「消滅」恩田陸

 うーん、どうかなあ。
 いつもの恩田陸かあ。面白いのかつまらないのかイマイチわからないという。
 65点ですかねえ。
 今朝の新聞に偶然にも本作の書評が載っていましたが、評者も苦慮していたことが伺える寸評でした。
 ただし、導入がスムーズで引き込まれるのはこの方の作品のいつものことですが、今回は途中の展開も良かったと思います。ミステリー風味でね、しかも閉鎖空間というクローズド・サークルでしたし、諸刃の剣でしたがSF的なヒューマノイドロボットも登場して、私個人的には興味をそそられました。中だるみのない中間は珍しく良かったと思います。
 ただ残念ながら、最後にかけてはいつもどおりの恩田さん、いやそれ以下か、尻すぼみでなんのこっちゃわからない、カタルシスもなければセンチメンタル性もない、誠に寒々しい締め方。がっかりでしたわ。
 新聞連載小説だったから、ゴール目前で疲れたのかな?
 この方って、綿密にプロットを最後まで組み立ててないような気がします。
 漠然と書き始めて、ラストのオチとか決まってないんじゃないでしょうか。
 だから、最後がつまらない小説が多いんじゃないでしょうかね。導入が面白いという裏ですよ。
 背景の雰囲気は独特な、まさに恩田陸しか描けないような世界を持っているのにもったいない。
 直木賞が獲れないのは、SF的だというジャンルのせいではなく、こうした構成にも問題があるのではないですか。
 デビュー作で代表作でもある「六番目の小夜子」もそういえば、オチはないですね。
 あれが面白かったのは、オチを要求される小説ではなかったからです。私は先生が犯人で間違いないと思いますが。
 しかし本作の場合、クローズド・サークルでたった一人の犯人を当てなければなりませんから、答えをボカしたまま終われません。ミステリー小説なわけですね。だから恩田陸の苦手な部分を出さざるを得なかった、そこにこの物語の不味さがあったなあと。
 難しいですねえ。

 まあ、少しあらすじ。導入。
 9月30日、金曜日。おそらく舞台は極めて近未来の東京国際空港。
 日本列島をすっぽり覆うような超巨大台風が迫りつつあり、国際線の着陸が立て込んでいる。
 そして滑走路が閉鎖され、すべての乗客がイミグレーションに並んだときそれが起こった。
 けたたましく鳴り響くサイレン。
 続いて携帯やタブレットが通じなくなる、大規模な通信障害が発生。
 狼狽する乗客たち、戸惑う入国管理官と警備員。
 やがて空港敷地内で爆発音が発生し、ついに入国業務はストップしてしまう。
 このとき入管には、テロリストがひとり、日本に入国しようとしているという情報が入っていた。
 テロリストの情報は、日本国籍を有し、本日の14時から15時に到着した国際便に乗っている。年齢性別は不明。渡航歴多数、あるいは海外生活が長い。そしてスリーパー(前科がない)であるということ。
 テロのキーワードは“消滅”。このテロリストが空港を出た瞬間、何かが消滅するという。
 入管は入国審査でテロリストと疑われる怪しい人物たちをキャッチし、別室に連行した。
 その数、男性6名、女性4名、子供1名。そして飼い主不明の犬が一匹。
 この中に、真のテロリストが混じっている!?
 正体を暴きだすのは、入管でアシスタントをしているという美人型のヒューマノイドロボット、キャスリン。
 おそらく、彼女は国家最高機密であろうかと思われる人工知能である。
 台風で陸の孤島となった空港で、国家の危機を救うべく犯人探しが始まる・・・

 あとWikiLeaksの名前なんだったっけ、あの人がモデルであるアメリカ政府高官の極秘暴露閲覧サイト・ゴートゥヘルリークスを立ち上げたベンジャミン・リー・スコットなる人物も空港に隔離されます。
 テロリストと疑われて連行された日本人たちは、海外経験の長いサラリーマンやNGO活動をしていた女性医師なんかがいるわけですが、普通の上品な中年女性やか弱い母子連れも混じっています。彼らは誰がテロリストであるのか判明しないかぎり、空港から出られないのです。テロリストは前科のないスリーパーであると言われていますが、厄介なことに本人が自分がテロリストであることを知らない可能性もあります。また、世界で流行しかけている死亡率の高い新型肺炎の問題もあって、真犯人探しは難航するのですね。どこから見ても人間にしか見えないキャスリンの行動や言動が中心ですが、彼女はイミグレーションという体制側の存在であるために、あくまでも推理は乗客たちが行います。
 真犯人はともかく、キャスリンとはいったい何だったのか?
 私は最後に実は人間だったというオチかと思ったのですが、結局なんもないまま・・・
 アラを探せば矛盾だらけの小説だったような気もします。


 
 
 
 
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「最強の経済ヤクザと呼ばれた男」山平重樹

 石井という人物は、「最強の経済ヤクザ」「近代ヤクザの典型」という世評とは裏腹に、「根っからの博徒」だったという。
 「石井会長にとって、事業も株も同じ。儲けるとか儲からないということじゃない。勝つか負けるか。根底にあったのは勝ち負け。勝負の発想なんです。それはある意味で、人生は勝つか、負けるか、すべてにおいて勝負だ――とする人生哲学にも通じるもので、そこらあたりは兄弟分であった山本健一親分(三代目山口組若頭)に共通するものがあった」


 稲川会二代目会長・石井隆匡の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション。
 「これからのヤクザは、正当な税金を払って、合法的な資金で合法的に稼ぐべきであり、そのためにも政治経済にも目を向け、国際的な視野を持つべきだ」と言っていた石井隆匡。
 外見はおよそヤクザには見えません。180センチの長身で痩せ型、ロマンスグレーの風貌はまるで大学教授のようであり、酒もタバコもやらなかったそうです。
 私も初めて写真見て驚きました。一流企業の取締役に見える、いや、それより品格があるかもしれません。
 時の世間を騒がした、竹下登褒め殺しの「皇民党事件」や、闇社会の黒い金脈が浮かび上がった「東京佐川急便事件」、そして一連の証券スキャンダルのイメージからすると、ロマネ・コンティを片手に「金もってこんかい!」みたいな、ものすごい強面で押しの強い人間かと思っていましたが、外見はもちろん、内面も極めてソフトであり、想像していたものとはだいぶ違っていました。
 しかし、その実は筋金入りのヤクザの性根を身につけた武闘派だったというんですね。
 旧制鎌倉中学という神奈川で有数の進学校に進みながら、友人をかばって修学旅行で地元の学生と喧嘩したために退学になり、不良学生のグループに入って愚連隊化した戦前から、横須賀の港を押さえる石塚義八郎の舎弟になった戦後青年時代、そして初代稲川会会長・稲川聖城との運命的な出会い、お互いに尊敬できる間柄だったという山口組若頭山本健一との電撃的な兄弟盃、稲川会二代目を継承して取り組んだ山口組と一和会の抗争事件終結に向けての努力、新しいヤクザの生きる道を示したゴルフ場開発や株取引などの事業、そして自ら内弟子として育てた先代の嫡子である稲川裕紘に三代目稲川会会長を無事継承して67歳で波乱の生涯に幕を閉じるまで、石井隆匡という稀代のヤクザの一生が網羅されている好著です。

 まあ、ヤクザが好きな人はいないでしょうけどね。
 戦後の混乱期、不良外国人の暴動鎮圧や反共など治安代行的役割を果たしたのは事実です。
 ヤクザのピークは昭和38年ころ、このとき5107の団体が確認され、構成員は18万4091人いました。
 しかしこのときから警察の「頂上作戦」によってだんだんと絞められていくようになります。
 たとえば、賭博が現行犯から非現行犯でも逮捕されるようになりました。
 後に史上最強の経済ヤクザと云われることになる石井は、このときからそれまでの主な凌ぎであった賭博から合法的事業へとシフトし、新しいヤクザの行き方を模索することになります。
 生き方はヤクザであっても、この方の頭の中は今でいうベンチャー起業家だったと言っても過言ではないでしょう。
 ヤクザの世界で出世するのは、一般企業で出世するのよりも百倍難しいと思うんですね、私は。
 普通のビジネスマンがミスしたからといって指詰めたり、何年間も懲役いったりしないでしょ。
 石井だって信頼していた兄弟分を破門から救うために指詰めていますし、一番長いので昭和53年から59年まで刑務所に入っています。
 おそらくそのまま優等生として進学していたら、ヤクザにならずとも一角の人物になっていたでしょうが・・・
 読み終えた今は、この人の生き方はこれが相応しかったと思いますなあ。ギャンブル好きはともかくとして。
 証券スキャンダルのとき、石井が持っていた東急電鉄株は発行済株式数3%にあたる2900万株。
 平均取得単価は1900円でこれが一時は3600円まで値上がりしましたから、このとき売り抜けていれば300億円以上の利益がありました。
 しかし彼は売らなかった。儲けるつもりはなかったのです。
 男を売るも売らぬも、勝負に負けたときの所作で決まるといいますが、若い時から博徒であった石井隆匡には、金を儲ける以外に尊いものが勝負にはあったということでしょう。勝ってよし、負けてまたよし。
 村上ファンドのおっさんとお嬢さんに聞かせてやりたいですな。
 経済ヤクザと呼ばれた彼こそ根は本来の意味の侠客そのものだった――私の出した結論です。


 
 
 
 

 

「重巡愛宕戦記」小板橋孝策

 第二艦隊旗艦として活躍した重巡洋艦「愛宕」の戦記。
 構成はちょっと変わっていまして、著者が「愛宕」に配属されたのは、ラバウル港外で空襲により傷ついた「愛宕」が修理のために内地に帰投した昭和18年11月15日のことであり、太平洋戦争開戦してからの同艦の戦歴は、このとき著者と交代するように退艦した高橋武士一等水兵(昭和17年11月二等兵曹)の詳細な記録に依っている点です。
 つまり、本書は小板橋孝策さんの著したものですが、その記録はほぼ高橋さんの付けた記録が元になっています。
 高橋さんは艦長伝令の要職にあり、「愛宕」は旗艦であったために戦闘の模様及び艦隊司令部、艦長ら艦内指揮系統の行動はもちろん、海域での戦況まで艦橋で目にし耳にした記録をつぶさに残しておられたようです。
 当時の過大戦果ですね、事実誤認によって戦況が緩くなっていく様がよくわかります。
 海戦などでこちらにいい結果がでると、「愛宕」では艦内スピーカーで戦況を知らせており、兵隊たちが「やった!」と喜び勇むわけですが、戦後判明した史実では、沈んだはずの敵艦は生き残っているのですね。
 このために、調子に乗ってやらずもがなの深追いや反転をしたことも多かったのです。
 ただ、「愛宕」にはハワイ生まれの二世である福島勇という軍属が乗り込んでおり、敵無線の傍受解読をしていましたが、アメリカ側だって大本営のように戦果を拡大して発表していたようです。
 あと、高橋さんの日記を詳細に載せられていることで、改めて感じた点、それは重油補給の大事さと多さ。
 「愛宕」はミッドウェー海戦後、ソロモンを主戦場として赤道を何度も往復しているわけですが、これほどまでに何度も給油作業をしていたのかと、当たり前のことなんですが、気にしたことがありませんでした。
 とてつもなく、油を食うのですね、大艦は・・・そりゃ戦艦なんて動き回れないわ。
 しかも、日本の場合、燃料を積む場所が限られているし、給油船がボロでしょう?
 太平洋という大海の島嶼戦を戦うにおいて、著しく行動が制限されていますわ。勝てないわけだわ。これでは。

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 基準排水量13.550トン 速力35.5ノット 20センチ砲10門 61センチ魚雷発射管16門 搭載機3

 さて「愛宕」ですが、南方進出作戦を展開した近藤信竹中将麾下の第二艦隊旗艦として開戦を迎えました。
 同じ重巡である高雄、摩耶と戦隊を組んでいたようですが、旗艦なのであまり派手な活躍はしていません。
 旗艦であるおかげで映画上映は頻繁に行われましたが、艦隊をまとめる信号当直は忙しかったようです。
 しかしそれでも、6ヶ月間に及ぶ南方作戦で、昭和17年3月にはジャワ沖で敵軽巡を1隻撃沈含む商船や護衛艦など撃沈拿捕18隻を数え、500名を超す捕虜を収容しました。
 「愛宕」の艦長は、伊集院松治大佐。この方、元帥伊集院五郎男爵を父に持ち、男爵位を襲爵していました。
 貴族なわけですが、性格は豪放磊落で、士官に厳しく兵隊には優しく、ユーモラスな好人物であったようです。
 駆逐艦からのご機嫌伺いの信号に、「おかげさまで、ピンピン!」と返してみんな爆笑したとか。
 
 戦勝気分で意気揚々と横須賀に帰投した「愛宕」ですがこのときが、最大の華でした。
 転換のミッドウェーでは、直接戦闘海域には進出していませんが、出撃しています。
 この後、昭和17年8月に柱島から出撃した「愛宕」は、果てしなきソロモンの戦いに没頭していくのです。
 ソロモンを4度見たという「愛宕」ですが、最も特筆すべきは第三次ソロモン海戦の戦闘です。
 昭和17年11月14日、ガ島砲撃の任務を果たすためガ島とサボ島の間に侵入した「愛宕」は4発の魚雷を間一髪かわすと、わずか7千メートル先に敵新型戦艦を発見、熾烈な戦闘を展開しました。このとき「愛宕」は20センチ砲を60発射撃、魚雷を19本発射しています。撃沈確実かと思われた敵戦艦ですが戦後沈没していなかったことがわかり、またこの戦闘で前日の「比叡」に続き戦艦「霧島」が撃沈されました。

 「愛宕」の名物としてならした伊集院艦長は昭和17年12月1日付で退艦。
 後任の中岡信喜大佐は昭和18年11月5日のラバウル港空襲で戦死し、荒木伝大佐が新艦長となりました。
 このとき降りたのが高橋さんで、新しく乗り組んだのが著者です。
 著者は「愛宕」がレイテ沖海戦に出撃しパラワン水道で敵潜の魚雷を受けて沈むまで運命を共にすることになりますが、残念ながらこのときの模様は詳述されておりません。


 
 
 
 
 

「ダイバージェント2 叛乱者」ベロニカ・ロス

 シカゴ出身大型新人作家ベロニカ・ロスによる、SF大作「ダイバージェント」三部作のセカンド。
 時系列では前作「ダイバージェント」のラストからほぼ時間差がありません。
 といいますか、この物語って私らの世界と時間の流れが異なっているような気もするのですけど、どうなんでしょう。
 前作ではまだまだ謎と定義することさえあやふやだったものが、本作ではしっかり輪郭をもってきました。
 近未来ではないかと思われたこの世界ですが、いったいなんなのか。フェンスの外の世界とはなにか。
 「無欲」「博学」「勇敢」「平和」「高潔」そして「無派閥」という派閥世界は、ずばり現代社会のメタファーのような気もします。
 前作では、主に「勇敢」と「博学」「無欲」が舞台となりましたが、今回はストーリーが混沌とする関係上、「平和」「高潔」「無派閥」の派閥社会も表に登場してきます。その中でも農産物を作って供給している「平和」は、一歩間違えると愚かさに繋がるような他人への信頼を持っています。どこかの平和ボケした国民と同じだと見えましたね。
 「無派閥」は、今でいうとテロリストのような不気味な存在であるような気がしますし。
 兵力である「勇敢」と頭脳である「博学」が組めば、最強であるのは疑いありませんし、いつの時代もどの世の中も暴発するのはいつだってこの2つです。
 すると「無欲」は宗教であり、「高潔」は権力資本主義のメタファーのような気がしてきます。
 次作でどう完結するのかわかりませんが、この物語の世界が存在しない“実験の世界”であっても不思議ではありませんし、すべてトリスのセラム(導入剤)による脳内シミュレーションということであっても驚きません。

 では少し導入と次作への展開。
 前作で、「勇敢」の裏切り者と組んで「無欲」を大量殺戮した「博学」の代表者ジェニーン・マシューズの野望を、すんでのところでストップしたトリスとトビアスは、「博学」が不法に「勇敢」たちを支配していた証拠となるシミュレーションデータの入ったハードディスクを持って、マーカス、ピーター、ケイレブと一緒に「平和」の本部へ逃げる。
 「平和」は争いの嫌いな日和見勢力であり、確固たる保護はかなわなかったが、トリスはマーカスと「平和」のリーダーであるジョアンナとの会話を盗み聞きして、今回の争いは、遠い昔の機密ファイルの存在であったことを知る。
 そのファイルは「無欲」が命がけで守り、それを「博学」が殺しもいとわずに奪おうとしたというのだ。
 「平和」の本部を離れたトリスとトビアスが次に訪れることになるのは、「無派閥」の集団だった。ここで、トビアスの母でありマーカスの妻であるイブリンが、実は「無欲」で死んだのではなく、「無派閥」のリーダーとして生きていたことを知る。
 イブリンは、セラムが効かない異端者が実は「無派閥」に一番多いことを把握していた。
 「高潔」の本部も訪れたトリスとトビアスだったが、代表のジャック・カンは「勇敢」正規軍と「博学」「勇敢」裏切り軍(エリック、マックスら)との争いに巻き込まれることに及び腰であり、トビアスはここに至って戦力となる「無派閥」との連携を決めた。
 しかし、トリスにとってはトビアスや新しく「勇敢」のリーダーになったトーリの決定した「無派閥」との連携がきな臭く感じられ、彼女はウィルの件を乗り越えて親友に戻ったクリスティーナとマーカスと共に、独自に「博学」本部へ乗り込む算段を立てる。

 短くあらすじすればこうですが、いろいろありましたなあ、それぞれのドラマが。
 ピーターもあり、エリックもあり、トーリもあり、エドワードもあり、そしてケイレブは・・・
 さらにユライアは異端者であることが明らかになり、リンとマーリーンは残念なことに死にました。
 なぜか生き残ったピーターは、九分九厘死にかけたトリスを救い出すという、信じられない働きを見せます。
 が、油断なりません。この物語、誰もが信用はできません。
 ジェニーンも憎たらしかったですが、結局、彼女のやっていたことの善悪は次作にならなければわかりません。
 どうしてトリスがマーカスと行動を共にしたのか不思議でしたが、彼女は遠い昔の機密ファイルの存在を暴くことの大切さと同時に「無派閥」の目論見を見抜いていたということでしょう。
 そして衝撃のラスト。
 トリスと同じ苗字を持つエディス・プライアーことアマンダ・リッターとは何者なのか。
 彼女の語る、この機密ファイルの意味するところはいったい何なのでしょうか!?



 
 
 
 
 

「陸軍潜水艦 潜航輸送艇マルゆの記録」土井全二郎

 秘匿名は、マルゆ。正式名称を陸軍潜航輸送艇といいます。
 帝国陸軍の、陸軍による、陸軍のための潜水艦です。
 陸軍に潜水艦があったことを知っている方のほうが少ないでしょうねえ。
 私は、レイテ沖海戦関連の本を読んでいて知りました。びっくりした覚えがあります。
 海上を半浮上しながらヨチヨチと進む何ものかをアメリカの艦船が発見して「あれ、なに?」と理解に苦しんだとか。
 白昼堂々と浮上航海する、潜水艦としては極めて非常識な船籍不明の物体は、アメリカ軍だけでなく味方の日本海軍からも輸送船に体当たりされたり、船団護衛艦から執拗な攻撃を受けるなど、まったく認知されていませんでした。
 まあ、潜水艦といっても、ろくに潜航もできないような出来損ないのゲテモノだったわけですよ。
 しかし、作る方、やってる方は、必死だったのです。
 海軍の兵站護衛がまったくあてにならない今、太平洋の孤島で死闘を続ける陸軍の兵隊に、弾薬や糧秣を輸送しなければなりませんでした。仲の悪い海軍には秘密にして、陸軍独自に輸送のための潜水艦を設計して作り上げ、そして出撃したのです。
 本書は、謎に包まれたマルゆ隊員による証言を多く取り上げた、陸軍潜水艦戦史の決定版です。

 まず、諸元のだいたいのところ。
 全長49・5メートル、水中排水量346トン。海軍の潜水艦の2000トンと比べると豆です。
 最大速力は水上9・5ノット、水中4・4ノット。成人男性の歩くスピードより少し早いくらいです。
 水中航続時間は4ノットで1時間、最大潜航深度100メートル(絶対、嘘くさい)。
 搭載能力はコメだけなら24トン、乗員は将校3人以下計25人。
 海軍に内緒でどこで作ったかというと、蒸気機関車の工場や、ボイラーの工場で作りました。
 もっとも、途中で海軍にバレて、兵員の教育などを協力してもらっているのですがね。
 バレた当初は、「陸軍が潜水艦?プ」とバカにした海軍も、輸送の負担が減るならば歓迎ということです。
 マルゆのために集められた3500人の部隊は、海軍教育5年間をわずか3ヶ月という、超促成教育を受けました。
 舟とはまったく関係ない満州などの戦車兵が多く集められました。戦車がもう生産できなかったからです。
 まさに、陸のモグラが海のカッパですな。
 昭和18年10月に、愛媛県三島町にマルゆのための基地が開設され、ここで兵員は猛訓練に励みました。
 しかし、まったく海のド素人である陸の軍人が、たちまちのうちに船どころか潜水艦になじめるわけがありません。
 手さぐりの潜航、水圧の恐怖、狭い不自由な艦内、汚れた空気。まさに潜水艦とは忍苦忍従です。
 さらに、マルゆにはトイレがありませんでした。防臭のために重油を入れたバケツとかでうんこするわけですね。
 まったく、どうしてこんなものが出来たのでしょう。
 潜水艦の命ともういうべきバッテリーは程度の悪い粗悪品で、エンジンはディーゼルエンジンではなく、ベッセルマンエンジンという石油井戸掘削用のエンジンを使用し、隠密行動を要求される航海においてこのエンジンはモクモクと煙を吐きました。
 マルゆ1号艇の完成は、昭和18年12月末のことです。
 さっそく風雲急を告げる出撃を命じられ、3隻のマルゆが昭和19年5月、マニラに向かいました。
 歩くようにして、愛媛の三島を出撃してからなんと51日目にして3隻ともマニラに到着しましたが、長旅の影響ですでに2隻は使い物にならなくなっていました。
 残る1隻(マルゆ2号艇)は派遣隊隊長青木憲治少佐を筆頭に救援物資を乗せてレイテ島に出撃、オルモック湾で撃沈されました。
 終戦までに40隻のマルゆが就役し、5隻が沈没、残存した35隻は戦後米軍によって海没処分されています。

 元マルゆ隊員の方の回想も多く、謎に包まれたこ陸軍潜航輸送艇の真実の姿に迫る良作です。
 マルゆの奮闘だけではなく、どうして陸軍が潜水艦を作らなければならなかったかをわかりやすく説明もしています。
 結局、太平洋戦争は陸軍にとって不慣れな島嶼戦だったわけですが、海軍に任せていてはこれはダメだぞと悟ったのが、遅かったのです。もちろん、戦局が劣勢になる前ならば、海軍が陸軍が潜水艦を作ることを許すとは思いませんけども、頑迷な海軍にとっても頭の転換になったかもしれませんし、空母だって陸軍は作ったかもしれません。運用はともかくとしてね。
 出来損ないだけど、陸軍は潜水艦を作った、この意気は買いたいと私は思います。
 海軍だけに輸送を任せていたらジリ貧になったわけですから。時既に遅しですけどね。
 しかしまあ、物質が底をついていたとはいえ、マルゆの設計はもちっとどうにかならなかったですかねえ。


 
 
 
 
 
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