「梟の城」司馬遼太郎

「気を変えてみぬか。このままここに留まってさむらいの中に入れば、小城の一つも持てる器量じゃ」
「たわけた事を云う。まだお手前にはわからぬか。お手前が命を拾えたのもわしが忍者であったからじゃ。ただのさむらいなら、とうにお手前の命はどこぞの野に落ちていよう。忍者にはそれだけの働きがあるが、そのただのさむらいの群れにはまじわれぬ心組があってな、いわば人外じゃ。ことに、主取りをしたり家来を持ったりする物憂さに堪えられぬ。その矢倉の屋根を見るがよい。むらがっておる雀、あれが、おぬしらさむらいというものとすれば」
「われは何じゃ」
「梟(ふくろう)じゃよ」


第42回(昭和34年下半期)直木賞受賞作です。
再読ですが、たぶん何回読んでも面白いと思えるだろう後世に残る忍者エンターテインメントの傑作です。
すこし前に映画を観たので、もう一度原作を読んでみようと思ったのですね。
映画自体は主人公の伊賀忍者、葛籠重蔵(中井貴一)の下忍である黒阿弥を演じた火野正平の頭にまだ毛が残っていたので、だいぶ前のものであったと思っています。
映画もそれなりに面白かったですが、改めて読んでみて、やはり原作には到底及びません。当たり前です。
ただ、映画では初読のときから好きだった伊賀の老忍である黒阿弥が、甲賀忍者に囲まれて衆寡敵せず殺されるとき、「甲賀はええのう。信長に攻められなんだから若い衆(わかいし)がようけおるわ。伊賀は年寄りばかりじゃ」と云ったんですが、このセリフは原作にはありません。しかし、この作品をある角度から表していると思えるこの一言が私は非常に好きでして、再読して原文になかったのでちょっとびっくりしました。映画、やるやんと思いました。

天正19年(1591年)。太閤豊臣秀吉治下9年の世である。
過ぐる天正9年の伊賀の乱において、織田信長の軍勢に壊滅的な打撃を受けた伊賀忍者の生き残りである葛籠重蔵は、老いた師匠である下柘植次郎左衛門の訪問を受け仕事を依頼される。
内容は、天下人である秀吉の暗殺であった。伊賀の乱によって家族を抹殺された重蔵は、信長に対して復讐を誓っていたがその信長もほどなくして本能寺に倒れ、彼はなかば世を捨てて、荒れ寺で怠惰に過ごしていた。
対象は違えど秀吉も憎き権力の象徴である天下人には変わりなく信長の後継者であるともいえる。
重蔵は古くより葛籠家の下忍であった佐那具ノ黒阿弥を伴い、太平を極める京、奈良、大坂へと出、策謀を練る。
しかし、事はそう簡単に運ぶわけがない。秀吉の世に不穏の影を射さんがため、黒阿弥は忍者の残党を率いて偸盗や煽動工作を行い、重蔵は暗殺の依頼元である堺の豪商今井宗久のもとを訪ねるが……
宗久の養女であるという小萩という謎の女や、半年前より音信不通となり伊賀を抜けて現在は京都奉行前田玄以配下の武士となっている重蔵と朋輩の忍者、風間五平など怪しき者たちの障害が立ちはだかる。
さらに、師匠とその娘である木さるに裏切られ、甲賀ノ摩利洞玄という甲賀最強の忍者も敵にまわしてしまう。
四面楚歌で京に息を潜める重蔵ははたして秀吉の寝間までたどり着き、その息の根を止めることが叶うのか。
リズム良く美しい言い回しと文章、ダイナミックな展開とこれ以上なきミスティックなオチが素晴らしい、忍者冒険小説の金字塔です。

乱波(らっぱ=忍者)の心の屈折、愛憎の描写が素晴らしかったですね。
重蔵、五平、小萩、木さる、摩利洞玄、黒阿弥ら登場する忍者の忍者たる個性がすべて違います。
単なる忍者アクションだけではありません、彼らの人生を通したヒューマンドラマがあったから面白いのです。
五平なんて忍者が嫌いで仕方ないから武士に仕官しましたが、誰よりも生まれながらに忍者であるし、黒阿弥は人間を草木としか見ていない伝統の乱波精神の持ち主であるし、重蔵は忍者に向いていない性格でありながら、忍者以外に生きる価値を見出していないし、小萩は係累的にも優れた女忍でありながら恋心が抑えられないのです。
素晴らしいですよ、司馬遼太郎の描く忍者の人生の切なさとその人外の異様さ、その逆の人間としての弱さ、は。
もちろん、闘い、も読み応えばっちりです
重蔵と鹿島の兵法家の闘争、集団戦法に勝る甲賀忍者と伊賀忍者の死闘、思わず息が詰まる摩利洞玄の存在感……現在の私たちには想像もできませんが、当時焼け落ちていた奈良の大仏を情景とした場面もありました。
今さらどうしようもないのですが、続編があればよかったのに、と思います。
この登場人物をこれ一冊にとどめるのはあまりにも惜しかった、ですね。
もちろん、ラストでほっこりした重蔵と小萩には多大な迷惑がかかることになったでしょうが――






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