「愛がなんだ」角田光代

 帰ってくれるかな? 遠慮がちに、けれどきっぱりと、マモちゃんは言った。
 私を部屋から追い立てるように、頬を子どものように赤くして、不機嫌そうに。

 彼を不機嫌にさせた理由はなんだ?
 コンビニの鍋焼きうどんでいいと言われたのに、スーパーで買いものをして温サラダと味噌煮込みうどんをつくったことか。かびキラーまで買っていって風呂場を掃除したことか。
 プラスチックとティッシュがいっしょになったゴミ箱を検分し、燃えるものと燃えないものに仕分けしたことか?


 2003年の角田光代の長編恋愛小説。
 なんか、初めて読んだけど懐かしい。
 角田光代も今でこそ御大ですが、前はこういう小説をよく書いていました。
 時給650円の缶詰工場で一日働いて、稼いだ金をそっくりバカ男に貢ぐような、不憫な女性の話をですね。
 それがまたけっこう面白かったんですよね。
 けっして重苦しいものではなくて、文章も軽快でユーモアがあって。
 角田光代さんはたしか不毛の恋愛の過去があるはずで、自分の経験が多少は混じっているのかもしれませんが、恋愛モノの作品に出てくる男にはほんと、超がつくバカが多いです。
 この小説でいうところの、「自分系」というやつですな。
 デートでも自分が腹が減ったからレストランに誘い、彼女が腹が減ってもとんと気にしないという。
 誘うときには相手がそのとき何をしているのか、まったく忖度しない。
 ひどいのになると、彼女の収入をあてにしてまったく働かない。今度返すと拝み倒しては、金を無尽蔵に借りる。
 行き着く先として浮気する。そしてついに彼女がブチ切れて不毛な恋愛が精算される。
 こんな小説が多かったような気がします。
 だから読み始めて懐かしいと感じました。男はバカそうだし、彼女は奴隷のようだし。
 でも、途中から、そういうのじゃなくなりましたね。
 やっぱ初期の恋愛作品とは違います。本作には、少し文学性も感じられるような深みがある。
 バカ男も読んでて腹が立つようなバカばかりじゃないし、奴隷女も読んでて気が滅入るような暗闇でもありません。
 軽妙な文章に乗せられて、最後まで楽しく読めることができました。
 そして読み終えた後に、少し考えさせられる余地を残してくれている。
 私が今までの所最高の恋愛小説であると思う島本理生の「ナラタージュ」のような衝撃からはかけ離れていますが、この余韻ともういうべき、読み手に己の恋愛を考えさせる余地もまた、いい恋愛小説の証でもあると思います。

 主人公は山田テルコ。
 もう主人公の名前からして、肩の力を抜いて読むべき物であることがわかります。
 テルコは28歳、1年ほど前から初めて正社員になった赤坂のデータ管理会社で働いているOLです。
 彼女はもとから友達も少なく、いつも上の空で、すべてに無関心で、世界の外に突っ立っているような、少し変わっている女性なのですが、そんな彼女がなおいっそう変になったのが、5ヶ月前。
 少ない友人のひとりである坂本葉子に誘われた飲み会で知り合った、ひとつ歳下の男に恋をしたのです。
 男の名は、田中守。マモちゃん。出版社に勤めています。
 彼は背も低く、イケメンでもなく、性格もいいとは言えないのですが、なぜかテルコはマモちゃんにハマってしまったのです。
 知り合って間もなく、デートして、酒を飲んで、マモちゃんの部屋で性交しました。
 それ以来、単一色だったテルコの世界はキレイに二分しました。
 つまり、マモちゃんか、マモちゃんでないか。
 携帯電話はマモちゃん専用のトランシーバーと化し、マモちゃん以外の男は男に見えず、挙げ句の果てに会社での仕事までおろそかになって、クビになってしまいます。いつマモちゃんからの連絡があるかと思うと仕事も手につかず、またマモちゃんの誘いはテルコの都合はまったく無視して急なので、同じ会社の女性社員の同僚との約束もすっぽかして散々嫌われていました。
 しかし、無職になってもなお、テルコはマモちゃんのことが好きでたまりません。
 そんなテルコに対して、マモちゃんはいつまでも煮え切らず、いまだに「山田さん」と呼んでいます。
 そう、彼はテルコのことを恋人とは思っていないのです。
 どうしようもなく暇なときに誘えばいつでも出てくる女、そういう風にしか思っていません。
 そしていつのまにか、抑えようと抑えようとしていたテルコのマモちゃんに対する想いは、いつしかマモちゃんの鼻につく重荷となり、彼からの電話は途絶えてしまいます。「山田さんは逆自意識過剰」とまで言われてしまいました。
 ふつう、角田光代の小説だとここからテルコがストーカー化していくと思ったのですが、そうはなりません。
 テルコからの連絡を留守電と居留守でかわし続けていたマモちゃんでしたが、連絡を絶って三ヶ月後、再びふたりは会うようになり、やがて、堀越すみれという、テルコより年上の女性をマモちゃんはテルコに紹介しました。
 彼女はどうやらマモちゃんが惚れている相手のようで、平生を取り戻していたテルコの心は、再び揺らぎ始めるのです・・・

 ところどころ、さすが角田光代というべき深い洞察というか、我々一般人が表現出来ないような奥底の心情を言葉にしていたのには、感心しましたね。愛でも恋でもない、執着というべきもの。
 テルコは変わってはいるでしょうが、頭がおかしいことはありません。ならばコム・デ・ギャルソンを着ないでしょう。
 テルコの抱えている執着の正体。それは、結局、自分自身なのではないでしょうか。
 実は彼女こそが、究極の“自分系”であった、この小説のツボはズバリ、そこにあったと思います。


 
 
 
 
 
 
 
関連記事
スポンサーサイト

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (92)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (14)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (32)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (23)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (19)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (54)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (150)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (46)
事件・事故 (38)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (22)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示