「小さな英雄 水雷艇『鵯』」渡辺哲夫

 公戦史に残る死闘。昭和18年2月16日、ラバウル港外にて歴戦の米潜水艦「アンバージャック」を撃沈!
 昭和11年に竣工してこのかた、日支事変においては揚子江遡江作戦、援蒋物資阻止作戦に活躍、太平洋戦争始まるや香港攻略戦の劈頭を飾り、更に長駆して南太平洋の第一線ラバウルへと八面六臂の大活躍。
 800トン余りの小さな体で働き詰め、総航海距離はなんと地球を7周するまでに達していた。
 乗り組み士官は、兵学校出の本職はおらず、艇長以下高等商船学校出身で固められた海の男「鵯一家」。
 輸送船団の守護神として硝煙の海を駆け抜けた、ラバウルの小さな英雄・水雷艇「鵯(ひよどり)」の栄光の軌跡。


 「ひよどり」という名前に似合わず、ものすごく強い艦です。
 アメリカ軍に名指しでマークされていたというのも、おそらく事実なのでしょう。
 著者は、この「鵯」が基地としていた香港から、南洋の第一線ラバウルへと主戦場を移した昭和17年11月から昭和18年8月まで乗艇していた、軍医長の方。部下は看護兵曹ひとりだけであったと書かれていますが、水雷艇に軍医は乗っていたのですね。乗員は120名くらいいたので、当然か。海防艦にはいなかったよなあ、と思ってみたり(いた?)。
 さて水雷艇という艦種ですが、これもまた珍しいですよね。
 建造されることになった経緯は省きますが、小型駆逐艦のようなものです。同型艦は8隻(鴻型)。
 昭和11年12月に竣工した「鵯」は、基準排水量840トン、全長約87メートル、吃水2.76メートル。この吃水の浅さが漢口まで攻め入った揚子江遡江作戦で重用される主因となりました。
  砲も強いです。12センチ単装砲が3門。これは同じ輸送船団の護衛を任務とする海防艦よりだいぶ強力です。
 さらに水雷艇という名ですからもちろん、53センチ3連装魚雷発射管が1基。
 そして「鵯」を凶暴強力ならしめたのが、その速度でした。30.5ノットという海防艦を遥かに上回る快速を誇りました。
 小さい体でこの快速を活かし、敵爆撃機の進路上に向かっていってB-17を撃墜したこともあります(乗員捕虜収容)。
 ただ読んでいて気にかかったのは、竣工当初は潜水艦に対する爆雷装備はなかったと思うのですが、いつのまにか左右舷後尾と爆雷発射台が付いていたことですね。昭和18年末に「鵯」は母港舞鶴に帰って、時勢に合った改造をしていますが、米潜アンバージャックを撃沈したり、対潜攻撃を行っているのはその改造時期より前ですから、ひょっとしたら太平洋戦争に入って輸送船団の護衛を任務としてからの増設かもしれません。

 地球7周ぶんの航海距離と書いたように、「鵯」は働き詰めでした。
 日支事変における陸軍援護の主力艦ですね。揚子江の機雷掃海、対岸敵陣地との砲撃戦など、早くから実戦を経験した艦でした。なかでも、南京攻略作戦にも参加しており、昭和12年12月17日まで南京近くの江岸に碇泊していた「鵯」の乗組員は、「南京に上陸したが、市民の死体を見かけることはなく、大半は支那軍であり、大虐殺の表現は誇張である」とした証言が本書には書かれています。
 太平洋戦争開戦時は、香港攻略戦で陸戦隊まで送り込んだ「鵯」でしたが、昭和17年9月より外南洋部隊に編入され、日米がガダルカナルを巡って火花を散らしている第一線のラバウルへと向かうことになりました。以来、専ら輸送船団の護衛をソロモン海域でこなすことになりましたが、「鵯」のすごいところは、日本の最前線が後退するとそれに合した輸送線の最前線に踏みとどまって活躍したことです。
 昭和19年1月には、横浜サイパン間船団護衛に従事していますが、これは当時の前線ですよね。
 結局、昭和19年11月17日、ミ20船団を仏印サン・ジャックから台湾高雄まで護衛中、米潜ガンヌルの雷撃によって雷撃沈され、当時の小谷正春艇長以下乗員120名総員死亡し、「鵯」の栄光の航跡は幕を閉じましたが、小さな爆弾が直撃するだけで轟沈するような小さな体で、この艦の頑張りは特筆に値すると思われます。
 それこそ、戦艦大和の約100分の1の小ささですが、働きは巨大な鉄クズの100倍だったのではないかと。
 これも、ラバウル当初の角野鐵男艦長(大尉・神戸高船)以下、指揮官から一兵に至るまで一糸乱れぬほど、心をひとつにして戦っていたからでしょう。艦橋の天蓋から頭を出し、敵爆撃機からの攻撃を巧みに避け続けた角野艦長は、昭和18年5月「鵯」を退艇しましたが、その後駆逐艦「松風」の艦長になっています。高船出としては異例の出世です。
 
 著者は、初陣こそ顎に敵機攻撃の破片を受けて危うく死にかけますが、以後踏ん張りました。
 というか、この方、昭和18年8月に「鵯」を退艇するのですが、今度はより悲惨な東部ニューギニア戦線に送り込まれるのです。
 所属した海軍第82警備隊は200名中生き残りわずか3名。
 生き残った著者も、飢餓のなかを包囲網を突破して転進を繰り返し、片目を失明しました。
 その模様は氏の別本(海軍陸戦隊ジャングルに消ゆ)に詳しいようなので、また読まなくてはなりません。
 本書も、半分は「鵯」の軌跡、そして半分は、任期4年のほとんどを第一線の軍医として戦った著者が医事新報などに寄稿した戦記で占められていました。それもまた、非常に貴重です。
 特に、撃ち落とした敵機の捕虜を上層部がすき焼きにして食っていたなど、とんでもない話が書いてあります。
 また、山本五十六長官を撃墜したパイロットであるトーマス・ランフィア大尉の証言も、医師仲間のツテで詳しく載せられており、私は目にしたことがなかったので、勉強になりました。
 ランフィア大尉も、読んでいるとその後、日本の親分を殺したといって別に幸せな人生ではなかったと思います。
 実際と現実はまた違うのです。
 小さな英雄「鵯」しかり。
 今回、著者がその航跡を半ば明らかにしてくれたので、これほどの武勲艦の活躍を知ることができました。
 しかし、この本がなければ、この小さな艇の健闘を知る由もなく、いたずらに巨大な鉄クズであった戦艦大和の無駄話ばかりが世間に花を咲かせていたかと思うと、無性に腹が立って仕方ありません。
 地球7周ぶんもの航海をした、水上艦が他にあったのでしょうか。
 映画になるべきは「鵯」であって、けっして「大和」ではありません。

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この記事へのコメント

水雷艇 鵯 - 中年の親父 - 2015年03月15日 15:46:15

初めまして。水雷艇 鵯を取り上げて下さり真に有難うございました。
小谷正春は私の母方の父、私の祖父にあたります。
母が2歳の時に祖父は戦争で亡くなったと聞いておりました。
故に、母には父親の記憶は全く無かったそうです。
その母も6年前に難病でこの世を去りました。
6人兄弟の末っ子だった母が、兄弟の中で
一番最初に父、母親の元に旅立ちました。
天国で、写真でしか見た事の無かった父に会えた時、
どんな気持ちだったか、聞いてみたいものです。
出来れば、それはまだまだ先の話であってほしいのですが(笑)



Re - 焼酎太郎 - 2015年03月15日 19:10:38

小谷艇長の御令孫のお方よりのコメント、誠にありがたく思います。
このような拙いブログにお越しただき、驚きつつ恐懼に耐えません。

太平洋戦争は知れば知るほど、我が国にとって最悪の歴史だと思っています。
しかし、実際に戦ったひとりひとりの兵員の人生を否定するものであっては
絶対にならないと思っています。

水雷艇「鵯」は、戦艦大和の数十分の1の小さな体ですが、
太平洋所狭しと駆け巡り、大和の何十倍も働いた日本海軍きっての優秀な艦艇です。
小谷艇長は東京高等商船の出身だったと思いますが、
それだけに後輩や同僚であった武器なき輸送商船団の護衛艦として獅子奮迅されることに
非常な生きがいと義務を感じておられたはずです。
残念ながら武運拙く南シナ海に散られましたが、どれだけの海員の生命を救ったことでしょうか。
本書のおかげで、小谷艇長を筆頭に乗組員の方々による水雷艇「鵯」の栄光の航跡を知ることができ、
感謝しております。

コメントありがとうございました☆

水雷艇「鵯」小谷正春艇長に寄せて - 遠山純一 - 2015年05月11日 10:37:44

小谷艇長のご遺族からのお話伺いました。小谷艇長の逸話があります。軍令的には違反行為ですが、ご遺族はささやかに誇って頂けたらと思います。それは昭和18年12月18日母港毎鶴で鵯の戦傷を癒やした時の事です。
 かなりのラバウル空襲での重傷で艇長から工廠に「やっつけ仕事で無くしっかりした修理を要請しました。工廠の技官は「いつもしっかりした仕事をしている」と反論
12月30日には完工して検収も受けました。ところが小谷艇長は技官が引き揚げてから鎮守府に「修理に不備が見つかったので出撃を1月2日に延期」と申し出ました。鎮守府から叱られた技官は鵯に戻り小谷艇長を詰問しました。不備の内容を聞くと出撃どころか航行にも支障の無いあまりの些細な事柄だった。
 つまり乗組員が舞鶴地区の者が多く正月を家族と過ごさせてやりたいとの思いだった。舞鶴入渠も艇長の計らいだった。しかし小谷艇長は年少で下位の技官に「すまなかった」と頭を垂れるだけだったという。
 元旦、士官室に故郷を舞鶴に持たない士官が正月を祝った。技官も招かれたが憮然として拒否したという。鵯は1月2日船団護衛の任務に向け横須賀へ出港し2度と舞鶴に帰ることは無かった。
 海軍艦艇は乗員ともどもよく戦いました。用兵や作戦ミスで艦艇まで鉄くず呼ばわりされると悲しくなります。大和を鉄くずと呼ぶ意図を知りたく思います。 

Re - 焼酎太郎 - 2015年05月11日 13:12:48

遠山様
弊ブログにお越しいただき誠に有り難うございます。
非常に興味深く拝見いたしました。

さて、私が戦艦大和を鉄くず呼ばわりした理由なのですが
ざっくり言えば、日本を滅亡の淵まで追い込んだ海軍の戦争指導者層への批判
及び、日本人の中で一番有名な艦であることへの反感があります。
私にとって戦艦大和は、船自体ではなく愚かな太平洋戦争の敗戦そのものです。
大和ホテルと武蔵御殿が航空機何千機分の鉄を使って建造された裏話は、
「総点検・日本海軍と昭和史」半藤一利・保阪正康などに書かれています。
戦艦大和というと、日本を背負って戦った武勲艦のように思っておられる日本人が
たくさんいらっしゃることが事実です。
いったいどれだけの方が、水雷艇や海防艦、駆潜艇のように地べたを這いずりまわるようにして
最前線で奮闘した縁の下の力持ちの活躍を知っていることでしょうか。
それを思うと「大和がなんぼのもんじゃ」と言いたくなってしまうのですね。

だからと言って、遠山様のおっしゃる通り、大和の船自体には何の罪もありません。
どうぞご理解のほどをよろしくお願い申し上げます。

コメントありがとうございました☆

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