「開かせていただき光栄です」皆川博子

何がすごいって18世紀の、正確には1770年のロンドンの情景描写が素晴らしいです。
社会的地位のある人物が巻き毛の鬘をつけないのは下着のままで人前に出るようなものだった時代。
ロンドン市民は警吏に公金を払い公的権力を持たせるという考えがなかった(警察は民間)時代。
1シリング盗んだだけで絞首刑、自殺は神に対する冒瀆と見なされ墓地に埋葬されなかった時代。
道は安全に歩けず、陪審員は容易く金で転び、検事、判事の多くが金で動く時代。
解剖に附された屍体の脂肪が捨てられたバケツに犬が顔を突っ込んで食ってる時代。

今のツンとすましたクールなロンドンという街からは想像出来ない汚さが、ミステリーの根っこになっている物語です。さすが皆川女史、まるで見てきたかのような、翻訳ミステリーと云われても納得してしまう作品です。
そして、18世紀のロンドンが舞台だからこそ成り立つ話なんですよね。同じようなのを、じゃあ日本でやってみようとなると、引っかかることだらけですね。警察はたくさんいるし。賄賂で裁判がどうにかなる世界でもない。
たぶん、混沌とした、現在とは価値観が違う世界でミステリーを展開してみたかったんだと思います。

18世紀、ロンドン。
聖ジョージ病院外科医、ダニエル・バートンと5人の弟子は、ダニエルの兄ロバートが出資した私的解剖教室で医学の研鑽を積んでいます。ダニエルは解剖と実験においては類のない偉大な人物ですが、他のことに関しては無頓着であり迂闊、というのが弟子による師の人物評。しかし、5人の弟子である通称饒舌クラレンス、肥満体ベン、骨皮アル、容姿端麗エド、天才細密画家ナイジェルと師ダニエルの間には温かな信頼関係がありました。
当時は人体を切開することに対する偏見が強く、医学の研究のため一年間に公に下げ渡される罪人の屍体はたった6体で、それも床屋外科医組合(当時は床屋が外科医を兼業していた)が占有しており、満足な解剖実習ができないという悩みがありました。だから、墓あばきから屍体を買ったりしていたのです。
それが、このミステリーの発端となります。
墓あばきから仕入れて解剖していた妊娠六ヶ月の屍体が、実は準男爵家の令嬢であったことが明るみになり、公的警察の前身と云えるボウ・ストリート・ランナーズに踏み込まれるのです。さらに盲目の治安判事サー・ジョン・フィールディングとその姪であり目でもある助手アン=シャーリー・モアも解剖教室を訪れます。
必死に隠そうとするダニエルと5人の弟子。
そして物語は意外な展開へ。なんと築百年になる邸宅の暖炉の底からは四肢を切断され、胸に青い色が塗りたくられている少年の遺体と、顔面が打ち砕かれた男性の遺体が引き上げられたのですΣ(゚д゚lll)ガーン  
四肢を切断された少年は詩人を目指しロンドンにやってきたネイサン・カレンの成れの果てなのか。
そして胸の青い色はダイイング・メッセージなのか?
嘘と誠が交差し、呆然の結末まで息もつかせぬスリリングでどこかノスタルジックなミステリーの幕開けです。

うーん、最期までわかりませんでした。
ポイントは“噴水のときに”エドがつぶやいた言葉にあると思って読んでいたので、最後までそのことにとらわれてしまいました。だから、おそらくこういうことだろう、と想像していた結末(99%そうなると思い込んでいた)にはなりませんでした。さすが、霧の都・ロンドン、奥が深かったですね。
今の嘘発見器みたく証人の手を両手で挟みこんで、証言の信頼性を確かめようとする盲目の治安判事サー・ジョンの描き方にもふと感動を覚えたりもしました。
タイトルの「開かせていただき光栄です」dilated to meet you――は、delighted to meet you「お目にかかれて光栄です」をもじったものです。
さしずめ私は、deluded to meet you――「だましてくれて光栄です」とでも云うべきですかね。

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