「陰陽師 付喪神ノ巻」夢枕獏

 ご存知人気伝奇小説のシリーズ第三巻。
 漫画も映画も有名。私は今更ながらに読んでる。
 正直、第一巻を読んだときは失望しましたが、ここにきて形も整い俄然面白くなってきました。
 連作の短編なんですけどね、ストーリー以外の情趣の描き方もあんがい気に入っています。
 晴明が式神に使いそうな草花もさることながら、今とは全く違う1千年以上前の平安時代の風俗を偲べば楽しいです。
 考えてみればハッと気付く、ということが多くて。
 もちろんなんですけど、娯楽の形が全然アナログなんですよね。
 晴明のパートナーである博雅も管弦の名手ですが、音楽を楽しむのもすべて生演奏なんですよ。
 これすごいことですよね、おそらく当時の人びとは今の我々よりも耳が音に敏感だったはずです。
 ですから、名手の手による笛だとか琴の音を聴けば、さぞかし幸せな気分になれたのではないでしょうか。
 これはある意味、うらやましいなあと思う。
 文明が遅れているほうが幸せな部分もあるということです。芸術なんて特にそうかもしれない。
 堀川の橋にあたりで博雅が夜中に笛を吹いて歩けば、やんごとなき姫君が牛車に乗って建物の陰に控えながら聞き惚れているかもしれない。今と違って真っ暗だから音がなければ見つからない。
 光が少ないということは、闇に対して人が敏感であるということです。
 だから本作が参考にしているような、闇の世界と人の世界が共存している今昔物語みたいなのが創造されたのかもしれませんねえ。見えないからこそ、見てしまうんだろうねえ、心で。
 そういえば、本作ではあらためて「呪(しゅ)」がこれでもかと説明されていました。
 呪とは、それに相対するものの心によって作られる縛りのことだと私は理解しています。たとえば自分が好きな女性を友達に知られたとするとそれだけである程度縛られています。また、言葉はそれ自体が呪になるのではなくて呪を盛るための器だとも書かれています。やはり呪とは心の世界なのです。そして、現(うつつ)の物事が現代より極めて少なかった当時にこそ、恋愛はもちろん社会における呪(しゅ)の占める幅が大きかったのではないかと思うのですね。
 もっとも、私だってまだまだ博雅が「わからん」と言っているのと同じようなレベルなのですが。
 これから巻次が進むにしたがって、理解も進んでいくことを愉しみにしています。「呪」こそこの小説の核だと思うのでね。

「瓜仙人」
 天皇の用事で長谷寺に赴いた帰り、源博雅は奇妙な翁に出会った。翁は自らを堀川の爺と名乗り、奈良から京へ瓜を運んでいた人足から瓜の種だけもらい、博雅から水だけもらって、瞬く間に熟した瓜の実へと育てる妖かしを披露してみせた。実はこの爺、晴明の師であった賀茂忠行の友人で方士の丹蟲先生という。晴明と丹蟲は、何やら妖物が出るという噂の五条堀川の旧三善清行邸で邂逅する。
「鉄輪」
 京の北、貴船神社に毎夜丑の刻参りをしている女がいた。宮の者が迷惑がって「そなたの願いが聞き入れられた」と嘘を言うと、頭に鉄輪(かなわ。鍋の土台)を逆さにして蝋を立てた気味の悪い女は喜んで帰っていった。女の呪っていた男は藤原為良といい、女は為良に捨てられたのだ。請われて騒動解決に出張った晴明と博雅の前に、生成(女が鬼になったものを般若というが、生成はその前の段階で鬼でもなく人でもないもの)になった女が現れる。
「這う鬼」
 神無月の頃。四条堀川のさる屋敷に貴子という女主人が住んでいた。この屋敷の長宿直をしている遠助という男が出張の帰り、鴨川の橋のたもとで見知らぬ女から包まれた文箱のようなものを渡された。この箱を貴子に届けてほしいという。そのまま自宅に帰った遠助だが、浮気を疑った妻女がその箱を開けてしまう。すると驚いたことに中にはくりぬかれた目玉と陰茎、そして何やら動くものが飛び出してきて・・・
「迷神」
 清明のライバルともいえる播磨の陰陽師・蘆屋道満がシリーズ初登場。昔から播磨は陰陽師や方士を産出する国であった。亡き夫にひと目逢いたい女に施した反魂の術を巡って、清明と技くらべをする。
「ものや思ふと・・・」
 宮廷人たちが左右に分かれて用意してきた和歌の優劣を競う歌合(うたあわせ)。300年の歴史で500回催されたという歌合だが、天徳4年(960)3月30日に村上天皇が催した内裏歌合がもっとも規模、品格とも抜きん出ていたという。当時の平安京を代表する貴族、教養人、芸術家が一堂に会したのである。この歌合ではふたつの事件が起こった。歌を吟じる講師だった源博雅が詠む歌を間違えたこと、もうひとつは惜しくも勝負に敗れた壬生忠見がそれを気に病んで亡くなったことである。忠見はそのまま鬼になって和歌を吟じながら京の街をさまよい、内裏にまで出没するようになった。そう、この話はシリーズ第一巻巻頭の話の続編ともいえる作品で、事件の裏側が明らかにされる。我らが博雅の失態の謎も・・・
「打臥の巫女」
 藤原道長の父である藤原兼家は異例の出世街道を爆進中で、ついには兄の兼通の官位を抜いてしまった。その裏には、ある女予言師の宣託があり、夜な夜な兼家はその女の元へ通っているという。ある日、女の口から「今日買った瓜に気をつけよ」と言葉が出、「私には手に負えぬから安倍晴明に相談せい」と兼家は言われた。清明が兼家の買った瓜を割ると、中から真っ黒な蛇が這い出てきた。何者かが兼家を妬んで呪いをかけたのである。これも久しぶりに八百比丘尼が再登場。
「血吸い女房」
 中納言藤原師尹から相談があるといって呼び出しを受けた清明。いつものように。博雅と酒を飲んでから「ゆくか」「うむ」「ゆこう」「ゆこう」と、ふたりで怪事件解決に赴く。師尹の屋敷では、寝ているうちに住み込みの女房たちが何者かに首から血を吸われるという気味の悪い事件が起きていた。武士が寝ずの番をしても効果がないのだという。


 

「ちいさな国で」ガエル・ファイユ

 この地の人々は、この大地に似ている。
 一見穏やかだけれど、ほほえみと威勢のいい前向きな言葉で飾られたうわべの陰では、仄暗い地下の力が間断なく働き、暴力と破壊の企てを温めている。そしてそれらの企ては、凶事をもたらす風となって繰り返し吹き荒れる。1965年、1972年、1988年。おぞましい亡霊が何年かごとに姿をあらわして、平和は戦争と戦争のあいだ小休止にすぎないことを人びとに思い出させるのだ。あの毒を秘めた溶岩が、あのどろりとした血の波が、ふたたび地表にまで上がり出ようとしていた。
 ぼくらはまだ、それを知らない。
 けれど、熾火(おきび)はすでに熱く燃えていて、夜がハイエナとリカオンの群れを解き放とうとしていた。


 世界史上未曾有の大殺戮となったアフリカのフツ族とツチ族の抗争をテーマとした半自伝的小説。
 作者は父をフランス人、母をツチ族のルワンダ難民に持つフランスで有名なラッパー。
 少年時代を、この小説の主人公ガブリエルと同じアフリカのブルンジで過ごしました。
 そしてブルンジで内戦勃発後の1995年に、妹とフランスに渡っています。
 ということは、両親はどうなったのだろう?
 まさか小説と似たようなことにはなっていないとは思いますが・・・心配ですね。
 ガブリエルの話はほぼフィクションでしょうから。
 でもこの小説を読んでいて感じるのは、フィクションとはいえ自分が見聞きしたりことやプライベートにも内容が食い込んでいるような、ちくりと心が痛むようなことがよく書けたなということです。
 だからフランス最高峰であるゴンクール賞の候補にまでなったのでしょうけどね。
 ブジュンブラ(ブルンジの首都)の不良に「おまえの母親は白人に身を売った売女だ」と言われる場面がありましたが、事実と違うとはいえ作者の母はルワンダ内戦からブルンジに逃れてきた黒人の難民で白人の男と結婚したわけですからね。
 よく書けたよ、ほんと。読んでる方が悲しくなったわ。
 実際のところ、作者のアイデンティティーはどこにあるのでしょう。
 ガブリエルは最後までそれが定まらなかったように思う。同じ白人と黒人のハーフとはいえキンヤルワンダ(ルワンダ語)が喋れる親友のジノとは違って、ガブリエルは子どもという理由で父から政治の話題を遠ざけられ、母からもルワンダ語を教わることはなかったわけですから。国籍はフランスになるわけですけどね、行ったことないし。肌は白と黒の間のキャラメル色です。しかも両親が別居してしまった。父は違う女のもとに通い、親戚の無事を確かめにルワンダに行って甥や姪の惨殺体を見て帰ってきた母は、あんなに綺麗だったのに頭がおかしくなってしまいました。
 友達がいるブジュンブラの袋道に愛着はあったでしょうが、彼には寄るべき故郷というものが最後までなかったのです。
 もちろん、フツ族とツチ族の抗争の因縁などまったく知るよしもありません。彼は部外者であったのです。
 あのままいたら、妹のアナと一緒に殺されていたかもしれませんね。
 自分が何者かもわからないまま、敵か味方かに強引に区別されて殺されることほど悲劇はありません。
 物語の最後では、33歳になってなお自身の帰属があやふやなガブリエルが、フランスから20年ぶりにブジュンブラの袋道を訪ねるのですが、その変わってしまった風景は記憶にさえも人は帰属できないことを諭されたようで、いかにも物悲しいです。
 
 地理的にも遠く、ましてやジェノサイドなどが考えられない社会で暮らしている我々なので、本作から勉強できる部分は非常に多かったと思います。あらためて世界で当たり前のことが当たり前ではない日本という国独特の幸せを感じました。
 想像したこともありませんでしたが、在日の方の心持ちを考えたりもできました。
 1994年4月から、わずか100日間で80万人もの人間が殺されたというルワンダのジェノサイド。
 その話は以前に読んだ「ジェノサイドの丘」という本に詳しく載っています。隣国とはいえ本作の背景もこれに直結しています。隣人が突然殺人者に変わるというね・・・正直、戦争よりもひどいことが起こったのです。
 フツ族とツチ族の憎しみ合いは、かつての宗主国であったフランスやベルギーによる分裂統治政策に端を発するようです。治めやすいように対立構図を作ったのですね。
 ほんと過去に白人がしたことはヒドいですよ。今は価値観がマシになっているとはいえ、本作にも登場したドイツ系のフォン・ゲッツェンみたいに筋金入りの人種差別主義者なんて、まだまだ掃いて捨てるほどいっぱいいますからねえ。嫌韓とはまったくレベルが違うです。有色人種のことを人間と思っていませんから。
 地球の社会が成熟したといえるのは、まだまだなようですね。


「ミニヤコンカ奇跡の生還」松田宏也

 手袋を手から取ろうとしたとき、僕は、高圧線に手が触れたような衝撃を受けた。
 スポッ!・・・と、絹の手袋のまず左の小指から取りにかかったところ、手袋の小指に、もう一枚の本物の小指の皮膚が指サックみたいに脱げた。皮膚がスッポリ取れた左の小指は、真っ黒だった。
 左手の指、五本ともすべて真っ黒だった。そして右手の指も、十本の指全部が真っ黒だった。
 指の痛みはまったくない。無感覚なのだ。だが、曲がらない。どの関節も動かない。

 指が死んだ。僕の知らないうちに、指が死んだ。

 日本人だけで14名が遭難死亡している魔の山ミニヤコンカからの壮絶な生還体験記。
 山菜採りにきた少数民族に奇跡的に発見され、中国四川省の病院に担ぎ込まれたときの著者の病状は、両手両足重度凍傷、敗血症、DIC症、厳重脱水、極度消痩、心身衰弱、急性胃穿孔、腹膜炎、肺炎性胸膜炎、真菌性腸炎、小腸劇性潰瘍出血、不完全性腸閉塞。まさに満身創痍、死の淵。実際に、開腹手術の途中で15分ほど心臓は止まったそうです。
 写真にも載せられていますが、現地病院の献身的な介護によって著者は回復し、生きて日本に帰国することが叶いましたが、両手の指を失い、両足は膝下15センチのところから切断されました。
 
 ヒマラヤ東端の中国領に位置するミニヤコンカは、標高7556メートル。
 8千メートルに及びませんが、非常な難峰として知られ、1932年にアメリカ隊によって初登頂されて以来、全員が無事で登頂に成功した登山隊はほとんどありません。
 1981年には北海道山岳連盟隊が滑落事故によって8名もの犠牲者をだしています。
 その翌年1982年に挑戦したのが、著者の所属する千葉県の市川山岳会でした。
 ミニヤコンカの麓の街との姉妹都市関係が縁だったそうです。
 パーティはBC以上総勢7名(女性隊員2名)。信じられない少数でしたね。ギリギリでしょう。
 実際の話、登頂アタックには著者(松田宏也)と菅原信で臨みましたが、サポートメンバーのアイゼンがなくなったり、滑落して怪我をしたりして、ベースキャンプと最前線のアタッカーとのブランクが開きすぎてしまいました。
 なぜアイゼンがなくなるのか。あまりにもミスがお粗末すぎる。
 この時点で失敗を認めて登頂を諦めるべきだったと思います。
 しかし、アタックするかどうかは頂上付近の2人の判断に任せられたのです。
 葛藤を抱えるふたり。高山病の症状もありましたが、結局、好天に恵まれたために登頂を決意しました。
 ところが、著者は未曾有の山岳事故を経験した北海道隊の隊長にも話を聞いていたのですが、同じような過ちを犯してしまうのですね。ガスに騙されて頂上を見誤ってしまうのです。すぐそこに山頂があると確信していたのに、ガスが晴れるとまだまだステップがあったのです。そして好天だった天候が急変。吹雪。雪壁に取り付いていたふたりは慌てて雪洞を掘ってビバークしましたが、この時点で登頂は諦めました。下山を決意します。
 しかしそのときには、降り続いた雪によって確かな下山ルートが消えてしまっていたのです。
 さらに不幸が追い打ちをかけます。トランシーバーが凍結で故障してしまいました。
 これで第1キャンプ(4900メートル)と連絡が取れなくなってしまいました。
 そのため、第1キャンプでふたりの無事登頂を祈っていた残りの隊員は、数日待ってふたりの凍死を決めつけてしまいました。キャンプを撤収して下山してしまったのです。

 下山を決意してから19日間。
 著者はその間にパートナーの菅原とはぐれ、手足に凍傷を負い、胃穿孔を起こして激痛に苦しみながら、夢遊病者のようにひたすら下を目指しました。山菜採りにきていたイ族の農民と出会ったのは2900メートル地点でした。
 救いの神となった彼らは、著者の体を暖め、塩水を飲ませたそうです。さすが高地民族だと思う。
 はぐれた菅原は第1キャンプすぐ下の岩場で遺体が発見されました。
 実はこのときの遺体捜索でも菅原と同期の市川山岳会のメンバーが高山病で死亡しています。
 あと数日、残りの隊員が第1キャンプで待っていれば、ふたりは助かったことでしょうが・・・
 それは結果論でしょうか。現に、著者は救助されて日本でリハビリに励みながら「私は被害者ではない、当事者だ」というコメントを残したそうです。

 やっぱり山は怖いとしみじみ思いながら読んでいたのですが、私、ある部分で全身に鳥肌が立ちました。
 前後を読んでも著者はさして深く考えていないと思われ、同じ部分を読んでも私と同じように恐怖の感覚を持つ方のほうが少数かもしれませんが、ものすごく不気味なところがありました。どことは言いません。それくらいどうかしている。
 高山病の症状には幻覚も伴うのは知っていますが、ふたり同時に同じ幻覚や幻聴を体験するはずがないと思うのですね。
 やっぱり山は怖い。でも危険を犯してでも山頂を目指す気持ちはわかる。難しいならなおさら・・・
 ミニヤコンカで亡くなられたすべてのクライマーたちのご冥福をお祈りいたします。


 
 
 
 

 

「海軍陸上攻撃機隊」高橋勝作・中村友男・足立次郎ほか

 中攻隊には戦闘機隊でよくいわれる「エース」は存在しない。編隊の団結力で戦うからである。
 一式ライターといわれるほど防御の貧弱な、機銃の装備もB17などに比較すると完全な時代遅れのわが陸攻が、高角砲の斉射を受け、グラマンの反撃にみるみる被弾、自爆機の出るなかで、指揮機を中心にずらりと、ほとんど横一直線に並んだ一糸乱れぬ中攻特有の編隊、右を眺め左を眺めても、キラリキラリと輝くプロペラ、翼、心をこめて整備してくれた発動機、機体機銃の銃身の先端にいたるまで、闘魂と生気がみなぎっており、指揮官の心臓から高鳴る血潮が編隊の最翼端までほとばしっている。これが中攻隊編隊のこころであり、ここまで日頃の訓練を通じて結集したものが搭乗員といわず、隊員すべての心であった。(705空飛行隊長・中村友男)


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 海軍中攻隊搭乗員による戦記集。
 全6名による6篇。中攻のオーソリティと言われた古参幹部から5千時間を超える搭乗時間を誇る歴戦の電信員までいずれもレベル高し。一式ライターと不名誉なあだ名を賜った一式陸攻を本当に燃えやすいか横空で実験したところたちまち機銃掃射で燃え上がり三菱の技術者が泣いてしまった話など初めて聞く話や、神雷部隊飛行長だった足立次郎少佐の回顧録もありなかなか興味深い一冊に仕上がっていると思います。

「大陸長駆横断戦」高橋勝作(13空・少佐)
 支那事変初期空戦の衝陽空戦(昭和13年8月)、重慶爆撃(昭和14年5月)の回顧録。
 援護戦闘機なしの丸裸で出撃した96式陸攻隊の活躍をしのぶ。
「翼と南十字星」大沢武(美幌空・中尉)
 著者は飛行3千時間を超す歴戦の中攻偵察員。
 開戦準備のため鹿屋から台中に移動したとき隊幹部が乗った1番機が行方不明になったエピソードを皮切りに、シンガポール爆撃行、コタバル基地で敵の残した「風と共に去りぬ」の原書を見つけた話、陸海軍協同でのカルカッタ爆撃など。注目は、昭和18年4月18日の山本五十六長官機撃墜事件で、このときのパイロット小谷立飛曹長は、著者と同じ在ラバウル705空の小隊長であり、索敵当直の順番がひとつ違えば隣の小隊長であった著者搭乗の一式陸攻が長官機に抜擢されたはずであった。宇垣纏参謀の乗った2番機搭乗員の生存者の話を著者は聴取しており、撃墜時の様子がうかがえる。
 著者は昭和19年6月24日、玉砕寸前のグァム島から伊41潜水艦で脱出した。
「一式陸攻漂流記」大野新一郎(元山空・上飛曹)
 著者は電信員。レパルスに至近弾。在ラバウルで珊瑚海海戦。昭和19年3月、762空708攻撃隊に配属され、台湾沖航空戦に出撃。敵艦を雷撃後、乗機は海上に不時着。1週間漂流後、アメリカの駆逐艦に救助されて捕虜となった。
 敵艦隊の通信参謀はとても日本語が流暢で、762空が鹿屋を基地としていることも知っていたという。
「中攻隊のサムライたち」小西良吉(千歳空・少尉)
 著者は電信員兼射手。飛行時間5800時間。小西がいなければ小隊の電信射撃がガタガタになると請われてなかなか偵察員配置になれなかった逸話を持つ歴戦の中攻搭乗員。ラバウルでは酒豪のため麻酔なしで盲腸を手術されたがガダルカナル攻撃は16回を数え、珊瑚海海戦では敵の先行支援艦隊を昼間雷撃した。
 注目は真珠湾攻撃に連動した開戦時のウェーキ島爆撃。マーシャル郡島ルオット基地から出撃、著者の機は超低空の300メートルから250キロ爆弾を落とし、自身の爆弾の破片で操縦索を切ってしまった。
「私の戦場回想」中村友男(705空飛行隊長・中佐)
 商船学校出身の異色の中攻隊古参幹部。指揮官先頭の見本のような人物で、自身もパイロットのために指揮官として搭乗したときは副操縦士の席に座った。支那戦線で戦績を重ねたが、太平洋戦争ではミッドウェーの敗戦処理から現場に配属。以後、ラバウルの最前線でソロモン海戦、レンネル島沖海戦など中攻隊死闘の先頭に立った。
 非常に読み応えのある臨場感あふれる戦記であるとともに、戦後民間会社の労務課で骨を折った人柄あふれる偉ぶらない文章は、読み物としても第一級のものであると思われる。
「わが陸攻隊戦記」足立次郎(751空飛行隊長・少佐)
 96式陸攻の登場期から操縦していた経験を持つ陸攻のオーソリティ。横空実験部にも在籍しており、中攻のメカニズムや戦術を知り抜いている。横空で一式陸攻に燃料を満載し機銃掃射して耐久性テストしたときはたちまち燃え上がり。その一式ライターのあだ名に恥じない姿に三菱の技術者は目に涙をためていたという。
 戦争末期には人間爆弾・桜花で悪名高い神雷部隊で、海兵同期の野口五郎少佐と同じく飛行隊長として配属された。
 著者はこれしかもう戦うすべはないと思っていたという。著者の隊は出撃することなく空襲で全滅したが、基地が違った野口少佐の隊は桜花を抱えて出撃、空戦で全滅した。おそらく老練な野口少佐が操縦していたと思われる一式陸攻が長時間海面を這って最後の瞬間まで敵機の銃撃をかわし続けていたという話を著者は聞いている。




「神々の山嶺」夢枕獏

 日本における山岳冒険小説の金字塔とでもいうべき作品です。
 原稿用紙1700枚の圧倒的ボリュームながら、まったく重さを感じさせない。
 プロット、リズムとも文句なし。キャラクターの数も丁度良く、掘り下げ度もよし。
 史実をまじえた構成はミステリー感を生み、最後まで飽きさせません。
 そして何より秀逸であるのは、作者自らの体験を土台にしたリアルな山岳登攀の描写でしょう。
 我々一般人には、8千メートルを超えた世界のことなどまったく想像できません。
 そして想像ができないゆえに、その苦しさに実感が伴わず、情景が伝わってこないのです。
 8千メートルの高度で小便のために登山靴を履く(凍るので寝袋に入れている)行為は、下界で70キロの荷を背負ってビルの5階まで階段を使う行為よりも、体がキツイそうです。
 6千メートルの高度でさえ、長く滞在すると大量の脳細胞が死んでいくと言われています。
 ジェット気流、マイナス40度の大気、雪崩、落石。どれひとつ下界にいれば実感できません。
 空気が薄くなって肺がやられたり、手足の指が凍傷になるなど、まったく他人事です。
 しかし本作は違います。登場人物が登攀しているときに、読んでるこっちも酸素が薄くて息苦しくなります。
 登山家が愛する蜂蜜たっぷりの熱い紅茶を飲んでる場面など、、こっちも一息ほっとした気分になるのです。
 さらには、そうまでして思い入れたキャラクターの決死の登攀が成功するかどうかまったくわかりません。
 スパイミステリーじゃありませんからね。山岳小説において正義の味方は存在しません。
 すべては山の神々の思し召すところなのですよ。だから先がどう転ぶかわからない面白さがあるのです。
 
 簡単にあらすじ。
 1993年。日本のエヴェレスト登山隊に随行していたカメラマンの深町誠は、2人の死者を出すという失敗の遠征の帰路、ネパールの首都カトマンズの登山用品店で、ある古ぼけたカメラを見つけました。レンズにヒビが入っています。何気なく手に取った深町は、思わず戦慄を覚えました。そのカメラは、ベストポケット・オートグラフィック・コダック・スペシャル。1924年6月8日にエヴェレスト登頂目前の姿を目撃されて以来消息を絶った英国の伝説的クライマー、ジョージ・マロリーが所持していたのと同型のカメラでした。
 世界登山史上に永遠に残る最大の謎、1953年のエドモンド・ヒラリーによるエヴェレスト初登頂にさかのぼること29年、マロリーは人類で初めて世界最高峰エヴェレストに成功していたのか? このカメラが本物であれば、その謎が解き明かされるかもしれない。フィルムは入っていませんでしたが、カメラが存在するということは、どこかにフィルムもあるはずだ。フィルムには、なにものにも遮られないエヴェレスト山頂で微笑むマロリーの姿が写っているかもしれない・・・
 わずか150ドルでそのカメラを手に入れた深町は、このカメラがカトマンズにあった背景を追跡しようとします。
 その結果、紆余曲折の末たどり着いたのは、現地でピカールサン(毒蛇)と呼ばれ、顔全体が紫外線によって黒ずみ、シェルパ族にしか見えない謎の男でした。そしてこの男の正体は、羽生丈二という日本の伝説的クライマーだったのです。
 謎のカメラは羽生が所有し、盗まれて登山用品店へ転売されたものでした。
 数々の栄光を国内外で打ち立てた羽生は1985年、日本のエヴェレスト遠征隊に参加しましたが、登頂のアタックメンバーに選ばれなかったことを不本意として、無許可で下山し、それから行方知れずとなっていました。
 その羽生がネパールにいる。おそらく50歳手前になっているはず。しかし、彼の容姿からは現役の登山家が醸し出す雰囲気が漂っていました。
 当初、接触することを頑なに拒絶された深町でしたが、もはやマロリーのカメラに対する興味よりも、この恐るべき登攀技術を持った型破りな日本人クライマーの人生そのものに引き寄せられていくのです。
 はたして羽生がネパールで狙っていたものとは・・・
 不可能と言われている、世界初のエヴェレスト南西壁冬期無酸素単独登頂なのか、あるいは!?

 マロリーのことを知っていれば10倍楽しく読めます。
 トム・ホルツェルの「エヴェレスト初登頂の謎」は作中にも登場するので、読んでおいて損はありません。
 だいたい私自体が、本作を読むためにジョージ・マロリーを勉強したのです。
 本作はマロリーの謎がテーマとなっていると事前に知ることができましたからね。
 私は「エヴェレスト初登頂の謎」、それからマロリー遺体発見後の「そして謎は残った」、ジェフリー・アーチャーの「遙かなる未踏峰」という順番で読んできて本作にたどり着きましたが、刊行順に本作を「そして謎は残った」の前に読んでもいいかもしれません。そうすると、「そして謎は残った」という本に別の意味で含みが出るかもしれませんから。
 本作の刊行は1997年で、エヴェレスト北東陵頂上付近でマロリーの遺体が発見される2年前に書かれています。
 ですから王洪宝が見たという8100メートル付近の岩陰の遺体をアーヴィンではなくマロリーのものとして書いていますが、事実と食い違っているのはその点くらいで、現実にマロリーの遺体の装備品にはカメラはありませんでしたから、本作の展開と同じくアーヴィンと見られる岩陰に残る未発見の遺体のほうに、カメラがあるのでしょう。おそらくフィルムも。

 まあ、マロリー抜きでも十分面白いけどね。
 ある意味、登山の真髄に触れることができる本だと思う。
 なぜ、山に登るのか? それはきっと生と死が間一髪で張り付いているような、命がありのままで吹きさらしになっているような世界での濃厚な時間を体験してしまったら、下界で過ごす生活はなんとも味気ない希薄なものであるからではないですか。
 ある意味、中毒なんだよね。危険中毒。
 一番印象に残ったのは、最後に羽生が深町のチョコレートとひとつかみの干しぶどうを持っていたことです。
 やっぱり、たとえ帰ってこなくても、登頂に成功していたならば意味があると思ったなあ。
 「生きて帰ってこなければ登頂に成功したことにはならない」という意見が著名な登山家を含め大勢を占めることはわかっていますが、私は帰りに死んでも意味があると思う。
 なぜなら、人間はいつか死ぬものだからですよ。成功してもいつか死ぬんですから、生きている間に成し遂げたことは成功に違いないと思うんですよね。
 みなさんは本作を読んでどう思われるでしょうか。


 
 
 
 
 
 
 
 
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