「禁断二・二六事件」鬼頭春樹

元NHKディレクターである著者が、莫大な量の参考文献を調べ上げ、構想執筆7年をかけた一大ノンフィクションです。面白いし、読んでよかったと確実に思えるのですが、その半面非常に難解でもあります。
なぜ難しいか。それはたぶん、私が『二・二六事件』というものをあまりよく知らないからなのですね。
教科書知識とろくに変わりません。青年将校がクーデターを起こし、政府要人を暗殺したくらいしか知りません。
もう一つ、昭和天皇が「朕みずから討伐してくれる、馬を引け」という具合に非常に激怒なされた、ということもどこかで読んだのか、頭にありました。読み終えた今、これくらいしか知識がなかったことを反省しています。
命を賭して蹶起(けっき)し、裏切られ、銃殺に処せられた十余名の青年に対して申し訳ない気持ちになりました。
ただ、革命ブローカーであり大正末期から昭和初期にかけ多くの恐喝事件に関係、本事件でも粛清対象から財閥を外したと云われる黒幕・北一輝に関連することは中途半端であり、同時多発蹶起の描写も蔵相高橋是清暗殺の模様にとどまるなど、できれば本書を読む前に、概論的な『二・二六事件』に関する本を読んでおいたほうがもっと本書を深く面白く読めると思いました。まぁ、それでもすごかったですけどね。色々考えさせられましたし。
松本清張が昭和42年「昭和史発掘」で30年以上隠蔽封印されてきた宮城(きゅうじょう)での軍事計画をスクープしてから40年が経過した今でも、この事件の細部あるいは核心は明確ではないのです。

昭和11年2月26日水曜日の早朝5時。東京は異常気象ともいえる大雪でした。
第1師団歩兵第1連隊、第3連隊を中心に近衛師団歩兵第3連隊および砲工学校、所沢飛行学校などから約20名の青年将校に率いられた約1600名の兵力が、総理大臣官邸、内大臣官邸、蔵相私邸、侍従長官邸、警視庁、前内大臣滞在先、陸相官邸を襲撃しました。都内同時多発蹶起です。
高橋是清のように暗殺された要人もいれば、総理大臣は押入れに隠れてましたし、襲われ被弾した侍従長は、当時の日本医科大外科教授であり第1次世界大戦下のパリで神のごとくフランス青年の命を救い、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与された世界最高峰の天才外科医、神の手・塩田広重に瀕死の命を救われました。
つまり、ぱっと見の結果だけなら、この事件は1600名もの兵力を動員しながら数人のおじいさんの首をはねただけだったのです。では、この事件の裏に何が隠されていたのか。まさしく、それがタイトルの“禁断”の由縁なのですね。
その前に、この事件で青年将校たちが蹶起した目的は何だったのでしょうか。
これを知って私はびっくりしたのですが、彼らが禁断を犯してまで実現を図ろうとした蹶起目的とは、「農地解放」でした。太平洋戦争後、GHQの手で行われた改革です。昭和9年、東北では大凶作により大飢饉が発生しました。子供は列車の食堂車から投げられるパンを争ってさらい、娘は都会に売られていく。現に当時の日本は総農家戸数560万戸のうち貧農層は実に380万戸、68%に達しました。青年将校たちは、党利党略に堕し、国益を求める心などどこにもない議会政治に農地改革は不可能だと見切ったのです。
だから、憲法停止による君主親政、いわゆる昭和維新を目指してその手段として実力蹶起したのですね。
のちの軍事裁判では隠されましたが、宮中に帷幄上奏隊を送るつもりだったのです。天皇に御意見申し上げる、と。本書を読めばわかりますが、実はこの計画は実現まで90%成功していました。中橋中尉率いる近衛歩兵第3連隊の一部は蔵相を殺害したあと、まんまと本来の任務である宮城護衛に成りすまし、城内に入り込んでいたのです。だから帷幄上奏隊が来れば彼らはそれを侵入させることが可能でした。なぜ、失敗したのか。宮城から中橋中尉が準備よしの信号を送る(懐中電灯による信号)まえに、それを受けるべき警視庁の蹶起隊が望楼から降りてしまっていたのです。ある陸軍の幹部に脅されてやめてしまったのですね。そうこうする内に、宮城内で工作していた中橋中尉が一時捕まってしまった。そして、蹶起隊のシンパだった将校から侍従武官らに計画の一部始終が漏れてしまい、すわ驚愕した宮城は何者をも通すべからずとばかり守りを固めてしまいました。こうなりゃもう、どうしようもないです。
側近を襲撃された昭和天皇は烈火のごとくお怒りになられ、即刻、蹶起隊を鎮圧するよう命じられました。
結局、下士官兵は原隊へ復帰し、青年将校たちは自決を強要されますがこれに屈せず(警視庁望楼で連絡に失敗した野中四郎大尉は自決)、陸軍高級幹部から恩赦の可能性を匂わされたため、投降し捕らえられました。
軍事裁判で禁忌に触れることを彼らが喋らなかったのは、いつか恩赦されて釈放されると思っていたからです。
ところが、騙されていたのですね。
7月12日早朝、継続中の北一輝らの裁判の証人のために死刑執行が延期された事件の首魁である磯部浅一と村中孝次を除いた軍人13、民間2の15名が銃殺されました。
軍帽からブーツまでオーダーメイドで、マントの内側は真っ赤、桐野利秋ばりの洒落者で彼とおなじ香水を愛用していた中橋中尉のみは、頭蓋を狙う正射手、心臓を狙う副射手ともに急所を外し、血だるまになりながら3発目でようやく絶命しました。
黒幕と疑われていた軍事参議官真崎甚三郎陸軍大将は無罪。
青年将校たちは犬死、昭和天皇にも心理的なトラウマを残したというこの事件の後遺症は、日本の軍国化を加速したと云われています。

雪の日の早朝に企てられた秘密軍事計画は、宮城の占拠ではなく軍事力を背景にした「帷幄上奏」でしたが、著者のいうところの「S作戦」の真実は事件後の軍法会議で秘とされ封印されました。
それが明らかになる磯部浅一の手記が刑獄から持ち出された経過も面白かったですね。
しかし、やはりこの本の核心は真の意味の“禁断”が何であったかということでしょう。
あとがきで書かれているように、著者自身は二・二六事件の真相を探るにおいて、フィクションで埋めるべき空白があったことを否定していません。しかしそのフィクションは可能なかぎり資料で裏付けられています。
そこまでしても、やはり“禁断”はぼかされいます。事件に皇族が関与したのではないかということをですね。
それは読んでみた方の判断によるでしょうが、私はあり得ないと思いますね。ただし、昭和天皇が何かをお疑いであったということは十分考えられるし、この事件の真相には永遠に陽の当たらぬ闇が眠っているのでしょう。
いずれにしても、事件の記録が何者かによって抹消されているのは事実のようです。
それと、銃殺刑で異例の3発の弾丸を浴びた中橋基明中尉の件ですが、、執行のだんになって気が狂ったようになった中橋が突然怒りとも虚脱ともつかぬ大笑いをはじめたために射手の手元が狂った理由は、著者は執行の前々日に面会にきた近衛歩兵第3連隊の新任連隊長である井上政吉大佐が中橋の神経を切り裂くような事件の真実を彼に語ったためであると著者は推察していますが、これだけはどうしても肯定できかねるように思いました。初対面でこれから死ぬことが決まっている人間を嬲るとは思えませんからね。いや、思いたくない。

国体を 護らんとして 逆徒の名 万斛の恨(うらみ) 涙も涸れぬ





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