「ラプラスの魔女」東野圭吾

 ピエール・シモン・ラプラス(1749~1827)はフランスの数学者。
 この方は「もし、この世に存在するすべての原子の現在位置と運動量を把握する知性が存在するならば、その存在は、物理学を用いることでこれらの原子の時間的変化を計算できるだろうから、未来の状態がどうなるかを完全に予知できる」
 という仮説を立て、後年、これが『ラプラスの悪魔』と呼ばれるようになりました。

 まあ、アインシュタインや素粒子物理学未明の、原子が物質を構成している最小単位と思われていた時代のことですね。
 実際には電子は波動しているので、どこにあるか観測しなければわかりません。
 東野圭吾はもちろんそんなことは百も承知で、推理小説を楽しく読めることを損なわない程度の“題材”として、この物語にラプラスの悪魔を使用したのでしょう。だから馴染みにくい量子じゃなくて、馴染みのある原子と作中に何度も書いているのだと思います。タイトルは悪魔ではなく、魔女になっていますが、これはネタバレでもなんでもなく物語の流れです。

 もうひとつ、ナビエ・ストークス方程式というのが出てきました。
 初めて聞く単語です。なんでも、流体力学に関する未だ解かれていない難問だそうです。
 これが完璧に解ければ、竜巻やダウンバーストなどの急激に発生する乱流の局地現象が理論的には予測できるらしいです。
 ほんまかいな。
 近年、地震はもとより異常気象が続いていますから、気にはなるところですが、はたして科学の力で災害の予知ができるのかどうか、動物の第六感のほうが確かなのではないかと思ったりもします。
 いやまてよ、科学はともかく、動物ではなくて人間にそれを予知できる力が備わっていたのならば・・・
 この物語の骨子はそれ。五感で得られる現在の状況に関する情報を即座に解析し、次の瞬間には何が起こるのかほぼ完璧に予測できる能力を手に入れてしまったある少年少女の繰りなす、サスペンス系ファンタジックミステリーです。

 簡単にあらすじ。
 まったく異なる場所にあるふたつの温泉地で、硫化水素ガスによる中毒死亡事故が発生した。
 現地で調査した地球化学専門の大学教授である青江修介は、両方の事件で差し障りの無い専門家としての見解を示したが、本当に単なる中毒事故で片付けてよかったのか、という不安が頭から離れない。
 というのも、火山ガスの発生は予測できないが、どう調査しても死亡事故が起こるような硫化水素ガスの濃度ではなかったのだ。となると、自殺か。あるいは・・・いや、どちらもあり得ない。自殺ならば器具や痕跡が遺されていなければならないがそんなものは見つかっていない。他殺の可能性としては、閉鎖された空間ならともかく、ふたりの被害者が事故にあった地点は、山中とはいえ開かれた野外だった。ガスが何者にも乱されず、一本の筋となって移動し、一点で滞留しないかぎりこのような中毒事故は起こり得ない。そしてそのように人為的に気流を調整することは無理である。
 ふたつの事故で共通している点は、どちらも映像関係者が被害にあったということだ。
 映像プロデューサーと役者だった。これは単なる偶然だろうか。
 さらに青江の頭を悩ましているのは、調査に赴いたふたつの温泉地で偶然見かけた、少女の存在だ。
 彼女は、若い男性の写真を手にして、温泉街で聞き込みをしていたという。
 彼女はいったい何者なのか。探している青年はどこの誰なのか。ふたりはこの謎の事件に関係しているのか?

 うーん。久しぶりに東野圭吾さん読んだのですが、昔みたいにガツーンときません。
 どちらかといえば、好きな方のジャンルなのですが、どうもねえ。
 「パラドックス13」以来、面白かったのがありません。これはたぶん、私のほうが変わっているのかしれないです。
 前はもっと、キャラクターに魅力があったし、展開も緻密かつドラマティックだったと思うんだけどなあ。
 ま、次に期待です。


 
 
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「真実の10メートル手前」米澤穂信

 太刀洗万智を主人公とする、直木賞候補にもノミネートされたミステリー短編集。
 書き下ろし含む6篇。いすれもサッと読める長さで、筆力が高いので読みやすいです。
 ミステリー小説としての出来は、短編ということを差し置いても、まぁまぁ、といったところ。わたしはね。
 ただ、社会性をミステリーに付与する傾向があるので、読む人によれば相当味があるかもしれない。
 ですが、この短編集の最大の呼び物は、やはりなんといっても、太刀洗万智(*>_<*)ノ
 「王とサーカス」しか私は読んでおらす、「さよなら妖精」は知りませんが、なんだか一風変わっている彼女にもう一度会ってみたくなった、本作を読んだのはそんな動機です。
 そうですね、おっさんが主人公だったら読んでないでしょうね。
 今は本が売れない、読み手がいないなんてよく言われますが、魅力あるキャラクターさえ巧く創り出せれば、読者は付いてくると思いますね。プロットもオチも二の次でね。もちろんそれには作者の腕がいる。
 難しいですよ、読者が肩入れするような、登場人物の設定はねえ。
 その点、この太刀洗万智なんて、ほんと謎に包まれていながらも大衆性があるというか(笑)、頭が切れるのに出しゃばらないし、完璧なようでいて完璧ではないし、アイボリーのスーツで隙なく決めるかと思えばグランジみたいな格好もするし、ブランド物のバッグは絶対に持たないし、一瞬冷ややかな印象を与える切れ長の目、背は高くて真っ黒な髪が長く、本作で一箇所だけ見つけましたが“美人”と書かれていました。なかなか小説ではいそうでいないキャラクターだと思います。
 どうだろう、私はスッピンの中島美嘉を地味にしたような顔だと思う。あくまでも、スッピンというのがミソ。
 まあともあれ、これからも注目したい、切れ者の女探偵です☆
 
 で、主人公はすべて太刀洗万智ですが、「王とサーカス」のときと違って語り手ではありません。
 その辺の理由はですね、短編集には珍しく作者のあとがきが付いているので、参考になると思います。
 6篇の書かれた時期もバラバラですね。
 「王とサーカス」の後に書かれたのは、最後の「綱渡りの成功例」と冒頭の表題作だけだと思います。
 「綱渡りの成功例」は、すでに東洋新聞を辞めてフリーのライターになっており、おそらく30歳代前半。
 表題作の「真実の10メートル手前」は、万智がまだ東洋新聞に勤めているときの話ですが、ちょっと複雑でしてね、実は私も読みながらこれは作りがおかしい、と思いながら読んでいたのです。なんだか中途半端なんですよ。あとがき読んで納得。
 ということはね、「王とサーカス」にあった万智が東洋新聞を辞めた理由の相手というのは、当初の構想では藤沢吉成だったのではないか、という邪推もできるわけで・・・

「真実の10メートル手前」
 当初の構想では前日譚として「王とサーカス」の冒頭に組み込まれる予定だった逸話だが、姿を変えてここにデビュー。
 倒産したベンチャー企業の社長の妹だった広報担当者が、手のひらを返した世間から詐欺の片棒を担いでいたように言われ、姿を消した。彼女はどこに消えたのか? 謎を解くカギは彼女から妹にかかってきた電話にあった。東洋新聞大垣市局の太刀洗万智は、新人カメラマン藤沢吉成を連れて、山梨へ!

「正義漢」
 6篇のなかで一番古い(2007年4月)作品で、この作品をきっかけに「さよなら妖精」の太刀洗万智が復活したという。
 夕方、ラッシュ時の吉祥寺駅で人身事故があった。偶然居合わせた現場で、嬉々として記録をとっているのは、大刀洗万智。彼女には、この事件の真相を暴く計画があった。語り手は、万智を「センドー」と呼ぶ十数年前の高校時代の友人。

「恋累心中」
 捜索願が出されていた三重県の高校生の男女が、ふたりとも遺体で発見された。残された遺書からすると、ふたりは世をはかなんで共に自殺したと思われ、発見された地名から「恋累(こいがさね)心中」と呼ばれた。
 語り手はこの事件を探る週刊深層の編集部に配属されて3年目の記者で、現地のコーディネーターに月刊のほうで仕事をしている万智がついた。万智は、ふたりの遺書ノートの最後に「たすけて」の書き込みを発見するというスクープを持っていた。

「名を刻む死」
 福岡県のある市の民家で、62歳の一人暮らしの男性の遺体が発見された。見つけたのは、登下校時に家の前をを通っていた中学3年生の男子。亡くなった男性の日記には「私はまもなく死ぬ。願わくは名を刻む死を」と遺されていた。
 発見者の男子と太刀洗万智が、男性の孤独死の真相を追う。

「ナイフを失われた思い出の中に」
 語り手は、15年前、妹が太刀洗万智の友人だったというユーゴスラビア人(?あるいは周辺)の男性。私にはわからないが「さよなら妖精」に関係した人物の関連だろう。これは読まなくてはいけないな・・・
 妹の友人だった万智に会うため、来日した男性(ヨヴァノヴィチ)は、浜倉市に出向く。記者の万智はそこで、16歳の少年が3歳の姪を殺害した痛ましい事件の真相を探っていた。男性は成り行きから彼女の“捜査”に付き合うことになるが・・・

「綱渡りの成功例」
 書き下ろし。語り手は大学時代の万智の1年後輩の男性。消防団員。
 長野南部を未曾有の豪雨が襲った。山際の高台にある3軒の家が外部との連絡手段を断たれ、孤立した。
 2軒はそのうち土砂に埋まり、唯一生き残った戸波夫妻の救出が全国的に注目された。
 戸波夫妻は高齢で、レスキューによる懸命の救出作戦が展開される。
 救出は成功したが、夫妻の命を救ったもの、それはコーンフレークだった。そこに注目した太刀洗万智は、列島が歓喜に湧いた救出作戦の舞台裏を知ることになる。いや、知っていた。

「量子論から解き明かす『心の世界』と『あの世』」岸根卓郎

 著者は京都大学の名誉教授。
 現代科学の最先端をいく最も高度で“ホット”な量子論を介し、非科学的として排除されてきた見えない心の世界(あの世)を、科学しようと試みたのが、本書です。
 量子論は現在の地球科学をリードするミクロの物理学であり、携帯電話やGPS、パソコン、MRIから超伝導リニアモーターカーにまで理論が応用されており、現在開発されている量子コンピュータに至っては、完成すると今のスーパーコンピュータでは1000億年かかると云われる一万桁の因数分解が、わずか数時間でこなせるようになると云われています。
 間違いなく、世界は変わるでしょうね。
 そして、量子論は、最先端科学で私たちの生活を左右するだけでなく、私たちの心の分野である哲学や宗教の領域にまで踏み込もうとしているのです。本書で扱われている、見えない世界の解明も、量子論があるからこそ挑戦ができるのですね。
 ただ、偉そうなことは言えないのですが、非常に優しく丁寧に書かれていますが、最低限の物理学の知識は必要かと思います。
 それでも、ニュートン力学とアインシュタインと素粒子物理学の初歩くらいわかっていれば、あるいは、本書を読むことによって、これまで見ていたこの世の景色が180度変わって見えるようになるやもしれません。
 私は、オカルトを信用しません。
 しかし、本書に書かれていることは、ある程度、腑に落ちます。
 これは私の脳の容量不足で、電子の共存性や量子テレポーテーションなどわからないところがあるからであり、量子論の体系がおおまかに飲み込めるならば、著者の考え、心の世界の存在に心酔するやもしれませんね。
 本当に面白い本です。
 ただ、補論として巻末に載せられている量子論とタイムトラベルの話題については、前にあった超光速ニュートリノの話題が大きく扱われているので、残念ながら賞味期限が過ぎていると思われます。

 で。
 量子論で、著者はどうやって“見えない世界”を解明しようとしたのか。
 量子論によると、電子は波動性と粒子性の二面性を持つことになっています。
 電子は常に波なのですが、実験者が観測することによって、粒子になります。
 つまり、観測されるまで、電子という存在は実はどこにあるのかわからないのですね。
 有名なシュレディンガーの猫という思考実験があって、毒ガスを放つ放射性物質と一緒に箱のなかにネコを入れると、そのネコは生きているのか死んでいるのか、実験者が箱を開けるまでわからないというのがありました。
 これは、箱を開ける前に結果(ネコの生死)がわかっているのではなく、箱を開けて初めて、事象の結果がでる、すなわち電子が波から点になるのと同じように、目に見える形になるというのです。
 箱を開けるまで、箱の中のネコは生きている状態と死んでいる状態が重なりあってそこにあるのです。
 そんなバカなと思われるかもしれませんが、絶対的存在はこの世にないと量子論で証明されています。
 たとえば、月だって、私たちが見るからそこに存在しているのであって、見なければそこにあるかどうかわかりません。
 人間が見た瞬間に、波の状態が収縮して粒子になり、見える現実の月になるのです。
 これを波束の収縮性と云います。
 月だって人間だって、無数の電子から成り立っているわけです。
 著者はここに注目し、波動性(見えない世界)と粒子性(見える世界)の関係性を考察しています。
 月を見るのは、人間の心です。つまり、この世は私たちの意識(心)とは無関係に形成されているわけではなく、私たち人間の心そのものがこの世を創り出しているというのですね。
 宇宙の万物や宇宙で起こる様々な出来事は、すべて潜在的に存在していて、私たち人間がそれを観察しないうちは実質的な存在ではないが、観察すると実質的な存在となるのです。
 これが実際の電子の実測から実証された、量子論の波束の収縮性、醍醐味。
 「神様はサイコロ遊びをしない」とアインシュタインは怒りましたが、ボーアだったっけ? 「なぜあなたは神様がサイコロ遊びをしないとわかるのですか」と反論し、ボーアが勝ちました。目に見えないミクロの世界では相対性理論は通用しません。

 実は偉そうなことを言うわけじゃないですが、似たようなことは私も考えていました。
 飲み会などで会って初めて友達はそこに存在しているのであって、実は私の世界には彼はいないんじゃないかと。
 二次会の前に別れて、道を曲がって見えなくなった瞬間に彼は消えているのではないかと。
 会うまでの彼は波なのだと思います、もちろん、彼にとっては私も出現するまでは波なのです。
 こういう考え方はおかしいですかね? 私はでも真理だと思いますよ。体も心も電子ですから。

 まあそれはおいといて、私がたまげたのは、この我々の住む三次元世界が多次元世界の投影なのではないかということ。
 つまり、私たちの目にする、二次元の影みたいなものです。
 影は三次元にはなりません。常に二次元で人間について回っていますね。
 ところが、四次元世界の影は三次元であり、我々がそうなのではないかというのです。
 それも、その発信元がミクロの世界からというのですから、この発想は私にはありませんでしたから、新鮮でした。
 読みながら、ああそうかもしれないと思わされてきましたから、不思議です。
 問題は時間なのです。これが一方通行だから、この世は三次元で不便なんですよね。死にますし。
 でも時間が双方向である四次元世界の影だから、この世は時間が制限されているのだと言われれば、煙に包まれながらもなんだか納得してしまう(笑)
 単純に考えれば、二次元の平面を組み立てたのが三次元の立方体ですから、四次元体は、立方体で組み立てられた世界ということです。三次元に住む我々の理解と想像の範疇を超えています。
 今、ダークマターとダークエネルギーがこの宇宙の大方を占めるといって、宇宙物理学の最大の謎となっていますが、あんがい、ダークなのは我々目に見える少数派の物質側なのではないでしょうか。
 おそらく、この世界は見えない世界から見ると宇宙の辺境であり、我々はものすごく不便極まりない、限定された一生を送る不幸な電子の集合体なのかもしれません。
 きっと見えない世界とは、想念の世界なのでしょう。


 
 
 

 

 
 
 

「日本陸軍とモンゴル」楊海英

 将校も兵士も一徳一心となって勇敢に戦い、大日本帝国天皇陛下から与えられた神聖な任務を完遂せよ。天皇陛下に忠誠を尽くし、敵を徹底的に消滅せよ。われわれはチンギス・ハーンの子孫だ。祖先の名誉にかけて戦おう。

 これは、1939年日ソが突然激突したノモンハン事件の前に、生徒たちの奮戦を激励すべく、日本が満州に作ったモンゴル人専用の陸軍士官学校である興安軍官学校のパドマラブダン校長が戦場で披露したスピーチである。
 騎兵を主力とした初陣のモンゴル兵は、ソ連軍の砲撃に耐え忍び、勇敢に戦った。
 しかし、関東軍から届けられた日本酒や缶詰などの慰労品は、日系軍官にはモンゴル人将校より倍多く分配された。
 一般のモンゴル軍兵士には何もなかった。 「日本の食べ物だから、口に合わないだろう」との理屈だった。

 日系軍官はいつも飲んで食ってばかりだった。恩賜もモンゴル人兵士にはまったく配らないし、モンゴル人将校も日本人の半分だった。艱難辛苦と生死を共にしている、という気持ちは瞬時になくなった。モンゴル人兵士たちはそこから日系軍官を恨むようになった。これがノモンハンでの敗戦の最大の原因である。

 はい。
 先の大戦中の日本陸軍とモンゴル民族の関係を振り返った近代蒙古史。
 結局、不倶戴天の敵である中国からの独立を目指して新興帝国である日本を利用しようとしたモンゴルと、大陸に満州という念願の地歩を築いて世界的野心に燃える日本の、束の間の“同床異夢”だったということでしょう。
 モンゴル独立の悲願を巡って、互いに互いを利用しようとした両者。
 モンゴルの優秀な若者は日本の陸軍士官学校を卒業し、満州のモンゴル人居住区(興安省)にはモンゴル人青年を教育する興安軍官学校が、内モンゴル(モンゴル自治邦)にはモンゴル軍幼年学校が、いずれも日本の援助で設立されました。
 興安軍官学校は、すべてのモンゴル人少年が憧れる超人気の教育機関でした。
 13世紀に広大な世界帝国を築きながら、その後は没落の一途をたどり、19世紀からは満州人の清朝に帰順したモンゴル。清朝が倒れた後は、遊牧生活の源である草原を開拓しようとする横暴な漢人の支配に苦しんできました。
 何としてでも中国人の支配から逃れたいモンゴル人にとって、この時の日本ほど光り輝く助っ人はいなかったでしょう。
 当初は、日本の軍部はモンゴルの独立を熱烈に支持していたのです。
 しかし、それがいつのまにか独立不支持になり、さらに最終的にはなんと独立阻止へと転換していくのです。
 まあ、このへんは日本の軍部はバカだけども、一度権力を掌握したからというか、「五族共和」「アジア主義」などと吠える割には周辺諸民族を見下しているという、誇り高き島人・日本人の核心の問題でしょうね。
 美辞麗句を重ねながら、上手く回り出すと「モンゴル独立? 知らねえなあ」などとなれば、そりゃ怒りますよ。
 もちろん、本書は内モンゴル(南モンゴル)出身の著者が書いたものですから、モンゴル人のほうにも何か書かれていない問題があったのかもしれませんが、私はあまりそうは思えないなあ。だって、この頃の日本の軍部は傲慢ですからねえ。
 文化の違いというか、馬はモンゴル騎兵にとって家族同然なのですが、日本兵は「貸してくれ」と言ってきかず、こんなところでもモンゴル人が横暴な日本人を軽蔑するきっかけとなったようです。
 チンギス・ハーンは源義経である、という有名な都市伝説(違うか)も、モンゴル人は嫌っていました(当たり前です)。
 戦後、チベットの虐殺を中国人から命じられたモンゴル人騎兵がやったなんてどぎついことまで書かれていますし、出来る限りの公平な立場で、満州における日蒙間の関係を資料にもとづいて包み隠さず報告されていると思います。
 あんがい、この頃のモンゴルらへんがどうなってたのか、多くの人は知らんでしょ。
 勉強になりますよ、この本は。
 もっとも、ソ連側のモンゴル人民共和国(北モンゴル)、チンギス・ハーンの子孫である徳王が宗主であるモンゴル自治邦(南モンゴル)、そして満州国の内部のモンゴル人(後に日本軍の後ろ盾でモンゴル自治軍を設立)と、読んでいて非常に複雑ではありますが・・・

 満州でのモンゴル人兵士と日本軍の反目は、終戦間際ソ連の侵攻目前に至って、爆発しました。
 おそらく、ソ連側にはモンゴル人民共和国がありましたし、同胞ですから、満州のモンゴル人は連絡を取っていたのでしょう。
 一番有名なのは、日露戦争で日本軍に協力したモンゴルの英雄・バボージャブの子息であり、日本の陸軍士官学校を卒業して、東条英機とも面識があったハイラル第十管区参謀長ジョンジョールジャブが起こした「シニヘイ事件」。
 昭和20年8月11日、対ソ連最前線で、ジョンジョールジャブ参謀長らが指揮して、部隊内の日系軍官軍属38名を殺害しました。この後、ジョンジョールジャブ参謀長は、ソ連軍に投降しています。
 そして日蒙親善の象徴であった興安軍官学校やモンゴル軍幼年学校でも、日系教官を射殺する暴挙がなされました。
 もちろん、敗軍となった日本人兵士を安全なところまで送り届けたモンゴル人兵士もたくさんいましたが、一部でどうしてそのような凶行が行われたのか。
 日本に託した南モンゴル独立が夢散となった今、ソ連に手のひらを返したわけではなく、純粋なだけに親友と信じた人間に裏切られたような、それも積もり積もった恨みがあったのだと思います。打算だけではありません。
 何が五族協和かと、平等かと。「騙された」、そんな無念もあったのではないですかね。
 結局、内(南)モンゴルは、あれほど嫌っていた中華人民共和国の支配を受けることになりました。
 戦後、中国共産党は、150万人弱のモンゴル社会のうち34万人を逮捕し、約10万人を処刑したと云われています。
 夢を見さしてハシゴを外した、日本陸軍の罪は重いですよ。


 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

「なぜ母親は娘を手にかけたのか 居住貧困と銚子市母子心中事件」井上英夫ほか編

 2014年9月24日、千葉県銚子市内の県営住宅で、家賃滞納のため強制退去となったその日、母親(43歳)が無理心中を決意し、中学2年生の娘(13歳)を殺害した。執行官が部屋に入ると、母親の横に絞殺された娘が横たわっており、すぐ異変に気づいたという。母親は娘が活躍した運動会のビデオを観ており、「これを観終わったら死ぬつもりだった」と答えた。
 ヤミ金の返済に追われ、健康保険料も滞納するほどの生活苦で、母親は「家を失ったら生きていけない」と思い詰めた果ての事件であった。行政に相談したが、結果的に生活保護を受けられなかったという。
 母親の事件当時の所持金は2717円で、母親と娘名義び預金口座の残高は合計で1963円だった。

 本書は、この痛ましい事件の原因・背景を糾明して、このような事件の再発防止の方途をさぐることを目的に結成された、「千葉県銚子市・県営住宅追い出し母子心中事件調査団」による、事件周辺の報告および国自治体への提言です。
 ノンフィクション本のようなスタイルではありません。
 どちらかというと、レジュメ片手に様々な研究者が壇上で発表するような形式の、まあいわば“レポート”です。横書きです。
 なぜ母親は娘を殺さなければいけないまでに社会から追い込まれたのか、事件の引き金になった県営住宅からの強制退去という手段は正しかったのか、生活保護を受けられなかったのはどうしてか、などに焦点が当てられています。
 結論は、なるべくしてなった事件ではありません。防げていた、ということです。

 県営住宅の家賃は1ヶ月1万2900円でしたが、これを母親は数ヶ月分滞納していました。
 そのために、千葉県が裁判に訴えて、強制執行という形で追い出すことになったのですが、実は公営住宅には、極めて生活の苦しい世帯を救うための家賃の減免制度があって、この母子は適用されていれば80%の賃料が減免されるはずでした。
 そうすれば、家賃滞納などせずにずべて支払うことができたのですが、県はこの制度を母子に通知していませんでした。
 それどころか、賃料督促の通知から強制退去まで、母親と面談して直に話を聞くことすらありませんでした。
 まったく、血の通わない「はい、バイバイ」という機械的な処理だったのです。
 減免制度はHPなどに開示しているとのことですが、困難な状況に置かれている者ほど情報弱者になりやすいのです。
 賃料取り立て人は、それ専門の民間委託業者なので、そんな制度のことなんて知らないでしょう。
 県ばかりではありません。銚子市は、生活保護の相談にきた母親を追い返していました。
 昨今、悪質なナマポ受給者が増えているので、こうした厳しい「水際作戦」は理解できるのですが、本当に追い詰められている弱者まで切り捨てては話になりません。
 千葉県と銚子市の対応には問題があり、間違いなく、この事件については責任があります。

 しかしですよ、私はこの事件で一番悪いのは、母親が離婚した元夫だと思います。
 亡くなった娘さんの実の父親ですね。
 この男が一番質が悪い。
 離婚の原因は、ギャンブルに入れあげた元夫が消費者金融で作った借金であり、これが結局、回り回って、母親がヤミ金などで金をつまむ原因となりました。あげく、給食センターのパートをしてましたけど、様々な補助を入れても月11万くらいの収入しかなかったために、娘が中学校に入学するにあたり、住宅の家賃の支払いが滞ったのです。
 元夫は、自分が原因である借金で母子を苦しめたばかりでなく、養育費も入れなくなり、ずっと音信も絶っていました。
 千葉県と銚子市も過失があったのは確かですが、こいつが一番悪いです。こいつの責任ですよ。
 
 結果、娘を手にかけた母親自身が刑務所に入ったのは当然ですが、亡くなった娘さんのような犠牲者を二度と出さないためには、役所のマンパワーには限界があるし、働かない奴に無駄な税金を使うなという意見もまた真理なので、地域的な垣根の低い生活相談のボランティアが絶対に必要だと思います、それも、やたら態度だけでかくて滅多に顔も出さないような忙しい弁護士先生なんか要りませんよ、そんなのが絡むから、こういう活動が広く底辺に行き届かないんですよ。
 無理して血の通わない県営住宅なんかに住まなくても、田舎で格安の一軒家でも借りていれば、畑も作れるし、周りに人もいるし、死ぬようなことはなかったと思います。


 
 
 
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