「光圀伝」冲方丁

一冊でこれほど泣ける本も珍しいんじゃないでしょうか。
光國にだけ聞こえる声で「生きたい」と云いながら逝った泰姫の臨終の場面は涙なしでは読めませんでした。
生涯の友であった儒者の林読耕斎との永遠の別れもそうでしたし、「死に際」の描写がこれほど巧い作者は初めてです。「天地明察」は読んでないわけですけども、本作にも渋川春海が登場しますし、ある意味スピンオフ作品とも云えるでしょう。新聞の記事によると、本作は400字原稿用紙で1500枚超の大作なわけですが、これでも作者はだいぶ削っているようです。本当にもったいないと思いますね。もう少し読みたかったです。いや、ずっと読んでいたいくらい面白かったですよ。

タイトルの「光圀」は光國が隠居後に用意していた名前だそうですが、それよりもやはり「水戸黄門」ですよね。
黄門とは徳川家譜代御三家である水戸家に授与される最高官位である権中納言のことだそうですよ。
光國は家光、家綱、綱吉という3人の将軍に面識がありましたが、綱吉とは仲が悪かったのです。というか、綱吉が畏怖していました。だから、中納言の官位が贈られたのはやっと光國が隠居を決めたときでした。隠居した光國を御屋形様とは呼べず、市井にとみに人気のある御仁でしたから、「黄門さま」という呼び方をされたのかもしれませんね。黄門といえば、助さんや格さんが「前(さき)の副将軍である水戸光圀公であるぞ、頭が高い!」なんて時代劇で言ってましたが、副将軍という役職は幕府にはありません。同じ御三家である尾張や紀伊に比べると水戸は石高が低く(28万石)、そのくせ北方より江戸を守護する重要な地理に配置され、有事の際には将軍の代理として先頭に立つということからなんとなくそう呼ばれるようになったらしいです。ちなみに光國の業績からなぜ時代冒険活劇のドラマが生まれたかというと、本作を読むかぎりでは、彼が一生をかけて打ち込んでいたことに日本の歴史の編纂作業があり、江戸には彰考館という学問所を屋敷に併設していました。この彰考館の館員を史料蒐集のため日本全国に派遣していたのです。そして館員には副将軍光國の代理であるという権限を持たせていました。おそらくこれがドラマのネタじゃないでしょうか。そして、光國は林羅山をして文武の人と言わしめた万能の武士だったわけですが、若い頃は奇天烈な格好をして江戸市中を練り歩いたり喧嘩して回る傾奇者(かぶきもの)でした。本作ではそのために流浪の兵法家宮本武蔵と出会って怖い思いをするのですが、光國という人はお屋敷に閉じこもった温室栽培のお殿様ではなかったのですね。父の頼房は家康十一男ですが、非常に武辺の者であり水戸家は武断の家柄でした。光國は7歳のころ夜中刑場に生首を取りにいかされたり、12歳のころには氾濫後の隅田川を泳がされたりしています。無茶苦茶な英才教育によって水戸家の世子として育てられた光國でしたが、ずっと悩んでいたことがありました。それは6歳上の兄を差し置いて三男である(長男の勝丸は死亡)光國が家を相続することに疑問を抱いていたのです。兄である竹丸(頼重)が病気であったことと、生涯正妻を持たなかった父頼房の屈託があったためなんですが、ずっと後に光國が水戸家藩主となり兄の松平頼重が讃岐高松藩主であったときに、兄の子を水戸家に迎えるのです。つまり兄に代わって自分が後を継いだ水戸家に再び兄の血筋を据えたのですな。このことが水戸光國の義であるとしてたいそう評判を呼びました。自身は屋敷の侍女に子を産ませて結果的にはその子供が逆に讃岐高松藩を継ぐことになるのですが、要は光國は義を重んじた正義の人であり、兄の頼重も非常に優秀で弟思いであったということです。
光國が生きた時代は関ヶ原の戦いから約40~100年後、みな武将としての器量を持て余しながら泰平の世に甘んじかけた時代でした。武断の政治から文治へと変革がなされたときに重なります。
光國は戦国武将としても成功しただろうと思いますが、やはり彼がこれほど有名な人物となったのは、詩で天下を取ると目指し朝廷から一目も二目も置かれた文事の才と、大日本史の編纂でしょう。光國が植えつけた水戸を賢学の地にせんとする家風は明治維新まで続きそこに色々な彩りを加えることになりました。しかし光國が目指した4つの方策は「政教の分別」「公平な税制」「大学制度」「海外貿易」ですが、いずれもあと一歩及びませんでした。
少し時代が早かったのですね、そして副将軍として忙しすぎたのでしょう。6歳の頃水戸を離れ江戸に来ましたが、次に水戸に帰ったのはなんと26年後でした。

誰もがいずれ去らなければならない、だからこそ世にあることの義をもって生きるべきと説いた光圀。
史書は命の記述であり、死者の名簿ではないという言葉は史家としての金言だと思います。
一方で30年以上にもわたって宝としてきた家老である藤井紋太夫を武蔵ばりの刀技で刺し殺した理由。
それは光圀自身が世を去るときも、告げられることはありませんでした。




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