「第七官界彷徨」尾崎翠

 尾崎翠の代表作である「第七官界彷徨」と、それにまつわる小作品4篇。
 そして付録に、未発表の映画脚本原稿である「琉璃玉の耳輪」が付いています。
 尾崎翠(おさきみどり。1896~1971)という女流作家は、鳥取県生まれで東京に出てきてから極めて短時間活躍した人なんですが、私はポプラ社の百年文庫で「途上にて」という作品を読むまでその存在を知りませんでした。
 しかし、「途上にて」は奇妙な感覚のフワフワした小説で、非常に印象に残りました。
 比べるべき対象が、同時代の作家にいないという稀有な存在の作家です。
 まるっきり時代を超越したような、現代にも通じるような、その感性。
 書いたものからは、まさか昭和初期の人間だとは思えません。
 写真を見れば、まんま昔の古風な女性です。峠の茶屋で団子とか焼いてそう。
 結局、この方はなんだったんでしょうね。
 また改めて、生い立ちなり実生活なりを探求した本があるようなので読んでみますが、謎だな。
 眠剤やら薬の中毒になっていたようなので、ヤク中的な幻覚もあったのでしょうか。
 「第七官界彷徨」に限っていえば、格別面白いとは私は思いませんけども、非常に変わっています。
 後に続く4篇を読めば、なおさらえぐ味が出てくるようです。
 だいいち、「第七官界彷徨」というタイトル、すごいカッコいいですよね。おそらく作者の造語です。
 いかめしいイメージですが、たぶんこれは、行き場を失った恋心のさすらう様子、という意味であると私は思います。
 この尾崎翠という作家の中からこの世に滲みでているのは、言葉は悪いですが“さかり”というようなものです。
 それを上品に恋だとするのか、性だとするのかでこの方に対する印象はずいぶんと変わってくるでしょうね。
 ただし、作品が少なすぎます。それがほんとうに悔やまれます。
 ちなみに、「琉璃玉の耳輪」のほうは駄作ミステリーです。

「第七官界彷徨」
 いまいち読み解けませんでした。
 祖母と暮らしている小野町子という女性(おそらく16~17歳くらいではないか)が、ふたりの兄とひとりの従兄が共同生活をしているオンボロの借家の炊事係として住み込んだ、秋から冬にかけての短い期間の話。
 小野一助は分裂心理病院の医員で、二助は農学(植物)研究者、従兄の佐田三五郎は音楽学校の受験生。
 この3人が絶妙に変わっているのです。まあ、町子も変わっていますけども。
 二助なんかはコケ(蘚)の恋愛研究だとかいって部屋でこやし(うんこ)を炊いていますし、三五郎はオンボロピアノを弾いて夜中に歌を唄っていますし、まともに見える一助も女性患者の取り合いをしているようなところがあります。
 ここで、町子はひとつの恋をしたそうなのですが、相手がイマイチわかりません。
 ふつうに考えれば三五郎なのですが・・・あるいは、隣に引っ越してきた袴をはいた夜学の女学生である可能性も捨て切れません。あるいは3人の男すべてに対する感情であったのかもしれません。

「歩行」
 祖母と暮らしている町子の元に、小野一助と同じ病院に勤める分裂心理研究の医員が、一助の紹介でやってきます。この男、幸田当八というのですが、数日滞在した彼は町子の家にいた間、かばんの中に持っていた西洋の戯曲のセリフのやり取りを町子としていました。歯の浮くような恋のセリフばかりです。そのために、彼が去ってから町子は失恋したような感じになってしまうのです。

「こおろぎ嬢」
 これはちょっと怖かったかもしれません。最後が・・・
 2階の借部屋に住むこおろぎ嬢は、一種の粉薬の常用者であり、多少重い神経症に罹っています。
 うぃりあむ・しゃあぷと、まくろおど嬢の話は分心一体であり、まんま彼女自身のような話でした。

「地下室アントンの一夜」
 これは「歩行」で町子が松木夫妻のもとに持って行ったお萩を、松木夫人に頼まれて、おたまじゃくし付で詩人の土田九作のところに持って行った時の話。土田はこのとき町子にその場で惚れて即座に失恋します。
 ちなみに、この話は幸田当八の各地遍歴のノオトからの抜粋という形になっており、ラストでは恋敵である当八と九作が会合しています。

「アップルパイの午後」
 兄と妹の恋の話が、反転して入れ替わる。小野君と言っているので、妹は町子なんでしょうが、この町子は第七の町子ではないと思います。この第七官界彷徨にまつわる5つの作品は、実は繋がっているようで、作者の中でまったく繋がってはいないのではないでしょうかね。
 この方は、小説のストーリーよりも刹那の感情を優先するような気がします。

 おもかげをわすれかねつつ
 こころかなしきときは
 ひとりあゆみて
 おもひを野に捨てよ

 おもかげをわすれかねつつ
 こころくるしきときは
 風とともにあゆみて
 おもかげを風にあたへよ





 
 
 
 
 
 
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「永仁の壺」村松友視

 ふつう世間の人々は、贋物・真物を見分ける人を「目利き」という。
 それに違いはないのだが、私にいわせればそれは鑑定家で、経験さえ積めば、真贋の判定はさして難しいことではない。
 駆出しの学者でも、骨董屋さんの小僧でも、それくらいの眼は持ち合わせている。
 むつかしいのは、真物の中の真物を見出すことで、それを「目利き」と呼ぶと私は思っている。
 「名人は危うきに遊ぶ」といわれるとおり、真物の中の真物は、時に贋物と見紛うほど危うい魅力がある。


 「永仁の壺事件」については最近読んだところです。(「永仁の壺 偽作の顛末」松井覚進
 文部省の文化財技官が重要文化財に指定した鎌倉期とみられる壺が、実は現代製だったという事件でしたね。
 壺には「永仁二年」という銘が入っており、年銘の入ったそれまでの最古のものより18年も古くなる計算になりました。
 ところが、加藤唐九郎という昭和期の著名な陶芸家が、「わしが作った」と告白したのです。
 科学的検証も行われて、この壺は重要文化財の指定を取り消され、文部省の技官は辞職しました。
 この技官の名前を小山冨士夫といい、本書は著者が偶然、小山冨士夫作の造ったぐい呑みに出会ったことから始まります。
 「永仁の壺事件」をあまり知らなかった著者ですが、小山冨士夫のことを調べるうちにこの事件に引き込まれ、もう一方の重要人物である加藤唐九郎のことも、彼が活動の拠点としていた陶芸のメッカである瀬戸にまで出向き、その人物の背景を追い求めるのです。まるで、何ものかに引き寄せられ、壺の洞穴に導かれるように・・・
 そして、ついに見えてきた我が国文化財史上に残る“贋作事件”の真相とは――

 ドキュメンタリータッチでありながら私小説っぽくもあり、村松友視という小説家の力量を感じる一作になっています。
 おそらく、ほぼすべてが事実なのでしょうね。謎の「さとう」の老人も、数江教一という実在した人物であろうと思います。
 冒頭、警察に犯罪者と間違われるというスタートから導入が素晴らしく、群馬県で発生したニセ作家の事件から、父母は死んだと言い聞かされ、建前上祖父の戸籍上の息子として育てられた己の来歴まで交えながら、永仁の壺の事件いわゆる“虚と実”の真相に迫っていくという、実在の件を追いながらもどこか幻想的でもあるスタイルなのが小説家らしいな、と。
 少し難しい場面もありましたが、面白かったですね。
 事件の登場人物などの記憶がまだはっきり残っていましたからね、良かった。
 結局、芸術の領域というのは一般的価値観にのっとった善悪の届かぬ世界ですから。
 この事件の表層は、善玉が小山冨士夫で悪玉が加藤唐九郎ですが、それはあくまで我々の世界からの俯瞰です。
 現に、事件をきっかけにふたりの後半生は花開きました。
 贋作者は袋叩きにされ、技官も失意のうちに世間のかたすみに追いやられるような結果にはなっていません。
 加藤唐九郎は一躍有名人になって陶芸家として活躍し、小山冨士夫はいささか酒の量は増えたようですけども、これまた本来の陶芸家に立ち戻って己の好きなように生きて作陶し、非常にいい作品を残しています。
 あくまで結果論ですが、この事件で不幸になった人間はいないようです。

 この事件が起こった理由は、だいたいのところ、友人の新興宗教家から頼まれて加藤唐九郎が造ったのが、永仁の壺であり(瓶子。神前に供える御神酒徳利なので対)、当時志段味村村長であった長谷川佳隆が発見したという形にして箔をつけたものの、宗教活動が瓦解したことによって壺は無用になりました。しかし農業組合長でもあった長谷川氏が肥料詐欺に遭って公金を騙し取られ、この詐欺師というのが加藤唐九郎や壺の作成にも絡んだ刑部金之介の薦めた人間であったために、その補填のために窮余の策として永仁の壺を偽装して表に出し、蒐集家に売りつけたというのが実相のようです。
 その過程、そして加藤唐九郎でさえ思いもよらなかったことが、小山冨士夫がこの壺に惚れてしまったということなのです。
 この壺は昭和34年に重要文化財に指定されましたが、その十年前にも小山は重要美術品への指定を推薦しているほど、この壺に執着していました。
 どうでしょう。陶人が脈々と築いてきた文化である陶磁の業の値打ちを、限られた役人や高名な学者、陶芸家によってやすやすと決められてたまるか、という憤慨が加藤唐九郎にあったのでしょうか。
 虚と実、真と贋、その一線はほんとうににじんでいます。黒と白ではないのです。
 この小説のいいたいかったことは、そこにあるのでしょうね。

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「ぼんぼん主計長奮戦記」北尾謙三

 輸送船が一隻撃沈されると、多年訓練された千~二千人の兵士が戦わずして戦死する。
 また、乏しい資源で、銃後の国民が精魂込めて造った軍需物質が、敵に打撃を与えることなく沈んでしまう。
 日本海軍の船団護衛力が貧弱であったため、多くの優秀な兵士、虎の子の軍需物質が一発も敵に報いることなく南海に沈んだ。
 私は、船団護衛に関係した一員として、誠に申し訳なく思っている。
 海防艦の働きは報いられず、多くの輸送船を沈めてしまった。そして、海防艦の活躍、その他の護衛艦の活躍は、華々しい主力艦隊の蔭に隠れ、戦記にも載せられない。
 しかし、私は、彼等のために声を大にして言う。
 毎日死神に付きまとわれながら、心身を消耗し、地道な船団護衛を行い、時には自艦を生け贄にして戦った海防艦、その他の護衛艦は、太平洋戦争において、主力艦隊よりも、遥かに辛い、苦しい戦いを行い、沈んでいったのだ。


 戦闘部隊の裏方であった船団護衛を任務とする海防艦主計長の手記。
 海防艦だけでなく、主計科というのも、戦闘部門である兵科ではなくて裏方、縁の下の力持ちです。
 つまり著者は京都大学を卒業して戦後は民間企業の重役になられたほどの方ですが、辞令をうけて乗艦することになる海防艦を見たとき、あまりの軍艦のイメージと異なる貧弱さにがっかりしてこれはもう生きて帰れないと思ったそうですが、戦時急造船である量産海防艦の主計長というのは、はたから見るとなんとも存在感の薄い海軍軍人であるかもしれません。
 著者の乗艦した海防艦19号は奇数番号艦で、排水量745トンという一番小さな型の海防艦でしたしね。
 本書を読むまで、私もどこかで主計科という職種を舐めていました。
 しかし、本書を読んで主計科、主計長という存在の大事さが極めて明確に理解できました。
 同時に、これはすごい任務であると思いました。
 直接戦わないといえど、逆に言えば戦闘以外のことはすべて主計に廻ってくるのですよ。
 しかも、海防艦なんか魚雷一発やられれば終わりですから、戦わない主計科が安全だとは言えないわけです。
 主計長の任務は、本当に広範囲です。庶務、経理、被服、糧食を担当し、更に副官、軍需工場の監督官、飛行場、基地等の設営隊長になることもあります。また、主計長は戦闘のときに艦橋で戦況を記録する任務もあります。
 大学を卒業した著者が入学した海軍経理学校では、書類の扱い方、酒保の経営、フルコース洋食の食べ方、副官としての秘書心得まで学んだそうです。
 まさしく、戦闘の裏方として欠かすことのできない文官であると言えると思います。
 そして、今日沈むか明日沈むか、長くても一ヶ月は浮いていられないだろうと言われるような海防艦が南方に船団護衛で出撃したときなどは、主計長の任務は非常に重要なものになります。バカでは務まりません。
 熱帯で糧食を腐らせないように腐心しなければなりませんし、外地に寄港すれば兵隊に外貨を与えなければ休暇が取れませんし、士官の飲み会では幹事を務めるために、日本人向け料亭では美人どころの芸者を他艦と争って勝ち取らなければなりません。著者はこれを“座敷の戦争”と呼んでおり、南方では小艦の海防艦といえど連合艦隊の向こうを張ってあらゆる手段を使って飲み会を盛り上げたと書いています。私はこれを読んで感動しましたね。
 海防艦なんていつ沈んでもおかしくないんですから。その飲み会が人生最後かもしれないのです。
 空母や戦艦の連中が偉そうに座敷の真ん中で飲んでいても、遠慮することはないのです。
 著者が昭和19年5月中旬に海防艦19号に乗り込んだ当初は、家で甘やかされぬーっと大きくなったボンボン丸出しのインテリと見られていましたが、しだいに乗組員から認められる存在となったのは、いい主計長に欠かすことのできないポイントである機転が効くからですね。兵隊が暮らしやすいように便宜を図れるのです。これ読むまで知りませんでしたが、酒保(艦内売店)は乗組員の共同経営であって軍の会計とは全く別であるんですってね。ですから経済学部出身である著者は空き瓶をフィリピンで売って大儲けした金で酒保の商品を無料にしたりできたのです。
 また、シンガポールから内地に帰還したときには、台湾で砂糖を仕入れてそれを兵隊全員が家族に配るお土産としました。これは内地は物質窮乏の折ですから非常に喜ばれたそうですよ。
 海防艦を降りた著者は海防艦訓練部隊(旗艦は瀬戸内海観光船だった「こがね丸」ほか海防艦十余隻、標的役の潜水艦1)の主計長となりますが、無人島に露天風呂を掘って兵隊を休ませたりですとか、様々な工夫を凝らすことができる人間でした。
 面白いところでは、海軍は衣料品について優れた知識を持っていたそうで、著者は海軍時代の寝巻きを気に入って戦後30年間使用していたそうです。紡績会社の重役になった人の言うことですから、その寝巻、興味湧きますな~
 
 著者が退艦したあと海防艦19号は、昭和20年1月12日サイゴンで米機動部隊の攻撃により沈没しました。
 メコン川の河口だったのでほとんどの乗組員は助かったそうですが、艦長は艦と運命を共にしました。
 本文中でも、著者との交流が面白おかしく書かれていた、あの艦長(少佐)です。
 商船学校出の海軍予備士官だった艦長は長い間外国航路の商船に乗っていたので、英語ができました。
 著者がまだ19号に乗っている時、艦長はひとりでよくアメリカのラジオをこっそり聞いていて、「主計長、もう日本はあかんぞ」と言っていたそうです・・・
 竣工後、わずか八ヶ月。海防艦19号はその短い命を閉じました。

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「面白くて眠れなくなる進化論」長谷川英祐

 いやいや、全然寝れる。
 むしろ、読んでたら眠たくて仕方ありません(笑)
 こういう本て、学者の方は真面目なのであれもこれもと正しいことを漏らさないように詰め込み過ぎるのですよ。
 私のようなネアンデルタール人並みの演算能力しか有しないものにとって、生物学はまだその他理系学問よりはとっつきやすいのですが、それでも難しいことに変わりはありません。ただでさえよくわからないのに、次から次へと進化論の形式を滔々と延べられてもついていけません。
 遺伝子頻度の変動=進化だそうですが、遺伝子頻度という言葉自体が読んでいるうちになんのこっちゃわからない。
 アリ社会の研究が専門だそうですが、ならばアリ社会を大きなストーリーにして、その話の中でその都度疑問点として進化論の論理を小出しになさったほうが良かったのではありませんかね。
 まあ、進化とは複数の原理がからんだ複雑な現象だそうでして、説明すること自体が難しいのかもしれませんね。
 進化論は、ダーウィンの自然選択説を根幹とし、メンデルの発見があり、遺伝子であるDNAに起きた変化が自然選択によって適応をもたらすという総合説ができあがりましたが、まだまだリアルタイムで進化論自体もまた進化しているそうです。
 ダーウィンが種の起源を発表してから、約150年。それまでは神がこの世界を創造なされたという考え方しかなかったわけですから、たった150年間で驚くべきスピードで生命の神秘に対する我々人類の造詣は深まっています。
 でもまだまだ、わからないことが多いんですな。

 昆虫だけでも、この地球に現在175万種もいるそうですよ。
 なんでこんなに生命は多様なのでしょうか。
 人間が一番形として優れているならば、すべて人間でいいのにねえ。
 ところが、そうはなかなかいかないんだなあ。すべて地球の生命が人間であったならば絶滅するのですね。
 すべての生物は生活する場所でうまくやれるように適応しています。
 人間はコンクリートの上で、猿はジャングルで、魚は海で、鳥は空で、ゴキブリはキッチンの片隅で。
 その環境に適した性質を持った個体が残り、増えていく。これは、存在する遺伝的変異のうち環境の下で有利なものが増えて不利なものに置き換わることで適応が進んでいるわけで、これが自然選択の原理です。
 生物はできたときからそのままではなく、時間とともに変化していくわけです。
 たとえば、イギリスの産業革命時の蛾の話。工場の煙のせいで、目立つ白い蛾が鳥にやられて個体数を減らし、突然変異的な黒い蛾が煙の保護色となって数がどんどん増えたというのですね。
 これは自然選択のわかりやすい一例です。
 仮に地球がどんどん海ばかりになっていくと、その過程で人間に再び鰓が出来て魚に戻るかもしれません。
 生物が変わるには、非常に長い時間がかかるので、短い時間では変わったと気づきません。
 ただ、ダーウィンが唱えたように進化は連続的(一定のペースで)に起こるのではなく、不連続な形質を獲得することにより進む場合が多いそうです。突然変異というやつですね。
 他にも、ウィルスによるものであるとか、共生体(ミトコンドリアと葉緑体)なども不連続な進化過程です。
 一気に、生物の形態が変わるのですな。まぐれみたいな事故によって。まあ、一気にといっても宇宙時間的には一瞬でも生物にとっては長いでしょうけどね。
 考えてみれば、これまで地球上に出現した生物の種のうち99.9%は絶滅しているそうですから、ホモ・サピエンスがたかだか1万年くらい偉そうにのさばっていたところで、成功した種とはまだまだ言えないんですけども。
 
 私が常々不思議に思うのは、どうしてバクテリアみたいに分裂で増えるのではなく、進化の過程でオスとメスという性をわざわざ作ったのか? ということです。
 どう考えても、ややこしくなるだけでしょ。種として増えにくくなるよね。植物なんて花粉とか飛ばすの大変だよ。
 本書ではこの件にも触れられており、もうひとつの個体の遺伝子をカップリングすることにより、生まれる個体が死ににくくなるというメリットがあるそうです。違う遺伝子をミックスすることで頑丈になるんですね。
 なるほど、ふむふむ。
 しかし、それだけでしょうか。私は絶滅してしまわないように、逆に増えにくくしている部分もあると思うんですけどねえ。
 遺伝子情報というのは、生命の設計図ですが、そこにはそういった社会的な損して得取れみたいな、計算も書き込まれているのではないのでしょうか。バカが勝手に分裂して増えても困るから、オスとメスのふたつの了解でもって新しい生命を宿しなさいみたいな。
 創造説じゃありませんけど、なんだか神の存在もまんざらじゃない奇跡ですよねえ。地球という星は・・・


 
 
 
 

「昨日の海は」近藤史恵

 四国の片田舎の高校生が、東京から従姉妹母娘が引っ越してきたことをきっかけに、生まれる前にこの世を去った祖父母にまつわる事件の謎を解き明かす青春小説系ミステリー。
 何の変哲もない田舎の16歳の男子の日常と、成長の様が眩しく感じられます。
 小説としての主眼点は、ミステリー部分ではなくてこっちのほうだと思います。
 ミステリーを期待して読めば、物足りないかもしれないですね。登場人物も少ないですしね。
 なんて言いながら、まあ、私は最後まで事件の真相に気づきませんでした。
 あとから考えると簡単そうなんですが。作者の腕かもしれません。
 まあ、それはともかく、主人公の男子がほんとどこにでもいそうといいますか、まんま読み手が田舎者ならば、速攻で感情移入しそうなキャラクターの設定でして、そこが良かったと思います。どこにでもいる、目立たない男子。
 磯ノ森はたぶん高知だろうね、安芸のほうのイメージかなあ。いや、土佐清水方向かもしれません。
 なんとなく、続きが読みたいと思いました。
 光介と双葉の成長が気になります。
 ということは、やはりミステリーというより青春小説ですね。

 少しあらすじ。
 四国の南側。海と山以外は何もない、さびれた片田舎の磯ノ森。
 大江光介は、県内一の進学校に通うも、勉強がそこそこできる以外はなにひとつパッとしない16歳の高校生である。
 自分でも平凡だと思っている。背は低いし、スポーツもできないし、芸術の才能もない。人気者でもない。
 漠然と、大学に進学すれば磯ノ森から出られる、そんなことしか考えていない、高1の夏休みのことだった。
 母の姉である伯母が、8歳になる従姉妹を連れて東京からこっちに帰ってきたのだ。
 帰省ではない、引っ越しである。しかも、住む家は光介の家で同居だ。
 伯母の芹(せり)とは、光介が7歳のときに法事で会ったきりであり、従姉妹の双葉とは会ったこともなかった。
 旅館で働く父、専業主婦の母、そして光介の3人家族に、新たに他人に近い母娘ふたりが加わったのだ。
 はたして、母に似ているが2歳上の芹は都会ぐらしで垢抜けており、双葉は8歳と思えぬくらい大人びた少女だった。
 しかし、当初の不安は思いの外はやく消え去り、光介は芹や双葉と仲良くやれるようになる。
 そんなとき、光介は突然芹から思いがけぬ話を聞いてしまう。
 それは、25年前に事故で亡くなったと思ってばかりいた祖父母が、実は海で心中していたというばかりではなく、どちらかがどちらかを殺した無理心中だった可能性があるというのだ。
 この家で写真館を営んでいた祖父はマニアックな人気を誇る写真家で、息を呑むほど美しかったという祖母は祖父の写真のモデルだった。
 借金が事件の原因らしいが、詳しいことは芹にもわからないらしい。
 ただ、光介にはひとつわかったことがあった。それは芹が時間を25年前に巻き戻すために帰ってきたということである。
 そして芹は、長い間祖父母が死んだときのままになっていた家の店舗部分をリフォームし、カメラ店を再開しようとする。
 写真家だった祖父とモデルだった祖母。生まれるはるか以前に亡くなったふたりの間にはいったい何があったのか。
 光介は、自らの家族の歴史を知るべく、25年前の祖父母の事件の真相を追う。

 うーん。
 あらすじを思い出して書いているうちに、どうも回収されていない伏線があったような気がしてきました。
 祖父の弟子だった水嶋葉の撮る作品の傾向が変わった理由と、シングルマザーである芹の背景、ですね。
 水嶋のは作者が意図して置いたミスリードトラップかあるいは葉が祖父にその気があったという示唆ですかね。
 あるいは・・・彼女は芹がモデルになっていたことを知っていたのかもしれません。
 そして、葉もまたヌードを撮られていたという可能性があります。
 わからないのは、芹の背景が語られていない点です。作品のボリュームの関係でしょうか。
 必要な部分だったと思うのですが・・・双葉の父親はどんな人間だったのか。
 ひょっとしたら、作者は途中で軌道修正した可能性もあると思います。
 まあ、青春部分で満足なら、こだわる必要はまったくないですけどね。
 続編があるのなら、納得。


 
 
 
 
 
 
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