「信長死すべし」山本兼一

――あの男は、いかん。危険、きわまりない。
それが結論だった。太刀を見て、前久の顔が厳しくなった。
朝命を受けて、叛乱鎮撫などに赴く武将にわたす任命の標の太刀である。節刀とも称される。
「信長死すべし」
朕は一語ずつはっきり口にした。前久の全身がこわばっている。
「信長を粛清せよ」朕は掴んだ太刀を前久に突き出した。


本能寺の変の裏側の物語です。
明智光秀を謀反に駆り立てたのは、朝廷の謀略があったのではないかという、昨今流行りの説そのままの話です。
読んでみると、ちょっと謀略過ぎないかというきらいはありますがね。
当時の朝廷はどれほどの力があったのか、いまひとつはっきりしません。
長年続いた信長と石山本願寺の抗争の調停をやり遂げたことからして、まんざらの無力ではありません。
ただ、武家を束ねるのは武家にしかできず、もはや内裏(朝廷)にそれだけの力がない以上、誰かを武家の棟梁として立て、それを認証することで朝廷の権威を保つしかなかったというのは確かでしょう。
要は、どうして朝廷が信長を認めなかったのか、どうして信長は朝廷と上手く付き合わなかったか、ということです。
前者について云えば、信長と付き合っていくうちに朝廷はきな臭いものを感じた、それは天正と改元させられ、譲位を迫られ、即位して二十年余り、還暦をとうに過ぎた正親町帝の憂鬱そのものでした。信長は、とてつもなく熱くどろどろした野心と欲望を秘めているくせに、それを人のかたちをした皮で包み隠している鬼である、と。
帝に対して崇敬の念がまるでない。神主の親玉くらいにしか思ってない。いずれ朝廷は信長に捨てられる。
だから、先に信長を排除しようとしたというのですね。本当にそれをする実行力があったのかはともかく、気持ちはわかります。わが身こそ神であるという信長は朝廷の歴史にとって異質そのものだったでしょう。
織田信長はどうしてそこまで朝廷にとって異質だったのでしょうか。私はこの人の他と比ぶべくもない功績は、楽市楽座という商業の仕組みだったと思っています。祖税として米を集めるばかりが国ではないというのですね。自分の領国経営に汲々としていた戦国武将の中で、信長だけは国を富ませる発想を持っていました。その発想力自体が、当時では異質であったと思われます。こんな人間が京都のおじゃるおじゃる言う麿公卿を見てどう思いますかね。ましてや、朝廷はけっこう頑固であり、たとえば暦改変にしても素直に言うことを聞かない。あれは何か、ただの神主の親玉ではないのか、と気の短い信長が都合のよい解釈をしたことは想像に難くありません。信長と朝廷、両者は一触即発でした。一方、明智光秀はどうだったでしょうか。
光秀は信長に仕えて十年余、有職故実に明るく歌も嗜み、帝を敬っていました。
彼が思うに、信長が一代の英傑であることは間違いない、しかし、あの男は内裏をないがしろにして、その上に立とうとしている。いや、こころの中では、とっくにおのれが神となって、この国に君臨しているつもりであろう、なんと傲慢なことか、なんたる増上慢か、と。本作では、そう思っているところに朝廷から工作されて、謀反に踏み切るのです。

本作は、信長が甲斐、信濃の戦さから安土城に凱旋したころの、天正10年(1582年)4月22日から、光秀が山崎の戦いで秀吉軍に敗れ、逃げる途中で落武者狩りにあい命を落とした6月13日までの約2ヶ月間が凝縮されています。
正親町帝や信長、光秀の視点で語られる章もありますが、朝廷側の人間、武家伝奏勧修寺晴豊や前の関白である近衛前久らの語りが骨子であり、本作の核です。
光秀の心中は如何であったのか、それは永遠に謎でしょうが、彼が約400年ほど前に秋津島(日本)の歴史を変えてしまったことは厳然たる事実です。信長が生きていれば、今の日本の形は違うものだったかもしれません。
日本という国の歴史の奥底で滔々と流れる血脈とはいったい何であるのか、この国の形を改めて考えるよい機会となった一冊でした。




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