「潮鳴り」葉室麟

 「俗にホトトギスは、てっぺんかけたかと鳴き、ウグイスは、ほー、法華経と鳴くと申します。そしてフクロウは、襤褸着て奉公(ぼろきてほうこう)と鳴くのだそうでございます」
 「襤褸着て奉公・・・」
 宗彰が首をかしげると、櫂蔵は膝を乗り出した。
 「それがし、かつてしくじりにより、お役御免になってございます。それからは自棄を起こし、漁師小屋にて無頼の暮らしをなし、その身なりの惨めさ、汚さから、襤褸蔵などと仇名されて生きておりました。それがこの度また出仕いたすことになり、かつてのおのれの惨めさを忘れず、襤褸着て奉公いたしておるのでございます」
 「なるほど、殊勝な心がけではあるが、一度堕落いたせしものが這い上がりたいとあがく、浅ましさではないか」
 宗彰はひややかに櫂蔵を見据えた。
 「いかにもさようでございます。しかし、それがしの望んでおりますことは、いささか違うつもりでおります」
 「どう違うと申すのだ」
 「落ちた花は二度咲かぬと誰もが申します。されど、それがしは、ひとたび落ちた花をもう一度咲かせたいのでございます。それがしのみのことを申し上げているのではございません。それがしのほかにもいる落ちた花を、また咲かせようと念じております」


 うーん、意外にも面白かった。
 痛快爽快水戸黄門、勧善懲悪的なありきたりの時代小説なんですが、ツボにハマりました。
 葉室麟を読むのは直木賞を受賞した「蜩ノ記」以来です。
 あのときは、貧しき北海道開拓民の悲哀を描いた桜木紫乃の候補作「ラブレス」のほうが鮮烈なまでに面白くて印象に残ったので、私自身の、主役たる受賞作「蜩ノ記」及び葉室麟の評価はまがい物とばかり急落しておりました。
 ま、後になって桜木紫乃も受賞したように、直木賞は「作品」でなく「人」に贈られる側面があるんですがねー。
 「蜩ノ記」で舞台となった九州豊後(大分)の羽根藩が再び登場すると聞いたので、読んでみたんです。
 もう記憶がほぼ残ってないんですが、おそらく共通しているのは土地だけだと思います。
 ひょっとしたら重なっている登場人物もいるかもしれませんが(奥の院など)、私が読む限り、忘れていても何の問題もありませんでした。
 ただ、どうして羽根藩が共通の舞台となったのかについては、少し思い当たることがないでもないんです。
 おそらくですが・・・本作の主人公である襤褸蔵こと伊吹櫂蔵は、何がなんでも生き抜く覚悟を決めた人間なんです。それは、死んだほうが楽だから、逆に恥を忍んで生き抜くという辛い選択をしたのです。
 一方、「蜩ノ記」は何年か後に自害することが決まっていながら恬淡と生きる人間の話だったと思います。
 だから、舞台を共通とすることで、作者は生き方の異なる主人公の対比をしたかったのかもしれません。
 あくまで私の推測ですがどうでしょうか。

 じゃあ少しあらすじ。
 九州豊後の羽根藩。藩校では俊英の誉高く剣の腕前も評判だった26歳の伊吹櫂蔵は、3年前まで勘定方として出仕していたが、大阪商人との宴席で粗相をしでかし、お役御免となった。我が強いのである。
 家督は異母弟に譲り、以来、漁村の漁師小屋で酒色に溺れた無頼の生活を送っていた。
 ひとは誰も信じられぬ。友は誰ひとりおらず、継母や異母弟とは疎遠になり、櫂蔵は斜に構えて生きるようになった。
 漁村で飲み屋を営むお芳の店でくだを巻き、実家からの送金があるとたちまち博打ですった。
 武士としての矜持を失い、ただ地を這いずり回って虫のように生きている姿は“襤褸蔵”と呼ばれた。
 ある日。
 異母弟で家督を継いだ新五郎が、漁師小屋の櫂蔵に会いに来た。
 新五郎は、新田開発の奉行並という藩期待の俊英である。その新五郎が思いつめた顔で言うには、仕事でしくじりやむなく家伝の品を処分した、ここにある3両は兄の取り分である、些少で申し訳ない、というのだ。
 深く追求することなく、当然のような顔でその3両を襤褸蔵は受け取り、当たり前のように博打で負けた。
 それから数日後。
 漁師小屋の櫂蔵のもとに知らせが届いた。新五郎が切腹したというのである・・・
 表向き、藩への届けは病死ということになっていた。そして、新五郎は櫂蔵に遺書を残していた。
 遺書によると、新五郎は羽根藩の新田開発の資金という名目で、天領日田の代官所御用達商人小倉屋から5千両を借りる段取りをつけた。しかしこの5千両は新田開発どころか台所の苦しい羽根藩の江戸表に送られ、返済の目処はなくなった。
 藩はハナから借銀を踏み倒すつもりであり、新五郎の失態だということで罪を押し付け、腹を切らせたのだ。
 ハメられたと知りながらも、新五郎は家財を処分して3百両を作り、その中から兄への3両だけを抜いて小倉屋の穴埋めとしたのだ。その血の滲んだ3両を、櫂蔵は事情も知らず酒を飲んだあげく博打に放った。
 波打ち際に佇む櫂蔵の耳に届く潮鳴りが、弟の鳴く声に聞こえた。
 あまりにも惨めな自分の生き様に、新五郎の後を追って死のうと思った櫂蔵だが、お芳に止められ、恥を忍んでも生き抜いて新五郎の無念を晴らすことを誓う。
 そして弟を飲み込んだ事件の真相を探るべく、生まれ変わった櫂蔵による、羽根藩の底知れぬ闇を追求する冒険が始まる。


 
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