「中尉」古処誠二

 少しあらすじ。
 舞台は大東亜戦争末期のビルマ。
 イギリス支配時代、ビルマ人の多くは各種伝染病の予防接種を受けられなかった。
 無料で受けられるのはイギリス人だけで、ビルマ人には高額な接種料が課せられていたのである。
 ビルマにおけるペスト罹患者の死亡率は80パーセントにものぼった。
 イギリス軍を追い出した日本軍がやってきて、ビルマ人が驚いたのは、日本軍が無料で伝染病の予防接種をビルマ人に片っぱしから打っていったことだったという。
 おかげで日英開戦以来、ペストは減った。
 しかし、今、その日本軍は負けようとしている。第二十八軍を押し返し、英印軍はシッタン河にまで迫っていた。
 そんな時分、語り手であり歴戦の歩兵である尾能芳治軍曹は、防疫給水部の軍医の護衛を命じられる。
 戸数10件あまりの山間の百姓部落で、夫婦のペスト罹患者がでたのだ。
 軍医とふたりの衛生兵、そして尾能軍曹と6人の歩兵はその村でペストに囲い込みを行うのだ。
 村には、最近銃を持ったダコイ(武装強盗団)が出没していた。歩兵の護衛は必須である。
 初めて会った伊与田勝利軍医中尉は、覇気がなく、貫禄もなく、たるんでいるように見えた。
 支那事変以来歴戦の尾能軍曹は、仮にも将校でありながらこの山間の町医者然とした軍医に、当初失望した。
 しかし、伊与田軍医は重体であったふたりのペスト患者を救うことに成功し、ネズミとノミの駆除を徹底して、村人に衛生観念を植え付け、伝染病を拡散させずに囲い込むこの任務は思いもかけず成功したのである。
 途中、日本が降伏したという通達がありながら・・・
 そして、いよいよ待ちに待ったペスト終息を伊与田軍医が村人に宣言したその夜、軍医はダコイ(武装強盗団)にさらわれてしまう。
 
 ふむう。
 戦争というのは、人間倫理を超越した極限の行為ですから、どうしても戦争小説には文学性が生まれます。
 本作も、戦争をテーマとした堅苦しくない小説でありながら、どうしても伊与田軍医の行動及び彼を取り巻くビルマ人の思惑というか思想には、戦いの中での必然といいますか、極限の人間性が感じられてなりません。
 ふつうじゃない、ということですね。善か悪では測れない位置です。
 ビルマ人というのは、イギリスと3度戦争し、全土をイギリスに支配されても服従しなかった誇り高き民族です。
 ビルマ人のなかには大東亜戦争を4度目の対英戦争とみていた向きもあります。
 日本が負けてもビルマの戦争は終ってない、5度目の対英戦争が始まるだけとうそぶくビルマ人もいたとか。
 イギリスに対する過去120年間の抵抗を思えば、ビルマ人にとって「大東亜戦争」など一瞬の戦いでしかありません。
 イギリスを駆逐し、勝者になった日本が再び敗者に転落したとき、ビルマ人は何を思ったことでしょう。
 マンダレーを日本軍が失陥した頃には、ビルマの民心は転換し始めていたそうですがね。たった数年とはいえ、人間関係も生まれたでしょうから。
 もちろん空襲で身内を失ったものや、軍票が紙くずになって大損したものなど、日本を恨み憤る向きも多いことでしょう。
 しかし、別のことを考えているものがいたからこそ、ビルマは独立し今のミャンマーになったのです。
 負けた日本の将兵は空虚ですが、次なる対英戦争を睨んで燃えるビルマ人が目をつけたのは、用済みになった日本の武器弾薬に間違いありません。あるいは戦に慣れた日本の将兵そのものであったかもしれません。
 現に、日本の降伏後ビルマへの英印軍進駐が遅れたのは、インドネシアが独立運動を起こしたからですが、その裏には残留日本兵の存在が大きかったそうですから。 
 もちろん、日本の兵隊が戦争でイギリスと戦ったのは義務ですが、ゲリラとなってイギリスと戦うには義心が必要不可欠です。
 この変心のポイントを捕捉するのは難しいですね。
 外敵から女子供を守る義務が兵役です。それは地球の歴史上、男の仕事でした。なぜなら女子供の幸せなくして男の幸せはなく、人の幸せなくして国家の発展はないからです。
 自分の義務だった国家としての日本を守ることは消失した、でも国破れて山河ありという言葉通り、日本に帰って己の人生の再起を期すというのが普通の日本兵の考えであったでしょうし、この戦争は日本はちょっとやり過ぎたということもあったでしょう。
 しかし、自らの意志で現地に残留した日本兵は意外に多かったこともまた事実なのです。
 そこに敗残兵としてのその場しのぎの逃げだけでなく、ある種のヒューマニズムがあったとしたら?
 伊与田軍医は自らの意志で残ったに違いなく、尾能軍曹が彼の行動に最後まで肯定しえなかったのは、自らが一流の兵隊として伊与田軍医を蔑視しておきながら、彼こそ本当の戦う人間であったかもしれないという認識が芽生えだしたという、心の葛藤でしょうね。つまり、国より人ということです。そのスイッチの入れ替え。
 たぶん、死ぬまで彼は伊与田軍医のことを気にしているはずです。
 いま、安保法案どうたらで騒いでいる日本ですが、本作を読むことは思わぬ方向からの参考になるやもしれませんね。



 
関連記事
スポンサーサイト

この記事へのコメント

トラックバック

URL :

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
ミステリー (92)
ミステリー短編集 (17)
歴史ロマン・ミステリー (17)
冒険ロマン・ミステリー (14)
サイコホラー・ミステリー (15)
学園ホラー・ミステリー (14)
民俗ホラー・ミステリー (10)
政経・金融ミステリー (18)
ファンタジックミステリー (22)
近代・昭和ミステリー (14)
オカルティックミステリー (7)
青春・恋愛ミステリー (21)
医療小説・ミステリー (22)
伝奇小説・ミステリー (14)
時代人情小説・ミステリー (18)
時代冒険小説・ミステリー (19)
社会小説・ミステリー (15)
スポーツ小説・ミステリー (10)
アーティスティックミステリー (12)
海外ミステリー (28)
海外冒険小説・スリラー (17)
SF・FT・ホラー (26)
SF・FT・ホラー短編集 (13)
海外SF・FT・ホラー (17)
クライシス・パニックサスペンス (12)
警察・諜報サスペンス (29)
悪漢・犯罪サスペンス (30)
中間小説 (24)
青春・恋愛小説 (32)
家族小説・ヒューマンドラマ (31)
背徳小説・情痴文学 (14)
戦記小説・戦争文学 (19)
政経・金融小説 (14)
歴史・伝記小説 (22)
芥川賞受賞作 (19)
直木賞受賞作 (19)
文学文芸・私小説 (24)
海外小説・文学 (12)
文学アンソロジー (54)
歴史・伝記 (30)
戦史・戦記 (31)
海軍戦史・戦記 (150)
物理・宇宙 (26)
生命・生物 (37)
アンダーグラウンド (46)
事件・事故 (38)
世界情勢・国際関係 (25)
スポーツ・武術 (24)
探検・旅行記 (22)
随筆・エッセイ (30)
月別アーカイブ
プロフィール

焼酎太郎

Author:焼酎太郎
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
最新トラックバック
リンク
QRコード
QR
RSSリンクの表示