまでも捏造を知らなかったというスタンスです。
 まあ、知らないでは済まされないんですけどね。
 鎌田俊昭だって本書では日本の旧石器時代研究者の中では学問的に一番まっとうであったが、藤村に洗脳され、ルビコン川を渡りましたが、捏造に関してはこれっぽっちも疑ってなかっただろうと書かれています。
 これすなわち、なぜ専門家が20年間に渡る捏造を見抜けなかったということに繋がります。
 結局ね、岡村もそうですが、日本の旧石器時代研究者は、石器を見る目をもってなかったのです。
 偽の石器が出ようが、ホンモノの石器が出ようが、その石器が出た地層がすべてであり、石器そのものの分析ができなかったのです。だから、藤村が縄文石器を埋めて掘り出しても、地層が古いもんだから、疑いもしなかったのです。バカだよね、ほんとに(爆笑)
 だいたい、原人と旧人と新人は、順番に進化したものじゃないのに、そう信じていた考古学者がいたっつうんだから。
 私でも知っていますよ。ちなみにアジア人にはネアンデルタールの遺伝子も5%くらい混じっているんですがね。
 だから、日本人のルーツの改ざんじゃなくて、あくまでも日本列島の生物の歴史の改ざんなんです。
 猿の頃ですよ。だから前期旧石器なんて猿の石ころなんですよ。
 ひょっとしたら、我々の先祖が使ってた石ころだと思って研究発掘していた考古学者もいるんじゃないですか、バカだから。
 我々のルーツはホモ・サピエンスですから。20万年前のアフリカの。
 ですから、本書にも少し触れられていますが、中期旧石器より以前(3万年より前)は、理系の生物人類学者に任せたほうがいいですって。
 文系の考古学者では分不相応なんですよ、きっとその時代は。
 著者は大学考古学と行政考古学など考古学会の学閥対立などにも書き及んで、この学問の抱える深い問題を提起していますが、私は捏造事件というのは、本来扱ってはならない時代をその能力のない(学者としての基本的知識に欠ける)考古学者という人種が扱ってしまったためにその累積で起こった事件だと思いました。深層はね。
 事件そのものは、石器など何もわからないフリをしてその実博学で、精神病というのもおそらく嘘である天性の詐欺師、藤村新一がコンプレックスから学者連中を騙して喜んでいたというのが真相のようです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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