「日の丸ドイツ船」岡村信幸

 半生をドイツの豪華客船シャルンホルストと護衛空母神鷹の顕彰に捧げた著者による、私家本。
 シャルンホルストと神鷹は同じ船です。
 極東航路に就航していたシャルンホルスト号は、第二次世界大戦勃発により、帰れなくなって神戸に係留されていました。
 ドイツから日本の間には、イギリスの管理下にある港湾がほとんどですからね。
 ですから困ったドイツ政府は、シャルンホルストを日本側に譲渡したのです。
 乗組員は、シベリア鉄道経由で母国のドイツに帰りました。
 日本は、シャルンホルストを空母に改造します。
 設計主任であった福井静夫海軍技術少佐によると、譲渡ではなくて、戦後に日本がドイツに2倍の船価を払うという条件がついていたそうですが、両国とも戦争に負け、神鷹が撃沈されて済州島沖の海底に沈んでしまったからには、どうなったのでしょうか。

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 美しかった上部構造はすべて剥ぎ取られ、無骨な飛行甲板になりました。
 呉で改造が決定されたのは昭和17年6月で、完成したのは昭和18年12月15日です。1年以上もかかっています。
 シャルンホルストは、リベットのかわりに電気溶接を採用した最初の大型商船であり、ドイツの最新の造船技術が駆使されていました。これに日本側が手こずったのです。軍艦の神様といわれた福井技術少佐の回想にも、率直に言えばドイツの技術にこちら側がついていけなかったと書かれています。
 結局、ボイラーを日本製に取り替えたのです。これが大変な作業となったそうです。
 ともあれ完成した神鷹の排水量は、17500トン。全長189メートル。速力は21ノット。
 常用27機(艦攻18・戦闘機9)を搭載できましたが、足が遅いですよね。
 連合艦隊ではなく、海上護衛総隊に配属され、船団の護衛空母として使用されることになりました。
 ちなみに、実戦では戦闘機が搭載された形跡はなく、海上護衛総隊の指揮下にある931空の九七式艦攻14機が配備されていたようです。931空は、特定の空母を持たず陸上基地を根拠とした、輸送船団の対潜護衛に特化した航空隊です。
 このへんは、931空の整備技師をしていた方が神鷹に乗り組んで生き残っており、証言をなさっています。
 ただ、神鷹の初仕事ですね、昭和19年7月13日にシンガポールを目指して出撃したヒ69船団のときには、迎撃戦闘機雷電を油田地帯の防空用に運んだと書かれています。
 このときのヒ69(輸送船12)、復路のヒ70(同6)、2回目の出撃である昭和19年9月8日のヒ75(同10)、復路のヒ76(同8)と、ほぼ完璧に護衛の任務を果たしていた神鷹でしたが、3回目の出撃である昭和19年11月14日のヒ81船団への随行が最後となりました。
 ヒ81船団は、南方に転出する陸軍やタンカーを混じえた大規模重要船団でしたが、すぐにアメリカ側に察知されました。
 まず陸軍の輸送船が2隻、潜水艦の雷撃で撃沈され、続いて昭和19年11月17日、神鷹もまた米潜水艦スペードフィッシュから4本の魚雷を受け(3本という説もあり)、航空ガソリンの貯蔵庫に引火、炎に包まれながら、上海と済州島のちょうど真ん中のあたりで轟沈しました。
 神鷹の乗員定員は834名ですが、このときは1200名超が乗り組んでおり、生存者はわずか61名。
 応召の予備役ながら名艦長とうたわれた石井芸江大佐(海兵39)以下、ほとんどの乗員が戦死したのです。

 本書には、撃沈されて長時間海上で漂流しながら奇跡的に生き残った元神鷹乗組員の方の回想が寄せられています。
 甲板士官の今野忠豊少尉(海兵73)、先任下士官の山崎茂さん、そして931空整備士の江口一男中尉の三方。
 そればかりか、神鷹を撃沈した米潜水艦スペードフィッシュの元乗組員の方にまで著者は接触しています。
 すごい情熱。
 それもそのはず、戦前、著者は高校時代に神戸港にやってきた極東航路の貴婦人・シャルンホルストに一目惚れし、乗員のかたと仲良くなって、手紙で交流していたのです。
 その縁が続いて、著者は戦後にもドイツとの貿易にただならぬ尽力をはたしました。
 まさに半生をシャルンホルストとドイツに捧げた著者の夢は、かつてシャルンホルストが係留されていた神戸港に、シャルンホルストと神鷹の記念碑を建立することでした。
 しかし、神戸市役所は記念碑の建立を認めず、仕方なく、そのかわりに出版されたのが本書なのでした。
 大変、立派な本でした。
 本書がなければ、シャルンホルストのことも神鷹のことも、まったく知らないままでした。
 岡村さん、ありがとう。

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「キャロル」P・ハイスミス

 サスペンスの巨匠・パトリシア・ハイスミスが1952年に別名義で出版した異色の恋愛小説。
 私は非常に楽しめたのですが、これは読む人によって大きく感想が変わると思います。
 映画になりました。去年かな。
 キャロル役には、ケイト・ブランシェット。うーん。
 小説を読んだ感じでは、今のケイト・ブランシェットよりキャロルはだいぶ若いイメージです。
 ただ上品さという意味では、なるほど彼女にピッタリとも思える。
 テレーズのほうは、私は映画には詳しくないので女優の名前は知りませんが、こっちはバッチリ、イメージと合っていましたね。夢を持って、貧しくとも前を向いて生きている可愛い女性のイメージです。ちょっと垢抜けないとこも。
 予告編のトレーラーを観ただけなんですけどね。
 是非とも、これを読んだかぎりでは、映画を観てみたいと思いました。

 さて、どうしよう、少しあらすじ。触りだけ。
 舞台はニューヨーク。時代は1950年代初めでいいと思います。
 父を早くに亡くし、母には放っておかれ、宗教学校で育ったテレーズ・べリヴェットが主人公。
 ニューヨークに来て3年。彼女はまだ19歳。舞台美術家の卵です。
 夢を持ってニューヨークに来たものの、生活することで一杯のテレーズは、デパートでアルバイトをしています。
 そして、そのことは起こりました。クリスマス前。
 人形売り場に立っているテレーズに、ミンクの毛皮のコートを着た美しい貴婦人が近づいてきたのです。
 後でわかりますが、この貴婦人の名前はキャロル。彼女の年齢は最後までわかりません。
 ただ、ひとり娘のリンディが幼いこと、夫は37歳ですが資産家であることから、30歳前後かもしれません。
 テレーズいわく、「キャロルと目が合った瞬間に、すべてが始まった」。
 この不思議な間隔はまたたく間に熱病となってテレーズの心を支配し、彼女はダメ元で、配送先伝票に記載されたキャロルの住所にクリスマスカードを送りました。
 すると、なんとキャロルから返事が来たのです。(キャロルはカードを送ってきたのはデパートの男性店員かと思ったと言っていたが、これは嘘だと思います。彼女はわかっていたはずです)
 待ち合わせて会うことになったふたりは、加速度的に親密になっていきます。
 そして、テレーズのほうは付き合っているリチャードが制止するにもかかわらず、キャロルのほうは夫と離婚協議中であるにもかかわらず、ふたりは、ニューヨークから西部へ車でアメリカ横断のロングドライブの旅行に出発するのです。
 しかし、そこでふたりを思わぬ罠が待ち受けていたのでした・・・

 どうしてこれが面白かったかというと、真に迫っていたからです。
 作者自身のあとがきやら、訳者の解説を読んで、納得。
 この物語は、まったくの仮想ではなくて、ある部分(冒頭と背景)までは真実であったことがわかりました。
 作者のハイスミスは駆け出しの作家であったときに、ニューヨークのデパートでアルバイトをしていました。
 そこで実際に、キャロルのような貴婦人を目にして雷に打たれたのです。
 つまり、テレーズとは、作者自身の分身であったわけです。ハイスミスがレズビアンであることは公然の秘密でした。
 ちなみに、キャロルのほうにも実在のモデルがいて、名前もわかっています。
 それが1948年のこと。そして、得た着想を膨らませて、1952年にクレア・モーガン名義で出版されました。
 こういう小説ですからね、ミステリー路線で売り込んでましたから、名前を出せなかったのですね。
 結果、またたく間に、全米で100万部を売り上げるベストセラーになりました。
 道理で、難しい同性愛の機微が、巧みに描かれていたわけです。
 ちなみに、この頃はアメリカでも同性愛というと、キワモノの変質者扱いでした。
 それをクレア・モーガンことハイスミスが、この小説で、壁を破ったわけですね、思わぬハッピーエンドで。
 私から言わせてもらえれば、翻訳者までがこの作品をレズビアン小説と書いていましたが、別にそういう視点で見なくとも、ひとつの非常に美しい恋愛物語でした。単なる同性愛小説ではありません。そういう評価では心外ですね。
 いい小説だったと思います。


 
 
 
 
 
 
 

「幕末志士の手紙」木村幸比古

 「手紙は時空を超えた肉声である」という書き出しに胸が踊ったものの、すぐにげんなり。
 坂本龍馬、吉田松陰ら幕末の英雄29名の“手紙”が紹介され、原文と訳文に手紙の書かれた背景の解説が加えられ、中には新史料の手紙もあるらしいのですが、やはり、手紙というものは、それを書いた人の筆跡でなければ伝わらないということがよくわかりました。
 もちろん、草書はおろか行書も読めないのですがね。
 こうしてコピーペーストされ、活字の楷書に書き直されてみると、動乱の時代を背景に書かれた内容の、切羽詰まったものが、イマイチ心に響いてきません。
 その中でも、坂本龍馬はやはり、時空を超えた面白さを持っていた人間だと思いましたが・・・

 それでは、少し興味をもった部分を紹介。
「伊藤博文」
 安政5年(1858)友人の河野友三郎に宛てたもの。
 博文といえば、低い身分の出身ながら松下村塾の英邁としてのし上がった傑物なわけですが、なにかこう、長州ファイブの映画や小説の影響なのか、ハチャメチャなイメージがあります。この手紙では、昼夜読書をしているという博文が、友人に読書を熱心に薦めたもの。意外?
「高杉晋作」
 文久4年(1864)妻で長州藩のマドンナ、お雅に宛てたもの。
 高杉といえば侠客にもにた豪放磊落な英雄のイメージがありますが、この手紙では、武士の妻はいかにあるべきかを説いた上で、妻に自分の両親の世話を一心に頼むなど、神経質で細かい小男という印象を受けました。
「坂本龍馬」
 元治元年(1864),文久3年(1863)いずれも姉の乙女への家信。
 二通とも傑作。竜馬のユーモア精神が書き出しに見られる。リズムも抜群。風呂できんたまをつめわりて死ぬるものあり(笑)、そんなやついませんよ。この人はやはり漫画そのままの人間だったのだろうかと夢が膨らみました。
「土方歳三」
 文久3年(1963)新選組の支援者である小島鹿之助に宛てたもの。
 なんと、京都でどれだけ自分がもてているかという自慢話。島原、天神、祇園、大坂、それぞれの遊里に自分の女が複数いたという。著者によると、祇園は敷居が高く、この頃の歳三からすれば高嶺の花で、言っていることは嘘だということです。
「沖田総司」
 慶応元年(1865)天然理心流試衛館の支援者・佐藤彦五郎宛。
 山南敬助の死を伝えています。新選組幹部の山南は、土方との意見の対立から脱走し、切腹させられました。沖田とは仲が良く、介錯は沖田に頼みました。山南の死を手紙の最後にそっとPSのように書き加えたところに、沖田の人柄がうかがえます。
「松平容保」
 文久2年(1862)元福井藩主松平春嶽に宛てたもの。
 春嶽から強く要請されて京都守護職を受けた松平容保(会津藩主)が、着任してまもなく、不穏な京都の政情を伝えたもの。不安な様子がアリアリ。貧乏くじ引いたね・・・
「安富才介」
 明治2年(1869)土方歳三の兄・隼人に宛てたもの。
 安富才介は、元治元年(1864)に新選組に入隊し、箱館戦争では土方歳三の側近として活躍しました。維新後は謹慎となり、放免された後、消息不明。マイナーですが、一角の人物のように思われます。手紙は、土方の戦死を故郷の実家に伝えるもので、追悼句を添え、隊士の立川主税に託されました。
「松平春嶽」
 慶応3年(1867)11・16養子の福井藩主・松平茂昭宛。
 龍馬が暗殺された翌日の手紙であり、その時点での情報が載せられています。薩摩の動向が怪しいと判断したようです。薩摩藩のことを芋藩と呼んでいるのが、一興かと。
「西郷隆盛」
 明治4年(1872)会津藩元家老・西郷頼母宛。
 苗字が同じ両者。「西郷同士の親交があったとしたら、頼母の祖先が肥後熊本の関係かもしれない」と著者。新政府転覆を企てた頼母の実弟・山田陽二郎に対する助命嘆願の返しの手紙と思われます。意外な両者の交友です。

「ニホンカワウソの記録」宮本春樹

 根が残虐ながら極めて動物愛護にできてる私は、ニホンカワウソが絶滅したと聞いた時、かなりショックでした。
 最後の一匹がどんな思いで、悲しく鳴きながら生き、寂しく死んだかと思うと、胸が詰まります。
 ニホンカワウソは、ユーラシアカワウソの独立種か亜種であったのかはっきりしたことはわからないまま、ヨーロッパでも韓国でも絶滅は回避できたのに、日本では絶滅しました。
 本書は、ニホンカワウソ最後の生息地となった愛媛、高知両県にまたがる四国西南部におけるニホンカワウソ調査、保護の記録です。
 
 日本にはもはやいなくなったと思われていたカワウソが、四国西南部の海岸部や河川に生き残っていることが確認されたのは、昭和29年のことです。
 愛媛県は、道後動物園が野性のカワウソを捕獲して飼育するなど保護に乗り出しましたが、カワウソはストレスに弱く、幼獣から育てたマツ(メス)が6年6ヶ月生きた以外はことごとく失敗しました。
 さらに高知県ではもとよりやる気がなく、ようやく本格的に調査に乗り出した昭和48年には、すでに個体群の絶滅回避が手遅れになっていました。
 ニホンカワウソの最後の目視は、昭和54年(1979)高知県須崎市新荘川であり、最後の生存痕跡は、平成6年(1994)高知県佐賀町の海岸で発見されたタール便とされています。
 そして昭和29年に四国で生存が確認されてから58年、平成24年(2012)8月、環境省よりニホンカワウソの絶滅が宣言されたのです。

 あまりにも無策でしたが、現代であれば絶滅が回避できた可能性が高いそうです。
 ニホンカワウソは水辺の生態系の頂点に君臨していました。雄の個体で12キログラム以上になります。
 頭は平で、泳ぎながら周囲が見えます。河童のモデルとも言われています。
 足には水かきがあり、2~3分は潜水ができます。100メートルを30秒程度の速さで泳ぎ、数十キロも移動することができたという報告もあります。
 非常に大食で、1日に1キログロム以上のエサが必要なために、一箇所にいては魚を取り尽くすため、いくつかの巣を巡回しながら生活します。よく人になついたそうです。どことなく猫に似ていると思います。
 江戸時代、日本各地に当たり前に生息していたカワウソがどうしていなくなったかというと、明治以降の狩猟による減少に加え、水辺の環境激変が重なったことが原因です。
 カワウソの毛皮は国産毛皮の最高級品とされ、肝臓は肺結核の特効薬として珍重されていました。
 昭和2年(1927)に保護獣として狩猟が禁止された後も、高値がつくために密漁が止むことはありませんでした。
 近代になってからの河川改修、海岸の護岸工事も生息数減に追い打ちをかけました。
 水辺の生態系の頂点にいたカワウソは、底辺の魚が減ればその影響をもろに受けるとともに、漁民にも嫌われていました。
 漁村が日本最大級の魚類養殖場になった宇和海では、環境激変による赤潮発生などでその住処を追われていったのです。

 著者は愛媛の学校の先生であり、内容は四国西南部に限っていますが、写真をまじえたその記録の詳細さは、ニホンカワウソの最期を語るに相応しいものであり、ありし日のニホンカワウソをしのぶには格好の一冊であると思います。
 もういなくなったと思われていたニホンカワウソが、かつて四国の西南部に数百頭ばかりいた。
 しかしそこには県境があり、愛媛と高知両県が共に手を携えて保護に乗り出すことは難しい事情がありました。
 行政は一筋縄ではいかないのです。
 しかし、当時の技術ではストレスに弱いカワウソの養育、繁殖は無理だったと思われます。
 捕獲がどんどん成功していたとしても、残念ながらね。
 まあ、愛媛はまだマシで高知なんて、ほんとやっとこさ調査したときには手遅れって、無策極まりないとは思いますが。
 でも結局は、本州・北海道全域においてとっくにカワウソは絶滅していたのですから・・・
 日本人はもっと考えないといけないことがたくさんあるようですね。


 

「ことたま」柳原白蓮

 執着も煩悩もみんな人間の彩ではある。
 若き日は恋を囁くもよし、壮んなる日は世の名利を夢見るもよかろう。
 しかし大自然のみは恬として無情の流れを続けるばかり。
 美しき花は散りやすく、夢はおおむね裏切られる。恋は悲しと昔からいわれている。
 時の流れは容赦なく、運命はいつも皮肉で無情である。
 迷わぬものに悟りはない。泣かぬものに救いはない。
 泣けよ、叫べよ、悲しめよ。
 迷妄のままに死ぬるも人世、大悟の境に進むも人世。


 柳原白蓮の随筆集。戦前から戦後までの抜粋。
 柳原白蓮といえば、「大正三美人」のひとりとして名高い美人ですが、おそらく、私の個人的な見立てでは、大正にとどまらず日本の歴史上で10本の指に入る、美しい女性ではないかと思います。
 これほど時代を選ばない顔は珍しい。スタイルにいたっては、20歳から81歳で死ぬまで変わらなかったんじゃないか。
 NHKの朝ドラ「花子とアン」で、仲間由紀恵がしていた役が白蓮だったわけですが、ふつうね、モデルされる実在の人物よりも今の女優のほうがきれいでしょ? 今の波留がやってる広岡浅子なんて実際はバナナマンの日村みたいな顔してますよ。
 尾野真千子がやってた、なんだっけ、あのデザイナーの方もしかり。ふつうは、そうですよね。
 しかし、この白蓮の場合に限っては、仲間由紀恵のほうがだいぶ負けていました。
 本当に珍しい例なのですが、相手が柳原白蓮となれば、仕方ありません。
 日本の今の女優で適う方はおそらくいないでしょうから。

 で、そんな絶世の美女・白蓮さんなわけですが、この方は本当に運命に翻弄された女性です。
 まあ、時代が時代なんですけどね。
 大正天皇の従妹に当たる貴族の出なわけですが、逆に勝手に決められた許嫁と結婚させられて21歳で離婚。
 27歳のとき、九州福岡の炭鉱王と無理やりに結婚させられ、不遇の10年間を送ります。
 だいぶ苛められたようです。歌人の道を歩みます。歌集「踏繪」を発表。
 そして知り合った7歳下の弁護士・宮崎龍介と駆け落ち同然で3度目の結婚。36歳。これが唯一愛のある結婚でした。
 このとき、新聞に夫の炭鉱王伊藤伝右衛門に対する絶縁状を公表し、「白蓮事件」と呼ばれて世をおおいに騒がせたのです。
 数奇な運命の女性でしたね。宮崎との間にもうけた長男の香織は、太平洋戦争終戦間際に戦死し、悲嘆にくれた白蓮は、悲母の会を設立し、世界連邦運動など平和活動に力を注ぐことになります。

 本書は、時代を問わず白蓮の激動の半生にわたって綴られたものですが、面白かった部分も多々ありました。
 脈絡もなく抜粋すれば、戦後、自分が題材になった映画を観たときの感想がありました。
 ずいぶん違うと感じたそうです。福岡の炭鉱王伊藤伝右衛門との生活は、本当に針のむしろだったそうです。
 「花子とアン」でもそうでしたが、どちらかというと、束縛されながらも豪奢な生活をしていたのかと思えば、お金もろくにくれなかったそうです。もしも映画通りであれば、私は今も福岡にいたでしょうと。死ぬことまで考え、もうどうしようもなくなったから、宮崎に救いを求め、彼に身も心も捧げたのですね。
 あと少し不気味で夜中トイレに行けなくなる話もありました。
 白蓮の実家である柳原家に伝わる、霊魂が宿るという人形の話なんですけどね。
 マジで怖いですからね、ここには書きません。
 他には、10歳のとき預けられた養父が明治維新前の朝廷に仕えた稚児の方で、そのへんの興味深い話もありました。お上が局のところに向かっているときは、おめんどう(廊下)でお上とすれ違っても、素知らぬふりで頭も下げてはならないそうです。なぜなら、そういうことをやりに行っている途中で挨拶をされてもお上が恥ずかしく思うだけだから、見てないものと扱うというわけですね。
 戦後最初の首相で、開戦にも反対していた東久邇宮からの歌もあります。
 それを読めば、あのときに東久邇宮が首相をしていれば、日本は戦争に踏み切らなかったんじゃないかと改めて思います。
 
 この方で唯一謎だと思うのは、最初の結婚のときに子供を生んでいるわけですが、その方に関する記述がまったく見られないこと。もちろん、本書でもそうですし、他でもそう。
 まあたぶん違うと思いますが、この方って芯は、ものすごく偏った方なのではないかということを、うっすらと感じました。
 つまり、愛したものにはすべて捧げるけども、気に入らなかったものは、生涯許すことはないんではなかろうかと。
 と偉そうに云えるくらいの、知識は私にはないんですけどね。
 中味を読むのと変わらないくらいの時間をかけて表紙の美しい顔の写真を見ていると、なんだか、なにか裏面があるような感じがして仕方ないんですよね。


 
 
 
 
 
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