「塀の中の少年たち」斎藤充功

 「少年法」を利用することによって、再生の人生において成功者になった人間はいる。
 しかし、少年法に守られるといっても、彼が犯した過去の過ちがなかったことになるわけではない。
 更生とは過去をすべて消し去ることではないのだ。


 古い資料もありますし、元少年Aの「絶歌」出版に便乗した寄せ集めの少年犯罪ドキュメント本かと思いきや、中盤からは興味深い事実が載せられていたりします。
 特に2つ。
 ひとつは、わが国犯罪史上において稀に見る重大かつ凶悪な犯罪といわれる、「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の、主犯格の少年と刑務所で一緒だった男性の証言。冷酷で残虐な犯人の真の姿とは。
 もうひとつは、昭和44年に起きた「サレジオ高校首切り殺人事件」で、同級生の首を切断して殺した犯人の少年の、数奇な人生。少年法によって新しい人生を手に入れた彼は、なんと司法試験に合格して弁護士になったのですが・・・
 まあ、後述しますかね、暇があれば。
 他にも、平成21年に宮城刑務所で首を吊って自殺した70歳代の男性受刑者が誰であったかを突き止める話も、興味深かったと思います。66年前の事件の関係者を探し歩くというのも、すごい。

 でもまあ、とりあえずは元少年Aでしょ。
 いわずもがな、18年前の神戸市連続児童殺傷事件の犯人のことですね。
 2005年6月に関東医療少年院(6年5ヶ月)を退院して自由の身となった彼は、2015年6月に33歳で「絶歌」を出版しました。周知の事実ですね。日本中が非難轟々です。
 私は絶対に読みません。怒りに震えます。
 著者は「元少年A」ではなく実名で出版していたらどうだったかと書いています。
 もちろん、殺人犯が本を出版したことはこれまでに何度もありますが、今回のはちと違うと思う。
 いったいに、猫の屍体を解剖して射精するような子供が、数年塀の中で治療したところで治るのですか?
 それは病気ではなく、性質なのではありませんか? 性質は治る治らないの次元の話なのでしょうか。
 サイコパス殺人(衝動を制御できない反社会的人格による快楽殺人)に大人も子供もないでしょ。
 犯罪ってのは、中身が問題だよ。刑期が何年とかそんな数字で見えるものではない。
 ましてや少年法が改正されて厳しくなったとはいえ、それだけで解決できる問題ではまったくないと思います。
 彼は美達大和のように直観像素質(一度見た光景を写真のように鮮明に記憶できる)を持ち、塀の中で難しい溶接の技能資格を取得しています。基本的に頭がよいのです。
 病気以前の問題でしょ。彼は今でも殺人者ですよ。少年法に守られたからって殺人者に「元」なんて付きません。
 何が「元少年A」かと。こんなのを自由の身にしておいて大丈夫なのですか。

 これに関連して、著者が調べたのが昭和44年の「サレジオ高校首切り事件」。
 登山ナイフで同級生の体を滅多刺しにして首を切り落とした15歳の加害少年は、少年Aと同じく医療少年院を退院した後、養子で姓を改姓し、大学の法学部で猛勉強して司法試験に合格、弁護士になりました。
 びっくりだね。ほんと驚いた。
 しかしまあ、これだけならいい。びっくりするけど、更生していい弁護士になれば、美談ともいえるかもしれない。
 ところが、こいつはテレビ出演し、「事件を犯した当時は未成年だし前科はついていない。少年事件はきわめて匿名性が高いので、誰もこのことは知りませんしね。弁護士になったのは私の能力であり、その収入は私と私の家族のために使う。被害者には謝罪も、賠償金の支払いもいっさいしていないし、これからもするつもりはない」とやっちゃった。
 この発言によって当時49歳の弁護士だった彼は、視聴者の反感を買い、ネット上で実名と犯罪歴が暴かれて、弁護士を廃業となりました。

 もちろん、少年時代に殺人を犯しても、その後立派に更生した例もたくさんあります。
 しかし、人を殺すのは大きく分けてふたつあるような気がするのですね、私は。
 普通の人格が魔が差して殺人犯になる場合と、先天的な殺人者であるサイコパスの場合。
 このふたつを、一緒のように法律で扱えるかと私は言いたいのですよ。
 守らなくてもいい奴を少年法は過保護に守っているような気がしてなりません。
 少年の仮面を被った怪物がいるんですよ、わかるでしょ。
 最後になりますが、「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」の主犯格A。
 彼と千葉刑務所で一緒に過ごしたという方の、体験談が載せられています。
 それによると、あんな凄惨な事件を起こしたにもかかわらず、刑務所内でAは普通どころか優秀な人間だったそうです。
 簿記2級や危険物取扱の資格を取得し、囲碁をたしなみ、難しい本を熟読し、般若心経を写経するような男。
 刑務所内の人間関係もうまくあしらっていたようで、証言の男性は「事件はAの本来の人格からかけ離れた次元で起こってしまったことではないか」と言っています。事件と間近に見るAとのギャップは信じられないほど大きかったそうです。
 もっとも、証言の男性が少年事件の主犯と会った中で、こいつは人間的にちょっとおかしいと思ったのはひとりだけだったそうですが・・・
 平成11年の栃木リンチ殺人事件の主犯格とも一緒だったそうで、それとの比較は興味深いかと思われます。


 
 
 
 
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「死んでいない者」滝口悠生

 第153回(平成27年下半期)芥川賞受賞作です。
 作者は、滝口悠生(たきぐちゆうしょう)さん。
 まあ、大衆小説ではない文芸作品を扱う芥川賞だから、そんな面白い読み物ではないわな。
 ただどことなく私には映像観が強く伴う作品で、いい意味でクセのある作品ではないかと思いました。
 こんな素人っぽい映画あるよね。
 まったく客観的にお通夜の瞬間瞬間を切り貼りしてみました、みたいな。

 で、本筋。
 といっても、あらすじは書きようばありません。ストーリーがないんですから。
 と書いて気付きました、なんで映画みたいな感覚だったのか理由がわかりました。
 そうかそうか、ストーリーがなかったんだ。
 なるほどね。
 おそらくこれも、死と生の境界を曖昧にさせる作者の意図的なものなのでしょう。
 本作は他にも、時間的なものだったり人間関係だったり、ラストでは空間まで使って、連続的事象における「生と死」の有り様を浮き彫りにしています。
 死と生、死んでいる者と生きている者の違いは何でしょうか。
 ただひとつ確実であるのは、死という概念は、それは生きている者が感じるものなのです。
 死者は生も死も感じられません。
 ということは、生きている者にとっては、誰かが死ぬことによって周辺や自分の状態が変化するということですよね。
 それは大切な人をなくした心の痛みであろうし、物理的な人数の減少でもあろうし、様々な社会的手続きの煩雑さであろうし、滅多に会うことのない親戚同士が会合する機会であったりするわけです。
 本作の舞台は、だから、お通夜。
 登場人物は、埼玉の片田舎に集まった、故人の子どもや孫、ひ孫たちです。
 85歳で亡くなった故人は、名前さえ出てきません。
 このお話において、故人はほとんど放ったらかしです。
 しかし、集会所で行われたお通夜に集まった30人ばかりの人間は、すべて亡くなった故人に関係している人間ばかりです。
 血縁関係もあれば義理の家族もあるし、ゲートボール仲間や幼なじみもいます。
 すべて、死んでしまった故人を中心として、生きている人間が一堂に会した舞台なのですね、お葬式は。
 死んでいて、なおかつ小説では名前さえないのに、故人はこの舞台の主人公になっている。
 そこに意義があるのです。
 もちろん、すべての親族が集まれるわけではありません。
 中には仕事で来られない者ばかりか、数年前から行方不明なんて奴もいます。
 しかし来られない者もまた、このときばかりは集まった人間たちの脳裏に浮かび上がってくるのです。「あの人はどうしているんだろう」みたいな感じで。その逆もまたある。廊下ですれ違って自分の名前を親しげに読んでくれたおばさんの名前と自分との関係がまったくわからないとかね。
 田舎の葬式なんてもう大変ですよ、もう誰が誰だかわからないんですから。
 あんなことに意味があるのかと思いますけどね。通夜振る舞いを泥棒に来ても、わかりませんよね。
 そういえば昔、ラジオドラマでしみじみ怖いのがありました。
 いつも葬式のたびに来ているおばさんが、誰に聞いても誰だかわからないという。
 
 自分まで続く家系の中で、どこかひとつが欠けていても自分はこの世にいません。
 しかし考えようによっては、自分がここにいいるからこそ連綿と家系が続いてきたともいえるわけです。
 同じ血を分けた親族は、確かに大切な存在です。
 しかし、血を分けていながらも、どこにいるのか誰であるのかわからない人のほうが多いんですね。
 むしろ気さえ合えば、義理の関係のほうがうまくいくかもわかりません。血縁と義理の違い。
 そこらへんもこの小説には交えられているんでしょうけど、そこまではなかなか私では読み解けませんね。


 
 
 
 
 

「あの日」小保方晴子

 「私は不注意で、勉強不足であったけれども悪意を持って図表を作ったわけではありません」

 一片の邪心もなかった、と本書では言い切られています。
 一連の事件はテレビや報道で観ていましたし、小保方さんがその取材の姿勢を痛烈に批判している毎日新聞記者の須田桃子さんの本「捏造の科学者 STAP細胞事件」も読んでいましたから、私は本書を読まないわけにはいきません。
 むしろ、待っていました。
 言われっぱなしではいけないし、一連のSTAP細胞事件は理研CDBの笹井副センター長の自殺といい、謎が多すぎます。
 一体、あの日に何が起きていたのか?
 脚光を一身に浴びた記者会見から数日にして、彼女は日本中から大バッシングを浴びせられる立場に堕ちます。
 その裏側には、何があったのでしょうか。はたしてSTAP細胞事件の真実とは・・・

 お昼のテレビで芥川賞作家の羽田圭介が本書のことを「面白くない」と言っているのを観ましたが、本当に全部読んだのかよと思いました。そりゃ確かに100ページまでの専門技術的なことの羅列は苦痛でしたけどね。
 いよいよ騒動が始まる100ページ過ぎてからは、けっこう熱心に読めました。
 私の覚えている限りでは、一連の出来事とその動きとの辻褄は合っていたように思います。
 つまり本書で、小保方さんが切々と訴えられていることと事件は符号しているように見えます。
 もちろん、本書がすべて真実であるとはわかりません。
 一片の邪心もないと言いながら、すべて計算し尽くしたサイコパスかもしれません。
 しかしまあ、傍から見ていて、おかしいようなことの多い事件でしたからね。
 真相が永遠に藪というよりは、こういうものが出てよかったと思いますよ。
 伏魔殿のような世界ですからね、科学の世界は。

 結論からいきましょう。
 私が読み解いたところでは、本書で小保方さんが訴えていた一番肝心な部分は、STAP細胞の研究を主導していたのは、彼女が筆頭著者となってNatureに提出した論文のシニアオーサーであり、クローン研究の第一人者である若山照彦さんであったということ。彼女は、若山先生が理研にいた頃の若山研究室のポスドクであり、若山先生に言われたまま実験と論文を作成していたとのことです。ですから、彼女は逆に検証が不十分なまま論文を提出することに異議を感じていたというのですね。
 彼女曰く、STAP細胞ができたと言っていたのは、他ならぬ若山先生だそうです。
 彼女はSTAP細胞を完成させる実技的な技術はなく、まして実験に使用されたマウスは、若山先生が系統を管理して小保方さんに渡されたものであって、彼女はマウスにいっさいタッチしてないそうです。
 それなのに、騒動になって若山先生はいっさいの責任を彼女に押し付けて、まったく何も知らなかった傍観者のようなふりをして世論の裏側に逃げたと。まるで被害者であるかのように。
 つまり、彼女に言わせれば、STAPが偽物だというのは、若山先生が作った細胞を若山先生自身が調べて「おかしい」と言ったのです。
 いつのまにか、ハシゴを外された小保方さんが研究をすべてやっていたようにバッシングの矢面にされてしまったというのです。
 ちなみに、ハーバート大のバカンティ教授は、以前小保方さんが研究室に所属していた関係で論文の名を連ねる形になっているだけで、実質的な研究には参加していません。サッカー選手に例えれば、小保方さんはハーバートから理研にレンタルされているような関係でした。バカンティ教授が論文撤回を最後まで渋ったのは、一応論文に名を連ねているために、日本と違ってアメリカでは論文撤回などの傷が経歴につくと失職する恐れがあるからとのことでした。
 笹井副センター長の自殺の件ですが、この騒動を利用して理研内部で力の強かった笹井さんを貶めようとする勢力があったそうです。その政治的な陰謀に巻き込まれて、とことん苛められてしまったことが原因ではないかというふうにとれる書き方だったと思います。笹井さんは、若山先生のために論文を書いていた小保方さんの論文の書き方をNatureに掲載されるように指導しただけです。
 そして小保方さんの早稲田の博士論文捏造の件。
 これは、論文を提出する最終期限日に製本がずれ込んだために、実際に審査されたものではなく、慌てて間違って最終バージョンではない推敲の形のものを製本に回してしまったということです。
 謝罪記者会見のとき言った、STAP細胞を200回作ったという件。本当は違うことを言ったのですが、メディアに編集でそういう誤解を生む発言にされてしまったとのことでした。
 これどうだったかなあ。私、生でテレビ観ていたような気がするのですが、鼻の穴しか見ていませんでしたから、ちょっとわからないね。編集だったのかなあ。本書で小保方さんの言うことで一番怪しかったのはここだと思いますが、前後と整合性はありました。STAP細胞を作るには、若山先生がいなければできないということですね。
 
 まあ、他にも色々あるので気になれば読んでみてください。
 私は、はっきり言って、それが本当にせよ嘘にせよ、一連のすべてをやれるような能力のある人間そして科学者では、小保方晴子という人間はないと思いました。
 この人、ドジだし、頭が悪いと思う。こういう大それた騒動の中心人物にはなれないと思います。
 生け贄にされたという話のほうが通りやすいと思うね。
 それでも29歳という若さで理研CDBの研究室主催者までなったのは、運が良かった割合が大きいのではないでしょうか。
 でもえてしてこういう人が、ノーベル賞なんかと紙一重なのかもしれないねえ。
 そんなもんかもしれませんね。
 甘いかもしれませんが、私は、限りなく灰色に近い“白”だと思います。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

「死刑に直面する人たち」佐藤大介

 日本は先進国の中では数少ない死刑存置国(死刑という刑罰があって執行している)です。
 国連では、EU諸国などが主導した死刑反対決議に、中国や北朝鮮などと共に反対しています。
 ちょっと異様な光景ですよね。
 でも、日本国内では8割を超す人々が死刑を容認しているのです。極刑もやむを得ない、と。
 客観的に見れば、世界の潮流からは、ずれてきているんですよね。
 比較するのはおかしいかもしれませんが、これはちょっとクジラの問題とは違います。
 いくら世界中から怒られても、実際、クジラを好んで食べる日本人の方は少ないです。
 しかし、死刑制度は違います。
 おそらく大半の日本人は、抑止力としての死刑がなくなれば犯罪が増えると考えているはずです。
 私もそうです。もし自分が被害者の遺族になったならば、私の性格上直に容疑者を殺してしまうかもしれません。
 しかしそれはできないとなれば、遺族の代わりに国が仇討ちをしてくれるのが死刑であると考えられます。
 死刑は必要であると、考えます。
 しかし、本当にそれでいいんでしょうか。
 脊髄反射で考えていませんか。熟考の結果の死刑賛成でしょうか。
 第一、私やあなたは死刑のことについて、どれだけ知っているというのでしょうか?
 本書は、法務省で秘密裏に行われる死刑の手続きを経て実際に拘置所で執行されるまでの過程から、オウム真理教事件の確定死刑囚を含む死刑囚たちへのアンケート(死刑制度に是か非かなど)、死刑囚が最後に会話を交わす教誨師や刑務所職員の体験談、死刑囚家族と被害者遺族による死刑制度に対する賛成反対それぞれの意見、絞首刑の仕組み、世界の死刑制度の潮流までを網羅した、ドキュメントです。
 これを読んで“死刑に直面した”あなたの、死刑感は変わるかもしれません。
 いや、きっと変わるでしょう。

 裁判で死刑が確定すると被告人は死刑囚となり、絞首による死刑執行施設のある拘置所に収監されます。
 死刑囚は執行によって死ぬこと自体が刑であり、服役囚のように刑務所で労務作業することはありません。
 静かに死を迎えさせることが処置の基本であり、外部からの接触は制限され、余計な雑音のない遮断された環境に置かれて、その時を待ちます。基本的に運動(希望すれば30分)や週に数日の風呂以外は、一日の大半を独房で過ごします。
 死刑執行を知らされるのは、執行日当日の朝です。
 昔は前に知らされていたのですが、執行までに自殺する者が多かったので、改められました。
 暴れた場合に備え、屈強な警備員が配備される中、大概は地下にある執行室に連行されます。
 仏教やキリスト教の教誨師と話を交わし、お茶や菓子を薦められ、遺書を書いたら、死刑執行です。
 踏み板に立ち、刑務官が手首を縛って首にひもをかけ、踏み板が外されるまでほんの数秒の出来事です。
 本書を読むまでまったく知らなかったのですが、下で落ちてきた体を受け止める役の刑務官がいるそうです。
 急激に落ちてきた体がはね上がるのを防ぐためで、この役目が一番嫌がられるそうです。
 絞首刑は残虐であるのか、どうか?
 この問題は、死刑制度の是非とはまた異なった問題であると思います。
 絞首刑は残虐だから止めろという裁判が実際に起こされたときは、火炙り、釜ゆで、はりつけ、さらし首などにくらべ絞首刑が残虐とは言えないという判決が出ました。すぐ意識が飛ぶので、絞首刑は楽なのだという外国の報告書もあります。
 しかし、実際にはヒモの引っかかり具合によって死ぬに死ねず、苦しむ場合もあるようです。
 どうでしょうか。見た目が関係ないのでしたら、されるほうにしてみれば、ギロチンのほうが絞首刑よりは楽でしょうね。
 いずれにせよ、日本の死刑執行が絞首刑と決まったのは、140年前の明治時代のことであり、しかも憲法ではなくて、明治憲法ができる前の太政官布告を根拠とするものです。
 少なくとも、死刑の是非はともかく、間接的に殺人者となりかねない刑務官への負担がかかりすぎる絞首刑はそろそろ考え直したほうがいいと思います。
 死刑囚のアンケートで希望している人がいましたが、死刑囚自らがスイッチを押すタイプの筋弛緩剤注射がいいのではないですか。

 私が死刑について考えるようになったのは、北欧で銃乱射事件があったときに、テレビの街頭インタビューで普通の八百屋のおばさんみたいな現地の人が、「犯人を生んだのは、私たちの社会なのだ。彼だけの責任ではない」と言っているのを見て、非常にショックを受けてからです。伊達に北欧は社会先進国ではないなと思いました。
 殺人犯を生んだのは、我々の社会なのだ。我々にも責任がある。これを日本人で思える方がどれだけいるでしょうか。
 ですが、つい最近、これと似たような言葉に出会いました。
 名古屋か東京だかで家にゴミを溜め込んでいる迷惑なゴミ屋敷が火事になって燃えたのですよ。
 隣家も巻き込まれました。しかしリポーターに対して隣家の人は健気に「あの人をそのままにしてしまった私たちにも責任はあるのだ」と言っているのを聞いて、私は感動しました。レベルが高い人はいるのだ、と思って。
 私だったらレポーターのマイクを取り上げて「おっさんぶち殺したたろか」とか言いかねないですよ。行政に責任転嫁するとかね。
 結局、意外にも冷淡であると思われる日本人の社会性が高まらない限り、内からの死刑廃止はないでしょうね。
 日本と同じく唯一の先進国死刑存置国であるアメリカが死刑廃止すれば、遅からず外圧によって死刑は廃止となるでしょう。
 結果がそれでは、格好が悪いと思います。
 かといって、私のなかでは「もしも被害者遺族となったらどう思うか」というジレンマもあります。
 折衷案として、死ぬまで釈放のない終身刑を取り入れたとしても、結果として己の払った税金で人殺しを養育する制度を是認できるか?
 本当に難しい問題です。


 
 
 
 
 
 
 
 

「江戸参府旅行日記」エンゲルベルト・ケンペル

 近世日本の風俗・文化が知れる大変貴重な試料です。
 ドイツ人の博物学者エンゲルベルト・ケンペルの、2回にわたる長崎から江戸への往復旅行見聞録。
 出島のオランダ商館長に付いて、参勤交代のように遠路はるばる江戸に参って時の将軍(綱吉)に拝謁しました。
 1691年(元禄4年)と翌年1962年(元禄5年)のことです。
 行程は長崎から小倉まで5日、下関から船で瀬戸内海を大坂まで1周間、大坂から東海道を江戸まで2週間ほど。
 途中、現在の地名で本州からは京都や滋賀、三重、愛知、静岡、神奈川を経由しています。
 この道中録が、かなり詳細に記述されています。たとえば、富士山は世界で一番美しいかもしれないとか、雨で道がぬかるんでいるのに旅館の主人が膝をついて街道でお迎えしてくれたとか、桑名でハマグリを焼いて売っていたみたいな感じで。
 江戸には20日間ほど滞在し、将軍だけでなく5人の老中や若年寄、大目付、江戸町奉行、宗門改めなどの幕府高官に絹などの珍しい外国産物をもって訪問しなければなりません。
 長崎からの随行はオランダ側がカピタンと1,2名の書記、外科医がひとり許されていました。
 ケンペルは外科医として参加しました。ちなみに彼はドイツ人であってオランダ人ではありません。
 このことは日本側は知らなかったのでしょう。ドイツ人がオランダ語を話せば、彼らにはもう違いはわかりません。
 日本側は、荷役の人夫の他に長崎奉行配下の与力が付添検視として道中責任者となり、同心などの警護役が附きました。しかし、警護役とは名ばかりで、実際には監視役です。まるで捕虜のようだったとケンペルは回想しています。
 自由な行動、日本人との接触はまったく許されていませんでした。
 その中で、よくもこれだけ詳しく日本の風情を書き取れたものだと感心しました。

 1651年に生まれたケンペルは、西欧の言語からロシア、アラビア、インド、シャム(タイ)そして日本などの言語にも通じた博学の人物であり、人生の半分以上を外国で過ごした当時の世界随一の旅行家です。
 ですから、中世の日本人が日本のことを書くのとは全然違います、他国との比較ができますから。
 冷徹で博識な目でもって、外国との比較によって日本のことを観察できるのです。
 この当時の日本人が日本のことを書いても、それがあって当たり前の視点ですからね。
 たとえば本文によれば、品川の刑場の側を通ったときに首も手足もない人間の遺体を犬が食い回っていた、カラスもやってきてついばもうとしている、みたいな光景が、当時の日本人には当たり前であったならば、あえて書かないでしょう。
 長崎でも密貿易の咎で、拷問やら処刑もしまくってますからね。野蛮な時代ですよ。
 また、この国ほどどの街道をいっても旅館や道端に娼婦がたくさんいる国はないとも書いています。
 当時はオランダの他に中国のジャンク船も出島に来ていましたが、中国の青年の性のはけ口になっているとまで書かれています。これだって、日本人からしたら恥だと思えば書かないでしょうし、旅館に売春婦がいるのは江戸時代の日本では当たり前のことです。現代の我々が知らないだけであってね。
 だから真実の近世日本を顕した本書の史料としての価値は一級品です。もちろん、彼が書いてあることが本当ならば、ね。
 世界中を見てきたケンペルをして、百姓から大名まで、およそ礼儀正しさという点で日本人に勝るものはいないそうです。
 また日本人は才気があり、好奇心が強いとも書いています。
 一方で、長崎から随伴してきた長崎奉行配下の日本人はクズばかりとあり、この国は幕府の官憲と僧侶が偉そうにしすぎているとも書いてあります。ですから、人名の間違いや思い違い以外は、真実だと思います(笑)

 特に面白かった箇所がふたつほど。
 ひとつは、どこにでもいるような横町の悪童たちが、彼らオランダ人行列をからかうことが何度もあったこと。
 子どもたちは「唐人、バイ・バイ・・・」と歌いながら、後を追ってきたそうです。
 「唐人、バイ・バイ・・・」は中国人をからかう歌だそうで、子どもたちにはもちろんオランダ人とシナ人の区別はつかず、またバイ・バイの意味ももちろん知らないでしょうが、当時でもこんなことがあったのかとびっくりしました。
 子供の乞食はものすごい多かったそうですがね。
 もうひとつは、将軍の徳川綱吉に謁見したときの模様。
 外国人が珍しいのと好奇心からでしょう、すだれの向こう側に大奥の婦人たちがたくさん覗きに来ていたそうです。
 そして、将軍からは「歌を歌え」だの「踊れ」だの、外人は喧嘩して仲直りしたときどのようなジェスチャーを示すのかという実演をさせられたり、外人の男と女はどのように愛をかわすのかと聞かれキスの動作をしたときには、すだれの向こうも爆笑したそうです。
 一方で、綱吉から世界で最新の健康に効く薬は何かと聞かれ、適当に答えたところ、「ここで作れるか」と聞かれ、「作れません。バタビア(ジャカルタ)でなら」とこれも適当に流したのですが、その後長崎に帰ってから、ケンペルの乗るオランダ船が巡検の捜索にあったそうです。これは綱吉が命じたに相違なく、猜疑心のある徳川綱吉という人間の本性が浮き彫りになっていると思いますねえ。
 いずれにせよ、ためになる面白い本でした。


 
 
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