「夜叉桜」あさのあつこ

 弥勒シリーズ第二弾「夜叉桜」を読みました。
 やはり、面白い。
 時代ミステリー小説として、レベルが高い。
 どうしてこのような面白いシリーズを知らずに放ったらかしにしていたのか、本当に私の目は節穴でしたね。
 読みやすいですし、文章に含蓄もあります。
 一風変わった主人公である木暮信次郎と初老の岡っ引き伊佐治のコンビのキャラクターも味があるし、遠野屋の謎というシリーズ通じてのミステリーが物語に奥行きを与え、刀槍の駆け引きも申し分ありません。
 刀槍の駆け引きとは、チャンバラアクションというよりも、殺意のにじみ具合とでもいいますか、鯉口を切ったものの動けないとか、間(ま)の部分ですね、これがなんとも巧い。読みやすいですし。本作では、遠野屋清之助が背中を見せているのに、格が違いすぎて伊豆小平太は斬り込めなかったところとかね、面白いと思いましたよ。

 簡単にあらすじ。前作「弥勒の月」から約半年後。
 江戸に切り裂きジャック! 犯人は血に染まった狂人か?
 連続私娼殺害事件が発生。いずれものどを刃物で捌かれていた。
 北定町廻り同心である木暮信次郎と老練な岡っ引きである伊佐治親分のコンビが事件の謎を追う。
 このふたり、仲がいいのか悪いのかわからない。
 信次郎の父だった右衛門の頃から十手を預かっている伊佐治だが、信次郎は父親から暖かさも心遣いも受け継いでいないようの見える。信次郎は執念深く偏狂であり、才を武器に人を弄ぶ。言うならば知性を持った蛇である。
 しかし、怜悧な頭を持っている。同心として愚者ではない。若くして様々な事件を解決できる能力がある。
 信次郎に対する違和感や不信が積もり続けている伊佐治だが、江戸八百八町に事件は待ってくれない。
 すでに2人の女娼が殺され、いまだに下手人の手がかりがない。
 しかし、おいとという17歳の切見世の女娼が3人目の被害者となったことで、有力な情報が得られる。
 おいとは森下町の小間物問屋「遠野屋」の簪をさしており、遠野屋の手代である信三と幼なじみであることがわかったのだ。
 よりによって、遠野屋。
 遠野屋清之助は、前作から信次郎が拘り続ける男だ。
 清之助はさる藩を脱藩して商人になったが、元はれっきとした武士であり、国を捨て過去も捨てた謎の男である。
 前作からの因縁。結局、何もかも遠野屋に繋がるのか・・・
 ひとまず、手がかりを得た信次郎と伊佐治だったが、突然、清之助が腕のたつ何者かに拉致されるという事件が起こり、状況は混迷の色を深くする。
 事件の真相はどこに!?

 遠野屋清之助が出てきたことで、面白いこと間違いなしと思いました。
 ちゃんと、前作のいい流れを持ち込んでくれたんだなと。
 役者は二人(信次郎と伊佐治)では足りません、清之助だってこのシリーズの主役とも云えます。
 ことに本作では、あれほど清純で清之助を江戸まで逃がしてくれた兄の宮原主馬が、人が変わったようになっていましたね。妻も子も殺されて、命からがら江戸に逃げてきた彼が、清之助に頼んだことは、藩の筆頭家老である今井義孝の暗殺でした。
 父である忠邦がしてきたことは、暗殺闇討ち密殺謀殺によって藩に巣食う魔物を掃除すること。
 その手先となっていた清之助に、あのとき、兄は「もう誰も殺すな」と諭したのです。
 それが打って変わり、「あのときの俺は甘かった。父のやっていたことは誤りばかりではないのだ」などと言い、すっかり江戸の小間物問屋「遠野屋」を差配する青年実業家となった清之助に、再び人を殺せと命じるとは・・・
 まだどこの藩であるのかわかりませんが、藩政は腐り、よほどこの問題の根は深いようです。
 おそらくシリーズを通しての宿命のような謎なのでしょう。
 さて、信次郎と伊佐治親分ですが、なるほど表向きの仲はさらに悪くなったように見受けられますが、見方によればお互いにものをハッキリ言うようになったのです。本当に嫌っていれば、ものをハッキリ言えないでしょうよ。
 だから、このふたりのコンビに問題はありません。
 さて信次郎の肩書ですが、「北定町廻り同心」とは「北」と「定町廻り同心」で区切ります。
 私、バカなので「北定町」というのがあって、そこの同心(警察官)なのかと思ってました。
 正しくは、北、つまり北町奉行所(おそらく)の常勤の同心なんですね。


 
 
 
 
 
 
 
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「百年文庫 地」ヴェルガ・キロガ・武田泰淳

 ポプラ社百年文庫ナンバー45のテーマは『地』。
 どういう意味で使われているかというと、運命の前で人間は無力である、みたいな感じかと思います。
 最初のヴェルガの作品は、己の天命に反した男の悲劇。
 2作目のキロガの作品は、死とは否応なく突然に訪れる。
 最後の武田泰淳の作品は、自然(動物)は人間の策謀を超えたところにあり制御できない。
 まあ、こんなとこかなあ。
 地球の営みの前で我々人間のできることはほんと微力です。
 算段の平兵衛じゃありませんが、けっして意図したとおりにはなりません、それが人生です。
 我々の人生は結局のところ瞬間瞬間での選択からできていると思うんですが、その時々でどれが正解などわかるはずもなく、正解続きの人生でもたったひとつの失敗で奈落に落ちてしまうものです。
 ならば運命に抗うことなく、ひたすら時の流れに身を任せるのもまた生き方なのではありませんかね。
 何が勝ちで負けでもない、失敗を受け入れて優しく生きることができれば、最後に笑えるかもしれません。

「羊飼イエーリ」ヴェルガ(1840~1922)
 舞台はシチリア。時代設定はわかりません、近世かな?
 家も身寄りもなく、野原の中でひとりで生きてきた、牧童のイエーリの切なくて物悲しい物語。
 彼は貧しく、学もないのですが、家畜の放牧や世話に天性の才を持っていました。
 少年のとき、小作人頭の娘マーラのことが好きになったのですが、甚だ身分違い、それでも彼は彼女のことがずっと好きだったのです。一方のマーラのほうは、引っ越したこともあって彼のことなどすっかり忘れていました。
 それもそう、孤独に馬の世話をし野原を駆けずり回るだけが生活のイエーリと、美人で華やかで友人も多いマーラの世界では進む時間が違っているものです。
 大人になって再び出会ったふたり。聖ジョバンニの祭りのときです。
 このときイエーリはいつにない失敗をやらかして職をなくし、マーラのほうは裕福な青年と恋に落ちていました。
 信じられないくらい臭いうんこみたいな服を着たイエーリと、祭りで着飾ってダンスを踊るマーラ。
 もうすっかり交わることのないふたりの人生であったはずですが、運命のいたずらがこの後微笑みかけるのです。
 そしてもう一度、暗転します。
 残酷ですが、それなりに面白かったような気がしました。
 あくまでも、百年文庫というレーベルの平均からして、ということですけどね。


「流されて」キロガ(1878~1937)
 ある意味、ショッキングな一篇。
 ジャングルで、ふいに毒蛇に噛まれた男の物語。
 パラナ川、向こう岸がブラジルで、こっちがパラグアイって、いったいどこだろう?
 ちなみに作者のキロガは、ウルグアイ出身で、アルゼンチンに住み着いてジャングルでの生活などを題材に小説を発表した作家です。ということは、話の舞台はアルゼンチンなのかな。まあ、10ページほどの小編なので細かいことはいいですけどね。なんだか違う作品も読んでみたいと思いました。呼吸が止まるまでが妙にリアルではありませんか。


「動物」武田泰淳(1912~1976)
 地方大学の西洋史学教授をしている南木氏の息子が、地域の有力者が運営している私設の動物園で、熊の子に指を噛み折られる事件が起きました。南木氏も地域の名家であり、夫人は戦中戦後と婦人会でリーダー的な役割をしており、動物園の運営者であるM氏の再三のお詫びや補償を紳士的に固辞したばかりか、彼と仲良くなってM氏の市長選の参謀を務めるまでになります。しかしこれ、南木氏の深謀遠慮といいますか、遠大な計画であり、彼にとっては息子は不幸だったとはいえ、M氏に近づくには絶好の機会だったのです。しかし、くだんの熊の子が動物園を脱走して人を襲うようになり・・・
 南木教授と対照的な存在として、性格も暮らしぶりも彼とは正反対の西川教授というのが出てきますね。
 この人ちょっとおかしいですけど、武田泰淳という複雑な経歴を持つ作家が、どういうメタファーを意図してこの作品で読者に提示させたかったのか謎だなと思います。その真相も現在に生きる私では掴みきれません。
 こういうところが百年文庫の不親切なところであってね、巻末に現代作家による100冊100人分の感想解説を付ければよかったと思うのですよ。

 

「お巡りさんの上手な使い方」石橋吾朗

 あなたを守る最強の道具である警察を使いこなすためにはどうする? という本。
 それを楽しみに読み始めましたが、結局「まずは警察に相談しなさい」ということしか載っていないように思います。
 ちょっと残念。
 もっとこう、なんていうの、警察を使いこなす裏ワザみたいなのがあるのかと思いました。
 考えたら、そんなのあるはずないんだけどね。
 ただし、偶然あるいは必然なのか、ヒントは載っていたように思います。
 ドラマや小説の影響もあり、強権的なイメージがあって、警察に対していいイメージを持たない人も多いでしょう。
 確かに私も、警察というのは日本最大の広域暴力団桜田門組ではないかと思っている節もあります。
 警察が守るのは、一般市民ではなく権力ではないかとかね。
 でも、ちょっと考えてみると、警察というのは無辜な一般市民にとって敵であるはずがないんですよね。
 万一の場合に備えて、警察という組織を知っていることは人生のプラスになるのではと思いますが・・・

 著者が考えたのは、市民が警察を避けるのは、警察のことをよく知らないためではないかと。
 だから、本書で一生懸命警察のことを説明して、理解してくれるように努めています。
 そのために警察の歴史から始まって警察組織の説明、そして警察官個々についての説明にページの大部分を費やし、肝心の第四章「警察の使い方教えます」はオマケ的なボリュームの付録になってしまいました(笑)
 私は、市民が警察を嫌っている最大の理由は、つい最近まで「オイコラ警官」みたいなのがいっぱいいたからだと思います。あるいは、相談しても「事件が起きてから来て」とにべもない態度をとられた方も多いでしょう。
 事件が起きなければ警察は動けません、この言葉、私もよく聞いた(笑)
 それなのに、何もまだ事件を起こしてないこっちは交通違反の切符をバコバコとられる(泣)
 今まで市民が警察を嫌いだったのは、警察側にほぼ責任があったと思います。
 しかし、警察は変わりました。
 1999年に発生した桶川ストーカー事件を契機として。
 被害者が警察に届け出をして明確に危険シグナルを発していたにもかかわらず、警察の手落ちにより発生してしまった典型的な事件であり、この事件のせいでこの種の事案に対する警察の関わり方は大きく変わったそうです。
 個々の警察官の意識も一変したと著者は言っています。
 警察は必要以上に世間体を気にしている組織ですから、へましてりゃ何を言われるかわからんぞ、となったのです。
 マスコミの警察バッシングのはしりになりましたね。
 警察法第79条にも、警察に対する苦情の申し出に関する規定があり、警察官の職務執行について苦情がある者は当該都道府県公安委員会に苦情の申し出をすることができるとしています。実際に、できます。
 現在の警察は、それほど敷居が高いものではありません。
 相談に乗ってくれます。これは私も感じていることです。
 恐れることも恥ずかしがることもありません。
 警察官はえげつない犯罪に慣れています。医者の前で裸になるのと一緒で、向こうは何も感じていません。
 情報提供という意味でも、これからは積極的に市民が警察を利用する意識を持てばいいと思います。
 そうすれば、桶川ストーカー事件みたいなのは二度と起きないのではないですか。
 
 といっても、いまだにバカはいますよ。
 私のとこでは、所轄署の副署長が人身事故で相手を重体にさせた事件が新聞で報道されたのに、平気な顔で交通安全週間の餅つきに来てた。酒気帯びではないにしろ、ちょっと感覚おかしいんじゃないの、と思いませんか?
 いくら組織が変わろうとしても、一部のバカはいつの時代もそのままです。
 それに、いい警官だって、昔からたくさんいます。
 なんたって、全国に警察官は25万人もいる。玉石混交です。
 昨年、路上で泥酔して寝ているところをパトカーに保護された私が、何も偉そうなことは言えないんですけどね。
 誰かが「道で人が死んでいる」と通報したらしく、パトカーと交通規制みたいなバンが計3台も来ました。
 税金の無駄遣いをしました。反省しています。
 親切に自宅まで送ってくれましたが、そういう警察の利用の仕方はくれぐれもやめましょう。

 書き忘れてましたが、著者は警察官人生40年あまり。
 ノンキャリアながら、最高ともいえる警視長(大規模警察ならばノンキャリでも可)まで登りつめた出色の人です。
 

 
 
 
 
 
 

 
 

「薄情」絲山秋子

 絲山秋子と津村記久子の書くものは雰囲気が似ていると感じるのは私だけでしょうか。
 ふたりとも好きな作家ですが、偉そうに言う割には数を読んでないんですけどね。
 なんだかこう、肌触りというか読触りが同じような気がします。
 その中でも何が違うかといえば、おそらく絲山秋子が東京の出身で、津村記久子が大阪の人間であるという、東京の人間と大阪の人間の産み出すものの違いみたいなものを感じます。
 そんなのこじつけだよ、と言われればその通りで、私が色眼鏡で見ているだけなのかもしれませんが。
 しかし、絲山秋子の世界というのは、津村記久子のよりも固くて重いと感じます、もちろん、いい意味ですよ。
 同じ題材でも津村さんのは柔らかくて軽い、当然、こちらもいい意味でですよ。

 で、本作。
 舞台は群馬県高崎市の辺。詳しく言えば合併前は群馬県群馬郡群馬町という場所。
 うそだろと思って調べると、本当にあった。
 「あーねー」とか帰ることを行くって言うなど、しっかり方言も混ぜられています。
 こういうところは、絲山さんは生真面目というか、リアルだよね。
 主人公は、宇田川静生という、伯父の神社の跡を継ぐ予定である男。未来の神主。國學院大學卒。
 齢ははっきり書かれていませんが、一学年下で名大を卒業した蜂須賀が8年前に結婚したという唯一の手がかりで推測すると、おそらく30代半ばではないかと思われます。
 宇田川は将来の神主ですが、定職には就いていません。神社の手伝いもしますが、5月から半年間、嬬恋でキャベツの収穫のバイトを住み込みでしたりしています。実家住まいとはいえ、生活は不安定です。伯父の神社を継いだとしても、祭りや地鎮祭や冠婚葬祭といった宮司の仕事だけでは食べていけません。
 不規則で儲けがないのに結婚して跡継ぎも求められる。そんな自分の立場に、明確に意識しているわけではありませんが彼自身少し嫌気がさしているような感じです。どうなるんだろ、どうにかなるのか、みたいな。
 この物語は、そんな宇田川くんの、前橋に観測史上最高の73センチの積雪があった2014年2月から翌年の夏までの、とりとめもないヒューマンドラマ。彼はどうなるのでしょう。

 彼には無意識にニヤニヤしてしまうクセがあります。そういう人っていますよね。
 一方で、彼は無意識に嫁を探しています。
 なんにも考えていないようでいて、いや実際に彼は何も考えていないのですが、無意識の意識で彼は、久しぶりにあった高校の後輩の女性を、嫁として値踏みしていました。
 そんな反動が、爬虫類系の女性を好むという性癖に現れていますし、無意識だからこそ、変人工房で鹿谷と一緒にいる彼女を見たときに、嫉妬したのです。
 他にも色々な比喩や暗喩が織り込められていますが、作者が言いたかったことは意識の表と裏ということであって、このことがズバッと書かれているのは、
 「誰かを抹消してしまうような薄情さで、よそ者が持つ新しさを考えなしに賛美するとかって、根底的には同じなんじゃないか」という部分。
 この一文は凄いと思います。この一文のための物語といってもいいでしょう。
 さすが、絲山秋子。これは一般人では、絶対に思いつかないというか、言葉にできないね。
 薄情というのは、そこに心がないのです。ですから、簡単に褒めることもできれば、簡単に貶すこともできます。
 同じなんですね、根底は。表に現れたものが「褒める」か「貶す」という形になっているだけで、本質は同じなんです。
 可哀想なのは褒められて喜んだほう。
 怖いよね、人間は。
 そしてそれほど時間もかからずに、褒めたことも貶したことも忘れてしまう。
 されたほうは、覚えている。
 怖いねえ。
 本作では、東京から群馬にきた芸術家(よそ者)の工房が火事になった物語終盤の一件で、そのことを表現しています。
 絲山秋子の凄みを見たような気がします。
 やはり津村記久子より、固くて重いよね。


 
 
 
 
 
 

「ラオスにいったい何があるというんですか?」村上春樹

 「ラオス(なんか)にいったい何があるんですか?」
 というヴェトナムの人の質問に対して僕は今のところ、まだ明確な答えを持たない。
 僕がラオスから持ち帰ったものといえば、ささやかな土産物のほかには、いくつかの光景の記憶だけだ。
 でもその風景には匂いがあり、音があり、肌触りがある。
 そこには特別な光があり、特別な風が吹いている。
 それらの風景が具体的に何かの役に立つことになるのか、ならないのか、それはまだわからない。
 結局のところたいした役には立たないまま、ただの思い出として終わってしまうのかもしれない。
 しかしそもそも、それが旅というものではないか。それが人生というものではないか。


 村上春樹の紀行文集。
 1995年から2015年まで、けっこう幅広い間に書かれた10篇の旅物語。
 この方は、相当な旅好きです。
 私、この方の小説かと思って読んだ「遠い太鼓」が海外滞在記で、これがまためっぽう面白かったのを覚えています。
 だから、これも楽しみにしていたのですがね。
 とんだ心得違いでしたわ。
 「遠い太鼓」は抜群に楽しかったですが、ハッキリ言って本作は駄作だと思います。
 妙に安っぽいというか、村上さんらしく音楽や料理にこだわっているんだけど、なんだか、ただの旅行記。
 「さすが村上春樹」っぽいところはありません。近所のおっさんでも書けると思う。
 この方、最近の小説のほうもいまいちぱっとしないように思うのですが、なんだか憑物が落ちたかのように、普通の人になっちゃったのかもしれませんね。
 つまんね。
 ただ、実用的ではあると思う。店の名前とか国の事情とか詳しいことが書かれていますから。
 たとえばニューヨークの穴場的ジャズスポットとか、アイスランドのガソリンの入れ方とかね。
 でもそれって、ほぼリアルタイムの情報じゃなければ、旅情報って意味ないんですよね。
 去年のガイドブックだって古臭く感じちゃいますから。
 だから、数年前どころか十数年前の実用的な旅行記を読んでも意味があまり感じられないのですが、逆に言えば雑誌に掲載された当時は新鮮だったかもしれません。
 でもまあ云わせてもらうなら、いくら村上春樹先生といえど、簡単に駄文を寄せ集めて単行本でポンと刊行しないでほしいですね。

 まあ仕方ないね、こういうときもあります。
 中身を少し紹介。
 タイトルの「ラオスがどうたら」云々の件は、ラオスの仏都であるルアンプラバンに行ったときに経由地のハノイで、ヴェトナム人から言われた言葉だそうです。私もあのへんらポチポチ旅行していたのですが、タイ人がカンボジア人を馬鹿にしてカンボジア人がラオス人を馬鹿にするみたいな構図があって、ラオスは確かに周辺国からクソ田舎だと思われています。
 私泊まっていたカンボジアのホテルで見たんですが、フロントにやってきた白人を愛想よく迎えていたスタッフが急に邪険になったのでどうしたのか後で聞いてみると、「ラオだってよ、ラオなんだよあいつ」なんて言ってました。なんで白人のラオス人がいるのかそのへんの話は複雑なので書きませんが、要するにまあ、そういうことです。
 あのへんで唯一の内陸国ですし、垢抜けていないのは間違いないですね。
 私の感覚では、ミャンマーの山の方とどっこいどっこいでしょうか。
 人口は日本の20分の1、GDPは、なんと鳥取県の3分の1しかありません。
 で、村上春樹が実際に行ってみたラオスは独自の文化を持つ素晴らしい場所だったと。
 あのあたりだと、村上さんの顔も溶け込んで違和感ないわな、きっと。
 他にもラオス以外9篇あります。
 ボストン2篇、アイスランド、フィンランド、ギリシャの島、ニューヨーク、トスカナ、ポートランド、そして熊本。
 熊本の記事は、去年の9月。18歳のときに一人旅して以来、48年ぶりに訪れた村上さんは熊本城の周りをランニングしたそうです・・・なんだかんだ本作を読んだのも、目次で熊本の文字が飛び込んできたから。
 ギリシャのミコノス島とスペッツェス島は、「遠い太鼓」の再訪になるので、合わせて読むと感傷的かもしれません。
 24年ぶりに訪れた彼の地は、すっかりバージョンアップして馴染みの店も代替わりしていました。
 あとはアイスランドの記事も、「アイスランドってこんな国だったのか」と初めて知ったようで面白かったように思います。
 パフィンていう鳥の顔が星野仙一に似ていると村上さんが書いていて、ネットで写真を観て吹いた(笑)


 
 
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