「ある零戦パイロットの軌跡」川崎浹
空母翔鶴とともに太平洋の戦場で生死の間を駆けた海軍戦闘機隊のエースパイロット小町定の軌跡。
著者が小町定さんにインタビューするという形式をとっています。
戦争の時系列に沿って、そのとき小町さんはどこでどう闘っていたかかを著者が聞くわけです。
それで、興味深いところはどんどん掘り下げていったり、自分で推論を述べてみたりしています。
そのせいもあるのか、小町さんが親切かつ明晰であるためか、非常にわかりやすく勉強になる内容でした。
海軍航空隊の戦記を好む方ならば、避けて通れぬ必読の一冊であると思います。
私は読むのが遅すぎましたねえ、これをまず読んでおけばよかったと今更感じたしだいです。
まず空戦の内容が詳細で、これほど想像しやすい本はありませんでした。
特に珊瑚海海戦の上空直衛の模様は、凄かった。
一口に上空直衛と云いますが、敵艦を攻撃する攻撃隊の援護ではなく、母艦を守備する戦いがこれほど難しいとは、本書を読むまでまったく想定外といいますか、これっぽっちも頭に浮かんだことはありませんでした。
このときの珊瑚海の戦いは、翔鶴と瑞鶴から零戦が6機ずつ直衛についたわけですが、やってきた敵機は100機を超えていたそうで、しかも不意を突かれた形で乱戦になったそうです。双方向の会話ができなくてもいいから無線電話さえあれば艦から敵がやってくる方向を指示してもらって空戦の準備ができるのに、と一向に現場の要望が通らない日本軍のシステムに業を煮やしたそうです。アナログすぎるんですよ、日本軍は。しかも、大事なところを教えない気難しい職人気質は、技巧の最先端をいく戦闘機パイロットの戦技指導においてもありました。つくづく日本人には戦争は向いていないと改めて思いましたね。
小町定(こまちさだむ)は、1920年石川県生まれ。
海兵団、戦艦「扶桑」乗組を経て、操練49期戦闘機専修生。同期は10人、生き残ったのは小町ただひとり。
昭和16年夏、太平洋戦争開戦前に空母「翔鶴」の戦闘機パイロットとして配属され、以後、母艦とともに真珠湾、インド洋作戦、珊瑚海海戦、南太平洋海戦に参加。初撃墜は昭和17年4月8日、コロンボ上空で相手は英国のスピットファイア。
南太平洋海戦で帰路を見失い、命からがら単独帰投不時着水したのを最後に翔鶴と別れ、昭和17年11月からは9ヶ月間大村空で教員を務めた。いっさい体罰を行わない教官として、教え子の信頼は篤かったそう。
昭和18年8月、最前線のラバウルへ赴任。204空から後に253空。
大風呂敷を広げる岩本徹三とエースの座を張り合い、大村空で教え子だった小高登貫も同僚になった。
ラバウルからトラックに撤退し、昭和19年6月19日マリアナ沖海戦に際してグァム島に出撃するも、先頭の飛行長機が上空警戒を怠ったせいで着陸間際の不十分な姿勢のままヘルキャットと反航戦を行って火だるまとなって撃墜された。この件に関しては実はトラック基地で隊内に揉め事があり、そのために実戦から遠ざかっている飛行長が出撃することになったのだが、揉め事については小町は多くを語っていない。戦後、航空自衛隊の幕僚になったという飛行長の名前も伏せられているが、これは岡本晴年少佐で間違いないと思われる。大やけどを負った小町は内地へ送還され、退院後は京都の峰山空で教官をしていたところ、指宿正信少佐の強い引きで、帝都防衛のために横須賀航空隊に配属された。ここで初めて紫電改に乗った。零戦と紫電改の違いについても、小町独特の視点で考察されている。彼の得意な錐揉み降下も、紫電改でやってみたら速すぎて危うく死にかけたそうである。零戦とはパワーが桁違いだったそうで、終戦二日後、東京上空に現れたB32を迎撃した。これが小町の生涯で最後の空戦となった。
小町定は零戦パイロットにしては珍しく戦後事業に成功した人物で、零戦搭乗員会の事務局が彼の所有するビルにあるのは有名な話なのですが、真珠湾参戦のパイロットとして崇められていた故郷で、戦後真逆の冷遇を受けて東京に出、夫人とともに住む場所も仕事もない裸一貫から身を起こした苦労も書き綴られています。海軍に入ったときは怖かったそうですが、いざ社会に出てみると娑婆に海軍以上の怖さを感じたそうで、体罰を許さない高潔な人柄のゆえか騙されたりしたことも多かったそうで、このときのことを語るのが戦争のとき以上に興が乗っていたように感じられましたし、興味深かったですね。
間違いなく、零戦搭乗員のなかでは屈指の人徳者であったように思います。
いい本でした。
著者が小町定さんにインタビューするという形式をとっています。
戦争の時系列に沿って、そのとき小町さんはどこでどう闘っていたかかを著者が聞くわけです。
それで、興味深いところはどんどん掘り下げていったり、自分で推論を述べてみたりしています。
そのせいもあるのか、小町さんが親切かつ明晰であるためか、非常にわかりやすく勉強になる内容でした。
海軍航空隊の戦記を好む方ならば、避けて通れぬ必読の一冊であると思います。
私は読むのが遅すぎましたねえ、これをまず読んでおけばよかったと今更感じたしだいです。
まず空戦の内容が詳細で、これほど想像しやすい本はありませんでした。
特に珊瑚海海戦の上空直衛の模様は、凄かった。
一口に上空直衛と云いますが、敵艦を攻撃する攻撃隊の援護ではなく、母艦を守備する戦いがこれほど難しいとは、本書を読むまでまったく想定外といいますか、これっぽっちも頭に浮かんだことはありませんでした。
このときの珊瑚海の戦いは、翔鶴と瑞鶴から零戦が6機ずつ直衛についたわけですが、やってきた敵機は100機を超えていたそうで、しかも不意を突かれた形で乱戦になったそうです。双方向の会話ができなくてもいいから無線電話さえあれば艦から敵がやってくる方向を指示してもらって空戦の準備ができるのに、と一向に現場の要望が通らない日本軍のシステムに業を煮やしたそうです。アナログすぎるんですよ、日本軍は。しかも、大事なところを教えない気難しい職人気質は、技巧の最先端をいく戦闘機パイロットの戦技指導においてもありました。つくづく日本人には戦争は向いていないと改めて思いましたね。
小町定(こまちさだむ)は、1920年石川県生まれ。
海兵団、戦艦「扶桑」乗組を経て、操練49期戦闘機専修生。同期は10人、生き残ったのは小町ただひとり。
昭和16年夏、太平洋戦争開戦前に空母「翔鶴」の戦闘機パイロットとして配属され、以後、母艦とともに真珠湾、インド洋作戦、珊瑚海海戦、南太平洋海戦に参加。初撃墜は昭和17年4月8日、コロンボ上空で相手は英国のスピットファイア。
南太平洋海戦で帰路を見失い、命からがら単独帰投不時着水したのを最後に翔鶴と別れ、昭和17年11月からは9ヶ月間大村空で教員を務めた。いっさい体罰を行わない教官として、教え子の信頼は篤かったそう。
昭和18年8月、最前線のラバウルへ赴任。204空から後に253空。
大風呂敷を広げる岩本徹三とエースの座を張り合い、大村空で教え子だった小高登貫も同僚になった。
ラバウルからトラックに撤退し、昭和19年6月19日マリアナ沖海戦に際してグァム島に出撃するも、先頭の飛行長機が上空警戒を怠ったせいで着陸間際の不十分な姿勢のままヘルキャットと反航戦を行って火だるまとなって撃墜された。この件に関しては実はトラック基地で隊内に揉め事があり、そのために実戦から遠ざかっている飛行長が出撃することになったのだが、揉め事については小町は多くを語っていない。戦後、航空自衛隊の幕僚になったという飛行長の名前も伏せられているが、これは岡本晴年少佐で間違いないと思われる。大やけどを負った小町は内地へ送還され、退院後は京都の峰山空で教官をしていたところ、指宿正信少佐の強い引きで、帝都防衛のために横須賀航空隊に配属された。ここで初めて紫電改に乗った。零戦と紫電改の違いについても、小町独特の視点で考察されている。彼の得意な錐揉み降下も、紫電改でやってみたら速すぎて危うく死にかけたそうである。零戦とはパワーが桁違いだったそうで、終戦二日後、東京上空に現れたB32を迎撃した。これが小町の生涯で最後の空戦となった。
小町定は零戦パイロットにしては珍しく戦後事業に成功した人物で、零戦搭乗員会の事務局が彼の所有するビルにあるのは有名な話なのですが、真珠湾参戦のパイロットとして崇められていた故郷で、戦後真逆の冷遇を受けて東京に出、夫人とともに住む場所も仕事もない裸一貫から身を起こした苦労も書き綴られています。海軍に入ったときは怖かったそうですが、いざ社会に出てみると娑婆に海軍以上の怖さを感じたそうで、体罰を許さない高潔な人柄のゆえか騙されたりしたことも多かったそうで、このときのことを語るのが戦争のとき以上に興が乗っていたように感じられましたし、興味深かったですね。
間違いなく、零戦搭乗員のなかでは屈指の人徳者であったように思います。
いい本でした。
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