「コンビニ店長の残酷日記」三宮貞雄

 いまやコンビニは、全国で5万店以上、約70万人の従業員がいるという。
 街のインフラとして、現代社会において必要不可欠な存在になっている。
 年間来店者数は167億人超、年間売上高は10兆1千億円で百貨店を超え、スーパーに迫る。
 まさしく、平成の世の一人勝ち状態。
 しかし、一皮めくれば、コンビニ業界の実態やいかに!?
 本書は、40半ばで脱サラしてから6年間、ある中核都市の郊外のコンビニでオーナー店長として1日12時間働いているという著者による、悲哀憤怒に満ち溢れた実話のコンビニドラマである。

 私も学生のとき、3年間バイトしていました。
 緑色のところ。
 30半ばのオーナー夫婦は優しく、同じバイトの女の子にはフラれましたが、悪いイメージはありませんでしたね。時給は安かったですけど。廃棄の弁当ももらえてましたし。一番困ったのは、客に暴力団の方が多かったことかなあ。ゴルフ場が道の先にありましたから。無理に両替をしてくれと言われて揉めたことがあります。
 あとは別にないかなあ。強盗もなかったし。本部の野郎は嫌な奴でしたけど、平和でしたね。
 今ほど、新しいサービスもありませんでしたし。
 今でも、私の近くにはローソンとセブンとファミマが200メートルの近距離で競合していますが、緑に行きますね。
 まあ、私は生まれついての貧乏ですから、あまりコンビニで買いものはしませんが。
 高いですよね。スーパーやドラッグストアと比べて倍近くするものもある。
 本書を読んで、その理由がわかりました。
 なぜ、ドン・キホーテの売値よりコンビニの仕入れ値のほうが高いのか?
 じゃあ、ドン・キホーテで仕入れてコンビニで売ればいい。
 3・11震災のときに、物流が滞って、著者はこれをやったらしい。
 本部には嫌な顔をされたらしいですけど。
 如何に加盟店の売上を本部が吸い取るか、というシステムになってるんですね、今は。
 高い仕入れ値のリベートは、本部に還っているとのことです。
 コンビニ会計というのは特別で、これを読むまで知らなかったので、びっくりしました。
 廃棄の損て、加盟店の営業雑費に仕分けされるんですね。営業雑費は加盟店が支払います。
 売上高から売上原価(純売上原価)を引いた粗利から本部はロイヤリティーを吸い上げますが、その後に営業費は処理されるので、どれだけ廃棄ロスが出ようが、本部の儲けには関係ありません。オーナーの懐が寒くなるだけです。
 売れなかったけど、棚の賑わしにはなった、という考え方なのかな。
 まあ、これはわからないではないけど、本部が加盟店から吸い上げるロイヤリティーは、店が儲ければ儲けるほど吸い上げ率が上がるのですって。これは、おかしいですね。だから、コンビニはスーパーが閉店間際にやってるような半額見切り売りも、本部が嫌がるから大々的には出来ないのです。

 とてもじゃないですけど、これを読めばコンビニの店長なんて、とても出来ませんね。
 ある意味、今はドミナント(高密度多店舗出店方式)で競合店が同チェーンに関係なくどんどん近所にできる時代ですから、著者がコンビニの店長になるような人間を減らそうと思って、これを書いたのかもしれません(笑)
 それくらい、ブラックだねえ。
 バイトしているときには、あまり考えたこともなかったわ。
 これでは独立起業とは言えないですね、フランチャイズの奴隷ですね。
 でも、ここには書かれていませんが、メリットもたくさんあるのでしょう。
 「コンビニは人間ドラマの宝庫。人間が好きな限り、社会の役に立っている限り、この仕事はやめられない」と著者が言うところの他にも、きっと。
 それでも、一昔前と現代では、日本人は明らかに変わってきていると著者が感じているのは同感だなあ。
 コンビニはなめられるから、社会の第一線で、真っ先にそれを痛感しているでしょうね。
 昔から、コンビニの客には変なのがいましたけど、今では、普通の客も変になりつつあると思います。
 もちろん、コンビニの店員も、相当愛想の悪いのが増えましたから、それが客がキレる原因でもあるのでしょうが。
 人間、しょせんは他人同士なんだから、愛想が問題ですよね。肌あたり。人間性。
 いい人だとわかれば、多少ミスをしても、多少無礼があっても、普通の人ならば許してくれるはずです。

 自分が優しければ、相手も優しくなれる。
 礼儀を尽くすこと。それでも腹が立つことがあるのならば、そこでキレたらいい。他の店を使えばいい。
 コンビニには過剰なサービズを求めるほどの、体力はありません。
 ATMの操作くらい、自分で調べて自分でなんとかしましょう。


 
 
 
 

 
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「百年文庫 都」ギッシング/H・S・ホワイトヘッド/ウォートン

 ポプラ社百年文庫ナンバー50のテーマは『都』。
 みやこ。
 本作に収められている3篇は、いずれも外国人作家の作品ですから、出て来る都はみんな外国。
 ローマ2,ロンドン1。なんでパリがないの?
 パリの作品を探しても良かった気がするけど。
 あと気づいたことは、どの話に出てくる都(みやこ)も、だいたい登場人物がストレンジャーなところ。
 つまり、旅先とか滞在先なわけです。
 すなわち、都(みやこ)とは、そこに定住している人にとっては、無関心というか感じなくなっちゃってるものですよね。
 外から来た人が、気づいたりとかですね、己のドラマの背景に宛がうものなのですね。
 何かが起きるのですよ。何かを求めているから、起こりやすいのかもしれません。
 それは恋であったり、奇跡であったり・・・あるいは魔が差したり。
 都(みやこ)での滞在で起きる、非日常な出来事を描いた3篇の物語。

「くすり指」ギッシング(1857~1903)
 ギッシングはイギリス生まれ。マンチェスター大の優等生であったが貧しい娼婦と恋に落ち結婚。その後、作家を志すもまったく目が出ず、経済的に困窮したまま、妻は酒浸りになって死亡した。それもまた人生かな。
 本作は、ローマのホテルを舞台にした、ささやかなすれ違いを描いた人情小説ですね。
 オーストラリアから故郷の北アイルランドへ帰る旅の途中でローマに寄った、30歳くらいの女性・ケリン。
 イギリスの高校の教師で、養生のために冬季をローマで過ごしている青年ライトン。
 同じホテルで顔を合わすうちに仲良くなったふたりは、いつしかローマの遺跡を連れ立って歩くようになる。しかし、ライトンは故郷に意中の女性がいて、ローマから意中を告白した手紙を出して返事が来ず鬱屈し、ほんの気晴らしのつもりだった。一方、基本的に気の良い田舎娘であるケリンは、散歩とはいえ男に誘われたことで、はや恋に落ちたような気がするのであった。

「お茶の葉」H・S・ホワイトヘッド(1882~1932)
 19世紀末。アメリカのニューイングランドで教師をしている独身37歳のミス・アビー・タッカーは、パンと紅茶だけという節約生活の末、念願のヨーロッパ旅行に必要な500ドルを貯えた。ツアー旅行最後の観光地ロンドンで、彼女は一軒の雑貨屋で、目についたピンクの玉のネックレスを買う。それは店で19年間も置きっぱなしになっていたという古びた品物で、アビーはそのネックレスを値切って12シリング(2ドル88セント)で購った。ところが・・・ アメリカに帰ってパーティで出会った紳士の薦めで、そのネックレスをボストンの宝飾店に持っていくと、なんと6千ドルの値がついた。さらにニューヨークの著名な鑑定士のもとを訪れた彼女は、そのネックレスの途方もない曰くを知るのである・・・

「ローマ熱」ウォートン(1862~1937)
 非常に完成度の高い、恋愛ミステリーとも云える作品。
 これまで読んできた百年文庫の作品のなかでも五指に入るような、短編ながら深い味わいを伴った作品で秀逸。
 ローマの、皇帝たちの宮殿を見下ろす崖の上のレストランでたたずむふたりのアメリカの婦人。
 ミセス・スレイドと、ミセス・アンズレー。ふたりは子供のころから親しく、お互いによく似た運命を辿ってきた。
 ニューヨークの社交界でも華々しかったふたりの婦人は、ともに今では夫を亡くし、元気のいい娘たちを連れてローマのホテルで再会した。栄光の都であるローマを見下ろしながら、ふたりは共に若い娘時代にローマで滞在していたことを思い出し、お互いに相手の人生を振り返る。それは、望遠鏡を逆さにして眺めているようなものだった。
 たとえばミセス・スレイドの人生は、彼女自身は華やかな満足のいくものであったが、アンズレーから見ると、彼女の人生は失敗と間違いの連続であったと感じているように。
 そしてローマの午後の穏やかだったふたりの女性の会話は、ある瞬間から、思わぬ方向へと舵を切ってしまう。
 それは、禁忌とでもいうべき、ふたりの忘れられない恋の思い出に関することだったのだが・・・

 「あなたが手に入れたのは、あの人が書いたのではない、ただの一通の手紙だけだったわ」
 スレイドは、25年間連れ添った夫のデルフィンと婚約していたころ、アンズレーが彼に恋をしていると気づいてイタズラをしたのです。デルフィンと偽って手紙を書いて、アンズレーをコロッセオに呼びつけた。それを「実はあの手紙は私が書いた」とここでバラしたのですね。ずっと心に秘めていたのに、今更どういう心境の変化でしょうか。これぞ“みやこ”の持つパワーでしょう。
 しかし、それをバラしたがために、知ることのなかった事実を知ることになるのです。
 きっとアンズレーはコロッセオで無様に待ちぼうけしていたと思っていたのですが、実はアンズレーは返事の手紙を書いて、デルフィンとコロッセオで密会していたというのです。
 さらに「結婚して25年間、あの人の人生は私のものだった」というスレイドに対して、ラストのアンズレーの「私はバーバラを手に入れたわ」の一言。
 これはキツイ。
 どういうことだと思います?
 アンズレーの娘であるバーバラが、実はスレイドの偽の手紙におびき出された形で逢ったコロッセオでデルフィンとの間に出来た子供、というオチではありませんよ。
 その後、つまりスレイドが結婚してからも、あなたの夫と私は逢っていたのよ、ということなんです。
 どう思うコレ(笑) まさにやぶ蛇。
 ものすごい、結末でしたね。女性、恐るべし。


 
 
 
 

「世界の終わりの七日間」ベン・H・ウィンタース

 なるほど、こうなるか。
 100%小惑星が地球に衝突することが確定した世界で、事件を捜査する男を描いた「最後の刑事」シリーズ第三弾。
 最終作です。
 なんとも味のある締め方。これ以上はないだろうな。
 読みにくいし、具体的な事件もあまり興味惹かれず、それほど面白くはなかったと思うこのシリーズなのですが、どうして最後まで読んだかというと、「結局、地球はどうなるのか、隕石は衝突するのか」という最大の謎に引っ張られてきたわけです。
 ですから、この終わり方に肩透かしを食らったように感じても不思議ではないのですが、余韻に浸ってよく考えてみると、これ以外ではしっくりこないということがわかります。ほんの少しですが、ヒントも書かれているように思いますしね。
 よかったんじゃないかな。シリーズ全体の雰囲気が最後の最後まで統一されています。
 最後良ければすべてよし、ですよ。
 もちろん、ヘンリーにとっては何もかも最悪となったわけですが・・・
 最愛のものを失い、これだけ怪我をしてボロボロになり、彼にいったい何が残っているというのですか。
 静かに、燃え尽きさせてあげたいと思いました。

 あらすじ。
 一作目の「地上最後の刑事」が小惑星衝突まで約半年前、二作目の「カウントダウン・シティ」が約2ヶ月前、そして本作では、タイトル通り1週間前となっています。
 直径6・5キロの小惑星2011GV通称マイアは、1週間後の10月3日に、インドネシア付近に落ちます。
 このショックを生き抜いても、かつての恐竜が絶滅したように、いずれ気候の激変によって人類も滅亡すると云われています。
 あらゆるインフラはストップしました。インターネットも電話も機能していません。
 無秩序に崩壊して無法地帯と化した街。地下に潜る政府。
 人々は「死ぬまでにやりたいことリスト」に従って出ていき、自殺し、誰もこれまでと同じ人間ではいられなくなっています。
 そんな中、事件に対する警察の捜査は行われていません。意味がないからです。
 しかし、どんなときでも事件は起きます。それを生真面目に捜査してきたのが、元刑事の我らがヘンリー・パレス。
 前作のラストで、「警察のいえ」と呼ばれる気の合う警官仲間が集まったマサチューセッツにある隠れ家に避難したヘンリー。しかし、本作の冒頭では、彼はその楽園から出て、1360キロに渡る過酷な自転車旅行をしています。
 犬のフーディーニと、元泥棒のコルテスと一緒に。
 なぜか? それは唯一の肉親である妹のニコを探すためでした。
 ニコは、マイアの地球衝突を回避するという奇想天外な計画をする過激な地下活動グループの一員でした。
 ヘンリーは、彼女の仲間だった女性からニコの潜伏している場所を聞き出すことに成功します。
 そして・・・マコネルの制止も聞かず、はるばる5週間旅をしてオハイオ州までやってきたのです。
 その場所、オハイオ州の小さな警察署には、地下に何らかの施設を作った跡がありました。
 ニコはそこに潜伏しているのか、はたして兄妹は再会できるのでしょうか・・・
 ヘンリーの最後の闘い、そして冒険、推理がスタートするのです。

 はい。
 前作、ヘンリーを救いにニコがヘリコプターで来た理由(なぜヘリが動員できたのか)も明らかになります。
 彼らの活動の真相が、すべてわかりますね。悲しいことですが・・・
 それにしても、本作にまでナオミ・エデスの名前が出てきたことに驚きます。
 それほどまでに、一夜だけしか共にしていない女性のことを、ヘンリーは愛していたのですね。
 もちろん、暴走する妹も。
 しかし、思わぬ結果になりました。
 最後に、どうして彼がアーミッシュの一族のもとに戻ったのか。
 もちろん、工作機械を返却することも、フーディーニがいたことも理由にはなるでしょう。
 しかし一番の理由、それは、マイア衝突という確定した未来を、彼らが知らなかったためではないでしょうか。
 何もかもが変わってしまったアメリカで、それまでの世界とまったく変わらない生活を続けていたアーミッシュ。
 そんな彼らのもとで、最後を過ごしたかったのではないでしょうかね。
 続編はないでしょうが、ひとつ、個人的な想像を言わせてもらえれば、ラストのところ、「空中で光った」みたいに書かれていますよね。インドネシアに落ちる隕石がアメリカから見えるのでしょうか。
 比喩じゃなければ、ひょっとすると、人類は何かを撃ったのかもしれません。
 
 地球が滅亡すると決まったら、私だったら、どうするだろうねえ。
 生きる努力をすると思います。とにかく、酒と本の確保が大事かな・・・



 
 
 
 

「武蔵無常」藤沢周

 剣豪・宮本武蔵の心の葛藤を描いた本なのですが、非常に難解で面白いとは言えません。
 エンタメ性に満ち溢れた剣戟小説ではありませんので、注意が必要。
 まあ、作者が作者ですから、わかりますね。
 もちろん、藤沢周は剣道四段らしいので、いやいや昔の真剣勝負と今のパチンコ剣道はまったく別物とおっしゃられる方もいるかもしれませんが、剣道四段は相当な腕前ですよ。素人が武蔵を書くのとは全然違います。
 ただ、ある意味へたに剣道家であるだけに、逆に素人にはわかりにくくなっているかもしれません。
 それが理解できれば、面白いかもしれませんね。
 私も素人ですが、小次郎の必殺技である燕返しの描き方には感心することができました。
 振り下ろす剣の重みと速度を利用して、さらに速度を増して、太刀筋を一転して上に振り上げるのですね。
 つまり、ツバメがキュンキュンと角度を鋭く変えて飛んでいるでしょう、太刀筋がツバメの軌道と同じなのです。
 もちろん、振り下ろした剣を振り上げるのですから、手首を返さなくてはなりませんね。
 武蔵は、それが見えなかった。
 私思うに、手首を返しているのではなく、体幹を捻っているんじゃないですかね。
 振り下ろしたときに縮んだ身体が、振り上げるときには、ビュッと膨らんで伸び上がるんじゃないですかね。
 回るのは肩くらい。そのような武道の動き方もありますね。
 剣の達人は、天井に頭の届くような高さの部屋でも、長刀で相手の脳天を叩き割ると云いますからね。
 
 さて、内容ですが。
 武蔵は、兵法数寄の小倉藩主細川忠興の家臣である松井佐渡守興長より、
 「明くる13日、辰の正刻、舟島にて巌流小次郎と立ち会われよ」と申し付けられます。
 どうしてそういうことになったのか、書いてありません。
 しかし、この武蔵と小次郎の決闘は、小倉藩の陰謀であったようには書かれています。
 どういうことかいうと、小倉藩剣術指南の小次郎を消してしまおうということです。
 云われてみると、彼らふたりの決闘は、一般人には公開されていませんでしたよね。
 怪しい下地はあったと。
 仮に小次郎が勝てば小倉藩士が鉄砲で始末し、武蔵が勝ったとしても彼も殺される可能性はありました。
 決闘の前から、このきな臭い陰謀に武蔵は気づいていました。
 それに、天下無双の名声を得ていた武蔵は、この時点で、闘いに飽いていました。
 勝っていかになる、殺していかになる? と。
 特に、吉岡一門との争いで、吉岡清十郎の幼い嗣子である又七郎の首を刎ね飛ばしてから、彼は重いうつ状態になっていました。護国寺の勧善院に匿われてから、書画に没頭していたのです。
 武蔵の禅画は、後世とても有名になりました。初めから才能があったのか、剣を極めることによって才が生まれたのか・・・
 剣の道よりも、まだ画業のほうが、一天四海を斬りもし、活かすことができるではないかと。
 これまでの武蔵の人生は、勝ちたい、死にたくないの気持ちのみでした。
 いかようなことであれ勝つことが本位であり、姑息、奸計、裏切りなる言葉は闘いにおいては泥に浮く泡のごときものであって、ただただ己独りが生き延びるための剣が、真の兵法であると信じて生きてきたのです。
 8年間風呂にも入らなかった。裸でくつろいでいるところを襲撃されるのが怖かったからです。
 しかし、もう彼はそんなことに飽いてきた。意味を見出さなくなりました。
 山城の鞍馬山で禅密双修の高僧・灯籠庵住職愚独を斬ってからは(実は斬ったつもりになってからは)、愚独の亡霊に悩まされるようになります。しかし愚独の亡霊とは、他ならぬ武蔵自身なのですね。
 度々出てくる「独行の這入」とは、存在しない真理を追い求めるがために現実(三千世界)を超越した境地、それは誰にも自分という存在を理解してくれない地獄の入り口であって、一度浸れば二度と戻れぬ狂気の世界に迷い込むことです。
 ただ、巌流小次郎の技だけは、見たかった。
 殺されてもいいので、その剣技を見たかった。燕返しとはいかなるものなのか。
 だから、小次郎との決闘に望みました。当初は、彼を殺すつもりはなかったのですが・・・

 ほんと、宮本武蔵という人間は怪人であると思います。
 司馬遼太郎だったかなあ。
 武蔵を異常者のように小説で書いていました。
 昔の真剣勝負というのは、死ぬ可能性が高いですからね。
 死なないためには、なんでもした。いわゆる、武士道というようなものは武蔵にはありません。
 しかし、それほどまでにしても、名声の他に武蔵に残ったものはなんだったのでしょうか。
 子供の首を刎ね飛ばしてまで、彼は何を追い求めていたのか。
 それはきっと、彼自身わからなかったんじゃないかなあ、五輪書だって弟子が書いたという説もあります。
 ただ、武蔵の残した書画は凄いという話を聞きました。私も見たことあります。
 それは魂の休息だったのか、それとも、言葉にも剣にも表せない境地をそこに見出したのか・・・
 己が剣か、剣が己か。
 きっと小次郎に勝てた原因は、燕返しと同じ速さで中に入れたこと、すなわち“心速”だったと思います。
 その瞬間、あらゆる煩悩などなくなり体重さえ消えた。空気のような軽さで燕返しの枠内に入った。スーッと。
 それでなおかつ、小次郎の長剣より、武蔵の櫂のほうが長かった。だから、“先に当たった”のです。


 
 
 
 

「人魚の眠る家」東野圭吾

 「うちの家にいる娘は患者なんですか、それとも死体なんですか」

 本当に久しぶりに、冒頭から引き込まれる東野圭吾の作品を読みました。
 本作はいわゆる推理ミステリー小説ではありません。
 初めてかもしれません、この人の、こういうスタイルを読んだのは。
 ただし、この物語のバックボーンには社会的といってもいい大きな謎というかテーマがあって、それが抜粋して私が上に挙げたメッセージなわけですが、これをどう捉えるかによっては、読む人にとっては最大のミステリーになりうるかもしれません。
 科学的な題材を扱うことは、この作家の常ですけどね。
 今回のは、深みが違うような気がするなあ。哲学的な問題もはらんでいるわけだし。
 家族小説としても、母親の狂気ともいえる愛情を巧みに浄化して描き切り、高レベルなヒューマンドラマに仕上がっています。
 娘は治療を必要とする患者なのか、それとも必要としない死体なのか。
 ズバリ、本作のテーマは「脳死」です。
 
 導入。
 結婚8年目だが、別居して1年になる播磨和昌と薫子。
 離婚寸前の仮面夫婦だが、ある日、突然の凶報が舞い込む。
 長女で6歳の瑞穂が、プール事故に遭って意識不明の重体となったのだ。
 ふたりが病院に駆けつけたときには、長時間の呼吸停止により大脳の機能は、ほぼ完全に失われている状態だった。
 担当の脳神経外科医は、ふたりに臓器移植の意志を問う。
 世界的に見て日本の場合極めて特殊だが、現行の日本の法律では、子供が脳死と疑われる状態に陥った場合、親権者が臓器移植同意の意思表示をしない限り、脳死の判定は行われない。心臓の停止をもって死とみなされる。
 「脳死」の定義とは、脳の全機能が停止した状態である。
 現在の基準で脳死と判定された患者が意識を取り戻すまでに回復した例は世界にひとつもない。
 しかし、日本では、親の臓器移植同意の意思が表明されない限り、どれだけ医師が脳死に間違いないと心で思っていても、生きているということになって治療は続行される。臓器移植の意思を表明すれば、脳死判定のテストが2回にわたって行われ、そこで初めて脳死が確定すれば、ただちに治療は打ち切られるのだ。
 つまり、子供が生きているのか死んでいるのか、親が選べると言っても過言ではないのだ。
 長期脳死の状態になっている子供が日本にはいるという。脳は融解しているかもしれないのに、体は生きているのである。
 和昌と薫子は、野原に咲いていた四つ葉のクローバーを、他の誰かのために取らずに残しておいた心優しい瑞穂のことを考えて悲しみにくれながらもいったんは臓器移植を選択するのだが、最期の別れで瑞穂の弟で長男の生人が「オネエチャン」と呼びかけたときに、意識のない瑞穂の手が動いたように感じ、急遽、臓器移植を撤回した。
 脳波はまったくないが、瑞穂の様態は安定し、ついに在宅介護が可能となる。
 播磨家の場合、夫の和昌はBMI(ブレーンマシーンインターフェイス)、つまり脳や頚椎などの損傷で身体が不随になった患者に対して、脳からの信号でロボットアームなどの介助機械を動かせるようにする技術を研究している会社の社長だった。
 AIBS(人口知能呼吸コントロール)で人工呼吸器は取り外され、見た目は自発呼吸をしながらスヤスヤと眠っている状態になり、ANC(人口神経接続技術)によって脳の信号がなくとも、脊髄の反射を利用してこちらから筋肉を動かしてやることも可能になる。
 しかし母親である薫子の、娘は生きているという思いは信念を通り越してやがて狂気まがいとなっていく・・・
 娘は実は死んでいるのに、こちらが生かしているようにしているだけではないのか。
 家族はもとより、親戚や特別支援教育士、日本で臓器移植を待ちながらも制度に阻まれて外国での移植しか選択肢がない難病の患者などの、それぞれの「命の価値観」をまじえながら、物語は然るべき方向へと向かっていくのだが・・・

 はい。
 やっぱ読み終えて一番に感じたのは、薫子の愛かな。
 これは狂気ではない、愛だと思いました。
 それでも、最後にもう瑞穂の身体は抜け殻だからと言って病院に行かず葬式の準備に専念していたにもかかわらず、脳の解剖を拒否したでしょ? あれは、そうはいってもエゴがあったということだよね。
 つまり、脳が融解していたとすると薫子のこれまでが台無しになったということです。
 それが怖かった。実は瑞穂が空っぽだったとされるのが怖かったのです。
 脳から出る信号と心の関係。うーん・・・
 私は、瑞穂は生きていたと思います。
 タイトルは人魚の眠る家であって、人形の眠る家ではありませんからね。
 そういうことでしょ。


 
 
 
 
 

 
 
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